個人事業が軌道に乗ってくると、「そろそろ法人化した方がよいのではないか」と考える場面が出てきます。
税負担を見直したい。取引先から法人化を求められている。採用や融資を考えている。家族への給与や役員報酬を整理したい。あるいは、将来の事業承継やM&Aも見据えて、個人事業のまま続けることに限界を感じている。こうした事情から法人化を検討されるのは、決して珍しいことではありません。
ただ、法人成りは「会社を作る手続」だけを指すものではありません。個人事業として行ってきた事業を、法人という別の主体へ移していく実務そのものです。
ですから、法人設立に加えて、個人事業の整理、資産の移転、契約名義の変更、税務届出、消費税・インボイス、役員報酬、社会保険、従業員の雇用、会計ソフト、口座、請求書、月次決算まで、一連の流れとして確認していく必要があります。
ここで特に意識しておきたいのは、法人成りを「節税になるかどうか」だけで判断しないことです。
たしかに、所得税と法人税の税率構造、給与所得控除、役員報酬、家族への給与、退職金、社会保険料などを総合すれば、法人化によって税務・社会保険上の負担構造が変わることはあります。しかしその一方で、法人化した後には、法人税申告、地方税、社会保険、源泉徴収、役員報酬の制約、会計処理、法人としての資金管理といった、個人事業とは異なる管理負担も生じます。
法人化のハードル自体は、会社法制の見直しによって以前より下がりました。とはいえ、個人事業で使っていた資産を法人へ移す場合には、時価、譲渡価額、取得価額、消費税、役員との取引などを一つずつ整理しなければなりません。「今まで使っていたものをそのまま法人で使えばよい」という感覚で進めてしまうと、後から説明のつきにくい取引になりかねません。
この記事では、個人事業から法人化する際に、実務上どのような順番で何を確認すべきかを整理します。個別資産ごとの詳細な税額計算や、具体的な届出書の記載方法までは扱いません。あくまで、法人成りの全体像と、後から詰まりやすい実務の流れをつかんでいただくことを目的としています。
法人成りとは何か
法人成りとは、個人事業として行ってきた事業を、株式会社や合同会社などの法人へ移していくことをいいます。
ここでまず押さえておきたいのは、個人事業主と法人は、税務上も法律上も別の主体だという点です。
個人事業では、事業の売上、経費、資産、負債、契約、預金、借入は、最終的にはすべて事業主個人に帰属します。これに対して法人化した後は、法人が契約の主体となり、法人名義で売上を立て、法人名義で経費を支払い、法人名義で資産を保有し、法人として税務申告を行っていくことになります。
そのため、法人成りでは次の二つの作業が同時に進みます。
一つは、新しい法人を設立し、法人として事業を始められる状態を整えることです。もう一つは、これまでの個人事業をどこで区切り、どの資産・契約・取引・従業員・借入・許認可を法人へ移すのかを整理することです。
この二つは、切り分けて考える必要があります。
法人を設立しただけでは、個人事業の資産や契約が自動的に法人へ移るわけではありません。反対に、個人事業を廃業しただけでも、法人として事業を続けられる体制が整っていなければ、請求、入金、支払、給与、税務、社会保険、契約のどこかで実務が止まってしまいます。
会社は、本店所在地で設立登記をすることによって成立します。株式会社であれば、定款、出資、役員、資本金、事業目的などの設計が、設立手続の前提となります。設立時に作成する定款や登記書類は、単なる形式的な書類ではありません。法人化後の取引、税務届出、金融機関対応、許認可にまで影響してきます。
出典:e-Gov法令検索|会社法
出典:法務局|株式会社設立登記申請書
法人成りの実務は「設立前」「設立時」「設立後」に分けて考える
法人成りは、法人設立日だけを見て進めようとすると、どうしても漏れが出やすくなります。実務では、少なくとも次の三段階に分けて整理すると、全体を見通しやすくなります。
第一に、設立前の設計です。
ここでは、法人化する目的、法人化のタイミング、会社形態、事業年度、資本金、役員、株主、役員報酬、消費税・インボイス、個人事業の廃業日、資産や契約の移行方針を決めていきます。法人成りの成否は、この段階でかなりの部分が決まると言ってよいでしょう。
第二に、設立手続です。
