普通株式だけを発行している成熟企業であれば、会社全体の株主価値を算定し、それを発行済株式数で割ることで、1株当たり価値を考えられる場面もあります。
しかし、種類株式や優先株式、新株予約権、ストックオプション、転換証券が存在する会社では、その計算だけでは足りません。
会社全体の株主価値が同じであっても、誰が、どの証券を、どの条件で保有しているかによって、各当事者が受け取る経済価値は変わってきます。資金調達を行えば会社の現預金は増えますが、その一方で創業者や既存株主の持分は希薄化します。M&Aによる売却価格が決まったとしても、優先権や転換条件、新株予約権の取扱いによって、実際の分配額は一様にはなりません。
第12テーマでは、こうした普通株式だけでは説明できない価値配分の問題を整理していきます。
ここでの目的は、特殊な評価モデルを網羅することではありません。まず、会社全体の価値、証券ごとの権利、潜在株式、資金調達条件、出口時の分配、投資家のリターン目線を切り分けたうえで、どの詳細コラムを確認すべきかをご自身で判断できる状態をつくることにあります。
このテーマで考えるのは「会社はいくらか」だけではない
特殊資本を含む評価では、少なくとも四つの階層を分けて考えます。
一つ目は、事業計画や将来キャッシュ・フローに基づく会社全体の価値です。
二つ目は、その価値を普通株式、優先株式、新株予約権、転換証券などへどのように配分するかという証券ごとの価値です。
三つ目は、現在の発行済株式にとどまらず、将来行使・転換され得る潜在株式まで含めた完全希薄化後の資本構成です。
四つ目は、IPO、M&A、清算といった出口シナリオごとに、投資家・創業者・役職員へ価値がどのように帰属するかという出口時の経済価値です。
この四つを混同したままにすると、認識の食い違いが生まれます。「会社の評価額は高いのに創業者の手取額が少ない」「前回ラウンドと同じ株価で普通株式を評価してよいと思っていた」「ポストマネー評価額は上がったが、既存株主の経済価値は想定ほど増えていない」といった声は、その典型です。
会社法上、株式会社は、剰余金の配当、残余財産の分配、議決権などについて内容の異なる種類株式を設計できます。新株予約権についても、目的となる株式数、行使価額、行使期間などの条件を定めることになります。だからこそ、名称だけを見て判断するわけにはいきません。定款、発行要項、投資契約、株主間契約の内容まで確認して初めて、経済価値を判断できます。
出典:e-Gov法令検索|会社法
日本公認会計士協会も、2023年に公表した研究報告において、スタートアップ企業の普通株式と種類株式の価値評価を対象に、既存の評価ガイドラインと実務上の考え方を整理しています。会社全体の価値を算定することと、異なる権利を持つ株式へその価値を配分することは、別の検討段階である。この整理は、その点をあらためて示すものといえます。
出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第70号「スタートアップ企業の価値評価実務」の公表について
第12テーマの5つの詳細コラムはどうつながるか
このテーマは、次の順番で読み進めていただくと、論点を無理なく積み上げられます。
最初に、種類株式・優先株式について、普通株式と異なる権利が価値へどう影響するのかを確認します。
次に、新株予約権・ストックオプションを取り上げ、潜在株式と希薄化、そしてオプションとしての価値を整理します。
そのうえで、利益や純資産が小さいスタートアップ・高成長企業について、会社全体の価値をどのような前提から考えるのかを確認します。
続いて、VC投資におけるプレマネー、ポストマネー、完全希薄化後株式数、資金調達後の持分割合を整理します。
最後に、PE・LBOにおける投資期間、レバレッジ、出口価値、IRRから、買収可能価格がどのように形成されるのかを確認します。
実務では、プレマネーとポストマネーだけを見ていても十分ではありません。オプションプールを誰の希薄化負担とするのか、完全希薄化後株式数をどう定義するのか。ここが異なれば、同じ評価額から異なる経済条件が導かれます。最終的には、キャップテーブルと具体的な発行株式数まで落とし込んで確認する必要があります。
