中小・中堅企業のM&Aでは、会社と経営者個人の関係が、思いのほか大きな論点になります。
たとえば、次のようなケースです。
- 会社の工場用地が、社長個人の所有になっている
- 社長の自宅敷地の一部を、会社が駐車場として使っている
- 会社の資金繰りを支えるために、社長が会社へ資金を貸し付けている
- 反対に、会社から社長への貸付金が残っている
- 金融機関からの借入に、社長個人の連帯保証が付いている
- 事業用不動産に、社長や親族の担保が設定されている
- 関連会社や親族会社との間に、賃貸借、貸付、立替、保証、業務委託が残っている
通常の経営では、こうした状態は「昔からそうしている」「実質的には問題ない」「税理士に任せている」と受け止められがちです。
ところが、M&Aではそうはいきません。買い手は、会社を取得した後に、事業を問題なく続けられるか、追加の資金が必要にならないか、経営者個人との関係が切れた後も同じ条件で運営できるかを、ひとつずつ確認していきます。
この点については、中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも触れられています。中小M&Aに先立つ「見える化」「磨き上げ」の中では、株式・事業用資産等の整理・集約が最低限必要とされ、譲り渡し側の経営者だけで整理が難しい場合には、支援機関や弁護士等に相談することが望ましいと整理されています。
特に、重要な事業用資産が第三者名義になっている、担保が設定されている、遺産分割や係争の対象になっているといった場合には、譲渡後の事業継続に支障が生じかねないため、事前の確認が欠かせません。
本記事では、売り手側がM&A前に確認しておきたい事業用資産、個人資産、役員貸付金、役員借入金、関連当事者取引、経営者保証の論点を整理します。
個別の税務処理、金融機関との交渉、担保解除の手続、契約書の文案といった細部までは踏み込みません。ここでお伝えしたいのは、M&A全体の設計の中で、何を早い段階で把握しておくべきか、そして、どの論点が価格・DD・契約・クロージングに影響してくるのか、という見取り図です。
会社と経営者個人の境界は、M&Aで必ず見られる
中小企業において、会社と経営者個人の距離が近いこと自体は、決して珍しいことではありません。創業期から資金繰りを支え、土地や建物を提供し、個人保証を差し入れ、親族や関連会社の協力を得ながら事業を続けてきた会社は、数多くあります。
問題は、その関係がM&Aの後もそのまま続くとは限らない、という点です。
- 売り手経営者が引退する
- 株主が変わる
- 代表者が変わる
- 金融機関の与信判断が変わる
- 賃貸借や使用貸借の前提が変わる
- 関連会社との取引が継続できなくなる
- 親族が協力しなくなる
- 役員貸借の返済条件を確定する必要が出てくる
- 経営者保証を解除する必要が出てくる
このように、M&Aは、会社と経営者個人の関係を、いったん外部の目で棚卸しする場面でもあります。
買い手は、会社単体の決算書だけを見ているわけではありません。決算書の裏側に、経営者個人の資産、個人保証、親族との契約、関連会社との資金移動、実質的な支援関係が潜んでいないかまで確認します。
売り手側が事前に整理していなければ、買い手のDDで問題が見つかり、価格調整、補償条項、クロージング条件、スキーム変更へとつながっていくことがあります。実務でも、関連当事者取引や貸付・立替・保証は、正常収益力、実態純資産、税務リスク、PMI後の継続コストを把握するための重点論点として扱われます。
「売却前にきれいにする」より先に、まず全体像を把握する
この論点で、まず避けたいのは、相手方や専門家に見せる前に、慌てて処理してしまうことです。
たとえば、次のような対応です。
- 役員貸付金を急いで消す
- 役員借入金を債務免除する
- 個人所有不動産を会社に売却する
- 関連会社との取引を急に止める
- 保証を解除できると約束する
- 会社所有資産を経営者個人に移す
- 個人資産を会社へ移す
これらは、一見すると「整理」に見えます。
