M&Aの価格を判断するためにマルチプル法を使うとき、本当に重要なのは「何倍を使うか」ではありません。それ以前の段階、つまりその倍率を導くために、どの会社を比較対象として選ぶかにこそ、評価の本質があります。
類似会社比較法は、評価対象会社と類似する上場会社の市場株価や財務指標をもとに、評価対象会社の価値を推定する方法です。企業価値評価の実務では、マーケット・アプローチに属する手法として位置づけられ、市場株価法や類似上場会社法、類似取引法などと並べて整理されます。
マーケット・アプローチは、市場で取引されている株式等との相対的な評価です。市場での取引環境を反映しやすく、一定の客観性に優れる一方で、類似する上場会社が見当たらない場合や、成長ステージが異なる場合には、評価そのものが難しくなります。
出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン
一見すると、類似会社比較法は分かりやすい手法です。同業の上場会社のEV/EBITDA倍率やPERを調べ、その倍率を評価対象会社のEBITDAや当期純利益に掛ければ、評価額の目安が出るように見えるからです。
しかし、実務の現場には、ここに大きな落とし穴があります。
「同業だから似ている」とは限りません。 「上場会社だから参考になる」とも限りません。 「平均倍率だから客観的」とも限りません。
類似会社比較法は、比較対象会社の選び方ひとつで結論が大きく変わる手法です。比較対象の選定が甘ければ、その後の計算をどれほど精緻に積み上げても、評価結果は意思決定に使いにくいものになってしまいます。
類似会社比較法とは何をする方法か
類似会社比較法とは、評価対象会社と類似する上場会社を選び、その上場会社が市場でどう評価されているかをもとに、評価対象会社の価値を推定する方法です。
基本的な流れは、次のとおりです。
- 評価対象会社の事業内容・収益構造・リスクを理解する
- 類似する上場会社を選定する
- 選定した上場会社の財務数値と株価・企業価値を確認する
- EV/EBITDA、PER、PBRなどの倍率を算定する
- 評価対象会社の対応する財務数値に倍率を適用する
- 算定結果をレンジとして整理する
- 非事業資産・有利子負債・流動性・支配権等を踏まえて判断する
企業価値評価ガイドラインでも、類似上場会社法は、類似する上場会社を選定したうえで、その会社と評価対象会社の財務数値を比較し、導いた倍率を用いて評価対象会社の株価を算出する方法として整理されています。
この手法の強みは、市場で実際に形成された価格を参照できる点にあります。DCF法のように将来計画や資本コストの前提へ大きく依存する手法と違い、現実の市場評価をそのまま使えるため、一定の客観性があり、説明もしやすくなります。
ただし、その客観性は「適切な比較対象を選べていること」を前提にしています。比較対象会社の選定が恣意的になってしまえば、類似会社比較法は客観的な手法どころか、都合のよい倍率を後から探す作業に変わってしまいます。
マーケット・アプローチは市場環境を反映しやすい反面、類似企業や類似取引の選定に主観が入りやすい手法です。評価対象企業と比較対象が同質であることを前提にしている点には、つねに注意を払う必要があります。
最初に見るべきものは「業種」ではなく「価値の源泉」
比較対象会社を探すとき、多くの場合、まず業種分類から入ります。これは自然な出発点です。上場会社情報や業界分類、有価証券報告書、決算説明資料、同業団体や業界レポートを使えば、同じ業界に属する上場会社を洗い出すことはできます。
しかし、業種分類はあくまで入口であって、結論ではありません。
たとえば同じ業界に属していても、次のような違いがあれば、倍率の意味は大きく変わってきます。
- 自社ブランドで販売しているのか、受託型の事業なのか
- ストック型の収益か、案件ごとのフロー型の収益か
- 設備を多く持つ事業か、人材・ノウハウ中心の事業か
- 大口顧客に依存しているか、顧客が分散しているか
- 許認可や規制の影響を受けるか
- 地域密着型か、全国展開・海外展開型か
- 成長投資の段階か、成熟・安定の段階か
- 利益率が高い理由が構造的なものか、一時的なものか
類似会社比較法で本当に比較すべきなのは、「業種名」ではなく、価値の源泉です。
