見積り監査におけるリスク評価と監査手続|方法・仮定・データ・専門家利用をどう検討するか

会計上の見積りの監査が難しいのは、会社が提示した計算結果を検算すれば終わり、とはならないところにあります。

見積りには、将来キャッシュ・フロー、割引率、成長率、回収可能性、発生可能性、時価評価、税務上の所得見込み、年金数理上の仮定など、経営者の判断が入り込みやすい要素が含まれます。

そのため監査人は、「金額が計算資料と一致しているか」を確かめるだけでは足りません。「その見積りがどのようなリスクを抱え、どのような証拠に支えられているか」までを評価する必要があります。

監査基準報告書540は、会計上の見積りを「金額の測定に見積りの不確実性を伴うもの」と位置づけています。そのうえで監査人の目的を、会計上の見積り及び関連する注記事項が財務報告の枠組みに照らして合理的であるかについて、十分かつ適切な監査証拠を入手することとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

本稿では、減損、税効果、退職給付、金融商品、引当金といった個別の見積りの計算方法までは踏み込みません。それらは、個別会計領域別の監査重点として扱うべき論点です。ここで整理するのは、どの見積りにも共通する「リスク評価」と「監査手続の組み立て」です。

目次

見積り監査は、リスク評価でほぼ方向性が決まる

会計上の見積りの監査では、リスク評価が曖昧なまま手続に入ると、監査手続が形式に流れやすくなります。

たとえば、会社の見積資料を入手し、計算式を確認し、前期と比較し、経営者に質問する。いずれも必要な手続になり得ます。しかし、それだけでは「何のリスクに対応した手続なのか」が見えにくくなってしまいます。

見積り監査のリスク評価では、少なくとも次の問いを先に立てておきたいところです。

リスク評価上の問い監査上の意味
何を見積もっているのか見積対象と関連アサーションを明確にする
なぜ不確実なのか見積りの不確実性の源泉を把握する
どこに主観性があるのか経営者判断やバイアスの入り口を特定する
どの仮定が金額を動かすのか重要な仮定を識別する
どのデータに依存しているのか基礎データの完全性・正確性を検討する
どの内部統制が関係するのか統制への依拠可能性と不備の有無を評価する
専門家の関与が必要か監査チームだけで評価できるかを判断する
開示に影響するか見積りの不確実性や翌年度影響リスクを評価する
KAM候補になり得るか監査上特に重要な事項かを検討する

リスク評価は、監査調書上の形式的な分類作業ではありません。後続の手続の種類、時期、範囲を決めるための判断そのものです。

リスク評価が浅ければ、監査手続も浅くなります。その結果、審査担当者やレビュー担当者に対して「なぜその手続で足りるのか」を説明しにくくなってしまいます。

見積り監査で理解すべき対象

監査基準報告書540では、監査人が企業及び企業環境、適用される財務報告の枠組み、内部統制システムを理解するにあたり、次の事項を理解することが求められています。会計上の見積りに関連する取引・事象、財務報告の枠組みにおける要求事項、規制要因、経営者の見積プロセス、専門家の利用、情報システム、統制活動、そして過年度見積りの確定額の検討です。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

実務上は、次のように整理しておくと、見積り監査の入口を外しにくくなります。

見積りが必要となる取引・事象・状況

最初に確認したいのは、なぜその見積りが必要になったのか、という点です。

見積りは、期末に突然発生するものではありません。事業環境の悪化、重要な投資、債権回収の遅延、訴訟・クレーム、リストラクチャリング、税務上の繰越欠損金、金融商品の市場変動、退職給付制度の変更など、必ず企業活動の中に原因があります。

この原因を理解しないまま計算資料だけを眺めると、監査上の焦点がずれていきます。見積り監査では、まず「どの事実がこの見積りを必要にしているのか」を押さえておく必要があります。

