類似取引比較法|過去のM&A価格をどう読むか

M&Aの価格を判断する場面では、「過去に似た会社がいくらで売買されたのか」という点が、どうしても気になるものです。

同業のM&A事例、上場会社の買収事例、公開買付け、事業譲渡、子会社売却、カーブアウト、業界再編。こうした事例を眺めていると、自社の売却価格や買収価格の目安が見えてくるように感じられるかもしれません。

このように、過去のM&A取引で実際に成立した価格や倍率を手がかりに、評価対象会社の価値レンジを考えていく方法が、類似取引比較法です。

類似取引比較法は、マーケット・アプローチに位置づけられる評価手法です。企業価値評価のアプローチは、大きくインカム・アプローチ、マーケット・アプローチ、ネットアセット・アプローチの三つに整理されます。このうちマーケット・アプローチは、市場株価や類似企業・類似取引との比較によって価値を捉える考え方であり、類似取引比較法はその一つにあたります。

出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン

ただし、ここで一つ押さえておきたいことがあります。類似取引比較法は、「過去のM&A価格=自社の相場」と単純に読み替える方法ではない、という点です。

過去の取引価格には、その取引だけに固有の事情が織り込まれています。買主の戦略、競争入札の有無、シナジー、支配権の取得、対象会社の成長性、売主側の事情、デューデリジェンス(DD)で見つかったリスク、価格調整、アーンアウト、表明保証、そして税務・会計上の影響。これらがすべて、価格という一つの数字に集約されているのです。

ですから、類似取引比較法で本当に大切なのは、過去事例の倍率を探すこと自体ではありません。

大切なのは、その取引価格が、どのような前提のもとで成立した価格なのかを分解して読み解くことにあります。

目次

類似取引比較法とは何か

類似取引比較法とは、過去に成立したM&A取引の価格や倍率を参考にして、評価対象会社の価値を推定する方法です。英語では Precedent Transaction Analysis、あるいは Comparable Transaction Analysis と呼ばれます。

基本的な考え方は、次のように整理できます。

過去の類似M&A取引における取引価格
÷ 対象会社の財務指標
= 取引倍率

評価対象会社の財務指標
× 類似取引から得られた取引倍率
= 評価対象会社の価値の目安

たとえば、過去のM&A取引で、対象会社の企業価値がEBITDAの一定倍率で成立していたとします。その倍率を評価対象会社のEBITDAに掛け合わせれば、企業価値の目安を算定できる、という発想です。

実務でよく使われる倍率には、次のようなものがあります。

倍率主に見ている価値
EV/EBITDA倍率事業価値・企業価値と収益力の関係
EV/EBIT倍率事業価値・企業価値と営業利益水準の関係
EV/売上高倍率利益が安定しない会社や成長会社の売上規模との関係
PER株式価値と当期純利益の関係
PBR株式価値と純資産の関係

投資銀行の実務でも、類似会社比較分析、類似取引比較分析、DCF分析、LBO分析が主要な評価手法として整理されています。このうち類似取引比較分析は、過去の類似取引で実際に支払われた価格にもとづく倍率から、評価対象会社のバリュエーション・レンジを導く手法と位置づけられます。

ただ、計算式そのものは単純でも、実務上の判断はそう単純にはいきません。

取引価格には、「会社そのものの価値」だけが映っているわけではないからです。買主がその会社をどう使うつもりだったのか、売主がどのような事情で手放したのか、契約上どのリスクを誰が引き受けたのか。こうした要素が、価格のなかに溶け込んでいます。

類似会社比較法との違い

類似取引比較法と混同されやすい手法に、類似会社比較法があります。

どちらもマーケット・アプローチに属し、倍率を使う点では共通しています。けれども、見ている価格が異なります。

類似会社比較法が基礎にするのは、上場会社の市場株価です。一方、類似取引比較法が基礎にするのは、実際に成立したM&A取引の価格です。

両者を整理すると、次のようになります。

項目類似会社比較法類似取引比較法
参照する価格上場会社の市場株価過去のM&A取引価格
反映されやすい要素市場評価、投資家期待、流動性支配権、シナジー、交渉条件、取引固有事情
主な用途市場水準との比較、DCFのクロスチェック実際のM&A価格レンジ、売却価格・買収価格の参考
注意点上場会社と非上場会社の違い取引条件・買主属性・開示情報の限界

