海外子会社との取引がある会社にとって、移転価格税制は「大企業だけの特殊な国際税務」ではありません。
日本の親会社が海外子会社へ製品を販売する。逆に海外子会社から仕入れる。経営支援料を請求する。ロイヤリティを受け取る。資金を貸し付ける。現地銀行からの借入に保証を付ける。こうした取引は、いずれも通常の事業運営の一部です。
ところが、取引価格の設定が税務上問題視されると、話は単純に済みません。日本側で所得を増額されるだけでなく、相手国側では既に課税された所得がそのまま残り、同じ利益に二重で課税されてしまう可能性があるのです。
移転価格調査で問われるのは、単に「価格が高いか低いか」ではありません。会社がどの機能を担い、どのリスクを負い、どの無形資産が利益を生んでいるのか。価格をどのような考え方で設定したのか。そして、その判断を契約書や社内資料、会計データ、ローカルファイルで説明できるのか。問われるのは、こうした一連の実態です。
本稿では、移転価格調査、APA、相互協議を、制度の名前としてではなく、会社が実際に直面する判断のプロセスとして整理していきます。
まず押さえておきたい結論
移転価格リスクへの対応は、大きく三つの段階に分けて考えると整理しやすくなります。
一つ目は、平時の文書化です。調査が始まってから慌てて資料を集めるのではなく、取引開始時、価格改定時、そして決算時に、価格設定の根拠と取引の実態を残しておくこと。これが出発点になります。
二つ目は、税務調査への対応です。移転価格調査では、通常の請求書や契約書だけでなく、機能・リスク分析、比較対象、利益水準、価格交渉の過程、事業方針、さらには国外関連者側の資料まで確認されます。資料の提出が不十分であれば、推定課税や、同業者に対する質問検査規定の問題が生じかねません。
三つ目は、二重課税への対応です。課税後に二重課税が生じた場合には相互協議を検討し、継続的で重要な国外関連取引について将来の課税リスクを抑えたい場合にはAPAを検討する、という流れになります。
移転価格対応は、税務調査時の防御にとどまるものではありません。グループ内の利益配分、海外子会社の資金繰り、日本親会社の利益計画、金融機関への説明、そしてM&A時の税務デューデリジェンスにまで影響する、経営管理上の論点でもあります。
移転価格調査は、通常の税務調査と何が違うのか
通常の法人税調査では、売上の計上漏れ、架空経費、役員給与、交際費、貸倒損失、固定資産の処理といった、個別の会計処理や証憑の確認が中心になることが多いといえます。
これに対して移転価格調査では、取引価格そのものが独立企業間価格といえるかどうかを検証します。つまり、請求書があるか、契約書があるか、会計処理がなされているか——それだけでは足りないということです。
国税庁の移転価格事務運営要領では、国外関連取引の内容等を的確に把握し、形式的な検討に陥ることなく、個々の取引実態に即して検討することが求められています。加えて、利益率が比較対象や国外関連者側の利益水準と比べて過少になっていないかを、法人と国外関連者が果たす機能や負担するリスクを踏まえて検討することとされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第3章 調査
実務上のポイントは、調査官が「価格表だけ」を見ているわけではない、という点にあります。
たとえば、日本親会社が研究開発、品質管理、販売戦略、在庫リスク、為替リスク、保証責任を負っているにもかかわらず、日本側の利益率が低く、海外子会社に利益が偏っている。こうした場合には、その利益配分が取引の実態と整合しているかが問われます。
反対に、海外子会社が現地市場の開拓、販売先の管理、広告宣伝、在庫の保有、与信管理を実質的に担っているのであれば、今度は日本親会社が過大なロイヤリティや販売利益を取っていないかが、相手国側で問題になる可能性もあります。
移転価格調査は、「日本で否認されるか」だけでなく、「相手国で同じ利益がどう扱われるか」まで見据えて臨む必要があるのです。
移転価格調査で最初に見られる資料
移転価格調査では、国外関連取引の全体像をつかむために、幅広い資料が確認されます。
国税庁の移転価格事務運営要領では、調査における確認対象として、法人および国外関連者ごとの資本関係、事業内容、関連会社間の資本・取引関係、沿革、主要株主、計算書類、取扱品目、取引金額、販売市場、事業別業績、経理処理基準、外国税務当局による国外関連者への移転価格調査の内容、さらには国外関連者が作成しているローカルファイル相当の書類などが例示されています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第3章 調査
