M&Aの売り手側の準備と見える化|相手探し前に整える6つの論点

M&Aによる売却を考え始めた経営者の多くは、まず「いくらで売れるのか」「買い手は見つかるのか」を知りたいとお考えになります。

ただ、売り手側が最初に取り組むべきことは、すぐに相手探しを始めることでも、希望価格を決めることでもありません。

先に整理しておきたいのは、次のような事項です。

  • 何を譲渡し、何を手元に残すのか
  • 自社の収益力や強みをどのように説明するのか
  • 株式を誰が保有し、誰の同意が必要なのか
  • 会社と経営者個人の資産・負債が分けられているか
  • 経営者保証をどう扱うのか
  • 価格以外に何を守りたいのか
  • どの情報を、どの段階で、誰に開示するのか

これらが整理されないまま相手方との交渉に入ると、基本合意後やデューデリジェンス(DD)の途中で問題が表面化します。その結果、価格の見直し、スキーム変更、契約条件の厳格化、スケジュールの遅延といった事態を招くことも少なくありません。

中小企業では、経営者の知識、人脈、判断、信用力が事業と密接に結び付いているケースが多く見られます。だからこそ、「会社の実態」を経営者個人から切り離して説明できる状態にすること自体が、売却準備における重要な課題となります。

このテーマでは、売り手側が相手探しに進む前に確認しておきたい事項を、6つの詳細コラムに分けて整理していきます。

このテーマで理解できること

このテーマの目的は、会社を見栄えよく整えることではありません。自社の事業、株式、資産・負債、関係者、希望条件、リスクを、買い手や専門家が検証できる形にすることにあります。

テーマ全体を通じて、主に次のことを理解できます。

売却準備の全体像

財務資料だけでなく、株主、契約、資産、負債、従業員、取引先、許認可、経営者個人との関係まで、どの範囲を確認すべきかを把握します。

事業の説明可能性

売上や利益の金額だけではなく、誰から、何によって、どのように利益を得ているのかを説明できる状態を目指します。

売却の実行可能性

株式の帰属、少数株主、個人所有資産、経営者保証など、価格以前にM&Aを実行できる状態かどうかを確認します。

条件交渉の準備

価格、従業員、取引先、社名、経営者の引継ぎ、支払方法などについて、希望と譲れない条件を区別します。

DDと契約への接続

売り手側の情報開示や事前確認が、買い手のDD、価格、表明保証、補償、クロージング条件にどうつながるのかを理解します。

売り手の準備は、相手方への接触前から始まる

売却準備は、買い手が見つかった後に資料を集める作業ではありません。売り手側の準備状況は、その後の一連の意思決定に影響していきます。

事業の収益構造が見えるようになれば、自社を評価しやすい買い手候補が分かります。株主や株式を確認すれば、予定する株式譲渡を実行できるのか、それとも他のスキームを検討すべきかが見えてきます。

会社と経営者個人の資産・負債を整理すれば、譲渡対象、価格調整、保証解除、クロージング前の対応事項を検討できます。希望条件を整理しておけば、買い手候補を価格だけで比較せず、従業員や取引先への影響も含めて判断できるようになります。

さらに、開示資料とリスクをあらかじめ整理しておけば、買い手DDで初めて重大な問題が判明する事態を減らせます。発見事項が出てきても、価格や契約条件へ落ち着いて反映していけるでしょう。

中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」も、譲り渡し側の事前準備として、早期の支援機関への相談、引退後のビジョンと希望条件の検討、M&Aに先立つ「見える化」「磨き上げ」、株式・事業用資産等の整理を位置付けています。あわせて、すべての中小M&Aに大型案件と同一の手続を求めるのではなく、事業規模等に応じて簡易な形で進めることが現実的な場合もあるとしています。
出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

つまり、売却準備の水準は「資料を多く作ったか」ではなく、案件の規模と重要性に応じて、判断に必要な事実が揃っているかどうかで考えるべきものだといえます。

推奨する読む順番

初めて売却準備に着手される場合は、次の順番でお読みいただくことをおすすめします。

3-1 → 3-2 → 3-3 → 3-4 → 3-5 → 3-6

最初に準備事項の全体像を把握し、次に事業の中身を見えるようにします。その後、株主・株式、会社と個人の資産・負債を確認し、希望条件を整理したうえで、情報開示とセラーズDDへ進む流れです。

すでに特定の課題が明らかであれば、該当するコラムから読み始めていただいても構いません。ただし、個別論点は互いに影響し合います。最終的には、6つの論点を一通り確認しておくことが望まれます。

