法定監査における不正リスクは、「不正があるかないか」を単純に見に行く論点ではありません。
監査人が向き合うべきなのは、財務諸表に重要な虚偽表示が生じる可能性のうち、その原因が誤謬ではなく、不正に由来するものです。ここを曖昧にしたまま監査計画や監査手続を組み立てると、形式上は監査基準に沿っているように見えても、監査調書上、なぜそのリスクを識別し、なぜその手続で十分と判断したのかを説明しにくくなります。
財務諸表の虚偽表示は、不正または誤謬から生じます。そして両者は、虚偽表示の原因となる行為が意図的であるか否かによって区別されます。さらに不正は、不正な財務報告、いわゆる粉飾と、資産の流用に整理されます。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
本稿では、個別の不正調査手法に入る前段階として、不正リスクを監査上どのように捉えるべきかを整理します。そのうえで、誤謬、粉飾決算、資産流用、内部統制、経営者関与、監査証拠、開示への影響と、それぞれがどう接続しているのかを見ていきます。
不正リスクは「不正そのもの」ではなく「不正による重要な虚偽表示リスク」である
まず確認しておきたいのは、監査上の不正リスクとは、企業内で何らかの不正行為が発生する一般的可能性そのものではない、という点です。監査上問われるのは、財務諸表に重要な虚偽表示をもたらす不正リスクです。
内部通報、横領、利益相反、情報漏えい、贈収賄、労務上の不正、品質偽装など、企業活動における不正の範囲は広いものです。しかし、財務諸表監査において中心となるのは、それらの不正が財務諸表の金額、表示、注記、開示事項に重要な影響を及ぼすかどうかにあります。
この整理は、不正リスクを狭く見るという意味ではありません。むしろ逆です。
財務諸表監査では、不正行為そのものの有無だけを見るのでは足りません。その不正が、売上、原価、棚卸資産、固定資産、引当金、税効果、連結範囲、関連当事者取引、注記、後発事象、有価証券報告書上の記述情報へどのように波及するのかまで見なければならないからです。
したがって、不正リスクの評価では、次の問いを分けて考える必要があります。
- 不正行為が存在する可能性があるか
- その不正行為が財務諸表に影響するか
- その影響は重要な虚偽表示になり得るか
- 内部統制により防止または発見されるか
- 経営者または管理者が関与している可能性はあるか
- 監査証拠は通常の誤謬リスク対応と同じ深度で足りるか
- 開示、監査意見、内部統制報告、KAM、監査役等報告に影響するか
こう整理すると、不正リスクは孤立した論点ではないことが見えてきます。監査計画、リスク評価、内部統制評価、監査証拠、会計上の見積り、開示、監査意見形成という監査の全体に影響する論点なのです。
誤謬と不正の違いは「結果」ではなく「意図」にある
誤謬と不正は、どちらも財務諸表に虚偽表示を生じさせます。金額的な影響だけを見れば、両者に差がないこともあります。
しかし、監査上の扱いは大きく異なります。
誤謬は、意図しない誤りです。会計基準の理解不足、入力ミス、集計誤り、判断誤り、情報不足、承認漏れ、決算作業の遅延などにより生じます。もちろん、誤謬であっても重要性があれば修正が必要ですし、内部統制上の不備を示す場合もあります。
これに対して不正は、意図的な行為です。財務諸表利用者を欺く目的、会社資産を流用する目的、業績目標を達成したように見せる目的、借入条件や上場審査に対応する目的、報酬や評価を維持する目的など、何らかの動機を背景として行われます。
ここで押さえておきたいのは、監査人が不正か誤謬かを法的に断定する立場にあるわけではない、という点です。監査人は、不正の発生に関する法的判断を行うわけではありません。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
ただし、法的判断をしないことと、不正の可能性を評価しないことは、まったく別の話です。
監査人は、不正による重要な虚偽表示リスクを識別・評価し、評価したリスクに対応する監査手続を立案・実施し、十分かつ適切な監査証拠を入手する責任を負います。不正による重要な虚偽表示リスクの識別・評価、当該リスクへの対応、そして監査中に識別された不正または不正の疑いへの対応。この三つが、監査人の目的として掲げられています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
