「この会社はいくらか」
一見すると単純な問いですが、実際には複数の問いが折り重なっています。
何のために評価するのか。会社全体、事業、株式のどれを評価するのか。将来の収益力を見るのか、それとも保有資産を見るのか。売主の立場で考えるのか、買主の立場で考えるのか。そして、その金額を誰に説明するのか。
これらが曖昧なままでは、同じ「5億円」という数字を目にしても、それが何を意味する金額なのか判断できません。事業そのものの価値なのか、余剰現金や不動産を含む会社全体の価値なのか、有利子負債を差し引いた株主の取り分なのか。あるいは、交渉の結果として提示された希望価格なのか。どれであるかによって、受け止め方は大きく変わってきます。
価格とは、売り手と買い手の間で決定された値段です。これに対して価値とは、評価対象会社から創出される経済的便益であり、評価目的、当事者の立場、経営権取得の有無などによって多面的になり得るものです。この整理は、日本公認会計士協会のガイドラインにおいても示されています。
出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン
第1テーマ「価値と価格の基本設計」は、このシリーズ全体の入口にあたります。DCF法やマルチプル法の計算に入る前に、まず「何を、何の目的で、誰の立場から評価しているのか」を整理しておきます。
企業価値評価の役割は、取引価格を一つに決めることではありません。 どの前提なら、どの程度の価値になり、どこに判断の幅があり、どの条件なら取引を受け入れられるのか。それを明らかにすることです。
このテーマで整理する5つの問い
第1テーマでは、企業価値評価の入口となる5つの問いを、5本の詳細コラムに分けて整理していきます。
最初の問いは、そもそも企業価値評価を何のために行うのか、ということです。
次に、前提条件に基づいて算定される「価値」と、売主・買主の交渉を経て決まる「価格」を分けます。
そのうえで、M&A、事業承継、資本政策、組織再編、税務、会計など、評価目的が違えば、確認すべき前提や説明先も変わることを整理します。
さらに、事業価値、企業価値、株主価値、株式価値という、混同されやすい価値概念の位置関係を確認します。
最後に、売主から見た価値、買主から見た価値、第三者に説明できる価値を分けたうえで、なぜ同じ会社でも価格目線が一致しないのかを考えます。
この順序で読み進めていただくことで、評価額を単なる「査定結果」としてではなく、意思決定、価格交渉、取締役会・株主・金融機関・後継者への説明に使うための土台が整います。
企業価値評価は、3つの段階に分けて考える
企業価値評価を実務判断に使うには、論点を3つの段階に分けて考える必要があります。
第1段階は、評価の設計を決めること
最初に決めるのは、評価手法ではありません。
評価目的、評価対象、評価基準日を明確にし、誰が何の意思決定に使うのかを整理します。
同じ非上場会社の株式を評価する場合でも、第三者へのM&A、親族内承継、少数株主からの買取り、自己株式取得、合併比率の算定では、問題となる価値が同じとは限りません。評価目的が異なれば、利用資料、前提条件、評価手法、そして説明すべき相手も変わってきます。
企業価値評価を実施する際には、評価目的、評価対象、評価基準日を明確にすべきこと。そして評価は、依頼人の意思決定を補助する業務であって保証業務ではないこと。日本公認会計士協会のガイドラインも、この点を示しています。
出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン
第2段階は、どの価値を算定しているのかを分けること
評価対象が決まったら、次に価値概念を切り分けます。
このシリーズでは、事業から創出される価値を「事業価値」、事業価値に非事業資産を加えた企業全体の価値を「企業価値」、そこから有利子負債など株主以外に帰属する価値を控除したものを「株主価値」と整理します。さらに、評価対象となる株式数、持分割合、支配権、少数持分、種類株式などを踏まえ、個別の「株式価値」へとつなげていきます。
ただし実務では、「企業価値」という言葉が事業価値と同じ意味で使われる場合もあります。用語だけを見て判断するのではなく、その金額に非事業資産が含まれているのか、有利子負債が控除されているのかを、その都度確認しなければなりません。
この切り分けを行わないまま「企業価値は3億円」とだけ聞いても、それが株式譲渡価格の目安になるかどうかは判断できないのです。
第3段階は、評価額を取引判断へ接続すること
評価額が算定されても、取引価格が自動的に決まるわけではありません。
実際の取引では、売主の希望、買主の投資上限、シナジー、競争環境、DDで把握したリスク、支払方法、税務影響、個人保証、非事業資産の取扱いなど、さまざまな要素が価格判断に影響します。
売主が考える価値、対象会社単独の価値、買主がシナジーを含めて考える価値。これらが一致しないのは、むしろ通常のことです。取引価格は、その差をどのように分配し、どのリスクを誰が負担するかという交渉を通じて形成されていきます。
したがって評価額を見るときには、「算定結果はいくらか」だけで終わらせてはいけません。「誰の立場の価値か」「どの前提が含まれているか」「最終価格との差を何が説明するのか」まで確認する必要があります。
第1テーマの詳細コラムと推奨する読む順番
