法人化を終えたオーナー経営者が、まず最初につまずくのが「役員報酬をいくらにするか」という問題です。
相談の現場では、いつも同じような迷いを聞きます。利益が出そうなら報酬を増やして法人税を抑えたい。けれども会社にもお金を残したいので、あまり高くはしたくない。社会保険料の負担が重いから下げたいが、個人の生活費を考えると下げすぎるわけにもいかない。配当で受け取るのがよいのか、会社に留保するのがよいのかも、判断がつかない。
こうした迷いは、単なる税金計算の問題ではありません。
役員報酬は、会社から個人へお金を移すもっとも基本的な方法です。そして同時に、法人税、所得税、住民税、社会保険料、会社の資金繰り、金融機関から見た利益水準、将来の退職金原資、事業承継時の株価、個人の生活設計といった、幅広い領域に影響を及ぼします。
つまり役員報酬の設計とは、会社とオーナー個人の資金をどう分けるかという、れっきとした経営判断なのです。
この記事では、役員報酬を「税金を減らすための調整弁」として捉えるのではなく、会社と個人を合わせた手取り・資金繰り・信用・将来設計という視点から整理していきます。
役員報酬は「利益を消すための経費」ではない
はじめに、一本の線を引いておきたいと思います。
役員報酬は、決算利益をにらみながら自由に増減できる経費ではありません。
税務上、法人が役員に支払う給与のうち損金に算入できるものは、類型が限られています。定期同額給与、事前確定届出給与、一定の業績連動給与のいずれにも当てはまらないものは損金に算入できません。さらに、これらに該当する場合であっても、不相当に高額な部分は損金として認められません。
出典:国税庁|No.5211 役員に対する給与
会社法の側から見ても、取締役の報酬等は、定款に定めがなければ株主総会の決議によって定めるのが基本です。オーナー会社では株主と役員が同一人物であることも多いのですが、それでもなお「会社から役員へ支払う職務執行の対価」として、決定過程をきちんと残しておく必要があります。
出典:e-Gov法令検索|会社法
ですから、役員報酬の設計で最初に考えるべきなのは、「いくらにすれば法人税がいちばん少なくなるか」ではありません。次の順番で考えていくことをおすすめします。
| 判断順序 | 確認すること |
|---|---|
| 1 | 会社に必要な資金はいくらか |
| 2 | オーナー個人の生活費・納税資金はいくら必要か |
| 3 | 役員報酬を支払った後の法人利益は説明できる水準か |
| 4 | 所得税・住民税・社会保険料を含めた個人手取りはいくらか |
| 5 | 会社負担の社会保険料を含めた総人件費はいくらか |
| 6 | 将来の借入返済、設備投資、退職金、承継に耐えられるか |
| 7 | 株主総会議事録、支給実態、給与台帳、源泉徴収、社会保険届出が整っているか |
役員報酬は、税額を左右するだけの数字ではありません。「会社に残すお金」と「個人に移すお金」を決める、設計そのものだと考えてください。
役員報酬を増やすと、法人税は下がっても手取りが増えるとは限らない
役員報酬を増やせば、法人側では損金が増え、その分だけ法人利益は減ります。したがって、法人税等は下がる方向へ働きます。
一方で、会社から個人へ移した報酬は、個人側では給与所得になります。役員などが受け取る俸給・給料・賞与は給与所得に該当し、給与所得は「収入金額-給与所得控除額」で計算されます。
出典:国税庁|No.1400 給与所得
つまり、役員報酬を増やすと、全体としては次のような動きが起こります。
| 項目 | 役員報酬を増やした場合の方向性 |
|---|---|
| 法人利益 | 減る |
| 法人税等 | 減る方向 |
| 会社の現預金 | 報酬支給額と会社負担社会保険料の分だけ減る |
| 個人の給与収入 | 増える |
| 給与所得控除 | 増えるが上限がある |
| 個人の所得税・住民税 | 増える方向 |
| 個人負担の社会保険料 | 増える方向 |
| 会社負担の社会保険料 | 増える方向 |
| 金融機関から見た利益 | 下がる |
| 会社に残る投資資金 | 減る |
ここで見落とされやすいのが、社会保険料です。