また、スタートアップの場合、現在の純資産や利益だけでは将来の成長可能性を十分に捉えきれません。とはいえ、事業計画の不確実性も大きいため、成長前提と失敗シナリオの双方を可視化しておくことが求められます。
12-1. 種類株式・優先株式の評価|普通株式と同じ価格で考えてよいか
種類株式や優先株式が発行されている会社では、「1株はいくらか」という問いに答える前に、確認すべきことがあります。各株式にどのような権利が付いているのか、という点です。
配当の優先、残余財産分配の優先、議決権の有無、取得条項、転換条件。これらが異なれば、同じ会社の株式であっても、経済価値が同じとは限りません。特に、直近の資金調達で優先株式に付された発行価額を、そのまま普通株式の価値へ当てはめることには慎重であるべきです。
このコラムでは、会社全体の株主価値と、権利内容の異なる株式へ配分される価値とを切り分けて考えていきます。
このコラムが向いている方
優先株式の発行を検討している方、普通株式と種類株式の価格差を説明したい方、資金調達やM&Aに先立って株式ごとの権利を整理したい方に適しています。
読むことで整理できること
種類株式の価値が権利内容によって変わる理由、普通株式と同じ価格で扱いにくい場面、そして評価前に確認すべき定款・発行条件の範囲を把握できます。
12-2. 新株予約権・ストックオプションの評価|株式価値に潜在株式をどう反映するか
新株予約権やストックオプションは、現在の株主ではない方が、将来、一定の条件で株式を取得できる権利です。
行使されれば発行済株式数が増え、既存株主の持分割合は低下します。もっとも、「株式数が増えるから価値を割り引く」と考えるだけでは不十分です。行使価格、行使期間、権利確定条件、失効可能性、M&A時の取扱いまで確認する必要があります。
また、取引条件を決めるための評価、会計処理のための評価、税務上の評価、M&Aにおける希薄化分析は、それぞれ目的が異なります。同じ新株予約権を対象としていても、評価の目的と前提を混同してはいけません。
企業会計基準委員会の企業会計基準第8号は、主としてストックオプション取引の会計処理と開示を定めたものです。したがって、会計上の測定額が、そのまま資金調達価格やM&A時の経済価値になるわけではありません。
出典:企業会計基準委員会|企業会計基準第8号 ストック・オプション等に関する会計基準
このコラムが向いている方
ストックオプションの発行を検討している方、完全希薄化後株式数を整理したい方、M&Aや資金調達時に潜在株式をどう扱うか迷っている方に適しています。
読むことで整理できること
潜在株式と希薄化の基本、新株予約権の価値を左右する条件、そして会社全体の株主価値から各株主・権利者への価値配分を考える入口を把握できます。
12-3. スタートアップ・高成長企業の評価|利益が少ない会社をどう評価するか
スタートアップでは、研究開発、人材採用、顧客獲得などに先行投資しているため、売上が小さい、営業赤字である、純資産が厚くないといった状況が生じます。
このような会社を、直近期の利益倍率や帳簿純資産だけで評価すると、将来の成長可能性を捉えきれないことがあります。かといって、将来市場の大きさや成長率を楽観的に置けば、評価額はいくらでも大きく見せられてしまいます。
必要なのは、成長市場という言葉だけで評価することではありません。顧客獲得、単価、継続率、粗利率、採用、研究開発、追加資金調達、黒字化時期、出口価値まで、一つの事業計画としてつなげて考えることです。
このコラムが向いている方
赤字・先行投資段階の会社を評価したい方、利益が少ない会社の提示評価額を検証したい方、DCFや類似会社比較を使う前提を整理したい方に適しています。
読むことで整理できること
高成長企業で利益や純資産だけを見るべきでない理由、将来価値を支える事業前提、不確実性を評価レンジへ反映する考え方を把握できます。
12-4. VC投資における評価|プレマネー・ポストマネー・希薄化をどう考えるか