定款を作成し、出資を行い、設立登記を申請し、法人番号の指定を受け、法人名義の印鑑、口座、会計環境を整えます。株式会社を設立する場合には、発起人、定款、出資、役員、登記といった会社法上の手続を踏むことになります。会社の種類、責任、権限、基本事項を検討したうえで設立を進める。これが法人設立実務の基本です。
第三に、設立後の移行実務です。
法人設立届出、青色申告承認申請、給与支払事務所等の開設届出、地方税関係の届出、社会保険の新規適用、労働保険・雇用保険の手続、個人事業の廃業届、消費税関係届出、インボイス登録、契約名義変更、請求書の切替、資産移転、会計データの切替などを進めていきます。
法人成りは、この三段階がつながって、はじめて完了します。
まず確認すべきは「なぜ法人化するのか」
法人成りを検討するとき、最初に整理していただきたいのは「なぜ法人化するのか」という点です。
理由が曖昧なまま法人化してしまうと、設立後に次のような問題が起こりやすくなります。
税負担を下げるつもりだったのに、社会保険料や法人維持コストまで含めると、想定したほどの効果が出なかった。信用力を高めるつもりだったのに、資本金や決算書、月次資料が整っておらず、金融機関への説明に苦労した。採用を見据えて法人化したものの、給与計算や社会保険の運用が追いつかず、かえって管理負担が増えた。消費税の負担を見落としていて、資金繰りが苦しくなった。
法人化の目的には、主に次のようなものがあります。
税務上の負担構造を見直すこと。取引先や金融機関からの信用を高めること。採用や社会保険加入の体制を整えること。役員報酬や家族への給与を制度として整理すること。事業と家計を分離すること。将来の事業承継、M&A、出資、共同経営に備えること。個人事業では扱いにくい契約や許認可に対応すること。
どの目的を重視するかによって、法人化のタイミングも、資本金も、事業年度も、役員報酬も、消費税の判断も変わってきます。
たとえば、税負担の見直しが主目的であれば、個人所得、法人利益、役員報酬、社会保険料、家族給与、将来の退職金まで含めて比較する必要があります。役員報酬を増やせば法人利益は減りますが、その分、社会保険料や個人の所得税・住民税は増える可能性があります。税金だけでなく社会保険料まで含めて手取りを見なければ、本当の負担は判断できません。
一方、信用力や融資が主目的であれば、法人化そのものよりも、法人化した後に金融機関へ説明できる決算書、月次試算表、資金繰り表、借入一覧、事業計画を整えられるかが重要になります。銀行融資では、資金使途、返済原資、事業内容、今後の見通しをきちんと説明できるかどうかが問われるためです。
法人成りにおいて、目的を一つに絞る必要はありません。ただ、優先順位を決めておかなければ、設計そのものがぶれてしまいます。
法人成りの基本的な流れ
法人成りの実務は、おおむね次の順番で進んでいきます。
まず、現在の個人事業を棚卸しします。
売上、利益、資金繰り、預金残高、売掛金、買掛金、在庫、固定資産、借入、リース、契約、従業員、外注先、許認可、インボイス登録状況、消費税の課税関係を、ひととおり整理します。
次に、法人化のタイミングを決めます。
どの日を法人の事業開始日とするか。個人事業の廃業日をいつにするか。月末、年末、決算期、請求締日、給与締日、消費税・インボイス、社会保険、取引先との契約更新時期などを踏まえて決めていきます。
そのうえで、法人の基本事項を決めます。
会社形態、商号、事業目的、本店所在地、資本金、株主、役員、事業年度、役員報酬、会計ソフト、法人口座、印鑑、請求書様式、契約名義などです。
その後、定款作成、出資、設立登記を行います。
法人設立後は、税務署、自治体、年金事務所、労働基準監督署、ハローワークへの届出を進めます。これと並行して、個人事業側でも、廃業届や必要な税務手続を行います。
最後に、実際の事業移行を行います。
請求書の発行主体を法人へ切り替え、入金口座を変更し、契約名義を変更し、資産や在庫を法人へ移し、従業員や外注先との契約関係を整理し、会計データを個人事業と法人で分けていきます。
この流れを、一つずつ着実に進めていくことが大切です。法人設立だけを先に済ませても、資産、契約、請求、給与、社会保険、会計の切替が追いつかなければ、実務上は法人として事業を始められないからです。
法人設立時に決める事項
法人化するにあたっては、会社の基本事項を決める必要があります。
代表的なものは、商号、事業目的、本店所在地、会社形態、資本金、株主、役員、事業年度です。
このなかでも、特に実務への影響が大きいのは、事業目的、資本金、株主構成、事業年度の四つです。