会社側でまず整理しておきたい資料は、次のようなものです。
| 分類 | 確認すべき資料 |
|---|---|
| 資本関係 | グループ組織図、株主構成、持株割合、役員兼任、実質支配関係 |
| 取引関係 | 取引一覧、契約書、注文書、価格表、請求書、送金資料、取引フロー図 |
| 価格設定 | 価格改定資料、稟議書、取締役会資料、利益率検討資料、比較対象分析 |
| 機能・リスク | 研究開発、製造、販売、在庫、為替、信用、保証、品質責任の分担資料 |
| 損益資料 | 法人別・事業別・製品別損益、セグメント別利益率、国外関連者側の財務諸表 |
| 無形資産 | 技術、ノウハウ、ブランド、商標、顧客リスト、販売網、研究開発体制 |
| 金融取引 | 貸付契約、利率根拠、返済予定、保証契約、保証料計算、信用力資料 |
| 文書化 | ローカルファイル、マスターファイル、国別報告事項、現地側文書 |
この段階で重要になるのは、資料の「有無」だけではありません。
契約書に書かれた機能・リスクの分担と、実際の業務の実態は一致しているか。会計上の損益区分と、移転価格分析上の検証単位はそろっているか。価格改定の稟議書と、実際の取引価格は合っているか。日本側の説明と、海外子会社側の現地税務資料に矛盾はないか。
移転価格調査では、こうした資料同士の整合性が問われます。整合していない資料を大量に出してしまうと、かえって事実認定を複雑にしてしまうこともあるのです。
別表17(4)は「付けているか」だけでなく「中身」が見られる
国外関連取引がある場合、法人税申告書では「国外関連者に関する明細書」、いわゆる別表17(4)が重要になります。
国税庁の移転価格事務運営要領では、国外関連取引を行う法人が確定申告書に別表17(4)を添付していない場合、あるいは記載内容が十分でない場合には、提出の督促や補正を求めるとともに、国外関連取引の内容を一層的確に把握することとされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第3章 調査
実務上は、別表17(4)を「申告書に付いているから大丈夫」とは考えないことです。
国外関連者の名称、所在地、持株関係、取引金額、取引内容が、契約書、会計データ、送金資料、現地の財務諸表と整合しているかを確認しておく必要があります。
たとえば、会計上は「業務委託費」として処理しているものの、実態はロイヤリティに近い。契約書では販売支援料としているのに、現地側ではマネジメントフィーとして処理されている。貸付金として会計処理しているが、返済期日も利息計算もなく、実態は資本性資金に近い。
こうしたズレは、別表17(4)の記載ミスにとどまらず、移転価格調査の入口の論点になっていきます。
資料提出と推定課税のリスク
移転価格調査で最も避けたいのは、「価格設定の合理性を説明できる資料がない」という状態です。
国税庁の移転価格事務運営要領では、ローカルファイルや、独立企業間価格を算定するために重要と認められる書類の提示または提出を求める場合、ローカルファイルについては45日を超えない範囲、その他の重要書類については60日を超えない範囲で期日を指定することとされています。そして、期日までに提示または提出がない場合には、推定規定や、同業者に対する質問検査規定の適用要件を満たす旨を説明することなどが定められています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第3章 調査
ここでいう推定課税は、単なるペナルティではありません。会社が十分な資料を出せない場合、課税当局が一定の方法で独立企業間価格を推定し、課税処分を行う可能性がある、ということです。
また、同業者に対する質問検査規定が使われると、課税当局は比較対象取引を把握するため、非関連者間の取引に関する情報を収集することがあります。国税庁の事務運営要領では、こうした情報を比較対象取引として選定した場合、選定条件、取引内容、差異調整の方法などを法人に十分説明することとされていますが、同時に、守秘義務にも留意することが求められています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第3章 調査
会社側にとっての教訓は、はっきりしています。
調査が始まってから、45日あるいは60日で、ゼロからローカルファイルや価格設定資料を作り上げるのは現実的ではありません。とりわけ、比較対象分析、国外関連者側の財務情報、製品別損益、機能・リスク分析、無形資産の整理は、短期間で整えようとするほど精度が落ちてしまいます。
調査時の対応力は、平時の資料設計でほぼ決まる。そう言っても過言ではありません。
同時文書化義務が免除されても、説明義務まで消えるわけではない