適用される財務報告の枠組み

次に、当該見積りに関する会計基準や財務報告の枠組みが何を求めているかを確認します。

ここで重要なのは、会計基準の条文を確認するだけでは足りない、という点です。認識要件、測定基礎、表示、注記の要求事項を、会社の実態にどう適用するのかまで検討する必要があります。

たとえば、同じ「将来キャッシュ・フロー」を用いる見積りであっても、減損、税効果、金融商品、退職給付では、測定目的も使用する仮定も異なります。会計基準上の目的を取り違えてしまえば、見積手法がどれほど精緻でも、監査上の結論は支えられません。

経営者の見積プロセス

見積り監査では、経営者がどのように見積りを行ったかを理解することが欠かせません。

具体的には、見積手法をどのように選択したか、重要な仮定をどのように決定したか、基礎データをどこから入手したか、見積りの不確実性をどのように評価したか、見積額や注記事項をどのように選択したかを確認します。

ここで監査人が見るべきなのは、会社が「資料を作成したかどうか」ではありません。その見積りが、再現可能で、レビュー可能で、説明可能なプロセスになっているかどうかです。

内部統制と情報システム

見積りは、経理部門だけで完結しないことが多い領域です。

事業計画は経営企画部門、債権情報は営業・与信管理部門、退職給付データは人事部門、時価情報は財務部門や外部評価機関、税効果資料は税務担当者、注記情報は開示担当者。このように、複数の部門が関与することがあります。

そのため監査人は、見積りに関する情報が、どのシステム・部門・承認プロセスを通じて財務報告へ流れていくのかを理解しておく必要があります。典型的な業務フローを理解し、業務と財務諸表項目の関係を把握しておくことは、内部統制上のリスク把握にもつながります。

固有リスクをどう評価するか

会計上の見積りに関する重要な虚偽表示リスクを評価する際には、固有リスクと統制リスクを分けて考える必要があります。

監査基準報告書540は、見積りの不確実性、複雑性、主観性その他の固有リスク要因が、アサーションにおける虚偽表示の発生可能性や影響の度合いに関係することを示しています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

見積り監査では、固有リスクを次の三つの軸で捉えると整理しやすくなります。

固有リスク要因具体的に見るべきこと監査手続への影響
不確実性将来結果の幅、感応度、予測期間、外部環境変化追加証拠、感応度分析、開示検討が必要になりやすい
複雑性モデル、計算構造、専門的評価、複数データの組合せ専門家利用やモデル検証が必要になりやすい
主観性経営者判断、事業計画、仮定の選択、見積額の選択経営者バイアス、不正リスク、KAM候補との関係が強くなる

固有リスクが高い場合、監査人はより説得力のある監査証拠を入手しなければなりません。

もっとも、見積りに不確実性があるというだけで、直ちに高リスクと決めつけてしまうのも適切ではありません。大切なのは、不確実性の程度、金額的重要性、仮定の主観性、データの信頼性、統制の有効性、開示上の影響を組み合わせて評価することです。

統制リスクをどう評価するか

見積り監査では、内部統制への理解が弱いと、実証手続が過度に広がるか、逆に根拠の薄い手続に流れやすくなります。

監査基準報告書540は、会計上の見積りに関連する内部統制の評価を重視しており、内部統制の識別、デザイン及び業務への適用の評価、必要に応じた運用評価手続に関する指針を示しています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

見積りに関係する内部統制としては、次のようなものが考えられます。

統制領域監査上の確認ポイント
見積方針の承認会計基準・社内方針に照らして方法が承認されているか
事業計画の承認取締役会・経営会議等で合理的に承認されているか
基礎データの抽出システム抽出条件、網羅性、正確性が確認されているか
専門家レポートの利用評価結果を無批判に転記していないか
レビュー統制仮定、データ、計算結果、注記を適切な権限者がレビューしているか
変更管理前期からの方法・仮定・データ変更が識別され、理由が説明されているか
開示統制見積りの不確実性が注記・記述情報・KAM候補と整合しているか