しかし、いずれも税務、会社法、金融機関、資金繰り、買い手の評価、契約条件に影響します。処理の順番を誤れば、余計な税負担、資金流出、契約違反、金融機関との関係悪化、買い手からの不信を招きかねません。
M&A前に、まず行うべきことは「処理」ではなく「見える化」です。
- 誰が所有しているのか
- 会社はどのような権利で使っているのか
- 契約書はあるのか
- 賃料や利息は適正か
- 担保や保証は誰が差し入れているのか
- 返済予定はあるのか
- 売却時に残すのか、解消するのか
- 買い手に承継させるのか、売り手側で処理するのか
- 税務上・会計上・法務上の論点は何か
この順番を間違えないことが、何より重要です。
事業用資産を整理する
まず確認したいのは、会社の事業継続に必要な資産です。
中小企業のM&Aでは、株式譲渡であっても、買い手は「会社が持っている資産」だけでなく、「事業を続けるために必要な資産を、M&A後も使えるかどうか」を見ています。工場、店舗、事務所、倉庫、機械設備、車両、金型、什器備品、在庫、システム、ドメイン、商標、電話番号、許認可、取引先との契約など、事業の運営に欠かせないものを洗い出していきます。
ここで大切なのは、資産を次のように分けて見ることです。
- 会社所有の資産
- 経営者個人・親族所有の資産
- 関連会社所有の資産
- リース・レンタル資産
- 担保設定済みの資産
- 共有・相続未了・係争中の資産
- 事業には使っているが、契約関係が曖昧な資産
- 会社が所有しているが、事業には使っていない資産
同じ「工場」と呼んでいても、土地は社長個人、建物は会社、設備はリース会社、付属設備は親族会社、ということも珍しくありません。売り手側の感覚では一体の事業用資産でも、法的には所有者や権利関係が分かれている、ということがあるのです。
買い手から見れば、M&A後にその資産を使い続けられるかどうかが問題になります。会社が株式譲渡で買収されたとしても、社長個人所有の土地や建物まで当然に取得できるわけではありません。事業譲渡であれば、譲渡対象となる資産を特定し、移転手続や第三者の承諾が必要になることもあります。
中小M&Aガイドラインでも、株式譲渡は法人格に変動がない一方で簿外債務・偶発債務のリスクが比較的高くなりやすいこと、事業譲渡は承継対象となる財産を選択できる一方で、不動産登記手続等による対抗要件の具備や、許認可の取得といった作業が必要になることが示されています。
したがって、売り手側は、単に固定資産台帳を出すだけでは足りません。事業の運営に本当に必要な資産について、所有者、契約、担保、使用状況、移転の可否、そしてM&A後の扱いまでを、ひととおり整理しておく必要があります。
個人所有不動産は、M&A後の利用条件まで整理する
中小企業で特に多いのが、事業用不動産を経営者個人や親族が所有しているケースです。
- 会社の本社土地が、社長の所有になっている
- 工場建物が、親族名義になっている
- 店舗の一部が、経営者個人の不動産である
- 会社が、社長個人の土地を無償または低額で使用している
- 会社所有の建物が、個人所有の土地の上に建っている
- 金融機関借入の担保として、個人不動産が差し入れられている
こうした場合に、M&A前に確認しておきたい論点は、少なくとも次のとおりです。
- 所有者は誰か
- 会社との間に、賃貸借契約書があるか
- 賃料は支払われているか
- 賃料の水準は合理的か
- 契約期間、更新、解除、原状回復、修繕負担はどうなっているか
- 担保権が設定されていないか
- 相続・共有・遺産分割未了の問題はないか
- M&A後も、買い手が同じ条件で利用できるか
- 売却前に、会社が取得しておく必要があるか
- 買い手が、個人から取得するのか
- 売り手が、継続して貸すのか
- 不動産を切り離した前提で、事業価値を評価するのか
ここでの判断は、M&Aの価格だけでなく、スキームにも影響してきます。
たとえば、買い手が工場の土地建物まで取得したいのであれば、株式譲渡とは別に、個人所有不動産の売買契約が必要になることがあります。買い手が不動産の取得を望まない場合には、長期の賃貸借契約を締結し、賃料・中途解約・修繕・担保解除の条件を整理しておく必要があります。買い手が社長個人との関係を長く残したくない場合には、事前に会社へ移転する、第三者へ売却してリースバックする、事業譲渡の対象から外すといった選択肢も検討の対象になります。
