リスク評価は、監査計画書やリスク評価表に記載した時点で完結するものではありません。
監査上の重要性を設定し、重要な虚偽表示リスクを識別し、特別な検討を必要とするリスクを判断する。そこまで進めたとしても、それが監査手続の種類・時期・範囲に反映されていなければ、リスク評価は監査意見を支える判断にはなりません。
実務で問題になるのは、リスク評価そのものよりも、その後の「手続への落とし込み」です。
たとえば、次のような調書は、一見すると整って見えます。
- 「売上の期間帰属リスクは高い」
- 「棚卸資産の評価リスクは高い」
- 「減損は見積りの不確実性が高い」
- 「内部統制に依拠する方針である」
- 「詳細テストを実施した」
- 「差異なし」
しかし、審査担当者や外部レビューの視点は、ここで止まりません。
- なぜそのリスクに対して、その手続で足りると判断したのか
- 内部統制に依拠するなら、どの統制がどのアサーションに対応しているのか
- 実証手続だけで十分か。実証手続だけでは足りない領域はないか
- 期中で実施した手続を、期末日までどう更新したのか
- 入手した証拠は、量だけでなく質として十分か
- 矛盾する証拠や、経営者の説明と合わない情報をどう扱ったのか
これらに答えられて初めて、リスク対応手続は監査判断として機能します。
監査基準報告書330は、監査人の目的を、評価した重要な虚偽表示リスクへの適切な対応を立案・実施し、そのリスクについて十分かつ適切な監査証拠を入手することとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
本稿では、リスク対応手続を「監査手続の一覧」としてではなく、「評価したリスクに対して、どの証拠を、どの深度で、どの時点で入手するかを設計する判断」として整理していきます。
リスク対応手続は、リスク評価の結論ではなく、監査証拠形成の設計である
リスク対応手続とは、監査リスクを許容可能な低い水準に抑えるために、識別・評価したアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクに対応して立案・実施する監査手続です。監査基準報告書330では、リスク対応手続は運用評価手続と実証手続で構成されると定義されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
ここで押さえておきたいのは、リスク対応手続が「作業項目」ではなく「リスクへの回答」だという点です。
同じ売上高の監査であっても、識別したリスクが異なれば、手続もまた異なります。
| 識別したリスク | 中心となるアサーション | 手続設計の方向性 |
|---|---|---|
| 架空売上 | 発生 | 外部証拠、入金、契約、出荷・検収証憑、取引実在性の確認 |
| 期末売上の前倒し | 期間帰属 | カットオフテスト、期末前後取引、検収日、出荷日、請求日、返品状況 |
| 売上の網羅性不足 | 網羅性 | 出荷記録・検収記録から売上計上への追跡、未請求売上の検討 |
| 変動対価の過大見積り | 評価 | リベート、返品、値引、達成条件、過年度実績、後発情報 |
| 本人・代理人判断の誤り | 表示・分類 | 契約条件、価格決定権、在庫リスク、履行責任、純額・総額表示 |
「売上の実証手続を実施した」という記載だけでは、どのリスクに対応したのかが見えてきません。リスク対応手続は、取引種類、勘定残高、注記事項とアサーションの組合せまで分解したうえで設計する必要があります。
まず財務諸表全体レベルのリスクに対する全般的対応を設計する
リスク対応手続と聞くと、すぐに勘定科目別の詳細テストへ意識が向きがちです。
しかし、最初に整理すべきは、財務諸表全体レベルの重要な虚偽表示リスクに対する全般的対応です。
監査基準報告書330は、監査人が評価した財務諸表全体レベルの重要な虚偽表示リスクに応じて、全般的な対応を立案・実施しなければならないとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
財務諸表全体レベルのリスクは、個別勘定だけで完結するものではありません。たとえば、次のような状況が挙げられます。
- 経営者による利益目標達成圧力が強い
- 資金繰り、財務制限条項、上場維持、IPO、M&Aなどの外部要因がある
- 経理部門が脆弱で、決算・開示プロセスに属人性が高い
- 期中にCFO、経理責任者、情報システム責任者が交代している
- 重要なシステム移行や組織再編があった
- 監査対応資料の提出遅延、説明の一貫性欠如、経営者の防御的姿勢がある
- 内部統制不備が複数領域で発見されている
こうした状況では、売上、棚卸資産、固定資産、税効果といった個別勘定の手続を積み増すだけでは足りません。
全般的対応としては、たとえば次のような設計が考えられます。