価値の源泉とは、その会社がなぜ利益やキャッシュ・フローを生み出せるのか、という根本の要因を指します。顧客基盤、技術、ブランド、営業網、許認可、製造能力、人材、データ、地域網、契約の継続性、価格決定力。こうしたものが価値の源泉にあたります。
同じ業種であっても、価値の源泉が違えば、同じ倍率を当てはめる根拠は弱くなっていきます。
比較対象会社を選ぶための主な判断軸
類似会社比較法では、比較対象会社を選ぶ際に、複数の観点を組み合わせて判断します。
企業価値評価ガイドラインでは、類似上場会社を選定する際の判断要素として、業界、取扱商品・サービス、営業等の許認可関係、事業規模、成長性・新規性・成熟度、収益性、地域性、事業戦略などが挙げられています。
実務では、これらを単なるチェック項目として眺めるのではなく、評価対象会社の実態に引き寄せながら、次のように検討していきます。
事業内容が本当に近いか
最初に確認するのは、事業内容です。
ただし、ここでいう事業内容とは、会社案内に書かれている事業名のことではありません。見るべきなのは、実際に売上を生み出している具体的な事業、顧客、サービス、製品、商流、そして収益モデルです。
同じ「システム開発」でも、受託開発、保守運用、SaaS、ライセンス販売、人材派遣、コンサルティングでは、売上の継続性、粗利率、解約リスク、必要な人員、成長の余地が、それぞれ異なります。
同じ「製造業」でも、完成品メーカー、部品メーカー、下請加工、ファブレス、OEM、量産型、特注型では、設備投資、在庫、価格交渉力、顧客への依存度が変わってきます。
比較対象会社を選ぶときは、「同じ業種か」ではなく、まず同じ利益の出方をしているかを見ます。
取扱商品・サービスが競合または代替関係にあるか
次に、商品・サービスの類似性を確認します。
評価対象会社と比較対象会社の商品・サービスが同種なのか、競合しているのか、あるいは顧客から見て代替可能なのか。ここを丁寧に確かめます。
このとき重要なのは、供給者側の分類ではなく、顧客側から見た比較です。顧客が同じ購買目的で並べて検討する会社であれば、価格帯、品質、納期、ブランド、サポート体制、契約条件が似ている可能性があります。反対に、会社側は同じ業界だと考えていても、顧客層や購買目的が違えば、収益性やリスクは大きく異なります。
M&Aの価格判断では、買主が何を取得しようとしているのかも重要です。顧客基盤を取得したいのか、製造能力なのか、営業網なのか、技術なのか。その狙いによって、比較対象として重視すべき会社は変わってきます。
事業規模が近いか
上場会社と非上場会社を比較する場合、事業規模の差は非常に重要です。
売上高、総資産、従業員数、店舗数、拠点数、顧客数、取引量。こうした規模が大きく違うのであれば、同じ倍率を使うことには慎重にならざるを得ません。
規模の大きい会社は、一般に次のような特徴を持ちやすくなります。
- 顧客が分散している
- 資金調達力が高い
- 採用力がある
- 内部管理体制が整っている
- 仕入や外注で規模のメリットがある
- ブランドや信用力がある
- 上場会社として情報開示が整備されている
これらは、リスクの低さや成長の余地として市場から評価され、倍率に反映されることがあります。
一方、非上場会社や中小企業では、経営者依存、特定顧客依存、資金繰りの制約、人材採用の難しさ、管理体制の属人性などが、倍率を下げる要因になり得ます。
そのため、大企業の上場倍率を中小企業へそのまま当てはめると、評価額が過大になってしまうことがあります。企業価値評価ガイドラインでも、大企業と中小企業を比較する場合には、小規模会社のほうが事業の安定性が低いといった理由から、小規模ディスカウントを考慮することがあると整理されています。
成長性・成熟度が近いか
類似会社比較法では、成長性の違いが倍率に大きく影響します。
同じ利益水準であっても、将来の成長が見込まれる会社は高い倍率で評価されやすく、成熟・縮小の傾向にある会社は低い倍率になりやすいからです。
ですから比較対象会社を選ぶ際には、現在の利益だけでなく、次のような点も確認します。
- 市場全体が成長しているか
- 評価対象会社の売上成長率は比較対象会社と近いか
- 新規顧客を獲得する余地があるか
- 価格を改定できる余地があるか
- 既存顧客の継続率が高いか
- 成長に必要な人材・設備・資金を確保できるか
- 成長が一時的なブームに依存していないか