類似会社比較法は、市場で日々形成される株価を用いるため、情報量が比較的多く、継続的な比較がしやすいという特長があります。

これに対して類似取引比較法は、実際にM&Aで成立した価格を用いるため、取引価格そのものに近い感覚を得やすい反面、取引ごとの個別事情が色濃く反映されるという面があります。

M&A価格を考えるうえでは、類似取引比較法のほうが「実際にいくらで売れたか」に近い材料を与えてくれます。ただし、その分、単なる倍率の比較にとどまらず、取引背景の読み解きが欠かせなくなります。

類似取引比較法で見ている「価格」は何の価格か

類似取引比較法を使うとき、まず確認しておきたいのは、参照している価格が何を意味しているのか、という点です。

ひと口にM&Aの価格といっても、その中身はさまざまです。

  • 株式譲渡価格
  • 事業譲渡価格
  • 公開買付価格
  • 合併比率にもとづく株式価値
  • 企業価値
  • 事業価値
  • 株主価値
  • 1株当たり価格
  • 条件付対価を含む価格
  • 価格調整前の価格
  • 価格調整後の価格

この区別をしないまま過去事例を眺めてしまうと、比較そのものが噛み合わなくなります。

とりわけEV/EBITDA倍率を使う場合、参照すべきなのは、通常、株式譲渡価格そのものではなく、企業価値または事業価値です。株式価値を企業価値に直すには、有利子負債、現預金、非事業資産、少数株主持分、退職給付、リース債務、負債類似項目などを一つずつ確認していく必要があります。

株式価値
+ 有利子負債等
− 現預金・非事業資産等
± その他調整項目
= 企業価値または事業価値

反対に、EV/EBITDA倍率から算定した企業価値をもとに株式譲渡価格を逆算する場合には、非事業資産の加算、有利子負債等の控除、価格調整条項、正常運転資本、クロージング時点の純有利子負債を確認することになります。

「過去の取引はEBITDAの何倍だった」という情報だけでは、株主が最終的に受け取った金額や、買主が実質的に負担した経済価値までは見えてきません。

過去のM&A価格には支配権とシナジーが含まれやすい

類似取引比較法の大きな特徴は、過去のM&A価格に、支配権取得の影響が含まれやすいことです。

上場会社の市場株価は、通常、少数株式の取引価格として形成されています。これに対してM&Aでは、買主が対象会社の経営権そのものを取得する場面があります。

経営権を握れば、経営方針の変更、事業統合、コスト削減、販売チャネルの活用、技術・人材の取り込み、資本政策の変更といった打ち手が可能になります。そのため、支配権取得を伴うM&Aでは、市場株価や少数持分価値に対してプレミアムが上乗せされることがあります。

ここで一つ、注意しておきたいことがあります。コントロール・プレミアムとシナジーは、同じものではないという点です。

シナジーとは、支配権を取得した後に実現し得る価値の増加を指します。一方、コントロール・プレミアムとは、支配権を取得するために実際に支払われた上乗せ分のことです。

両者は関連し合いますが、必ずしも一致するわけではありません。支配権取得を伴う企業買収では、シナジー効果に着目してプレミアムを乗せた価格で行われることが多いものの、シナジー効果とコントロール・プレミアムが常に一致するとは限らない、という点に注意が必要です。

類似取引比較法で過去のM&A倍率を使うとき、その倍率のなかには、買主固有のシナジー、競争環境、支配権取得の価値、売主の交渉力までもが含まれている可能性があります。

それを意識せずに過去取引の倍率をそのまま自社へ当てはめると、本来は買主固有の価値であったものを、自社一般の価値だと取り違えてしまいかねません。

類似取引比較法で確認すべき8つの視点

類似取引比較法では、「似たM&A事例」を探し出すだけでは足りません。

過去の取引価格を読むときには、少なくとも次の8つの視点を確認しておく必要があります。

1. 取引時期と市場環境

まず確認したいのは、取引時期です。

M&A価格は、市場環境の影響を強く受けます。金利、株式市場、資金調達環境、業界再編の進行、買主の投資意欲、PEファンドの資金調達環境、為替、規制動向、景気サイクル。こうした要因によって、同じ会社であっても価格目線は変わってきます。