| 全般的対応の領域 | 実務上の設計例 |
|---|---|
| 監査チーム編成 | 経験あるメンバーの配置、専門家利用、IT・税務・評価チームとの連携 |
| 職業的懐疑心 | 経営者説明をそのまま受け入れず、外部証拠・反証証拠を重視する |
| 監督・査閲 | 高リスク領域の早期レビュー、審査担当者との事前協議 |
| 手続の時期 | 期末日近くでの手続実施、期中手続のロールフォワード強化 |
| 手続の予測不能性 | 期末仕訳、例外取引、少額だが異常な取引への着目 |
| コミュニケーション | 監査役等への早期共有、未解決論点の課題管理 |
| 会社対応 | 監査資料依頼、経営者確認事項、開示資料との整合確認 |
財務諸表全体レベルのリスクが高いにもかかわらず、前年と同じチーム、同じ時期、同じ手続、同じレビュー体制で監査を進めてしまう。そうなると、リスク評価と監査アプローチはそこで切断されます。
全般的対応は、「監査の姿勢」を調書に書き残すためのものではありません。監査資源、時期、査閲、証拠の強度、関係者とのコミュニケーションを実際に変えるための判断です。
アサーション・レベルでは「種類・時期・範囲」を具体化する
財務諸表全体レベルの全般的対応を設計したら、次はアサーション・レベルのリスク対応手続に進みます。
監査基準報告書330は、評価したアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクに応じて、リスク対応手続の種類、時期及び範囲を立案・実施することを求めています。あわせて、リスク対応手続の立案にあたっては、固有リスク、統制リスク、リスクの程度が高いほどより確かな心証が得られる監査証拠を入手することを考慮する必要があるとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
ここでいう「種類・時期・範囲」は、監査手続設計の中心概念です。
| 設計要素 | 実務上の問い |
|---|---|
| 種類 | 質問、閲覧、観察、確認、再計算、再実施、分析的手続、詳細テスト、専門家利用のどれを組み合わせるか |
| 時期 | 期中で足りるか、期末日近くで実施すべきか、期中手続を期末までどう更新するか |
| 範囲 | 母集団、抽出方法、サンプル数、対象期間、対象拠点、対象取引類型をどう決めるか |
手続の種類を増やしただけでは、リスク対応にならないことがあります。
たとえば、売上の架空計上リスクに対して、社内稟議書、請求書、売上台帳だけを閲覧しても、外部当事者との取引実在性を十分に裏付けられない場合があります。棚卸資産の評価リスクに対して、数量テストだけを厚くしても、滞留、陳腐化、正味売却価額、原価計算の異常には対応しきれません。
リスク対応手続は、「どの手続をしたか」ではなく、「そのリスクに対して、どのような証拠力を持つ手続を組み合わせたか」で評価されるものです。
運用評価手続を実施するかどうかは、内部統制に依拠する判断である
リスク対応手続の設計で最も誤解されやすいのが、運用評価手続です。
運用評価手続は、内部統制の存在を確認する手続ではありません。アサーション・レベルの重要な虚偽表示を防止又は発見・是正する内部統制について、その運用状況の有効性を評価するために立案・実施する監査手続です。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
実務上、運用評価手続を実施すべき典型的な場面は、次の二つです。
第一に、監査人が実証手続の種類・時期・範囲を決定するにあたり、内部統制が有効に運用されていることを前提とする場合。第二に、実証手続のみではアサーション・レベルで十分かつ適切な監査証拠を入手できない場合です。監査基準報告書330は、このいずれかに該当するときは、内部統制の運用状況の有効性に関する十分かつ適切な監査証拠を入手する運用評価手続を立案・実施しなければならないとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
この点は、次のように整理できます。
| 状況 | 運用評価手続の必要性 |
|---|---|
| 内部統制に依拠して実証手続を縮小・前倒しする | 原則として必要 |
| 実証手続だけでは十分な証拠を得られない | 必要 |
| 内部統制監査で評価対象だから財務諸表監査でも必ず依拠する | 直ちにはそうならない |
| 内部統制が整備されているが、運用状況を検証していない | 依拠できない |
| 実証手続のみで十分かつ適切な証拠を入手できる | 運用評価手続を実施しない判断もあり得る |
大切なのは、「J-SOXで評価対象だから運用評価する」という発想ではなく、「財務諸表監査上、その統制に依拠する必要があるか」という軸で判断することです。