VC投資では、会社全体の価値だけを見るわけにはいきません。今回の投資額、発行価額、発行株式数、オプションプール、既存株主の持分、投資後の資本構成を、一体のものとして確認していきます。
プレマネー評価額とポストマネー評価額の関係は、一見すると単純です。しかし、どの株式数を分母にするのか、オプションプールを投資前・投資後のどちらに含めるのか。ここが変われば、創業者・既存株主・新規投資家の持分割合も変わってきます。
さらに、優先株式の権利や投資契約上の条件があれば、表面的な持株比率だけで出口時の経済価値を説明することはできません。
経済産業省は、2025年にスタートアップ投資契約ガイドラインの増補版を策定しました。投資環境、ガバナンス、契約実務は継続的に更新されるものであるとして、個社の事情を踏まえた契約設計を求めています。
出典:経済産業省|スタートアップ投資契約ガイドライン
このコラムが向いている方
VCからの資金調達を検討している方、プレマネー・ポストマネーの意味を整理したい方、創業者持分や従業員向けオプションの希薄化を確認したい方に適しています。
読むことで整理できること
投資前後の株主価値、1株当たり発行価額、完全希薄化後の持分、そして優先株式・投資契約・出口価値を一体で見る必要性を把握できます。
12-5. PE・LBOにおける評価|投資リターンから買収可能価格を逆算する考え方
PEファンドの買収価格は、事業会社の買収価格と同じ考え方で決まるとは限りません。
事業会社であれば、自社との売上シナジー、コスト削減、技術・人材の獲得などを価格へ反映できる場合があります。これに対してPEファンドは、投資期間中のFCF、借入返済、レバレッジ、出口価値、IRRなどから、投資として受け入れられる買収可能価格を逆算していきます。
したがって、PEファンドの提示価格は、対象会社の唯一の客観価値ではありません。そのファンドの投資期間、資金調達条件、経営改善計画、出口シナリオを前提とした、買主側の許容価格です。
PEとVCは、ともにリスクマネーの供給者です。ただし、投資対象の成長段階、少数持分か支配持分か、価値向上の方法、投資期間、出口の設計は異なります。
このコラムが向いている方
PEファンドから買収提案を受けている方、事業会社とPEファンドの価格差を理解したい方、LBO分析による買収価格の意味を整理したい方に適しています。
読むことで整理できること
投資家リターンから買収価格を逆算する構造、レバレッジとFCFの関係、出口価値が価格上限へ与える影響、そして事業会社との価格目線の違いを把握できます。
目的別に、どのコラムから読むべきか
資金調達を予定していて、優先株式の条件がまだ固まっていない場合は、まず12-1を読み、次に12-4へ進むと理解しやすくなります。
ストックオプションをすでに付与している場合、あるいは今後オプションプールを拡大する予定がある場合は、12-2で潜在株式を整理したうえで、12-4で投資後の希薄化を確認してください。
赤字や先行投資を理由に、自社の評価方法が分からないという場合は、12-3から読むのが適切です。その後、実際の資金調達を検討するなら12-4へ、M&Aによる出口を検討するなら12-1、12-2、12-5へ進みます。
PEファンドから提示された価格が、事業会社の提示価格より低い、あるいは高い。その理由を検討したい場合は、12-5から読むことができます。ただし、対象会社に種類株式や新株予約権がある場合は、最終的な株主別手取額を判断するために、12-1、12-2もあわせて確認する必要があります。
このテーマで混同してはいけない五つの数字
プレマネー評価額と客観的な公正価値
プレマネー評価額は、投資ラウンドにおける交渉上の基準にすぎません。すべての目的に通用する唯一の企業価値ではないのです。
優先株式の発行価額と普通株式の価値
優先株式の発行価額には、残余財産分配優先権などの経済的権利が反映されている場合があります。権利内容を調整しないまま、普通株式へ転用することはできません。
持株比率の希薄化と経済価値の減少
持株比率が下がったとしても、調達資金によって会社価値が大きく増えれば、既存株主の経済価値はむしろ増えることがあります。反対に、評価額だけが高くても、将来の追加調達や優先権の設計によって、出口時の手取額が伸びないこともあります。
