事業価値・企業価値・株主価値・株式価値の違い

M&Aや事業承継の価格を判断する場面で、意外と多いのが、「いま自分たちはどの価値の話をしているのか」が曖昧なまま議論が進んでしまうケースです。

「企業価値はいくらですか」 「株価はいくらですか」 「EV/EBITDA倍率で見ると何倍ですか」 「純資産に営業権を足せばよいのでしょうか」 「借入金は価格から差し引くのですか」 「現預金は売主が持っていけるのですか」

いずれも、M&Aのバリュエーションで頻繁に出てくる問いです。ところが、ここで使われている「企業価値」「株価」「EV」「価格」は、実は同じ意味ではありません。

特に中小企業や非上場会社のM&Aでは、決算書の純資産、事業の稼ぐ力、余剰現金、遊休不動産、借入金、役員貸付金、簿外債務、保証、退職給付、税務上の時価といった要素が、一つの議論のなかに混在しがちです。

その結果、「高い」「安い」という感覚的なやり取りはできても、「では、何に対して高いのか」「どの価値から何を足し引きした価格なのか」を、いざ説明しようとすると言葉に詰まってしまう。これは実務でよく目にする光景です。

価値の概念は、整理しておくと見通しがよくなります。事業価値とは事業から生み出される価値であり、企業価値はそこに非事業資産を加えた企業全体の価値です。さらに、企業価値から有利子負債等を控除して株主に帰属する価値を取り出したものが株主価値であり、特定の株主が保有する特定の株式の価値が株式価値にあたります。これらは、それぞれ別の概念として区別して考える必要があります。

出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

この記事では、具体的な評価モデルや価格調整条項の詳細までは踏み込みません。まずは、事業価値・企業価値・株主価値・株式価値を混同しないための、基本的な構造を整理しておきたいと思います。

目次

まず押さえるべき価値の階層

はじめに、全体像を式の形で整理してみます。

事業価値 = 事業が将来生み出すキャッシュ・フロー等の価値

企業価値 = 事業価値 + 非事業資産

株主価値 = 企業価値 − 有利子負債等の株主に帰属しない価値

株式価値 = 特定の株主が保有する特定の株式の価値

この関係を理解しないまま議論を進めると、M&Aの価格判断はすぐに混乱します。

たとえば「会社の価値が高い」と言っている人が、事業の稼ぐ力を見ているのか、遊休不動産や余剰現金を含めて見ているのか、それとも借入金を控除した後の株主価値を見ているのか、あるいは少数株主持分の価値を見ているのか。どこを指しているかによって、話している金額はまったく変わってきます。

M&Aの実務では、事業資産は長期的なキャッシュ・フロー稼得能力で評価し、非事業用資産は売却可能価格など時価で評価します。そのうえで、事業そのものの価値に非事業用資産を加えたものが企業価値となり、そこから負債投資家の取り分を控除したものが株主価値・株式価値になる、というのが基本的な整理です。

ですから、「いくらで売れるか」を考える前に、まず「いま見ている金額は、どの階層の価値なのか」を確認しておくことが大切です。

事業価値とは何か

事業価値とは、会社の事業そのものが生み出す価値のことです。

ここでいう事業とは、商品やサービス、顧客、従業員、設備、ノウハウ、販売網、仕入先、営業体制、管理体制などが一体となって、将来のキャッシュ・フローを生み出していく仕組みを指します。

事業価値は、単に貸借対照表に載っている資産の合計ではありません。帳簿上の機械設備や棚卸資産、売掛金だけでなく、顧客基盤、ブランド、技術、人材、業務プロセス、収益構造といった、財務諸表には直接表れにくい価値まで含めて考える必要があります。

たとえばDCF法では、事業から生み出されるフリー・キャッシュ・フローを資本コストで割り引いて事業価値を求めます。なかでもエンタープライズDCF法では、EBITに基づくフリー・キャッシュ・フローをWACCで現在価値に割り引いて事業価値を算定します。そこに非事業資産を加算して企業価値を求め、さらに有利子負債等を控除して株主価値を算定する、という流れになります。

ここで重要なのは、事業価値とは「事業に必要な資産と負債が一体となって生み出す価値」だ、という点です。

売掛金、棚卸資産、買掛金、未払費用といった運転資本は、事業を回していくために欠かせない項目です。これらを「資産だから足す」「負債だから引く」と単純に処理するのではなく、事業が継続的にキャッシュ・フローを生み出すために必要な投下資本として、評価に織り込んでいく必要があります。

