監査計画において重要な虚偽表示リスクを識別し、評価する。この作業は、計画調書の記載欄を埋めるための手続ではありません。
どの領域に監査資源を投入するのか。
どの内部統制を理解し、どこまで運用評価に進むのか。
どの勘定科目・注記事項について、どのアサーションに着目するのか。
どの領域で職業的懐疑心をより強く働かせるのか。
どの論点をKAM候補、監査役等とのコミュニケーション事項、審査上の重要論点として扱うのか。
これらの判断は、いずれも重要な虚偽表示リスクの識別と評価から始まります。
監査基準では、監査人は、監査リスクを合理的に低い水準に抑えるため、財務諸表における重要な虚偽表示リスクを評価し、発見リスクの水準を決定するとともに、監査上の重要性を勘案して監査計画を策定し、これに基づき監査を実施することが求められています。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準
つまりリスク評価は、たしかに「監査計画の一部」ではあるものの、より実質的には、監査全体の方向性を決める判断行為だといえます。
リスク評価が粗ければ、監査手続は広く浅くなります。
リスク評価が形式的であれば、監査調書上、なぜその手続を実施したのかを説明しにくくなります。
リスク評価が過年度踏襲であれば、当年度の事業環境、内部統制、会計上の見積り、不正リスク、開示上の変化を取り逃がしかねません。
本稿では、重要な虚偽表示リスクの識別と評価を、監査基準の用語解説としてではなく、監査計画、内部統制理解、監査証拠、KAM、意見形成までをつなぐ実務判断として整理します。
重要な虚偽表示リスクとは何か
重要な虚偽表示リスクとは、監査人が監査手続を実施する前に、財務諸表に重要な虚偽表示が存在するリスクをいいます。ここでいう虚偽表示には、誤謬によるものと不正によるものの双方が含まれます。
監査人が関心を持つのは、単なる誤記や集計ミスだけではありません。収益認識の誤り、会計上の見積りの偏り、内部統制の不備、経営者による内部統制の無効化、注記漏れ、不適切な開示など、財務諸表利用者の意思決定に重要な影響を及ぼし得る表示全体が対象になります。
監査基準報告書315は、重要な虚偽表示リスクを、財務諸表全体レベルとアサーション・レベルで識別し評価する枠組みを置いています。さらに、アサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクについては、固有リスクと統制リスクに分けて評価することが求められます。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書315 重要な虚偽表示リスクの識別と評価
ここで大切なのは、リスク評価を「高・中・低」のラベル付けで終わらせないことです。実務上問われるのは、次のような説明です。
| 問われる事項 | 説明すべき内容 |
|---|---|
| どこにリスクがあるのか | 財務諸表全体か、特定の取引種類・勘定残高・注記事項か |
| なぜリスクがあるのか | 事業環境、取引特性、会計処理、見積り、不正リスク、統制不備 |
| どのアサーションに関係するのか | 実在性、網羅性、正確性、期間帰属、評価、表示・注記など |
| どの程度のリスクなのか | 固有リスクの高さ、統制の有効性、虚偽表示の発生可能性と影響 |
| どう対応するのか | 全般的対応、運用評価手続、実証手続、専門家利用、審査対応 |
リスク評価は、抽象的な危険性を書き留める作業ではありません。監査手続に落とし込める程度まで具体化されて、はじめて意味を持ちます。
「識別」と「評価」は分けて考える
重要な虚偽表示リスクを考えるときは、「識別」と「評価」を分けて捉える必要があります。
識別とは、どこに重要な虚偽表示が生じ得るかを把握することです。評価とは、識別したリスクについて、発生可能性、影響の度合い、固有リスク要因、関連する内部統制を踏まえて、どの程度の監査対応が必要かを判断することです。
たとえば、売上高にリスクがあると記載するだけでは、識別としても不十分です。売上高の何が問題なのかを、明確にしなければなりません。
契約の識別なのか。
履行義務の判断なのか。
取引価格の算定なのか。
期間帰属なのか。
返品・リベート・変動対価なのか。
架空売上や循環取引の可能性なのか。
注記の網羅性なのか。
ここまで掘り下げて、ようやく、どのアサーションに関係するリスクなのか、どの内部統制を理解すべきか、どの監査証拠を入手すべきかが見えてきます。