財務報告内部統制監査基準報告書第1号でも、財務諸表監査においては全ての財務諸表項目に係る内部統制を運用状況まで含めて網羅的に評価しているわけではないとされています。実証手続のみで監査リスクを十分低い水準に抑えることができると判断した場合には、内部統制に依拠するための運用評価手続を実施せず、実証手続のみを実施する場合があるとされています。
出典:日本公認会計士協会|財務報告内部統制監査基準報告書第1号 財務報告に係る内部統制の監査
運用評価手続は、質問だけでは足りない
運用評価手続を設計するうえで、質問は重要な手続です。しかし、質問だけで内部統制の運用状況の有効性を評価することは、通常は困難です。
監査基準報告書330は、内部統制の運用状況の有効性に関する監査証拠を入手するために、質問とその他の監査手続を組み合わせて実施することを求めています。確認すべき事項としては、監査対象期間において内部統制がどのように運用されていたか、その運用が一貫していたか、誰が又はどのような方法で運用していたかが示されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
たとえば、売上承認統制を運用評価する場面を考えてみます。担当者へ「承認していますか」と質問するだけでは、当然ながら足りません。次のような証拠との組合せが必要になります。
| 統制 | 運用評価手続の例 |
|---|---|
| 受注承認 | 承認権限表、受注記録、承認ログ、例外取引の承認状況を閲覧 |
| 出荷・検収統制 | 出荷記録、検収書、システム登録日、売上計上日との整合を確認 |
| 価格マスタ変更統制 | 変更申請、承認記録、変更ログ、アクセス権限を確認 |
| 決算仕訳レビュー | 仕訳一覧、承認証跡、レビューコメント、修正履歴を確認 |
| 見積りレビュー統制 | 経営会議資料、レビュー資料、感応度分析、承認記録を確認 |
| IT自動統制 | システム設定、変更管理、アクセス管理、IT全般統制の有効性を確認 |
内部統制に依拠するのであれば、監査人が確認すべきは「統制が文書に存在すること」ではありません。「監査対象期間を通じて、適切な者により、一貫して、設計どおり運用されていたこと」を証拠で確かめる必要があります。
業務フローを理解する場面でも同じです。会社の説明をそのまま聞き取るのではなく、どの会社にも共通する業務上の課題やリスクがあり、それを低減する内部統制があるという前提に立つ。そのうえで取引の流れと統制の位置付けを把握することが、実務上は重要になります。
内部統制に依拠する場合でも、実証手続は不要にならない
内部統制が有効に運用されていると判断できた場合、実証手続の種類・時期・範囲を調整できることがあります。
しかし、内部統制に依拠することは、実証手続を不要にすることではありません。
監査基準報告書330は、評価した重要な虚偽表示リスクの程度にかかわらず、重要な取引種類、勘定残高又は注記事項に対して、実証手続を立案・実施しなければならないとしています。あわせて、実証手続は詳細テストと分析的実証手続で構成されるものと定義されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
実務上は、次のように整理すると分かりやすくなります。
| 内部統制の評価 | 実証手続への影響 |
|---|---|
| 統制に依拠しない | 実証手続の範囲、証拠力、期末日近接性を高める |
| 統制に依拠する | 実証手続の範囲や時期を調整できるが、重要な項目への実証手続は必要 |
| 統制に逸脱がある | 逸脱原因と潜在的影響を評価し、追加の運用評価又は実証手続を検討する |
| 実証手続で虚偽表示を発見 | 統制が有効に運用されていない兆候かどうかを評価する |
| 実証手続で虚偽表示なし | それだけで統制が有効である証拠にはならない |
監査基準報告書330は、実証手続によって虚偽表示が発見されていないことは、検討対象となっているアサーションに関連する内部統制が有効であることの監査証拠とはならないとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
つまり、「差異が出なかったから統制も有効」という逆推論は成り立ちません。
特別な検討を必要とするリスクには、個別に対応する実証手続が必要になる
特別な検討を必要とするリスクを識別した場合、手続設計の深度は変わってきます。
監査基準報告書330は、評価したアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクが特別な検討を必要とするリスクであると判断した場合、そのリスクに個別に対応する実証手続を実施しなければならないとしています。さらに、特別な検討を必要とするリスクに対して実証手続のみを実施する場合には、詳細テストを含めなければならないとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