ここからは、第1テーマに含まれる5本の詳細コラムを、推奨する順番に沿ってご案内します。
1-1. 企業価値評価とは何か|価格を当てる作業ではなく、判断材料を整える作業
最初のコラムでは、企業価値評価の役割そのものを整理します。
企業価値評価は、「正しい売買価格」を一つ算出する作業ではありません。評価目的と前提条件を明らかにし、取引を進めるか、提示価格を受け入れるか、どの条件を再確認するか。こうした判断のための材料を整える作業です。
評価額を売買価格と同じものだと考えている場合。あるいは、仲介会社から提示された金額をどう受け止めればよいか分からない場合。このコラムから読み始めることをおすすめします。
読み終えた後には、企業価値評価を「査定」ではなく、意思決定・交渉・説明責任のための経営判断インフラとして捉える土台ができているはずです。
1-2. 価値と価格の違い|評価額・希望価格・取引価格を混同しないための基本
2本目のコラムでは、このシリーズで最も重要な「価値と価格の違い」を扱います。
評価額は、一定の前提条件に基づいて算定された判断材料です。一方、売主希望価格、買主許容価格、最終的な合意価格には、当事者の事情、交渉力、競争環境、支払条件、リスク分担などが反映されます。
評価額より高い価格で取引されることもあれば、低い価格で取引されることもあります。重要なのは、評価額と取引価格が違うこと自体ではありません。その差を説明できるかどうかです。
「算定書では3億円なのに、なぜ提示価格は4億円なのか」「希望価格を評価額として説明してよいのか」。こうした疑問をお持ちの方は、このコラムを先に確認してください。
1-3. 評価目的の違い|M&A、承継、資本政策、組織再編で価値が変わる理由
3本目のコラムでは、同じ会社でも評価目的によって価値が変わり得る理由を整理します。
M&Aの取引判断、親族内承継、自己株式取得、増資、合併・株式交換などの組織再編、税務上の時価、会計上の公正価値。これらはそれぞれ、目的と制度的背景が異なります。
そのため、ある目的で算定した評価額を、別の目的にそのまま流用できるとは限りません。M&Aで当事者間が合意した価格と、税務・会社法・会計上検討すべき価値。この二つを混同すると、後から説明が難しくなることがあります。
このコラムでは、制度ごとの詳細計算には立ち入りません。取引目的、税務目的、会社法目的、会計目的、内部意思決定目的をどのように切り分けるかを扱います。
事業承継、親族間取引、自己株式取得、組織再編など、M&A以外の目的も含めて株価を検討している方にとって、重要な入口となるはずです。
1-4. 事業価値・企業価値・株主価値・株式価値の違い
4本目のコラムでは、評価対象となる価値の階層を整理します。
EV、企業価値、株主価値、株式価値、譲渡価格。これらの用語は実務で頻繁に使われる一方、資料や説明者によって意味が異なる場合があります。
このコラムでは、事業が生み出す価値、非事業資産、余剰資金、有利子負債、株主に帰属する価値、1株当たりの価値という順に、全体構造を確認していきます。
事業価値は事業から創出される価値、企業価値は事業価値に非事業資産を加えた企業全体の価値、株主価値は企業価値から有利子負債等を控除した株主に帰属する価値。日本公認会計士協会のガイドラインも、この三者を区別しています。
出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン
「EVから株式譲渡価格にどうつながるのか分からない」「現預金や借入金をどこで調整するのか分からない」。そうお考えの方は、このコラムを読むことで、その後のDCF法、マルチプル法、ネットデット調整が理解しやすくなります。
1-5. 売主の価値・買主の価値・第三者に説明できる価値
最後のコラムでは、評価する立場による価値の違いを扱います。
売主は、自社の将来性、これまでの投資、売却しない場合の選択肢、希望条件を踏まえて価値を考えます。一方の買主は、対象会社単独の収益力、DDで把握したリスク、自社とのシナジー、追加投資、必要な投資リターンを踏まえて価値を考えます。
立っている場所が違う以上、売主と買主の価格目線が一致しないこと自体は、不自然なことではありません。
ただし、社内承認、金融機関への説明、株主への説明、後継者との協議などを考えれば、一方の希望だけに寄せた金額では不十分です。前提資料、採用手法、事業計画、リスク、シナジーの取扱いを示し、第三者が判断過程を追える状態にしておく必要があります。
「売主と買主の評価額が大きく違う」「シナジーをどこまで価格に含めてよいか分からない」「取締役会や金融機関に提示価格を説明したい」。such なお悩みをお持ちの方に適したコラムです。
迷った場合は、1-1から順番に読む
企業価値評価を初めて体系的に整理される場合は、1-1から1-5まで順番に読み進めることをおすすめします。
1-1で企業価値評価の役割を理解し、1-2で価値と価格を分け、1-3で評価目的を確認する。その後、1-4で評価対象となる価値概念を整理し、1-5で売主・買主・第三者の立場へと接続していく。
この順番を飛ばして、いきなりDCF法やEBITDA倍率を見てしまうと、算定している金額が事業価値なのか株式価値なのか、取引価格としてどこまで使えるのかが分からなくなりやすいためです。
現在の課題に応じて、途中から読んでもよい