会計上の見積りについても同じです。見積りは、方法、基礎データ、主要な仮定、専門家利用、経営者の意思と能力、過年度見積りとの比較、見積りの不確実性、開示など、複数のリスク要素を含みます。リスク評価手続が適切に実施されなければ、リスク対応手続が的外れになる。この点は、見積りの監査においてとりわけ重要です。
したがってリスク評価の実務では、「何となくリスクが高い」という感覚にとどめず、次のように分解して考える必要があります。
| 分解すべき観点 | 検討内容 |
|---|---|
| 取引・残高・注記 | どの財務諸表項目に関係するか |
| アサーション | どの主張に虚偽表示が生じ得るか |
| 原因 | 事業環境、制度変更、取引複雑性、見積り、不正、内部統制不備 |
| 影響 | 金額的重要性、質的重要性、開示影響、監査報告への影響 |
| 対応 | 手続の種類、時期、範囲、専門家利用、審査、監査役等報告 |
リスク評価は、監査人の頭の中で何となく行うものではありません。監査チーム、審査担当者、監査役等に説明できる判断過程として整理しておく必要があります。
財務諸表全体レベルのリスクとアサーション・レベルのリスク
重要な虚偽表示リスクは、大きく二つの層に分けて考えます。
一つは、財務諸表全体レベルのリスクです。特定の勘定科目にとどまらず、財務諸表全体に広く影響し得るリスクを指します。
もう一つは、アサーション・レベルのリスクです。こちらは、特定の取引種類、勘定残高、注記事項に関連する、アサーションごとのリスクです。
この両者を混同すると、監査対応はぼやけます。
財務諸表全体レベルのリスク
財務諸表全体レベルのリスクは、影響範囲が広いぶん、個別の実証手続だけでは対応しにくいという性質を持ちます。典型的には、次のようなものが考えられます。
| リスクの例 | 監査上の意味 |
|---|---|
| 経営者による内部統制の無効化 | 通常の承認統制や業務プロセス統制だけでは対応しきれない |
| 業績達成圧力 | 収益認識、見積り、費用先送り、不適切な開示につながり得る |
| 経理・開示体制の脆弱性 | 決算整理、連結、注記、開示で横断的な虚偽表示が生じ得る |
| 重要な組織再編・M&A | 取引実態、会計処理、開示、内部統制に広く影響し得る |
| 継続企業の前提に関する不確実性 | 見積り、分類、開示、監査報告に広く影響し得る |
| IT環境の重大な変更 | 取引処理、アクセス管理、決算データ、証跡に影響し得る |
こうしたリスクに対しては、特定の勘定科目のサンプル数を増やすだけでは足りません。監査チームの編成、経験者の関与、専門家の利用、監督・査閲の強化、経営者への質問の深度、期末手続の実施時期、監査手続への予測不能性の組込みといった、全般的対応の検討が必要になります。
監査基準報告書330も、監査人は、評価した財務諸表全体レベルの重要な虚偽表示リスクに応じて、全般的な対応を立案し実施しなければならないとしています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
アサーション・レベルのリスク
アサーション・レベルのリスクは、より具体的です。
売上について、発生、正確性、期間帰属、分類、表示・注記のどこにリスクがあるのか。
棚卸資産について、実在性、網羅性、評価、権利義務、表示・注記のどこにリスクがあるのか。
税効果について、繰延税金資産の回収可能性、将来課税所得、タックスプランニング、注記のどこにリスクがあるのか。
このように、財務諸表項目とアサーションを結びつけて考えていきます。
| 財務諸表項目 | リスクが現れやすいアサーション |
|---|---|
| 売上高 | 発生、正確性、期間帰属、表示・注記 |
| 売掛金 | 実在性、評価、権利義務 |
| 棚卸資産 | 実在性、網羅性、評価、期間帰属 |
| 固定資産 | 実在性、評価、減損、分類 |
| 引当金 | 網羅性、評価、表示・注記 |
| 繰延税金資産 | 評価、表示・注記 |
| 関連当事者取引 | 網羅性、表示・注記、取引実態 |
| 後発事象 | 網羅性、表示・注記 |
リスク評価がアサーションまで落ちていなければ、監査手続はどうしても一般的なものになります。
「売上は重要勘定だから検証する」というレベルでは、発生リスクを見ているのか、期間帰属リスクを見ているのか、それとも変動対価や本人・代理人の判断を見ているのかが曖昧なままです。結果として、監査証拠の十分性・適切性を説明しにくくなります。
固有リスクと統制リスクを分けて評価する
アサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクは、固有リスクと統制リスクに分けて評価します。
固有リスクとは、関連する内部統制を考慮する前の段階で、取引種類、勘定残高、注記事項に虚偽表示が生じる可能性をいいます。これに対して統制リスクとは、その虚偽表示が企業の内部統制によって防止又は適時に発見・是正されないリスクをいいます。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書315 重要な虚偽表示リスクの識別と評価
この二つを分けて考えることには、実務上の大きな意味があります。
固有リスクが高い領域であっても、関連する内部統制が適切に整備・運用されていれば、監査アプローチは変わり得ます。反対に、固有リスクがそれほど高くない領域でも、内部統制が脆弱であれば、実証手続を厚くする必要が生じます。
固有リスクを高める要因
監査基準報告書315では、固有リスク要因として、複雑性、主観性、変化、不確実性、経営者の偏向その他の不正リスク要因による虚偽表示の生じやすさなどが重視されます。
実務上は、次のような観点で整理すると考えやすくなります。
| 固有リスク要因 | 監査上の着眼点 |
|---|---|
| 複雑性 | 会計基準の適用、契約条件、金融商品、連結、組織再編 |
| 主観性 | 見積り、評価、経営者判断、将来予測 |
| 変化 | 新規事業、システム変更、組織再編、制度改正 |
| 不確実性 | 将来キャッシュ・フロー、回収可能性、訴訟、継続企業 |
| 不正への脆弱性 | 業績圧力、経営者関与、内部統制の無効化、非定型取引 |
| データ依存 | システム生成データ、外部データ、スプレッドシート、手作業補正 |
会計上の見積りは、こうした固有リスク要因が集中しやすい領域です。見積りは、将来事象の結果に依存するため正確には測定できない金額を概算するものであり、経営者の仮定や偏向、見積りの不確実性が財務諸表に大きな影響を与える可能性があります。
統制リスクをどう見るか
統制リスクを評価するには、内部統制を理解することが前提になります。
ただし、内部統制を理解することと、内部統制に依拠することは同じではありません。
監査人はまず、取引がどのように開始され、承認され、記録され、処理され、財務諸表に報告されるのかを理解します。そのうえで、関連する統制が、重要な虚偽表示を防止又は発見・是正する設計になっているかを検討します。さらに内部統制に依拠する場合には、運用評価手続によって、その統制が監査対象期間を通じて有効に運用されているかを検証する必要があります。
内部統制には、全社的な内部統制、決算・財務報告プロセスに係る内部統制、業務プロセスに係る内部統制、IT業務処理統制、IT全般統制があります。財務諸表監査においても、これらを分けて理解しなければ、統制リスクを適切に評価することはできません。
企業及び企業環境の理解は、リスク評価の出発点である
リスク評価は、財務諸表項目からだけ始めるものではありません。まず、企業及び企業環境を理解する必要があります。
企業がどのような事業を行っているのか。
どのように収益を獲得しているのか。
どのような契約条件で取引しているのか。
どの市場・顧客・仕入先に依存しているのか。
どのような規制を受けているのか。
どのようなITシステムで取引を処理しているのか。
どのような組織・人員体制で決算・開示を行っているのか。
どのような業績目標、資金調達、財務制限条項、上場維持、株主期待があるのか。
この理解が浅いままだと、リスク評価は勘定科目別の一般論に落ち着いてしまいます。
監査基準報告書315は、企業及び企業環境、適用される財務報告の枠組み、企業の内部統制システムを理解することを通じて、重要な虚偽表示リスクを識別し評価する枠組みを置いています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書315 重要な虚偽表示リスクの識別と評価
ここで特に意識したいのは、事業理解を「会社概要の転記」で終わらせないことです。事業理解は、監査上の問いに変換されて、はじめて意味を持ちます。
| 事業理解の内容 | 監査上の問い |
|---|---|
| 収益モデル | 売上はいつ発生し、どの証拠で裏付けられるか |
| 契約条件 | 履行義務、返品、リベート、検収条件にリスクはないか |
| 顧客構成 | 特定顧客依存、関連当事者、循環取引の可能性はないか |
| 仕入・在庫構造 | 滞留、評価損、原価計算、棚卸差異のリスクはないか |