事業目的は、現在の事業だけでなく、法人化後に想定される事業まで踏まえて整理します。許認可が必要な業種では、事業目的の記載が許認可申請に影響することがあります。将来、取引先や金融機関が登記事項証明書を確認する場面もありますから、広げすぎず、狭めすぎず、実態に合った目的を設計することが重要です。
資本金は、設立コストや形式だけで決めるものではありません。資本金の額は、対外的な信用、消費税の新設法人判定、地方税均等割、許認可要件、金融機関の見方にまで影響することがあります。資本金が低すぎると、法人設立後すぐに役員借入金に頼る形となり、資金の説明が難しくなる場合もあります。
株主構成は、共同経営や家族を含める場合に、とりわけ重要になります。創業初期に何となく株式を分けてしまうと、将来の意思決定、事業承継、M&A、少数株主対応に影響します。非公開会社では、株主構成や譲渡制限、少数株主の権利が、後の事業継続・承継を左右します。初期の株式設計を軽く扱うべきではありません。
事業年度は、消費税、役員報酬、決算時期、繁忙期、資金繰り、税理士との決算対応に影響します。個人事業は原則として暦年で区切られますが、法人は事業年度を定款で定めます。どの月を決算月にするかによって、設立初年度の期間や届出期限、決算・申告のタイミングが変わってきます。
個人事業の整理で確認すること
法人成りでは、個人事業をどう終わらせるかも、あわせて整理しておく必要があります。
個人事業側で確認すべき主な項目は、売掛金、買掛金、在庫、固定資産、借入金、リース契約、賃貸借契約、取引基本契約、外注契約、従業員、許認可、消費税、インボイス、会計帳簿です。
まず、売掛金と買掛金を確認します。
法人化前に発生した売上を個人事業の売上とするのか、法人設立後に発生した売上を法人の売上とするのか。これを、請求締日や役務提供日、納品日、契約上の権利義務とあわせて整理していきます。入金日だけで売上の帰属を判断してしまうと、実態とずれてしまうことがあります。
次に、在庫や固定資産を確認します。
個人事業で使っていた商品、材料、車両、機械、工具、備品、内装、ソフトウェアなどを法人でも使う場合、その資産を法人へ売却するのか、現物出資するのか、賃貸するのか、それとも個人側に残すのかを決めます。
このとき見るべきは、帳簿価額だけではありません。時価、消費税、譲渡所得、減価償却、法人側の取得価額まで確認する必要があります。個人と法人は別人格ですから、個人から法人へ資産を移す場合には、内部処理ではなく、個人と法人の間の取引として整理しなければなりません。個人事業で使っていた資産を法人へ移すとき、時価と譲渡価額、法人側の取得価額の関係を誤ると、所得税・法人税・消費税の問題が生じ得ます。
また、個人事業を廃業する場合には、個人事業の開業・廃業等届出書など、必要な届出を行います。国税庁は、事業を廃止するときの主な届出書として、個人事業の開業・廃業等届出書、青色申告の取りやめ届出書、消費税の事業廃止届出書などを挙げています。このうち個人事業の開業・廃業等届出書は、廃業した年分の所得税の確定申告期限までに提出することとされています。
出典:国税庁|廃業する場合
資産移転は「何を法人に移すか」を先に決める
法人成りで実務上つまずきやすいのが、資産移転です。
個人事業で使っていたものを、法人設立後もそのまま使い続ける。これはよくあることです。しかし税務と会計の観点からは、「誰の資産なのか」「いつ移ったのか」「いくらで移ったのか」「代金は支払われたのか」「消費税の対象になるのか」を、一つずつ整理しておかなければなりません。
移転の対象になりやすいものには、次のようなものがあります。
- 商品・製品・材料などの棚卸資産
- 車両、機械装置、工具器具備品、内装、店舗設備などの固定資産
- ホームページ、ソフトウェア、商標、ノウハウなどの無形資産
- 売掛金、前払費用、敷金、保証金
- 借入金、未払金、買掛金、リース契約
ここで大切なのは、すべてを法人に移せばよいわけではない、という点です。
事業に必要な資産は、法人へ移すべき場合があります。その一方で、個人所有のまま法人へ貸す方が実態に合うものもあります。借入金やリース契約については、金融機関やリース会社の承諾が必要になることもあります。不動産や許認可が関係する場合には、税務以外の確認も欠かせません。
資産移転にあたっては、少なくとも次の資料を整理しておきたいところです。
- 個人事業の固定資産台帳
- 棚卸資産の明細
- 売掛金・買掛金の一覧
- 借入金の一覧
- リース契約書
