医療機関の価値評価と譲渡価格の考え方

医療機関のM&Aで、最も誤解を生みやすい論点の一つが「評価額」と「譲渡価格」の関係です。

評価額は、一定の前提と方法に基づいて算定した、あくまで参考値にすぎません。一方の譲渡価格は、売り手と買い手が、対象となる医療機関の資産、収益力、将来性、リスク、承継後の運営可能性まで踏まえたうえで合意する、実際の取引条件です。

ですから、評価額がそのまま譲渡価格になるとは限りません。

たとえば、理論上は3,000万円と評価されたクリニックでも、買い手がその立地や患者基盤に強い価値を感じ、売り手の希望条件と折り合えば、より高い価格で合意することがあります。反対に、利益が出ていても、スタッフの離職リスク、施設基準のリスク、老朽化した設備、借入の負担、院長個人への依存が大きければ、評価額より低い価格でしか成立しないこともあります。

クリニックの第三者承継の実務でも、評価額はあくまで交渉開始時の目安であり、実際の譲渡価格は需要と供給、つまり売り手と買い手の話し合いによって決まる、と整理されています。

ここで本当に大切なのは、「いくらで売れるか」「いくらで買えるか」を先に決めてしまうことではありません。

問われるのは、むしろ次のような点です。

その価格を、後から第三者にきちんと説明できるか。買い手は、承継後に資金繰りを維持できるか。売り手は、税務・法務・スタッフ・患者さんへの説明責任を果たせるか。そして、デューデリジェンス(DD)で発見されたリスクを、価格・契約・PMIにどう反映するか。

医療機関の価値評価とは、単なる金額の計算ではありません。承継後も医療を続けていけるかどうかを、数字で整理していく作業だといえます。

本稿では、医療機関の価値評価と譲渡価格について、時価純資産、DCF、類似取引、営業権、医療機器・内装、患者基盤、スタッフ、負債、リスク調整といった観点から整理していきます。

なお、本稿は2026年5月30日時点の公的情報等を踏まえて記載しています。実際の評価・税務処理・契約条件は、対象となる医療機関の開設主体、スキーム、所在地、財務内容、行政手続、診療報酬改定、個別の契約内容によって変わりますので、その都度の確認が必要です。

目次

価値評価は「正解を当てる作業」ではなく、交渉の前提を整える作業である

中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」では、バリュエーションを「企業又は事業の価値を定量的に評価すること」と位置づけ、評価額は中小M&Aで譲渡額を決める際の目安の一つとして扱われる、と整理しています。また、評価手法は、企業の実態や事業の特性等に応じて選ばれるものとされています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

この「目安の一つ」という点が、実は重要です。

医療機関の価値評価では、同じ財務資料を見ていても、売り手と買い手とでは見えている景色がまったく異なります。

立場重視しやすい視点
売り手長年築いた患者基盤、地域での信用、スタッフ、立地、設備投資、廃業回避、退職金・老後資金
買い手承継後の患者継続、スタッフ定着、投資回収、借入返済、設備更新、法務・税務リスク、PMI負荷
金融機関返済原資、事業計画、担保・保証、承継後の収益安定性
専門家評価方法の妥当性、資料の信頼性、リスク調整、契約・税務への反映

売り手にとっては、長年育ててきた医療機関そのものの価値です。買い手にとっては、承継後に自分が引き受ける経営リスクまで含めた投資額です。同じ数字を見ていても、その意味合いがまるで違うわけです。

だからこそ、評価額の議論は、単に「高い」「安い」で済ませてはいけません。どの資産に価値を認めるのか、どのリスクを価格から控除するのか、どのリスクは契約条項で手当てするのか、承継後にどの程度の追加投資が必要になるのか。これらを分けて考えていく必要があります。

医療機関の価格評価が難しい理由

医療機関の価値評価には、一般企業の評価とは違った難しさがあります。

第一に、医療機関には公共性があります。患者さん、スタッフ、地域医療、行政手続、保険診療、施設基準が関わってくるため、価格だけで割り切ることはできません。

第二に、医療機関は制度依存性の高い事業です。診療報酬改定、施設基準、保険医療機関の指定、医療法人制度、個別指導・監査、消費税、社会保険、労務管理。これらが収益力に直接影響します。

第三に、クリニックでは、院長個人への依存度が高いことがあります。過去の利益が、そのまま買い手に引き継がれるとは限りません。特に一人医師クリニックでは、前院長の診療力、患者さんとの関係、紹介元とのつながりが、承継後にどこまで残るかを慎重に見極める必要があります。

