親の判断能力に不安が出てきたとき、相続対策でまず問題になるのは、「まだ贈与できるのか」「遺言を書けるのか」「不動産を売却できるのか」という点です。
ここで気をつけていただきたいことがあります。認知症と診断されたからといって、直ちにすべての行為が無効になるわけではありません。その一方で、診断名が付いていないからといって、常に有効に法律行為ができるとも限らないのです。
相続対策では、本人の意思が何よりも重要です。ただ、本人の意思を尊重することと、本人がその法律行為をきちんと理解できているかを確認することは、同じではありません。
遺言、贈与、売買、信託、任意後見、財産管理委任、生命保険契約の変更。これらはいずれも、本人の財産や将来の相続に大きな影響を与えます。ですから、「本人がうなずいた」「家族がそう言っている」「公正証書にした」というだけでは、確認として十分とはいえません。
本稿では、相続・贈与の実務でとくに重要となる意思能力、行為能力、遺言能力、贈与能力の違いを整理したうえで、認知症が疑われる場合に何を確認し、どのように記録を残しておくべきかをお話しします。
相続対策で能力確認が重要になる理由
相続対策とは、単なる節税策の選択ではありません。本人の財産をどのように管理し、誰に、どのような根拠で承継させるかを決める、ひとつの意思決定です。
そのため、本人の判断能力が問題になる場面では、次のようなリスクが同時に生じます。
- 贈与契約や不動産売買契約が無効と主張される
- 遺言の有効性が、相続開始後に争われる
- 名義変更した財産が、実質的には本人の財産と判断される
- 特定の相続人だけが有利になる行為として、親族間の対立が生じる
- 税務調査で、資金移動や贈与の実態を説明できない
- 相続税申告で、過去の贈与、名義財産、相続財産加算を整理できない
- 不動産や非上場株式の承継について、法務と税務の前提が崩れる
相続対策では、「できるか」だけでなく、「その時点で本人が理解していたと、後から説明できるか」が問われます。
とくに高齢期の相続対策において、判断能力を確認しないまま財産を動かすことは、本人保護、親族間の公平、税務上の説明可能性。そのいずれの面から見ても危ういものです。
意思能力とは何か
意思能力とは、簡単にいえば、自分が行う法律行為の意味や結果を理解して判断する能力です。
民法では、法律行為の当事者が意思表示をした時に意思能力を有しなかったときは、その法律行為は無効とされています。判断能力が不十分な人が不利益を受けることを防ぐための、基本的なルールです。
出典:e-Gov法令検索|民法
ただし、意思能力の有無は、抽象的に「ある」「ない」と決められるものではありません。
実務上は、どの法律行為をするのか、その行為がどれほど複雑か、本人にどれほど重大な影響を与えるかによって、求められる理解の水準が変わってきます。日用品の購入、預金の引き出し、少額の贈与、自宅不動産の売却、そして全財産を特定の相続人に承継させる遺言。これらでは、求められる判断の内容がまったく異なります。
認知症高齢者だから当然に意思能力を欠く、とはいえません。あくまで個別の法律行為を前提として、医師の意見、日常生活の支障、法律行為の難易度や重大性などを踏まえて判断すべきものと整理できます。
つまり相続対策で必要なのは、「認知症かどうか」だけを見ることではなく、「その行為の意味を、その時点の本人が理解していたか」を確認することなのです。
行為能力とは何か
意思能力と混同されやすい概念に、行為能力があります。
行為能力とは、法律行為を単独で有効に行うことができる、法律上の資格・地位に関する概念です。未成年者、成年被後見人、被保佐人、被補助人といった制限行為能力者については、本人保護のため、一定の法律行為について取消しや同意、代理の仕組みが設けられています。
ここで押さえておきたいのは、意思能力と行為能力は別の問題だ、ということです。
意思能力がない状態で行われた法律行為は、原則として無効です。これに対し、制限行為能力者が行った法律行為は、制度に応じて取り消し得るものとして扱われる場合があります。