- 賃貸借契約書
- 主要取引先との契約書
- 資産の取得価額、帳簿価額、時価の根拠
- 法人への譲渡契約書または賃貸借契約書
- 代金決済の記録
これらを残しておくことで、後から「なぜその金額で法人に移したのか」「どの時点から法人の資産になったのか」を説明しやすくなります。
契約名義は自動では切り替わらない
法人成りで見落とされやすいのが、契約名義です。
個人事業主として結んだ契約は、原則として個人が当事者です。法人を設立したからといって、契約の当事者が自動的に法人へ変わるわけではありません。
取引基本契約、業務委託契約、賃貸借契約、リース契約、借入契約、保守契約、サブスクリプション契約、ECモールのアカウント、決済サービス、広告アカウント、許認可、保険契約。これらは、名義変更や再契約が必要になる場合があります。
契約を確認しないまま請求書だけを法人名義に変えてしまうと、契約主体、売上帰属、入金口座、消費税、債権債務の説明がずれてしまうことがあります。
商取引では、反復・継続する取引について基本契約書を結び、注文書・注文請書・請求書などで個別の条件を明確にしておくことが大切です。契約書と個別取引書類の関係を整理しておくことは、法人成り後の取引移行においても重要になります。
法人成りの前後では、主要な契約を一覧にして、次のような観点で整理しておくとよいでしょう。
契約名、契約相手、現在の名義、法人へ変更するかどうか、変更手続の要否、相手方の承諾の要否、保証人の有無、支払条件、請求締日、契約期間、解約条項、許認可との関係。
とりわけ、賃貸借契約、金融機関借入、リース契約、許認可が絡む契約は、税務だけで判断できるものではありません。司法書士、行政書士、社労士、弁護士といった他士業との連携が必要になる場合もあります。
法人設立後の税務届出
法人を設立したら、税務署や自治体への届出が必要になります。
国税庁は、新設法人の届出書類として、法人設立届出書、源泉所得税関係の届出書、消費税関係の届出書などを挙げています。このうち法人設立届出書は、設立の日、すなわち設立登記の日から2か月以内に、定款等の写しを添付して提出することとされています。
出典:国税庁|No.5100 新設法人の届出書類
また、法人で青色申告を行う場合には、青色申告の承認申請書の提出期限にも注意が必要です。普通法人等の設立初年度については、設立の日以後3か月を経過した日と、その事業年度終了の日のうち、いずれか早い日の前日までとされています。
出典:国税庁|C1-19 青色申告書の承認の申請
この期限を過ぎると、設立初年度から青色申告を適用できない可能性があります。青色申告は、欠損金の繰越控除など、法人の初期運営を左右する重要な制度です。法人化後に赤字が出る可能性がある場合であっても、青色申告の承認申請を軽く扱うべきではありません。
さらに、役員報酬や従業員給与を支払う場合には、給与支払事務所等の開設届出書が必要になります。国税庁は、給与支払事務所等を開設、移転、廃止した日から1か月以内に提出することとしています。
出典:国税庁|A2-7 給与支払事務所等の開設・移転・廃止の届出
地方税については、都道府県税事務所や市区町村への法人設立届出が必要になるのが通常です。様式、提出期限、提出先は自治体によって異なりますので、本店所在地の自治体の公式情報で確認する必要があります。
個人事業側の税務手続も忘れてはいけない
法人成りでは、新しい法人の届出にどうしても意識が向きがちです。しかし、個人事業側の整理も欠かせません。
個人事業を廃業する場合には、個人事業の開業・廃業等届出書を提出します。青色申告を取りやめる場合には、所得税の青色申告の取りやめ届出書を検討します。消費税の課税事業者であった場合には、事業廃止届出書が必要になることもあります。
個人事業の最終年分については、所得税の確定申告が必要です。法人化した年は、個人事業としての売上・経費と、法人設立後の法人の売上・経費を、きちんと分けて整理しなければなりません。
ここで混同しやすいのが、入金日と売上計上の関係です。
法人化後に入金があったとしても、その売上が個人事業時代に発生したものであれば、個人事業側の売掛金回収として扱うべき場合があります。逆に、法人設立後の契約・納品・役務提供にもとづく売上であれば、法人の売上として処理することになります。
ですから法人成りの前後では、請求締日、納品日、役務提供日、請求書発行日、入金日を整理し、個人事業と法人の売上・経費を明確に分けておくことが重要です。