すでに具体的な提示価格を受け取っている場合。まず1-2で評価額と取引価格を分け、次に1-4で提示額がどの価値を示しているかを確認し、1-5で売主・買主の前提差を整理するとよいでしょう。
事業承継、親族間取引、自己株式取得、組織再編を検討している場合。1-3から読み始めることで、M&A価格と税務・会社法・会計上の評価を混同しにくくなります。その後、1-4で評価対象を確認してください。
「企業価値3億円」「EV4億円」「株式価値2億円」など複数の金額が提示され、その関係が分からない場合。1-4を先に読むのが適しています。
売主と買主で価格目線が合わず、どちらの評価を基準にすべきか悩んでいる場合。1-5から確認することで、双方の前提差を整理できます。
このテーマだけでは、まだ評価額は算定できない
第1テーマを読んでも、具体的な企業価値が直ちに算定できるわけではありません。
企業価値評価では、評価目的と価値概念を整理した後に、評価対象、評価基準日、利用資料、正常収益力、事業計画、運転資本、設備投資、非事業資産、有利子負債、簿外債務などを確認する必要があります。
そのうえで、インカム・アプローチ、マーケット・アプローチ、ネットアセット・アプローチのうち、評価目的と会社の実態に適した手法を選びます。バリュエーション手法は大きくこれら3つに分類され、判断が難しい場合にはM&Aを専門とする公認会計士等との連携が必要とされています。
出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)
第1テーマの役割は、評価計算を始める前に、計算の入口を間違えないようにすることにあります。
第1テーマの次に読むべきテーマ
第1テーマを読み終えた後は、第2テーマ「評価対象と前提資料の整理」へ進みます。
そこでは、会社全体、事業、株式、一部持分のどれを評価するのか。いつ時点の会社を、どの資料で評価するのか。決算書をどこまで信頼できるのか。こうした点を整理します。
続く第3テーマ「正常収益力と事業計画」では、直近期の利益をそのまま使うのではなく、一過性損益、役員報酬、オーナー依存、運転資本、設備投資などを踏まえて、継続的な稼ぐ力を検討します。
DCF法、マルチプル法、時価純資産法などの評価手法へ進むのは、その後です。
評価手法を先に選ぶのではなく、評価目的、評価対象、資料、財務実態を先に整える。この順序を守ることが、見せたい金額に数字を寄せず、後から説明できる評価につながります。
このテーマを読む前後で、判断はどう変わるか
第1テーマを読む前は、「この会社の相場はいくらか」「仲介会社の提示額は妥当か」「純資産の何倍なら適正か」といった、一つの数字を探す問いになりがちです。
第1テーマを読み終えた後は、問いを次のように分解できるようになります。
- その金額は価値か、希望価格か、合意価格か
- 評価目的は何か
- 評価対象は事業か、会社全体か、株式か
- 非事業資産や有利子負債は含まれているか
- 売主の前提と買主の前提はどこが違うか
- 第三者に説明するには、どの資料が不足しているか
この分解ができれば、評価額を無条件に信じることも、感覚だけで否定することもなくなります。
重要なのは、評価額を一つの正解として扱うことではありません。その評価額がどの前提から導かれ、取引価格判断のどこまでを支えられるのか。それを見極めることです。
価値と価格の前提整理に不安がある場合はご相談ください
企業価値評価を検討するとき、最初から高度な評価モデルが必要とは限りません。
一方で、評価目的、評価対象、価値概念、売主・買主の立場が曖昧なまま案件を進めてしまうと、後になって「見ていた金額が違った」「借入金が調整されていなかった」「税務上の時価とM&A価格を混同していた」といった問題が生じやすくなります。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A、事業承継、資本政策、組織再編における企業価値・株式価値について、評価額を出す前の論点整理から支援しています。
提示された金額が何を意味するのか確認したい。売主・買主の価格目線の差を整理したい。金融機関・株主・後継者に説明できる評価の考え方を整えたい。そうお考えの場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。
第1テーマ「価値と価格の基本設計」の振り返り
| 確認する論点 | このテーマでの位置づけ | 対応する詳細コラム |
|---|---|---|
| 企業価値評価の役割 | 価格を決める作業ではなく、意思決定・交渉・説明のための判断材料を整える | 1-1 |
| 価値と価格の違い | 評価額、希望価格、買主許容価格、合意価格を混同しない | 1-2 |
| 評価目的 | M&A、承継、資本政策、組織再編、税務、会計など、何のための評価かを明確にする | 1-3 |
| 価値概念 | 事業価値、企業価値、株主価値、株式価値の階層を整理する | 1-4 |
| 当事者の立場 | 売主価値、買主価値、シナジー、交渉余地、第三者への説明可能性を分ける | 1-5 |
| 推奨する読む順番 | 企業価値評価の役割から始め、価値と価格、目的、対象、立場の順に理解する | 1-1 → 1-2 → 1-3 → 1-4 → 1-5 |
| このテーマの到達点 | 評価額を絶対解ではなく、前提条件に基づく説明可能な判断レンジとして受け止められる状態にする | 第1テーマ全体 |