法定監査を理解するうえで、最初に押さえておきたい考え方が「二重責任の原則」です。
もっとも実務では、この原則が監査論の用語として処理されてしまうことがあります。
「財務諸表を作るのは会社、監査意見を出すのは監査人」
この説明自体は正しいものです。ただ、それだけでは監査現場の判断には足りません。
実務で問題になるのは、むしろ次のような場面です。
- 会社が会計処理を決めきれず、監査人に実質的な判断を求めてくる
- 監査人が指摘した修正仕訳を、会社が「監査法人が言ったから」と説明する
- 会計上の見積りや注記について、会社の判断資料が弱いまま、監査調書だけが厚くなる
- 内部統制の不備や不正リスクについて、経営者、監査役等、監査人の責任分界が曖昧になる
- 監査人が助言を行った結果、後から自己監査・独立性・説明責任の問題が生じる
二重責任の原則は、監査人を責任から逃がすための言葉ではありません。
会社の財務報告責任を明確にし、監査人の独立性を守り、監査意見の信頼性を確保するための、制度的な土台です。
本稿では、財務諸表作成責任と監査意見表明責任の分界を、法定監査の実務判断に接続しながら整理します。
二重責任の原則とは何か
二重責任の原則とは、財務諸表の作成責任は経営者にあり、その財務諸表について監査意見を表明する責任は監査人にある、という責任分界の考え方です。
監査基準は、財務諸表監査の目的を次のように示しています。すなわち、経営者の作成した財務諸表が、一般に公正妥当と認められる企業会計の基準に準拠して、企業の財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況をすべての重要な点において適正に表示しているかどうか。この点について、監査人が自ら入手した監査証拠に基づいて判断した結果を、意見として表明することにある、という整理です。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準の改訂に関する意見書
この定義には、二重責任の原則が端的に表れています。
- 経営者が財務諸表を作成する
- 監査人は、その財務諸表について監査証拠を入手する
- 監査人は、入手した証拠に基づいて判断する
- 監査人は、その判断結果を監査意見として表明する
監査人は、会社に代わって財務諸表を作るわけではありません。会社に代わって会計方針を選択するわけでもなく、会社に代わって会計上の見積りを決定するわけでもありません。
監査人の役割は、経営者が作成した財務諸表について、監査人として必要な監査証拠を入手し、一般に公正妥当と認められる監査の基準に従って意見を形成することにあります。
財務諸表監査の性質としても、財務諸表作成に対する経営者責任と、適正表示に関する意見表明に対する監査人責任は区別しておく必要があります。監査人が財務諸表作成に関与すれば、そこに自己監査の問題が生じることになるからです。
経営者の責任は「作成作業」にとどまらない
経営者の責任を「財務諸表を作ること」とだけ表現すると、その範囲を狭く捉えすぎるおそれがあります。
経営者の責任には、少なくとも次の要素が含まれます。
| 経営者責任の領域 | 実務上の意味 |
|---|---|
| 財務報告の枠組みの理解 | 日本基準、IFRS、会社法、金商法、取引所規則等の適用関係を理解する |
| 会計方針の選択・適用 | 会社の取引実態に合った会計方針を選択し、継続的に適用する |
| 会計上の見積り | 将来キャッシュ・フロー、回収可能性、引当金、減損、税効果等について合理的な仮定を置く |
| 内部統制の整備・運用 | 重要な虚偽表示を防止又は発見・是正する仕組みを整備し運用する |
| 注記・開示 | 財務諸表利用者が判断するために必要な情報を適切に開示する |
| 監査対応 | 監査人に対して必要な資料、説明、根拠を提示する |
| 監査役等への説明 | 財務報告上の重要論点について、監査役等に説明できる状態にする |
監査基準委員会報告書200も、この点を明確にしています。監査の対象である財務諸表は、取締役会による監督及び監査役等による監査の下で、経営者が作成するものであり、財務諸表監査は経営者又は監査役等の責任を軽減するものではない、という整理です。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書200 財務諸表監査における総括的な目的