ただし、個人と会社の間で不動産を売買・賃貸する場合には、税務上の時価、消費税、所得税、法人税、登録免許税、不動産取得税、金融機関の担保、借地借家の関係など、さまざまな論点が絡んできます。国税庁のタックスアンサーでも、法人が役員へ資産を贈与・低額譲渡する場合には、時価を基礎として課税関係が生じる場面があることが示されています。
出典:国税庁|No.6321 法人の役員に対する贈与・低額譲渡の取扱い
低額譲渡や無償使用を「身内のことだから」と処理してきた場合でも、M&Aでは第三者の目で検証されます。事前に整理を行うのであれば、税務・法務・不動産の実務を含めて確認しておくべきところです。
会社所有だが事業に使っていない資産を整理する
会社が所有してはいるものの、事業には直接使っていない資産についても、確認が必要です。
たとえば、次のようなものです。
- 社長や親族が利用している車両
- 保養所、別荘、会員権
- 事業との関係が薄い投資不動産
- 余剰な保険積立金
- 関連会社株式
- 関連会社への貸付金
- 使っていない土地・建物
- 経営者個人に近い目的で保有している資産
- 換金可能な金融資産
買い手は、これらを「事業価値を生む資産」とは見ないことがあります。むしろ価格交渉の場面では、非事業用資産として別枠で評価する、売却前に売り手側で引き取る、価格から除外する、ネットデットや運転資本の調整で扱う、といった議論になっていきます。
売り手側としては、会社に残すのか、売却前に切り出すのか、経営者や株主が引き取るのかを検討する必要があります。
ただし、会社所有の資産を経営者個人や株主へ移す場合には、売買価格、税務上の時価、配当・役員給与・贈与・寄附金・受贈益といった論点が生じ得ます。M&Aの直前に資産を動かすと、買い手から「なぜこの時期に移したのか」「価格は適正か」「会社価値を毀損していないか」と確認されることもあります。
ですから、非事業用資産については、まず一覧化し、そのうえで「会社に残す理由」「売却対象から外す理由」「価格にどう反映するか」を整理していくのが順序です。
役員貸付金を整理する
役員貸付金とは、会社から役員・経営者個人への貸付金のことです。
中小企業の決算書に役員貸付金が残っている場合、買い手は強い関心を持ちます。役員貸付金が、単なる資産ではなく、回収可能性、税務、ガバナンス、資金流出、経営者個人との関係を映し出す項目だからです。
売り手側が確認しておきたいのは、次のような点です。
- いつ発生した貸付金か
- 貸付契約書はあるか
- 取締役会・株主総会等の承認手続はあるか
- 利率、返済期日、返済実績はどうか
- 担保や保証はあるか
- 利息を計上し、回収しているか
- 実質的に、役員報酬や配当と見られないか
- 返済の可能性はあるか
- M&A前に完済するのか
- 売却対価と相殺するのか
- クロージング条件とするのか
国税庁のタックスアンサーでは、役員または使用人に金銭を貸し付けた場合の利息相当額の考え方が示されています。無利息または低い利息で貸し付けた場合には、一定の場合を除き、所定の利率で計算した利息額と実際の利息額との差額が、給与として課税されることになるとされています。
M&Aの実務では、役員貸付金は次のように扱われることがあります。
- クロージング前に、経営者が返済する
- 譲渡対価から控除する
- 役員退職金や未払報酬と相殺する
- 返済計画を契約に明記する
- 回収不能の部分を価格調整する
- 表明保証や補償の対象とする
買い手から見れば、会社の資金が経営者個人へ流出している状態は、管理体制上の懸念材料です。たとえ金額が小さくても、発生の経緯や返済の状況が曖昧であれば、DDで追加の質問が出てきます。
売り手側としては、役員貸付金を「いずれ返す予定」と説明するだけでは足りません。いつ、どの原資で、いくら返済するのか、返済できない場合には価格や契約でどう扱うのかまで、整理しておく必要があります。