消費税・インボイスは法人成りで特に注意する
法人成りにおいて、とりわけ慎重に確認したいのが、消費税とインボイスです。
個人事業主として課税事業者だったのか、免税事業者だったのか。インボイス登録をしていたのか。法人設立後にインボイス登録をする必要があるのか。法人の資本金をいくらにするのか。大きな設備投資を予定しているのか。主要取引先が適格請求書を求めているのか。
こうした点によって、法人化後の消費税の扱いは変わってきます。
新設法人については、基準期間がない法人であっても、事業年度開始日における資本金または出資金の額が1,000万円以上である場合には、一定の課税期間について消費税の納税義務は免除されません。
出典:国税庁|No.6503 基準期間がない法人の納税義務の免除の特例
また、特定期間における課税売上高が1,000万円を超える場合など、基準期間以外の判定によって納税義務が生じることもあります。
出典:国税庁|No.6501 納税義務の免除
インボイスについても押さえておきたい点があります。適格請求書発行事業者の登録を受けられるのは、課税事業者です。国税庁のインボイス制度Q&Aでは、新たに設立された法人が免税事業者である場合でも、一定の期限までに課税選択届出書や登録申請書を提出することで、設立時から登録を受けたものとみなされる特例が示されています。
出典:国税庁|インボイス制度に関するQ&A 問11 新たに設立された法人等の登録時期の特例
ただし、インボイス登録をすれば、消費税の納税義務と実務負担が生じます。取引先がインボイスを求めるから登録する、という判断自体はあり得ます。それでも、その場合には、価格設定、消費税の納税資金、簡易課税制度、2割特例・3割特例の適用可能性、設備投資、資産移転までをあわせて確認しておく必要があります。
消費税の選択届出は、提出時期を誤ると取り返しのつきにくい分野です。簡易課税制度選択届出書は、原則として、適用を受けようとする課税期間の初日の前日までに提出しなければなりません。ただし、事業を開始した日の属する課税期間である場合には、その課税期間中に提出すればよい取扱いが示されています。
出典:国税庁|D1-22 消費税簡易課税制度選択届出手続
法人成りでは、個人事業と法人とで消費税の判定主体が変わります。ここを曖昧にしたまま進めてしまうと、設立後に「免税だと思っていた」「インボイス登録が間に合わない」「簡易課税を選ぶべきだった」「設備投資の消費税還付を考えていなかった」といった問題につながりかねません。
役員報酬は法人化後の資金繰りと社会保険に直結する
法人成りの後、個人事業主は法人の役員となり、法人から役員報酬を受け取る形になるのが一般的です。
個人事業では、事業主自身への生活費の引き出しは、給与ではなく事業主貸などとして整理されます。これに対して法人では、代表者への支払いは役員報酬として扱われます。
役員報酬は、法人税、所得税、住民税、社会保険料、資金繰りのすべてに影響します。
法人税の上では、役員報酬をいつでも自由に増減できるわけではありません。定期同額給与など、損金算入のための要件を確認しておく必要があります。設立初年度に役員報酬をどう設定するかは、法人の利益計画、生活費、社会保険料、資金繰り、借入返済を見ながら決めるべきものです。
役員報酬を高く設定しすぎると、法人の資金が不足することがあります。逆に低くしすぎると、代表者個人の生活費や社会保険上の標準報酬、そして金融機関から見た事業継続性に影響することがあります。
また、法人化した後は、社会保険の負担が生じます。個人事業主の国民健康保険・国民年金とは異なり、法人では健康保険・厚生年金保険の適用を受けることになります。日本年金機構は、健康保険・厚生年金保険の新規適用届について、適用されることになった場合に、事実発生から5日以内に事業主が行う手続としています。
出典:日本年金機構|新規適用の手続き
法人成りでは、税金だけでなく、社会保険料まで含めた手取りと会社負担を確認する必要があります。役員報酬は「法人利益を減らすための金額」ではありません。法人と個人、双方の資金繰りを成り立たせるための設計項目だと捉えていただきたいと思います。
給与・源泉所得税・年末調整の管理が始まる
法人化した後に役員報酬や従業員給与を支払う場合、法人は源泉徴収義務者として、源泉所得税と復興特別所得税を徴収・納付する必要があります。
