M&Aの検討を進めていると、対象会社から「当社は監査済みです」「監査法人の監査を受けています」と説明を受けることがあります。
監査済みの決算書があるという事実は、財務DDを進めるうえで確かに重要な情報です。監査を受けていない会社と比べれば、会計処理や決算手続、開示、内部管理体制について、一定の外部チェックが入っている可能性があるからです。
ただ、ここで一度立ち止まって考えていただきたい点があります。
監査済み決算書があることと、M&Aで買ってよい会社であることは、同じではありません。
財務諸表監査は、財務諸表が会計基準に準拠して適正に表示されているかについて、監査人が意見を表明する制度です。経営者が作成した財務諸表が、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠し、企業の財政状態、経営成績、キャッシュ・フローの状況をすべての重要な点において適正に表示しているか。これを監査証拠に基づいて判断し、その結果を意見として示すことが、監査の目的とされています。そして監査人の適正意見には、財務諸表全体として重要な虚偽表示がないことについて合理的な保証を得た、という判断が含まれています。
一方の財務DDは、対象会社を買収するかどうか、どの価格・条件で買収するか、どのリスクを契約やクロージング前対応で手当てするかを判断するための調査です。中小企業庁の整理においても、DDは財務・法務・ビジネス・税務などの実態を調べる工程であり、譲渡対価の精査や、判明した実態を踏まえた検討に用いるものと位置づけられています。
つまり監査と財務DDは、どちらも財務情報を見る手続でありながら、目的も、利用者も、判断軸も、成果物も異なるのです。
本記事では、財務諸表監査と財務DDの違いを整理したうえで、監査済み決算書がある場合でも、M&Aで何を追加で確認すべきかを解説します。
財務諸表監査は「財務諸表の適正表示」に対する意見表明である
財務諸表監査は、対象会社の財務諸表について、会計基準に照らして重要な虚偽表示がないかを検証し、監査報告書において監査意見を表明する手続です。
監査人の責任は、実施した監査に基づいて、財務諸表全体に不正または誤謬による重要な虚偽表示がないかどうかについて合理的な保証を得たうえで、独立の立場から意見を表明することにあります。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書700「財務諸表に対する意見の形成と監査報告」
ここで押さえておきたいのは、監査の目的が「買収判断」ではない、という点です。
監査は、財務諸表の利用者がその情報を利用するうえで、財務諸表が重要な点で適正に表示されているかについて信頼性を付与する制度です。そのため、会計基準への準拠性、重要な虚偽表示リスク、内部統制の理解、監査証拠の入手、監査上の重要性といった事柄が、自然と中心になります。
監査済みの財務諸表があるということは、少なくともその監査対象期間について、財務諸表全体として重要な虚偽表示がないとの監査人の判断が示されている、ということです。これは財務DDにとって、確かに大きな手掛かりになります。
ただし、それは次のことまで保証するものではありません。
- 対象会社の買収価格が妥当であること
- 対象会社の利益が買収後も再現すること
- 事業計画が達成できること
- 主要顧客が買収後も継続すること
- 運転資本やネットデットの調整額が妥当であること
- 簿外債務や偶発債務がM&A上問題にならないこと
- 買収後に必要な管理体制・人員・システムが整っていること
- 買主にとって、その会社を買うべきであること
監査は、M&Aの成否を判断するための手続ではありません。だからこそ、監査済み決算書は財務DDの代替にはならないのです。
財務DDは「M&Aの実行判断」に使うための調査である
財務DDは、対象会社の過去実績、現在の財政状態、資金繰り、正常収益力、実態純資産、運転資本、ネットデット、会計処理、内部管理体制、事業計画の前提などを確認し、M&Aの実行判断に使うための調査です。