新規性の高い事業や急成長企業では、過去の実績だけでは価値を説明しにくくなります。その一方で、成長性を過大に見込んだ上場会社の倍率を使ってしまうと、評価対象会社の実態とかけ離れた価格になりかねません。
とりわけ、成熟した中小企業に対して、高成長の上場会社の倍率をそのまま使うことは、慎重に考えるべきです。
収益性が近いか
同じ売上規模であっても、利益率が違えば企業価値は大きく異なります。
比較対象会社を選ぶ際には、売上高だけでなく、粗利率、営業利益率、EBITDAマージン、ROIC、資本効率といった点も確認します。
収益性の高い会社の倍率が高い場合、それは単に利益額が大きいからではなく、構造的な競争優位を市場が評価している可能性があります。
ただし、収益性が高い「理由」を確認することが何より大切です。
- 価格決定力があるのか
- 高付加価値の商品を扱っているのか
- 一時的に費用を抑えているだけなのか
- 本来必要な人件費や修繕費が不足していないか
- オーナー経営による過少報酬が利益を押し上げていないか
- 関連当事者取引によって利益が歪んでいないか
収益性が似ているように見えても、その背景が違えば、同じ倍率を適用する根拠は弱くなります。
設備投資・運転資本の重さが近いか
EV/EBITDA倍率を使う場合に見落としやすいのが、設備投資と運転資本です。
EBITDAは減価償却費を足し戻すため、設備投資の負担が重い会社と軽い会社をそのまま比較すると、実際のキャッシュ・フローの違いを見落としてしまうことがあります。
たとえば同じEBITDAであっても、毎年大きな維持更新投資が必要な会社と、追加投資が少なくても成長できる会社では、最終的に株主へ残る経済価値は変わってきます。
また、売上が伸びるほど在庫や売掛金が増え、資金繰りが重くなる会社もあります。反対に、前受金やサブスクリプション型の収益構造により、運転資本の負担が軽い会社もあります。
ですから比較対象会社を選ぶ際には、PL上の利益だけでなく、BSとキャッシュ・フローの構造まで確認する必要があります。
顧客・仕入先・人材への依存度が近いか
中小企業や非上場会社では、特定の顧客、仕入先、外注先、技術者、営業担当者、そして経営者への依存度が、価値に大きく影響します。
上場会社では顧客や組織が分散していても、評価対象会社では売上の多くが特定の顧客に偏っている、ということは珍しくありません。そうした会社に、分散の効いた上場会社の倍率をそのまま使えば、リスクを過小に評価してしまう可能性があります。
確認すべき観点は、次のとおりです。
- 主要顧客への売上集中度
- 主要仕入先・外注先への依存度
- 経営者・創業者への依存度
- 特定の資格者・技術者への依存度
- 営業担当者やキーマンの退職リスク
- 契約更新の安定性
- 価格交渉力の有無
M&Aの価格判断では、買収後もその収益力を維持できるかどうかが重要です。比較対象会社の倍率が高くても、評価対象会社の収益力が特定の人物や特定の取引先に強く依存しているのであれば、そのリスクは別途検討する必要があります。
会計処理や財務指標を比較できる状態にする
比較対象会社を選んだとしても、そのまま倍率を計算すればよいわけではありません。まず、財務数値を比較できる状態へ整える作業が必要になります。
企業価値評価ガイドラインでも、倍率の算定に使う財務数値として、税引後利益、EBIT、EBITDA、売上高、簿価純資産、時価純資産、配当額などが挙げられています。そして、比較のための財務数値には、非経常損益項目の控除や会計処理基準の違いを考慮し、必要な修正を加えるべきとされています。
とくに、次のような調整が重要です。
- 非経常損益を除外する
- 一時的な補助金・保険金・特別損失を調整する
- 会計方針の違いを確認する
- リース、のれん、減価償却、研究開発費の扱いを確認する
- IFRS、日本基準、米国基準の差異を確認する
- 連結ベースか単体ベースかを揃える
- 少数株主持分や関連会社損益の扱いを確認する
- 直近実績か予想値かを区別する
倍率の分母となる利益やEBITDAが歪んでいれば、比較対象会社をどれほど適切に選んでも、評価結果まで歪んでしまいます。
上場会社の情報はどこから確認するか
類似会社比較法では、比較対象会社の情報を、できるだけ信頼できる情報源から確認する必要があります。
上場会社の情報を確認する代表的な公的・公式の情報源としては、EDINETや日本取引所グループの上場会社情報が挙げられます。