数年前の取引倍率が、現在もそのまま使えるとは限りません。

たとえば金利の上昇局面では、将来キャッシュ・フローの現在価値や、LBOで支払える価格が変わります。株式市場が高騰していた時期の取引倍率は、当時の市場期待を反映して高めに出ている可能性があります。逆に、市場が冷え込んでいた時期の取引は、売主側の事情や資金調達の制約により、低い倍率で成立しているかもしれません。

過去の取引価格を見るときは、「いつ成立した価格なのか」を必ず押さえておきましょう。

2. 対象会社の事業内容と価値の源泉

次に確認したいのは、対象会社の事業内容です。

一見すると同じ業種に見える会社でも、価値の源泉が違えば、比較対象としての意味は大きく変わってきます。

確認しておきたい観点は、次のとおりです。

  • 商品・サービス
  • 顧客層
  • 収益モデル
  • 価格決定力
  • 顧客継続率
  • 技術・知的財産
  • 許認可
  • ブランド
  • 地域性
  • 営業網
  • 製造能力
  • 人材・キーマン依存
  • 設備投資の必要性
  • 運転資本の重さ

たとえば、売上規模も利益率も同じに見える会社でも、長期契約に支えられた会社と、単発案件に依存する会社とでは、将来収益の安定性がまったく異なります。

同じ製造業であっても、量産型、受託加工型、独自製品型、ファブレス型では、設備投資、在庫、顧客依存、利益率の構造が変わってきます。

類似取引比較法で重要なのは、業種分類そのものではなく、その会社がどのように利益とキャッシュ・フローを生み出しているか、という点です。

3. 対象会社の規模・成長性・収益性

M&A価格は、対象会社の規模、成長性、収益性によっても変わります。

取引事例を見るときは、売上高、EBITDA、営業利益、純資産、総資産、従業員数、拠点数、顧客数、成長率、利益率を確認しておきます。

規模の大きい会社は、顧客分散、資金調達力、人材採用力、内部管理体制、ブランド信用力が評価されやすい一方で、成熟度が高く、成長余地が限られている場合もあります。

小規模な会社は、成長余地が残されていることもありますが、経営者依存、特定顧客依存、管理体制の未整備、採用難、資金繰りの制約といったリスクを抱えやすいものです。

収益性についても、単純な利益率だけで判断することはできません。利益率が高い理由が、価格決定力や独自性に支えられたものなのか、それとも一時的なコスト削減や過少な役員報酬によるものなのか。この違いによって、評価は大きく変わります。

過去取引の倍率を読むときは、取引対象会社の財務指標そのものだけでなく、その数字が正常な収益力を表しているのかどうかまで確認しておく必要があります。

4. 買主属性

類似取引比較法では、買主が誰だったのかが大きな意味を持ちます。

同じ会社を買う場合でも、買主によって支払える価格は変わるからです。

主な買主属性には、次のようなものがあります。

  • 同業の事業会社
  • 隣接業界の事業会社
  • 取引先
  • 仕入先
  • 海外企業
  • PEファンド
  • VC・CVC
  • 経営陣
  • 親会社・支配株主
  • 競合会社

事業会社は、売上シナジー、コストシナジー、顧客基盤、技術、人材、販売網、供給網などを評価し、単独の財務価値を上回る価格を支払うことがあります。

PEファンドは、投資期間、レバレッジ、出口価格、IRR、経営改善余地を踏まえて価格を判断するため、事業会社とは価格目線が異なってくる場合があります。

親会社や支配株主による取引では、利益相反や情報の非対称性が問題になりやすく、価格そのものだけでなく、公正な手続と説明可能性が重要になります。この点について、MBOおよび支配株主による従属会社の買収を中心に、公正なM&Aの在り方を示した指針も公表されています。

出典:経済産業省|公正なM&Aの在り方に関する指針

過去の取引倍率を見るときは、「誰が買った価格なのか」を確認しなければなりません。買主固有の事情が強く反映された取引価格を、一般的な第三者価格として扱ってしまうのは危険です。