実際、クリニックの第三者承継の実務でも、こう整理されています。一人医師クリニックでは、前ドクターが引退して新しいドクターが診療を引き継ぐため、収益性そのものが承継されるとは限らず、DCF法はなじみにくい。一方で、複数施設を展開する大規模な医療法人や、収益力が組織に帰属している健診センター等では、DCF法が有用になり得る、というものです。

第四に、医療法人は株式会社とは制度が異なります。医療法人は非営利性を前提とし、剰余金の配当が禁止される制度設計になっています。そのため、株式会社の株式価値評価をそのまま当てはめるのではなく、出資持分、基金、社員・理事・理事長、役員退職金、法人運営、行政届出を、それぞれ分けて考えなければなりません。

出典:e-Gov法令検索|医療法

評価対象を先に特定する

価値評価に入る前に、まず「何を評価するのか」を明確にしておく必要があります。

医療機関のM&Aでは、選ぶスキームによって評価の対象そのものが変わってくるからです。

スキーム主な評価対象注意点
個人クリニックの事業譲渡内装、医療機器、備品、薬品在庫、名称、患者基盤、スタッフ、営業権等債務は原則として個別承継。保険医療機関指定・開設手続は別途確認
医療法人の事業譲渡特定診療所の事業、医療機器、契約、スタッフ、営業権等譲渡法人側に法人格が残る場合、定款変更・解散等の行政対応に注意
持分あり医療法人の承継出資持分、法人全体の資産・負債、契約、雇用、運営権限持分譲渡だけでなく社員・理事・理事長の交代が必要
持分なし医療法人の承継社員・役員構成、基金、退職金、法人運営、事業価値出資持分がないため対価設計に工夫が必要
病院・有床診療所の承継病床機能、施設、設備、人員、借入、地域連携、収益力設備投資・人件費・施設基準・病床稼働率の影響が大きい

個人クリニックを承継する場合、権利義務が包括的に移転するわけではありません。資産・負債・契約を、一つひとつ個別に特定して承継していくことになります。

承継の対象には、内装、医療機器、器具備品、薬品在庫といった有形資産だけでなく、名称、患者情報、スタッフといった無形資産、いわゆる営業権が含まれることもあります。

一方、医療法人ごと承継する場合は、法人全体の資産・負債、契約、スタッフの雇用契約等がそのまま残ります。そのため買い手は、簿外債務や偶発債務まで含めて評価しなければなりません。医療法人ごと譲渡するときには、医療機器、不動産、医業未収金、仕入債務、銀行借入金、テナント契約、リース契約、雇用契約等を、包括的に引き継ぐことになります。

評価対象があいまいなまま価格交渉を始めると、後になって厄介な問題が噴き出します。「この医療機器は譲渡対象に含まれるのか」「未収金は誰が回収するのか」「リース残債は誰が負担するのか」「営業権の対価はいくらなのか」。こうした論点が、交渉の終盤で次々と表面化してくるのです。

価格評価の第一歩は、譲渡対象の棚卸しです。

代表的な評価手法は3つある

企業価値・事業価値の評価手法は、大きく次の3つに整理できます。

中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」でも、コストアプローチ、マーケットアプローチ、インカムアプローチの3つが示されています。コストアプローチの代表例として修正簿価純資産法・時価純資産法、マーケットアプローチの代表例として市場株価法・マルチプル法、インカムアプローチの代表例としてDCF法・収益還元法が整理されています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

評価手法考え方医療機関での使い方
時価純資産法資産を時価評価し、負債を控除する小規模クリニック、医療法人、資産負債の把握に有用
DCF法将来キャッシュ・フローを現在価値に割り引く組織として収益力がある医療法人、病院、健診センター等で有用
類似取引比較法類似するM&A取引価格を参考にする公開データが乏しいため、補助的に使うことが多い

中小M&Aでは、時価純資産法で算定されるケースが多いとされています。ただし、企業価値評価には複数の方法があり、判断が難しい場合には、M&Aを専門とする公認会計士等の専門家や公的機関との連携が必要だ、とされています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

医療機関でも、考え方は同じです。

小規模クリニックでは、時価純資産を起点に置き、必要に応じて営業権を検討する。組織的な収益力がある医療法人や病院では、DCFや類似取引も参照する。いずれか一つの手法を絶対視するのではなく、対象となる医療機関の実態に合わせて組み合わせていくことが大切です。