役員報酬を増やせば、たしかに法人税は下がります。しかし、会社負担と個人負担の両方の社会保険料が増えるため、会社と個人を合算した手残りは、思ったほど増えないことがあります。
「役員報酬を上げれば節税になる」という言い方は、社会保険料、個人課税、会社資金の流出を省略した表現にすぎません。実務の判断材料としては、これだけでは不十分なのです。
給与所得控除はあるが、無制限に効くわけではない
役員報酬には、給与所得控除があります。これは、給与収入に対する概算経費のような性格を持つ控除です。
個人事業主のように実際の必要経費を広く差し引く仕組みとは異なりますが、給与収入から一定額を差し引けるため、法人化や役員報酬の設計においては重要な要素になります。
令和7年分以降の給与所得控除は、次のとおりです。
| 給与等の収入金額 | 給与所得控除額 |
|---|---|
| 190万円まで | 65万円 |
| 190万円超360万円まで | 収入金額×30%+8万円 |
| 360万円超660万円まで | 収入金額×20%+44万円 |
| 660万円超850万円まで | 収入金額×10%+110万円 |
| 850万円超 | 195万円 |
この表を見ていただくと、役員報酬を一定額まで給与として受け取ることには、所得税計算上の意味があるとわかります。とくに、個人事業主の事業所得を法人へ移し、法人から役員報酬として受け取る場合には、給与所得控除の効果によって所得税負担が軽くなることがあります。
ただし、給与所得控除には上限があります。
令和7年分以降では、給与収入が850万円を超えると、給与所得控除額は195万円で頭打ちになります。そのため、役員報酬を高くすればするほど給与所得控除の追加的な効果は小さくなり、所得税・住民税・社会保険料の負担のほうが重くのしかかってきます。
役員報酬の設計では、報酬水準ごとに次のような視点で考える必要があります。
| 報酬水準 | 見るべきポイント |
|---|---|
| 低い報酬 | 個人生活費が足りるか、社会保険加入・将来年金・住宅ローン審査に影響しないか |
| 中程度の報酬 | 給与所得控除の効果、社会保険料、法人利益とのバランス |
| 高い報酬 | 給与所得控除の上限、所得税率上昇、会社負担社会保険料、金融機関評価 |
| 非常に高い報酬 | 不相当に高額な役員給与、利益圧縮、資金流出、説明可能性 |
「給与所得控除があるのだから給与化すべきだ」という単純な話ではありません。給与所得控除の効果と、社会保険料・個人課税・会社資金の流出とを、一体で比較することが大切です。
所得税は累進課税で、報酬を上げるほど限界税率が上がる
役員報酬は給与所得となり、給与所得控除や各種所得控除を差し引いた後の課税所得に対して、所得税がかかります。
この所得税は累進課税です。課税所得が増えるほど、高い税率区分に入っていきます。国税庁の速算表では、課税所得金額に応じて5%から45%までの税率が定められています。
出典:国税庁|No.2260 所得税の税率
ここで大切なのは、「役員報酬の全額に高い税率がかかる」のではなく、「一定の課税所得を超えた部分に高い税率がかかる」という点です。
もっとも、実務上の手取り設計では、所得税だけを見ていては足りません。住民税、社会保険料、配偶者控除・扶養控除・基礎控除、所得金額調整控除、住宅ローン控除、さらには自治体や家族構成による違いまで、あわせて確認する必要があります。
なお、令和7年度税制改正では、所得税の基礎控除や給与所得控除の見直しが行われました。原則として令和7年12月1日に施行され、令和7年分以後の所得税に適用されています。また、令和8年分以後の源泉徴収事務では、新たな源泉徴収税額表に基づく月々の源泉徴収が必要になります。
出典:国税庁|令和7年度税制改正による所得税の基礎控除の見直し等について
令和8年分の給与等については、所得税と復興特別所得税を併せて源泉徴収する際に、令和8年分の源泉徴収税額表を使用します。
出典:国税庁|令和8年分 源泉徴収税額表
役員報酬を決めるときは、年間の税額だけでなく、毎月の源泉徴収、住民税の特別徴収、社会保険料控除後の実際の入金額まで、順を追って確認しておくことをおすすめします。