5. 取得割合と支配権の有無

続いて確認したいのが、取得割合です。

100%取得なのか、過半数取得なのか、少数持分取得なのか。これによって、価格の意味は変わってきます。

100%取得の場合、買主は対象会社を完全に支配でき、資本政策、経営体制、事業統合、資産売却、組織再編を実行しやすくなります。そのため、支配権取得の価値が価格に反映されやすくなります。

過半数取得でも一定の経営支配は可能ですが、少数株主の存在、株主間契約、重要事項の拒否権、将来の追加取得条件などが価格に影響することがあります。

少数持分取得では、支配権が限られるため、支配権プレミアムは通常、限定的です。むしろ、流動性の低さや権利の制約が価格に影響する場合があります。

過去取引の倍率を使う際には、取得割合と支配権の有無を確認し、評価対象取引と同じ前提で比較できるのかどうかを検討しておく必要があります。

6. 取引スキーム

M&Aの取引スキームも、取引価格の読み方に影響します。

主なスキームには、次のようなものがあります。

  • 株式譲渡
  • 事業譲渡
  • 会社分割
  • 合併
  • 株式交換
  • 株式移転
  • 株式交付
  • 公開買付け
  • 自己株式取得
  • 第三者割当増資

株式譲渡では、会社全体を引き受けることになるため、簿外債務、偶発債務、税務リスク、契約上のリスクまで含めて価格を判断する必要があります。

事業譲渡や会社分割では、譲渡対象となる資産・負債・契約・従業員・許認可の範囲が、価格に影響します。

合併や株式交換では、現金価格ではなく交換比率が問題になることもあります。

組織再編税制では、適格組織再編成に該当する場合と非適格組織再編成に該当する場合とで、資産・負債の移転時における税務上の取扱いが異なります。取引スキームは、価格そのものだけでなく、税務・会計・株主への影響にも関わってきます。だからこそ、類似取引を見る際には、スキームの違いを無視できません。

同じ事業を対象とした取引でも、株式譲渡と事業譲渡とでは、買主が引き受けるリスク、税務コスト、会計処理、価格調整の範囲が変わってきます。

過去取引の価格を読むときは、「何を買った価格なのか」を確認しておきましょう。

7. 価格調整・アーンアウト・条件付対価

公表された取引価格が、最終的な経済価値をそのまま表しているとは限りません。

M&A契約では、次のような価格調整や条件が付されることがあります。

  • 純有利子負債調整
  • 運転資本調整
  • 純資産調整
  • クロージングBS調整
  • アーンアウト
  • 分割払い
  • 条件付対価
  • エスクロー
  • 表明保証違反時の補償
  • 価格減額条項
  • 特定資産・負債の除外

たとえば、公表価格は一定の金額であっても、クロージング時点の純有利子負債や運転資本によって、最終的な支払額が変わることがあります。

将来業績に応じて追加支払いが発生するアーンアウトが含まれている場合、当初価格だけを見ていると、買主が実質的に支払う可能性のある総額を見誤ってしまいます。

DDで見つかった事項は、定量化できるものと、定量化が難しいものに分けられます。定量化できる事項は、プロジェクション、バリュエーション調整、買収価格の調整に反映され、定量化が難しい事項は、契約条項、譲渡対象からの除外、スキームの変更などで対応することがあります。

類似取引比較法では、取引価格だけでなく、取引条件まで読み込むことが欠かせません。価格条件を確認しないまま倍率だけを使ってしまうと、見かけ上の数字を比べるだけになり、リスク配分の違いを見落としてしまいます。

8. 開示情報の限界

類似取引比較法の大きな制約は、開示情報そのものに限界があることです。

上場会社のM&Aであれば、適時開示、公開買付届出書、意見表明報告書、臨時報告書、有価証券報告書、決算説明資料などから、一定の情報を得ることができます。

たとえばEDINETは、金融商品取引法にもとづく有価証券報告書、有価証券届出書、大量保有報告書などの開示書類について、提出から公衆縦覧までの手続きを電子化したシステムです。