時価純資産法:まず「いま引き継ぐ資産と負債」を見る

時価純資産法は、ある一定時点の資産を時価で見直し、そこから負債を控除して価値を算定する方法です。

算式そのものはシンプルです。

時価純資産価値 = 時価評価後の資産合計 − 実質負債合計

ただ、実務で難しいのは、この「時価評価後の資産」と「実質負債」をどう整理していくか、という点です。

資産側で見る項目

項目評価上の確認事項
現預金譲渡対象に含めるか、基準運転資金として残すか
医業未収金回収可能性、返戻・査定、窓口未収、労災・自賠責
薬品・材料在庫実在性、使用期限、滞留・廃棄、評価単価
医療機器簿価、使用年数、保守契約、故障履歴、更新投資
内装帳簿価額、使用可能性、原状回復義務、移転可能性
不動産所有か賃借か、時価、担保、賃貸借条件
保証金・敷金回収可能性、差入先、償却条項
ソフトウェア電子カルテ、レセコン、予約システムの契約・移行可否
営業権患者基盤、名称、評判、スタッフ、紹介元、立地

医療機器や内装は、帳簿価額がそのまま価値を表すとは限りません。古い機器でも十分に使える場合がありますし、逆に帳簿価額が残っていても、買い手にとっては更新を前提とするため価値が低い、ということもあります。

特に医療機器については、次のような視点が欠かせません。

  • いつ取得したか
  • 残存耐用年数はどの程度か
  • 保守契約はあるか
  • メーカーサポートは継続しているか
  • 買い手の診療方針でも使うか
  • 撤去費用や更新投資が必要か
  • リースか所有か
  • 固定資産税(償却資産)の申告対象か

医療法人の経理規程や内部管理でも、固定資産の取得価額、資本的支出と修繕費、固定資産管理、リース会計、減価償却・減損会計は、管理項目として整理されるところです。

負債側で見る項目

項目評価上の確認事項
金融機関借入残高、返済予定、金利、担保、保証
リース債務中途解約可否、残債、買い手承継の可否
買掛金・未払金仕入先、滞留、簿外債務
未払給与・賞与締め日、未払残業、賞与引当
未払税金・社会保険料滞納、納付期限、源泉所得税、消費税
退職給付債務退職金規程、対象者、引当不足
訴訟・クレーム医療事故、労務紛争、行政指導
原状回復義務テナント退去時の費用負担
保証債務連帯保証、経営者保証、債務引受

時価純資産法は、資産負債を丁寧に整理すれば、それなりの客観性を持ちます。とはいえ、ここに表れにくい価値もあるのです。

たとえば、患者基盤、地域での信用、スタッフの定着、紹介元との関係、ホームページの集患力、在宅医療ネットワークといったものです。

こうした事情から、小規模クリニックでは、時価純資産を土台に据えながら、営業権を別途検討することが多くなります。

DCF法:将来キャッシュ・フローを見る

DCF法は、将来期待されるキャッシュ・フローを現在価値に割り引いて評価する方法です。

一般的な考え方は、次のとおりです。

事業価値 = 将来フリーキャッシュ・フローの現在価値 + 継続価値の現在価値

DCF法は、将来の収益力を反映しやすい方法です。その反面、前提の置き方しだいで結果が大きく動いてしまう、という難しさもあります。

日本公認会計士協会の企業価値評価ガイドラインでも、この点に触れています。将来予測は一定の前提に立って作成されるものであり、その前提の合理性や達成可能性の確認には慎重な対応が必要であること。そして、取引目的の企業価値評価では、評価結果は依頼人の意思決定のための参考数値として提示されることが多いこと。こうした業務の性格が示されています。

出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号『企業価値評価ガイドライン』の改正について

出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

DCF法が向いている医療機関

DCF法は、次のような医療機関で検討しやすくなります。

  • 複数医師体制で、院長個人への依存度が低い
  • 分院展開しており、組織として収益力がある
  • 健診センター、透析、リハビリ、在宅医療など、仕組み化された収益基盤がある
  • 病院・有床診療所で、病床機能や地域連携が収益力に結びついている
  • 月次決算・部門別採算・事業計画が整っている
  • 承継後の人員体制や設備投資計画が具体化している

DCF法が難しい医療機関

反対に、次のような場合は、DCF法の信頼性が下がってしまいます。

  • 院長1人の診療力に売上が大きく依存している
  • 承継後の医師・スタッフ体制が未確定である
  • 月次資料が整っていない
  • 患者数や診療単価の推移が把握されていない
  • 自由診療や在宅医療の収益構造が不明確である
  • 施設基準・診療報酬リスクが大きい
  • 大規模な設備更新が近い
  • 借入返済や資金繰りが不安定である

DCF法を使う場合、将来の売上を単に「年率数%成長」と置くだけでは不十分です。医療機関では、患者数、診療単価、診療日数、医師数、スタッフ数、施設基準、設備更新、診療報酬改定、在宅医療体制、自由診療比率といった要素を、具体的に織り込んでいく必要があります。