事業価値を見るときに中心となるのは、次のような問いです。

  • この事業は、将来どれだけの売上と利益を生むのか。
  • その利益は一時的なものか、それとも継続的なものか。
  • 運転資本や設備投資を差し引いた後に、どれだけのフリー・キャッシュ・フローが残るのか。
  • オーナー依存、特定取引先依存、人材不足、設備老朽化といったリスクはどの程度あるのか。
  • 将来計画は、過去の実績や事業の実態から見て、説明のつくものか。

つまり事業価値とは、「決算書上の利益」を見る概念ではなく、「事業として将来どれだけキャッシュを生み出す力があるか」を見る概念だと言えます。

企業価値とは何か

企業価値とは、事業価値に非事業資産を加えた、企業全体の価値です。

事業価値が、事業活動から生まれるキャッシュ・フローの価値であるのに対し、会社のなかには、事業運営に直接使われていない資産が含まれていることがあります。これが非事業資産です。

代表的なものとして、次のような資産が挙げられます。

  • 余剰現金
  • 遊休不動産
  • 投資有価証券
  • 保険積立金
  • 事業に使っていない車両や設備
  • 収益に直接貢献していない関係会社株式
  • オーナー個人の利用に近い資産
  • 廃止済み事業に関連する資産

企業価値は、事業価値にこうした非事業資産を加えた価値です。企業価値は事業価値に事業以外の非事業資産の価値を含めた企業全体の価値であり、企業価値と株主価値はあくまで別の概念として区別される、という点も押さえておきたいところです。

出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

ただし、ここで注意していただきたいのは、「現預金があるから、すべて企業価値に足せる」とは限らない、ということです。

事業運営に必要な現預金は、事業価値のなかに含まれる運転資金の一部として考えるべきものです。一方、明らかに事業に不要な余剰現金については、非事業資産として事業価値に加算する余地が出てきます。

この区別を誤ると、評価額は大きく変わります。

売上規模、季節変動、仕入の支払サイト、借入返済、賞与支払、納税資金、設備投資の予定などを考慮せずに「現預金はすべて余剰」と扱ってしまうと、株主価値を過大に評価してしまう可能性があります。逆に、明らかな遊休資産や過大な余剰現金を事業価値のなかに埋もれさせてしまえば、本来は売主に帰属すべき価値を見落とすことになりかねません。

企業価値を見るときは、事業そのものの価値と、事業に使われていない資産の価値を切り分けることが重要です。

株主価値とは何か

株主価値とは、企業価値から有利子負債等を控除した、株主に帰属する価値です。

会社の価値は、すべてが株主だけに帰属するわけではありません。借入金、社債、リース債務、退職給付債務、優先株式、非支配株主持分、新株予約権など、株主以外の資金提供者や権利者に帰属する価値があります。

そこで、企業価値から株主に帰属しない価値を控除した残りが、株主価値になります。

基本となる式は、次のとおりです。

株主価値 = 企業価値 − 有利子負債等の株主に帰属しない価値

エンタープライズDCF法では、事業から生み出されるフリー・キャッシュ・フローをWACCで割り引いて企業価値を算出します。そこから株主価値を求めるには、有利子負債やその他の非株式請求権の価値を差し引いていく、というのが基本的な考え方です。

ここでいう「有利子負債等」は、単に銀行借入金だけを指すわけではありません。

M&Aの価格判断では、次のような項目も検討の対象になります。

  • 銀行借入金
  • 社債
  • ファイナンス・リース債務
  • 未払利息
  • 役員借入金
  • 退職給付債務
  • 未払税金
  • 訴訟・環境・労務関連の潜在債務
  • 保証債務や偶発債務
  • 優先株式や種類株式に付された優先的権利
  • 新株予約権やストックオプションによる希薄化

もちろん、これらをすべて機械的に控除するわけではありません。評価の目的、取引スキーム、契約条件、会計処理、税務上の取扱い、デューデリジェンスで把握された事実に応じて、整理していくことになります。