本シリーズで扱う財務DDは、単なる会計チェックではありません。次のような問いに答えるための作業です。
- 対象会社を買うべきか
- 買うとして、価格を調整すべきか
- 契約でどのような表明保証・補償・前提条件を求めるべきか
- クロージング前に何を整理すべきか
- 買収後にどの管理課題を引き継ぐべきか
これらの判断に使える形で財務情報を整理すること。それが財務DDの役割です。
中小企業庁の整理でも、DDによって客観的な資料に基づく検討が可能になり、M&Aを実行すべきかどうかの判断、譲渡額・表明保証・補償などの契約条件の調整、成立後のトラブル防止、そしてPMIに資する情報の取得につながるとされています。
つまり財務DDでは、財務諸表が会計基準に照らして適正かどうかだけでなく、買主にとって、その数字が投資判断に使えるかを見るわけです。
監査と財務DDの違いを一言でいうと
財務諸表監査は、過去の財務諸表について、会計基準に照らした適正表示を確認し、監査意見を表明する手続です。
財務DDは、M&Aのために、対象会社の財務情報を買収判断用に読み替える手続です。
この違いを曖昧にしたままM&Aを進めると、危うさが残ります。
- 監査済みだから、利益はそのまま評価に使える
- 監査済みだから、簿外債務リスクはない
- 監査済みだから、内部管理体制に問題はない
- 監査済みだから、DDは簡略化してよい
こうした思い込みに陥ると、買収後になって「監査済み決算書には出ていたのに、M&Aの判断としては見落としていた」という問題が生じます。
監査と財務DDは、対立するものではありません。監査済みの財務諸表は、財務DDにおける重要な基礎資料です。ただし、それをM&A判断に使うためには、財務DDの視点で改めて整理し直す必要があるのです。
目的の違い
財務諸表監査の目的は、財務諸表の適正表示について意見を表明することにあります。監査人は、財務諸表が会計基準に準拠し、財政状態、経営成績、キャッシュ・フローの状況を重要な点において適正に表示しているかを判断します。
これに対して、財務DDの目的は、M&Aの意思決定に必要な情報を得ることにあります。具体的には、次のような点を確認していきます。
- 対象会社の過去の利益は、買収後も継続するのか
- 会計方針や一過性要因により、見かけ上の利益が過大または過小になっていないか
- 実態純資産は、帳簿上の純資産とどの程度異なるのか
- ネットデットやデットライクアイテムは、買収価格にどう反映すべきか
- 運転資本は、正常水準と比べて過大または過小ではないか
- 税務DD、法務DD、労務DD、IT DDへ接続すべき論点はないか
- DD結果を契約条件や買収後管理課題にどう反映すべきか
財務DDは、監査意見を出すための手続ではありません。あくまで、買収判断を支えるための調査です。
利用者の違い
財務諸表監査の主な利用者は、財務諸表の利用者です。上場会社であれば、投資家、債権者、市場関係者など、幅広い利害関係者が財務諸表を利用します。
一方、財務DDの主な利用者は、M&Aの意思決定者です。買主の経営者、投資委員会、取締役会、財務部門、経営企画部門、外部アドバイザーなどが、DDの結果をもとに意思決定を行います。
そのため財務DDでは、一般的な財務諸表利用者にとって重要かどうかではなく、その買主にとって重要かどうかが問われます。
たとえば、監査上の重要性から見れば小さな金額であっても、M&Aでは重要になることがあります。
- 買収価格の調整項目に該当する
- 特定顧客への依存を示している
- 関連当事者取引として、買収後に解消が必要である
- オーナー依存の強さを示している
- 買収後に追加人員やシステム投資が必要になる
- 契約上の表明保証・補償で手当てすべきである
監査上の重要性と、M&A上の重要性は一致しません。この違いを理解しておくことが、財務DDでは非常に重要になります。
重要性の違い
監査では、財務諸表全体として重要な虚偽表示がないかを判断します。監査人は監査上の重要性を設定し、財務諸表利用者の意思決定に影響を与える可能性を踏まえて、監査手続を設計します。