社会保険料は「会社と個人の両方」で見る
法人化後の役員報酬設計で、もっとも軽視してはいけないのが社会保険料です。
株式会社などの法人の事業所は、事業主のみの場合を含めて、厚生年金保険の適用事業所となります。被保険者となるべき従業員を使用している場合には、加入の手続が必要です。
出典:日本年金機構|適用事業所と被保険者
厚生年金保険料は、毎月の給与については標準報酬月額に、賞与については標準賞与額に保険料率を掛けて計算し、事業主と被保険者が半分ずつ負担します。厚生年金保険料率は18.3%で固定されています。標準報酬月額は税引前の給与を一定の幅で区分して決める仕組みで、厚生年金保険では、1等級8万8千円から32等級65万円までに分かれています。
出典:日本年金機構|厚生年金保険の保険料
健康保険料率は、加入している制度や都道府県等によって異なります。協会けんぽでは、都道府県単位の保険料率が毎年算出・改定されます。令和8年度の協会けんぽの平均保険料率は9.9%とされており、都道府県支部ごとの保険料率については別途確認が必要です。
出典:全国健康保険協会|令和8年度保険料率のお知らせ
さらに、事業主は子ども・子育て拠出金を全額負担します。令和8年度の厚生年金保険料額表では、令和8年4月1日から適用される子ども・子育て拠出金率が0.36%とされています。
出典:日本年金機構|令和8年度版 厚生年金保険料額表
こうした事情から、役員報酬を設計するときは、個人負担分だけを見ていては足りません。見るべきなのは、次の合計です。
| 区分 | 内容 |
|---|---|
| 個人負担 | 健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、所得税、住民税 |
| 会社負担 | 健康保険料、介護保険料、厚生年金保険料、子ども・子育て拠出金等 |
| 会社の総負担 | 役員報酬額面+会社負担社会保険料 |
| 個人の実入金 | 役員報酬額面-個人負担社会保険料-源泉所得税-住民税等 |
| 会社・個人合算の手残り | 会社内部留保+個人手取り |
「月額100万円の役員報酬」と聞くと、個人に年間1,200万円を移せるように見えます。けれども実際には、会社側で社会保険料が別途発生し、個人側では社会保険料・源泉所得税・住民税が差し引かれます。
役員報酬は、額面ではなく、会社総負担と個人実入金の両面から見る必要があるのです。
法人税率だけで報酬を決めると判断を誤る
役員報酬を増やせば法人利益は下がり、その分だけ法人税等の負担は軽くなる方向に働きます。
中小法人等では、一定の要件のもとで、所得金額のうち年800万円以下の部分について15%の法人税率が適用される場合があります。一方、普通法人の年800万円超の部分や、中小法人等以外の普通法人については、別の税率が適用されます。
出典:国税庁|No.5759 法人税の税率
ここで気をつけたいのは、法人税率だけを見て「法人に利益を残すより、役員報酬で出したほうがよい」と結論づけないことです。
法人に利益を残すことには、次のような意味があります。
| 法人に利益を残す意味 | 内容 |
|---|---|
| 運転資金 | 仕入、人件費、外注費、税金、家賃、固定費に備える |
| 借入返済 | 税引後利益から元本返済を行う必要がある |
| 設備投資 | 将来の機械、システム、人材採用に備える |
| 金融機関対応 | 利益水準、自己資本、返済能力の説明材料になる |
| 信用 | 取引先、金融機関、従業員への安定性を示す |
| 退職金原資 | 将来の役員退職金を支払うための資金になる |
| 承継・M&A | 株価、財務内容、買い手評価に影響する |
もっとも、法人に利益を残せば、法人税等を払った後の資金が会社に残ることになります。そして、会社のお金はオーナー個人のお金ではありません。個人の生活費に自由に使えるわけではないのです。
つまり、法人利益を残すか、役員報酬として個人に移すかは、税率の比較ではなく、資金の置き場所を決める判断だといえます。
配当は社会保険料がかからないが、万能ではない
「役員報酬の代わりに、配当で受け取ればよいのではないか」と考える方もいます。