また、成年後見制度を利用していない人であっても、個別の法律行為の時点で意思能力がなければ、その法律行為は無効になり得ます。逆に、後見・保佐・補助の制度を利用しているからといって、すべての意思表示が一律に同じ扱いになるわけでもありません。
法務省は、法定後見制度について、本人の判断能力の程度に応じて「後見」「保佐」「補助」の3つの制度があると整理しています。後見は判断能力が欠けているのが通常の状態、保佐は判断能力が著しく不十分、補助は判断能力が不十分な方を、それぞれ対象とする制度です。
出典:法務省|成年後見制度・成年後見登記制度 Q&A Q3~Q15 法定後見制度について
相続対策の相談において、「成年後見の登記がないから大丈夫」という発想は危険です。後見等の制度利用の有無と、特定の贈与・遺言・売買について意思能力があったかどうかは、別に確認する必要があります。
遺言能力とは何か
遺言能力とは、遺言をするために必要な能力です。
民法では、15歳に達した者は遺言をすることができるとされ、遺言者は遺言をする時においてその能力を有しなければならないとされています。
遺言能力は、一般的な意思能力の一場面ではありますが、相続実務では独立して慎重に検討されます。遺言は本人の死亡後に効力が問題となるため、本人に直接確認できない状態のまま、相続人間で有効性が争われることが多いからです。
遺言能力の有無は、医学的な診断だけでなく、次のような事情を総合して判断されます。
- 遺言時の精神上の障害の有無と程度
- 認知症の種類、進行状況、検査結果
- 遺言内容の複雑さ
- 財産の種類や分量
- 相続人や受遺者との関係
- 遺言に至る経緯
- 過去の発言や承継方針との整合性
- 遺言内容の合理性
- 遺言作成時の本人の受け答え、言動、態度
- 遺言作成の前後の生活状況、医療・介護記録
認知症の診断を受けていたとしても、当然に遺言能力を欠くものとはされません。医学的要素を基礎にしながら、遺言作成時の言動、遺産に関する意向、作成経緯、遺言内容の合理性や難易度などを総合して判断されます。
ですから、遺言能力を考えるうえで大切なのは、「認知症だから遺言はできない」と単純化しないことです。そして同時に、「公正証書遺言だから必ず大丈夫」とも考えないことです。
公正証書遺言でも能力確認は省略できない
認知症が疑われる場合、公正証書遺言を作成することは、有効性や証拠化の面で有力な選択肢になります。
とはいえ、公正証書遺言にすれば遺言能力の争いが完全になくなる、というわけではありません。
公証人が関与し、本人確認や意思確認が行われること自体は、たしかに重要です。それでも、本人がどの程度理解していたか、遺言内容が本人の従前の意思と整合しているか、相続人間の公平を大きく変える内容について本人が説明できていたか。こうした点は、別途問題になり得ます。
公正証書遺言の作成時に、遺言者が挨拶をした、返事をした、自分の名前を書いた。そうした事情があってもなお、他の事情を考慮して遺言能力が否定された裁判例があります。逆に、認知症が進行していても、遺言者が財産の承継先を自ら述べるなどした事情から、遺言能力が肯定された例もあります。
つまり遺言能力の判断では、形式だけではなく、本人が遺言の意味を理解していたことを示す実質的な記録が重要になるのです。
具体的には、診断書、医師の意見書、認知機能検査、介護認定資料、介護施設記録、本人との面談記録、遺言内容を本人が説明した記録、公証人とのやり取り、遺言作成前後の本人の発言などが手がかりになります。遺言能力の立証資料としては、診断書、画像所見、精神心理学的検査結果、医師の意見書、入通院診療記録、要介護認定調査票、介護施設の入所記録、本人の日記・手紙・メモ、公証人による作成状況の記録などが有益と整理されています。
贈与能力とは何か
贈与能力とは、贈与契約を有効に行うために必要な判断能力です。
贈与は、贈与者が自己の財産を無償で相手方に与える意思を表示し、相手方が受諾することによって効力を生ずる契約です。
したがって贈与では、少なくとも本人が次のことを理解している必要があります。
- どの財産を贈与するのか
- 誰に贈与するのか
- 無償で渡すことの意味