この定めは、実務上かなり重い意味を持ちます。
たとえば、減損の特別リスクに対して、「事業計画の説明を受けた」「減損判定資料を閲覧した」と記載するだけでは足りません。どの仮定が重要で、どのデータがリスクに関連し、どの感応度が財務諸表に影響するのか。そこを踏まえたうえで、経営者の方法、仮定、データ、外部環境、過年度実績、後発情報などを組み合わせて検討する必要があります。
収益認識の特別リスクでも同様です。「売上カットオフを実施した」と書くだけでは足りず、どの取引類型に、どのような不正又は誤謬のシナリオがあり、どの証拠で発生・期間帰属・評価・表示を裏付けたのかが問われます。
会計上の見積りは、経営者が将来事象を予測して期末時点で金額を見積もる領域であり、経営者の偏向可能性や見積りの不確実性を伴います。見積額と実績との乖離が生じた場合も、単に乖離があったかどうかで終わらせるわけにはいきません。見積時点で当然考慮すべき情報を考慮していたか、楽観的な見積りではなかったかまで検討する必要があります。
特別リスクに対する実証手続は、監査調書上でも「通常の実証手続」と区別して設計・文書化しておくことが求められます。
期中手続を実施する場合は、残余期間への対応を設計する
監査現場では、効率化のために期中で手続を前倒しすることがあります。それ自体は合理的な判断です。
ただし、期中手続を実施しただけでは、期末日現在の監査証拠にはなりません。残余期間への対応が必要になります。
監査基準報告書330は、期中で内部統制の運用状況の有効性に関する監査証拠を入手する場合、運用評価手続後の当該内部統制の重要な変更について監査証拠を入手し、期末日までの残余期間に対してどのような追加的な監査証拠を入手すべきかを決定することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
実証手続についても同じ考え方です。監査基準報告書330は、期末日前を基準日として実証手続を実施する場合、期末日まで更新して利用するための合理的な根拠とするため、残余期間について、運用評価手続と組み合わせた実証手続、又は監査人が十分と判断する場合の実証手続のみを実施することを求めています。また、期中に予期しなかった虚偽表示を発見した場合には、リスク評価及び残余期間に対して計画された実証手続の種類・時期・範囲を変更する必要があるかを評価しなければならないとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
期中手続を設計する際には、次の観点が欠かせません。
| 観点 | 確認すべき事項 |
|---|---|
| 対象期間 | 期中でどの期間をカバーしたか |
| 残余期間 | 期中手続後から期末日までにどのリスクが残るか |
| 変更の有無 | 組織、システム、承認者、業務フロー、統制内容に変更がないか |
| 期末特有リスク | 期末仕訳、見積り、カットオフ、開示、経営者判断が残っていないか |
| 期中での差異 | 期中で虚偽表示や統制逸脱があった場合、リスク評価を更新したか |
| 追加手続 | 期末日近くで何を追加的に確認するか |
期中で前倒しできる手続と、期末日近くで実施すべき手続を区別すること。ここが実務上の分かれ目になります。
たとえば、売掛金の回収確認、売上の期末カットオフ、棚卸立会、減損判定、税効果の回収可能性、後発事象、開示注記。これらは、期末日近く又は期末後の情報を踏まえなければ、十分な証拠になりにくい領域です。
効率化のための前倒しは有効です。しかし、前倒しを理由に残余期間のリスクを空白にしてはいけません。
実証手続の設計では、詳細テストと分析的実証手続を使い分ける
実証手続には、詳細テストと分析的実証手続があります。
詳細テストは、取引、残高、注記事項について、証憑、確認、再計算、閲覧、突合などにより直接的な証拠を入手する手続です。分析的実証手続は、データ間の関係や予測値との比較により、金額の合理性を検証する手続です。
どちらが常に優れているというものではありません。
| リスクの性質 | 適合しやすい実証手続 |
|---|---|
| 個別取引の実在性 | 詳細テスト、確認、入金確認、契約・出荷・検収証憑 |
| 期間帰属 | 詳細テスト、期末前後取引のカットオフ、物流・検収情報 |
| 網羅性 | ソースデータから会計記録への追跡、未計上取引の探索 |
| 評価・見積り | 再計算、仮定評価、専門家利用、感応度、後発情報 |
| 定型的な大量取引の合理性 | 分析的実証手続、データ分析、単価・数量・粗利率分析 |
| 開示の完全性 | 開示チェックだけでなく、契約、議事録、確認書、後発事象との照合 |