国税庁は、源泉徴収した所得税および復興特別所得税について、原則として、給与などを実際に支払った月の翌月10日までに国に納めることとしています。ただし、給与の支給人員が常時10人未満である源泉徴収義務者については、一定の申請により、半年分をまとめて納付できる納期の特例があります。
出典:国税庁|No.2505 源泉所得税及び復興特別所得税の納付期限と納期の特例
出典:国税庁|A2-8 源泉所得税の納期の特例の承認に関する申請
源泉所得税は、支払者である会社が徴収して納付する制度です。納付漏れがあると、不納付加算税や延滞税の問題が生じることがあります。源泉所得税は、法人化後の資金繰りのなかで、「預かっている税金」として管理すべきものだと考えてください。
従業員を雇っている場合には、給与計算、社会保険料、労働保険、雇用保険、年末調整、法定調書、給与支払報告書まで、運用の範囲が広がります。個人事業で雇用していた従業員を法人へ引き継ぐ場合には、雇用契約、社会保険・雇用保険、給与締日、賞与、退職金、勤怠管理の扱いを整理しておく必要があります。
労働保険については、労働者を雇用する場合に、保険関係成立届や概算保険料申告書などの手続が必要になります。厚生労働省は、一元適用事業の場合、保険関係成立届を保険関係成立日の翌日から起算して10日以内、概算保険料申告書を50日以内、雇用保険適用事業所設置届を設置の日の翌日から起算して10日以内に提出する流れを示しています。
出典:厚生労働省|労働保険の成立手続
法人口座・請求書・会計ソフトを切り替える
法人化した後は、法人名義の口座、法人名義の請求書、法人名義の契約、法人名義の会計帳簿へと切り替えていきます。
個人事業の口座をそのまま使い続けると、個人の入出金と法人の入出金が混ざり、後から説明しにくくなります。法人設立後は、法人口座を開設し、売上入金、仕入・外注費支払、給与、社会保険料、税金、借入返済を法人名義で管理する体制を整える必要があります。
請求書についても、法人名、法人番号、登録番号、所在地、振込口座、消費税表示、インボイス記載事項を確認します。取引先には、いつの取引分から法人名義で請求するのかを、あらかじめ明確に伝えておくことが大切です。
会計ソフトも、個人事業と法人とで分けて管理します。個人事業の最終年分の帳簿と、法人の設立初年度の帳簿を切り分け、売掛金、買掛金、在庫、固定資産、借入金、未払税金、役員報酬、社会保険料を正しく入力できる状態にしておきます。
創業直後の会計環境では、口座、カード、請求書、証憑保存、給与、税務を連動させておくことが重要です。単に申告のために帳簿を作るのではなく、資金繰り、融資、月次判断に使える数字を整えることを意識したいところです。月次決算を活かすには、経営者ご自身が数字を読み、使い、見通す力を身につけていくことが欠かせません。
法人成り後の資金繰りを先に作る
法人成りを検討する際には、税額の比較だけでなく、法人化後の資金繰り表を作っておくことが重要です。
法人化した後は、個人事業時代にはなかった支出が増えることがあります。
法人住民税の均等割。税理士報酬や社会保険労務士報酬。社会保険料の会社負担。役員報酬に対する源泉所得税。法人名義の口座・決済・会計ソフトの費用。登記、定款、司法書士報酬。契約変更費用。許認可変更費用。消費税納税資金。
また、法人化した直後は、個人事業時代の売掛金が個人口座に入金される一方で、法人側では新たな仕入や給与支払が始まる、という時期が生じることがあります。この時期の資金繰りを見誤ると、法人化した直後に資金が詰まってしまいます。
中小企業の資金繰りでは、利益よりも現金を重視する視点が欠かせません。黒字であっても、現金が不足すれば事業は続けられないからです。売上、利益、現金の順番を取り違えず、売掛金、在庫、買掛金、借入返済、税金、社会保険料を資金繰り表で確認していくことが重要です。
法人成りを検討する段階で、少なくとも法人化後12か月程度の資金繰りは作っておくべきです。売上、入金、仕入、外注費、人件費、役員報酬、社会保険料、税金、借入返済、設備投資、個人への資産譲渡代金の支払を、そこに反映させます。
ここまで見えてくると、法人化すべきかどうかの判断も変わってきます。
税額だけを見れば法人化が有利に見えても、社会保険料や固定費、納税資金、借入返済まで含めると、法人化の時期を遅らせた方がよい場合もあります。逆に、多少コストが増えても、採用、信用、取引先対応、融資、事業承継といった観点から、法人化を進めるべき場合もあります。
金融機関への説明も法人化後に変わる
個人事業から法人化すると、金融機関との関係も変わってきます。