たしかに配当は役員報酬ではないため、通常、給与としての社会保険料の対象にはなりません。しかし、配当には別の税務上・会社法上の論点があります。
まず、配当は法人税等を支払った後の利益から行うものです。役員報酬のように、法人側で損金に算入されるわけではありません。
また、配当所得には源泉徴収が関わります。上場株式等以外の配当等については、20.42%の税率で所得税および復興特別所得税が源泉徴収されます。
出典:国税庁|No.1330 配当金を受け取ったとき(配当所得)
オーナー会社で配当を検討する場合には、少なくとも次の点を確認します。
| 確認項目 | 見るべきポイント |
|---|---|
| 法人側 | 分配可能額、法人税後利益、資金繰り |
| 個人側 | 配当所得、総合課税、配当控除、源泉徴収、住民税 |
| 社会保険 | 給与ではないため通常の標準報酬月額とは別の扱い |
| 株主構成 | 他の株主にも配当が及ぶか |
| 金融機関 | 利益処分として見られるか、内部留保を減らさないか |
| 承継 | 株式評価、配当政策、後継者・少数株主への影響 |
配当は、社会保険料を抑えるための単純な代替策ではありません。株主構成、会社の利益、分配可能額、資金繰り、配当課税、そして将来の株価・承継まで含めて判断すべきものです。
役員報酬・配当・法人留保は、目的が違う
会社からオーナー個人へお金を移す方法は、役員報酬だけではありません。配当、役員貸付金・借入金の返済、役員退職金、福利厚生、社宅、旅費規程など、さまざまな手段があります。
ただし、この記事で中心に扱うのは、毎期の手取り設計としての役員報酬です。退職金やオーナー貸付金、福利厚生、社宅、旅費日当などは、それぞれに別の実態・制度要件・資料整備が求められます。
役員報酬、配当、法人留保は、その性格が次のように異なります。
| 方法 | 法人側の扱い | 個人側の扱い | 向いている目的 | 注意点 |
|---|---|---|---|---|
| 役員報酬 | 一定要件を満たせば損金 | 給与所得 | 生活費、毎月の安定収入 | 社会保険料、損金算入要件、過大給与 |
| 配当 | 損金にならない | 配当所得 | 税引後利益の株主還元 | 分配可能額、株主構成、配当課税 |
| 法人留保 | 会社に税引後資金が残る | 個人課税なし | 投資、借入返済、信用、退職金原資 | 個人が自由に使えない |
| 役員退職金 | 適正額なら損金性あり | 退職所得 | 引退・承継時の資金移転 | 実質退職、過大性、資金準備 |
| 役員借入金返済 | 借入返済 | 原則として元本返済 | 過去の会社貸付金の回収 | 実在性、残高管理、相続財産 |
手取り設計では、「今すぐ個人に移すお金」と「会社に残すお金」を分けて考えます。すべてを役員報酬で出す必要はありません。
とはいえ、生活費が必要なのに報酬を極端に低く抑え、その結果として会社のお金を私的に使ってしまうのは危険です。会社と個人をきちんと分けること――それが、オーナー会社の報酬設計の出発点です。
「手取り最大化」ではなく「会社・個人の資金耐性」を見る
役員報酬の相談では、「いちばん手取りが多くなる金額はいくらですか」と聞かれることがあります。
もちろん、手取り額を試算することは重要です。けれども、手取りの最大化だけを目標にすると、判断を誤ることがあります。会社の資金繰りや信用を犠牲にして、個人の手取りを増やすこともできてしまうからです。
たとえば、役員報酬を高く設定すれば、法人利益は下がります。短期的には法人税が減るかもしれません。しかし、会社の内部留保が薄くなれば、借入返済、設備投資、採用、賞与、税金の納付に支障が出るおそれがあります。
金融機関の目から見れば、役員報酬を出しすぎて利益の薄い会社は、返済能力の説明が難しくなることがあります。将来、事業承継やM&Aを考える場合にも、過度な役員報酬で利益が見えにくい会社は、正常収益力の説明を求められることになります。
反対に、役員報酬を低くしすぎると、今度は個人の生活資金が不足します。生活費を会社の経費や役員貸付金で賄うようになれば、税務調査で私的支出、認定賞与、役員貸付金、源泉税といった論点が生じかねません。