それでも、少なくとも「企業価値=株主が受け取れる価値」ではない、という点だけは明確にしておく必要があります。

M&Aで株式譲渡価格を考えるとき、買い手は会社全体を引き受けます。会社に借入金があれば、その返済負担も将来のキャッシュ・フローから賄われていきます。したがって、企業価値が高くても、負債が多ければ株主価値は小さくなります。逆に、事業価値がそれほど大きくなくても、余剰資産が多く負債が少なければ、株主価値は大きくなることもあるのです。

株式価値とは何か

株式価値とは、特定の株主が保有する特定の株式の価値です。

ここが、株主価値との違いになります。

株主価値が、会社全体として株主に帰属する価値であるのに対し、株式価値は、ある株主が保有している特定の株式の価値を指します。

普通株式だけが発行されていて、すべての株式が同一の権利を持ち、支配権や少数株主持分の違いを考慮しないのであれば、株主価値を発行済株式数で割ることで、1株当たりの価値を計算できます。

しかし実務では、そう単純にはいきません。

  • 支配株主が保有する株式なのか。
  • 少数株主が保有する株式なのか。
  • 議決権はあるのか。
  • 譲渡制限はかかっているのか。
  • 種類株式は発行されているのか。
  • 新株予約権やストックオプションはあるのか。
  • 株主間契約や投資契約で、権利に制限がかかっていないか。
  • 自己株式はあるのか。
  • 税務目的なのか、M&A目的なのか、会社法上の公正価格なのか。

これらによって、同じ会社の株式であっても、価値は変わってきます。

株式価値は、あくまで「特定の株主が保有する特定の株式の価値」であり、普通株式や種類株式など、保有される株式の内容によって異なる概念として整理されます。

出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

したがって、非上場会社の株価を考える場合、「株主価値を単純に株数で割れば終わり」とは限らないのです。

特に、少数株主からの買取り、自己株式の取得、親族間譲渡、同族株主間取引、種類株式、新株予約権、VC投資、組織再編比率の算定といった場面では、株主価値と株式価値を分けて考える必要があります。

EVという言葉に注意する

M&Aの実務では、「EV」という言葉がよく使われます。

EVは一般にEnterprise Valueの略ですが、日本語の「企業価値」と完全に同じ意味で使われているとは限りません。ここが、混乱しやすいところです。

実務では、EV/EBITDA倍率などの文脈で、EVが「事業価値」に近い意味で使われることがあります。EV/EBITDA倍率におけるEVは、株式時価総額に有利子負債等を加え、そこから非事業資産を控除して求めた事業価値として整理されることがあるためです。

一方、別の文脈では、EVが「株式時価総額+ネットデット」として説明されることもあります。非事業資産や負債類似項目が少ない上場会社であれば、この簡便な計算でも大きな違和感は出にくいかもしれません。

しかし、非上場会社や中小M&Aでは注意が必要です。

  • 余剰現金が多い
  • 遊休不動産がある
  • 保険積立金が大きい
  • 役員貸付金・役員借入金がある
  • 簿外債務や退職給付債務がある
  • 事業に使っていない資産が多い
  • 借入金のなかに、実質的に事業の運転資金と一体となっているものがある

こうした会社で、EVを曖昧なまま使ってしまうと、価格判断を誤ることになります。

「EVはいくらか」と尋ねるよりも、「それは事業価値のことなのか、非事業資産を含んだ企業価値のことなのか、それとも株主価値に近い金額なのか」を確認する。実務では、そのほうがはるかに重要です。

純資産と株主価値は同じではない

中小企業のM&Aでは、「純資産がいくらだから、株価はいくら」という議論をよく耳にします。

純資産は、たしかに重要な判断材料です。とりわけ、資産保有会社、不動産保有会社、清算価値を意識すべき会社、収益力が乏しい会社、承継を目的とした株式評価などでは、純資産や時価純資産の考え方が重要になります。

しかし、純資産と株主価値は、同じものではありません。

純資産は、会計上の資産から負債を差し引いた、帳簿上の概念です。これに対して株主価値は、事業価値、非事業資産、有利子負債、負債類似項目、将来キャッシュ・フロー、リスク、評価目的などを踏まえて算定される経済価値です。

帳簿上の純資産が小さくても、安定した収益力や成長性があれば、株主価値は大きくなることがあります。逆に、帳簿上の純資産が大きくても、資産の含み損、老朽化した設備、回収不能な債権、過大な在庫、収益力の不足、簿外債務などがあれば、株主価値が帳簿純資産を下回る可能性もあるのです。