役員借入金を整理する
役員借入金とは、会社が役員・経営者個人から借りている資金のことです。
創業期や、資金繰りが厳しい時期に、社長が個人の資金を会社へ入れているケースは珍しくありません。会社にとってはありがたい資金ですが、M&Aでは重要な負債項目になります。
売り手側が確認しておきたいのは、次のような点です。
- 誰から借りているのか
- 借入の時期、金額、使途は何か
- 契約書はあるか
- 利息の有無、返済期日、返済実績はどうか
- 相続が発生したときの扱いはどうなるか
- 他の金融債務との優先順位はどうか
- M&A前に返済するのか
- 買い手が承継するのか
- 返済を猶予するのか
- 債務免除するのか
- 価格にどう反映するのか
買い手にとって、役員借入金は通常、負債、あるいはデットライク項目として検討されます。株式価値を算定する際に、企業価値から有利子負債等を控除する考え方をとる場合、役員借入金をどう扱うかは、価格に直結します。
たとえば、売却価格が「株式価値」として提示されている場合、役員借入金が会社に残るのか、クロージング前に返済されるのかによって、実際の手取りや会社の資金繰りが変わってきます。売り手経営者から見れば「自分が会社に貸したお金」ですが、買い手から見れば「会社が返済すべき債務」なのです。
債務免除によって帳簿上の負債を消す、という選択肢もあります。ただし、債務免除益、株価、株主間の利益移転、法人税、贈与税等の論点が出てくる可能性があります。安易に免除するのではなく、会社の損益見込み、欠損金、株主構成、売却価格との関係を確認したうえで判断すべきところです。
役員貸借は、価格調整・ネットデット・運転資本に影響する
役員貸付金・役員借入金は、単なる貸借対照表の勘定科目にとどまりません。M&Aでは、価格の前提そのものに組み込まれていきます。
買い手が「現金無借金ベース」「ネットデット調整」「正常運転資本調整」といった考え方で価格を提示する場合には、役員貸借がどの調整項目に入るのかを確認しておく必要があります。
役員貸付金は、回収可能性が低ければ、実質的な資産価値がないと見られることがあります。役員借入金は、会社が返済すべき債務として、株式価値から控除されることがあります。役員との未精算の立替金や未払金は、運転資本調整やデットライク項目として扱われることがあります。
売り手側が確認すべきなのは、提示価格の「名目」ではなく、その価格が何を前提としているか、という点です。
- 役員借入金は、価格に織り込まれているのか
- 役員貸付金は、回収済みの前提なのか
- クロージング前に、精算する前提なのか
- 精算しない場合、価格調整されるのか
- 役員退職金や未払役員報酬と相殺するのか
- 税引後の手取りに、どう影響するのか
この整理をせずに「価格は合意できた」と考えるのは、危ういことです。同じ譲渡価格でも、役員貸借の扱いによって、売り手経営者の実際の回収額やリスクは大きく変わってきます。
関連当事者取引を整理する
会社と経営者個人、親族、関連会社との取引も、M&A前に整理しておきたい重要な論点です。
代表的なものは、次のとおりです。
- 経営者個人所有不動産の賃貸借
- 親族会社への外注・仕入・販売
- 関連会社への業務委託
- 親族への役員報酬・給与
- 関連会社との貸付・借入・立替
- 保証・担保提供
- 会社資産の個人利用
- 個人資産の会社利用
- グループ内の共通経費負担
- 役員退職慰労金、生命保険、福利厚生制度
買い手は、こうした関連当事者取引を通じて、対象会社の損益が実態より良く見えていないか、あるいは悪く見えていないかを確認します。
たとえば、社長個人の不動産を会社が無償で使っている場合、M&A後に適正な賃料を支払う必要があるなら、買収後の利益は下がります。逆に、親族会社へ高い業務委託料を支払っている場合、M&A後にその支払いが不要になるなら、正常収益力は改善するかもしれません。役員報酬が市場の水準より高い、あるいは低い場合も、買い手は正常化した後の利益を見ています。
売り手側は、関連当事者取引を隠すのではなく、次のような観点で整理しておくべきです。