役員報酬の設計では、次の3つを同時に満たす水準を探します。
| 視点 | 判断内容 |
|---|---|
| 個人の生活耐性 | 税金・社会保険料控除後の手取りで、生活費・住宅費・教育費・個人納税に耐えられるか |
| 会社の資金耐性 | 報酬・会社負担社会保険料を払っても、運転資金・納税・借入返済・投資に耐えられるか |
| 説明可能性 | 株主総会決議、職務内容、会社規模、利益水準、金融機関説明、税務調査に耐えられるか |
最適な役員報酬とは、税金が最小になる金額ではありません。会社と個人が、無理なく続けていける金額のことです。
報酬設計で作るべき3つのシミュレーション
役員報酬を決めるときは、少なくとも3つのパターンで試算を作っておくことをおすすめします。
1. 低めの役員報酬
会社に資金を残すことを優先するパターンです。
| 見るべき点 | 内容 |
|---|---|
| メリット | 会社資金が残りやすい、社会保険料が抑えられる、金融機関に利益を見せやすい |
| デメリット | 個人手取りが不足しやすい、生活費を会社資金で補う危険がある |
| 確認事項 | 個人生活費、住宅ローン、家族構成、役員貸付金の発生可能性 |
低めの役員報酬は、創業初期や投資局面では合理的なことがあります。ただし、個人の生活費が不足するほど下げてしまうと、後になって会社と個人のお金が混ざりやすくなります。
2. 中間の役員報酬
会社と個人のバランスを取るパターンです。
| 見るべき点 | 内容 |
|---|---|
| メリット | 生活費を確保しつつ、会社にも資金を残しやすい |
| デメリット | 税金・社会保険料・法人留保の最適点を個別に試算する必要がある |
| 確認事項 | 給与所得控除、社会保険料等級、法人税率、内部留保、借入返済 |
多くのオーナー会社では、この中間パターンが現実的な設計になります。会社の利益をゼロに近づけるのではなく、一定の法人利益を残しながら、個人の生活に必要な報酬を確保していく――そうした考え方です。
3. 高めの役員報酬
個人に資金を移すことを優先するパターンです。
| 見るべき点 | 内容 |
|---|---|
| メリット | 個人資金を厚くできる、住宅取得・教育資金・個人投資に使いやすい |
| デメリット | 所得税・住民税・社会保険料が重くなる、会社資金が薄くなる |
| 確認事項 | 過大役員給与、金融機関評価、会社の納税資金、翌期以降の業績変動 |
高めの役員報酬が、常に悪いわけではありません。安定した利益があり、会社にも十分な資金が残り、職務内容や会社規模に照らして説明できるのであれば、個人へ資金を移すという判断もあり得ます。
ただし、「法人税を払いたくないから」という理由だけで報酬を高くしてしまうと、社会保険料、個人課税、会社資金、金融機関への説明といった面で、問題が起きやすくなります。
役員報酬を決める実務手順
役員報酬は、感覚で決めるものではありません。次の順番で整理していくと、判断がしやすくなります。
1. 会社の税引前利益を予測する
まず、役員報酬を決める前の利益を試算します。売上、粗利、人件費、外注費、家賃、広告費、借入利息、減価償却、税額控除、消費税、そして資金繰りを見ていきます。
ここで大切なのは、会計上の利益と資金繰りを分けて考えることです。減価償却費は費用ではあっても、現金支出ではありません。逆に、借入元本の返済は費用ではありませんが、現金は確実に出ていきます。
役員報酬を払った後に会社の資金が残るかどうかは、損益計算書だけでは判断できないのです。
2. 会社に残すべき資金を決める
次に、会社に最低限残しておくべき資金を決めます。
| 会社に残す資金 | 内容 |
|---|---|
| 運転資金 | 仕入、外注費、人件費、家賃、固定費 |
| 納税資金 | 法人税、消費税、源泉税、住民税、事業税 |
| 借入返済資金 | 元本返済、利息、保証料 |
| 投資資金 | 採用、設備、広告、システム、研究開発 |
| 緊急資金 | 売上減少、取引先倒産、病気、災害 |
| 将来資金 | 役員退職金、承継、M&A準備 |
この金額を無視して役員報酬を決めてしまうと、税金は減っても、会社の資金繰りが悪化してしまいます。