また、貸借対照表に計上されていない無形資産やのれんが、事業価値を構成することもあります。事業価値は、静態的な純資産だけでなく、超過収益力、無形資産、知的財産価値までを含む価値として整理されます。

出典:日本公認会計士協会|企業価値評価ガイドライン

ですから純資産は、「株主価値そのもの」ではなく、「株主価値を検討するための、一つの重要な材料」と位置づけて考えるのがよいでしょう。

非事業資産をどう見るかで価格は変わる

事業価値と企業価値の違いを理解するうえで、最も重要になるのが非事業資産です。

非事業資産とは、事業活動からキャッシュ・フローを生み出すために必要とはいえない資産です。評価のうえでは、事業価値とは切り分けて、時価で評価する必要があります。

ただし、非事業資産かどうかの判断は、決して簡単ではありません。

たとえば、現預金について考えてみます。

会社に現預金があっても、そのすべてが余剰現金とは限りません。仕入代金の支払い、賞与、納税、借入返済、季節的な運転資金、設備更新、突発的な資金需要に備えるための資金は、事業を継続していくうえで必要な現預金です。

一方で、長期間使われていない過大な現預金、事業規模に比べて明らかに大きい預金、事業資金とは切り離された運用資金などは、非事業資産として整理する余地があります。

不動産についても、考え方は同じです。

本社、工場、店舗、倉庫など、事業に必要な不動産は、事業価値のなかで考えるべきものです。一方、遊休地、賃貸目的で保有する不動産、オーナーの利用資産、事業に使っていない資産などは、非事業資産として別途評価する必要があります。

非事業資産は、株式譲渡価格にも影響します。

売主としては、非事業資産を価格に反映させたいと考えることが多いでしょう。買主としては、その資産を取得する必要があるのか、取得後に売却できるのか、税負担や維持コストはどうかを、しっかり確認する必要があります。

この整理をしないまま「会社全体でいくら」と議論してしまうと、売主と買主の価格目線はずれていきます。

有利子負債をどう控除するかで株主価値は変わる

企業価値から株主価値へ移る際には、有利子負債等を控除します。

ここで問題になるのが、「何を控除するか」です。

銀行借入金は、比較的分かりやすい項目です。しかしM&Aの価格判断では、銀行借入金だけを見れば足りる、というわけにはいきません。

  • 役員借入金はどう扱うか。
  • リース債務は有利子負債に含めるか。
  • 退職給付債務は控除項目になるのか。
  • 未払税金は価格調整に入れるのか。
  • 保証債務や偶発債務はどう織り込むか。
  • 訴訟リスクや環境債務は、価格で反映するのか、それとも契約で対応するのか。
  • 新株予約権や種類株式は、普通株主価値をどの程度希薄化させるのか。

こうした項目は、いずれも株主価値に直接影響します。

価値評価の実務では、有利子負債に加えて、オペレーティング・リース、年金の積立不足分、転換社債、従業員向けストックオプションなど、将来キャッシュ・フローへの請求権を持つものの普通株式ではない項目を、非株式請求権として整理することがあります。

中小企業では、さらに役員貸付金・役員借入金、オーナー関連取引、会社名義の個人利用資産、未払残業代、税務リスクなども問題になってきます。

ですから、「借入金を引けば株主価値になる」と単純化してしまうのは危険です。控除すべき項目と、価格調整や契約条項で対応すべき項目とを、分けて整理していく必要があります。

株式譲渡価格と株主価値も完全には一致しない

株式譲渡では、理論上は株主価値が譲渡価格の出発点になります。

しかし、株主価値と最終的な株式譲渡価格は、必ずしも一致しません。

その理由は、取引価格には交渉条件が入ってくるからです。

  • クロージング時点の現預金・借入金をどう扱うか。
  • 正常運転資本をどの水準とするか。
  • デューデリジェンスで発見されたリスクを、価格に反映するか。
  • 表明保証・補償で対応するか。
  • 役員退職慰労金を支払うか。
  • 不動産や保険積立金を、売主側に残すか。
  • 売主貸付金・役員借入金を、クロージング前に整理するか。
  • アーンアウトや分割払いを入れるか。
  • 税務コストをどちらが負担するか。