- 贈与後は自分の財産ではなくなること
- 自分の生活費、医療費、介護費に影響しないか
- 他の相続人との公平にどう影響するか
- 将来の相続税申告でどのように扱われる可能性があるか
贈与は、本人の生前に財産を減少させる行為です。そのため、遺言よりも本人の生活保障に直接影響する場合があります。
とくに高齢者の生前贈与では、相続税を減らすことだけを目的にしてはいけません。本人の生活費や介護費を確保できるか、特定の家族だけが利益を受けていないか、贈与を受ける側が財産を実際に管理しているか、後から他の相続人に説明できるか。こうした点を確認しておく必要があります。
贈与は生前に行われる無償の片務契約であり、遺言・遺贈と異なって贈与者の生活に重大な障害を生じさせる可能性があります。ですから判断能力が衰えている場合には、契約内容の合理性を十分に検討する必要があると整理できます。
贈与税申告をしていても、贈与が有効とは限らない
相続実務でよくある誤解に、「贈与税申告をしているのだから、贈与は認められるはず」というものがあります。
贈与税申告はたしかに重要な資料です。しかし、それだけで贈与の成立や本人の意思能力が当然に認められるわけではありません。
贈与契約書はあるか。実際に資金が移動しているか。受贈者が財産を管理しているか。贈与者が財産を手放した認識を持っていたか。贈与後の収益や配当を誰が受け取っていたか。通帳・印鑑・証券口座を誰が管理していたか。こうした点を、ひとつずつ確認していく必要があります。
とくに、子や孫名義の預金・証券であっても、資金原資が本人で、管理も本人または同居親族が行っており、受贈者が自由に処分できない状態であれば、相続税申告では名義財産として問題になることがあります。
また、令和6年1月1日以後の暦年課税贈与については、相続税の課税価格に加算される期間が段階的に見直され、相続開始前7年以内の贈与が加算対象となる仕組みへ移行しています。令和13年1月1日以後の相続では、原則として相続開始前7年以内の暦年課税贈与が加算対象となります。
出典:国税庁|No.4161 贈与財産の加算と税額控除(暦年課税)
贈与の有効性、贈与税申告、相続税への加算、名義財産の判断。これらはそれぞれ別の論点です。相続税対策として贈与を行う場合には、税額だけでなく、法律上の成立、証拠、管理実態、将来の申告説明まで、一体で整理する必要があります。
相続時精算課税を使う場合も、贈与能力の確認は必要
相続時精算課税制度を利用する場合も、贈与能力の確認は省略できません。
相続時精算課税は、原則として60歳以上の父母または祖父母などから、18歳以上の子または孫などに対する贈与について選択できる制度です。この制度を選択するには、贈与を受けた年の翌年2月1日から3月15日までの間に、相続時精算課税選択届出書などを提出する必要があります。また、一度選択すると、その贈与者からの贈与について暦年課税へ変更することはできません。
令和6年1月1日以後の贈与については、相続時精算課税にも年110万円の基礎控除が設けられています。ただしこれは税額計算上の取扱いであって、贈与契約の有効性を保証するものではありません。
相続時精算課税は、贈与時の価額を将来の相続税計算に持ち込む制度です。そのため、認知症が疑われる段階で不動産や株式を相続時精算課税で移転する場合には、本人が財産の内容、贈与の意味、将来の相続税への影響、他の相続人との関係を理解しているかを、より慎重に確認する必要があります。
診断書があれば十分なのか
診断書は重要な資料です。ただ、診断書だけで能力判断が決まるわけではありません。
能力判断では、診断名、認知機能検査の点数、画像所見、医師の意見などが、重要な手がかりになります。しかし法律上問題になるのは、特定の法律行為をした時点で、本人がその意味と結果を理解していたかどうかです。
そのため、診断書の作成日と遺言・贈与・契約の日が離れている場合には、診断書だけでは十分とはいえません。認知機能には波があることもあり、体調、環境、説明方法、同席者、時間帯によって受け答えが変わることもあるからです。
実務上は、次のような資料を組み合わせて確認します。
