純資産・時価純資産・非事業資産|貸借対照表を企業価値・株式価値へつなぐ判断地図

決算書の純資産が2億円だから、会社の価格も2億円になる。あるいは、営業利益やEBITDAから事業価値を算定したのだから、貸借対照表の資産や負債まで細かく見る必要はない。

どちらも、M&Aの価格判断においては危うい考え方です。

純資産は、会社がこれまで積み上げてきた財務的な結果を示す数字です。ただ、貸借対照表に計上された金額が、そのまま現在の経済価値を表しているとは限りません。土地に含み益が眠っていることもあれば、在庫に評価損が潜んでいることもあります。十分な現預金があるように見えても、その大部分が事業の継続に欠かせない運転資金である、というケースも珍しくありません。

反対に、決算書には載っていない退職給付、保証、訴訟、原状回復、未払税金などが、将来の株主価値を静かに削っていくこともあります。

第6テーマ「純資産・時価純資産・非事業資産」では、貸借対照表を単に読むのではなく、会社の資産・負債を、現在の価値、事業との関係、換金可能性、将来の支出リスクという観点から組み替え、企業価値から株主価値へつなぐ方法を整理していきます。

このページは、個別資産の評価方法や計算手順を詳しく解説するものではありません。第6テーマで確認すべき論点の全体像と、5つの詳細コラムの役割、そして読む順番をご案内するテーマトップです。

このテーマで整理するのは「決算書の純資産」ではなく「株主に帰属する実質的な価値」

純資産を出発点として会社の価値を考えるとき、まず区別しておきたいのが、次の4つです。

簿価純資産は、会計帳簿に計上された資産から負債を差し引いた金額です。

時価純資産は、資産・負債を評価目的に応じた現在の価値へ見直した後の純資産です。

事業価値は、会社の事業が将来生み出すキャッシュ・フローに基づく価値です。

株主価値は、事業価値に非事業資産等を加え、有利子負債や負債類似項目等を控除した後、最終的に株主へ帰属すると考えられる価値です。

この4つは、互いに無関係な金額ではありません。しかし、同じものでもありません。

このテーマで扱う論点は、概念としては次の流れに沿っています。

貸借対照表上の資産・負債を確認する ↓ 帳簿価額と実態・時価との差を整理する ↓ 事業用資産と非事業資産を切り分ける ↓ 有利子負債・簿外債務・偶発債務を確認する ↓ 事業価値、時価純資産、株主価値の関係を説明できる状態にする

ここで大切なのは、純資産法だけで会社の価格を決めることではありません。

貸借対照表に何が含まれ、何が含まれていないのか。どの資産がすでに事業価値の中に反映されており、どの負債を別途控除する必要があるのか。それらを一つひとつ整理していくことにあります。

純資産は「価格の答え」ではないが、見なくてよい数字でもない

企業価値評価には、大きく分けて3つのアプローチがあります。将来収益を基礎とするインカム・アプローチ、市場価格や類似会社を基礎とするマーケット・アプローチ、そして貸借対照表上の資産・負債に着目するネットアセット・アプローチです。

日本公認会計士協会の「企業価値評価ガイドライン」も、この3つを基本的な評価アプローチとして整理しています。そのうえで、評価目的、対象会社の状況、業種特性などを踏まえ、適切なアプローチを選ぶ必要があるとしています。ネットアセット・アプローチには、簿価純資産法や時価純資産法が含まれます。
出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

ネットアセット・アプローチは、実在する資産・負債を基礎とするため、比較的客観的に検討しやすい手法です。その一方で、将来の収益力、成長性、顧客基盤、技術、組織力といった要素を十分に表しにくいという限界もあります。

そのため継続企業のM&Aでは、DCFやマルチプルによる評価を置き換えるというより、財務実態の確認や評価結果のクロスチェックに用いる場面が少なくありません。

中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、バリュエーションは企業または事業の価値を定量的に評価するものであり、その評価額は譲渡額を決める際の目安の一つと位置づけられています。あわせて、企業の実態や事業特性に応じて評価手法を選ぶという考え方が示されています。
出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

したがって、「純資産が多いから高い」「収益力が低いから安い」と単純化するのではなく、収益価値と資産価値がなぜ異なるのかを分析することが必要になります。

その差異自体が、遊休資産の存在、資産効率の低さ、簿外債務、含み益、設備更新負担などを物語っていることがあるからです。

第6テーマの論点地図

第6テーマは、5つの詳細コラムで構成されています。読む順番は、原則として次のとおりです。

6-1で純資産評価の意味を理解し、6-2で帳簿価額を実態・時価へ引き直します。その後、6-3で加算側の論点、6-4で控除側の論点を確認し、最後に6-5で収益価値と資産価値の使い分けを考えます。

この順番で読み進めることで、貸借対照表の数字をそのまま会社価格へ直結させるのではなく、どの金額を、どの理由で、どの価値へ反映するのかを段階的に整理できるようになります。