一方、財務DDでは、重要性の判断がより取引目的に近づきます。金額の大小だけでなく、次のような観点が問われます。
- 買収価格に影響するか
- 契約条件に反映すべきか
- クロージング前に解消すべきか
- 買収後に管理できるか
- 対象会社の収益力の再現性に影響するか
- 税務・法務・労務・ITなど、他のDDに波及するか
- 投資判断を変える可能性があるか
たとえば、少額の役員貸付金であっても、オーナーと会社の資金区分が曖昧であることを示している場合があります。わずかな売上の前倒しが、売上計上基準や営業管理の弱さを物語っていることもあります。金額としては小さな在庫評価差額であっても、その背後に滞留在庫や採算管理の不備が隠れていることがあります。
財務DDでは、金額の大きさだけでなく、その論点が示す構造的な意味まで読み取っていきます。
対象期間の違い
監査は通常、特定の会計期間に係る財務諸表を対象とします。過年度の財務諸表が監査対象であれば、その期間について監査意見が表明されます。
一方、財務DDでは、過去実績だけでなく、直近期、進行期、将来計画までを視野に入れます。
- 過去の業績推移
- 直近月次の変化
- 進行期の予算実績差異
- 受注・解約・回収状況
- 買収後に発生する追加費用
- 事業計画の前提
- 運転資本の正常水準
- 設備投資や資金需要
- クロージング時点のネットデット
M&Aでは、過去の決算書が適正であるだけでは足りません。買収時点で対象会社の状況がどう変わっているか、買収後にどのような収益・資金負担が見込まれるかが重要になります。
監査済み決算書が直近決算まで存在していても、M&Aの実行時点までに状況が変わっていることは珍しくありません。そのため財務DDでは、監査済み期間と未監査期間を切り分けたうえで、進行期の月次情報や直近のトレンドを確認していきます。
手続の違い
監査は、監査基準に従って実施されます。監査人は監査リスクを合理的に低い水準に抑えるため、重要な虚偽表示リスクを評価し、監査計画を策定し、内部統制を含む企業および企業環境を理解したうえで、十分かつ適切な監査証拠を入手します。
財務DDでも、資料の確認、インタビュー、分析的手続、証憑確認などを行います。しかし、財務DDは監査ではありません。
財務DDでは、案件の目的、対象会社の特性、スケジュール、情報開示の範囲、買主のリスク許容度、検討中のスキームに応じて、調査の範囲や深度を設計します。監査のように、財務諸表全体に対して監査意見を出すための手続ではないのです。
そのため財務DDでは、次のような調査設計が行われます。
- 正常収益力を重視する
- 運転資本とネットデットを重点的に見る
- 関連当事者取引を深掘りする
- 直近業績の悪化要因を確認する
- 税務DDと連携して過年度処理を確認する
- 法務DDと連携して簿外債務・偶発債務を確認する
- 会計資料の信頼性が低い場合に、追加資料やヒアリングで補う
- 不正・粉飾リスクが疑われる場合に、追加調査や専門家の拡張を検討する
念のため申し添えると、財務DDは監査より簡単だという意味ではありません。目的が違うために、見るべき方向が違う、ということです。
成果物の違い
財務諸表監査の成果物は、主に監査報告書です。監査報告書では、財務諸表に対する監査人の意見が示されます。
一方、財務DDの成果物は、通常、DD報告書や発見事項一覧です。そこでは、次のような内容が整理されます。
- 対象会社の概要
- 過去業績の分析
- 正常収益力の分析
- EBITDA調整項目
- 一過性損益
- 会計方針差異
- 実態純資産の調整
- ネットデット
- 運転資本
- キャッシュフロー
- 資金繰り
- 税務DDへの接続論点
- 契約条件への反映が必要な事項
- 未解決事項
- 買収後管理課題
- Go/No-Go判断に影響する論点
財務DD報告書は、監査意見を表明するための文書ではありません。買主が意思決定を行うための文書です。