中小・中堅企業で誤解が多いのが、ローカルファイルの同時文書化義務の免除です。
国税庁の移転価格文書化制度FAQでは、一の国外関連者との国外関連取引について、前事業年度の対価の額の合計が50億円未満で、かつ無形資産取引の対価の額の合計が3億円未満である場合、その国外関連者との取引についてはローカルファイルの同時文書化義務が免除されるとされています。
出典:国税庁|移転価格税制に係る文書化制度(FAQ)(令和6年6月)
ただし、これは「移転価格を検討しなくてよい」という意味ではありません。
同時文書化義務が免除されていても、国外関連取引がある以上、独立企業間価格で取引しているかどうかは問われます。調査の際には、独立企業間価格を算定するために重要と認められる書類の提示または提出を求められる可能性もあります。
したがって、同時文書化義務の対象外であっても、少なくとも次の資料は社内で整理しておくべきです。
| 資料 | 目的 |
|---|---|
| 国外関連取引一覧 | どの会社と、何を、いくら取引しているかを把握する |
| 契約書・覚書 | 取引条件、価格改定、リスク分担を確認する |
| 価格設定方針メモ | 価格をなぜその水準にしたかを説明する |
| 事業別・取引別損益 | 利益がどの会社に残っているかを確認する |
| 稟議書・議事録 | 経営判断として価格を決めた過程を残す |
| 海外子会社資料 | 現地側の損益、機能、税務処理との整合性を確認する |
文書化は、義務があるから作るものではありません。後から自社の取引価格を説明するための、経営管理資料なのです。
移転価格調査で避けたい説明
移転価格調査では、会社側が口にしがちな、けれども避けたい説明があります。
「前年もこの価格だったから」 「親会社が決めた価格だから」 「海外子会社が赤字なので請求しなかった」 「現地の税理士が問題ないと言っていた」 「税務調査が来たら資料を作ればよいと思っていた」
これらは、実務上の経緯としてはあり得るものです。しかし、独立企業間価格の説明としては十分とはいえません。
移転価格では、なぜその価格が第三者間の取引としても成立し得るのかを説明する必要があります。前年を踏襲したものであっても、事業環境、為替、原材料価格、販売市場、機能分担、在庫リスク、無形資産の使用状況が変わっていれば、前年の価格設定が今も妥当だとは限らないからです。
また、海外子会社が赤字であることは、それだけで無償支援や低価格販売を正当化する理由にはなりません。赤字の原因が、市場開拓費用なのか、現地管理の不備なのか、価格設定なのか、為替なのか、あるいは親会社からのロイヤリティや支援料なのか——これを分解して考える必要があります。
移転価格調査では、利益水準だけでなく、更正事由、経済合理性、契約書、稟議書といった資料の整備が重要になってきます。
APAとは何か
APAとは、Advance Pricing Arrangementの略で、日本では移転価格税制上の「事前確認」と呼ばれる手続です。
平たくいえば、将来の国外関連取引について、独立企業間価格の算定方法などをあらかじめ税務当局に確認してもらう制度です。
国税庁の移転価格事務運営要領では、事前確認について、移転価格税制の適用に関する法人の予測可能性を確保し、制度の適正かつ円滑な執行を図るため、事案の複雑性や困難性に応じた審査を行うこととされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
APAには、大きく分けて、相互協議を伴わない一国APAと、相手国税務当局との相互協議を伴う二国間APAがあります。
一国APAは、日本の税務当局との関係では予測可能性を高めてくれます。ただし、相手国税務当局を拘束するものではないため、相手国側で別の見方をされる可能性は残ります。
二国間APAは、日本と相手国の税務当局が協議し、将来の価格算定方法について合意することを目指します。そのため、二重課税リスクの軽減という観点では、一国APAより有効な場合があります。もっとも、相手国との協議が必要になるぶん、時間も資料の負担も大きくなります。
APAを検討すべき場面
APAは、すべての国外関連取引に必要な制度ではありません。
むしろ、資料作成、経済分析、当局対応、相手国対応、年次報告といった負担が伴うため、重要性の高い取引に絞って検討すべきものです。
次のような場面では、APAを検討する価値が高くなります。
| 場面 | APAを検討する理由 |
|---|---|
| 海外子会社との取引金額が大きい | 価格差が税額・資金繰りに与える影響が大きい |
| 取引が継続的・反復的である | 将来年度の予測可能性を高める効果がある |