3. 個人に必要な手取りを決める
続いて、オーナー個人に必要な手取りを確認します。生活費、住宅ローン、教育費、保険、老後資金、個人の所得税・住民税、固定資産税、家族への支援などを見ていきます。
ここで重要なのは、額面の報酬ではなく、社会保険料・源泉所得税・住民税を差し引いた後の入金額で見ることです。
たとえば月額80万円の役員報酬でも、個人の実入金は80万円ではありません。そこから社会保険料、源泉所得税、住民税が差し引かれます。
4. 社会保険料等級を確認する
役員報酬を月額で設定すると、標準報酬月額に影響します。
社会保険料は1円単位で連続的に増えていくのではなく、標準報酬月額の等級によって決まります。そのため、報酬額の設定しだいで、わずかな差で保険料等級が変わることがあります。
ただし、等級を避けるためだけに不自然な報酬設定をするのは避けるべきです。あくまで、生活費、会社資金、職務内容に照らして説明できる水準にすることが大切です。
5. 法人利益と金融機関説明を確認する
役員報酬を決めた後の法人利益を確認します。
利益が大きすぎる場合には、税負担が重くなる一方で、会社の信用や内部留保は厚くなります。逆に利益が小さすぎる場合には、法人税は軽くなりますが、金融機関への説明や将来投資の余力が弱くなります。
借入のある会社では、役員報酬を支払った後の利益とキャッシュフローが、返済能力を示す資料になります。税金を減らそうとして利益を過度に圧縮すると、金融機関から見た信用を損なうおそれがあるのです。
6. 議事録・給与台帳・入出金を整える
最後に、決定過程と支給の実態を整えます。
| 資料 | 残すべき内容 |
|---|---|
| 株主総会議事録 | 報酬総額、個別支給額または決定方法、決議日 |
| 取締役会議事録 | 取締役会設置会社で必要な場合の決定内容 |
| 給与台帳 | 額面、社会保険料、源泉所得税、住民税、差引支給額 |
| 振込記録 | 毎月の支給日、支給額、会社口座から個人口座への流れ |
| 社会保険届出 | 資格取得、算定基礎、月額変更、賞与支払届 |
| 源泉所得税関係 | 源泉徴収簿、納付書、年末調整資料 |
| 役員職務資料 | 職務内容、勤務実態、責任範囲、会社規模との整合性 |
役員報酬は、支給額そのものだけでなく、決定過程、支給の実態、資料の整合性まで見られます。
よくある失敗1:法人税をゼロに近づけることを目的にする
もっとも多い失敗は、「法人利益が残りそうだから役員報酬を増やす」という発想です。
法人税を減らすこと自体は、悪いことではありません。けれども、法人利益をゼロに近づけることが常に正しいとは限らないのです。
会社に利益が残らなければ、自己資本は厚くなりません。借入返済や設備投資の原資も弱くなります。そして、事業が安定して利益を出していることを、金融機関に説明しにくくなります。
さらに、役員報酬を増やした分だけ、会社の現金は外へ出ていきます。会社負担の社会保険料も増えます。
法人税は減ったけれど、会社の資金繰りが苦しくなった――この状態は、正しい節税とはいえません。
よくある失敗2:社会保険料だけを避けようとする
反対に、社会保険料を避けるために役員報酬を極端に低くするケースもあります。
たしかに報酬を下げれば、社会保険料の負担は抑えられる方向に働きます。しかし、個人の生活費が足りなくなれば、会社のお金を私的に使いたくなる誘惑が生まれます。
会社経費で生活費を払う。個人口座への仮払金が増える。役員貸付金が積み上がる。家族名義の支払いが混ざる。領収書の目的説明が曖昧になる。
こうした状態は、税務調査で説明が難しくなります。
社会保険料を下げることだけを目的に報酬を決めるのではなく、個人の生活費を正面から見積もることが必要です。
よくある失敗3:配当や貸付金返済を報酬の代わりに使う
配当や役員借入金の返済を使えば、給与所得や社会保険料を抑えられるのではないか――そう考えることがあります。
しかし、これらは役員報酬の代用品ではありません。
配当は、株主に対する利益の分配です。役員としての職務執行の対価ではありません。役員借入金の返済は、過去に役員が会社へ貸し付けた資金の返済です。実在する債務がなければ、そもそも返済はできません。