つまり監査上は、「不正と断定できるか」ではなく、「不正による重要な虚偽表示リスクとして評価すべき状況か」が先に問われるということです。
不正な財務報告と資産の流用は分けて考える
財務諸表監査における不正は、大きく、不正な財務報告と資産の流用に分けて整理されます。
不正な財務報告は、財務諸表利用者を欺く目的で、財務諸表の金額、表示、注記、開示を意図的に歪めるものです。一般に粉飾決算と呼ばれる領域にあたります。典型的には、売上の架空計上、売上の前倒し計上、費用の繰延べ、棚卸資産の過大計上、評価損の未計上、引当金の過小計上、連結範囲からの不適切な除外、関連当事者取引の非開示などが問題になります。
実務上も、会計不正は粉飾決算と資産の流用に整理され、さらに両者が重なり合う領域があると理解しておく必要があります。
資産の流用は、会社の現金、預金、棚卸資産、固定資産、知的財産その他の資産を、役職員等が私的に流用するものです。現金の着服、架空請求、キックバック、在庫の横流し、会社資産の私的利用などが含まれます。
両者は、監査上の見方が異なります。
不正な財務報告は、財務諸表そのものを歪めることを目的として行われます。そのため、経営者または上位管理者の関与、業績目標、資金調達、上場維持、株価、報酬、金融機関との関係などが背景になりやすい領域です。
一方、資産の流用は、当初は会社財産の私的取得として始まることがあります。しかし、流用を隠蔽するために帳簿を改竄したり、架空費用、架空仕入、架空外注費、在庫差異の調整、仮払金処理などが行われれば、結果として財務諸表の虚偽表示につながっていきます。
したがって、「これは横領の問題であり、財務諸表監査の問題ではない」と早い段階で切り離してしまうのは危険です。資産の流用であっても、その隠蔽処理、内部統制不備、関与者の地位、反復性、金額的重要性、開示への影響を通じて、監査上の重要論点になり得ます。
不正リスク要因は「動機・機会・正当化」で見る
不正リスクを評価する際には、不正リスク要因を構造的に把握することが重要です。
不正リスク要因は、不正を実行する動機やプレッシャーの存在を示す事象や状況、不正を実行する機会を与える事象や状況、そして不正行為に対する姿勢や不正行為を正当化する状況として整理されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
この三つは、いわゆる不正のトライアングルとして理解されることが多いものです。
動機・プレッシャー
動機・プレッシャーは、不正を行う理由にあたります。
財務報告の領域では、業績目標、資金調達、財務制限条項、上場審査、株価、配当、役員報酬、社内評価、赤字回避、債務超過回避などが背景になり得ます。
ここで重要なのは、動機・プレッシャーが、会社にとって合理的な経営目標と紙一重であるという点です。成長目標、予算管理、KPI、投資家への説明、金融機関対応は、それ自体が不正ではありません。しかし、達成不能な水準の目標、過度な短期業績重視、失敗を許容しない組織文化、数字達成を最優先するトップメッセージ。これらが組み合わさると、不正な財務報告を誘発する背景になり得ます。
したがって監査人は、「業績が悪いから不正リスクが高い」と単純に見るのではなく、業績目標、資金繰り、契約条件、外部説明、社内評価、経営者の発言、過年度の会計処理の傾向を合わせて見ていく必要があります。
機会
機会は、不正を実行し、隠蔽できる環境です。
内部統制が弱い、職務分掌が不十分、承認権限が集中している、システム権限が過大である、関連当事者取引が見えにくい、決算仕訳を少数者が処理している、取引条件が複雑である、契約書が不十分である、海外子会社や特別目的会社を通じた取引がある、期末日近くに重要かつ通例でない取引がある。こうした状況は、不正の機会を高めます。
不正リスク要因の例示においても、通常の取引過程から外れた重要な関連当事者取引、主観的判断や立証困難な不確実性を伴う重要な会計上の見積り、重要かつ通例でない取引、特に期末日近くの複雑な取引、事業上の合理性が明確でない仲介手段や特別目的会社などが、不正な財務報告に関わる機会として示されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