| 無形資産やロイヤリティが絡む | 価値評価や利益配分が争点になりやすい |
| 海外子会社が恒常的に高利益または赤字 | 利益配分の合理性を事前に整理する必要がある |
| 製造・販売・研究開発機能が複数国に分かれている | 機能・リスク分析が複雑になりやすい |
| 金融取引や保証取引が大きい | 利率、保証料、信用力の説明が必要になる |
| M&A後に海外取引方針を変更する | 買収後の価格設定を事前に整える必要がある |
| 過去に移転価格調査を受けた | 再発防止と将来年度の安定化が課題になる |
APAは、調査を受けてから慌てて使う制度ではありません。価格設定の方針を経営管理として整え、将来の申告を安定させるための制度です。
APAの申出期限と対象期間
APAは、いつでも過去にさかのぼって自由に申し出られるものではありません。
国税庁の移転価格事務運営要領では、事前確認の申出は、確認対象事業年度のうち最初の事業年度の開始の日までに確認申出書を提出することにより行うものとされています。また、確認対象事業年度は、原則として3事業年度から5事業年度とされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
この点は、実務上、非常に重要です。
たとえば、翌期から海外子会社との価格設定を大きく変える予定があるとします。この場合、事業年度が始まってから検討していては、APAのタイミングを逃してしまう可能性があります。新工場の稼働、商流の変更、ロイヤリティの導入、販売会社の機能変更、M&A後のグループ再編などが控えているなら、取引開始前、あるいは事業年度開始前から準備を進める必要があります。
APAは、申告直前の節税策ではありません。将来年度の価格設定を、契約・会計・申告・現地税務と整合させるための、事前の設計だと捉えるのが適切です。
APAで提出すべき資料
APAでは、単に「この利益率でお願いします」と申し出るだけでは足りません。
国税庁の移転価格事務運営要領では、事前確認の申出にあたって、確認対象取引の内容・流れ・詳細、確認申出法人および国外関連者の事業内容・組織概要、双方が果たす機能・負担するリスク・使用する資産、独立企業間価格の算定方法等およびそれが最も適切な方法であることの説明、重要な事業上または経済上の前提条件、資本関係または実質支配関係、過去3事業年度分の営業・経理状況、国外関連者所在地国での移転価格調査等の状況などが、添付資料として示されています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
また、国税庁のFAQでも、事前確認申出時の提出書類として、確認対象取引の内容・取引規模・取引関係図、取引価格の決定方法、取引条件、契約関係、資金の流れ、為替リスクの負担状況、機能・リスク・使用資産、無形資産の内容、比較対象取引の選定過程、差異調整などが挙げられています。
出典:国税庁|移転価格税制に関する相談窓口について よくあるご質問とその回答
APAの準備は、税務の専門家だけで完結するものではありません。経理、財務、海外事業部、法務、経営企画、現地法人、そして場合によっては現地の税務アドバイザーとの連携が必要になります。
とりわけ、機能・リスク分析は、経理部だけでは作れません。誰が営業戦略を決めているのか。価格の決定権はどこにあるのか。在庫リスクは誰が負うのか。製品保証の責任は誰にあるのか。為替リスクは誰が負っているのか。研究開発やブランド投資を誰が意思決定しているのか。
こうした点は、事業部門の実態を確認して初めて整理できるものです。
事前相談は有効だが、万能ではない
APAを検討する際には、いきなり正式に申し出るのではなく、事前相談を活用することがあります。
国税庁のFAQでは、事前相談の内容は非公開であり、税務代理を委嘱した税理士を通じた匿名相談も可能とされています。ただし、匿名相談では事実関係の説明が不十分となり、実質的に事前相談ができなくなることもあるため、実際に事前確認を予定している取引について具体的に説明する必要があるとされています。
出典:国税庁|移転価格税制に関する相談窓口について よくあるご質問とその回答
また、同FAQでは、事前相談を行ったからといって必ず事前確認の申出をしなければならないわけではないこと、事前相談を行っても移転価格に関する税務調査を妨げるものではないこと、そして税務調査が行われた場合でも、納税者の同意なしに事前相談で提出された資料を調査に使用することはないことが示されています。ただし、事実に関する資料は除かれます。
出典:国税庁|移転価格税制に関する相談窓口について よくあるご質問とその回答