分析的実証手続は、単なる増減分析ではありません。予測値を設定し、その予測値が十分な精度を有し、差異の許容範囲が監査上の重要性に照らして適切であり、差異の調査が監査証拠として機能する。この条件がそろって初めて有効に働きます。
反対に、リスクが個別取引の実在性や不正に関係する場合には、分析的実証手続だけでは証拠力が不足することがあります。
監査手続は、質問、観察、閲覧、確認、再計算、再実施、分析的手続などを、リスクの高さや証拠力に応じて組み合わせていくものです。リスクが高い場合には、より強い証拠力を有する手続、期末日に近い時期での手続、試査範囲の拡大などが必要になり得ます。
手続の範囲は、サンプル数だけで説明しない
リスクが高い場合、「サンプル数を増やす」という対応がよく取られます。
範囲の拡大は、たしかに重要です。しかし、手続の範囲はサンプル数だけで決まるものではありません。
| 範囲の設計要素 | 実務上の意味 |
|---|---|
| 母集団 | どの取引・残高・期間・拠点を対象にするか |
| 抽出単位 | 伝票単位、取引単位、契約単位、顧客単位、明細単位 |
| 抽出方法 | 無作為、金額単位、特定項目抽出、リスクベース抽出 |
| サンプル数 | リスク、母集団特性、期待逸脱率、許容誤謬等に応じた件数 |
| 対象期間 | 期中全体、期末月、期末前後、残余期間 |
| 対象拠点 | 重要拠点、高リスク拠点、新規拠点、海外子会社 |
| 対象取引類型 | 非定型取引、関連当事者取引、期末集中取引、例外取引 |
たとえば、売上カットオフでサンプル数を増やしたとしても、対象が通常取引ばかりだとしたらどうでしょうか。期末近くの例外取引、検収遅延取引、返品・取消取引、関連当事者取引が含まれていなければ、リスク対応として不十分になることがあります。
棚卸資産も同様です。件数を増やすことよりも、滞留品、評価損対象品、外部倉庫、委託在庫、期末移動在庫、原価差異が大きい品目をどうカバーするか。そちらの方が重要になる場面は少なくありません。
手続の範囲を説明する際には、「何件実施したか」だけでなく、「なぜその母集団から、その抽出方法で、その対象を選んだのか」まで示す必要があります。
証拠の十分性と適切性を、手続設計段階から考える
リスク対応手続の設計では、「どの手続を実施するか」だけでなく、「その手続でどの証拠が入るか」を考えることが求められます。
監査基準報告書500は、監査証拠の十分性を量的尺度、適切性を質的尺度として定義しています。必要とされる監査証拠の量は、評価した重要な虚偽表示リスクの程度及び監査証拠の質によって影響を受けるとされ、適切性は、意見表明の基礎となる監査証拠の適合性と証明力を意味するとされています。あわせて、監査人が十分かつ適切な監査証拠を入手するために、個々の状況において適切な監査手続を立案・実施すること、監査証拠として利用する情報の適合性と信頼性を考慮することも求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書500 監査証拠
この考え方は、そのままリスク対応手続の設計に直結します。
| 証拠の観点 | 手続設計への影響 |
|---|---|
| 関連性 | その証拠は、識別したアサーションに直接関係しているか |
| 信頼性 | 外部証拠か、内部証拠か、電子データか、統制に依存するか |
| 網羅性 | 母集団全体を把握できているか |
| 正確性 | 企業作成情報が正確かつ詳細か |
| 独立性 | 経営者説明に依存しすぎていないか |
| 反証可能性 | 経営者の主張と異なる情報を探索しているか |
| 矛盾対応 | 証拠間の矛盾を放置していないか |
監査基準報告書500は、ある情報源から入手した監査証拠が他の情報源から入手した監査証拠と矛盾する場合、又は監査人が監査証拠として利用する情報の信頼性に疑義を抱く場合には、問題を解消するためにどのような監査手続の変更又は追加が必要かを判断し、監査の他の側面への影響を考慮しなければならないとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書500 監査証拠
したがって、リスク対応手続は「差異がなかったか」を確認するだけでは足りません。矛盾する証拠、説明と合わない事実、期待と異なる分析結果をどう扱うかまで、あらかじめ設計に織り込んでおく必要があります。
企業作成情報を使う場合は、正確性・網羅性を検討する
監査実務では、企業が作成した一覧表、エクセル、システム出力、管理資料、見積資料、注記基礎資料を多用します。
これは避けられないことです。ただし、企業作成情報を使うのであれば、その情報自体が監査証拠として利用できる水準にあるかを検討しなければなりません。