したがって経営者の責任は、決算担当者が財務諸表を作成するという事務作業にとどまりません。取締役会、監査役等、内部統制、経理部門、開示部門を含め、会社として財務報告を作り上げる責任です。
監査人がどれだけ詳細に監査したとしても、会社が自ら会計処理の根拠を説明できないのであれば、財務報告責任は十分に果たされていないことになります。
監査調書の中に監査人の検討過程が残っていても、会社側に会計判断の根拠資料が残っていなければ、会社としての説明可能性は弱くなります。
監査人の責任は「会社の正しさを保証すること」ではない
監査人の責任は、経営者が作成した財務諸表について、全体として重要な虚偽表示がないかどうかに関する合理的保証を得たうえで、監査意見を表明することにあります。
ここで注意しておきたいのが、監査人が保証している対象です。
- 会社の経営判断が成功することを保証しているわけではありません
- 会社の将来の倒産可能性がないことを保証しているわけでもありません
- すべての不正を発見することを保証しているわけでもありません
- すべての勘定科目、すべての取引、すべての開示が完全に正確であることを保証しているわけでもありません
監査基準報告書200は、監査人に対して、不正か誤謬かを問わず、財務諸表全体に重要な虚偽表示がないかどうかについて合理的な保証を得ることを求めています。そして、合理的保証は高い水準の保証ではあるものの、監査には固有の限界があるため、絶対的な水準の保証ではないとされています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書200 財務諸表監査における総括的な目的
この点を取り違えると、監査人の役割は過大にも過小にも理解されてしまいます。
過大に理解すれば、「監査を受けているのだから、会社の数字はすべて正しい」という誤解につながります。
過小に理解すれば、「監査人は会社が作った数字を形式的にチェックしているだけ」という誤解になります。
いずれも正しくありません。
監査人は、経営者の主張を無批判に受け入れる立場ではありません。重要な虚偽表示リスクを識別・評価し、内部統制を理解し、必要な監査手続を実施したうえで、十分かつ適切な監査証拠に基づいて意見を形成する専門職です。
監査基準もまた、監査人に対して、公正不偏の態度、独立の立場、職業的専門家としての正当な注意、懐疑心の保持、監査調書の作成・保存を求めています。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準の改訂に関する意見書
二重責任の原則は、独立性を守るための原則でもある
二重責任の原則が重要なのは、責任の所在を整理するためだけではありません。監査人の独立性を守るうえでも、欠かせない原則です。
公認会計士法は、公認会計士について、監査及び会計の専門家として、独立した立場において、財務書類その他の財務に関する情報の信頼性を確保することを使命としています。あわせて、品位を保持し、知識及び技能の修得に努め、公正かつ誠実に業務を行うことを求めています。
出典:e-Gov法令検索|公認会計士法
監査人が会社の財務諸表作成に深く入り込み、会計処理の結論、注記内容、見積りの前提、開示文案を実質的に決めてしまえばどうなるか。その後、監査人が自ら関与した内容を監査するという構造になってしまいます。
これが自己監査、あるいは自己レビューの問題です。
とはいえ、監査人が会社に助言すること自体が常に否定されるわけではありません。実務では、会計基準の解釈、必要資料、開示上の論点、監査上の懸念について、会社と監査人が協議する場面は数多くあります。
問題は、助言の結果、誰が判断したのかが曖昧になることです。
- 会社が判断したのか
- 監査人が判断したのか
- 会社はどの根拠に基づいて結論に至ったのか
- 監査人はその会社の判断を、どの証拠に基づいて監査したのか
- 監査調書上、会社の主張と監査人の評価は区別されているか
ここが曖昧になると、監査人は独立した第三者としての立場を失いやすくなります。会社側もまた、自らの判断責任を十分に果たしたとはいえません。
「監査人に相談した」と「監査人が判断した」は違う
監査現場でよく問題になるのが、会社が監査人に相談した事実をもって、会計処理の妥当性が確定したかのように扱ってしまうことです。