| 投資・設備 | 減損兆候、資産除去債務、リース識別のリスクはないか |
| 資金調達 | 財務制限条項、継続企業、分類表示への影響はないか |
| ITシステム | 取引データの完全性、アクセス権限、変更管理に問題はないか |
| 決算体制 | 決算整理、連結、注記、開示基礎資料の統制は有効か |
業務フローを理解しなければならないのは、どの会社にも共通する業務上の課題やリスクがあり、それを低減するための内部統制が置かれているからです。理論の筋道としては、リスクを先に特定してから統制を考えるのが本来の順序でしょう。しかし実務では、典型的な業務フローを知らないまま、リスクを具体化することは困難だと感じています。
内部統制理解は、リスク評価のために行う
内部統制の理解は、J-SOX対応のためだけに行うものではありません。
財務諸表監査においても、内部統制を理解しなければ、取引がどこで誤る可能性があるのか、どの統制が虚偽表示を防止又は発見・是正するのか、どこに実証手続を重点化すべきかを判断できません。
内部統制を理解する際には、少なくとも次の流れを確認します。
- 取引がどこで開始されるか
- 誰が承認するか
- どのシステムに入力されるか
- どのマスタ・設定に依存するか
- どの証憑に基づき記録されるか
- どのように集計・転記されるか
- どのように決算整理・組替・注記へ反映されるか
- 誰がレビューし、例外事項をどう処理するか
この流れを理解しないまま、勘定残高だけを見てリスク評価を行えば、監査手続は「残高確認」「証憑突合」「分析的手続」の寄せ集めになりかねません。
リスク評価における内部統制理解では、特に次の点が重要になります。
| 内部統制理解の観点 | 監査上の意味 |
|---|---|
| 全社的な内部統制 | 経営者の姿勢、権限分掌、監視機能、決算統制に影響 |
| 業務プロセス統制 | 取引の発生、承認、記録、修正、例外処理に影響 |
| 決算・財務報告プロセス統制 | 見積り、連結、組替、注記、開示に影響 |
| IT全般統制 | アクセス管理、変更管理、運用管理に影響 |
| IT業務処理統制 | 自動計算、マスタ参照、システム間連携に影響 |
| モニタリング | 統制不備や異常処理を発見・是正できるかに影響 |
内部統制を理解する目的は、統制が存在することを確認することではありません。その統制が、識別した虚偽表示リスクに対応しているかどうかを判断することにあります。
リスク評価手続は「質問」だけでは足りない
リスク評価手続には、質問、分析的手続、観察、閲覧などが含まれます。
しかし実務では、リスク評価が会社担当者への質問だけで終わってしまう、という問題が起こりがちです。
質問はもちろん有用です。経営者や担当者から、事業環境、取引実態、決算上の判断、内部統制、異常事象を把握できます。ただし、質問だけでは、回答の正確性や網羅性を十分に裏付けることはできません。
そのため、質問で得た情報は、次のような手続と組み合わせて検討する必要があります。
| 手続 | リスク評価上の役割 |
|---|---|
| 分析的手続 | 異常な増減、比率変化、予算実績差異、非財務情報との不整合を把握する |
| 閲覧 | 契約書、議事録、稟議書、規程、内部資料、開示資料を確認する |
| 観察 | 業務や棚卸、承認手続、システム操作の実態を確認する |
| ウォークスルー | 取引の開始から財務諸表への反映までを追跡する |
| 内部監査・監査役等とのコミュニケーション | 統制不備、改善事項、重要論点を把握する |
| 外部情報の確認 | 業界動向、規制変更、市場環境、法令改正の影響を把握する |
リスク評価は、監査人が会社の説明を整理する手続ではありません。会社の説明を出発点としつつ、監査人が独立した立場から、重要な虚偽表示が生じ得る場所を特定していく手続です。
不正リスクはリスク評価の中で独立して考える
不正リスクは、通常の誤謬リスクとは性質が異なります。
誤謬は意図しない誤りですが、不正は意図的な行為です。それゆえ不正による虚偽表示は、証憑の偽造、取引実態の仮装、共謀、内部統制の無効化、説明の偽装を伴うことがあります。
監査基準報告書240では、財務諸表の虚偽表示は不正又は誤謬から生じ、不正と誤謬は、虚偽表示の原因となる行為が意図的であるか否かにより区別されるとされています。また、不正には、不正な財務報告と資産の流用があるとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240 財務諸表監査における不正