これらの要素によって、最終的な譲渡価格は変わっていきます。

そのため、ここまで整理してきた価値概念は、価格交渉そのものではありません。価格交渉やネットデット調整、正常運転資本調整の詳細は、別の記事で扱うべき論点です。

ただし、価格交渉に入る前に、事業価値・企業価値・株主価値・株式価値を切り分けておかなければ、どの項目を価格に含めるのか、どの項目を別途精算するのかが、曖昧になってしまいます。

事業譲渡では、株主価値ではなく譲渡対象資産・負債を見る

株式譲渡と事業譲渡では、価格判断の構造そのものが異なります。

株式譲渡では、会社の株式を取得します。買主は会社の資産・負債・契約・人員・リスクを、原則として会社ごと引き受けることになります。そのため、企業価値から有利子負債等を控除した株主価値が、価格判断の出発点になります。

一方、事業譲渡では、会社全体ではなく、特定の事業に関する資産・負債・契約などを、個別に譲渡します。この場合は、株主価値ではなく、譲渡の対象となる事業・資産・負債の範囲を特定したうえで、価格を考えていく必要があります。

ですから、事業譲渡で「株主価値はいくらか」と考えてしまうと、論点がずれてしまいます。

ここで見るべきなのは、譲渡対象となる事業の事業価値です。そのうえで、譲渡対象に含める棚卸資産、売掛金、買掛金、設備、契約、従業員、許認可、在庫、運転資本などを、どう扱うのかを整理していきます。

会社分割やカーブアウトでも、考え方は同じです。切り出す事業の収益力、共通費の配賦、スタンドアロンコスト、移転する資産・負債を整理しなければ、事業価値は判断できません。

このように、スキームによって評価の対象が変わるため、価値概念もそれに応じて使い分ける必要があります。

1株当たり価値を計算するときの注意点

株主価値が分かれば、あとは発行済株式数で割るだけで1株当たりの価値が出せそうに思えます。

普通株式だけが発行されていて、潜在株式もなく、自己株式もなく、株式ごとの権利差もない場合には、この考え方でも大きな問題は生じにくいでしょう。

しかし実務では、次の点を確認する必要があります。

  • 自己株式を控除するか。
  • 新株予約権の希薄化を考慮するか。
  • ストックオプションの行使可能性を考慮するか。
  • 種類株式の優先権を先に控除するか。
  • 少数株主持分を控除する必要があるか。
  • 非支配株主持分はあるか。
  • 支配権プレミアムや非流動性ディスカウントを考慮すべき場面か。
  • 税務目的か、M&A目的か、会社法目的か。

特に種類株式や新株予約権がある場合、普通株式の価値は、単純な按分では求めにくくなります。株式価値は「特定の株主が保有する特定の株式の価値」であり、権利の内容、優先順位、希薄化、支配権の有無によって変わってくるからです。

そのため、非上場株式の評価では、株主価値と1株当たり株式価値の間に、もう一段階の整理が必要になります。

価値概念を混同したときに起きる実務上の問題

価値概念を混同してしまうと、M&Aや承継の現場では、次のような問題が起きます。

まず、売主と買主の価格目線が合わなくなります。売主は余剰現金や不動産を含めた企業価値を見ている一方で、買主は借入金を控除した後の株主価値を見ている、ということがあります。この場合、議論している金額の前提がそもそも違うため、交渉はかみ合いません。

次に、EBITDA倍率の使い方を誤ります。EV/EBITDA倍率を使う場合、分子であるEVが事業価値なのか、非事業資産を含む企業価値なのか、株主価値に近い金額なのかを確認しなければ、比較対象との整合性が崩れてしまいます。

また、非事業資産を二重に計上してしまうこともあります。たとえば、事業計画上のキャッシュ・フローに賃貸不動産の収益を含めておきながら、その不動産を非事業資産として別途加算してしまうと、同じ価値を二重に評価することになります。

さらに、有利子負債や負債類似項目を控除し忘れることもあります。企業価値だけを見て株式譲渡価格を判断してしまうと、借入金、退職給付、未払税金、簿外債務などを引き受ける影響を、見落としてしまいます。

そして最後に、第三者への説明が難しくなります。取締役、株主、金融機関、後継者、税務当局、監査人に説明する際、どの価値を基礎にした価格なのかが不明確だと、判断の過程に合理性があることを示しにくくなります。