- 医師の診断書
- 認知機能検査の結果
- 画像所見
- 主治医意見書
- 入通院記録
- 介護認定調査票
- 介護施設の記録
- 訪問看護やケアマネジャーの記録
- 本人の面談記録
- 本人が作成したメモ、手紙、日記
- 契約書、遺言案、説明資料
- 公証人とのやり取り
- 財産一覧、相続人関係図
- 贈与や遺言の理由を説明した記録
とくに、贈与契約時の意思能力を判断する資料としては、贈与契約書、不動産登記委任状、登記原因証明情報、預金振込依頼書、払戻請求書、診断書、画像所見、精神心理学的検査結果、医師の意見書、要介護認定調査票、主治医意見書、施設記録、本人の日記・手紙・メモ、関係人の供述などが有益と整理されます。
大切なのは、「診断書があるか」ではなく、「その行為を本人が理解していたことを、複数の資料で説明できるか」です。
能力判断で確認すべき実務上の視点
認知症が疑われる場合に、遺言や贈与を進めるべきかを判断するには、次の順序で整理していくと、実務上の漏れを防ぎやすくなります。
1. いつの能力を確認するのか
能力判断では、時点が重要です。
遺言であれば、遺言作成時。贈与であれば、贈与契約時。不動産売却であれば、売買契約時や登記手続時の理解状況が問題になります。任意後見契約であれば、任意後見契約を締結する時点の意思能力が問われます。
相続開始後になって「亡くなる前はしっかりしていた」「かなり認知症が進んでいた」と言っても、それだけでは十分ではありません。問題となる法律行為の日に近い資料が、何より重要になります。
2. 何を理解すべき行為なのか
同じ「財産を動かす」行為でも、必要な理解は異なります。
預金の少額引き出しと、収益不動産の売却は違います。毎年の少額の現金贈与と、自宅や会社株式の贈与も違います。単純に「全財産を子に相続させる」遺言と、複数の不動産、非上場株式、代償金、遺留分、信託受益権まで含む遺言とでは、理解すべき内容がまるで異なります。
能力確認は、行為の種類、金額、財産の重要性、内容の複雑さに応じて行うべきものです。
3. 本人が自分の財産を把握しているか
遺言や贈与では、本人が自分の財産をどの程度把握しているかが重要です。
全財産の詳細を正確に記憶している必要まではありません。ただ、少なくとも主要な財産の概要、誰に何を渡そうとしているか、その結果として自分や家族にどう影響するかは、理解している必要があります。
不動産、預貯金、有価証券、生命保険、同族会社株式、貸付金、借入金、収益物件などがある場合には、財産一覧を作成し、本人がどこまで理解できているかを確認しておくと有効です。
4. 相続人や受贈者との関係を理解しているか
遺言や贈与では、財産だけでなく、家族関係の理解も重要です。
誰が相続人になり得るのか。誰に多く渡すのか。誰には渡さないのか。その理由は何か。過去の贈与や介護、同居、事業承継、生活保障との関係はどうか。
これらを本人が理解しないまま、特定の相続人に有利な遺言や贈与を行うと、相続開始後に争いになりやすくなります。
5. 内容が本人の従前の意思と整合しているか
能力が争われやすいのは、内容が急に変わった場合です。
長年話していた承継方針と異なる遺言。特定の相続人だけが関与して作成された贈与契約。介護施設入所後に急に行われた不動産売却。判断能力低下後に行われた生命保険受取人変更。こうした行為は、後から疑義を持たれやすいものです。
本人の過去の発言、家族への説明、事業承継の経緯、介護や同居の状況、過去の贈与との整合性を、あらかじめ確認しておく必要があります。
6. 誰が説明し、誰が同席したのか
能力確認では、手続の中立性も重要です。
特定の相続人だけが本人に説明し、他の相続人には知らせずに財産移転を進めると、たとえ内容が合理的であっても、後から疑念を持たれやすくなります。
必要に応じて、公証人、弁護士、司法書士、税理士、医師などの第三者を関与させることが有効です。ただし、第三者が関与していれば常に安全、というわけではありません。本人が自分の言葉で理解を示しているかどうかが重要です。
7. 税務上も説明できるか
能力確認は、法務だけの問題ではありません。相続税申告でも重要になります。