ですから財務DDでは、単に「問題がある」「問題がない」と書くだけでは不十分です。その論点が価格に影響するのか、契約で手当てすべきなのか、買収後に対応すれば足りるのか、あるいは追加調査が必要なのか。そこまで整理しておく必要があります。
監査済み決算書があっても財務DDが必要な理由
監査済み決算書がある場合でも、財務DDが必要となる理由は、大きく分けて5つあります。
1. 監査は「買収後の再現可能利益」を保証しない
監査済みの利益は、会計基準に基づいて表示された過去の利益です。しかしM&Aで買主が本当に知りたいのは、その利益が買収後も再現可能かどうかです。
- 過去の利益に、オーナーの低額報酬が影響していないか
- 関連当事者との有利な取引条件が含まれていないか
- 一過性の収益や費用が含まれていないか
- 買収後に追加で必要となる人件費、管理費、システム費用がないか
- 特定顧客やキーマンに依存していないか
これらは、財務諸表監査の意見表明の対象とは異なります。財務DDでは、監査済み利益を出発点としつつ、買収判断に使える正常収益力へと読み替えていきます。
2. 監査は「買収価格の調整額」を決めるものではない
M&Aでは、ネットデット、運転資本、デットライクアイテム、余剰資産、事業外資産などを買収価格に反映することがあります。監査済みの貸借対照表があっても、それだけで価格調整額が決まるわけではありません。
- 現預金のうち、事業運営に必要な最低現預金はいくらか
- 有利子負債以外に債務性項目はないか
- 役員借入金や未払費用をどう扱うか
- 正常運転資本の水準はいくらか
- クロージング時点までに資金状態が変動する可能性はないか
- 事業に不要な資産や、買主が引き継がない資産はないか
これらは監査意見の領域ではなく、取引条件の設計論点です。
3. 監査は「M&A契約上のリスク配分」を決めるものではない
監査済みの財務諸表があっても、契約上どのような表明保証、補償、前提条件を置くべきかは、別の問題です。たとえば次のような論点は、監査済みかどうかとは別に、財務DDで検討する必要があります。
- 税務調査リスク
- 関連当事者取引の解消
- 役員貸付金・役員借入金の整理
- 未払費用・引当金の不足
- 偶発債務
- 簿外債務
- 決算後に発生した重要な変化
- 資料開示の不足
- 会計方針の変更
- 月次決算の信頼性
財務DDは、発見した事項を契約条件へとつなげていくプロセスでもあります。
4. 監査は「買収後管理体制の十分性」を保証しない
監査を受けている会社であっても、買主が求める管理水準と対象会社の管理体制が一致するとは限りません。
- 月次決算はいつ締まるのか
- 部門別損益は作成されているのか
- 顧客別・製品別・案件別の採算管理は可能か
- 販売管理、在庫管理、会計システムは連携しているか
- 経理担当者が属人的に処理していないか
- 買収後に親会社報告へ対応できるか
これらは、財務DDで確認しておくべき買収後の管理課題です。PMIの詳細設計は別ジャンルで扱うとしても、DDの段階で管理上の課題を把握しておかなければ、買収後に想定外の負担が生じかねません。
5. 監査は「買主固有の投資目的」に対する答えを出さない
買主が何を目的にM&Aを行うかによって、重要な論点は変わってきます。
- 顧客基盤の取得が目的なのか
- 技術・人材の取得が目的なのか
- 製造能力の確保が目的なのか
- 地域展開が目的なのか
- 事業承継先としての引受けなのか
- グループ再編の一環なのか
財務諸表監査は、買主固有の投資目的に照らして「そのM&Aが合理的か」を判断する手続ではありません。財務DDでは、買主の目的に立ち返り、財務数値がその投資仮説を支えているかどうかを確認していきます。
監査済み決算書を財務DDでどう使うべきか
監査済み決算書は、財務DDにおいて有用です。ただし、その使い方を誤ってはいけません。
監査意見の内容を確認する
まず、監査報告書の意見区分を確認します。
- 無限定適正意見なのか
- 除外事項付意見なのか
- 不適正意見や意見不表明ではないか