個人事業時代の借入がある場合、それを法人に引き継げるのか、個人に残すのか、それとも法人が新たに借り入れるのかを確認する必要があります。借入契約は金融機関との契約ですから、法人化したからといって、自動的に債務者が法人へ変わるわけではありません。
法人化した後に新たな融資を受ける場合には、法人としての事業計画、資金使途、返済原資、月次試算表、資金繰り表を説明することになります。金融機関は、単に法人であるかどうかを見るのではなく、事業内容、業績見通し、資金使途、返済可能性、代表者の関与、既存借入、自己資金、税金・社会保険の支払状況までを確認します。
法人成りの前後で、金融機関に説明すべき主な事項は次のとおりです。
なぜ法人化するのか。個人事業の実績はどう推移してきたか。法人化後の売上は、どの契約・取引先にもとづくのか。個人事業の資産・負債はどう整理するのか。既存借入はどう扱うのか。役員報酬をいくらにするのか。社会保険料を含めた固定費はどれだけ増えるのか。法人化後の資金繰りは回るのか。今後、追加資金が必要になるのか。
金融機関対応を見据えるのであれば、法人設立後すぐに月次試算表と資金繰り表を作れる状態にしておくべきです。法人化によって信用力を高めるには、法人の器を作るだけでなく、法人として説明できる数字を整えていく必要があります。
法人成りでよくある実務上のつまずき
法人成りでは、次のようなつまずきがよく起こります。
- 法人設立日は決めたが、個人事業の廃業日や売上の切替日を決めていない
- 請求書の名義だけ法人に変えたが、契約名義や入金口座が個人のままになっている
- 個人事業の固定資産を法人で使っているが、売買・賃貸・現物出資のどれとして扱うか決めていない
- 消費税やインボイスの届出を後回しにして、希望する適用ができなかった
- 役員報酬を感覚で決めてしまい、法人の資金繰りや社会保険料を見落とした
- 従業員の雇用関係や、社会保険・雇用保険の切替を整理していない
- 個人事業の売掛金と法人の売上が混在している
- 法人設立後の月次決算が遅れ、金融機関に説明できる資料がない
これらの問題に共通しているのは、法人成りを「法人設立手続」としてだけ見てしまっている、という点です。
本来、法人成りは、個人事業から法人へ、事業の主体を移す実務です。ですから、税務、契約、資金、労務、会計を、同時に見ていく必要があるのです。
法人成り前に整理しておきたい資料
法人成りを専門家に相談される前に、次の資料を整理しておいていただくと、検討がぐっと進めやすくなります。
- 直近の確定申告書
- 青色申告決算書
- 月次試算表
- 売上推移
- 主要取引先の一覧
- 売掛金・買掛金の一覧
- 在庫明細
- 固定資産台帳
- 借入金一覧
- リース契約書
- 賃貸借契約書
- 取引基本契約書
- 業務委託契約書
- 従業員名簿
- 給与台帳
- 外注先一覧
- 許認可の資料
- インボイス登録状況
- 消費税申告書
- 事業用口座の入出金明細
- 法人化後の売上見込み
- 法人化後の役員報酬の希望額
- 法人化する目的
これらをすべて完璧に揃えなければ相談できない、というわけではありません。ただ、資料が整っているほど、法人化の判断はより具体的なものになります。
とりわけ、売上、利益、資金繰り、資産、契約、消費税、社会保険は、法人成りの判断に大きく影響します。
法人成りは「いつ設立するか」より「どう移すか」が重要
法人成りのご相談では、「いつ法人を設立すればよいですか」という質問をよくいただきます。
もちろん、設立時期は重要です。年末、月末、繁忙期、請求締日、消費税、インボイス、社会保険、役員報酬、決算月との関係を考える必要があります。
しかし、それ以上に重要なのは、「どう移すか」です。
個人事業の売上をどこで区切るのか。資産をどう法人へ移すのか。契約をどう変更するのか。従業員をどう引き継ぐのか。消費税とインボイスをどう判断するのか。役員報酬をどう設定するのか。社会保険料をどう資金繰りに織り込むのか。法人化した後に、月次決算をどう回すのか。
これらを整理しないまま法人を作ってしまうと、設立後に実務が混乱します。
反対に、法人化の前に全体像を整理しておけば、設立後の動きはかなりスムーズになります。何を法人に移すのか、何を個人に残すのか、どの届出をいつ出すのか、どの契約をいつ切り替えるのか、どの資料を金融機関に説明するのか。こうしたことが、あらかじめ見えてくるからです。
法人成りは専門家に相談すべき論点が多い