DCF法は高度な計算方法ではありますが、実務上は、計算式そのものよりも、事業計画の前提のほうがはるかに重要だといえます。

類似取引比較法:参考にはなるが、過信しない

類似取引比較法は、似たような医療機関のM&A取引事例を参考にして価格を考える方法です。

病院のM&Aでは、病床数や機能区分をもとに、過去取引の床当たり価格等を参考にすることがあります。医業承継の実務でも、こう整理されています。時価純資産価額法、DCF法、類似取引比較法で試算した結果はそれぞれ異なり、売り手と買い手はそれぞれの目安を持って交渉に臨む。最終的には、双方が事業価値をどう見立てるかで価格が決まる、というものです。

ただし、医療機関のM&Aでは、類似取引データの利用には限界があります。

限界内容
公開情報が少ない医療機関M&Aの価格は公表されないことが多い
医療法人は上場できない上場会社の株価倍率を直接使いにくい
個別性が強い診療科、立地、院長依存、スタッフ、施設基準で価値が大きく異なる
負債条件が違う借入、リース、退職金、設備更新の負担が異なる
スキームが違う事業譲渡、持分譲渡、合併、法人ごと承継で価格の意味が異なる

そのため、類似取引比較法は、単独で価格を決めるための方法というより、「市場感を確認するための補助線」として捉えるのが適切です。

営業権・のれんをどう考えるか

医療機関の譲渡価格をめぐって、最も議論が白熱しやすいのが、営業権、いわゆるのれんです。

営業権には、次のような要素が含まれます。

  • 地域での知名度
  • 患者基盤
  • 診療所名・看板
  • 立地
  • 紹介元との関係
  • スタッフの定着
  • 医師会・地域連携
  • ホームページ・口コミ・広報資産
  • 診療オペレーション
  • カルテ・検査記録等の診療継続に必要な情報
  • 自由診療や在宅医療の仕組み
  • 承継開業による立ち上がり期間の短縮

クリニックの第三者承継の実務では、時価純資産法はあくまで一定時点の資産価値を表すにすぎず、長年クリニックを営業してきた価値は、営業権として別途評価されることがあります。また、第三者承継のモデルでは、新規開業よりも立ち上がり時期の患者数が多く、その差を機会損失の回避として営業権評価に結びつける、という考え方も示されています。

一方で、営業権は慎重に扱わなければなりません。

患者さんは「譲渡対象物」ではないからです。患者さんは、承継後の医師や診療体制を見たうえで、これからも通い続けるかどうかを判断します。スタッフも同じです。雇用契約や労働条件がきちんと整理されていても、承継後に離職する可能性はゼロにはなりません。

ですから、営業権は「ある」と言えば当然に認められるものではありません。次のような根拠によって、一つひとつ説明していく必要があります。

営業権の根拠確認資料・確認方法
患者基盤患者数推移、初診数、再診数、来院頻度、年齢構成
収益安定性月次売上、診療単価、診療科別・部門別採算
立地診療圏、競合、駅距離、駐車場、テナント条件
スタッフ勤続年数、資格、業務分担、離職率、承継後の継続意思
紹介元紹介患者数、連携医療機関、在宅・介護連携
広報公式サイト、検索流入、口コミ、予約数、来院動機
設備・内装承継後すぐに診療できる状態か
管理体制月次決算、証憑、契約、議事録、施設基準管理

実務上、営業権は「正常収益力の2〜3年分」といった目安で語られることがあります。しかし、この年数そのものに絶対的な根拠があるわけではなく、慣行的に使われている数値にすぎません。営業権は、正常収益力、承継後の患者継続可能性、院長依存度、スタッフ定着、リスクを踏まえて、個別に検討していく必要があります。

さらに、診療所の第三者承継における営業権については、税務上も慎重な検討が求められます。営業権の譲渡として譲渡所得で申告した場合でも、一身専属性の高い業務に関する対価と見られる可能性があり、個別の事情によっては課税関係の整理が必要になることがあります。

正常収益力をどう作るか

医療機関の価値評価では、決算書上の利益をそのまま使うのではなく、正常収益力を把握していきます。

正常収益力とは、対象となる医療機関が本来どの程度の利益・キャッシュ・フローを生み出すのかを、一定の修正を加えたうえで整理したものです。

たとえば、次のような調整が必要になります。

調整項目評価上の考え方
院長報酬承継後の医師人件費として適正水準に置き換える
親族給与実態と職務内容に照らして過大・過少を修正する
役員退職金一過性費用として扱うか、承継対価の一部として整理する
MS法人取引市場価格・契約実態に基づく水準へ修正する
家賃親族・関連法人との賃料が時価か確認する
広告費一時的費用か継続的な集患投資かを区分する
修繕費一時的修繕か毎期発生する維持費かを区分する
採用費一時的採用か慢性的な離職コストかを見る
減価償却費実際の設備更新投資と合わせて見る
税金役員報酬・減価償却・消費税等の影響を整理する
自由診療継続性、返金リスク、広告規制、説明体制を確認する
在宅医療24時間対応、人員体制、車両、オンコール負荷を確認する