機会の評価では、内部統制の有無だけを見ても足りません。その統制が本当に運用されているか、管理者によるレビューが実効的か、例外処理が見える化されているか、システムログや承認履歴が追跡可能か。ここまで確認する必要があります。
姿勢・正当化
姿勢・正当化は、不正を行う者が自らの行為を許容する心理的・組織的背景です。
- 「一時的な処理にすぎない」
- 「来期には取り返せる」
- 「会社のためである」
- 「業界では普通である」
- 「監査法人も過去に問題にしていない」
- 「重要性の範囲内だから問題ない」
- 「形式的には証憑がある」
こうした正当化は、明確な証拠として表に出るとは限りません。むしろ、経営者の説明、会計処理の保守性または楽観性の一貫した偏り、監査指摘への反応、内部通報への姿勢、監査役等への情報提供、決算修正への抵抗感といったところから読み取るべきものです。
監査人にとって難しいのは、姿勢・正当化が数値化しにくいという点でしょう。しかし、数値化しにくいからといって、監査調書に残さなくてよいわけではありません。むしろ不正リスクの評価では、定性的な兆候をどのように把握し、どの手続に反映したのかを説明できることが重要になります。
経営者関与がある場合、不正リスクは質的に変わる
不正リスクを考える際、最も慎重に見るべきなのは経営者関与です。
経営者は、財務諸表を作成する責任を負う立場であると同時に、内部統制を整備・運用する責任を負う立場でもあります。通常の内部統制は、担当者による誤謬や従業員不正には一定の効果を持ちます。しかし、経営者が関与する場合、内部統制は無効化され得ます。
経営者は、直接または間接に会計記録を改竄し、不正な財務諸表を作成し、あるいは他の従業員による不正を防止するための内部統制を無効化できる立場にある場合が多いといえます。そのため、経営者不正による重要な虚偽表示を発見できないリスクは、従業員不正の場合よりも高くなります。監査人は、経営者による内部統制の無効化リスクを考慮し、監査の過程を通じて職業的懐疑心を保持する責任を負っています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
この点は、内部統制監査やJ-SOXとの関係でも重要です。
2023年4月に公表された改訂後の内部統制基準・実施基準では、内部統制はガバナンスや全組織的なリスク管理と一体的に整備・運用されることが重要であるとされています。また、内部統制の基本的要素のうち「リスクの評価と対応」では、不正に関するリスクを考慮する重要性が明示されています。
出典:金融庁・企業会計審議会|財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並びに財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準
経営者関与が疑われる場合、監査人は、通常の承認統制やレビュー統制に依拠できるかを改めて検討しなければなりません。決裁印、承認メール、取締役会議事録、稟議書、契約書が存在していても、それだけで十分な監査証拠とは限らないのです。
むしろ問われるのは、それらの文書が実態を反映しているか、取引の事業上の合理性があるか、関係者の説明に矛盾がないか、資金移動と物の流れが一致しているか、外部証拠と整合しているか、監査役等が十分な情報を得て監視しているか、という点です。
不正リスクは内部統制の不備と結びついて評価する
不正リスクは、内部統制と切り離して評価できません。
不正を誘発する内部統制上の弱点としては、職務分掌の不備、承認権限の集中、管理者レビューの形骸化、長期間の同一担当、システム権限の過大付与、内部通報制度の機能不全、内部監査の弱さ、子会社管理の不十分さ、棚卸や現金実査の不備、契約管理の不備などが挙げられます。不正の分類や不正対策の観点から見ても、内部統制の欠如・形骸化、マネジメントレビューの欠如、不健全な経営者の姿勢は、重要な着眼点になります。
ただし、内部統制上の不備があるから直ちに不正がある、ということではありません。
監査上重要なのは、内部統制上の不備が、どの財務諸表項目、どのアサーション、どの虚偽表示リスクに結びつくかです。
販売プロセスの承認統制が弱い場合、売上の実在性、期間帰属、取引価格、返品・値引、債権回収可能性に影響します。購買プロセスの統制が弱い場合は、架空仕入、キックバック、費用の期間帰属、買掛金の網羅性に影響します。棚卸統制が弱い場合には、実在性、網羅性、評価、滞留、横流し、評価損未計上に影響が及びます。