EDINETは、金融商品取引法に基づく有価証券報告書等の開示書類について、提出から公衆縦覧に至るまでの手続きを電子化したシステムです。有価証券発行者の財務内容・事業内容を、正確・公平・適時に開示することを目的としています。
日本取引所グループの上場会社情報ページでは、適時開示情報閲覧サービス、東証上場会社情報サービス、コーポレート・ガバナンス情報サービス、上場会社数、新規上場会社情報、上場廃止銘柄一覧、決算発表予定日などが案内されています。
実務では、少なくとも次の情報を確認します。
- 有価証券報告書
- 決算短信
- 決算説明資料
- 事業等のリスク
- セグメント情報
- 主要な経営指標
- 株価情報
- 時価総額
- 有利子負債、現預金、少数株主持分
- 会計基準
- M&Aや事業再編の実施状況
- 上場市場、流動性、ガバナンス情報
データベース上の倍率だけを眺めるのではなく、その倍率がどのような事業・財務・リスクの前提から形づくられているのかまで確認することが大切です。
比較対象会社は多ければよいわけではない
類似会社比較法では、複数の比較対象会社を選ぶのが通常です。ただし、数が多ければよいというものではありません。
比較対象会社の数を増やすと、一見、客観性が高まるように感じられます。しかし、類似性の低い会社まで多く含めてしまうと、平均倍率や中央値が評価対象会社の実態から離れていきます。
重要なのは、次のバランスです。
- 少数でも、類似性の高い会社を重視する
- 類似性が低い会社を無理に含めない
- 外れ値を機械的に平均へ入れない
- 候補に含めた理由と、除外した理由を説明できるようにする
- 倍率のレンジが広がる理由を確認する
企業価値評価ガイドラインでも、類似性の高い会社があれば少数でも構わないが、類似性が低い会社しか見つからない場合には、より多くの会社を選定する必要があると整理されています。
つまり類似会社比較法では、比較対象会社の数そのものよりも、選定理由をどこまで説明できるかのほうが重要なのです。
除外理由を整理することが、評価の信頼性を高める
類似会社比較法の信頼性を高めるには、選んだ会社だけでなく、選ばなかった会社についても検討しておくことが大切です。
なぜなら、評価額を高くしたいのであれば高倍率の会社を選び、低くしたいのであれば低倍率の会社を選ぶ、ということが、やろうと思えばできてしまうからです。
こうした恣意性を抑えるには、候補会社ごとに、選定理由と除外理由を整理しておきます。
除外理由としては、たとえば次のようなものが挙げられます。
- 事業内容が異なる
- 主要製品・サービスが異なる
- 顧客層が異なる
- 収益モデルが異なる
- 成長ステージが異なる
- 規模が大きく違う
- 直近業績が一時的に異常である
- 赤字または低利益で倍率が異常値になっている
- M&Aや大規模再編により過年度比較が難しい
- 株価が一時的な要因で大きく変動している
- 流動性が低く、市場価格の信頼性に注意が必要である
評価結果を第三者へ説明する場面では、最終的に採用した倍率だけでなく、比較対象の選び方そのものが問われます。
「なぜその会社を比較対象にしたのか」 「なぜその会社を除外したのか」 「その倍率を自社に使ってよい理由は何か」
これらに答えられない評価額は、交渉や意思決定の場面でどうしても弱くなってしまいます。
同業の上場会社がない場合はどう考えるか
非上場会社や中小企業では、ぴったり合う上場会社が見当たらない、ということが少なくありません。
そうした場合でも、すぐに類似会社比較法は使えない、と決めてしまう必要はありません。ただし、比較の軸は慎重に設計し直す必要があります。
完全に同じ事業の上場会社がなくても、たとえば次のような観点から比較対象を探していくことがあります。
- 同じ顧客層を持つ会社
- 同じ収益モデルを持つ会社
- 同じコスト構造を持つ会社
- 同じ成長段階にある会社
- 同じ規制環境にある会社
- 同じ地域性・商圏性を持つ会社
- 同じ設備投資負担を持つ会社
ただし、この場合は評価結果の信頼性が相対的に下がります。そのため類似会社比較法は単独の結論としてではなく、DCF法や時価純資産法の結果をチェックする補助的な位置づけにすることが多くなります。
企業価値評価ガイドラインでも、類似する上場会社が存在しない新規ビジネスや、商品・製品が似ていても事業コンセプトやビジネスモデルが異なる場合には、マーケット・アプローチによって誤った評価になりかねない点に注意が必要だとされています。