出典:金融庁|EDINETについて

また、TDnetは、上場会社が行う適時開示の一連のプロセスを電子化し、適時開示情報閲覧サービスなどへ掲載する仕組みです。上場会社が会社情報の適時開示を行う際には、上場規程によりTDnetの利用が義務づけられています。

出典:日本取引所グループ|TDnetの概要

しかし、非上場会社のM&Aでは、取引価格、倍率、詳細な条件が公表されないことが多くあります。

仮に公表されていたとしても、次のような情報が欠けていることがあります。

  • 正常化後EBITDA
  • ネットデット
  • 価格調整後の最終価格
  • アーンアウト条件
  • 表明保証・補償の範囲
  • 買主が見込んだシナジー
  • DDで発見されたリスク
  • 対象会社の詳細な収益構造
  • 非事業資産や簿外債務
  • 売主側の事情
  • 競争入札の有無

ですから、類似取引比較法において、公表情報だけで精密な価格判断を行うことには、おのずと限界があります。過去のM&A価格は有用な材料ですが、見えている価格は、あくまで取引全体の一部にすぎない。そう前提を置いて読むことが大切です。

類似取引比較法の実務的な進め方

類似取引比較法を実務で使う場合、おおむね次のような流れで整理していきます。

1. 評価対象取引の前提を明確にする

まずは、自社が検討している取引の前提を整理します。

  • 売却か買収か
  • 株式譲渡か事業譲渡か
  • 全部取得か一部取得か
  • 支配権移転を伴うか
  • 買主は事業会社か投資家か
  • 価格を誰に説明する必要があるか
  • 税務・会計・会社法上の説明が必要か
  • 金融機関や株主への説明が必要か

この前提が曖昧なまま過去事例を集めても、比較すべき取引が定まりません。

2. 類似取引候補を広めに洗い出す

次に、過去のM&A取引を広めに洗い出していきます。

情報源としては、次のようなものが考えられます。

  • TDnetの適時開示
  • EDINETの公開買付届出書、意見表明報告書、臨時報告書
  • 上場会社のプレスリリース
  • 有価証券報告書
  • 決算説明資料
  • M&A専門データベース
  • 専門ニュース
  • 業界紙
  • 信用調査情報
  • 公表済みの譲渡・買収事例

中小M&Aについては、詳細な価格情報が必ずしも公表されるわけではありません。そのため、公式情報、専門データベース、支援機関からの情報、対象会社の資料を、慎重に組み合わせて読んでいくことになります。中小M&Aの一般的な手続のなかでも、バリュエーション、交渉、基本合意、デューデリジェンス、最終契約、クロージングといった流れが整理されています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン

3. 比較可能性を確認する

候補となる取引を集めたら、比較可能性を確認します。

確認しておきたい観点は、次のとおりです。

  • 業種
  • 商品・サービス
  • 顧客層
  • 収益モデル
  • 事業規模
  • 成長性
  • 収益性
  • 地域性
  • 設備投資負担
  • 運転資本負担
  • 買主属性
  • 取得割合
  • 取引時期
  • 取引スキーム
  • 支配権の有無
  • シナジーの有無
  • 売主側の事情

類似取引比較法で最も危ういのは、表面的に似ているだけの取引を、実質的にも類似していると扱ってしまうことです。

「同業のM&A」というだけでは、まだ足りません。評価対象会社と過去取引の対象会社が、どの点で似ていて、どの点で違うのか。そこを丁寧に整理する必要があります。

4. 倍率を算定する

比較可能性が認められる取引について、取引倍率を算定します。

代表的なのは、EV/EBITDA倍率です。

EV/EBITDA倍率
= 取引企業価値 ÷ EBITDA

ただし、ここで使うEVとEBITDAには、いくつか注意点があります。

取引企業価値を計算する際には、株式価値、有利子負債、現預金、非事業資産、少数株主持分、優先株式、リース債務、年金債務、価格調整の有無を確認します。

EBITDAを使う際には、直近期実績、過去12か月実績、予想値、正常化後EBITDAのうち、どれを用いるのかをはっきりさせておきます。一時的な損益、役員報酬、関連当事者取引、補助金、特別な受注、会計処理の差異があると、倍率の分母が歪んでしまうからです。