直近ラウンド価格とM&A価格
直近ラウンドの発行価額は、あくまで少数持分への投資価格です。M&Aでは、支配権、シナジー、全株主の権利処理、ネットデット、取引条件が加わります。そのため、そのまま買収価格になるわけではありません。
経済産業省が2026年5月に公表した「スタートアップM&Aガイダンス」も、M&Aを単なる投資回収ではなく、スタートアップの成長手段として位置づけています。そして、売り手・買い手の双方が早期から論点を整理する必要性を示しています。
出典:経済産業省|「スタートアップM&Aガイダンス」を公開しました
取引目的の評価と会計・税務上の評価
資金調達価格、ストックオプションの会計上の測定額、税務上の時価、M&Aにおける株式価値。これらはそれぞれ目的と前提が異なります。数字が近い場合であっても、同じ評価であるとは限りません。
相談前に整理しておきたい資料
特殊資本を含む評価では、決算書と事業計画だけで判断することはできません。
少なくとも、現在の株主名簿とキャップテーブル、定款、種類株式の発行要項、新株予約権原簿、ストックオプション契約、過去の投資契約・株主間契約、各資金調達ラウンドの発行条件、完全希薄化後株式数、今後の資金調達計画。ここまで整理しておきたいところです。
加えて、IPO、M&A、清算といった出口シナリオごとに、誰がどの権利を行使し、どの株式へ転換し、売却代金がどの順番で配分されるのかを確認します。
評価額を先に決め、その金額に合うように権利条件や事業計画を読み替える。この順序は避けるべきです。先に権利と資本構成を確定させ、その条件のもとで会社価値と証券価値を整理していく。それが、後から説明できる判断につながります。
なお、種類株式、新株予約権、ストックオプション、転換証券に関する会社法、会計、税務上の取扱いは、発行目的、契約条件、当事者、評価基準日によって異なります。実際に発行、付与、譲渡、M&A、組織再編を行う際は、適用時点の法令・会計基準・通達等を個別に確認する必要があります。
資本構成と投資条件を、評価に使える状態へ整えるために
種類株式や新株予約権が存在する案件では、会社全体の評価額だけを算定しても、実際の資金調達条件や株主別手取額を判断することはできません。
どの証券にどの権利があるのか。完全希薄化後の株式数はいくつになるのか。追加調達によって誰がどの程度希薄化するのか。出口時に価値はどう配分されるのか。さらに、その条件を会計・税務・会社法上どのように説明するのか。ここまで整理して、はじめて評価額を意思決定に使える状態になります。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、種類株式・新株予約権を含む資本構成の整理、スタートアップ・高成長企業の価値評価、VC投資における希薄化分析、PE・LBO案件の価格判断などについて、評価目的と取引条件を切り分けながら検討を支援しています。資金調達やM&Aの条件が固まる前に論点を整理しておきたいという場合は、お問い合わせページからご相談ください。
重要事項の振り返り
| 確認する論点 | 判断の入口 | 次に読む詳細コラム |
|---|---|---|
| 種類株式・優先株式 | 配当、残余財産分配、議決権、取得・転換条件を普通株式と分けて確認する | 12-1 |
| 新株予約権・ストックオプション | 行使価格、行使期間、権利確定、失効、完全希薄化後株式数を確認する | 12-2 |
| スタートアップ・高成長企業 | 現在利益だけでなく、成長前提、追加資金、黒字化、出口価値をシナリオで見る | 12-3 |
| VC投資 | プレマネー、ポストマネー、オプションプール、発行株式数、投資後持分を一体で見る | 12-4 |
| PE・LBO | 投資期間、FCF、レバレッジ、出口価値、IRRから買収可能価格を確認する | 12-5 |
| テーマ全体の共通原則 | 会社全体の価値と、証券・株主ごとに帰属する価値を混同しない | 12-1から順に確認 |