- 取引先は誰か
- 取引の内容は何か
- 契約書はあるか
- 金額は合理的か
- M&A後も継続する必要があるか
- 終了できるか
- 条件の変更が必要か
- 正常収益力に、どのような影響があるか
- 税務上の問題はないか
- 買い手に、どの段階で開示すべきか
関連当事者取引は、買い手にとってリスクであると同時に、事業の実態を理解する入口でもあります。売り手側が整理して説明できれば、交渉の信頼性は高まります。整理しないままDDで後から見つかると、買い手は「他にも未開示の事項があるのではないか」と考えやすくなります。
経営者保証を整理する
中小企業のM&Aで、売り手経営者にとって特に重みを持つのが経営者保証です。
経営者保証とは、中小企業が金融機関から融資を受ける際に、経営者個人が会社の連帯保証人となることをいいます。会社が融資を返済できなくなった場合には、経営者個人が返済を求められる可能性があります。
M&Aで会社を譲渡しても、経営者保証が自動的に消えるわけではありません。売り手経営者が株式を売却し、代表者を退任したとしても、保証契約が残っていれば、会社の債務について個人として責任を負い続けるリスクがあります。
売り手側が確認しておきたいのは、次のような点です。
- どの金融機関に保証しているか
- 保証の対象となる債務はいくらか
- 根保証か、特定債務保証か
- 保証の極度額はあるか
- 担保も提供しているか
- 個人不動産が担保に入っていないか
- 会社資産と個人資産の担保関係はどうなっているか
- 買い手は、保証解除に協力するのか
- 買い手側の代表者へ、保証を移すのか
- 借換によって、解除するのか
- 金融機関への相談は、いつのタイミングか
- 解除できない場合の、契約上の保護はあるか
中小企業庁は、経営者保証について、資金調達の円滑化に寄与する面がある一方で、思い切った事業展開、早期の事業再生、円滑な事業承継を妨げる要因となっているとの指摘があると説明しています。あわせて、経営者保証に関するガイドラインでは、法人と経営者の関係の明確な区分・分離、財務基盤の強化、金融機関への適時適切な財務情報の開示、という3つの要件が示されています。
ただし、経営者保証の解除や移行は、最終的には金融機関等の判断によります。中小M&Aガイドラインでも、譲り渡し側の経営者が金融債務等の保証人となっている場合には慎重な検討が必要であり、経営者保証の解除に向けて、法人と経営者の関係の区分・分離、財務基盤の強化、財務状況の正確な把握と情報開示に取り組むことが選択肢となるとされています。
ここで大切なのは、「買い手が何とかしてくれるだろう」と考えないことです。保証解除は、M&Aの重要な条件として、明示的に扱う必要があります。
経営者保証は、最終契約・クロージング条件に落とし込む
経営者保証を売り手経営者の重要条件とするのであれば、口頭での確認では不十分です。
最終契約では、次のような扱いを検討します。
- 買い手が、金融機関へ保証解除または保証移行を申し入れる義務
- 保証解除または移行を、クロージング条件とするか
- クロージング前に、金融機関から意向表明を取得するか
- 解除できない場合の、契約解除権
- 解除できない場合の、補償
- 借換による、保証解除
- 代表者変更登記と、保証解除手続の同時実行
- 保証が残る期間中の、会社運営の制限
- 売り手経営者への、情報提供義務
中小M&Aガイドラインでは、保証の解除または譲り受け側への移行を想定する場合、最終契約において買い手側の義務として位置づけ、クロージング条件や、解除・移行がなされなかった場合の解除条項・補償条項等を検討することが重要とされています。さらに、万全を期す場合には、代表者変更登記の手続と、保証の解除または移行の手続を、クロージング日に同時に実施することも考えられるとされています。
金融機関への相談は、秘密保持との関係にも注意が必要です。早すぎる相談は情報漏えいのリスクを伴いますが、遅すぎる相談は、クロージング後に保証を解除できないリスクを残します。どの金融機関に、誰が、いつ、どの範囲で相談するのかを、支援者とともに慎重に設計しておく必要があります。