3-1. 売り手側がM&A前に準備すべき全体像

売却検討を始めたものの、何から手を付ければよいか分からない。そうした経営者・株主の方にとって、入口となるコラムです。

資料、株主、契約、資産、負債、従業員、取引先、管理体制など、売り手側の準備領域を全体的に整理します。

この段階で重要なのは、すべてを完璧に整えることではありません。何が整理済みで、何が未確認なのか、そしてどの論点が価格や成立可能性に影響するのかを把握することです。

売却準備を相手方や仲介者からの依頼に応じて始めるのではなく、自社側の判断軸を持って進めるために、最初に確認しておきたいコラムといえます。

3-2. 事業の見える化・磨き上げで確認すべきこと

自社の強みを尋ねられても、「長年の信用」「技術力」「顧客との関係」といった抽象的な説明にとどまってしまう。そのような場合にお読みいただきたいコラムです。

収益構造、顧客、仕入先、人材、属人性、設備、業務プロセス、管理資料などを通じて、事業がどのように成り立っているかを整理します。

ここでいう「磨き上げ」とは、短期間で会社をよく見せることではありません。自社の価値がどこから生まれ、どこにリスクがあり、経営者が交代しても何が残るのかを明らかにする作業です。

買い手が評価するのは、決算書上の利益だけではありません。顧客基盤、従業員、技術、商流、許認可、ノウハウ、ブランドなどがどの程度継続可能かも、重要な判断材料になります。

3-3. 株主・株式・名義株・少数株主を整理する

株主名簿と実際の株主が一致しているか分からない。過去に親族や役員へ株式を持たせた。名義株の可能性がある。少数株主と連絡が取れていない。こうした事情がある場合に確認したいコラムです。

株式譲渡では、売主が対象株式を有効に保有し、必要な承認や同意を得られることが前提になります。

株式が分散していたり、名義株や所在不明株主が存在したりすると、買い手が見つかっても、予定したスキームで実行できないことがあります。

このコラムでは、株主名簿、株券発行の有無、譲渡制限、議決権、相続未了株式、少数株主など、M&Aの成立可能性に関わる株式面の確認事項を整理します。

3-4. 事業用資産・個人資産・役員貸借・経営者保証を整理する

会社が使用している不動産を経営者個人が所有している。会社と経営者の間に貸付金・借入金がある。個人名義の車両や設備を事業で使用している。借入に経営者保証や担保が付いている。そうした状況にある場合にお読みいただきたいコラムです。

中小企業では、会社と経営者個人の関係が実務上密接になりやすいものです。一方で、M&Aにおいては、その境界を明確にしておく必要があります。

何を会社に残すのか、何を譲渡対象に含めるのか。役員貸借をいつ、どのように処理するのか。個人所有資産を売却・賃貸・返還のいずれで扱うのか。こうした判断によって、価格、税務、契約、資金決済が変わってきます。

経営者保証についても、買い手が株式を取得すれば自動的に解除されるとは限りません。金融機関等との協議、最終契約上の義務、クロージング条件を分けて整理する必要があります。

中小企業庁は、経営者保証の解除等について、M&A成立前の早期段階から金融機関等へ相談し、可能な限り最終契約締結より前に協議を開始することが望ましいとしています。具体的な解除・移行の可否は、金融機関との契約、対象会社の財務状況、買い手の信用力等によって異なります。
出典:中小企業庁|参考資料13 中小M&A時の経営者保証の取扱いについて

3-5. 売り手が希望条件・譲れない条件を整理する

「できるだけ高く売りたい」という希望は自然なものです。ただ、それだけでは候補先の比較も、最終的な判断もできません。

M&Aでは、価格以外にも、従業員の雇用、取引先との関係、社名・ブランド、事業所の維持、経営者の引継ぎ期間、支払時期、分割払い、経営者保証、秘密保持など、多くの条件が絡み合います。

すべての希望が同時に実現するとは限りません。そのため、条件を次のように分けておく必要があります。

  • 実行の前提となる条件
  • 可能な限り実現したい条件
  • 他の条件との交換で譲歩できる条件
  • 一定の場合には撤退を検討する条件

この整理ができていれば、提示価格が最も高い候補先ではなく、自社の売却目的に最も合う候補先を選びやすくなります。

3-6. 売り手側の情報開示とセラーズDDの考え方

買い手にどこまで資料を見せるべきか。不利な情報をどの段階で説明すべきか。DDに備えて何を準備すべきか。こうした点で迷っている場合にお読みいただきたいコラムです。

情報を早く広く出しすぎれば、従業員、取引先、競合先への情報漏えいリスクが高まります。一方、重要な情報を出さなければ、買い手は価格や契約条件を保守的に設定しやすくなります。