棚卸資産に関連する不正は、個人レベルから組織ぐるみまで幅広く、在庫の過大計上や評価損未計上は代表的な粉飾決算領域として整理されます。
したがって不正リスク評価では、内部統制の不備を単なる改善指摘として終わらせるのではなく、財務諸表監査上のリスク評価と手続設計にまで反映することが必要です。
職業的懐疑心は「疑う姿勢」ではなく「証拠を批判的に評価する姿勢」である
不正リスクにおいて、職業的懐疑心は中心的な概念です。
ただし職業的懐疑心とは、経営者や会社担当者を常に疑うという意味ではありません。監査人が入手した情報、説明、証憑、外部証拠、内部統制の運用状況を、重要な虚偽表示の可能性という観点から批判的に評価する姿勢のことです。
監査人は、経営者、取締役及び監査役等の信頼性及び誠実性に関する過去の経験にかかわらず、不正による重要な虚偽表示が行われる可能性に常に留意し、監査の全過程を通じて職業的懐疑心を保持しなければなりません。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
実務上、職業的懐疑心が問われるのは、次のような場面です。
- 経営者の説明が監査証拠と完全には整合しない
- 期末日近くに重要かつ通例でない取引が発生している
- 契約書上の形式と取引実態がずれている
- 売上、在庫、原価、債権、資金移動の関係に違和感がある
- 過年度から楽観的な見積りが継続している
- 監査指摘に対して説明が変遷する
- 関連当事者または実質的支配関係が見えにくい
- 内部統制上の例外が「特別対応」として処理され続けている
- 監査役等または内部監査に重要情報が十分共有されていない
ここで大切なのは、違和感を感覚のままで終わらせないことです。その違和感を、どのアサーションに関するリスクか、どの証拠が不足しているか、どの説明が矛盾しているか、どの追加手続が必要か、というかたちに変換していく必要があります。
不正リスク評価は監査チーム内の討議から始まる
不正リスクは、個々の担当者がそれぞれの勘定科目だけを見ていても捉えきれません。
売上担当者が売上だけを見て、棚卸担当者が在庫だけを見て、税効果担当者が繰延税金資産だけを見ている。そうした状態では、財務諸表全体としての不自然なストーリーを見落とすことがあります。不正は、単一勘定科目ではなく、売上、原価、在庫、債権、資金、開示、内部統制、経営者説明の組み合わせとして現れることが多いからです。
監査チーム内の討議では、不正がどのように発生するのかも含め、不正による重要な虚偽表示がどこにどのように行われる可能性があるのかに、特に重点を置かなければならないとされています。また、監査チームメンバーには、経営者、取締役及び監査役等が信頼でき誠実であるという考えを持たずに討議を行うことが求められます。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
この討議で重要なのは、単に「収益認識に不正リスクあり」と記載することではありません。
検討すべきなのは、どのような不正シナリオがあり得るかです。
売上の前倒しであれば、契約条件、検収条件、出荷事実、請求、入金、返品、期末後の取消が関係します。架空売上であれば、相手先の実在性、取引の事業上の合理性、資金循環、関連当事者、物流、証憑の真正性が関係します。棚卸資産の過大計上であれば、実地棚卸、保管場所、カットオフ、受払記録、滞留、評価損、原価計算が関係します。見積りの操作であれば、主要な仮定、データ、外部情報、感応度、過年度差異、経営者バイアスが関係します。
不正リスクの討議は、監査チームが監査対象会社の事業、業務プロセス、内部統制、会計処理、開示を、一つのストーリーとして理解するための場なのです。
不正リスクに対応する監査手続は、通常手続の延長だけでは足りないことがある
不正リスクに対応する監査手続は、通常の誤謬リスク対応と同じで足りるとは限りません。
不正による重要な虚偽表示リスクへの対応手続としては、予告なしの往査、抜打ちの現金実査、期末日または期末日近くの棚卸、得意先・仕入先への確認と直接連絡、期末修正仕訳の詳細検討、重要かつ通例でない取引の調査、分析的実証手続、異常取引の抽出、外部証拠の追加収集などが例示されています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