5. 外れ値と採用レンジを整理する

類似取引倍率は、一つの平均値だけで眺めるべきではありません。

取引ごとの事情が強いため、倍率にはどうしてもばらつきが出ます。そこで、次のようにレンジで整理します。

  • 最低倍率
  • 最高倍率
  • 中央値
  • 平均値
  • 外れ値を除いたレンジ
  • 類似性の高い取引だけのレンジ
  • 買主属性別のレンジ
  • 取引時期別のレンジ
  • 取得割合別のレンジ

外れ値は、機械的に除外するのではなく、なぜ外れ値になっているのかを確認することが大切です。

高倍率の理由が、強いシナジー、競争入札、希少性、将来成長性にあるのなら、自社にも同じ前提があるかどうかを検討します。低倍率の理由が、業績不振、売主の資金繰り、訴訟リスク、業界低迷、買主の限定にあるのなら、その前提を評価対象会社に当てはめてよいかを検討します。

6. DCF・類似会社比較法・時価純資産法と照合する

類似取引比較法だけで価格を決めてしまうのは、避けたいところです。

過去のM&A価格には取引固有の事情が含まれるため、DCF、類似会社比較法、時価純資産法と照らし合わせる必要があります。

マーケット・アプローチは、市場で成立した価格や取引価格を基礎にするため客観性に優れる一方、類似企業や類似取引の選定には主観が入りやすく、比較対象と評価対象が同質であることが前提になります。

類似取引比較法で得られた倍率が、DCFの結果と大きく食い違う場合には、どちらが正しいかを早急に決めるのではなく、次の点を確認します。

  • DCFの事業計画が楽観的すぎないか
  • 継続価値が過大ではないか
  • 資本コストが適切か
  • 類似取引が本当に比較可能か
  • 過去取引に特殊なシナジーが含まれていないか
  • 市場環境が変わっていないか
  • 非事業資産や負債の調整が一致しているか

評価手法ごとに見ているものが異なる以上、結果が違ってくるのはむしろ自然なことです。重要なのは、評価額の違いを自分の言葉で説明できる状態にしておくことです。

類似取引比較法が有用な場面

類似取引比較法は、次のような場面で力を発揮します。

  • 同業界でM&A事例が一定数公表されている
  • 売却価格や買収価格の初期的なレンジを把握したい
  • 提示された価格が過去取引と比べて大きく外れていないか確認したい
  • DCFの結果を市場取引の目線で検証したい
  • 買主候補による価格目線の違いを整理したい
  • 株主や金融機関に価格判断の参考情報を示したい
  • 交渉前に価格レンジと譲れない条件を整理したい

とりわけ売主側にとっては、「自社がどの程度の価格レンジで見られ得るのか」を把握する材料になります。

買主側にとっては、「提示価格を受け入れてよいか」「シナジーをどこまで価格に反映してよいか」「過去取引と比べて割高ではないか」を検証する材料になります。

ただし、類似取引比較法は、あくまで価格交渉のための参考材料であって、取引価格を自動的に決めてくれる方法ではありません。

類似取引比較法が使いにくい場面

一方で、次のような場合には、類似取引比較法の信頼性は低くなります。

  • 類似するM&A事例が少ない
  • 非上場会社の取引で詳細情報が公表されていない
  • 対象会社の事業が特殊である
  • 赤字、再生、急成長、事業転換の局面にある
  • 買主固有のシナジーが強く反映された事例しかない
  • 取引時期が古く、市場環境が大きく変わっている
  • 価格調整やアーンアウトの詳細が分からない
  • 取得割合や支配権の前提が異なる
  • スキームが異なり、引き受けるリスクが違う
  • 公表価格と実質的な経済条件がずれている

こうした場合には、類似取引比較法は補助的に使うにとどめ、DCFや時価純資産法、DDによる正常収益力の分析を重視すべきです。

「過去に似た取引がないから評価できない」と諦める必要はありません。過去取引から得られる情報の限界を明確にしたうえで、別の評価手法と組み合わせて判断していく。それが現実的な進め方です。