情報開示で重要なのは、「出す・出さない」の二択で考えることではありません。開示相手、時期、範囲、粒度、管理方法を設計することです。

また、買い手DDが始まってから初めて資料を集めるようでは、回答の遅れや説明の不一致が起こりやすくなります。既存の管理資料だけでは、買い手の検証に必要な情報が不足することもあるため、相手方への接触前から準備を始める必要があります。

このコラムでは、開示資料の整理、リスクの事前把握、開示順序、VDR・Q&A管理、セラーズDD、専門家レビューの位置付けを整理します。

6つの準備事項は、独立したチェック項目ではない

6つの詳細コラムは、別々の課題を並べたものではありません。売り手側の意思決定は、次のようにつながっています。

売却目的と譲渡範囲を決める

何のためにM&Aを行い、会社全体を譲渡するのか、一部事業を切り出すのかを考えます。

事業を見えるようにする

収益力、顧客、人材、設備、属人性を整理し、何が買い手に引き継がれるのかを確認します。

株主・資産・負債を確認する

予定する取引を実行できるか、事前に解消すべき問題がないかを確認します。

希望条件を整理する

どの相手方を選び、どの条件なら基本合意に進めるかを判断できる状態にします。

情報開示とDDへ接続する

確認した事実とリスクを、初期資料、DD、価格、最終契約、クロージング条件へ反映します。

この順序を逆にして、先に候補先へ接触してしまうと、相手方からの質問や要望に応じて、売り手側の方針が揺れやすくなります。

売り手側が準備する目的は、交渉を有利に見せることではありません。相手方や支援者から説明を受けたときに、自社の判断軸を失わないことにあります。

課題別に、どの記事から読めばよいか

まだ売却するか決めていない

まずは「3-1」で準備事項の全体像を把握してください。

売却の意思決定が終わっていなくても、株主、資産、保証、資料の状況を確認することには意味があります。準備を進めた結果、M&A以外の選択肢が適していると分かる場合もあります。

自社の強みや利益の理由を説明できない

「3-2」から読み進めると、買い手がどのような視点で事業を見るのかを整理できます。

その後、「3-4」で会社と経営者個人の取引や資産が損益に混在していないかを確認すると、正常な収益力を考えやすくなります。

株主関係に不安がある

「3-3」を先に確認してください。

名義株、相続未了株式、所在不明株主、少数株主などは、解消に時間を要することがあります。候補先が見つかってから着手すると、案件全体のスケジュールに影響します。

会社と経営者個人の関係が複雑である

「3-4」を優先します。

個人所有不動産、役員貸借、保証、担保、親族会社との取引は、価格だけでなく、スキーム、税務、最終契約、クロージング条件にもつながります。

すでに買い手候補がいる

「3-5」で希望条件を整理し、その後「3-6」で開示方針を確認してください。

候補先が具体化していると、相手方の提示条件やスケジュールに引っ張られやすくなります。基本合意やDDに進む前に、自社側の優先順位を明確にする必要があります。

DDを目前に控えている

「3-6」を確認したうえで、第9テーマの「9-3. 売り手側のDD対応・VDR・Q&A管理」へ進んでください。

3-6はDD前の準備と情報開示方針を、9-3は実際のDD期間中の資料・質問管理を扱います。

相手方へ接触する前に確認したい6つの問い

詳細コラムを読む前の簡易な確認として、次の問いに答えられるかどうかを見てみてください。

  1. 何を売るのかが明確か 株式全部、一部株式、特定事業、資産など、譲渡対象を説明できるでしょうか。
  2. 事業がどのように利益を生むか説明できるか 顧客、商品・サービス、人材、設備、仕入先、経営者の役割を含めて説明できるでしょうか。
  3. 誰が株主で、誰の同意が必要か分かっているか 株主名簿と実態が一致し、株式譲渡や事業譲渡に必要な決議を行える状態でしょうか。
  4. 会社と経営者個人の境界が明確か 不動産、貸付金、借入金、保証、担保、関連当事者取引を一覧で確認できるでしょうか。
  5. 価格以外の条件に優先順位があるか 従業員、取引先、社名、引継ぎ、支払条件などについて、何を守るべきか説明できるでしょうか。
  6. 重要なリスクの開示方針が決まっているか どの情報を、どの候補先に、どの段階で、どの資料を用いて開示するか整理できているでしょうか。