正常収益力は、税務申告上の利益とは異なるものです。税務上の利益は、あくまで過去の申告結果です。これに対して正常収益力は、買い手が承継後に投資を回収できるかどうかを判断するための経営資料なのです。

ここで、月次決算や部門別の管理会計が整っている医療機関ほど、価格の説明はしやすくなります。逆に、年に1回の決算書しかなく、未収金、部門別採算、人件費、リース、固定資産、在庫が整理されていない医療機関では、買い手は不確実性を価格から控除しようとします。

医療機器・内装の価値は「簿価」ではなく「使える価値」で見る

医療機器や内装は、譲渡価格に大きく影響します。

しかし、帳簿価額だけで判断すると、見立てを誤ります。

たとえば、取得価額が3,000万円の医療機器であっても、買い手の診療方針では使わない、保守契約が切れている、メーカーサポートが終了している、更新予定が近い、といった事情があれば、その価値は大きく下がります。

反対に、簿価がほとんど残っていなくても、承継後すぐに診療を始められ、患者さんに必要な検査・治療を問題なく提供できる設備であれば、実務上の価値はしっかりあります。

評価にあたっては、次の順番で見ていくと整理しやすくなります。

  1. その設備は承継後も使うか
  2. 使う場合、何年程度使えるか
  3. 使うために修繕・更新・保守が必要か
  4. 買い手が同じ設備を新規取得した場合、いくらかかるか
  5. 使わない場合、撤去費用・原状回復費用はいくらか
  6. リース残債や契約承継の条件はどうなっているか
  7. 設備投資による診療収益への貢献は説明できるか

医療機器・内装・ソフトウェアは、「買った価格」ではなく、「承継後の診療と収益にどう貢献するか」という視点で見る必要があります。

患者基盤は価値だが、固定資産ではない

医療機関のM&Aにおいて、患者基盤は重要な価値です。

しかし、患者さんは医療機関に固定されているわけではありません。医師が変わる、スタッフが変わる、診療方針が変わる、診療時間が変わる、予約方法が変わる。そのどれか一つでも、患者さんの来院行動は変わっていきます。

ですから、患者基盤を見るときには、単に「患者数が多い」というだけでは不十分です。

見るべき指標評価上の意味
外来患者数現在の来院ボリューム
初診数・初診率新規患者の流入力
再診数・再診率継続来院の安定性
診療単価収益力と診療内容
年齢構成将来需要、在宅医療移行可能性
主疾患構成生活習慣病、慢性疾患、自由診療等
来院頻度継続収益の見通し
紹介・逆紹介地域連携の強さ
来院動機院長個人依存か、立地・診療科・評判か
患者クレーム承継後の離脱リスク

患者数が多くても、そのほとんどが院長個人のファンであれば、承継後の価値は限定的にとどまります。反対に、診療体制、スタッフ、予約導線、立地、慢性疾患管理、在宅連携などによって患者基盤が組織に根づいている場合には、承継後の価値は高くなります。

スタッフはコストではなく、価値評価の中核である

医療機関の価値評価では、スタッフを単なる人件費として見てはいけません。

受付、医療事務、看護師、歯科衛生士、理学療法士、放射線技師、管理栄養士、事務長。こうした人たちが安定して機能している医療機関は、承継後の運営リスクが低くなります。

一方で、キーパーソンが退職してしまうと、レセプト、患者対応、在宅医療、自由診療のカウンセリング、施設基準管理が止まってしまうことがあります。

評価にあたっては、次の点を確認します。

  • 従業員名簿
  • 雇用契約書
  • 就業規則
  • 賃金規程
  • 退職金規程
  • 勤続年数
  • 資格者数
  • 役割分担
  • 有給休暇残高
  • 未払残業リスク
  • 社会保険加入状況
  • 承継後の継続意思
  • 院長配偶者・親族スタッフの関与
  • 事務長やレセプト担当者への依存度

スタッフが定着し、業務が仕組み化されている医療機関は、買い手にとって評価しやすくなります。反対に、院長や配偶者、あるいは特定の事務長に業務が集中している場合には、承継後の引継ぎコストや離職リスクが価格に反映されることになります。