会計不正には、不適切な収益認識、負債・費用の隠蔽、費用・収益の期間帰属操作、不適切な資産評価、不適切な開示などが含まれます。粉飾決算と資産の流用は明確に切り離せるものではなく、両者が重なる領域がある点にも注意が必要です。
不正リスクの評価では、次のような観点が重要になります。
| 観点 | 確認すべき内容 |
|---|---|
| 動機・プレッシャー | 業績目標、資金調達、上場維持、財務制限条項、赤字回避 |
| 機会 | 内部統制の不備、権限集中、牽制不足、IT権限、例外処理 |
| 正当化 | 業績調整への許容意識、経営者の姿勢、過年度の修正傾向 |
| 経営者関与 | 非定型仕訳、見積り変更、重要契約、関連当事者取引 |
| 発見困難性 | 共謀、証憑偽造、循環取引、実態把握が難しい取引 |
不正リスクを評価するにあたって、「不正は発見されていないからリスクは低い」と考えるべきではありません。不正リスクは、発見された事実だけでなく、不正が生じ得る構造から評価する必要があります。
会計上の見積りは、リスク評価の深度が問われる領域である
会計上の見積りは、重要な虚偽表示リスクの評価において、とりわけ判断が難しい領域です。
見積りには、将来予測、経営者の仮定、基礎データ、専門家利用、モデル、感応度、不確実性、開示といった要素が幾重にも含まれるからです。
監査基準報告書540では、会計上の見積りに関する重要な虚偽表示リスクを識別し評価する基礎を得るために、監査人は、適用される財務報告の枠組み、経営者が見積りを必要とする取引・事象・状況を把握する方法、経営者が見積りを行う方法と基礎データ、関連する内部統制、専門家利用、仮定、方法の変更、見積りの不確実性への対応などを理解することが求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書540 会計上の見積りの監査
見積りリスクを評価するにあたり、「減損は見積りだからリスクが高い」「税効果は判断を伴うからリスクが高い」と記載するだけでは不十分です。少なくとも、次のように分解します。
| 見積りリスクの観点 | 確認すべき内容 |
|---|---|
| 方法 | 適用される会計基準に照らして妥当か |
| モデル | 計算構造、ロジック、前提条件に問題はないか |
| 基礎データ | 完全性・正確性・関連性があるか |
| 重要な仮定 | 事業計画、成長率、割引率、回収率、発生可能性が合理的か |
| 経営者バイアス | 楽観的又は恣意的な仮定選択がないか |
| 過年度実績 | 過去の見積りと実績の乖離が何を示すか |
| 内部統制 | 見積りプロセスがレビュー・承認されているか |
| 開示 | 見積りの不確実性、主要な仮定、翌期影響が説明されているか |
見積りのリスク評価では、見積額そのものだけでなく、その見積額が作られていくプロセスまで理解する必要があります。
開示リスクをリスク評価に含める
重要な虚偽表示リスクは、金額に関するものだけではありません。注記や開示にも、重要な虚偽表示リスクは存在します。
有価証券報告書では、財務諸表、注記、監査報告書、内部統制報告書、記述情報が一体として財務諸表利用者に読まれます。金融商品取引法上の開示制度は、企業情報の開示を通じて投資家保護を図る制度であり、投資家が事実を知らされないことによる不利益を防ぐ役割を担っています。
開示リスクとしては、次のようなものが挙げられます。
| 開示リスク | 監査上の着眼点 |
|---|---|
| 注記漏れ | 会計上の見積り、金融商品、関連当事者、後発事象、偶発債務 |
| 注記の不十分性 | 主要な仮定、不確実性、感応度、翌期影響の説明不足 |
| 表示分類の誤り | 流動・固定、営業・営業外、特別損益、セグメント |
| 記述情報との不整合 | 有報の事業等のリスク、MD&A、KAM、注記との不整合 |
| 訂正リスク | 過年度誤謬、内部統制不備、開示統制の弱さ |
| 適時開示との不整合 | 決算短信、業績予想修正、発生事実、決定事実との関係 |
適時開示においても、決算情報、決定事実、発生事実、包括条項など、開示漏れや訂正につながる論点があります。財務諸表監査のリスク評価は、財務諸表本体だけで完結するものではなく、開示上の説明可能性まで見据えておく必要があります。
KAM候補との関係
重要な虚偽表示リスクの評価は、KAMの検討にもつながっています。