6-1. 純資産で会社を評価するとはどういうことか

最初に確認するのは、「純資産額を会社の価格と考えてよいのか」という基本論点です。

このコラムでは、簿価純資産、時価純資産、清算価値、継続価値の違いを整理します。純資産を価格の下限と考えてよい場合と、必ずしもそうとは限らない場合があることも、評価前提との関係から確認していきます。

純資産法が何を評価しているのかを理解しないまま、土地や現預金だけを価格へ足したり、純資産額を希望価格の根拠にしたりすると、その後の議論は崩れてしまいます。

まずはこのコラムで、ネットアセット・アプローチの役割と限界を押さえてください。

6-2. 時価純資産法|資産・負債をどこまで時価修正するか

純資産評価の意味を理解したら、次は貸借対照表の各項目をどこまで見直すべきかを考えます。

土地、有価証券、棚卸資産、固定資産、保険積立金、売掛金などは、帳簿価額と経済的な価値が食い違うことがあります。負債側でも、退職給付、引当金、未払費用、資産除去債務などについて、計上額が実態を表しているかを確認しなければなりません。

時価純資産法は、すべてを無条件に市場価格へ置き換える作業ではありません。評価目的、継続前提、資産の使用状況、処分可能性、税負担などによって、見直し方は変わってきます。

個別資産の細かな評価方法ではなく、どの項目に時価修正の必要性があり、なぜ確認するのかを把握したい方は、このコラムへお進みください。

6-3. 非事業資産と余剰資金|事業価値に足すべきもの、足すべきでないもの

DCFやEV/EBITDA倍率から事業価値を算定した後、現預金や不動産、有価証券をどこまで加算するか。この判断は、株主価値を大きく左右します。

ただし、貸借対照表に現預金があるからといって、その全額が余剰資金になるわけではありません。日々の支払い、季節変動、設備投資、借入返済に必要な資金は、事業を維持するための資金です。

同様に、不動産、有価証券、保険積立金、関連会社株式についても、「本業以外の資産だから非事業資産」と一律に扱うことはできません。

評価実務では、フリー・キャッシュ・フローの獲得に貢献しているか、事業を損なわずに処分できるか、処分価値を別途評価すべきか。こうした観点から切り分けていきます。

現預金が多い会社、遊休不動産を持つ会社、投資有価証券や保険契約が多い会社では、特に重要なコラムです。

6-4. 有利子負債・簿外債務・偶発債務|企業価値から株主価値へ移るときの控除項目

株主価値を考えるとき、借入金だけを控除すればよいとは限りません。

リース債務、未払税金、未払賞与、退職給付、保証、訴訟、環境債務、原状回復義務、長期滞留している未払金などは、実質的に買主が引き受ける負担となる可能性があります。

一方で、通常の運転資本に含まれる買掛金や未払費用まで一律に控除してしまうと、運転資本調整や事業価値の前提と重複することがあります。

このコラムでは、負債、負債類似項目、簿外債務、偶発債務を区別したうえで、どの項目を株主価値から控除するのか、価格で調整するのか、契約で保護するのかを考えるための入口を整理します。

借入一覧だけでは会社の実質負担を把握できない。そう感じている方は、このコラムから確認してください。

6-5. 資産超過会社・不動産保有会社の評価|収益力と資産価値のどちらを見るべきか

第6テーマの最後に、収益価値と資産価値の使い分けを整理します。

不動産、現預金、有価証券などを多く保有する会社では、DCFやマルチプルによる収益価値と、時価純資産法による資産価値が大きく異なることがあります。

そのときに、「高い方を採用する」「両者を平均する」といった機械的な処理をしても、説明可能な価格にはなりません。

重要なのは、不動産が本業に不可欠なのか、処分できるのか、会社自体が不動産収益を得る事業体なのか、含み益に対応する税負担があるのか、清算ではなく継続を前提とするのか。こうした点を見極めることです。

資産面と収益面のどちらかを選ぶのではなく、両者の差が生じる理由を分析したい方に向けたコラムです。

課題に応じて、どのコラムから読むべきか

「純資産額をそのまま会社価格としてよいのか分からない」という方は、6-1から読み始めてください。純資産評価の役割を理解しないまま個別資産の調整へ進むと、評価の目的を見失いやすくなります。

「土地や在庫、有価証券の帳簿価額が実態と合っていない」と感じている方は、6-2が中心になります。決算書のどこに含み損益が潜みやすいかを整理できます。

「現預金が多いのに、提示された株式価値へ十分反映されていない」と感じている方は、6-3をご確認ください。現預金の全額が余剰資金ではない理由と、非事業資産の識別が論点になります。

「借入金以外に何を価格から差し引くのか分からない」という方は、6-4へお進みください。簿外債務や偶発債務を含め、負債類似項目の範囲を整理します。

「不動産や純資産は多いが、利益が小さい会社をどう評価するのか」という方は、6-5が適しています。収益価値と資産価値が一致しないときの判断軸を確認できます。

第6テーマと、ほかのテーマとの境界

第6テーマで扱うのは、M&Aや内部意思決定における企業価値・株式価値のための資産負債評価です。

相続、贈与、親族間取引、同族関係者間取引、自己株式取得などで問題となる税務上の時価や、会社法上の公正価格は、第8テーマ「非上場株式・税務上の時価・会社法上の評価」で扱います。