会社が監査人に相談すること自体は、実務上ごく自然なことです。むしろ、高度な会計処理、見積り、注記、内部統制不備、過年度訂正、不正リスクが絡む場面では、早期に監査人と論点を共有することが望ましい場面もあります。
しかし、監査人への相談は、会社の判断責任を代替しません。
会社は、自ら次の事項を整理する必要があります。
| 会社が整理すべき事項 | 内容 |
|---|---|
| 取引又は事象の事実関係 | 契約、取引実態、経営判断、関連当事者、後発事象等 |
| 適用する会計基準 | どの基準・適用指針・実務指針に基づくか |
| 採用する会計処理 | 認識、測定、表示、注記をどう判断したか |
| 判断の根拠 | 会社が入手した証拠、取締役会資料、専門家意見、内部検討資料等 |
| 代替案の検討 | 他の会計処理や開示との比較、採用しない理由 |
| 内部統制との関係 | 誰が作成し、誰がレビューし、誰が承認したか |
| 開示への影響 | 財務諸表注記、有価証券報告書、KAM候補、適時開示への波及 |
| 監査人への説明 | 監査人が検証できる形で資料化されているか |
監査人は、その会社の判断に対してリスク評価を行い、必要な手続を設計し、監査証拠を入手したうえで、結論を形成します。
したがって実務上は、「監査人に相談済み」という表現だけでは不十分です。より正確には、「会社としてこのように判断し、その根拠を監査人に提示し、監査人は監査手続を通じて評価した」という構造にしておく必要があります。
監査人の助言が許される範囲と危険な範囲
監査人と会社の協議は、監査品質を高めるうえで重要です。一方で、監査人が会社の判断を代替してしまえば、二重責任の原則に反することになります。
大まかに整理すると、次のように考えておくと実務上の判断がしやすくなります。
| 区分 | 監査人の関与として通常想定されるもの | 注意を要するもの |
|---|---|---|
| 会計基準の説明 | 基準の趣旨、要求事項、検討すべき論点を説明する | 特定の処理を会社に代わって決定する |
| 必要資料の依頼 | 監査上必要な資料、根拠、証憑を依頼する | 会社の判断資料そのものを監査人が作成する |
| 論点の指摘 | 会計処理、注記、内部統制、開示上の懸念を示す | 会社が検討すべき代替案を監査人が選び切る |
| 見積りの検討 | 仮定、データ、方法、感応度について質問・検証する | 見積りモデルや仮定を監査人が実質的に設計する |
| 開示の確認 | 注記不足、整合性、利用者への説明可能性を指摘する | 開示文案を監査人が実質的に作成し、会社が追認する |
| 内部統制の評価 | 統制の不備、改善余地、監査上の影響を説明する | 統制の設計・運用を監査人が会社の立場で構築する |
監査人の関与が「会社の判断を促すもの」にとどまっているのか、それとも「会社の判断を代替するもの」になっているのか。ここが分岐点です。
助言は、会社が自ら判断するための材料でなければなりません。
監査は、会社が自ら行った判断を独立して検証するプロセスでなければなりません。
経営者確認書は、経営者責任の代替ではない
監査基準は、監査人に対して、経営者から書面で確認することを求めています。適正な財務諸表を作成する責任は経営者にあること、財務諸表の作成に関する基本的事項、採用した会計方針、監査の実施に必要な資料をすべて提示したこと等が、その対象です。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準の改訂に関する意見書
ただし、経営者確認書は、経営者責任を形式的に示すための署名文書ではありません。監査人が入手すべき他の監査証拠を不要にするものでもありません。
実務上、経営者確認書を「最後に署名をもらう書類」として扱ってしまうと、二重責任の原則は形骸化します。
経営者確認書の意味は、会社が自らの財務報告責任を認識し、監査人に対して必要な情報を提供し、重要な事項について会社としての認識を明示する点にあります。
特に、次のような論点では、経営者確認書だけに依拠することは適切ではありません。
- 会計上の見積りの主要な仮定
- 継続企業の前提に関する評価
- 訴訟・偶発債務・後発事象
- 関連当事者取引
- 不正又は違法行為の可能性
- 内部統制不備の評価
- 開示すべき重要な不確実性
- 未修正虚偽表示の影響