監査基準報告書701では、KAMは、当年度の財務諸表の監査において、監査人が職業的専門家として特に重要であると判断した事項であり、監査役等とコミュニケーションを行った事項から選択されます。またKAMを決定する際には、監査基準報告書315に基づき決定された特別な検討を必要とするリスク又は重要な虚偽表示リスクが高いと評価された領域、見積りの不確実性が高い会計上の見積りを含む経営者の重要な判断を伴う領域などが考慮されます。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書701 独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告
したがって、リスク評価の段階から、KAM候補になり得る論点を意識しておくことには意味があります。
もっとも、高リスクと評価した事項が、常にKAMになるわけではありません。KAMは、監査上特に重要であると判断した事項であり、財務諸表利用者への説明に資するか、監査上どの程度注意を払ったか、監査役等とのコミュニケーションの内容、開示との関係などを踏まえて決定されます。
実務上は、次のように整理しておくとよいでしょう。
| リスク評価上の論点 | KAM検討上の問い |
|---|---|
| 特別な検討を必要とするリスク | 監査上特に注意を払った事項か |
| 重要な見積り | 経営者の重要な判断と不確実性があるか |
| 高度な会計判断 | 財務諸表利用者の理解に資するか |
| 開示と密接な関係 | 注記と監査上の対応を結びつけて説明できるか |
| 監査役等との協議事項 | コミュニケーション事項として重要か |
| 審査上の重要論点 | 監査判断の難度が高いか |
KAMを適切に記載するためには、期末になって突然候補を探すのではなく、監査計画の段階から、重要な虚偽表示リスク、監査上の対応、監査証拠、開示との関係を整理しておくことが欠かせません。KAMは、監査プロセスの透明性を高めるために導入された制度であり、監査役等とのコミュニケーション事項の中から決定されるものです。
リスク評価は監査計画で固定されない
重要な虚偽表示リスクの評価は、監査計画の時点で一度行えば終わり、というものではありません。監査の過程で新しい情報を入手したときには、リスク評価そのものを見直す必要があります。
たとえば、次のような場合です。
| 見直しの契機 | 見直すべき内容 |
|---|---|
| 期中で予期しない虚偽表示を発見した | 関連するリスク評価、残余期間の手続 |
| 内部統制の逸脱を識別した | 統制リスク、運用評価手続、実証手続 |
| 事業環境が急変した | 見積り、継続企業、減損、回収可能性 |
| 新規取引・非定型取引が発生した | 会計処理、承認、開示、関連当事者 |
| 決算遅延や資料不備が生じた | 決算財務報告プロセス、開示統制 |
| 経営者説明と証拠に不整合がある | 不正リスク、追加手続、監査役等報告 |
| 監査役等・内部監査から重要情報を入手した | 統制不備、改善状況、KAM候補 |
監査基準報告書330では、期中に、重要な虚偽表示リスクを評価するときに予期しなかった虚偽表示を発見した場合には、関連するリスク評価、並びに残余期間に対して計画された実証手続の種類、時期及び範囲を変更する必要があるかどうかを評価することが求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
リスク評価は、監査計画書の完成をもって終わるものではなく、監査証拠の入手に応じて更新されていくべき判断です。
リスク評価で陥りやすい実務上の問題
重要な虚偽表示リスクの識別と評価では、次のような問題が生じがちです。
リスクが広すぎる
「売上にリスクがある」「見積りにリスクがある」「内部統制が弱い」。こうした記載は、方向性としては間違っていない場合もあります。
しかし、広すぎるリスクは、手続に落ちません。
どの取引種類、どの勘定残高、どの注記事項、どのアサーションに関するリスクなのか。ここを明確にしなければ、監査手続の種類、時期、範囲を説明することはできません。
リスクが狭すぎる
反対に、リスクを特定の勘定科目だけに狭く見てしまう問題もあります。
たとえば、経理体制の脆弱性や経営者による内部統制の無効化は、特定の勘定科目にとどまらず、財務諸表全体に広く影響します。これを特定勘定だけのリスクとして処理してしまうと、全般的対応が不足します。
過年度踏襲になっている
前期と同じリスク評価を使うこと自体が問題なのではありません。問題は、前期と同じでよい理由が説明されていないことです。