負債・簿外債務・偶発債務は価格を下げるだけでなく、スキームを変える

価値評価では、負債の確認が重要です。

借入金がある医療機関でも、収益力と返済能力があれば、承継の可能性はあります。問題は、借入金の額そのものよりも、承継後の返済原資があるか、追加投資と両立できるか、保証・担保をどう整理するか、という点にあります。

また、DDで簿外債務や偶発債務が見つかった場合、単に価格を下げるだけでは済まないこともあります。

リスク価格・契約への影響
未払残業代価格調整、補償条項、クロージング前精算
退職給付債務負債認識、承継後資金計画への反映
税務調査リスク表明保証、補償、価格控除
施設基準返還リスクDD追加、行政確認、価格調整
医療事故・訴訟保険確認、補償、契約条件
リース残債承継可否、解約費用、資金計画
原状回復義務将来費用として控除
経営者保証金融機関調整、クロージング条件

中小M&Aガイドラインでも、財務DDの結果、多大な簿外債務・偶発債務が発見された場合には、当初予定していた株式譲渡スキームから事業譲渡スキームへの変更を余儀なくされることがある、とされています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

医療機関でも、事情は同じです。医療法人ごと承継する予定だった案件でも、過去の税務・労務・施設基準リスクが大きければ、事業譲渡へ変更する、価格を調整する、補償条項を設ける、あるいは中止する。そうした判断が必要になることがあります。

医療法人の価値評価では「持分」と「経営権」を分ける

持分あり医療法人では、出資持分が評価の対象になります。

しかし、出資持分を譲渡しただけでは、医療法人の経営を承継したことにはなりません。医療法人では、社員、理事、理事長、管理者の交代が必要になるからです。

医業承継の実務でも、こう整理されています。第三者への医療法人承継では、出資持分の譲渡対価は、譲渡側と譲受側の合意に基づくものであれば基本的に自由に決められる。一方で、出資者が入れ替わっただけでは事業承継とはいえず、社員、理事、理事長の交代を同時に行うのが通常である、というものです。

つまり、医療法人の評価では、次の3つを分けて考える必要があります。

論点内容
財産的価値出資持分、純資産、資産負債、営業権
経営支配社員、理事、理事長、管理者の交代
税務・資金持分譲渡、役員退職金、基金、退社、払戻し、納税資金

また、医療法人では、役員退職金が譲渡対価の一部のように検討されることがあります。ただし、退職金は、税務上の適正額、法人手続、支払能力、職務実態を踏まえて設計しなければなりません。価格交渉上の都合だけで退職金に置き換えることは、避けるべきです。

譲渡価格はどのように組み立てるか

医療機関の譲渡価格は、次のように分解して考えると整理しやすくなります。

譲渡価格 = 時価純資産 + 営業権 − リスク調整 ± 交渉要素

もう少し具体化すると、次のようになります。

構成要素内容
時価純資産現預金、未収金、医療機器、内装、在庫、不動産等から負債を控除
営業権患者基盤、立地、名称、スタッフ、地域信用、収益力
リスク調整未払残業、税務、施設基準、設備更新、患者離脱、スタッフ退職
交渉要素売り手の希望、買い手の戦略、競合買い手、支払条件、引継期間

個人クリニックの事業譲渡では、まず譲渡対象資産を特定し、医療機器・内装・備品・在庫等の価値を見積もったうえで、総額から有形資産等を差し引いた残額を営業権として整理する、という実務もあります。

ただし、この分解は、あくまで整理のための方法です。最終的な価格は、買い手が「この価格で買収しても投資を回収できる」と判断し、売り手が「この条件なら承継に応じられる」と判断して、はじめて成立します。

価格だけでなく、支払条件も見る

同じ3,000万円の譲渡価格であっても、支払条件しだいで、その意味合いは変わってきます。

支払条件実務上の意味
一括払い売り手の回収確実性は高いが、買い手の資金負担が重い
分割払い買い手の負担は軽いが、売り手に未回収リスク
一部を役員退職金税務・法人手続・適正額・決議が重要
アーンアウト承継後の業績に応じて追加支払。小規模医療機関では設計が難しい
借入承継込み実質的な買収負担を総額で見る必要
現預金を残す運転資金を残す代わりに価格調整が必要
設備更新前提価格を抑え、買い手が更新投資を負担する設計

買い手にとって重要なのは、譲渡価格そのものだけではありません。

譲渡価格に、仲介手数料、専門家報酬、登記・行政手続費用、設備更新、広告・広報、採用費、運転資金、税金、借入返済を加えた総投資額。これを、承継後のキャッシュ・フローで回収できるかどうかが問われます。

小規模クリニックの第三者承継では、評価やDDに数百万円単位の専門家報酬がかかる場合もあり、案件規模とのバランスを考える必要があります。一方で、契約やDDを軽視して後日トラブルになるような事態は避けるべきです。コストをかける部分を限定的に集中させる、という発想が大切になります。