類似取引比較法でよくある誤解

誤解1:過去取引の最高倍率を使えば売却価格の上限になる

過去取引の最高倍率は、必ずしも売却価格の上限を意味しません。

その取引には、特殊な買主、強いシナジー、競争入札、希少性、将来成長性、売主の交渉力が含まれていた可能性があります。

自社にも同じ前提があるかどうかを確認しないまま、最高倍率を希望価格の根拠とするのは難しいといえます。

誤解2:同業の平均倍率を使えば客観的である

平均倍率も、必ずしも客観的な結論とはいえません。

比較対象とする取引の選び方、外れ値の扱い、取引時期、買主属性、取得割合によって、平均倍率は変わってきます。

類似性の低い取引を多く含めてしまえば、平均値は評価対象会社の実態から離れていきます。

誤解3:公表価格は最終的な実質価格である

公表価格が、最終的な実質価格であるとは限りません。

価格調整、アーンアウト、条件付対価、補償、エスクロー、譲渡対象からの除外などによって、買主と売主の実質的な経済条件は変わってきます。

誤解4:買主が高く払ったから、その会社の価値が高い

買主が高い価格を支払ったとしても、その理由は、必ずしもその会社の一般的な価値にあるとは限りません。買主固有の価値であった可能性があります。

特定の買主にとっては高い価値があったとしても、他の買主にとって同じ価値があるとは限らないのです。

誤解5:過去取引倍率だけで交渉価格を決められる

取引価格は、評価結果だけで決まるものではありません。交渉力、競争環境、DD結果、契約条件、支払条件、税務・会計上の影響、リスク配分。これらすべてが絡み合って、価格が形づくられます。

類似取引比較法は、価格交渉の出発点にはなりますが、最終価格そのものではありません。

類似取引比較法を意思決定に使える形にする

類似取引比較法を本当に有効に使うには、倍率を並べるだけで終わらせず、意思決定のための資料へと整理していく必要があります。

具体的には、次のような整理が役に立ちます。

整理項目確認すべき内容
取引概要取引時期、買主、売主、対象会社、取得割合、スキーム
取引価格株式価値、企業価値、価格調整、条件付対価
財務指標売上高、EBITDA、営業利益、純資産、正常化調整
倍率EV/EBITDA、EV/売上高、PER、PBR
比較可能性事業内容、規模、成長性、収益性、地域性、リスク
取引固有要因シナジー、支配権、競争入札、売主事情、買主属性
限界開示不足、非公表条件、取引時期、市場環境の違い
判断への使い方評価レンジ、交渉材料、DCFの検証、説明資料

このように整理しておくと、過去のM&A価格を、漠然とした「相場感」ではなく、「判断材料」として使えるようになります。

売主側から見た類似取引比較法

売主にとって、類似取引比較法は、自社の希望価格を考えるうえでの材料になります。

ただ、売主側が気をつけたいのは、高倍率の取引事例だけに目を奪われてしまうことです。

売主側では、次の点を確認しておく必要があります。

  • 高倍率事例と自社の違いは何か
  • 自社の正常収益力は説明できるか
  • 非事業資産や余剰資金は価格に反映されているか
  • 有利子負債や簿外債務は価格から控除されるか
  • 買主が評価するシナジーは何か
  • 支配権取得を前提にした価格か
  • 価格以外に譲れない条件は何か
  • 株主や後継者に説明できる価格か

売主にとって本当に大切なのは、「高く売れた事例」を探すことではありません。自社がどのような前提で、どの買主に、どの価格レンジで評価され得るのか。それを冷静に整理することです。

買主側から見た類似取引比較法

買主にとって、類似取引比較法は、提示価格を検証する材料になります。

とりわけ、次の点を確認しておきたいところです。

  • 提示価格は過去取引と比べて高すぎないか
  • 高い倍率を支払うだけのシナジーがあるか
  • DDで発見されたリスクを価格に反映しているか
  • 買収後の追加投資や運転資本負担を見込んでいるか
  • 価格調整や補償でリスクを管理できるか
  • 取得後ののれんや減損リスクを説明できるか
  • 投資回収期間や資本コストに照らして許容できるか

買主側では、「過去にも同程度の倍率で取引されているから大丈夫」と考えるのではなく、その過去取引の買主が、どのような前提で支払った価格だったのかまで踏み込んで検討する必要があります。