内部統制に依拠するのであれば、統制が設計されているだけでは足りません。実際に運用されており、その運用が有効であることについて、監査証拠を入手する必要があります。

他方で、実証手続のみでは十分かつ適切な監査証拠を入手できない場合には、内部統制の運用評価手続が必要になります。監査基準報告書540も、内部統制に依拠する場合や、実証手続のみでは十分な証拠が得られない場合には、運用評価手続を立案・実施することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

見積り監査における三つのリスク対応アプローチ

監査基準報告書540は、評価した重要な虚偽表示リスクへの対応として、少なくとも一つのアプローチを含めることを求めています。具体的には、監査報告書日までに発生した事象からの監査証拠の入手、経営者がどのように会計上の見積りを行ったかの検討、そして監査人の見積額又は許容範囲の設定です。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

この三つは、単なる選択肢ではありません。見積りの性質に応じて組み合わせて使うべき、監査上の思考フレームです。

アプローチ1:監査報告書日までに発生した事象から証拠を得る

見積りの対象となった事象について、期末日後から監査報告書日までのあいだに実際の結果や新たな情報が得られることがあります。それは、有力な監査証拠になり得ます。

たとえば、期末後の債権回収、在庫販売、訴訟の進展、契約交渉の結果、資産売却価格、税務上の取扱いの確定などです。

ただし、期末日後の事象をそのまま期末時点の見積りに反映してよいとは限りません。その事象が期末日時点の状況を裏付けるものなのか、それとも期末日後に新たに発生した状況なのか。この区別が重要になります。

監査上は、次のように整理します。

確認事項監査上の判断
期末日時点で存在していた状況を裏付ける情報か期末見積りの合理性評価に強く関係する
期末日後に新たに発生した事象か後発事象や開示の検討に回すべき可能性がある
見積りの主要仮定と整合するか仮定の合理性を再評価する
会社がその情報をどう扱ったか経営者判断や内部統制を評価する
監査調書に時点区分が残っているか事後情報の誤用を防ぐ

期末日後の事実は強い証拠になり得ます。しかし、後知恵で過去の見積りを裁くために使ってはなりません。見積時点で利用可能だった情報と、期末日後にはじめて利用可能になった情報。この二つを区別することが必要です。

アプローチ2:経営者がどのように見積りを行ったかを検討する

実務でもっとも多く用いられるのが、経営者の見積プロセスを検討するアプローチです。

監査基準報告書540は、経営者が会計上の見積りを行った方法を検討する場合、見積手法、重要な仮定、データの選択及び適用、経営者による見積額の選択方法、見積りの不確実性に関する注記事項に対応する手続を含めることを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

ここで見るべきポイントは、会社が作成した資料の有無ではありません。見積りの構造そのものです。

見積手法の検討

見積手法については、次の点を確認します。

検討事項監査上の問い
財務報告の枠組みとの整合会計基準上の測定目的に合っているか
会社の実態との整合取引実態、事業特性、契約条件に合っているか
前期からの変更変更理由は合理的か
モデルの設計複雑なモデルが測定目的を満たしているか
計算の正確性計算式、リンク、参照範囲、端数処理に誤りはないか
モデル調整経営者による調整が合理的か

監査基準報告書540は、選択された見積手法が財務報告の枠組みに照らして適切か、前期からの変更が適切か、見積手法の選択に経営者の偏向の兆候がないか、計算が正確か、複雑なモデルの設計やアウトプット調整が適切かを検討することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

見積手法の監査で陥りやすいのは、「前期と同じだから合理的」と考えてしまうことです。

前期と同じ方法であることは、たしかに一つの証拠にはなります。しかし、事業環境、契約条件、市場状況、会計基準、会社のリスクが変わっているのであれば、前期踏襲がかえって不合理になることもあるのです。

