M&Aで「事業を譲渡する」と聞くと、一部門を売る、店舗を売る、工場を売る、顧客を引き継ぐ、といった個別資産の売買に近いイメージを持たれることがあります。
ただ、事業譲渡の価格判断は、個別資産を足し上げるだけでは足りません。
事業譲渡で評価すべきなのは、土地、建物、設備、在庫、売掛金、契約といった要素の束そのものではなく、それらが一体となって将来キャッシュ・フローを生み出す「事業」です。とはいえ、株式譲渡のように会社全体をそのまま引き受けるわけではありません。だからこそ、どの資産を移すのか、どの負債を引き受けるのか、どの契約を承継するのか、従業員や許認可をどう扱うのか。こうした点を、価格判断の前提として明確にしておく必要があります。
事業譲渡では、譲渡対象を切り分けられること自体がメリットになります。しかし、その切り分けが曖昧なまま価格を決めてしまうと、売主と買主の間で「何を買ったのか」「何が価格に含まれていたのか」という認識がずれていきます。
本稿では、事業譲渡における価格判断を、企業価値評価の観点から整理します。事業譲渡手続そのものや、個別契約の承継手続、労務手続、許認可申請の詳細、契約書条項の文案には深入りしません。あくまで、譲渡対象となる資産・負債をどう切り分け、その切り分けを価格判断にどう反映するか。ここに焦点を当てていきます。
事業譲渡では「会社」ではなく「切り出された事業」を評価する
株式譲渡では、対象会社の株式を取得します。会社全体を引き受ける前提で株主価値を判断する取引です。これに対して事業譲渡では、会社の法人格そのものではなく、会社が営む事業の全部または一部を譲渡対象とします。
そのため、事業譲渡の価格判断では、まず次の問いを明確にしておかなければなりません。
- 何の事業を譲渡するのか
- その事業に必要な資産は何か
- その事業に関連する負債は引き受けるのか
- 売掛金・買掛金・在庫・前受金・保証金は含まれるのか
- 従業員は移るのか
- 契約は承継できるのか
- 許認可は再取得が必要なのか
- 屋号、商標、顧客リスト、ノウハウ、営業権は含まれるのか
- 譲渡後に売主が同じ事業を行えるのか
事業譲渡における「事業」とは、一定の事業目的のために組織化され、有機的一体として機能する組織的財産を指します。物的財産だけでなく、得意先関係やノウハウといった経済的価値までを含む概念として整理されるものです。したがって、土地や建物などの個別財産を移転するだけであれば、それは通常の売買取引であって、事業譲渡としての価格判断とは整理が異なってきます。
つまり、事業譲渡の価格判断では、「この設備はいくらか」「この在庫はいくらか」という個別の値付けにとどまりません。「これらを一体として引き受けた場合に、どの程度の収益・キャッシュ・フローを生み出せるか」まで見ていく必要があります。
そして、譲渡対象の範囲が契約で定められる以上、評価の前提となる事業の範囲は、株式譲渡よりも明示的に定義しておかなければなりません。
事業譲渡はリスクを切り分けやすい。一方で、承継の手間が価格に影響する
事業譲渡の大きな特徴は、譲渡対象を選べることにあります。
株式譲渡では、会社の中にある資産・負債・契約・税務リスク・労務リスク・偶発債務が原則として残ったまま、会社全体を引き受けることになります。一方の事業譲渡では、契約で定めた資産・負債・契約を個別に移転していくため、買主は不要な負債やリスクを切り離しやすくなります。
ただし、その裏返しとして、承継の手間や不確実性が生じます。
事業譲渡は、会社分割のように権利義務が包括的に承継される組織法上の行為ではありません。契約で定めた財産を移転する、取引法上の行為として整理されます。そのため、個別資産の所有権移転、債務の引受けに関する相手方の同意、従業員の転籍同意、契約承継、許認可の再取得といった点が、実務上の論点になってきます。
この点は、価格判断に直接影響します。
同じ利益を出している事業でも、主要契約を簡単に承継できる事業と、取引先の同意がなければ売上を維持できない事業とでは、価格は同じになりません。従業員が円滑に転籍する前提の事業と、主要人材が移らない可能性のある事業とでも、価値は変わります。許認可を買主側で再取得できる事業と、再取得に時間や不確実性が伴う事業とでも、支払える価格は異なってきます。
事業譲渡では、リスクを切り離せることだけに注目するのではなく、「切り離した結果、事業として本当に継続できるのか」を確認しておく必要があります。
事業譲渡価格は「事業価値」と「譲渡対象の純資産」を分けて考える
事業譲渡の価格判断で混乱しやすいのは、事業価値と譲渡対象資産・負債の価値が混ざってしまうことです。