これらは、経営者確認書で確認すると同時に、監査人が別途、十分かつ適切な監査証拠を入手し、会社の説明と整合しているかを検討すべき領域です。
監査役等の存在は、経営者責任を軽減しない
二重責任の原則を考えるうえでは、監査役等の位置づけも整理しておく必要があります。
監査基準報告書200は、監査の対象である財務諸表について、取締役会による監督及び監査役等による監査の下で、経営者が作成するものと整理しています。
出典:日本公認会計士協会|監査基準報告書200 財務諸表監査における総括的な目的
会社法上も、会計監査人設置会社では、計算書類及びその附属明細書について、監査役等及び会計監査人の監査を受けることが予定されています。
出典:e-Gov法令検索|会社法
ここで重要なのは、監査役等の存在が経営者責任を軽減するわけではない、という点です。
監査役等は、経営者による財務報告プロセス、取締役の職務執行、会計監査人の監査の方法及び結果の相当性などを監査・監督する立場にあります。ただし、経営者に代わって財務諸表を作成するわけではありません。
同じように、会計監査人の監査も、監査役等の責任を軽減するものではありません。
実務上は、経営者、監査役等、会計監査人がそれぞれの責任を果たしたうえで、重要論点を共有し、財務報告の信頼性を支えていく必要があります。監査役が計算書類等を監査し、会計監査人がいる場合には会計監査人の監査方法及び結果の相当性を判断する構造にあることも、会社法監査の実務では重要な視点です。
二重責任の原則が崩れやすい実務領域
二重責任の原則は、抽象論として理解しているだけでは足りません。実務では、特定の領域で責任分界が曖昧になりやすいからです。
会計上の見積り
会計上の見積りは、経営者の仮定、将来予測、利用可能な情報、内部統制、開示が密接に関係します。減損、税効果、退職給付、引当金、金融商品の時価、継続企業の前提などは、監査人が特に慎重に検討する領域です。
しかし、見積りの出発点は会社の判断です。
監査人がモデルを作り、監査人が仮定を選び、会社がその結果を採用する。そのような形になれば、二重責任の原則は崩れます。
会社は、自らの事業計画、外部環境、過年度実績、経営者の意思決定、取締役会承認、内部レビューを踏まえて見積りを行い、その根拠を提示する必要があります。
監査人は、経営者が行った見積りの方法、仮定、データを評価します。そのうえで、必要に応じて監査人独自の見積りや実績との比較等を通じて、十分かつ適切な監査証拠を入手する必要があります。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準の改訂に関する意見書
開示・注記・KAM
開示もまた、責任分界が曖昧になりやすい領域です。
会社が注記案を十分に検討せず、監査人のコメントを反映するだけで開示を完成させてしまうと、会社として何を重要と判断したのかが見えにくくなります。
KAMについても同様です。KAMは監査人が監査報告書に記載する事項ですが、その前提となる会計上の見積り、注記、監査役等とのコミュニケーション、監査上の対応は、会社の開示と密接に関係します。会社の注記が薄いまま、監査報告書だけが詳細になれば、財務諸表利用者にとっての説明のバランスが崩れる可能性があります。
会社は開示責任を負い、監査人は監査報告上の責任を負います。
両者は連動しますが、同一ではありません。
内部統制不備
内部統制の整備・運用は経営者の責任です。監査人は、その内部統制を理解し、リスク評価や監査手続に反映します。
内部統制に不備がある場合、会社はその原因、影響、改善策、財務報告への影響を整理する必要があります。監査人は、不備が重要な虚偽表示リスクにどう影響するか、内部統制に依拠できるか、実証手続をどの程度拡大すべきかを判断します。
内部統制が有効に運用されていない場合には、内部統制に依拠せず、実証手続により十分かつ適切な監査証拠を入手する必要があります。
内部統制不備の改善提案はあり得ますが、統制を設計し、運用し、改善責任を負うのは会社です。
不正リスク
不正リスクについても、二重責任の原則を誤って理解してはいけません。
監査人は、不正摘発そのものを目的として監査を行うわけではありません。しかし、だからといって、不正による重要な虚偽表示リスクを無視してよいわけでもありません。