価値概念の整理は、単なる用語の問題ではありません。価格判断、交渉、デューデリジェンス、契約、税務、会計、説明責任のすべてに関わってくるものです。

相談前に整理しておきたいこと

企業価値評価やM&Aの価格判断についてご相談いただく前に、次の点を整理しておくと、議論がぐっと進めやすくなります。

まずは、評価の対象を確認します。

  • 会社全体を評価するのか。
  • 一部の事業を評価するのか。
  • 株式を評価するのか。
  • 一部の株主持分を評価するのか。
  • 普通株式だけか、種類株式や新株予約権もあるのか。

次に、価値の階層を確認します。

  • 事業価値を知りたいのか。
  • 非事業資産を含む企業価値を知りたいのか。
  • 借入金を控除した後の株主価値を知りたいのか。
  • 特定の株主が持つ株式価値を知りたいのか。
  • 1株当たりの価格を知りたいのか。

さらに、加算・控除する項目を整理します。

  • 余剰現金はあるか。
  • 遊休不動産や投資有価証券はあるか。
  • 事業に必要な運転資金はいくらか。
  • 有利子負債はいくらか。
  • 役員貸付金・役員借入金はあるか。
  • 保証、未払税金、退職給付、リース、訴訟などの負債類似項目はあるか。
  • 非事業資産は、売主側に残す予定か、買主が取得する予定か。

こうした整理を行っておくと、評価額を「一つの数字」としてそのまま受け取るのではなく、どの前提に立った価値なのかを理解しやすくなります。

価値概念を整理したい場合はご相談ください

事業価値、企業価値、株主価値、株式価値の違いは、一度理解してしまえば、単純なものに見えます。

しかし実際のM&A・事業承継・資本政策・組織再編の現場では、非事業資産、余剰現金、有利子負債、簿外債務、税務上の時価、少数株主持分、種類株式、価格調整、契約条件などが幾重にも重なり合います。単純な式だけでは判断しきれないことが、少なくありません。

たとえば、次のような場面です。

  • 評価額は提示されているが、どの価値を示しているのか分からない。
  • EV/EBITDA倍率で提示された価格に、借入金や現預金がどう反映されているのかを確認したい。
  • 純資産、事業価値、株主価値のどれを重視すべきか、判断できずにいる。
  • 遊休不動産や余剰現金を、価格にどう反映すべきか迷っている。
  • 株式譲渡価格を、金融機関・株主・後継者・社内関係者に説明できる形に整えたい。
  • 相手方や仲介会社から提示された価格の前提を、確認したい。

こうした場合は、評価手法に入る前に、まず価値概念と評価対象を整理しておくことが重要です。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A・事業承継・資本政策・組織再編における企業価値評価や取引価格の判断について、事業価値・企業価値・株主価値・株式価値の切り分け、そして非事業資産・有利子負債・税務会計上の論点を踏まえた整理を支援しています。

評価額の妥当性を確認したい場合や、提示された価格の前提を分解して理解したい場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。

まだ売却・買収・承継の方針が固まっていない段階であっても、価値概念を整理しておくことで、取引価格を判断するために確認すべき資料、論点、交渉条件が、見えやすくなります。

この記事の振り返り

論点押さえるべきポイント
事業価値事業が将来生み出すキャッシュ・フロー等の価値。決算書上の純資産そのものではない
企業価値事業価値に非事業資産を加えた企業全体の価値
株主価値企業価値から有利子負債等の株主に帰属しない価値を控除したもの
株式価値特定の株主が保有する特定の株式の価値。支配権、少数持分、種類株式などで変わる
EVの注意点実務上、EVは文脈によって事業価値に近い意味で使われることがあり、定義の確認が必要
非事業資産余剰現金、遊休不動産、投資有価証券など。事業に必要な資産と分けて考える
有利子負債等借入金だけでなく、リース、退職給付、未払税金、負債類似項目も確認する
純資産との違い純資産は会計上の帳簿概念。株主価値は将来収益力・非事業資産・負債等を踏まえた経済価値
株式譲渡価格との関係株主価値は価格判断の出発点だが、最終価格は交渉条件、価格調整、契約条項で変わる
実務上の基本姿勢「いくらか」より先に、「どの価値か」「何を足し引きした金額か」を確認する
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