たとえば、贈与契約があるとしても、本人の判断能力に疑義がある、財産管理が本人のまま、受贈者が自由に使えない、贈与後の収益を本人が受け取っている。こうした場合には、税務上も贈与の実態が問題になります。
また、遺言により取得者が決まる場合には、相続税の申告、財産評価、小規模宅地等の特例、配偶者の税額軽減、非上場株式の承継、納税資金にも影響します。
法務上の有効性と税務上の説明可能性は、分けて考える必要があります。
遺言を検討する場合の実務上の注意点
認知症が疑われる段階で遺言を検討する場合は、次のような進め方が望ましいといえます。
まず、本人の財産一覧と相続人関係を整理します。そのうえで、本人に対し、財産の概要、相続人、遺言の効果、各相続人への影響を説明し、本人自身の言葉で意向を確認します。
次に、遺言内容をできるだけ分かりやすくします。複雑な条件、過度に細かな財産指定、税務上の効果を本人が理解しにくい設計は、後から能力を争われる要因になります。
さらに、遺留分、二次相続、納税資金、特定の相続人への偏り、過去の贈与との整合性を検討します。本人の意思を尊重することは重要です。ただ、相続開始後に実行できない、税務上不利になる、親族間紛争を招く。そうした内容では、結果として本人の意思が実現されにくくなってしまいます。
公正証書遺言を作成する場合でも、診断書、面談記録、本人の発言メモ、財産説明資料、公証人とのやり取りを残しておくことが重要です。
贈与を検討する場合の実務上の注意点
認知症が疑われる段階で贈与を検討する場合は、遺言以上に慎重な判断が必要です。
贈与は、本人の財産を生前に減少させます。したがって、本人の生活費、医療費、介護費、施設費用、不動産管理費、固定資産税、将来の納税資金を確保したうえで行う必要があります。
また、贈与する財産の種類によって、確認すべき論点が異なります。
現金贈与であれば、贈与契約書、振込記録、受贈者の管理、贈与税申告が重要です。
不動産贈与であれば、登記、贈与税評価、登録免許税、不動産取得税、将来の小規模宅地等の特例への影響、二次相続、売却可能性まで確認する必要があります。
非上場株式の贈与であれば、株式評価、議決権、後継者、遺留分、納税資金、相続時精算課税、事業承継税制との関係まで整理する必要があります。
生命保険契約の変更であれば、契約者、被保険者、受取人、保険料負担者、契約者変更時の課税関係を確認する必要があります。
相続税を減らすために急いで贈与を行うのではなく、本人の意思、贈与の合理性、財産管理、税務上の証拠化を確認すること。これが先に来るべきです。
任意後見契約や家族信託でも意思能力は必要
認知症対策として、任意後見や家族信託を検討することがあります。
ここでも、本人の意思能力は前提になります。
任意後見制度は、本人が十分な判断能力を有する時に、将来任意後見人となる人や委任する事務の内容を公正証書による契約で定めておき、本人の判断能力が不十分になった後に、任意後見人が委任された事務を本人に代わって行う制度です。
出典:法務省|成年後見制度・成年後見登記制度 Q&A Q16~Q20 任意後見制度について
任意後見契約は、家庭裁判所が任意後見監督人を選任した時から効力が生じます。
出典:法務省|成年後見制度・成年後見登記制度 Q&A Q16~Q20 任意後見制度について
任意後見契約は公正証書によることが求められますが、公正証書であれば能力確認が不要になるわけではありません。公正証書作成段階で意思能力に疑いがある場合には、医師の診断書提出等により本人の意思能力を確認したり、法定後見を検討すべき場面があります。
家族信託も同様です。信託契約を締結するには、本人が信託財産、受託者の権限、受益者、信託終了時の帰属先、税務上の影響を理解している必要があります。信託は財産管理の仕組みとして有用な場合がありますが、本人の理解を超える複雑な設計にすると、後から有効性や親族間の納得が問題になります。
無理な相続対策を避ける判断軸
認知症が疑われる場合に最も避けるべきなのは、「今ならまだ間に合う」と急いで財産を動かすことです。