- 強調事項やその他の記載事項に、重要な記載はないか
- 継続企業の前提に関する注記はないか
- 監査上の主要な検討事項が記載されている場合、その内容は何か
監査意見の内容は、財務DDの入口となる情報です。ただし、無限定適正意見であっても、それで財務DDが不要になるわけではありません。
監査対象範囲を確認する
監査済みといっても、何が監査の対象なのかを確認する必要があります。
- 連結財務諸表なのか、個別財務諸表なのか
- 対象会社単体が監査対象なのか、親会社連結の一部として監査されているだけなのか
- 買収対象事業だけを切り出した財務情報は、監査対象なのか
- 直近月次や進行期は、未監査ではないか
- 海外子会社や関係会社は、どの範囲まで監査対象か
M&Aでは、買収対象と監査対象が一致しないことがあります。とくにカーブアウト、一部事業譲渡、子会社売却、関係会社取引が多い案件では、注意が必要です。
監査上の重要性とM&A上の重要性を分ける
監査では、財務諸表全体に対する重要性が設定されます。一方、M&Aでは、取引条件や買収後管理に影響するかどうかが重要になります。
したがって、監査では修正不要と判断された事項であっても、M&Aでは重要になることがあります。
- 未修正の監査差異
- 決算整理仕訳
- 引当金の見積り
- 固定資産の減損検討
- 棚卸資産の評価
- 関連当事者取引
- 偶発債務
- 後発事象
これらは、財務DDで個別に確認すべき事項です。
監査済み決算書と管理資料をつなげる
監査済み決算書は、年次の財務諸表です。しかしM&Aでは、月次業績、部門別損益、顧客別売上、KPI、予算実績差異といった管理資料も重要になります。
財務DDでは、監査済み決算書と管理資料が整合しているかを確認します。
- 年次決算と月次累計は一致するか
- 部門別損益の合計は、全社損益と一致するか
- KPIと売上・粗利の関係は説明できるか
- 販売管理システムと会計帳簿はつながっているか
- 決算時に、月次数字が大きく修正されていないか
監査済み決算書があっても、管理資料の信頼性が低ければ、買収後の業績管理や事業計画の検証に支障が出る可能性があります。
監査を受けていない会社ではどう考えるべきか
中小M&Aでは、対象会社が監査を受けていないことも珍しくありません。監査を受けていないからといって、直ちに買収できないわけではありません。ただし、財務DDで確認すべき範囲と深度は変わってきます。
- 税務申告書と決算書の整合性
- 月次試算表の作成状況
- 会計方針の一貫性
- 売上・原価・在庫・未払費用の計上基準
- 預金、借入、債権、在庫、固定資産の残高確認
- 役員・株主・関係会社との取引
- 資金繰り表と銀行残高の整合性
- 過年度の税務調査履歴
- 会計処理の属人化
- 経理体制や外部税理士の関与状況
監査済みでない場合、財務DDでは、提出された資料の信頼性そのものを、より慎重に確認する必要があります。
とはいえ、非監査会社だからといって、すべての資料が信用できないわけではありません。大切なのは、どの資料は信頼でき、どの資料は追加確認が必要で、どの論点を価格・契約・買収後管理に反映すべきかを、丁寧に整理していくことです。
監査と財務DDの違いを踏まえた確認ポイント
監査済み決算書がある場合、買主は次のような問いを持って財務DDを進めていくとよいでしょう。
- 監査対象期間とM&A基準日は、どの程度離れているか
- 監査対象範囲と買収対象範囲は、一致しているか
- 監査意見に、除外事項、強調事項、継続企業の前提に関する記載はないか
- 監査済み利益は、買収後も再現可能な利益か
- 会計方針や決算整理に、正常収益力へ影響する項目はないか
- 未修正の監査差異や、重要な見積り項目はないか
- 監査済み貸借対照表から、ネットデットや運転資本をどう切り出すか
- 監査後からクロージングまでに、重要な変化はないか
- 監査済み決算書と月次管理資料は、整合しているか
- 監査では問題にならなかったが、M&A上は重要となる論点はないか
- 監査済み情報を、価格・契約・買収後管理にどう反映するか