価格を上げるために整えるべきこと

売り手側が価格交渉で不利になりにくくするためには、見せ方を取り繕うのではなく、説明できる実態を整えることが必要です。

買い手が評価するのは、きれいな資料ではありません。後から検証できる数字と、承継後に再現できる仕組みです。

売り手側が整えるべき資料

分類整える資料
財務過去3期決算書、申告書、直近試算表、月次推移
収益患者数、診療単価、初診数、診療科別売上、未収金
資産固定資産台帳、医療機器一覧、リース契約、保守契約
負債借入一覧、返済予定、担保、保証、未払金
労務従業員名簿、雇用契約、就業規則、給与台帳、有休
法人定款、社員名簿、役員名簿、議事録、登記、届出
医療法務開設届、保険医療機関指定、施設基準、定例報告
契約賃貸借、委託、保守、電子カルテ、システム、MS法人取引
税務税務調査履歴、修正申告、消費税届出、源泉資料
事業診療圏、競合、紹介元、広報、採用、在宅・自由診療

医療法人については、事業報告書等および経営情報等の報告が制度上求められており、厚生労働省は医療法人経営情報データベースシステム(MCDB)による報告を推進しています。こうした公的な報告資料と、日常の月次管理資料とが整合していることは、M&A時の説明可能性にもつながっていきます。

出典:厚生労働省|医療法人に関する情報の調査及び分析等について

価格を下げる原因になりやすいもの

原因なぜ価格に影響するか
月次資料がない収益力の再現性を説明できない
未収金が未整理回収可能性が不明
固定資産台帳が不正確医療機器・内装の価値が分からない
契約書がない権利義務・承継可否が不明
議事録がない医療法人運営の適法性に疑義
就業規則・雇用契約が不十分労務リスクが価格に反映される
税務調査指摘が未整理追徴・補償リスクが残る
施設基準管理が弱い返還リスクがある
院長依存が強い承継後の収益低下リスク
老朽設備が多い買い手の追加投資が増える

価格交渉は、一見すると、M&Aの直前に始まるように思えます。しかし実際には、日常管理の積み重ねこそが、価格交渉力を左右しているのです。

買い手は「買える価格」ではなく「運営できる価格」で判断する

買い手側は、譲渡価格を「払えるかどうか」だけで判断してはいけません。

本当に重要なのは、承継後に運営できる価格かどうか、という点です。

買い手側が確認しておくべき問いは、次のとおりです。

  • 現院長が退任しても、患者数は維持できるか
  • スタッフは残るか
  • 承継後の医師人件費を織り込んでも、利益は残るか
  • 施設基準を維持できるか
  • 設備更新はいくら必要か
  • 借入返済を、毎月のキャッシュ・フローで賄えるか
  • 自院グループの管理コストを織り込んでも、採算は合うか
  • 患者さん・スタッフへの説明に必要な期間はどの程度か
  • PMIを誰が担うか
  • 買収しない場合の新規開業・分院開設コストと比べて、合理的か

買い手にとっての価格の上限は、感覚ではなく、投資回収の観点から決めるべきです。

たとえば、譲渡価格が3,000万円、追加の設備投資が1,500万円、運転資金が1,000万円、専門家費用が500万円だとすれば、実質的な投資額は6,000万円になります。この6,000万円を、承継後のキャッシュ・フローで何年かけて回収できるのか。そこまで見ておく必要があります。

評価額・DD・契約はつながっている

価値評価は、DDや契約と切り離して考えることはできません。

まず暫定的な評価を行い、基本合意で大枠の条件を決めます。その後、DDで財務・税務・法務・労務・医療法務・施設基準・カルテ管理を確認していきます。そしてDDの結果、想定していなかったリスクが見つかれば、それを価格、支払条件、表明保証、補償、クロージング条件、PMI計画に反映していきます。

医業承継の実務でも、出資持分の譲渡価格、クロージング時期、社員・役員の交代に加えて、クロージングの前提条件、表明保証、誓約事項を定めることが重要であり、DDの結果を踏まえてこれらの条項をどう定めるかがポイントになる、とされています。

評価額は、契約前の参考値です。DDは、その評価額の前提を検証する作業です。そして契約は、検証されたリスクを当事者間でどう分担するかを決めるものです。

この3つを分断してしまうと、困った事態が起こります。「価格は決まったが、リスク分担が決まっていない」「DDで問題が見つかったのに、契約に反映されていない」「営業権の対価は支払ったのに、患者さん・スタッフが引き継がれなかった」。こうしたほころびが、後から表面化してくるのです。