それぞれ、目的も根拠も異なるのです。
| 方法 | 説明できる状態 |
|---|---|
| 役員報酬 | 役員の職務執行の対価として決議・支給されている |
| 配当 | 株主への利益分配として分配可能額・株主構成に沿って行われている |
| 役員借入金返済 | 会社が役員に対して実在する債務を返済している |
| 福利厚生・社宅 | 会社制度として実態・規程・負担関係が整っている |
税金や社会保険料を避けるために名目を変えるのではなく、実態に合った方法を選ぶことが大切です。
よくある失敗4:毎年の報酬設計を単年度だけで見る
役員報酬は、1年だけで考えると誤りやすいテーマです。
今年は利益が多い。来年は投資がある。再来年は借入返済が増える。数年後には退職金を検討する。将来、子どもへ株式を承継するかもしれない。
こうした事情があるとき、今年だけの節税額で役員報酬を決めてしまうと、将来の選択肢を狭めることになります。
役員報酬は、少なくとも3年程度の見通しをもって考えるべきです。
| 年度 | 見るべきこと |
|---|---|
| 当期 | 生活費、法人利益、納税資金、社会保険料 |
| 翌期 | 売上見込み、投資、人員計画、借入返済 |
| 3年程度 | 内部留保、退職金原資、承継、M&A、株価 |
| 引退時 | 役員退職金、分掌変更、後継者報酬、相続財産 |
今年の法人税を減らすための報酬設計が、将来の退職金原資や承継計画を壊してしまうこともあるのです。
手取り設計では「会社に残すお金」と「個人に移すお金」を明確に分ける
オーナー会社では、会社と個人の距離がどうしても近くなります。けれども、税務上も、会計上も、金融機関対応上も、会社と個人はあくまで別のものです。
役員報酬の設計では、次のように資金を分けて考えます。
| 資金の置き場所 | 目的 |
|---|---|
| 個人の手取り | 生活費、住宅費、教育費、個人納税、老後資金 |
| 会社の普通預金 | 運転資金、納税資金、短期支払い |
| 会社の内部留保 | 投資、借入返済、信用、退職金原資 |
| 会社からの配当原資 | 株主還元、利益処分 |
| 役員退職金原資 | 引退・承継時の資金移転 |
| オーナー貸付金の返済原資 | 過去の会社支援資金の回収 |
会社に残すお金は、個人が自由に使えるお金ではありません。逆に、個人に移したお金は、会社の投資や返済には使いにくくなります。
この分け方が曖昧になると、役員報酬の設計そのものが崩れてしまいます。
実務で使う役員報酬設計表
役員報酬を検討するときは、次のような表を作ると、判断が整理しやすくなります。
| 項目 | パターンA:低め | パターンB:中間 | パターンC:高め |
|---|---|---|---|
| 役員報酬年額 | 例:480万円 | 例:840万円 | 例:1,200万円 |
| 会社負担社会保険料 | 要試算 | 要試算 | 要試算 |
| 会社総負担 | 報酬+会社負担分 | 報酬+会社負担分 | 報酬+会社負担分 |
| 役員報酬後の法人利益 | 高めに残る | 適度に残る | 低くなる |
| 法人税等 | 増える方向 | 中間 | 減る方向 |
| 個人負担社会保険料 | 低め | 中間 | 高め |
| 所得税・住民税 | 低め | 中間 | 高め |
| 個人手取り | 少ない | 生活費に合いやすい | 多い |
| 会社内部留保 | 厚い | 中間 | 薄い |
| 金融機関説明 | 利益を示しやすい | バランス型 | 説明が必要 |
| 総合判断 | 生活費不足に注意 | 基本候補 | 資金流出・過大性に注意 |
この表で大切なのは、単に「税金がいちばん少ない列」を選ばないことです。見るべきなのは、会社総負担、個人手取り、法人利益、内部留保、そして説明可能性です。
役員報酬を決める前に確認すべき資料
専門家に相談する前に、次の資料を整理しておくと、報酬設計の精度が上がります。
| 資料 | 確認する内容 |
|---|---|
| 直近2〜3期の決算書・申告書 | 利益水準、税負担、役員報酬、内部留保 |
| 当期試算表 | 今期利益の見込み |