重要な仮定の検討

重要な仮定とは、見積額を大きく動かす前提条件のことです。

将来売上、利益率、成長率、割引率、回収期間、発生可能性、退職率、昇給率、貸倒率、処分価額などが該当します。

監査基準報告書540は、重要な仮定について、財務報告の枠組みに照らした適切性、前期からの変更の適切性、経営者の偏向の兆候、他の見積りや事業活動で使用した仮定との整合性、そして経営者が特定の行動方針を実行する意思と能力を有しているかを検討することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

監査上は、仮定を次の三層で確認すると、実務に落とし込みやすくなります。

仮定の層確認する内容
会計基準上の仮定測定目的に合った仮定か
事業上の仮定会社の事業計画、取引実態、外部環境と整合しているか
証拠上の仮定過年度実績、外部データ、契約、取締役会資料等で裏付けられるか

重要な仮定について、「会社が説明しているから」では足りません。その説明が、外部環境、過年度実績、他の会計上の見積り、非財務情報、取締役会資料、開示資料と整合しているかどうかを確認する必要があります。

基礎データの検討

見積り監査では、データの信頼性が結論を左右します。

監査基準報告書540は、データについて、財務報告の枠組みに照らした適切性、前期からの変更の適切性、経営者の偏向の兆候、データの適合性と信頼性、契約条件を含むデータの理解・解釈が適切かを検討することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

実務上は、次の点を確認します。

データの論点監査上の確認事項
完全性対象データが漏れなく含まれているか
正確性元帳、補助簿、契約書、システム情報と一致するか
目的適合性見積目的に合ったデータか
期間適合性期末時点の状況を反映しているか
抽出条件システム抽出条件が妥当か
外部データ市場データ、評価レポート、統計情報の信頼性はあるか
解釈契約条件や外部データを会社が正しく理解しているか

見積り監査でよく見られる弱点は、計算モデルの検討に偏ってしまい、そのモデルに投入されるデータの完全性・正確性の確認が手薄になることです。計算ロジックが正しくても、入力データが不完全であれば、監査上の結論は支えられません。

アプローチ3:監査人の見積額又は許容範囲を設定する

経営者の見積額を評価するために、監査人が独自に見積額又は許容範囲を設定することがあります。

これは、会社の見積りを単純に再計算する手続とは異なります。監査人が利用可能な証拠に基づいて合理的と考えられる金額又は範囲を設定し、経営者の見積額がその範囲内にあるかどうかを評価する手続です。

監査基準報告書540は、監査人の見積額又は許容範囲を設定する場合、使用した見積手法、仮定、データが財務報告の枠組みに照らして適切かを評価する手続を含めることを求めています。また、許容範囲には、十分かつ適切な監査証拠により裏付けられ、測定目的に照らして合理的と評価した金額のみを含めることとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

この手続が有用となる場面としては、次のような場合が考えられます。

状況監査人の見積額・許容範囲が有用な理由
経営者の仮定が主観的である合理的な範囲を示して評価しやすい
複数の結果が合理的に想定される単一点ではなく幅で評価できる
会社の見積りに偏りの兆候がある独立した視点から評価できる
外部データで推計可能である会社資料以外の証拠を利用できる
審査上の説明が必要である経営者見積額の相対的位置を説明しやすい

ただし、監査人の許容範囲は、広ければよいというものではありません。範囲が広すぎれば、経営者の見積額が合理的かどうかを判断する機能を果たさなくなります。監査人は、入手した証拠に照らして合理的と判断できる範囲まで、絞り込んでいく必要があります。

専門家利用をどう判断するか

会計上の見積りには、監査チームだけでは十分に評価しきれない専門領域が含まれることがあります。

不動産評価、金融商品の時価評価、退職給付債務、複雑なデリバティブ、訴訟見込み、環境債務、ITシステムから抽出される大量データ。こうした領域は、専門家の利用を検討すべき対象になり得ます。