これらに共通するのは、会社が想定しやすい通常手続だけに頼らないという発想です。不正が隠蔽される可能性を踏まえて、手続の時期、対象、深度、証拠源を調整していくのです。
不正リスク対応では、次の観点が重要になります。
外部証拠の重視
社内資料は重要な監査証拠です。しかし、経営者関与や共謀が疑われる場合、社内資料だけでは証拠力が不足することがあります。
確認、入金記録、物流記録、契約相手先からの情報、登記情報、外部評価、専門家の利用など、外部から独立した証拠を組み合わせる必要があります。
期末付近の取引への注意
不正な財務報告は、期末日近くの売上、仕入、在庫移動、評価、引当、組替、特殊取引に現れやすい傾向があります。
期末日近くの取引は、金額的重要性だけでなく、質的重要性、通例性、事業上の合理性から評価すべきです。
仕訳テストと決算整理仕訳への対応
不正な財務報告は、通常の業務プロセスを通らない決算整理仕訳、手入力仕訳、上位者による修正仕訳、説明が曖昧な振替仕訳として現れることがあります。
したがって、仕訳の抽出条件、作成者、承認者、入力時期、金額、摘要、相手勘定、証憑を検討する必要があります。
矛盾する証拠への対応
不正リスクの監査では、証拠が整っているように見えることがあります。むしろ、証憑が過度に整っている、説明が整いすぎている、形式はあるが実態が薄い。そうした状況もあります。
監査人には、証拠間の矛盾や、事業上の合理性との不整合を見逃さない姿勢が求められます。
不正リスクは会計上の見積りと結びつきやすい
不正リスクは、収益認識や資産流用だけでなく、会計上の見積りとも深く結びつきます。
減損、繰延税金資産の回収可能性、貸倒引当金、棚卸資産評価、金融商品の時価、退職給付、引当金、偶発債務、継続企業の前提。これらは、経営者の仮定や判断が財務諸表に大きく影響する領域です。
見積りの結果が後に実績と乖離したとしても、それだけで不正や誤謬になるわけではありません。重要なのは、見積り時点で利用可能であった情報を適切に考慮していたか、仮定が合理的であったか、経営者に一貫した楽観性または恣意性がないか、過年度の見積り差異がどのように評価されていたかです。
会計上の見積りは、将来事象に依存するため不確実性を伴います。経営者の仮定によって財務諸表に大きな影響を与える可能性があるため、監査上重要な論点になりやすい領域だといえます。
不正リスクの観点から見積りを評価する場合、単に計算表を検算するだけでは不十分です。
必要なのは、見積りの方法、主要な仮定、基礎データ、外部情報との整合、感応度、代替的な仮定、経営者の過年度の見積り傾向、監査役等への説明、注記の十分性を、一体として検討することです。
見積りは、KAM候補にもなりやすい領域です。不正リスクそのものをKAMとして記載するかどうかは別として、見積りの不確実性、経営者判断、監査上の対応、注記の充実度は、KAMや監査報告書の透明性と接続して考える必要があります。
不正リスクは開示・訂正・内部統制報告にも波及する
不正リスクの評価は、監査手続の中だけで完結しません。
不正または不正の疑いが財務諸表に影響する場合、修正仕訳、未修正虚偽表示、過年度訂正、訂正有価証券報告書、内部統制報告書の訂正、開示すべき重要な不備、適時開示、監査意見、KAM、監査役等報告にまで波及する可能性があります。
特に、不正が内部統制の不備と結びつく場合、財務諸表監査上の修正だけで終わらせることはできません。なぜ不正が防止または発見されなかったのか。その統制不備は期末日に存在していたのか。開示すべき重要な不備に該当するのか。財務諸表監査の手続にどのように影響するのか。ここまで検討する必要があります。
改訂内部統制基準では、モニタリングにより内部統制が継続的に監視、評価、是正されること、そして内部統制上の問題について組織内の適切な者に報告する仕組みを整備することが必要とされています。
出典:金融庁・企業会計審議会|財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並びに財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準