事前相談は、APAに進むべきか、資料は足りているか、対象取引の切り出し方は適切か——こうした点を確認するうえで有効です。
もっとも、事前相談をすれば調査リスクがなくなるわけではありません。むしろ、相談の前に自社の取引実態を整理していなければ、有効な相談にはならないのです。
APAの効果と限界
APAの大きな効果は、確認内容に沿って申告している限り、その確認取引が独立企業間価格で行われたものとして取り扱われる点にあります。
国税庁の移転価格事務運営要領では、確認法人が事前確認を受けた各事業年度において、確認取引について事前確認の内容に適合した申告を行っている場合、その確認取引は独立企業間価格で行われたものとして取り扱うとされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
一方で、APAには限界もあります。
まず、確認対象取引以外には効果が及びません。棚卸資産取引についてAPAを受けていても、ロイヤリティ、役務提供、貸付金利子、保証料が対象外であれば、それらは別途検討が必要になります。
次に、重要な前提条件が変わった場合には、改定や取消しの問題が生じます。国税庁の移転価格事務運営要領では、重要な事業上または経済上の諸条件等に事情変更が生じた場合の改定、確認取引について事前確認の内容に適合した申告を行わなかった場合や報告書を提出しなかった場合・報告書に重大な誤りがあった場合、事実関係が真実でない場合や申出内容に重大な誤りがあった場合の取消しが示されています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
つまり、APAは「一度取れば終わり」ではないということです。
毎期、事前確認の内容に適合した申告を行っているかを検証し、報告書を提出し、重要な前提条件の変化を把握しなければなりません。事業再編、為替変動、販売地域の変更、機能の移転、主要製品の入替え、製造委託先の変更、現地法人のリスク増加などがあれば、そのつど、APAの前提とのズレを確認する必要があります。
APA後の年次報告と補償調整
APAを受けた後も、会社には継続的な管理が求められます。
国税庁の移転価格事務運営要領では、確認法人は、確認事業年度の確定申告書の提出期限または定められた期限までに、確認取引について事前確認の内容に適合した申告を行っていることの説明、確認取引に係る損益明細、重要な前提条件の変動の有無、対価の額が適合しなかった場合の調整の説明などを記載した報告書を提出するよう求めることとされています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
また、事前確認の内容に合わせるための調整についても定めがあります。確定決算で必要な調整を行う場合には移転価格税制上適正な取引として取り扱うこと、確定申告前または申告後に所得が過少となっていたことが判明した場合の申告調整・修正申告、相互協議の合意が成立した事前確認で所得が過大となっていた場合の申告調整または更正の請求が示されています。
出典:国税庁|移転価格事務運営要領 第6章 事前確認
ここで大切なのは、APAの運用を決算後に思い出すようでは遅い、ということです。
月次または四半期ごとに、対象取引の利益率、売上総利益率、営業利益率、価格レンジ、補償調整の要否を確認しておく必要があります。期末になってから大きな調整を行うと、会計上の説明、現地法人側の処理、源泉税、関税、外為送金、現地の法規制にまで影響が及ぶ可能性があるからです。
相互協議とは何か
相互協議、MAPは、Mutual Agreement Procedureの略です。
国税庁のQ&Aでは、相互協議とは、租税条約の規定に基づき、一方または双方の締約国等の措置による租税条約の規定に適合しない課税や、独立企業間価格の算定方法等に係る事前確認について、租税条約締約国等の税務当局間で解決を図るための協議手続とされています。
出典:国税庁|相互協議手続に関するガイダンス(Q&A)1.相互協議の概要
相互協議の目的は、主として国際的な二重課税を排除することにあります。
たとえば、日本親会社が海外子会社へ製品を販売していたケースを考えてみます。日本側の移転価格調査により、日本親会社の売上が過少であったとして所得を増額されたとしましょう。この場合、日本では追加の課税が生じます。ところが、海外子会社側では、その仕入価格に基づいて既に現地で申告を済ませています。
相手国側が対応的な減額を認めなければ、日本と相手国とで、同じ利益が二重に課税されることになってしまいます。
この二重課税を解消するために、両国の税務当局が協議するのが、相互協議です。
相互協議は、国内の不服申立てや訴訟とは目的が違う