監査基準は、監査人に対して、財務諸表の利用者に対する不正な報告又は資産の流用の隠蔽を目的とした重要な虚偽表示が財務諸表に含まれる可能性を考慮することを求めています。あわせて、違法行為が財務諸表に重要な影響を及ぼす場合があることにも留意するよう求めています。
出典:金融庁・企業会計審議会|監査基準の改訂に関する意見書
経営者は、不正を防止・発見するための内部統制を整備・運用する責任を負います。監査役等は、取締役の職務執行や内部統制システムの運用を監査します。監査人は、不正による重要な虚偽表示リスクを識別・評価し、必要な監査手続を実施します。
ここでも、責任は分担されますが、相互に軽減されるわけではありません。
監査調書では「会社の主張」と「監査人の判断」を分ける
二重責任の原則を監査調書に落とし込むとき、重要になるのは、会社の主張と監査人の判断を混同しないことです。
監査調書においては、少なくとも次の区別が必要です。
| 区分 | 調書上明確にすべきこと |
|---|---|
| 会社の主張 | 経営者がどのような会計処理・開示・見積りを採用したか |
| 会社の根拠 | 会社がどの資料、仮定、承認、専門家意見に基づいて判断したか |
| 監査人のリスク評価 | その論点をどの程度重要な虚偽表示リスクと評価したか |
| 実施した監査手続 | 質問、閲覧、再計算、確認、分析的手続、専門家利用等 |
| 入手した監査証拠 | 会社資料、外部資料、確認状、契約書、議事録、基礎データ等 |
| 監査人の評価 | 会社の主張が監査証拠により支持されるか |
| 結論 | 修正要否、開示要否、KAM候補、審査論点、監査意見への影響 |
監査調書は、手続を実施した事実だけを残すものではありません。重要な事項について、どのような監査手続を実施し、どの証拠を入手し、どの職業的専門家としての判断により結論に至ったのかを、後から理解できる形で残す必要があります。会計上の見積りについても、会社の主張、監査人が実施した手続、結論に至る判断根拠が重要になります。
特に注意しておきたいのが、監査調書が会社の判断資料を代替してしまう状態です。
- 会社の会計メモは薄い
- 会社の取締役会資料も抽象的
- 会社の見積り根拠も十分ではない
- しかし、監査調書だけには詳細な分析がある
この状態では、監査人の調書としては一定の説明ができたとしても、会社が自ら財務報告責任を果たしたと説明するには弱い場合があります。監査人としては、会社に対して、監査調書を厚くする前に、会社自身の判断資料を整えるよう求める必要があります。
実務で使える責任分界の確認ポイント
二重責任の原則を実務で機能させるには、抽象的な理念ではなく、確認ポイントに落とし込む必要があります。
重要論点が出たときには、次の順序で確認していくと整理しやすくなります。
1. 会社は自らの結論を持っているか
会社が、単に「監査人に確認中」と言っているだけでは不十分です。
- 会社としての会計処理案、注記案、見積り案、内部統制評価案があるか
- 代替案を検討したか
- なぜその案を採用したのか
- 誰がレビューし、誰が承認したのか
- 監査役等に説明できるか
ここが出発点です。
2. 会社の根拠は監査可能か
会社の判断があっても、根拠が弱ければ監査できません。
契約書、議事録、計算資料、外部データ、専門家意見、事業計画、予算、感応度分析、承認記録など、監査人が検証できる資料が必要です。
「経営者がそう考えている」という説明だけでは、通常、重要論点の監査証拠としては足りません。
3. 監査人は会社の判断を独立して評価しているか
監査人は、会社の結論を追認するのではなく、監査人として評価します。
- 会社の説明に矛盾はないか
- 外部情報と整合しているか
- 過年度実績と整合しているか
- 経営者バイアスの兆候はないか
- 内部統制の不備はないか
- 開示は利用者の理解に足りるか
- 重要性やリスクに照らして追加手続が必要ではないか
4. 誰に対して説明するのかが明確か
監査判断は、監査チーム内だけで完結しません。
- 会社に説明できるか
- 監査役等に説明できるか
- 審査担当者に説明できるか
- 監査調書レビューに耐えるか
- 財務諸表利用者に対する開示と整合しているか
- 後から訂正や不正調査が生じた場合にも、当時の判断過程を説明できるか
二重責任の原則は、この説明先を意識して初めて、実務上の意味を持ちます。
二重責任の原則は、会社を突き放す考え方ではない