法人成りは、個人事業主がご自分だけで進めることも、不可能ではありません。ただ、税務、会社法、社会保険、労務、契約、許認可、金融機関対応が絡み合うため、どこか一つの論点だけで判断すると、後から問題が出やすい分野でもあります。
税理士・公認会計士に相談すべき主な論点は、次のとおりです。
法人化すべきかどうか。法人化の時期。役員報酬の設計。個人事業の最終申告。法人設立後の税務届出。消費税・インボイスの判断。資産移転の方法。会計ソフトの切替。月次決算体制。法人化後の資金繰り。金融機関への説明資料。
司法書士には、定款作成、設立登記、役員・株主設計を相談する場面があります。社会保険労務士には、社会保険、労働保険、雇用保険、給与計算、就業規則を相談する場面があります。行政書士には、許認可や届出が関係する場合に相談することがあります。弁護士には、契約名義変更、共同経営、株主間契約、重要契約の承継を相談する場面があります。
法人成りを「税務だけ」の問題として扱わないこと。これが、何より大切だと考えています。
まとめ
法人成りは、個人事業から法人へ、事業主体を移す実務です。
法人を設立しただけでは、個人事業の資産、契約、借入、従業員、許認可、会計データ、消費税・インボイス、金融機関対応が、自動的に整理されるわけではありません。
必要なのは、法人化の目的を明確にし、個人事業を棚卸しし、法人の基本事項を設計したうえで、資産・契約・人・税務・会計・資金を順番に移していくことです。
とりわけ、資産移転、消費税・インボイス、役員報酬、社会保険、契約名義、月次決算は、後から修正しにくい論点です。法人化の前に整理しておくことで、設立後の混乱を大きく減らすことができます。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、法人成りを単なる法人設立手続としてではなく、税務、資金繰り、役員報酬、社会保険、契約、会計体制、金融機関対応までを含めた初期設計として整理しています。
「法人化した方がよいか分からない」「法人化の時期を判断したい」「資産や契約をどう移すべきか整理したい」「法人化後の資金繰りや役員報酬まで確認したい」。こうしたお考えがある場合は、現在の個人事業の状況をもとに、早めに論点を整理しておかれることをおすすめします。
法人成りは、急いで会社を作ることよりも、後から説明できる形で移行することが大切です。必要な資料や論点を整理したうえで、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。
振り返り:法人成りで確認すべき主な論点
| 確認項目 | 実務上のポイント | 見落とした場合のリスク |
|---|---|---|
| 法人化の目的 | 税務、信用、融資、採用、承継、M&Aなど、何を重視するかを明確にする | 設計がぶれ、法人化後の負担だけが増える |
| 法人化の時期 | 設立日、個人事業の廃業日、請求締日、給与締日、決算月を合わせて検討する | 売上・経費・給与・税務届出の区切りが曖昧になる |
| 法人設立 | 商号、目的、本店、資本金、役員、株主、事業年度を設計する | 許認可、金融機関、税務、株主関係に影響する |
| 個人事業の整理 | 廃業届、最終申告、売掛金・買掛金・在庫・固定資産を整理する | 個人と法人の取引・会計が混在する |
| 資産移転 | 売買、現物出資、賃貸、個人保有のいずれにするか決める | 時価、取得価額、消費税、役員との取引で問題が生じる |
| 契約変更 | 取引先、賃貸借、リース、借入、許認可の名義変更を確認する | 法人名義で請求していても契約主体が個人のままになる |
| 消費税・インボイス | 個人事業と法人で別々に納税義務、登録、届出を確認する | 免税・課税・登録時期・簡易課税の判断を誤る |
| 役員報酬 | 法人利益、個人の生活費、社会保険料、資金繰りを見て決める | 会社資金の不足、社会保険料負担、損金算入上の問題が生じる |
| 社会保険・労働保険 | 法人化後の健康保険、厚生年金、労働保険、雇用保険を確認する | 届出漏れ、保険料負担の見落とし、給与計算ミスにつながる |
| 会計・月次決算 | 個人事業と法人の帳簿を分け、月次で試算表と資金繰りを確認する | 金融機関や税務署に説明できる数字が整わない |
| 金融機関対応 | 法人化の理由、事業計画、資金使途、返済原資を説明できるようにする | 法人化しても信用力向上につながらない |