上場会社の倍率には、市場の過熱や歪みも含まれる
類似会社比較法は市場株価を基礎にするため、客観性があります。しかし、市場株価がつねに適正価値を示しているとは限りません。
株式市場には、短期的な過熱、テーマ株化、金利環境、需給要因、期待先行、悲観先行、流動性の不足、特定銘柄への人気集中といったものが反映されます。
ですから類似会社比較法を使う際には、比較対象会社の倍率が、市場環境によって一時的に歪んでいないかを確認する必要があります。
とくに、MBO、親子会社間取引、少数株主のスクイーズアウトなど、利益相反が生じやすい取引では、株式市場のミスプライシングをそのまま評価へ持ち込むことに注意が必要です。類似上場会社比較法を用いる場合でも、DCF法などによって株価の妥当性を確かめ、単一の手法に依存しないことが大切です。
類似会社比較法は、市場の声を聞く方法です。 しかし、市場の声をそのまま結論にしてしまう方法ではありません。
EV/EBITDA、PER、PBRで比較対象の見方は変わる
類似会社比較法では、使う倍率によって、比較対象会社の見方そのものも変わってきます。
EV/EBITDA倍率を使う場合
EV/EBITDA倍率は、事業価値をEBITDAで割った倍率です。
M&Aでよく使われるのは、資本構成や税金、減価償却の方法による影響を一定程度取り除き、収益力を見やすくできるからです。
ただし、EV/EBITDA倍率を使う場合には、次の点を確認する必要があります。
- EBITDAが正常な収益力を表しているか
- 設備投資の負担が近いか
- 運転資本の負担が近いか
- リースやのれん償却の扱いが比較可能か
- 非事業資産や有利子負債の調整が適切か
- 対象会社のEBITDAに一時的な要因が含まれていないか
EV/EBITDA倍率は便利な指標ですが、キャッシュ・フローそのものではありません。設備投資や運転資本の違いが大きい会社同士では、同じ倍率を使うことに慎重であるべきです。
PERを使う場合
PERは、株式価値を当期純利益で割った倍率です。
株主に帰属する利益を見る指標であるため、使う際には次の点が重要になります。
- 資本構成が近いか
- 支払利息の影響が大きく違わないか
- 税率や繰越欠損金の影響がないか
- 特別損益が含まれていないか
- 少数株主持分や関連会社損益の影響がないか
- 一時的な税効果が利益を歪めていないか
PERは分かりやすい指標ですが、事業価値ではなく株式価値に近い指標です。有利子負債の多寡が異なる会社を比較する場合には、EV/EBITDA倍率よりも注意を要することがあります。
PBRを使う場合
PBRは、株式価値を純資産で割った倍率です。
資産価値や自己資本の質が重要になるため、次の点を確認します。
- 純資産の時価と簿価に大きな差がないか
- 不動産や有価証券に含み損益があるか
- のれんや無形資産が大きくないか
- 金融機関、資産保有会社、投資会社など、資産価値が重要な業態か
- 収益力が純資産に対して十分か
PBRは資産価値を見るうえで有用ですが、将来の収益力や成長性を十分に反映しないことがあります。そのためPBRだけでM&A価格を判断することは、とくに事業価値が重要な会社では慎重に考えるべきです。
類似会社比較法は、DCFの代わりではなく、DCFを検証する道具でもある
類似会社比較法は、DCF法の代わりになるものではありません。
DCF法は、評価対象会社の将来キャッシュ・フローをもとに、その会社固有の価値を見にいく方法です。これに対して類似会社比較法は、市場が類似会社をどう評価しているかを使い、相対的な価値を見にいく方法です。
両者は、そもそも見ているものが違います。だからこそ、併用する意味があります。
類似会社比較法は、DCF法で算定した価値が市場の水準から大きく外れていないかを確認する材料になります。M&Aの実務でも、類似会社比較法はDCF法による評価結果を検証するうえで有用であり、将来予測、資本コスト、ターミナルバリューの前提とマルチプルとの整合性を確かめるプロセスで、有益な示唆を与えてくれます。
ただし、DCFのターミナルバリューを類似会社倍率で算定し、さらに類似会社比較法でも同じ市場倍率を使う場合には、注意が必要です。評価結果が、同じ市場前提に依存しすぎていないかを確かめてください。複数の手法を使っているように見えて、実質的には同じ前提を繰り返しているだけ、ということが起こり得ます。