また、内部統制監査報告書においては、経営者が内部統制報告書で開示すべき重要な不備の内容や是正されない理由を記載している場合、監査人はその記載が適正であると判断して意見を表明する際に、当該不備がある旨及び財務諸表監査に及ぼす影響を追記することが求められます。
出典:金融庁・企業会計審議会|財務報告に係る内部統制の評価及び監査の基準並びに財務報告に係る内部統制の評価及び監査に関する実施基準
したがって、不正リスクを監査上評価する際には、財務諸表項目への影響だけを見るのでは足りません。内部統制報告制度、開示制度、監査報告、監査役等とのコミュニケーションまでを見通しておく必要があります。
不正リスクへの対応で監査人が避けるべき思考
不正リスクの評価には、いくつかの思考の落とし穴があります。
「過去に問題がなかったから大丈夫」と考える
過年度の監査で問題がなかったことは、当年度の不正リスクが低いことを当然には意味しません。
経営環境、資金繰り、業績目標、事業再編、経営者交代、システム変更、取引先の変化、海外展開、IPO準備、内部統制の人員変更などにより、不正リスクは変化していきます。
過去の経験は有用です。しかし、過去の信頼性を理由に職業的懐疑心を弱めてはいけません。
「内部統制があるから大丈夫」と考える
統制が設計されていることと、実際に運用されていることは異なります。
さらに、経営者または上位管理者が関与する場合には、承認統制やレビュー統制が無効化されることがあります。統制を確認する際には、統制証跡の存在だけでなく、誰が、いつ、何を見て、どのような例外を識別し、どのように是正したのかまで確認する必要があります。
「金額が小さいから不正リスクではない」と考える
不正リスクでは、量的重要性だけでなく、質的重要性が重要になります。
少額であっても、経営者関与、反復性、内部統制の無効化、関連当事者取引、法令違反、開示への影響、監査役等への報告漏れがある場合には、監査上の重要性が高くなることがあります。
「証憑があるから大丈夫」と考える
不正では、証憑が作成されていることがあります。契約書、請求書、検収書、稟議書、議事録、メールが存在しても、それが取引実態を裏付けるとは限りません。
証憑の真正性、取引の実在性、事業上の合理性、資金移動、物の流れ、相手先の実態、関連当事者性を合わせて検討する必要があります。
「不正調査ではないから深掘りしない」と考える
財務諸表監査は、不正調査そのものではありません。しかし、不正による重要な虚偽表示リスクを識別した場合、監査人は、当該リスクに対応する十分かつ適切な監査証拠を入手しなければなりません。
不正による重要な虚偽表示の疑義があると判断した場合には、リスク評価及び立案したリスク対応手続を修正し、想定される不正の態様等に直接対応した監査手続を実施しなければならないとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書240「財務諸表監査における不正」
不正リスクの全体像を監査調書にどう残すか
不正リスクの検討は、監査調書上も説明可能でなければなりません。
単に「不正リスクについて検討した」「経営者へ質問した」「収益認識を不正リスクとして識別した」と記載するだけでは、十分な判断過程を示したことにはなりません。
監査調書上は、少なくとも次のつながりが見える必要があります。
- 企業及び企業環境の理解
- 業績、資金繰り、外部圧力、経営者報酬等の動機・プレッシャー
- 内部統制、職務分掌、IT権限、関連当事者、非定型取引等の機会
- 経営者の姿勢、監査指摘への反応、見積り傾向等の正当化要因
- 財務諸表全体レベルまたはアサーションレベルの不正リスク評価
- 監査チーム内討議の内容
- 経営者、監査役等、内部監査等への質問内容と回答
- リスクに対応した監査手続
- 入手した監査証拠と矛盾する証拠の評価
- 未修正虚偽表示、内部統制不備、開示、監査報告への影響
- 必要に応じた審査担当者、監査役等、専門家とのコミュニケーション
不正リスクの調書は、監査手続の量を示すものではありません。どのような不正シナリオを想定し、どのリスクを重要と判断し、どの証拠でそのリスクに対応し、どこに限界が残るのか。それを説明する文書です。
国際的な動向としてのISA 240改訂にも留意する
日本の監査実務では、日本の監査基準、監査基準報告書、不正リスク対応基準、内部統制基準等に準拠して判断する必要があります。