移転価格更正を受けた場合、会社には複数の選択肢があります。
修正申告を行うのか。更正処分を受けるのか。不服申立てをするのか。訴訟を検討するのか。それとも相互協議を申し立てるのか。
ここで混同してはいけないのは、国内の救済手続と相互協議とでは、目的が異なるという点です。
国内の不服申立てや訴訟は、日本の課税処分が国内法上適法かどうかを争う手続です。これに対して相互協議は、租税条約上の二重課税や、条約に適合しない課税を、税務当局間で解決する手続です。
国税庁のQ&Aが引用するOECDモデル租税条約第25条では、租税条約に適合しない課税を受けたと認める者は、その国の法令に定める救済手段とは別に、権限ある当局に申立てをすることができる旨が示されています。また、申立ては、条約に適合しない課税に係る措置の最初の通知の日から3年以内に行う旨も示されています。
出典:国税庁|相互協議手続に関するガイダンス(Q&A)1.相互協議の概要
ただし、実際の申立期限や手続は、該当する租税条約、相手国、国内手続の進行状況によって確認が必要です。国税庁の相互協議手続Q&Aでも、多くの租税条約においてOECDモデル租税条約と同様の規定が定められているとされていますが、個別の条約の確認は欠かせません。
出典:国税庁|相互協議手続に関するガイダンス(Q&A)2.相互協議の手続
移転価格更正では、国内の不服申立てや訴訟だけでは相手国税務当局を拘束できません。そのため、二重課税の排除という観点では、相互協議が重要な救済手段になります。
相互協議は「申し立てれば必ず解決する」制度ではない
相互協議は重要な手続ですが、万能ではありません。
相互協議で協議するのは、日本の税務当局と相手国の税務当局です。納税者は資料提出や事実説明を行いますが、協議の当事者そのものではありません。
また、相手国が対応的調整に応じるかどうか、どの年度を対象にするか、どの利益率を採用するか、どの機能・リスク分析を前提にするかは、両国当局の協議に委ねられます。
国税庁が令和7年11月に公表した令和6事務年度の「相互協議の状況」によれば、令和6事務年度の相互協議事案の発生件数は280件、そのうち事前確認に係るものが194件、移転価格課税その他に係るものが86件でした。また、処理件数は242件で、処理事案1件当たりの平均処理期間は39.6か月、事前確認に係るものは42.4か月、移転価格課税その他に係るものは28.5か月とされています。
出典:国税庁|令和6事務年度の「相互協議の状況」について
さらに同資料では、令和6事務年度末の繰越件数は773件であり、繰越事案の相手国・地域別の内訳はアジア・大洋州が最も多く、国別では米国、インド、中国、韓国、ドイツの順であること、OECD非加盟国・地域との相互協議事案の平均処理期間は49.0か月であることが示されています。
出典:国税庁|令和6事務年度の「相互協議の状況」について
これらの数字が示しているのは、相互協議が現実に長期化し得る手続だということです。
追加の納税が発生した場合、相互協議で将来的に減額される可能性があるとしても、当面の資金流出、会計上の税金費用、税効果会計、引当金、金融機関への説明、株主への説明に影響が及びます。
「相互協議で解決すればよい」と安易に構えるのではなく、調査の段階から、二重課税の発生可能性、資金繰り、会計処理、相手国対応まで見通しておくことが大切です。
APAと相互協議の違い
APAと相互協議は、どちらも移転価格リスクに関わりますが、使う場面が異なります。
| 項目 | APA | 相互協議 |
|---|---|---|
| 主な目的 | 将来年度の価格設定方法を事前に確認する | 課税後または課税見込みの二重課税を解消する |
| タイミング | 原則として対象年度の開始前 | 課税処分、課税見込み、またはAPAに伴い申し立てる |
| 対象 | 将来の国外関連取引 | 租税条約に適合しない課税、二国間APA等 |
| 会社の役割 | 申出資料、経済分析、年次報告を整える | 事実資料を提出し、当局間協議を支える |
| 効果 | 予測可能性の向上、調査リスクの軽減 | 二重課税の排除または軽減を目指す |
| 限界 | 対象取引・前提条件に限定される | 合意まで長期化し、結果が保証されない |
実務では、APAは予防策、相互協議は救済策と捉えると、理解しやすくなります。
ただし、二国間APAは、将来年度について相手国との相互協議を伴うため、APAと相互協議が組み合わさった手続です。更正後の相互協議では、両国の当局が自国の課税結果を前提に協議することになるため、予防的な二国間APAとは、協議の性格が異なります。
移転価格調査を受けたときの初動対応
移転価格調査の連絡を受けたとき、最初に行うべきなのは、資料を大量に提出することではありません。