中小M&Aで類似会社比較法を使うときの注意点
中小M&Aでは、類似会社比較法の扱いに、とりわけ注意が必要です。
中小企業庁の中小M&Aガイドラインでは、中小M&Aの一般的な手続の流れのなかに、バリュエーション、譲り受け側の選定、交渉、基本合意、デューデリジェンス、最終契約、クロージングなどが位置づけられています。あわせて、支援機関の選定や手数料、仲介者・FAの説明、最終契約上のリスクなどについても留意が必要とされています。
中小M&Aで類似会社比較法を使う場合、次の点がとくに重要になります。
- 上場会社と中小企業では、規模・流動性・管理体制が異なる
- オーナー依存やキーマン依存が価値に影響する
- 決算書上の利益が、正常な収益力を表していないことがある
- 役員報酬、関連当事者取引、個人資産との混在がある
- 非事業資産や役員貸付・借入が価格判断に影響する
- 株主構成や少数株主の存在が価格に影響する
- 税務上の時価や会社法上の価格と、M&A価格を混同しやすい
中小M&Aでは、「同業の上場会社の倍率」そのものよりも、「評価対象会社の実態を、どこまで調整して比較可能な状態にできるか」が重要です。倍率を探す前に、まず会社の数字を整える必要があります。
比較対象会社を選ぶ実務上の流れ
実務では、比較対象会社の選定を、次のような流れで進めていきます。
1. 評価対象会社を理解する
最初に、評価対象会社の事業を分解します。
- 主力事業
- 売上構成
- 利益構成
- 主要顧客
- 主要商品・サービス
- 商流
- 価格決定力
- 設備投資
- 人員構成
- 成長要因
- リスク要因
ここを飛ばしてデータベース検索へ入ってしまうと、業種分類だけで機械的に候補会社を選ぶことになりかねません。
2. 候補会社を広めに洗い出す
次に、上場会社のなかから候補を広めに洗い出します。
この段階では完全一致を求めすぎず、業種、商品、顧客、収益モデル、地域性、成長性など、複数の軸で候補を出していきます。
3. 事業内容と財務指標で絞り込む
候補会社について、有価証券報告書、決算説明資料、セグメント情報、事業等のリスク、主要指標を確認し、評価対象会社との類似性を検討します。
この段階で、事業内容が違う会社、規模が大きく違う会社、利益構造が違う会社、一時的な要因で倍率が歪んでいる会社を除外していきます。
4. 倍率を算定する
候補会社を絞り込めたら、EV/EBITDA、EV/EBIT、PER、PBRなどの倍率を算定します。
ここでは、分母となる財務数値が比較可能かどうかを確認します。非経常損益、会計基準、赤字、異常値、M&Aの影響、セグメントの混在といった要素があれば、修正または除外を検討します。
5. レンジとして整理する
倍率は、ひとつの平均値だけで見るのではなく、レンジとして整理します。
- 最小値
- 最大値
- 中央値
- 平均値
- 外れ値を除いたレンジ
- 類似性の高い会社群のレンジ
- DCFや時価純資産との比較
評価額を一点で示すのではなく、判断のレンジとして整理しておくと、交渉や説明の場面で使いやすくなります。
6. 採用理由・除外理由を説明できる状態にする
最後に、採用した比較対象会社と、除外した会社の理由を整理します。
ここが、評価の説明可能性に直結します。「どの会社を選んだか」だけでなく、「なぜ選んだか」「なぜ外したか」を残しておくことが、後日の交渉、株主説明、金融機関説明、社内稟議、専門家レビューといった場面で効いてきます。
類似会社比較法で避けるべき使い方
類似会社比較法では、次のような使い方は避けるべきです。
- 同業の平均倍率だけを使う
- 高い評価額にしたいから、高倍率の会社だけを選ぶ
- 低い評価額にしたいから、低倍率の会社だけを選ぶ
- 上場会社と非上場会社の違いを調整しない
- 赤字会社や異常値を含めたまま平均する
- EBITDAの正常化をしない
- 非事業資産や有利子負債を調整しない
- PER、EV/EBITDA、PBRの価値概念を混同する
- 類似会社比較法だけで取引価格を決める
- 提示価格を正当化するために、後から比較対象を選ぶ
類似会社比較法は、評価を客観的に見せるための飾りではありません。比較対象の選定、財務数値の調整、倍率の読み方、評価レンジの説明まで含めて、はじめて意思決定に使える評価になります。
最も大切なのは「説明できる選定」
