相続法務・遺言・遺留分・親族間合意と事業承継税制

事業承継税制を検討し始めたとき、多くの方がまず気にされるのは「自社株にかかる相続税・贈与税を、どこまで猶予できるのか」という税務上の効果です。

もっとも、後継者に自社株を集中させる承継では、税務要件を満たすだけでは十分とはいえません。後継者以外の相続人の遺留分、遺言の有効性、遺産分割の進め方、代償金の原資、過去の贈与や会社への貢献、そして先代の判断能力の低下。こうした相続法務の論点を整理しないまま進めれば、承継後の経営権は安定しないのです。

法人版事業承継税制は、円滑化法の認定を受けた非上場会社株式等を後継者が贈与または相続等により取得した場合に、一定の要件のもとで贈与税・相続税の納税を猶予し、後継者の死亡等により猶予税額の納付が免除される制度です。特例措置では、対象株式数の上限撤廃や猶予割合の100%化などが設けられています。
出典:国税庁|法人版事業承継税制

また、特例措置においては、特例承継計画の提出期限や承継実行期限が、制度設計上の重要な前提となります。特例承継計画の提出期限は令和9年9月30日まで、株式の贈与・相続による承継期限は令和9年12月31日までとされています。
出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

ただし、これらはあくまで「税務上、納税猶予を受けるための制度」にすぎません。後継者に株式を集中させた結果、他の相続人との関係が悪化し、遺留分侵害額請求、遺言の有効性をめぐる争い、遺産分割協議の長期化、代償金の支払不能といった事態が起これば、会社の意思決定や金融機関対応にも影響が及びます。

第8テーマでは、事業承継税制の適用判断を、相続法務と親族間合意の観点から補完していきます。

第8テーマで整理すること

第8テーマの中心にあるのは、「後継者に自社株・事業用資産を集中させること」と「後継者以外の相続人の権利・納得形成」を、どう両立させるかという問いです。

自社株は、単なる相続財産ではありません。会社の議決権、代表者の選任、役員人事、配当政策、借入対応、さらには将来の組織再編や売却の判断にまで直結します。そのため、法定相続分どおりに株式を分けてしまうと、後継者の経営権が不安定になることがあります。

一方で、後継者に株式を集中させれば、他の相続人からは「後継者だけが大きな財産を取得した」と受け止められる可能性があります。会社を守るための株式集中であっても、説明がなければ、相続人間の不公平感や紛争の火種になりかねません。

このテーマでは、遺留分、経営承継円滑化法の民法特例、遺言、遺産分割、代償分割、特別受益、寄与分、特別寄与料、生命保険、退職金、家族信託、成年後見といった論点を、事業承継税制と切り離さずに整理していきます。

民法上の遺留分や相続分、意思能力、遺言、成年後見等の基本的なルールは、承継設計の前提となるものです。個別の条文適用は事案ごとに確認が必要ですが、事業承継の現場では、税務上の試算と同じタイミングで相続法務の整理を始めることが何より重要だと考えています。
出典:e-Gov法令検索|民法

このテーマを読むべき方

このテーマは、次のような状況にある経営者、後継者、そしてご家族に向けたものです。

  • 後継者に自社株を集中させたいものの、他の相続人との関係が不安な方
  • 相続税・贈与税の納税猶予を検討しているが、遺留分や遺産分割で後から揉めないか確認しておきたい方
  • 遺言書を作成すれば十分なのか、経営承継円滑化法の民法特例や生命保険、退職金、代償分割まで検討すべきなのか迷っている方
  • 後継者が長年会社に貢献してきたことを、相続上どう整理すべきか悩んでいる方
  • 先代の高齢化や認知症リスクにより、贈与・遺言・信託・議決権行使をいつまで実行できるか不安を感じている方

反対に、単に「相続税を減らす方法」だけを探しておられる場合、このテーマは少し遠回りに感じられるかもしれません。第8テーマは、税額だけでなく、承継後の経営権、親族関係、説明可能性、会社の安定を、同じテーブルに載せて考えるためのテーマだからです。