まず、調査対象年度、対象税目、対象取引、対象となる国外関連者、そして調査官が確認したい論点を整理します。次に、社内で海外取引の全体像を棚卸しします。
具体的には、次の順番で整理していくとよいでしょう。
- 対象年度の国外関連者一覧を作る
- 国外関連者ごとの取引内容と金額を整理する
- 別表17(4)、会計データ、契約書、送金資料の整合性を確認する
- 対象取引ごとに機能・リスク・使用資産を整理する
- 価格設定方針と実際の利益水準を確認する
- ローカルファイル、またはそれに準じる資料の有無を確認する
- 相手国側で同じ取引がどのように申告されているかを確認する
- 二重課税が生じた場合の相互協議の可能性を検討する
この初動整理をしないまま断片的な資料を提出してしまうと、後から説明を修正しにくくなります。
移転価格調査では、最初の説明が調査全体の方向性を左右します。とりわけ、機能・リスク分析、比較対象取引、無形資産の所在、海外子会社の位置づけについて、途中で説明が変わってしまうと、会社の信頼性が下がってしまいます。
調査対応で重要なのは「反論」よりも「事実の整理」
移転価格調査では、会社側がすぐに反論したくなる場面があります。
「海外子会社は大変なのだから、利益が出て当然ではないか」 「日本側にも利益は残っている」 「現地ではこの価格で認められている」 「過去の調査では指摘されなかった」
しかし、移転価格調査で重要なのは、感覚的な反論ではなく、事実と資料に基づく説明です。
たとえば、海外子会社に利益が残る理由を説明するのであれば、現地の販売機能、在庫リスク、与信リスク、広告宣伝、価格決定権、現地顧客の管理、競合環境、販売網形成への投資を、資料で示す必要があります。
日本親会社に利益が残るべき理由を説明するのであれば、研究開発、製造ノウハウ、品質保証、ブランド、資金負担、経営管理、グローバル顧客対応、重要な意思決定を、資料で示す必要があります。
移転価格調査で問われるのは、「どちらの会社が苦労しているか」ではありません。「どの会社がどの機能を果たし、どのリスクを負い、どの利益を得るのが、独立企業間原則に照らして合理的か」なのです。
二重課税が生じた場合の経営上の影響
移転価格更正によって二重課税が生じると、その影響は税額だけにとどまりません。
まず、追加の納税による資金流出が発生します。法人税、地方法人税、住民税、事業税に加え、延滞税、加算税が関係する場合もあります。
次に、相手国で対応的調整が認められるまで、海外子会社側の課税所得はそのまま残る可能性があります。二重課税の解消に時間がかかれば、その間、グループ全体のキャッシュフローが悪化します。
さらに、会計上の影響もあります。追加の税額をいつ費用計上するか、相互協議による将来の還付や減額をどこまで見込むか、税効果会計上の処理をどうするか、監査対応や金融機関への説明をどう行うか——こうした点を検討する必要があります。
M&Aや事業承継の局面では、過去の移転価格リスクが税務デューデリジェンスで問題になることもあります。買い手から見れば、海外子会社との価格設定を説明できない会社は、将来の税務負債を抱えている可能性がある会社に映るからです。
移転価格対応は、税務部門だけの問題ではありません。グループ経営、財務、資金繰り、M&A、金融機関対応にまで波及する論点なのです。
自社で事前に確認しておきたいチェックポイント
移転価格調査・APA・相互協議に備えるため、決算前または取引開始前に、次の項目を確認しておきましょう。
| チェック項目 | 確認すべき内容 |
|---|---|
| 国外関連者の把握 | 資本関係だけでなく、実質支配関係や役員兼任も確認しているか |
| 取引一覧 | 棚卸資産、役務提供、ロイヤリティ、貸付、保証、費用負担を区分しているか |
| 契約書 | 取引実態、リスク分担、価格改定条項、補償調整条項と整合しているか |
| 価格設定 | 原価、利益率、比較対象、第三者価格、交渉過程を説明できるか |
| 機能・リスク分析 | 日本親会社と海外子会社の役割分担を事業部門に確認しているか |
| 無形資産 | 技術、ノウハウ、ブランド、販売網、顧客リストの所在と貢献を整理しているか |
| 損益管理 | 法人別・取引別・製品別損益を分析できるか |
| 文書化 | ローカルファイルまたは簡易な移転価格メモを作成しているか |
| 別表17(4) | 申告書、会計データ、契約書、送金資料と整合しているか |
| 現地側処理 | 海外子会社側の会計・税務処理と矛盾していないか |
| APAの要否 | 継続的・重要な取引について予測可能性を高める必要があるか |
| 相互協議の可能性 | 更正時に二重課税が生じる可能性と申立期限を確認しているか |