監査基準報告書540は、リスク評価手続、重要な虚偽表示リスクの識別・評価、リスク対応手続の立案・実施、監査証拠の評価にあたり、専門的な技能又は知識が監査チームに必要かどうかを決定することを求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

また、監査基準報告書620は、監査人が十分かつ適切な監査証拠を入手する際に、会計又は監査以外の専門分野における個人又は組織の業務を利用する場合の実務上の指針を示しています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書620「専門家の業務の利用」

専門家利用で忘れてはならないのは、専門家に任せたからといって監査人の責任が軽くなるわけではない、という点です。監査人は、専門家の適性、能力、客観性、業務範囲、使用した仮定や方法、そして結論の合理性を評価する必要があります。

専門家利用時の検討事項監査上の意味
専門家を使う必要性監査チームの知識だけで十分な証拠を得られるか
適性・能力・客観性専門家の結論を監査証拠として利用できるか
業務範囲監査目的に照らして必要な範囲をカバーしているか
使用した仮定経営者仮定をそのまま前提にしていないか
使用したデータデータの完全性・正確性が確認されているか
結論の利用可能性監査人の結論を支える証拠として十分か

とりわけ、経営者が利用した専門家のレポートを監査証拠として用いる場合には、監査人自身の専門家利用とは別に、当該レポートが関連アサーションに対する証拠として適切かを評価しなければなりません。監査基準報告書540も、経営者の利用する専門家の業務を監査人が利用する場合には、その適切性を関連するアサーションに照らして評価する必要があるとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

過年度見積りの事後的検討

過年度の会計上の見積りと実績との差異は、当年度の監査において重要な情報になります。

ただし、この検討の目的は、過去の見積りを後知恵で批判することではありません。監査基準報告書540は、過年度の会計上の見積りの確定額又は再見積額を検討することを求めていますが、それは当年度における重要な虚偽表示リスクの識別と評価に役立てるためです。見積時点で利用可能だった情報に基づいて適切に行われた過年度の判断を問題にするものではない、とされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

実務上は、過年度差異を次のように評価します。

差異の原因監査上の見方
期末後に新たな事象が発生した過年度見積りが直ちに誤謬とはいえない
期末時点で入手不能だった情報による見積りの変更として扱われる可能性がある
期末時点で入手可能だった情報を考慮していなかった誤謬や内部統制不備の検討が必要
経営者が過度に楽観的な仮定を置いていた経営者バイアスや不正リスクの評価が必要
同じ方向の乖離が継続している見積プロセス自体の改善が必要
開示で不確実性が十分に説明されていなかった注記・KAM・開示統制の見直しが必要

見積りと実績が異なること自体は、会計上の見積りの性質上、当然に起こり得ます。問われるのは、差異の原因です。

見積時点で当然に考慮すべきだった情報を考慮していなかった場合や、楽観的な見積りが行われていた場合には、見積時点で合理的な見積りだったのかを慎重に検討する必要があります。

見積りの不確実性と開示をどう監査するか

見積り監査では、金額の合理性だけでなく、注記の十分性も評価しなければなりません。

企業会計基準第31号は、当年度の財務諸表に計上した金額が会計上の見積りによるもののうち、翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある項目について、財務諸表利用者の理解に資する情報を開示することを目的としています。また、翌年度の財務諸表に与える影響に関する情報は、金額がどのように変動する可能性があるか、発生可能性がどの程度かを利用者が理解するうえで有用な情報となる場合があるとされています。
出典:企業会計基準委員会|企業会計基準第31号 会計上の見積りの開示に関する会計基準

監査人は、次の観点から開示を評価します。

開示の観点監査上の確認事項
項目の識別重要な見積り項目が漏れていないか
見積り内容何を見積もっているかが分かるか
主要な仮定金額を動かす仮定が説明されているか
不確実性変動可能性や感応度が理解できるか
翌年度影響翌年度の財務諸表への影響リスクが説明されているか
他の開示との整合有報の記述情報、KAM、事業等のリスクと整合するか