監査基準報告書500は、企業が作成した情報を利用する場合、その情報が監査人の目的に照らして十分に信頼性を有しているかどうかを評価しなければならないとしています。必要に応じて正確性及び網羅性に関する監査証拠を入手すること、監査人の目的に照らして十分に正確かつ詳細であるかを評価することが求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書500 監査証拠
たとえば、次のような情報は、そのまま使うと危険です。
| 企業作成情報 | 検討すべき事項 |
|---|---|
| 売掛金年齢表 | 元データ、抽出日、除外条件、相殺処理、外貨換算 |
| 滞留在庫一覧 | 最終移動日、評価対象除外品、部門別管理、廃棄予定品 |
| 固定資産台帳 | 現物との整合、除却漏れ、建設仮勘定、稼働状況 |
| 仕訳抽出データ | 抽出条件、システム範囲、手入力仕訳、取消仕訳 |
| 契約一覧 | 対象契約の網羅性、変更契約、サイドレター、関連当事者 |
| 見積り資料 | 基礎データ、過年度比較、仮定、承認履歴、後発情報 |
| 開示チェックリスト | 注記基礎資料との一致、未反映契約、非財務情報との整合 |
企業作成情報を使う場合に示すべきなのは、「会社から資料を入手した」という事実ではありません。「監査目的に照らして、その資料の正確性・網羅性をどのように確かめたか」です。
この視点は、決算・開示の現場にも直結します。決算早期化を実現している会社では、経理担当者が有価証券報告書や決算短信などの最終成果物を理解し、そこから逆算して決算・開示業務を組み立てる。そうした視点を持つことが重要とされています。
監査人の側も同じです。監査資料を個別手続のための資料としてだけ眺めるのではなく、最終的な財務諸表、注記、開示、監査報告にどうつながるかを見据える必要があります。
表示・注記への対応を忘れない
リスク対応手続は、金額だけに対応するものではありません。
監査基準報告書330は、監査人が、財務諸表の全体的な表示が適用される財務報告の枠組みに準拠しているかどうかを評価する監査手続を実施することを求めています。その評価にあたっては、財務情報並びにその基礎となる取引、事象及び状況の分類及び記述などを検討することとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
実務では、注記や表示の手続が、期末のチェックリスト消化になりがちです。
しかし、近年の財務報告において、注記や記述情報は利用者の判断に大きな影響を与えます。会計上の見積りの開示、収益認識の注記、金融商品のリスク、関連当事者、後発事象、継続企業、セグメント情報、KAMとの関係。これらは、金額以上に説明責任が問われる領域です。
会計上の見積りの開示については、財務諸表利用者が企業の財務諸表作成の前提を理解し、重要な不確実性を把握するうえで有用な情報の開示を充実させる観点から、原則に基づき開示すべき項目を企業が選択し、開示の充実を図るアプローチが採用されています。
そうであれば、リスク対応手続の設計にも、次のような問いを含めておく必要があります。
- 重要な取引・見積り・不確実性が注記に適切に反映されているか
- 財務諸表本表と注記の記載が整合しているか
- 経営者説明、取締役会資料、監査役等への説明、有価証券報告書の記述情報と整合しているか
- KAM候補となる論点について、注記が利用者にとって十分か
- 開示チェックリストだけでは識別できない会社固有の開示事項がないか
リスク対応手続を金額監査だけで終わらせてしまえば、開示リスクは手つかずのまま残ります。
不正リスクへの対応は、通常の手続に埋もれさせない
不正リスクへの対応は、リスク対応手続の中でも、とりわけ注意が必要な領域です。
不正リスクは、通常の誤謬リスクと同じ手続では十分に対応できないことがあります。とくに、経営者による内部統制の無効化、収益認識不正、非定型取引、関連当事者取引、期末仕訳、見積りバイアス。これらは、形式的な統制依拠や通常の試査に埋もれやすい領域です。
会計不正は、取引スキームを熟知した者が内部統制の欠陥を突いて行うことがあります。不正実行者以外が取引の詳細を把握していない場合や、モニタリングが十分でない場合も少なくありません。
不正リスクへの対応では、次のような設計が必要になります。
| 不正リスク | 手続設計上の留意点 |
|---|---|
| 経営者による内部統制の無効化 | 仕訳テスト、見積りバイアス、非定型取引、経営者関与取引 |
| 収益認識不正 | 期末集中取引、検収条件、返品、サイドレター、循環取引 |
| 費用の過少計上 | 未払費用、請求書未着、発生主義、後発支払、引当金 |
| 資産の過大計上 | 棚卸資産、固定資産、評価損、減損、回収可能性 |
| 開示不備 | 関連当事者、偶発債務、後発事象、重要契約、継続企業 |
不正リスクへの対応を、「通常手続を実施した結果、差異なし」で終わらせるべきではありません。想定した不正シナリオに対して、どの手続が反証可能性を持つのか。そこを明確にしておく必要があります。