推奨する読み進め方

第8テーマは、8-1から8-7まで順に読み進めていただくと、相続紛争リスクの全体像から、具体的な対策、親族間合意、意思能力リスクまでを段階的に整理できる構成になっています。

まず、8-1で自社株承継と遺留分リスクの全体像を把握します。次に、8-2で経営承継円滑化法の遺留分特例を確認し、後継者保護の制度的な選択肢を理解します。そのうえで8-3と8-4へ進み、遺言と遺産分割により、相続発生時に後継者が株式を取得するための実務論点を整理します。

その後、8-5で特別受益・寄与分・特別寄与料を確認し、過去の贈与や会社への貢献が相続分調整にどう影響するかを押さえます。8-6では、後継者以外の相続人への配慮と合意形成を整理します。最後に8-7で認知症、家族信託、成年後見を確認し、先代の意思能力低下に備えます。

すでに遺言書の作成や生前贈与を急いでおられる場合は、8-1、8-3、8-7を先に読むと、判断の前提を早く確認できます。すでに親族間で不公平感が生じている場合は、8-1、8-5、8-6を先に読むことで、感情論ではなく論点ベースで整理しやすくなるはずです。

8-1. 自社株承継と遺留分リスク

この詳細コラムでは、後継者に自社株を集中させた場合に、後継者以外の相続人の遺留分とどのように衝突し得るのかを整理します。

自社株は、相続税評価額としては財産である一方、会社法上は議決権を通じて経営支配を左右するものです。そのため、法定相続分どおりに分ければ公平に見える一方で、会社の意思決定は不安定になりかねません。逆に、後継者に集中させれば経営権は安定しやすくなりますが、他の相続人から遺留分侵害額請求を受ける可能性が生じます。

8-1は、第8テーマ全体の入口にあたります。自社株承継を相続税だけで判断してよいのか不安がある場合、まずこのコラムから読み始めていただくと、以後の遺言、民法特例、代償分割、合意形成の位置づけが理解しやすくなります。

8-2. 経営承継円滑化法の遺留分特例

この詳細コラムでは、経営承継円滑化法に基づく、遺留分に関する民法特例を整理します。

後継者が先代経営者から贈与等により取得した自社株式や一定の事業用資産については、推定相続人全員の合意など一定の手続を経ることで、遺留分算定の基礎財産から除外する合意や、算入する価額を固定する合意を検討できる場合があります。除外合意・固定合意の制度趣旨や手続については、申請マニュアルにも示されています。
出典:中小企業庁|中小企業経営承継円滑化法 申請マニュアル(民法特例)

この制度は、後継者に株式を集中させたい場合の有力な選択肢となり得ます。ただし、推定相続人全員の合意、家庭裁判所の関与、対象財産、後継者の要件などを確認する必要があり、税務手続とは別の法務手続として管理しなければなりません。

8-2は、後継者へ生前贈与で株式を移す予定がある方、遺留分への事前対策を検討したい方、特例承継計画と親族間合意を同時に整理したい方に向いています。

8-3. 遺言書による自社株・事業用資産の承継

この詳細コラムでは、遺言書を用いて自社株や事業用資産を後継者へ承継させる場合の論点を整理します。

遺言は、相続発生後に後継者へ株式を取得させるための基本的な手段です。しかし、「遺言があるから安心」とは限りません。自社株の特定、遺言執行者の指定、予備的遺言、遺留分への配慮、事業用不動産や会社貸付金の扱い、さらには相続税申告や事業承継税制の認定申請との関係まで、あらかじめ整理しておく必要があります。

8-3は、相続承継を前提としている方、先代がまだ株式を保有し続けたいとお考えの方、遺産分割協議に頼らず後継者の株式取得を明確にしておきたい方に向いています。

8-4. 遺産分割・代償分割・換価分割と自社株承継

この詳細コラムでは、相続発生後に後継者が自社株を取得するための、遺産分割の方法を整理します。

現物分割で後継者が自社株を取得する方法、他の相続人に代償金を支払う代償分割、財産を売却して金銭で分ける換価分割。それぞれ、税務・資金繰り・経営権への影響は異なります。とりわけ自社株は、分けやすいように見えて、実際には議決権の分散を通じて会社経営に影響を及ぼします。