判断能力に不安がある段階では、次のような対策はとくに慎重に検討すべきです。
- 高額な不動産贈与
- 自宅や収益物件の売却
- 非上場株式の移転
- 特定の相続人だけに有利な遺言
- 過去の意思と異なる急な遺言変更
- 生命保険受取人の変更
- 養子縁組を伴う相続税対策
- 同族会社との低額取引
- 家族信託契約の締結
- 任意後見契約と遺言の同時作成
これらは、本人の意思が明確で、内容を理解しており、合理的な理由があり、記録が残っている場合には、検討できることがあります。
しかし、本人の理解が曖昧なまま、家族の都合や節税効果を優先して実行すると、相続開始後に争いの原因になります。
相談前に整理しておきたい情報
意思能力、遺言能力、贈与能力が問題になりそうな場合、専門家に相談する前に、次の情報を整理しておくと判断が進みやすくなります。
- 本人の現在の生活状況
- 認知症や軽度認知障害の診断の有無
- 診断書、検査結果、主治医意見書
- 要介護認定資料、介護記録、施設記録
- 本人が財産をどの程度把握しているか
- 財産一覧、不動産資料、預貯金、証券、保険、同族会社資料
- 本人の過去の発言や承継方針
- 遺言書の有無
- 過去の贈与履歴
- 家族関係、相続人間の対立可能性
- 現在、誰が通帳や財産資料を管理しているか
- 贈与や遺言を検討する理由
- 本人の生活費、介護費、納税資金の見込み
相談の目的は、「まだできるか」を形式的に確認することではありません。本人の意思を尊重しながら、法務上有効で、税務上も説明でき、親族関係にも耐えられる形を検討することです。
まとめ:能力判断は、本人意思を守るための確認である
意思能力、遺言能力、贈与能力の確認は、相続対策を妨げるための手続ではありません。
むしろ、本人の意思を実現し、相続開始後の無効主張や親族間紛争、税務調査での否認を防ぐために必要な確認です。
認知症が疑われる場合でも、遺言や贈与が常にできないわけではありません。その一方で、形式だけを整えても、本人が理解していなければ、後から大きな問題になります。
重要なのは、次の順番です。
まず、本人の意思を確認する。次に、その意思を本人が理解しているかを確認する。そのうえで、財産内容、家族関係、税務上の影響、将来の相続税申告での説明可能性を整理する。
相続対策では、節税効果よりも先に、本人意思、判断能力、記録化を整えるべきです。
重要ポイントの振り返り
| 論点 | 基本的な意味 | 相続・贈与実務での確認ポイント |
|---|---|---|
| 意思能力 | 法律行為の意味と結果を理解して判断する能力 | 行為の時点、内容の難易度、本人への影響、医療記録、面談記録を確認する |
| 行為能力 | 単独で法律行為を行える法律上の資格・地位 | 後見・保佐・補助の有無と、個別行為の意思能力を分けて確認する |
| 遺言能力 | 遺言をするために必要な能力 | 財産、相続人、遺言内容、承継先、他の相続人への影響を理解しているか確認する |
| 贈与能力 | 贈与契約を有効に行うための判断能力 | 財産を無償で渡し、以後自分の財産ではなくなることを理解しているか確認する |
| 診断書 | 能力判断の重要資料 | 診断名だけでなく、作成時期、検査内容、行為時点との近さを見る |
| 公正証書 | 証拠化に有用な手段 | 公正証書でも能力争いが完全になくなるわけではない |
| 贈与税申告 | 税務上の申告資料 | 申告があっても、贈与の成立や名義財産の問題は別に確認する |
| 記録化 | 後日の説明可能性を高める実務 | 本人の発言、説明資料、面談記録、医療・介護資料、財産管理の実態を残す |
| 専門家相談 | 判断を構造化するための手段 | 法務・税務・財産評価・親族関係を一体で整理する |
犬飼公認会計士・税理士事務所では、認知症が疑われる段階での相続対策について、贈与・遺言・財産管理・相続税申告の観点を分けて整理し、後から説明できる判断材料を整える支援を行っています。
遺言や贈与を進める前に、本人の判断能力、財産構成、家族関係、過去の贈与、将来の相続税申告への影響を整理しておきたい場合は、まず現在の状況と資料をもとにご相談ください。