リスク対応手続は、監査計画の更新とも一体である
リスク対応手続は、期首に決めたら固定されるものではありません。
監査の途中で新しい事実が判明すれば、リスク評価も手続設計も更新されます。
たとえば、次のような場合です。
- 期中手続で統制逸脱が想定以上に多い
- 実証手続で虚偽表示が発見された
- 経営者説明と証憑が一致しない
- 新規取引、契約変更、システム変更が発生した
- 期末に重要な会計上の見積りが追加された
- 会社から提出された資料の網羅性に疑義が生じた
- 監査役等から新たな懸念事項が共有された
- 監査証拠間に矛盾がある
監査計画は、監査の重要な領域に適切な注意を払い、潜在的な問題を適時に識別・解決し、監査業務を効果的かつ効率的に実施するためのものです。監査基準報告書300は、監査計画には監査の基本的な方針の策定と詳細な監査計画の作成が含まれるとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書300 監査計画
リスク対応手続の更新は、監査計画の失敗ではありません。むしろ、リスク・アプローチが実質的に機能していることの表れです。
問題は、リスクが変わっているのに、手続が変わっていないことです。
調書では「リスクと手続の接続」を残す
リスク対応手続の調書化で最も重要なのは、実施した作業の記録ではありません。リスクと手続の接続です。
監査基準報告書230は、監査調書を、実施した監査手続、入手した関連する監査証拠及び監査人が到達した結論の記録と定義しています。そして、経験豊富な監査人が以前に当該監査に関与していなくても、実施した監査手続の種類・時期・範囲、手続結果及び入手証拠、監査の過程で生じた重要な事項と結論、並びに重要な判断を理解できるように調書を作成することが求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書230 監査調書
調書には、少なくとも次の要素を残しておきたいところです。
| 調書化すべき事項 | 記載のポイント |
|---|---|
| 評価したリスク | 財務諸表全体レベルか、アサーション・レベルか |
| 関連アサーション | 発生、網羅性、正確性、期間帰属、評価、表示・注記など |
| リスクの根拠 | 固有リスク、統制リスク、会社固有の事実、過年度差異 |
| 対応方針 | 全般的対応、運用評価手続、実証手続の組合せ |
| 内部統制への依拠 | 依拠する統制、依拠しない理由、運用評価の結果 |
| 実証手続 | 詳細テスト、分析的実証手続、確認、再計算、専門家利用 |
| 手続の時期 | 期中、期末、残余期間への対応 |
| 手続の範囲 | 母集団、抽出方法、対象期間、サンプル、対象拠点 |
| 証拠評価 | 十分性、適切性、矛盾、追加手続の要否 |
| 結論 | 評価したリスクに対して十分かつ適切な証拠を入手したか |
「手続実施、差異なし」とだけ記載しても、審査担当者に対して説明することはできません。
リスク対応手続の調書は、「なぜそのリスクに対して、その手続で、その結論に至ったのか」を示す文書です。
実務上の設計例
リスク対応手続の設計を、いくつかの典型的な領域で整理すると、次のようになります。
| 領域 | 評価されやすいリスク | 対応手続の設計例 |
|---|---|---|
| 売上カットオフ | 期末売上の前倒し | 期末前後取引、出荷・検収・請求・入金の突合、返品・取消の確認 |
| 売上実在性 | 架空売上、循環取引 | 外部確認、入金確認、契約条件、物流証憑、関連当事者性の検討 |
| 棚卸資産 | 実在性、評価、滞留 | 棚卸立会、受払テスト、滞留分析、評価損検討、原価計算検証 |
| 固定資産 | 実在性、減損、除却漏れ | 現物確認、稼働状況、減損兆候、将来CF、除却・売却資料 |
| 税効果 | 回収可能性 | 将来課税所得、スケジューリング、過年度実績、事業計画、感応度 |
| 引当金 | 計上要否、金額見積り | 発生可能性、契約、法務確認、後発事象、過去実績 |
| 決算仕訳 | 経営者による内部統制の無効化 | 仕訳抽出、異常仕訳、期末・手入力・承認者・説明内容の検討 |
| 開示 | 注記漏れ、説明不足 | 契約・議事録・確認書・有報記述情報・KAM候補との整合 |
この表は、手続の定型例ではありません。実務では、会社の業種、取引、内部統制、IT環境、重要性、過年度差異、経営者バイアス、不正リスクに応じて調整していくことになります。
ただし、どの領域にも共通することがあります。「リスク→アサーション→統制→手続→証拠→結論」という流れを、途中で切らないことです。
リスク対応手続の設計で避けるべき誤り
実務上、リスク対応手続の設計では、次のような誤りが起こりやすくなります。