そのうえで、国際的な動向にも目を向けておきたいところです。IAASBは2025年7月8日にISA 240(Revised)を公表しており、監査人の責任の明確化、不正を意識したリスク評価、識別したリスクへの対応、上場企業等の監査報告における透明性の向上が強調されています。ISA 240(Revised)は、2026年12月15日以後開始する期間の財務諸表監査から有効とされています。
出典:IAASB|ISA 240 (Revised), The Auditor’s Responsibilities Relating to Fraud in an Audit of Financial Statements
出典:IAASB|ISA 240 (Revised) Fact Sheet
現時点で、日本基準上の取扱いを直ちに置き換えるものではありません。ただし、不正リスク対応において、リスク評価、職業的懐疑心、監査報告の透明性が国際的にも重要視されていることは、今後の実務を考えるうえで押さえておくべき方向性だといえます。
不正リスクの全体像を一言で整理する
不正リスクの評価とは、「不正を探すこと」ではありません。「不正による重要な虚偽表示が、どこに、どのように、なぜ生じ得るかを説明できる状態にすること」です。
- 誤謬と不正を意図性で区別する
- 不正な財務報告と資産の流用を分けて考える
- 動機・機会・正当化を通じて不正リスク要因を把握する
- 経営者関与と内部統制の無効化を特に慎重に見る
- 内部統制の不備を財務諸表項目とアサーションに接続する
- 職業的懐疑心を、証拠の批判的評価として具体化する
- 開示、内部統制報告、監査意見、監査役等との連携まで見通す
この流れを、監査計画、監査手続、監査調書、審査対応、監査役等報告の中で一貫させること。それが、不正リスク対応の基本です。
不正リスクは、監査人にとって負担の重い論点です。しかし、ここを曖昧にしないことこそ、監査を「作業」ではなく「説明責任を伴う専門的判断」として成立させるための中核になります。
不正リスク対応に不安がある場合のご相談について
不正リスクの評価は、形式的なチェックリストだけで判断しきれるものではありません。会社の事業構造、内部統制、決算プロセス、会計上の見積り、開示、監査役等との連携、過年度からの経緯を踏まえたうえで、どこに重要な虚偽表示リスクがあるのかを整理していく必要があります。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、法定監査、内部統制、財務報告、開示、会計上の見積り、不正リスクに関する論点整理について、実務判断に耐える形での支援を行っています。
監査対応、内部統制評価、不正リスクの整理、監査役等への説明、開示や訂正対応の前提整理に課題がある場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。初回のご相談では、まず論点の所在、関係者への説明上のリスク、専門家が関与すべき範囲を整理するところから対応いたします。
重要事項の振り返り
| 論点 | 実務上の要点 |
|---|---|
| 不正リスクの意味 | 監査上は、不正行為一般ではなく、不正による重要な虚偽表示リスクを評価する。 |
| 誤謬と不正の違い | 両者は結果ではなく、意図的か否かで区別される。 |
| 不正の主な区分 | 不正な財務報告、いわゆる粉飾と、資産の流用に整理される。 |
| 不正リスク要因 | 動機・プレッシャー、機会、姿勢・正当化の三つで構造的に見る。 |
| 経営者関与 | 経営者は内部統制を無効化できる立場にあるため、従業員不正より発見困難性が高くなり得る。 |
| 内部統制との関係 | 統制の有無だけでなく、実効性、例外処理、管理者レビュー、IT権限、モニタリングを見る。 |
| 職業的懐疑心 | 疑うための姿勢ではなく、証拠・説明・取引実態を批判的に評価する姿勢である。 |
| 監査手続 | 不正リスクに応じて、外部証拠、期末付近の取引、仕訳テスト、非定型取引、専門家利用などを検討する。 |
| 開示・報告への波及 | 不正リスクは、修正、訂正、内部統制報告、監査意見、KAM、監査役等報告に影響し得る。 |
| 調書化 | 不正シナリオ、リスク評価、対応手続、証拠評価、判断過程を後から説明できる状態にする。 |