担保を整理する
経営者保証と並んで確認しておきたいのが担保です。
会社の借入に対して、会社所有の資産だけでなく、経営者個人や親族の不動産が担保として提供されていることがあります。また、会社所有の資産に担保が設定されている場合には、その資産を譲渡対象に含めるのか、担保解除が必要なのかを確認しておく必要があります。
確認すべきことは、次のとおりです。
- 担保の対象となる資産は何か
- 所有者は誰か
- 担保権者は誰か
- 担保設定の原因となる債務は何か
- 極度額はいくらか
- 複数の債務にまたがっているか
- 根抵当権か
- 他の会社・関連会社の債務も担保していないか
- M&A後も、残すのか
- 解除する場合の、弁済原資は何か
- 買い手が、借換を行うのか
- 担保解除を、クロージング条件とするのか
担保は、資産の移転可否、金融機関への対応、クロージング条件に直結します。事業譲渡で担保付きの不動産や機械を移転する場合には、金融機関の承諾や弁済、担保解除が必要になることがあります。株式譲渡であっても、買い手は、会社の資産がどの債務の担保に入っているかを確認します。
売り手側は、登記事項証明書、借入契約書、担保設定契約、金融機関別の残高表を整理し、保証と担保を一体のものとして確認しておくべきです。
役員退職金・保険積立金との関係も整理する
売り手経営者がM&A後に退任する場合には、役員退職慰労金が論点になることがあります。
- 役員退職金は、売却対価とは別に支払われるのか
- 会社が支払うのか
- 買い手が承認するのか
- クロージング前に支払うのか、後に支払うのか
- 生命保険の解約返戻金を、原資にするのか
- 税務上、過大な役員退職給与とならないか
- 価格算定で、どのように扱うのか
- ネットデットや運転資本調整に、影響するのか
M&Aでは、役員退職金は価格調整や支払条件と密接に関係します。たとえば、会社に多額の保険積立金がある場合、それが役員退職金の原資なのか、会社に残す資産なのかによって、価格の見方が変わってきます。役員退職慰労金の支払いがクロージング後になる場合には、支払条件、決議手続、買い手の承認、未払計上の有無を、契約で明確にしておく必要があります。
中小M&Aガイドラインでも、最終契約で取り決める主要な内容として、譲渡対象、譲渡時期、譲渡対価、支払時期・方法、経営者・役職員の処遇、経営者保証、表明保証、補償、クロージングの前提条件等が挙げられています。
役員退職金は、売り手経営者にとって重要な手取りの論点ですが、買い手にとっては会社資金の流出です。感情的な主張ではなく、規程、在任年数、功績倍率、過去の決議、支払原資、税務上の合理性を整理しておく必要があります。
買い手は何を見ているか
売り手側が準備を進めるうえでは、買い手の見方を理解しておくことが役に立ちます。
買い手は、事業用資産・個人資産・役員貸借・経営者保証を、主に次の観点から見ています。
1. 事業継続性
買収した後も、同じ場所、同じ設備、同じ契約、同じ人員で事業を続けられるか。
個人所有の不動産に依存している場合、賃貸借の条件が固まっていなければ、買い手はリスクを感じます。関連会社からの支援に依存している場合には、その支援がM&A後も続くのかを確認します。
2. 価格の前提
提示された価格に、非事業用資産、役員貸借、保証解除のコスト、担保解除のコスト、退職金の支払、関連当事者取引の正常化による影響が含まれているか。
価格交渉では、「金額」だけでなく、「何を含む価格なのか」を確認しておく必要があります。
3. 簿外債務・偶発債務
決算書に表れていない保証、未払、訴訟、関連会社への支援、原状回復義務、退職金債務、契約解除リスクがないか。
株式譲渡では、法人格をそのまま取得するため、買い手は簿外債務や偶発債務を特に重視します。
4. 契約・クロージングの実行可能性
不動産の移転、担保解除、保証解除、金融機関の承諾、第三者の承諾、関連契約の締結が、クロージングまでに完了できるか。
未了の事項が多いと、買い手はクロージング条件を厳しくします。
5. PMIへの影響