1. リスク評価と手続が対応していない
売上の期間帰属リスクを高く評価しているにもかかわらず、実施した手続が売掛金残高確認だけである。この場合、リスクと手続は対応していません。
2. 内部統制に依拠しているのに運用評価が不足している
統制に依拠して実証手続を縮小しているのに、統制の運用状況については質問しか実施していない。これでは、依拠の根拠が弱くなります。
3. 実証手続だけで足りない領域を見落としている
大量反復取引、システム処理、自動計算、収益計上ロジックなどでは、実証手続だけで十分な証拠を得ることが難しい場合があります。
4. 期中手続のロールフォワードが不十分
期中で実施した手続を期末まで利用するのであれば、残余期間の取引、統制変更、虚偽表示発見の有無を検討しなければなりません。
5. サンプル数だけで深度を説明している
件数を増やしても、母集団や抽出方法がリスクに対応していなければ、証拠として十分とはいえません。
6. 企業作成情報の信頼性を検討していない
会社作成の一覧表をそのまま使えば、抽出漏れ、除外条件、集計誤り、権限外修正を見落とす可能性があります。
7. 表示・注記を最後のチェックリスト処理にしている
開示リスクも、金額監査と同じくリスク評価と手続設計の対象です。会計上の見積り、KAM候補、関連当事者、後発事象、継続企業などは、早期に検討しておくべき論点です。
まとめ|リスク対応手続は、監査判断を証拠に変換する設計である
リスク評価は、監査上の注意を向けるべき領域を識別するための判断です。
しかし、監査意見を支えるのは、リスク評価そのものではありません。評価したリスクに対応して入手した、十分かつ適切な監査証拠です。
リスク対応手続の設計では、次の点が中核になります。
- 財務諸表全体レベルのリスクには、監査チーム、時期、査閲、懐疑心、コミュニケーションを含む全般的対応を設計する
- アサーション・レベルのリスクには、手続の種類・時期・範囲を具体化する
- 内部統制に依拠する場合は、運用評価手続によりその根拠を入手する
- 実証手続は、重要な取引種類、勘定残高、注記事項に対して必要になる
- 特別な検討を必要とするリスクには、個別に対応する実証手続を設計する
- 期中手続を利用する場合は、残余期間への対応を明確にする
- 企業作成情報を利用する場合は、正確性・網羅性・詳細性を検討する
- 証拠の十分性と適切性を、手続設計段階から考える
- 表示・注記への対応を金額監査の後回しにしない
- 調書では、リスクと手続と証拠と結論の接続を残す
リスク対応手続は、監査手続の消化ではありません。
監査人が評価したリスクを、監査証拠へと変換していく設計です。ここが弱いままでは、どれだけ多くの手続を実施しても、監査判断としての説明力は高まりません。
この記事の振り返り
| 論点 | 実務上の要点 |
|---|---|
| リスク対応手続の位置づけ | 評価した重要な虚偽表示リスクに対応して十分かつ適切な監査証拠を入手するための設計 |
| 全般的対応 | 財務諸表全体レベルのリスクに対して、チーム編成、査閲、時期、懐疑心、専門家利用などを設計する |
| アサーション・レベルの対応 | 手続の種類・時期・範囲を、識別したアサーションとリスクの根拠に応じて決める |
| 運用評価手続 | 内部統制に依拠する場合、又は実証手続のみでは十分な証拠を得られない場合に重要になる |
| 実証手続 | 詳細テストと分析的実証手続で構成され、重要な取引種類・勘定残高・注記事項に対して必要になる |
| 特別リスク対応 | 個別に対応する実証手続が必要であり、実証手続のみの場合は詳細テストを含める |
| 期中手続 | 残余期間の取引、統制変更、追加証拠を設計しなければならない |
| 手続の範囲 | サンプル数だけでなく、母集団、抽出方法、対象期間、対象拠点、対象取引類型で説明する |
| 証拠の評価 | 十分性は量、適切性は質であり、情報の適合性・信頼性・矛盾の有無を検討する |
| 企業作成情報 | 正確性、網羅性、詳細性を検討しないまま利用しない |
| 表示・注記 | 注記、開示、KAM候補、記述情報との整合もリスク対応手続の対象になる |
| 調書化 | リスク、アサーション、手続、証拠、判断、結論の接続を残す |
評価したリスクに対して、運用評価手続と実証手続をどのように組み合わせるか。この判断は、監査計画、監査調書、審査対応、監査役等への説明のすべてに直結します。
リスク評価はできているものの、手続の種類・時期・範囲への落とし込み、内部統制への依拠判断、期中手続のロールフォワード、見積り・開示への対応に不安がある。そうした場合は、独立性・守秘義務・所属組織の品質管理方針に配慮しながら、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。