事業環境、取引条件、会計基準、ITシステム、組織体制、内部統制、経営者の業績目標、開示上の論点。これらが変わっているのであれば、リスク評価も更新されるべきです。
内部統制理解とリスク評価がつながっていない
業務フローやRCMを作成していても、それがリスク評価に反映されていなければ、内部統制理解は形式的なものにとどまります。
逆に、リスク評価では内部統制に依拠する前提を置きながら、関連する統制の整備・運用を十分に検討していない場合、監査アプローチの根拠は弱くなります。
不正リスクの記載が定型化している
収益認識に不正リスクがあると記載しても、その会社においてどのような不正が生じ得るのかを具体化しなければ、手続は一般的なものになってしまいます。
不正リスクは、企業の業績圧力、取引慣行、内部統制、経営者関与、非定型取引、関連当事者、IT権限などから、具体的に評価する必要があります。
注記・開示のリスクを見落としている
監査調書を見ると、財務諸表本体の金額については多くの検討が積み重ねられている一方で、注記や開示のリスク評価が弱いことがあります。
しかし、会計上の見積り、金融商品、関連当事者、後発事象、偶発債務、セグメント、継続企業の前提などは、金額だけでなく、開示の十分性こそが重要です。
リスク評価とKAM候補が接続していない
KAMは期末に選ぶものではありますが、KAM候補となる論点は、監査計画の段階からすでに見えていることが多いものです。
リスク評価、監査役等とのコミュニケーション、見積り開示、監査上の対応。これらがつながっていなければ、KAMの記載は形式的になります。
監査調書では何を説明できるようにすべきか
重要な虚偽表示リスクの識別と評価について、監査調書で説明すべきことは、リスク名だけではありません。少なくとも、次の事項を整理しておく必要があります。
| 調書上説明すべき事項 | 内容 |
|---|---|
| リスクの発生源 | 事業環境、取引、会計処理、見積り、内部統制、不正、IT、開示 |
| リスクの所在 | 財務諸表全体レベルか、アサーション・レベルか |
| 関連する項目 | 取引種類、勘定残高、注記事項 |
| 関連するアサーション | 発生、網羅性、正確性、期間帰属、評価、表示・注記など |
| 固有リスク | 複雑性、主観性、変化、不確実性、不正への脆弱性 |
| 統制リスク | 関連する内部統制の設計、運用、IT依存、モニタリング |
| 重要性との関係 | 金額的重要性、質的重要性、利用者への影響 |
| 監査対応 | 全般的対応、運用評価手続、実証手続、専門家利用 |
| 見直しの要否 | 監査過程で入手した新情報による更新 |
| 説明対象 | 審査担当者、監査役等、会社、監査チーム内での共有 |
監査調書は、実施した作業を残す文書であると同時に、判断過程を説明する文書でもあります。
リスク評価が「なぜその手続を実施したのか」を説明できていれば、監査証拠と結論は自然につながります。反対に、リスク評価が曖昧なまま手続だけが実施されていれば、監査調書は作業記録にとどまり、判断文書としての説得力は弱くなります。
リスク評価を実質化するための実務上の整理
重要な虚偽表示リスクの識別と評価を実質化するには、次の順序で考えると整理しやすくなります。
1. 重要性を前提に、財務諸表利用者の視点を確認する
まず、前稿で整理した監査上の重要性を前提に、財務諸表利用者がどの情報を重視するかを確認します。
利益、売上成長、資金繰り、純資産、財務制限条項、KPI、継続企業、見積り、開示。利用者が重視する情報によって、リスク評価の焦点は変わってきます。
2. 企業及び企業環境を監査上の問いに変換する
会社概要を理解するだけでなく、それを監査上の問いに変換します。
収益モデルはどこで誤るか。
事業計画はどの見積りに影響するか。
ITシステムはどの財務数値を生成しているか。
経理体制は決算・開示を支えられるか。
経営者にどのような業績達成圧力があるか。
この変換の質が、リスク識別の質を決めます。
3. 取引種類・勘定残高・注記事項とアサーションを結びつける
リスクは、財務諸表項目とアサーションに落とし込みます。この作業を省略すると、監査手続は一般論になります。
4. 固有リスクと統制リスクを分けて評価する
取引や会計処理そのものに内在するリスクと、内部統制によって防止・発見・是正されないリスクとを、分けて考えます。
この分解によって、運用評価手続を実施するのか、実証手続を厚くするのか、専門家を利用するのか、監査チームの経験者を関与させるのかが見えてきます。