| 資金繰り表 | 納税、借入返済、投資予定 |
| 借入返済予定表 | 元本返済、利息、保証料 |
| 現在の給与台帳 | 役員報酬、社会保険料、源泉税 |
| 社会保険料額表 | 標準報酬月額、健康保険料率、厚生年金保険料率 |
| 住民税通知書 | 個人の年間住民税負担 |
| 個人の生活費メモ | 生活費、住宅、教育費、個人納税 |
| 株主総会議事録 | 報酬決定手続 |
| 将来計画 | 投資、採用、退職金、承継、M&A |
役員報酬は、税理士だけで決まるものではありません。経営者ご自身が会社と個人の資金を把握して、はじめて適切に判断できるものです。
まとめ:役員報酬は「節税額」ではなく「資金の置き場所」を決める判断
役員報酬をいくらにするかは、法人化後の最重要テーマの一つです。しかし、その正解は「法人税がもっとも少なくなる金額」ではありません。
役員報酬を上げれば、法人税は下がる方向へ働きます。けれども、個人の所得税・住民税・社会保険料は増え、会社負担の社会保険料も増えます。会社に残る資金は減り、金融機関への利益説明が難しくなることもあります。
逆に役員報酬を下げれば、社会保険料や個人課税は軽くなる方向へ働きます。しかし、個人の生活費が不足すれば、会社と個人のお金が混ざりやすくなります。会社にお金が残っても、それを個人が自由に使えるわけではありません。配当や法人留保にも、それぞれ意味と限界があります。
大切なのは、会社と個人を合わせて、次の問いに答えることです。
会社にいくら残すべきか。個人にいくら移すべきか。社会保険料を含めた実質負担はいくらか。法人利益は金融機関に説明できるか。役員報酬の決定過程と支給実態は残っているか。将来の投資、退職金、承継に耐えられるか。
役員報酬は、税金を減らすための数字合わせではありません。会社とオーナー個人の資金を、説明できる形で分けるための設計なのです。
役員報酬・手取り設計で迷っている方へ
役員報酬の金額は、法人税、所得税、住民税、社会保険料、給与所得控除、法人内部留保、配当、借入返済、そして将来の退職金・承継まで含めて比較する必要があります。
「いくらにすれば税金が減るか」だけでなく、「会社に資金が残るか」「個人の生活費に足りるか」「社会保険料を含めた実質負担はどうか」「金融機関や税務調査で説明できるか」まで整理しておくことが重要です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、オーナー会社の役員報酬設計について、会社と個人を合算した手取り、資金繰り、税務リスク、社会保険料、将来の退職金・承継まで含めて検討します。
役員報酬を決める前に、数字と資料に基づいて比較しておきたいという方は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。
振り返り
| 論点 | 重要なポイント |
|---|---|
| 役員報酬の本質 | 会社から個人へ資金を移す職務執行の対価であり、単なる利益調整ではない |
| 税務上の制限 | 定期同額給与、事前確定届出給与、一定の業績連動給与などの要件を外すと損金算入できない |
| 給与所得控除 | 令和7年分以降は最低65万円、給与収入850万円超では195万円が上限 |
| 所得税 | 累進課税であり、報酬を上げるほど高い税率区分に入る部分が出る |
| 社会保険料 | 会社負担と個人負担の両方を見る必要がある |
| 法人税 | 役員報酬を増やすと法人利益は下がるが、会社資金も流出する |
| 法人内部留保 | 借入返済、投資、信用、退職金原資、承継に影響する |
| 配当 | 社会保険料の対象外になりやすいが、法人側で損金にならず、配当課税・分配可能額の確認が必要 |
| 手取り設計 | 個人手取りだけでなく、会社総負担と法人内部留保を合わせて判断する |
| よくある失敗 | 法人税ゼロを目指す、社会保険料だけを避ける、配当や貸付金返済を報酬代わりに使う |
| 実務資料 | 議事録、給与台帳、振込記録、源泉徴収、社会保険届出、資金繰り表を整える |
| 最終判断 | 税金が最小になる金額ではなく、会社と個人が将来に耐えられる金額を選ぶ |