代償分割を選ぶ場合でも、後継者に代償金の支払能力がなければ、会社資金への依存、役員報酬、配当、自己株式取得、金融機関対応といった問題が次々に生じます。8-4は、相続発生後の株式取得方法を現実的に整理したい方、代償金や納税資金の準備に不安がある方に向いています。

8-5. 特別受益・寄与分・特別寄与料と事業承継

この詳細コラムでは、後継者や他の相続人が過去に受けた利益、あるいは会社・先代への貢献を、相続分調整の観点から整理します。

後継者が過去に自社株や事業用資産の贈与を受けていた場合、それが特別受益として問題になることがあります。一方で、後継者が長年会社で働き、先代の事業や財産の維持・増加に貢献してきた場合には、寄与分の問題が生じることもあります。相続人以外の親族が療養看護や事業支援をしていたのであれば、特別寄与料の検討が必要になる場面も出てきます。

8-5は、後継者が会社に長く貢献してきた場合、過去の贈与や役員報酬が相続で問題になりそうな場合、そして家族間で「誰がどれだけ貢献したのか」という認識が食い違っている場合に、ぜひ読んでいただきたいコラムです。

8-6. 後継者以外の相続人への配慮と合意形成

この詳細コラムでは、後継者に自社株を集中させながら、後継者以外の相続人にどう配慮していくかを整理します。

会社を守るために株式を後継者へ集中させることは、経営判断として合理的な場合があります。しかし他の相続人から見れば、後継者だけが価値の大きい財産を取得したように映ることがあります。その認識の差を放置すれば、遺留分請求や親族間の対立にとどまらず、会社の信用や後継者の経営にまで影響が及びかねません。

このコラムでは、代償財産、生命保険、退職金、遺言、説明資料、親族間の合意形成を、税額ではなく「後から説明できる承継設計」という視点で整理します。後継者以外の相続人にどのような財産を残すべきか、どのタイミングで説明すべきかを考えたい方に向いています。

8-7. 認知症・家族信託・成年後見と事業承継税制

この詳細コラムでは、先代経営者の判断能力の低下が、自社株承継と事業承継税制の実行にどのような影響を与えるのかを整理します。

先代が認知症等により意思能力を失えば、自社株の贈与、遺言書の作成・変更、家族信託契約、議決権行使、株式譲渡承認手続などに支障が生じます。任意後見や法定後見は本人保護の制度として重要ですが、後継者に都合よく自社株を移すための制度ではありません。なお、成年後見登記制度は、成年後見人等の権限や任意後見契約の内容を登記し、証明書によって登記情報を開示する仕組みとされています。
出典:法務省|成年後見登記制度

家族信託は、議決権管理や財産管理の選択肢となる場合がありますが、信託財産、受益権、課税関係、そして事業承継税制との整合性を、慎重に検討しなければなりません。8-7は、先代の高齢化が進んでいる場合、贈与・遺言・信託の実行可能性を早めに確認しておきたい場合に読んでいただきたいコラムです。

第8テーマと他テーマとの関係

第8テーマは、単独で完結するテーマではありません。

自社株の遺留分リスクを考えるには、第6テーマの自社株評価が前提になります。株式の評価額が分からなければ、遺留分や代償金、納税資金の規模を把握できないからです。

また、後継者に株式を集中させるには、第7テーマの株主構成・議決権管理が前提となります。遺言や遺産分割で株式を取得できたとしても、名義株や少数株主、譲渡制限株式、種類株式の問題が残っていれば、経営権は安定しません。

さらに、事業承継税制を適用する場合は、第3テーマの特例承継計画・認定申請・税務申告、第9テーマの承継後管理・継続届出、第10テーマの取消事由・出口対応とも連動します。相続法務の整理は、税制適用の前段階であると同時に、適用後の紛争予防でもあるのです。