同じ「時価」や「純資産価額」という言葉を使っていても、M&Aの取引価値、相続税評価、法人税・所得税上の時価、会社法上の公正価格は、目的も前提も同一ではありません。取引当事者、評価目的、評価基準日、支配権の有無を確認しないまま、金額だけを転用しないことが必要です。

企業価値から実際の株式譲渡価格へ移る際のネットデット調整、キャッシュフリー・デットフリー、クロージング時の価格調整については、第9テーマ「取引価格・交渉・価格調整」で詳しく扱います。

また、買収後に取得原価を資産・負債・無形資産・のれんへ配分するPPAは、第11テーマの論点です。第6テーマの時価純資産法は買収前の価値・価格判断、第11テーマのPPAは買収後の企業結合会計。そこには役割の違いがあります。

なお、具体的な税務・会計・会社法上の取扱いは、評価基準日、取引スキーム、当事者関係、適用する会計基準、最新の法令・通達等によって変わります。実際の取引では、個別の確認が欠かせません。

貸借対照表を見るときに、最初に確認したい5つの問い

自社や対象会社について第6テーマを読み進める前に、次の問いを考えてみてください。

帳簿上の資産は、実在し、回収または利用できる状態にあるか。

売掛金や貸付金が計上されていても、回収できなければ価値は下がります。在庫や設備も、帳簿にあることと経済価値があることは別です。

現預金のうち、事業を継続するために必要な金額はいくらか。

月末残高だけではなく、資金繰り、季節性、支払条件、設備投資、最低運転資金を確認する必要があります。

不動産や有価証券は、本業の収益を生むために使われているか。

事業価値にすでに反映されている資産を別途加算すると、価値の二重計上になることがあります。

借入金以外に、買主が将来負担する支出はないか。

退職金、未払税金、保証、訴訟、原状回復、環境対応、契約解除費用などは、貸借対照表だけでは十分に把握できないことがあります。

収益価値と資産価値が異なる理由を説明できるか。

差があること自体は、不自然ではありません。差の原因を説明できないことが問題なのです。

これらの問いへの答えが曖昧であれば、純資産額や簡易査定額だけで価格判断を進める段階ではありません。

第6テーマの先にあるのは、評価額ではなく説明可能な価格判断

資産・負債の確認は、貸借対照表をきれいに整えるためだけに行うものではありません。

売主にとっては、非事業資産や含み益を適切に価格へ反映し、会社の価値を過小に見られないための基礎になります。

買主にとっては、簿外債務や回収不能資産を見落とさず、取得後に想定外のキャッシュアウトを負わないための確認になります。

株主、後継者、金融機関、取締役会などへの説明の場面では、「純資産がいくらあるか」だけでは足りません。どの資産をどの価額で評価し、何を非事業資産として加え、どの負債を控除し、どの前提で収益価値と比較したのか。そこまで示す必要があります。

評価額を一つ出すことよりも、その内訳と前提を説明できる状態を作ること。それが、重要な取引判断では欠かせません。

純資産・非事業資産・負債調整を一体で整理したい方へ

土地や現預金が多い会社、関連当事者取引が残る会社、借入金以外の潜在債務が懸念される会社。こうしたケースでは、個別項目を別々に確認するだけでは、株式価値へ正しくつながりません。

事業価値、時価純資産、余剰資金、非事業資産、有利子負債、負債類似項目を、同じ基準日・同じ取引前提で整理し、二重計上や調整漏れがないかを確認する必要があります。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、決算書の表面的な金額だけでなく、資産・負債の実態、事業との関係、税務上の影響、取引条件への反映までを分解し、企業価値・株式価値を経営判断に使える状態へ整える支援を行っています。

仲介会社等から提示された金額の内訳が分からない場合や、純資産額と収益価値の差をどう説明すべきか迷っている場合は、評価額を確定する前に論点を整理しておくことが有効です。

この記事の振り返り

論点このテーマで押さえること次に読む詳細コラム
純資産評価の基本純資産は重要な判断材料だが、そのまま会社価格になるとは限らない6-1
帳簿価額と実態の差資産・負債を評価目的、継続前提、処分可能性に応じて見直す6-2
加算すべき項目余剰現金や遊休資産など、事業価値に含まれない非事業資産を識別する6-3
控除すべき項目借入金だけでなく、負債類似項目、簿外債務、偶発債務を確認する6-4
収益価値と資産価値資産超過会社や不動産保有会社では、両者の差が生じる理由を分析する6-5
税務・会社法との区別M&A価値と税務上の時価、会社法上の公正価格を混同しない第8テーマ
取引価格への接続非事業資産と負債調整を、ネットデットや最終価格調整へつなげる第9テーマ
PPAとの区別第6テーマは買収前の価格判断、第11テーマは買収後の取得原価配分第11テーマ