このように、監査済み決算書は「安心材料」ではありますが、「判断の完了」を意味するものではありません。財務DDでは、監査済み情報をM&A判断用に再構成していく必要があります。
財務DDが監査と混同されると何が起きるか
監査と財務DDを混同すると、M&Aの実務では次のような問題が起こります。
正常収益力の確認が甘くなる
監査済み利益をそのまま評価に使ってしまうと、非経常損益、オーナー関連費用、関係会社取引、過少計上費用、買収後に必要となる費用を見落とす可能性があります。
監査上は財務諸表として適正であっても、買収後に再現しない利益を前提に価格を決めてしまえば、投資判断を誤ることになります。
実態純資産の調整を見落とす
監査済みの貸借対照表があっても、M&A上は、事業外資産、デットライクアイテム、未払費用、偶発債務、保証債務、関連当事者の債権債務を、別途検討する必要があります。
帳簿上の純資産と、買収価格や契約条件に使う実態純資産は、同じとは限らないからです。
契約条件への反映が遅れる
DDで発見された事項は、最終契約に反映する必要があります。監査済みだから大きな問題はないと考えていると、表明保証、補償、前提条件、クロージング前対応の検討が、不十分になりかねません。
M&Aでは、発見したリスクをどのように配分するかが重要です。監査済みかどうかだけでは、リスク配分は決まりません。
買収後管理課題を見落とす
監査済みの会社であっても、買主のグループ管理水準に合うとは限りません。月次決算の早期化、部門別管理、資金繰り、税務申告体制、内部統制、ITシステム、親会社レポーティングなどは、いずれも買収後の重要課題になります。
財務DDでは、PMIの詳細設計にまで踏み込みすぎないとしても、買収後に管理すべき論点は把握しておく必要があります。
財務DDは監査よりも「低いレベルの作業」なのか
財務DDは監査ではありません。その意味で、監査意見を表明するものではありません。しかし、だからといって財務DDが監査よりも単純な作業だ、ということにはなりません。
監査は、会計基準に照らして財務諸表の適正表示を確認する、高度な専門業務です。財務DDは、M&Aの意思決定に必要な論点を、会計・税務・財務・契約・買収後管理に接続していく、これもまた高度な専門業務です。
両者は、優劣ではなく、目的が違うのです。
- 監査では、財務諸表全体の重要な虚偽表示リスクを扱う。財務DDでは、買収判断上のリスクと価値への影響を扱う。
- 監査では、監査意見を形成するための監査証拠を集める。財務DDでは、買うか、やめるか、条件を変えるかを判断するための材料を整理する。
- 監査では、財務諸表利用者に対する信頼性を高める。財務DDでは、買主が後から説明できる意思決定を行えるようにする。
他のDDとの接続
財務諸表監査と財務DDの違いを理解すると、他のDDとのつながりも見えやすくなります。
監査済み決算書に問題がなくても、法務DDで重要契約の解除リスクが見つかれば、売上の継続可能性に影響します。労務DDで未払残業代や退職給付の問題が見つかれば、負債・費用・買収後管理に影響します。税務DDで過年度処理の否認リスクが見つかれば、補償や価格調整の論点になります。IT DDで会計システムや販売管理システムの弱さが分かれば、管理資料の信頼性や買収後モニタリングに影響します。ビジネスDDで主要顧客の離脱可能性が高いと分かれば、監査済み過去利益の再現性に疑問が生じます。
財務DDは、監査済み決算書を読むだけでは終わりません。他のDDで見つかった論点を財務数値へ引き戻し、財務DDで見つかった論点を他のDDへ接続していく。その往復が欠かせないのです。
まとめ|監査済み決算書は出発点であって、M&A判断の結論ではない
財務諸表監査と財務DDは、どちらも財務情報を扱います。しかし、その目的は大きく異なります。
財務諸表監査は、財務諸表が会計基準に準拠して適正に表示されているかについて、監査人が合理的な保証を得たうえで意見を表明する手続です。財務DDは、対象会社を買うべきか、どの価格・条件で買うべきか、どのリスクを契約や買収後管理に反映すべきかを判断するための手続です。