経営者個人や親族会社との関係を切り替えた後も、業務が回るか。
会計、経理、資金繰り、賃貸借、仕入、外注、労務、ITなどが、経営者個人や関連会社に依存していた場合には、買収後の移行負担が大きくなります。
売り手側が段階別に確認すべきこと
事業用資産・個人資産・役員貸借・経営者保証は、M&Aの進行段階ごとに、確認の深さを変えていきます。
初期検討段階
この段階では、まず全体像を把握します。
会社所有の資産、個人所有の資産、関連会社所有の資産、役員貸付金、役員借入金、保証、担保、関連当事者取引を一覧化します。ここでは、まだ外部に開示する必要はありません。目的は、自社がどのような状態にあるかを、経営者自身が把握することです。
相手探し・初期資料作成前
この段階では、買い手候補に説明できる形へ整理します。
重要な事業用資産は会社所有か、個人所有か。個人所有であれば、M&A後にどのように使わせるのか。役員貸借は精算する予定か。経営者保証は解除を希望するか。非事業用資産は売却対象に含めるのか。
曖昧なまま初期資料に載せると、後の工程で説明が変わり、信頼を損なうことになります。
基本合意・DD前
この段階では、資料を準備します。
固定資産台帳、不動産登記事項証明書、賃貸借契約書、リース契約、借入契約、返済予定表、担保契約、保証契約、役員貸借の明細、関連当事者取引の一覧、保険契約、役員退職金規程、関連会社との契約、金融機関別の残高表などを整理します。
DDでは、資料の有無、整合性、説明可能性が問われます。
最終契約・クロージング前
この段階では、条件として落とし込みます。
何をクロージング前に解消するか。何をクロージング条件とするか。何を表明保証に入れるか。何を開示事項とするか。価格調整や補償に、どう反映するか。経営者保証の解除や担保解除を、どの手続で行うか。
ここで曖昧にすると、クロージングの遅延や、成立後のトラブルにつながります。
よくある誤解
「会社の株式を売るだけだから、個人不動産は関係ない」
株式譲渡では、会社の株式を譲渡します。しかし、会社の事業が個人不動産に依存している場合には、買い手はその利用を続けられるかを確認します。個人不動産が会社に移らないとしても、賃貸借契約や使用条件は、M&Aの重要な条件になります。
「役員貸付金は自分の会社だから問題ない」
M&Aの後は、自分の会社ではなくなります。役員貸付金は、買い手から見れば会社資金の流出であり、回収可能性や税務リスクのある項目です。返済・相殺・価格調整の整理が必要になります。
「役員借入金は自分が貸したお金だから、売却価格とは別に返してもらえる」
買い手から見れば、役員借入金は会社の負債です。売却価格に織り込まれているのか、別途返済されるのか、クロージング前に返済するのか。これを明確にしておかなければ、手取りの理解にズレが生じます。
「経営者保証は買い手が自動的に引き継ぐ」
保証契約は、金融機関との契約です。M&Aで株主や代表者が変わっても、保証の解除・移行には、金融機関の判断と手続が必要です。売り手側の重要条件であれば、最終契約やクロージング条件に反映しておく必要があります。
「関連当事者取引は身内の話なので開示しなくてよい」
関連当事者取引は、正常収益力、実態純資産、税務、契約、PMIに影響します。隠すよりも、事前に整理して説明できる状態にしておく方が、交渉のうえでも有利になります。
専門家が関与すべき場面
この領域は、会計・税務・法務・金融実務が重なり合うところです。
公認会計士・税理士は、役員貸借、関連当事者取引、非事業用資産、正常収益力、実態純資産、税務上の時価、役員退職金、保険積立金、価格調整への影響を整理します。
弁護士は、不動産の権利関係、賃貸借、担保、保証、契約承諾、表明保証、補償、クロージング条件、関連契約を確認します。
金融機関への対応では、保証解除、担保解除、借換、返済条件、情報開示のタイミングが重要になります。必要に応じて、事業承継・引継ぎ支援センターや中小企業活性化協議会等の公的な支援機関も、選択肢に入ってきます。
売り手側にとって大切なのは、M&Aを進めるために都合よく整理することではありません。後から説明できる状態にしておくことです。