開示の監査で問われるのは、会社が会計基準上の文言を形式的に記載しているかどうかではありません。財務諸表利用者が、その会社固有の不確実性を理解できるかどうかです。

経営者バイアスをリスク対応手続にどう反映するか

会計上の見積りでは、個別の仮定が一見合理的に見えても、全体としては会社に有利な方向へ偏っていることがあります。

監査基準報告書540は、会計上の見積りに関する経営者の判断及び決定について、個々には合理的であっても、経営者の偏向が存在する兆候を示していないかを評価することを求めています。そして、意図的に誤解を与えることを目的としている場合、そのような偏向は不正に該当するとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

実務上、経営者バイアスを評価するには、個々の見積りだけを見ていては足りません。複数の見積りを横断して眺める必要があります。

兆候監査上の対応
主要仮定が継続的に楽観的過年度実績、外部データ、予算達成率との比較
不利な情報が反映されていない矛盾する証拠の探索と評価
前期からの仮定変更理由が弱い変更の必要性と合理性の検討
見積額が許容範囲の端にある経営者の見積額選択の理由を検討
複数の見積りが利益方向に偏る財務諸表全体への影響評価
注記が一般的・抽象的会社固有の不確実性の開示を検討

ここで大切なのは、経営者の説明を疑うこと自体が目的ではない、ということです。職業的懐疑心とは、会社の説明を否定する姿勢ではありません。説明と証拠が整合しているかを、批判的に検討する姿勢のことです。

監査証拠は「裏付け」だけでなく「矛盾」も見る

見積り監査には、会社の見積りを裏付ける証拠ばかりを集めてしまう危うさがあります。

監査基準報告書540は、リスク対応手続の立案・実施にあたり、経営者の見積りを裏付ける監査証拠の入手に偏ることなく、矛盾する監査証拠を排除しないよう求めています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

見積り監査では、次のような矛盾する証拠を、意識的に探しにいく必要があります。

経営者説明矛盾し得る証拠
将来売上は回復する受注残、顧客解約、外部市場データ
利益率は改善する原材料価格、人件費、過年度実績
債権は回収可能入金遅延、取引先信用情報、支払条件変更
減損兆候はない事業計画未達、撤退検討資料、稼働率低下
税効果は回収可能課税所得実績、税務上の繰越欠損金、予算未達
引当不要契約条項、弁護士見解、過去の支払実績

監査調書においても、会社説明を裏付ける証拠だけを残すのでは足りません。矛盾する情報をどのように評価したのかを残しておくことが重要です。

見積り監査の調書化

見積り監査では、調書の品質が監査品質に直結します。

調書に残すべきなのは、計算資料、会社回答、証憑のコピーだけではありません。核心にあるのは、監査人の判断過程です。

とりわけ、次の事項は明確に残しておく必要があります。

調書化すべき事項残すべき内容
リスク評価なぜ重要な見積りと判断したか
固有リスク要因不確実性、複雑性、主観性の評価
統制リスク関連統制と運用評価の結果
手続設計どのリスクにどの手続で対応したか
見積手法方法の妥当性と変更理由
重要な仮定合理性、整合性、感応度
データ完全性、正確性、信頼性
専門家利用必要性、適性、能力、客観性、結論の評価
矛盾する証拠どのように評価したか
経営者バイアス兆候の有無と監査への影響
開示注記の十分性、他の開示との整合
結論合理的か虚偽表示かの判断

監査基準報告書540は、実施した手続と入手した証拠に基づき、リスク評価が依然として適切か、経営者の認識・測定・表示・注記事項に関する決定が財務報告の枠組みに準拠しているか、十分かつ適切な監査証拠を入手したかを評価することを求めています。あわせて、裏付けとなるか矛盾するかにかかわらず、入手したすべての関連する監査証拠を考慮する必要があるとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540「会計上の見積りの監査」