類似会社比較法で重要なのは、完璧に同じ会社を見つけることではありません。そもそも、完全に同じ会社など存在しないからです。
大切なのは、評価対象会社と比較対象会社のどこが似ていて、どこが違うのかを把握し、その違いを踏まえて倍率をどう読むかを説明できることです。
比較対象会社を選ぶときは、次の問いに答えられる状態にしておく必要があります。
- この会社はなぜ比較対象になるのか
- 業種以外に、どの点が似ているのか
- 収益モデルは近いか
- 成長性は近いか
- 利益率は近いか
- 規模差はどの程度あるか
- 上場会社と非上場会社の違いをどう見たか
- 倍率が高い会社、低い会社の理由は何か
- 外れ値をどう扱ったか
- DCFや純資産評価と整合しているか
これらに答えられないまま算定された倍率は、価格交渉や第三者への説明の場面で、どうしても弱くなります。
反対に、これらの問いへ丁寧に答えられる評価は、結論がひとつの数字でなくても、意思決定に使える判断材料になります。
類似会社比較法は「相場を見る方法」ではなく「相場を分解する方法」
M&Aの現場では、「相場倍率」という言葉がよく使われます。しかし、相場倍率はそのまま受け入れるものではありません。
相場倍率には、比較対象会社の成長性、収益性、リスク、流動性、資本構成、市場環境、投資家の期待が含まれています。類似会社比較法は、それらをひとつずつ分解し、評価対象会社にどこまで当てはまるのかを検討するための方法です。
「同業だから何倍」ではなく、 「どの前提が同じで、どの前提が違うのか」 「その違いを価格判断にどう反映するのか」
ここを考えることこそが、類似会社比較法の本質です。
主な参照情報
出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン
出典:金融庁|EDINETについて
出典:日本取引所グループ|上場会社情報
出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン
この記事の振り返り
| 論点 | 重要な考え方 |
|---|---|
| 類似会社比較法の本質 | 上場会社の市場評価を参考にする方法だが、比較対象の選定が評価結果を大きく左右する |
| 業種分類 | 入口にはなるが、業種が同じというだけでは十分ではない |
| 価値の源泉 | 顧客、商品、収益モデル、成長性、設備、人材、許認可、リスクなどを確認する |
| 事業規模 | 上場会社と非上場会社・中小企業では、安定性、流動性、管理体制が異なる |
| 成長性・成熟度 | 同じ利益でも、成長企業と成熟企業では倍率が異なる |
| 収益性 | 利益率の高さが構造的なものか、一時的なものかを確認する |
| 財務数値の調整 | 非経常損益、会計基準、正常収益力を調整しないと倍率が歪む |
| 比較対象の数 | 多ければよいわけではなく、選定理由と除外理由を説明できることが重要 |
| 上場会社倍率の限界 | 市場の過熱、流動性、投資家期待、ミスプライシングを含む可能性がある |
| 実務上の使い方 | DCFや時価純資産法と併用し、価格レンジや提示価格を検証する材料として使う |
類似会社比較法による価格判断に不安がある場合
類似会社比較法は、M&A価格を検討するうえで有用な手法です。
しかし、比較対象会社の選び方、倍率の分母となる財務数値、上場会社と非上場会社の違い、非事業資産や有利子負債の調整。これらを誤れば、評価額は大きく歪んでしまいます。
とくに、仲介会社や相手方から提示された倍率の根拠を確認したいとき、自社に近い比較対象会社をどう選ぶべきか整理したいとき、株主・金融機関・後継者に説明できる価格レンジを整えたいとき。こうした場面では、単なる相場倍率ではなく、評価の前提そのものを確認することが重要になります。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A・承継・資本政策・組織再編における企業価値評価や取引価格の判断について、財務・税務・会計の視点から論点整理を支援しています。
「どの上場会社を比較対象にすべきか分からない」「提示された倍率が妥当か確認したい」「自社の実態を踏まえた価格レンジを整理したい」。そう感じている場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。