- なぜ、この資産を会社に残すのか
- なぜ、この資産を売り手側で引き取るのか
- なぜ、この役員貸借を精算するのか
- なぜ、保証解除をクロージング条件とするのか
- なぜ、この関連当事者取引を継続するのか
- なぜ、価格調整が必要なのか
この説明ができるかどうかが、M&Aの判断品質を左右します。
まとめ:会社と経営者個人の関係を整理することは、価格交渉の前提である
事業用資産・個人資産・役員貸借・経営者保証の整理は、M&Aの付随的な作業ではありません。
中小・中堅企業では、会社の事業価値が、経営者個人の資産、信用、保証、資金支援、親族・関連会社との関係に支えられていることがあります。その状態そのものを否定する必要はありません。ただ、M&Aでは、その関係を、買い手に説明できる形へと翻訳していく必要があります。
- 会社のものか、個人のものか
- 事業に必要か、不要か
- 残すのか、切り離すのか
- 買い手に承継させるのか、売り手側で処理するのか
- 価格に含めるのか、別途精算するのか
- 保証や担保を解除するのか、移行するのか
- 契約条件に落とし込むのか、PMIで対応するのか
この整理を、相手方が現れてから始めると、交渉の主導権を失いやすくなります。売り手側は、M&Aを検討し始めた段階で、会社と経営者個人の境界を見える化しておくべきです。
事業用資産・役員貸借・経営者保証の整理について相談したい方へ
M&A前に、事業用資産、個人所有不動産、役員貸付金・役員借入金、経営者保証、担保、関連当事者取引を、どこまで整理すべきか。その答えは、会社の状況によって大きく異なります。
大切なのは、売却の直前に慌てて処理することではなく、どの論点が価格・DD・契約・クロージングに影響するのかを、早い段階で把握しておくことです。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&Aを前提とした過度な成約誘導ではなく、売り手側の立場から、財務・税務・会計・契約・実行判断に影響する論点を整理し、買い手に説明できる判断材料を整える支援を行っています。
「会社と個人の資産関係が曖昧なままM&Aを検討している」「役員貸借や経営者保証が価格や契約にどう影響するか確認したい」「相手方に開示する前に論点を整理したい」という場合は、お問い合わせページからご相談ください。
振り返り
| 確認領域 | 売り手側が確認すべきこと | M&Aで影響する主な場面 |
|---|---|---|
| 事業用資産 | 不動産、設備、車両、在庫、システム、商標等の所有者・利用権・移転可否 | DD、スキーム、価格、クロージング |
| 個人所有不動産 | 経営者・親族所有資産を会社が使っている場合の契約・賃料・継続条件 | 買収後の事業継続、関連契約、価格 |
| 非事業用資産 | 会社所有だが事業に不要な不動産、車両、会員権、保険、投資資産 | 価格調整、売却前整理、税務 |
| 役員貸付金 | 発生原因、契約、利息、返済可能性、M&A前精算の要否 | 実態純資産、税務、価格調整、表明保証 |
| 役員借入金 | 金額、返済条件、利息、返済・免除・承継の方針 | ネットデット、手取り、資金繰り、契約条件 |
| 関連当事者取引 | 親族・関連会社との賃貸借、貸付、立替、外注、保証、業務委託 | 正常収益力、税務、PMI、補償 |
| 経営者保証 | 保証先、対象債務、解除・移行・借換の方針 | 最終契約、クロージング条件、売り手最終判断 |
| 担保 | 会社資産・個人資産の担保設定、根抵当、解除条件 | 金融機関対応、資産移転、クロージング |
| 役員退職金 | 規程、支払原資、支払時期、保険積立金との関係 | 価格、支払条件、税務、契約 |
| 情報開示 | 何をいつ買い手・金融機関・専門家に開示するか | 秘密保持、DD、金融機関対応 |
| 契約反映 | 表明保証、補償、クロージング条件、関連契約にどう落とし込むか | SPA、クロージング、成立後トラブル防止 |
| 判断記録 | 処理方針、価格反映、未解消事項、専門家意見を残す | 説明責任、最終実行判断、撤退判断 |