このチェックは、税務調査の直前だけでなく、取引開始時、価格改定時、海外子会社の設立時、M&A後、組織再編後にも行っておくべきものです。
専門家に相談すべきタイミング
次のような状況にある場合は、申告期限の直前ではなく、早めに専門家へ相談されることが望ましいといえます。
海外子会社との取引金額が急増している。海外子会社の利益率が高い、あるいは赤字が続いている。ロイヤリティや経営支援料を新たに導入する。日本親会社から海外子会社への貸付や保証が増えている。海外子会社側で現地の税務調査を受けている。別表17(4)の記載と実際の取引内容にズレがある。ローカルファイルを作成していない。過去の価格設定が前年踏襲で、根拠となる資料がない。APAを検討しているが、対象取引や申出の時期が分からない。移転価格調査で資料提出を求められている。更正後に二重課税が生じる可能性がある。
とりわけ、APAは対象年度の開始前から準備すべき手続であり、相互協議は、租税条約上の申立期限や国内手続との関係を確認する必要があります。
移転価格対応では、「調査が来てから考える」では遅い場面が、少なくありません。
まとめ:移転価格対応は、調査対応ではなく経営管理である
移転価格調査、APA、相互協議は、それぞれ別の制度に見えます。
しかし実務上は、一つの流れとしてつながっています。
平時に価格設定と文書化を整えていなければ、調査時に資料提出で苦労します。調査時に取引の実態を説明できなければ、推定課税や更正のリスクが高まります。更正によって二重課税が生じれば、相互協議を検討することになります。重要な取引について将来の不確実性を減らしたいのであれば、APAを検討することになります。
したがって、移転価格対応の本質は、税務調査時の防御ではありません。
海外子会社との取引価格を、会社の事業実態、契約関係、会計処理、損益管理、資金繰り、税務申告、そして将来の経営判断と整合させること。ここに本質があります。
後から説明できる価格設定を行い、その判断の過程を資料として残す。これが、移転価格リスクから会社を守る基本です。
犬飼公認会計士・税理士事務所へのご相談について
海外子会社との取引について、価格設定の根拠、ローカルファイル、別表17(4)、APA、相互協議、移転価格調査への対応にご不安がある場合は、まず取引一覧と既存資料の棚卸しから始めることが重要です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、国外関連取引の整理、機能・リスク分析、文書化方針、APAの検討、調査時の資料整理、二重課税リスクへの対応を、法人税申告・会計処理・経営判断と切り離すことなく、一体で検討いたします。
海外子会社との取引価格や、移転価格調査への備えを確認したいという方は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページより、お気軽にご相談ください。
振り返り:本稿の重要ポイント
| 論点 | 実務上の要点 |
|---|---|
| 移転価格調査 | 形式的な契約や請求書だけでなく、取引実態、機能、リスク、利益水準が確認される |
| 別表17(4) | 添付の有無だけでなく、記載内容と契約書・会計データ・送金資料の整合性が重要 |
| 資料提出 | ローカルファイルは45日以内、重要書類は60日以内の範囲で提出期限が指定され得る |
| 推定課税 | 資料提出が不十分な場合、課税当局による独立企業間価格の推定リスクが高まる |
| 同時文書化義務免除 | 免除されても、移転価格の合理性を説明する必要は残る |
| 調査対応 | 反論よりも、事実・資料・損益データに基づく一貫した説明が重要 |
| APA | 将来年度の独立企業間価格の算定方法等を事前に確認し、予測可能性を高める制度 |
| APAの申出時期 | 原則として確認対象事業年度の最初の事業年度開始日までに申出が必要 |
| APAの対象期間 | 原則として3事業年度から5事業年度 |
| APA後の管理 | 年次報告、重要な前提条件の確認、補償調整の検討が必要 |
| 相互協議 | 租税条約に基づき、二重課税やAPAについて税務当局間で解決を図る手続 |
| 国内不服申立てとの違い | 国内手続は日本の課税処分の適法性、相互協議は二重課税の解消が主な目的 |
| 二重課税 | 日本で所得増額されても、相手国で対応的調整がなければ、同じ利益に二重課税が生じる |
| 経営上の影響 | 追加納税、資金繰り、税効果会計、監査、金融機関説明、M&Aに波及する |
| 事前対応 | 取引開始時、価格改定時、決算時に、価格設定の根拠と判断過程を残すことが重要 |