買主固有のシナジーを過大に見込んでしまうと、買収後に期待した価値が実現せず、のれんや投資回収の問題につながることもあります。

類似取引比較法は「過去の答え」ではなく「現在の問い」を立てるために使う

過去のM&A価格は、非常に強い説得力を持っています。実際に誰かがその価格で買った、あるいは売ったという事実があるからです。

しかし、M&Aの価格は、財務数値だけで決まるものではありません。

過去の取引価格は、過去の市場環境、過去の買主、過去の売主、過去の交渉条件、過去のDD結果、過去の契約条件のもとで成立した価格です。それを、現在の評価対象会社にそのまま当てはめるには、慎重な読み替えが欠かせません。

類似取引比較法は、過去のM&A価格から「自社はいくらか」を直接答えてくれる方法ではありません。むしろ、次の問いを立てるための方法だと捉えたほうが、実態に近いように思います。

  • どの取引が本当に比較可能か
  • 過去取引の価格には何が含まれていたか
  • その倍率は自社の正常収益力に適用できるか
  • 買主固有のシナジーをどこまで織り込むべきか
  • 支配権や少数持分の違いをどう見るか
  • 価格調整や契約条件をどう読むか
  • 現在の市場環境で同じ倍率が成立し得るか
  • 第三者に説明できる評価レンジになっているか

こうした問いに答えながら過去取引を読み解いていくことで、類似取引比較法は、単なる相場感ではなく、取引判断のための確かな材料へと変わっていきます。

主な参照情報

出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン
出典:金融庁|EDINETについて
出典:日本取引所グループ|TDnetの概要
出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン
出典:経済産業省|公正なM&Aの在り方に関する指針

この記事の振り返り

論点重要な考え方
類似取引比較法の位置づけ過去のM&A取引価格や取引倍率を参考にするマーケット・アプローチの一つ
類似会社比較法との違い類似会社比較法は市場株価、類似取引比較法は実際のM&A価格を基礎にする
過去取引価格の読み方取引価格には支配権、シナジー、交渉条件、買主属性、売主事情が含まれ得る
支配権・シナジー支配権取得を伴う取引ではプレミアムが含まれることがあるが、シナジーと同一ではない
比較可能性業種だけでなく、事業内容、規模、成長性、収益性、リスク、買主属性、取得割合を見る
取引条件価格調整、アーンアウト、表明保証、補償、エスクローにより実質価格は変わり得る
開示情報の限界公表価格だけでは、正常収益力、ネットデット、価格調整後の最終条件まで分からないことがある
実務上の使い方DCF、類似会社比較法、時価純資産法、DD結果とあわせて価格レンジを整理する
避けるべき使い方高倍率事例や平均倍率だけを根拠に、希望価格・提示価格を正当化すること
最終的な判断類似取引比較法は価格を決める方法ではなく、過去の取引価格を分解し、現在の取引判断に使える材料へ変える方法

過去のM&A価格を自社の価格判断に使う前に

類似取引比較法は、M&A価格を検討するうえで、たいへん有用な手法です。

しかし、過去の取引価格をそのまま自社の売却価格・買収価格に当てはめてしまうと、買主固有のシナジー、支配権プレミアム、取引条件、価格調整、DD発見事項、税務・会計上の影響を見落としてしまうことがあります。

とりわけ、仲介会社や相手方から提示された「過去事例」「相場倍率」「同業M&A価格」を、どう受け止めればよいか分からない。そう感じる場面では、過去取引の倍率だけでなく、自社の正常収益力、非事業資産、有利子負債、簿外債務、取引スキーム、そして説明する相手まで含めて整理しておくことが大切です。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A・承継・資本政策・組織再編における企業価値評価や取引価格の判断について、財務・税務・会計の視点から論点整理のお手伝いをしています。

「過去のM&A事例を自社に当てはめてよいか確認したい」「提示価格の根拠を分解したい」「株主・金融機関・後継者に説明できる価格レンジを整理したい」。そうお考えでしたら、まずは現在の資料と前提条件を整理するところから、お気軽にご相談ください。

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