一つでも答えにくい項目があれば、相手探しを急ぐ前に、その論点を確認しておく必要があります。

「磨き上げ」と「問題を隠すこと」は正反対である

売却準備というと、不都合な事項を目立たなくし、少しでも高く評価してもらうための作業と捉えられることがあります。

しかし、M&Aにおける適切な磨き上げは、問題を隠すことではありません。

解消できる問題は事前に解消し、すぐには解消できない問題については影響を把握し、買い手へ説明できる形にしておく。そのうえで、価格、スキーム、契約、クロージング前対応、成立後の引継ぎのいずれで処理するかを考えます。

不都合な情報がDDの終盤で初めて明らかになると、問題そのものの金額以上に、売り手側の説明姿勢が疑われることがあります。

反対に、売り手自身が問題を把握し、根拠資料と対応方針を示すことができれば、買い手はリスクを具体的に検討できます。

売り手側の見える化とは、強みだけでなく、弱みや未解消事項も含めて説明可能にすることなのです。

専門家に相談するのは、売却を決めた後とは限らない

売り手側の準備では、会計・税務・法務・金融・労務・株主関係が互いに影響し合います。

たとえば、役員貸付金を解消するだけでも、資金移動、課税関係、株式価値、契約条件を確認しなければなりません。

個人所有不動産を会社へ移す場合には、譲渡価格、税務、登記、資金調達、買い手の希望を検討する必要があります。

少数株主から株式を取得する場合には、会社法上の手続、取得価格、税務、他の株主との関係が問題になります。

経営者保証の解除には、金融機関との協議と買い手の信用力の確認が欠かせません。

こうした論点は、一つだけを切り離して処理すると、別の問題を生じさせることがあります。

専門家の役割は、売却を勧めることでも、資料を形式的に揃えることでもありません。選択肢、未確認事項、条件への影響を整理し、必要な場面では「今は相手方へ接触しない方がよい」「先に株主や保証の問題を解決すべきである」と率直にお伝えすることにあります。

なお、税務、会社法、労務、個人情報、許認可、金融機関対応等は、取引時点の法令・契約関係と個別事情によって結論が異なります。実行前に、該当分野の専門家へ確認してください。

売り手準備の後に続く論点

第3テーマで売り手側の準備を整えた後は、M&Aを実際の案件へ移す段階に進みます。

支援者をまだ選定していない場合は、第5テーマ「支援者・プロジェクト体制・情報管理」で、仲介者、FA、会計士、税理士、弁護士、金融機関、社内担当者の役割を整理します。

候補先への接触を検討している場合は、第6テーマ「案件化・相手方接触・初期交渉」で、初期資料、トップ面談、候補先比較、意向表明を確認します。

価格や条件の議論に入る場合は、第8テーマ「価格・条件・基本合意」へ進みます。

買い手DDを控えている場合は、第9テーマ「デューデリジェンス全体設計」と第10テーマ「DD発見事項の反映」へ接続します。

第3テーマの準備は、独立した事前作業ではありません。候補先選定、価格、DD、契約、最終実行判断の前提を作る工程です。

振り返りと次の一歩

準備領域テーマトップで確認する判断詳細コラム
売却準備の全体像どの論点が未整理で、価格・条件・成立可能性に影響するか3-1
事業の見える化収益力、顧客、人材、設備、属人性を説明できるか3-2
株主・株式株式の帰属、議決権、譲渡手続に問題がないか3-3
資産・負債・保証会社と経営者個人の関係、保証・担保を整理できているか3-4
希望条件価格以外の条件に優先順位と撤退ラインがあるか3-5
情報開示・セラーズDD何を、いつ、誰に開示し、DD・契約へどうつなぐか3-6

売却準備の段階では、まだM&Aを実行すると決め切っている必要はありません。

むしろ、株主関係、個人資産、役員貸借、経営者保証、収益構造、希望条件を整理した結果として、M&Aを進めるのか、時期を見直すのか、別の承継方法を選ぶのかを判断していく。その姿勢こそが重要だと考えます。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、売却ありきの相手探しではなく、事業・財務・税務・株主・資産・保証・条件・情報開示を横断し、相手方へ接触する前に確認すべき論点を整理する支援を行っています。

「何から整理すべきか分からない」「候補先へ情報を出す前に自社の論点を確認したい」「仲介者や相手方主導で進む前に、自社側の判断軸を持ちたい」。such such such

そのようにお考えの場合は、お問い合わせページからご相談ください。