医療機関の価値は、数字と仕組みの両方で説明する

医療機関の価値は、決算書だけでは説明できません。

だからといって、数字が不要だという意味ではありません。むしろ逆です。患者基盤、スタッフ、地域信用、在宅医療、自由診療、施設基準、診療圏といった定性的な価値を、できる限り数字と資料に落とし込んでいくことが必要なのです。

定性的価値数字・資料への落とし込み
患者さんに選ばれている初診数、再診数、来院動機、患者アンケート
スタッフが安定している勤続年数、離職率、職種別人員、教育体制
地域連携が強い紹介件数、逆紹介件数、連携先一覧
在宅医療が機能している訪問件数、看取り件数、オンコール体制
自由診療が伸びているメニュー別売上、説明書、返金率、広告規制対応
施設基準が安定している届出、定例報告、人員配置、研修記録
経営管理が整っている月次試算表、資金繰り表、予実管理、議事録
設備が使える固定資産台帳、保守契約、更新計画

価格交渉で強い医療機関とは、単に利益が多い医療機関のことではありません。後から第三者にきちんと説明できる医療機関のことです。

まとめ:譲渡価格は「医療を引き継げる状態」への評価である

医療機関の譲渡価格は、純資産だけで決まるものではありません。過去の利益だけで決まるものでもありません。

時価純資産は、いま引き継ぐ資産と負債を示します。DCFは、将来のキャッシュ・フローを示します。類似取引は、市場感を示します。営業権は、長年積み上げてきた患者基盤・信用・組織の価値を示します。そしてリスク調整は、承継後に買い手が背負う不確実性を示します。

最終的な譲渡価格は、これらすべてを踏まえて、売り手と買い手が合意するものです。

医療機関のM&Aを、単なる売買として捉えてしまうと、価格交渉はどうしても感情的になりがちです。

しかし、医療機関を、継続的に経営管理されるべき事業体として捉えるなら、話は変わってきます。価値評価は、医療を次の世代へ引き継ぐための、説明資料になっていくのです。

売り手は、自院が何を築いてきたのかを、数字と資料で説明する。買い手は、その価値を承継後に再現できるかを、計画と資金で検証する。専門家は、その判断に必要な会計・税務・財務・法務・医療制度上の論点を整理する。

それこそが、医療機関の価値評価における本質だといえます。

重要事項の振り返り

論点確認すべきこと
評価額と譲渡価格評価額は参考値。譲渡価格は売り手・買い手の合意で決まる
評価対象個人クリニック、医療法人、事業譲渡、持分譲渡で対象が異なる
時価純資産法資産を時価評価し、負債・簿外債務を控除する
DCF法将来キャッシュ・フローを見る。院長依存が強いと使いにくい
類似取引比較法市場感の確認には有用だが、公開データが少なく補助的に使う
営業権患者基盤、立地、スタッフ、信用、立ち上がり短縮効果を検討する
正常収益力税務上の利益ではなく、承継後に再現できる利益・資金を把握する
医療機器・内装簿価ではなく、承継後に使える価値、更新投資、保守状況を見る
患者基盤患者数だけでなく、継続来院、来院動機、院長依存を確認する
スタッフ人件費ではなく、承継後の診療継続を支える価値として見る
負債・リスク借入、リース、未払残業、税務、施設基準、原状回復を価格に反映する
契約への反映DD結果を価格、表明保証、補償、クロージング条件、PMIに反映する
売り手の準備月次資料、固定資産台帳、契約、議事録、労務、施設基準を整える
買い手の判断買える価格ではなく、承継後に運営できる価格かを検証する

医療機関の価値評価・譲渡価格を整理したい方へ

医療機関のM&Aでは、価格の議論だけが先行してしまうと、交渉が止まりやすくなります。後からDDで見つかったリスク、税務処理、役員退職金、設備更新、スタッフ承継、施設基準、契約条件をめぐって、話が膠着してしまうのです。

一方で、過度に理論的な評価だけを行っても、実際の買い手が承継後に運営できなければ意味がありません。

医療機関の価値評価では、決算書、月次資料、未収金、固定資産、借入、営業権、患者基盤、スタッフ、施設基準、税務リスクを、一体として整理していく必要があります。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、医療機関の会計・税務・資金繰り・医療法人運営・承継前整理の観点から、価値評価や譲渡価格の前提となる資料整理、正常収益力の把握、DD前の論点整理を支援しています。

自院の譲渡価格の考え方を整理したい。買収検討先の価格が妥当かどうかを確認したい。M&Aに向けて、どの数字を整えるべきかを把握したい。そうしたお考えがありましたら、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページより、お気軽にご相談ください。

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