二重責任の原則を強調すると、監査人が会社に対して「それは会社の責任です」と突き放すための言葉のように見えることがあります。
しかし、本来は逆です。
- 会社が自ら判断できるように、必要な論点を明確にする
- 会社が説明責任を果たせるように、必要な資料や検討事項を示す
- 監査人が独立性を失わないように、助言と判断代替の境界を守る
- 監査役等が監査できるように、重要論点を早期に共有する
- 審査やレビューに耐えられるように、判断過程を明確にする
このように、二重責任の原則は、会社と監査人の対立概念ではありません。財務報告の信頼性を高めるために、それぞれが果たすべき役割を明確にするための原則です。
会社が責任を持つからこそ、監査人は独立して検証できます。
監査人が独立して検証するからこそ、会社の財務報告に信頼性が付与されます。
二重責任の原則を踏まえた監査人の役割
監査人の役割を、単に「意見を出す人」と捉えてしまうと、実務上の重みを見誤ります。
監査人は、監査計画の策定、重要性の設定、リスク評価、内部統制の理解、監査証拠の入手、会計上の見積りの検討、未修正虚偽表示の評価、開示の検討、監査役等とのコミュニケーション、KAMの検討、意見形成、監査調書の作成、審査対応まで、一連の判断を積み上げていきます。
ただし、その判断はあくまで「経営者が作成した財務諸表に対する監査人の判断」です。
- 監査人は会社の経理責任者ではありません
- 監査人は会社の開示責任者ではありません
- 監査人は会社の内部統制責任者ではありません
- 監査人は会社の経営者ではありません
一方で、監査人は単なる外部チェック担当でもありません。
監査人は、財務報告の信頼性を支える独立した専門職として、会社の判断を批判的に検討し、必要な証拠を求め、重要な論点について説明可能な結論を形成する役割を担います。
この緊張関係こそが、二重責任の原則の実務上の核心です。
監査対応・財務報告責任の整理で迷ったときは
二重責任の原則は、監査論の基本概念であると同時に、会計処理、内部統制、開示、監査役等対応、KAM、審査対応を整理するための実務上の判断軸でもあります。
特に、次のような場面では、責任分界を曖昧にしたまま進めると、後から説明が難しくなります。
- 会計上の見積りの前提を会社が十分に説明できていない
- 監査人のコメントを反映するだけで注記を作成している
- 内部統制不備について、会社の評価と監査人の評価が混在している
- 修正仕訳の理由を会社側が説明できない
- 監査役等への報告内容と監査調書上の論点が整合していない
- KAM候補について、会社の開示と監査人の判断の関係が整理されていない
犬飼公認会計士・税理士事務所では、法定監査、内部統制、財務報告、開示に関する実務判断について、会社側・監査対応側の双方の視点から論点整理を支援しています。
監査人にどこまで相談してよいのか。会社としてどのような判断資料を残すべきか。監査役等や審査担当者にどのように説明できる状態にすべきか。こうした点を整理したい場合は、個別事情を確認したうえで、実務上の対応方針を検討することができます。
振り返り
| 論点 | 実務上押さえるべきこと |
|---|---|
| 二重責任の原則 | 財務諸表作成責任は経営者にあり、監査意見表明責任は監査人にある |
| 経営者責任 | 会計方針、見積り、内部統制、注記、開示、監査対応まで含む会社としての責任である |
| 監査人責任 | 経営者が作成した財務諸表について、監査証拠に基づき合理的保証を得て意見を表明する |
| 合理的保証 | 高い水準の保証ではあるが、絶対的保証ではなく、すべての虚偽表示発見を保証するものではない |
| 独立性 | 監査人が会社の判断を代替すると、自己監査・自己レビューの問題が生じ得る |
| 監査人への相談 | 相談は可能でも、会社の判断責任を代替しない。会社自身の結論と根拠が必要である |
| 経営者確認書 | 経営者責任を確認する重要な文書だが、他の監査証拠の代替にはならない |
| 監査役等との関係 | 監査役等の監査や会計監査人監査は、経営者責任を軽減するものではない |
| 監査調書 | 会社の主張、会社の根拠、監査人の評価、監査人の結論を区別して記録する必要がある |
| 次に深掘りすべき論点 | 合理的保証、重要性、監査リスク、独立性、職業的懐疑心、監査意見形成 |