監査済み決算書があることは、財務DDにとって重要なプラス材料です。しかし、それだけでは次の問いには答えられません。
- この利益は、買収後も続くのか
- この純資産は、実態を表しているのか
- この運転資本は、正常水準なのか
- このネットデットは、価格にどう反映すべきか
- この会計処理は、税務・契約・買収後管理に影響しないのか
- この会社を、この条件で買うべきなのか
M&Aで必要なのは、監査済み決算書を尊重しつつ、それを買収判断用に読み替える視点です。財務DDは、監査の代替でも、監査の簡略版でもありません。M&Aの意思決定に向けて、数字を判断材料へと変換していく、専門的なプロセスなのです。
監査済み決算書がある対象会社の買収を検討している場合
監査済み決算書がある会社であっても、M&Aでは、正常収益力、実態純資産、運転資本、ネットデット、税務リスク、契約条件、買収後管理課題を、別途確認する必要があります。
とくに、次のような状況では、早い段階で財務DDの視点から整理しておくことが有効です。
- 監査済み決算書はあるが、買収価格の前提としてその利益を使ってよいか迷っている
- 監査対象範囲と買収対象範囲が一致しているか、不安がある
- 直近期・進行期の業績が、監査済み決算書から変化している
- 月次管理資料や部門別資料の信頼性を確認したい
- DDで見つかった論点を、価格・契約・クロージング条件にどう反映すべきか整理したい
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A検討段階における財務・税務DD、監査済み決算書の買収判断上の読み替え、正常収益力・実態純資産・運転資本・ネットデットなどの論点整理について、ご相談をお受けしています。
監査済みの財務諸表をそのまま受け入れるのではなく、後から説明できる買収判断の材料として整理したいとお考えの場合は、お問い合わせページよりお気軽にご相談ください。
参考情報・出典
- 出典:金融庁|監査基準
- 出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書200「財務諸表監査における総括的な目的」
- 出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書700「財務諸表に対する意見の形成と監査報告」
- 出典:日本公認会計士協会|監査実務指針等
- 出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)―第三者への円滑な事業引継ぎに向けて―
- 出典:金融庁|EDINETについて
本記事の振り返り
| 重要論点 | 財務諸表監査 | 財務DD |
|---|---|---|
| 目的 | 財務諸表の適正表示について監査意見を表明する | M&Aの実行可否・価格・契約条件・買収後課題を判断する |
| 主な利用者 | 投資家、債権者、財務諸表利用者 | 買主、経営者、取締役会、投資判断者、M&Aチーム |
| 判断軸 | 会計基準への準拠、重要な虚偽表示の有無 | 買収判断への影響、価格・契約・買収後管理への反映 |
| 重要性 | 財務諸表全体に対する重要性 | 取引目的、価格、契約、リスク配分に対する重要性 |
| 対象期間 | 主に監査対象年度の財務諸表 | 過去実績、直近期、進行期、将来計画、クロージング時点 |
| 成果物 | 監査報告書、監査意見 | DD報告書、発見事項、調整項目、意思決定論点 |
| 監査済み決算書の意味 | 財務諸表の信頼性に関する重要な情報 | 財務DDの出発点。ただし、そのまま買収判断には使えない |
| 追加確認すべき事項 | 監査意見、注記、未修正差異、監査対象範囲 | 正常収益力、実態純資産、運転資本、ネットデット、簿外債務、買収後管理 |
| 実行判断への接続 | 直接的にはM&A判断を目的としない | 買う・やめる・条件を変える判断に直接接続する |