5. 不正リスクと見積りリスクを独立して検討する
不正リスクと見積りリスクは、通常の誤謬リスクとは性質が異なります。
経営者バイアス、内部統制の無効化、非定型取引、見積りの不確実性、開示の十分性など、通常のサンプルテストだけでは対応しきれない論点を抽出します。
6. リスク評価を監査対応に接続する
リスク評価は、監査対応に落ちて、はじめて意味を持ちます。
評価したリスクに応じて、リスク対応手続の種類、時期、範囲を立案します。監査基準報告書330では、評価したアサーション・レベルの重要な虚偽表示リスクに応じて、リスク対応手続の種類、時期及び範囲を立案し実施することが求められています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書330 評価したリスクに対応する監査人の手続
7. 監査過程でリスク評価を更新する
リスク評価は、期首や監査計画の時点で固定されるものではありません。
内部統制の逸脱、予期しない虚偽表示、経営環境の変化、重要な取引、見積り変更、開示論点、監査役等からの情報。これらに応じて、更新していく必要があります。
まとめ|リスク評価は、監査計画を実質化する判断である
重要な虚偽表示リスクの識別と評価は、監査計画調書を完成させるための作業ではありません。
監査人が、どの領域に専門的注意を向け、どの内部統制を理解し、どの証拠を入手し、どの論点を監査役等や審査担当者に説明し、どのように監査意見の形成へつなげていくのか。それを決める判断そのものです。
リスク評価が実質的であれば、監査計画、重要性、内部統制理解、監査手続、監査証拠、KAM、監査報告が一本の線でつながります。反対に、リスク評価が形式的であれば、監査手続は作業化し、調書上の説明可能性は弱くなります。
重要な虚偽表示リスクを識別し評価する際には、次の点が特に重要です。
- 財務諸表全体レベルとアサーション・レベルを分ける
- 固有リスクと統制リスクを分けて評価する
- 事業理解を監査上の問いに変換する
- 内部統制理解をリスク評価と接続する
- 不正リスク、見積りリスク、開示リスクを独立して検討する
- リスク評価を監査対応の種類・時期・範囲に落とし込む
- 監査過程で入手した情報に応じてリスク評価を更新する
- 監査調書上、判断過程と結論を説明できる状態にする
監査の質とは、すべてを同じ深度で見ることではありません。
重要な虚偽表示がどこで生じ得るかを見極め、そこに監査資源と職業的懐疑心を集中させ、十分かつ適切な監査証拠を積み上げていくことです。重要な虚偽表示リスクの識別と評価は、そのための出発点にほかなりません。
この記事の振り返り
| 論点 | 実務上の要点 |
|---|---|
| 重要な虚偽表示リスク | 監査手続実施前に、財務諸表に重要な虚偽表示が存在するリスク |
| 識別と評価 | 識別は「どこにリスクがあるか」、評価は「どの程度の対応が必要か」 |
| 財務諸表全体レベル | 経営者関与、統制環境、決算体制、継続企業など広範な影響を持つリスク |
| アサーション・レベル | 取引種類、勘定残高、注記事項ごとの具体的なリスク |
| 固有リスク | 内部統制を考慮する前の、取引・会計処理・見積り等に内在するリスク |
| 統制リスク | 重要な虚偽表示が内部統制で防止又は発見・是正されないリスク |
| 内部統制理解 | 取引の開始から財務諸表への反映までを理解し、関連統制を評価する |
| 不正リスク | 誤謬とは異なり、意図的行為、内部統制無効化、共謀、証憑偽装を伴い得る |
| 見積りリスク | 方法、基礎データ、重要な仮定、経営者バイアス、開示を分解して評価する |
| 開示リスク | 財務諸表本体だけでなく、注記、有報、適時開示、記述情報との整合も対象 |
| KAMとの関係 | 高リスク領域、見積り、経営者判断、監査役等との協議事項がKAM候補になり得る |
| 調書化 | リスクの根拠、アサーション、固有リスク、統制リスク、監査対応を説明可能にする |
重要な虚偽表示リスクの識別と評価は、監査計画、内部統制理解、監査証拠、KAM、監査役等とのコミュニケーション、審査対応までを一体として考える必要があります。
監査計画やリスク評価の整理、監査調書上の説明可能性、内部統制・開示・見積り論点との接続について、独立性・守秘義務・所属組織の品質管理方針に配慮しながら、外部専門家の視点で論点を整理したいとお考えの場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。