つまり第8テーマは、「相続で揉めないための話」にとどまりません。後継者が承継後に経営へ集中できる、株主構成と親族関係を整えるためのテーマなのです。

第8テーマで扱わないこと

このテーマトップでは、個別の遺留分額の計算、遺言書の具体的な文案、遺産分割協議書の作成例、家庭裁判所での主張立証、信託契約書の条項設計、成年後見申立ての具体的書式までは扱いません。

また、M&Aの相手探し、企業価値評価、デューデリジェンス、株式譲渡契約、PMIなどは、別テーマ・別シリーズで扱う領域です。

第8テーマは、あくまで自社株・事業用資産の承継を、相続法務・親族間合意・事業承継税制の接点から整理するためのテーマです。実際の文書作成、申立て、税務申告、会社法手続については、個別の事情に応じた専門家の確認が欠かせません。

相談前に整理しておきたいこと

第8テーマの各詳細コラムを読み進める前、あるいは専門家に相談される前に、次の事項を整理しておかれると、検討の精度が高まります。

まず、誰を後継者にするのかを確認します。 後継者が決まらない段階では、遺言、贈与、民法特例、家族信託、事業承継税制の検討は、どうしても抽象的になりがちです。

次に、現在の株主構成を確認します。 先代がどれだけ株式を持っているのか、後継者や他の親族、少数株主、従業員持株会、自己株式がどの程度あるのかを整理します。

さらに、相続人関係と財産全体を確認します。 自社株以外に、現預金、不動産、生命保険、退職金、会社貸付金、借入保証、事業用資産がどの程度あるかを把握しなければ、後継者以外の相続人への配慮を設計できません。

最後に、先代の意思能力と健康状態を確認します。 贈与、遺言、信託、任意後見のなかには、判断能力が十分なうちに検討しておかなければならないものがあります。相続税対策としては間に合っても、法務上の意思能力リスクによって実行できない、という事態が起こり得るためです。

重要事項の振り返り

振り返り項目第8テーマでの位置づけ
自社株承継と遺留分後継者への株式集中と他の相続人の権利を調整する入口
経営承継円滑化法の民法特例除外合意・固定合意により、遺留分リスクを事前に整理する制度
遺言相続発生後に後継者へ自社株・事業用資産を承継させる基本手段
遺産分割・代償分割相続発生後に株式取得と他の相続人への配慮を調整する方法
特別受益・寄与分過去の贈与や事業貢献を相続分調整に反映する論点
後継者以外の相続人への配慮代償財産、生命保険、退職金、説明資料により納得形成を図る論点
認知症・家族信託・成年後見先代の意思能力低下に備え、承継実行不能リスクを抑える論点
事業承継税制との関係税務上の納税猶予だけでなく、株式取得・親族合意・継続管理と接続して判断する
読む順番8-1 → 8-2 → 8-3 → 8-4 → 8-5 → 8-6 → 8-7
相談前の準備株主名簿、財産一覧、相続人関係、遺言の有無、後継者候補、先代の健康状態を整理する

相続法務を後回しにしないことが、事業承継税制を活かす前提になる

事業承継税制は、承継に伴う贈与税・相続税の資金負担を軽減し得る、重要な制度です。しかし、制度を適用できることと、承継後に会社が安定して経営できることは、決して同じではありません。

後継者に自社株を集中させるのであれば、その理由を数字と資料で説明できる状態にしておく必要があります。他の相続人に何をどのように配慮するのか。遺留分への対応をどうするのか。相続発生後に後継者が確実に株式を取得できるのか。先代の判断能力が低下する前に、何を済ませておくべきなのか。こうした点を整理しておくことが重要です。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、自社株評価、事業承継税制、特例承継計画、相続税試算、遺留分・遺言・遺産分割を踏まえた承継設計、後継者以外の相続人への説明資料の整理まで、税務・財務・相続法務を横断して検討しています。

後継者に株式を集中させたいものの、他の相続人との関係、遺留分、代償金、生命保険、退職金、認知症対策までを含めて整理できていない。そうお感じであれば、現在の株主構成と財産状況を確認したうえで、お問い合わせページよりご相談ください。