監査調書は、監査人の記憶を補うためのメモではありません。経験ある監査人が後から読んだときに、実施した手続、入手した証拠、重要な判断、結論に至る筋道を理解できる文書である必要があります。

KAM・審査・レビューとの接続

見積り監査は、KAM、審査、レビュー対応と強く結びついています。

KAMについて、監査基準報告書701は、監査役等とコミュニケーションを行った事項の中から、監査を実施するうえで監査人が特に注意を払った事項を決定する際の考慮事項を示しています。特別な検討を必要とするリスク又は重要な虚偽表示リスクが高いと評価された領域、見積りの不確実性が高いと識別された会計上の見積りを含む経営者の重要な判断を伴う財務諸表領域に関連する監査人の重要な判断などが、それに当たります。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書701「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告」

したがって、見積り監査の調書は、単なる監査チーム内の作業記録ではありません。KAM候補の検討、監査役等とのコミュニケーション、審査担当者への説明、品質管理レビューへの対応にも使われる、判断の文書です。

見積り論点がKAM候補になり得る場合には、少なくとも次の点を早い段階から整理しておきたいところです。

整理事項意味
なぜ監査上重要かKAM候補としての理由
どの見積りに不確実性があるか監査上の焦点
どの仮定が重要か監査手続の中心
どの証拠で検討したか監査上の対応
会社の注記は十分か財務諸表利用者への説明
監査役等と何を共有したかガバナンスとの接続
審査担当者にどう説明するか品質管理上の説明可能性

KAMは、監査報告書の作成時に突然決めるものではありません。見積りリスクの識別、期中監査、内部統制評価、会社との協議、監査役等とのコミュニケーション、期末監査、審査を通じて、徐々に絞り込まれていくものです。

見積り監査で避けるべき実務上の落とし穴

見積り監査でとりわけ避けたいのは、次のような対応です。

会社資料の検算で終わる

計算式の検算は必要です。しかし、それだけでは見積り監査にはなりません。見積手法、重要な仮定、データ、内部統制、開示まで検討する必要があります。

重要な仮定を識別しないまま手続を広げる

見積資料全体を漫然と確認するよりも、金額を大きく動かす仮定を特定し、そこへ監査資源を集中させるべきです。

経営者説明を証拠と混同する

経営者への質問は重要な手続です。ただし、質問への回答だけで十分な証拠になるとは限りません。裏付け証拠、矛盾する証拠、外部証拠との整合を検討する必要があります。

内部統制を軽視する

重要な見積りは、複数の部門・システム・承認プロセスを通じて作成されます。プロセスの統制が弱ければ、見積額そのものにもリスクが生じます。

専門家レポートをそのまま受け入れる

専門家のレポートは監査証拠になり得ますが、監査人はその適切性を評価しなければなりません。専門家の結論を転記しただけでは、監査人の判断とはいえません。

開示を最後のチェック項目にする

見積りの不確実性が高い場合、開示は監査の最後に形式的に確認するものではありません。リスク評価の段階から、注記、KAM、記述情報との整合を意識しておく必要があります。

実務上の整理フレーム

見積り監査を進める際には、次の順序で整理すると、リスク評価から監査手続、調書化、審査対応までを一本の線でつなぎやすくなります。

ステップ確認すること
1. 見積対象を特定するどの勘定・注記・アサーションに関係するか
2. 重要性を評価する金額的重要性・質的重要性・開示影響を確認する
3. 固有リスクを評価する不確実性・複雑性・主観性・不正リスクを見る
4. 統制リスクを評価する関連統制、運用評価の要否、統制不備を確認する
5. 手続アプローチを選ぶ期末日後事象、経営者プロセス、監査人の見積額・許容範囲を選択する
6. 方法を検討する見積手法・モデル・前期変更・計算正確性を見る
7. 仮定を検討する重要な仮定の合理性、整合性、感応度を見る
8. データを検討する完全性・正確性・信頼性・抽出条件を見る
9. 専門家利用を判断する監査チームの能力、専門家の適性・能力・客観性を見る
10. 開示を検討する見積りの不確実性、翌年度影響、他の開示との整合を見る
11. 結論を形成する合理的か、虚偽表示か、監査意見に影響するかを判断する
12. 調書化する第三者が判断過程を理解できる水準で残す

専門家への相談を検討すべき場面

見積り監査では、論点が複雑化してから整理しようとすると、監査手続、会社との協議、監査役等とのコミュニケーション、審査対応が、すべて後手に回ります。

とくに次のような場合には、早い段階で専門家を交えて論点を整理しておくことが有効です。

状況相談を検討すべき理由
見積りの不確実性が高いリスク評価、監査証拠、開示、KAM候補を一体で整理する必要がある
重要な仮定に経営者判断が大きく入る経営者バイアスや不正リスクを慎重に評価する必要がある
基礎データの信頼性に不安がある内部統制、システム、データ抽出条件の検討が必要になる
専門家レポートを利用している専門家の適性・能力・客観性と業務の適切性を評価する必要がある
過年度見積りと実績に大きな乖離がある見積りの変更、誤謬、内部統制不備を切り分ける必要がある
注記やKAM候補で迷っている財務諸表利用者への説明可能性を整理する必要がある
審査・レビューで指摘を受けている調書化、証拠、判断過程を再構成する必要がある

犬飼公認会計士・税理士事務所では、会計上の見積りに関するリスク評価、監査手続の整理、内部統制・開示・KAM候補論点の検討、審査対応に向けた判断過程の整理をご支援しています。

見積り監査で重要なのは、単に結論を出すことではありません。会社、監査役等、審査担当者、そして財務諸表利用者に対して、なぜその見積りを受け入れたのか、どの証拠で支えたのか、どの不確実性をどう開示したのかを説明できる状態にしておくことです。

見積り監査の論点整理、監査調書の見直し、KAM候補の整理、開示方針の検討でお悩みの場合は、お問い合わせページよりご相談ください。複雑な見積り論点を、会計・監査・内部統制・開示の観点から分解し、説明可能な判断体系として整理いたします。

重要事項の振り返り

項目振り返り
見積り監査の本質計算結果の検算ではなく、リスク、方法、仮定、データ、統制、開示を評価する監査判断である
リスク評価の重要性リスク評価が浅いと、監査手続が形式化し、審査・レビューで説明しにくくなる
固有リスク見積りの不確実性、複雑性、主観性、経営者バイアスを評価する
統制リスク見積プロセス、基礎データ、承認、レビュー統制を理解し、必要に応じて運用評価を行う
リスク対応アプローチ期末日後事象、経営者の見積プロセスの検討、監査人の見積額又は許容範囲の設定を使い分ける
見積手法財務報告の枠組み、会社実態、前期からの変更、モデル設計、計算正確性を確認する
重要な仮定合理性、変更理由、他の仮定・事業活動との整合、経営者の意思と能力を確認する
基礎データ完全性、正確性、目的適合性、信頼性、抽出条件、解釈の適切性を確認する
専門家利用専門家に任せれば足りるのではなく、適性・能力・客観性・業務の適切性を評価する
過年度見積りの事後的検討後知恵で過去を批判するのではなく、当年度のリスク評価に活用する
開示見積額だけでなく、不確実性、主要な仮定、翌年度影響、他の開示との整合を確認する
経営者バイアス個々の見積りが合理的でも、全体として偏向がないかを評価する
監査調書手続、証拠、矛盾する証拠、重要判断、結論の筋道を第三者が理解できる水準で残す
KAM・審査との接続見積り論点はKAM候補、監査役等とのコミュニケーション、審査対応に直結する

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