事業価値は、対象事業が将来生み出すキャッシュ・フローに基づく価値です。DCF、EBITDA倍率、営業利益倍率などを使う場合でも、見ているのは基本的に「その事業が継続的にどれだけ稼ぐか」です。
一方、譲渡対象資産・負債の価値は、実際に移転する在庫、売掛金、設備、不動産、買掛金、未払費用、前受金、保証金といった個別項目を指します。
事業譲渡価格は、次のように整理すると理解しやすくなります。
- 対象事業の収益力に基づく事業価値
- + 譲渡対象に含める余剰資産・非事業的資産
- + 譲渡対象に含める正常運転資本の調整
- − 譲渡対象として引き受ける負債・負担
- ± 契約承継、従業員承継、許認可、税務・会計影響による調整
- = 事業譲渡価格の判断材料
ここで注意しておきたいのは、事業価値の算定前提と、実際の譲渡対象が一致しているかどうかです。
たとえば、DCFで売上・利益・運転資本を前提に事業価値を算定しているにもかかわらず、実際の譲渡契約では売掛金や在庫を含めないとします。この場合、評価モデル上は運転資本を使って事業を回す前提であるのに、買主はクロージング後に別途運転資金を用意しなければならなくなるかもしれません。
逆もまた然りです。在庫や売掛金を含める前提で価格を決めているのに、在庫の陳腐化や売掛金の回収可能性を確認していなければ、買主は実質的に過大な価格を支払うことになります。
事業譲渡では、「事業価値はいくらか」と「どの資産・負債がその価格に含まれているか」を別々に整理し、最後に橋渡しする。この手順が欠かせません。
譲渡対象資産の切り分けが、価格の前提になる
事業譲渡価格を検討するときは、譲渡対象資産を一つずつ確認していく必要があります。
代表的には、次のような資産が論点になります。
- 現金・預金
- 売掛金
- 棚卸資産
- 前払費用
- 機械装置・車両・工具器具備品
- 土地・建物
- 店舗設備・内装
- ソフトウェア
- 商標・屋号・ドメイン
- 顧客リスト
- ノウハウ・マニュアル
- 営業権・のれん
- 契約上の地位
- 保証金・敷金
- 許認可に関連する権利
- 知的財産権
このうち、価格判断で特に注意したいのは、事業継続に必要な資産と、単に会社が保有しているだけの資産を分けることです。
事業譲渡では譲渡対象を選べるため、売主が「この資産は含めない」と考えている一方で、買主が「当然に含まれている」と考えている、ということが起こります。店舗事業であれば、内装、什器、POS、顧客データ、屋号、賃貸借契約、従業員、仕入先契約が一体で移転しなければ、過去の利益を維持できないかもしれません。製造業であれば、機械、金型、図面、品質管理ノウハウ、外注先、検査体制、熟練従業員が一体で移らなければ、事業価値は大きく下がります。
したがって、資産の評価では、単に時価を付けるだけでは足りません。その資産が対象事業の将来キャッシュ・フローにどう貢献しているかまで確認します。
- 事業価値を支える資産なのか
- 代替可能な資産なのか
- 移転できなければ売上が失われる資産なのか
- 別途購入・賃借すれば足りる資産なのか
- 売主に残すと競業リスクが生じる資産なのか
価格判断では、資産リストを作るだけで終わらせず、事業価値との関係まで明確にしておくことが重要です。
負債を引き受けないから安全、とは限らない
事業譲渡では、株式譲渡と異なり、買主がすべての負債を引き受けるとは限りません。むしろ、不要な借入金、過去の税務リスク、労務債務、訴訟リスクなどを切り離すために、買主があえて事業譲渡を選ぶこともあります。
この点は、事業譲渡の大きなメリットです。事業譲渡では権利義務が包括的に譲受会社へ承継されないため、債権債務の移転手続は煩雑になる一方で、簿外債務や偶発債務などを引き継ぐリスクは回避しやすいと整理されます。
ただし、価格判断においては、負債を引き受けないというだけで安心するわけにはいきません。
理由は、負債を形式的に承継しなくても、事業継続のために実質的な負担が生じることがあるからです。
たとえば、買掛金を引き受けない契約にしても、仕入先との関係を維持するために、買主が一定の支払いを実質的に負担することがあります。従業員の未払残業代を承継しないとしても、転籍後の労務条件を整えるために追加コストが発生することがあります。顧客への製品保証やクレーム対応を売主に残したとしても、買主がブランドや顧客関係を維持するために、結局は対応せざるを得ない場合もあります。
さらに、譲渡対象から負債を除外した結果、売主側に残る債権者を害するような取引と評価される場合には、会社法上の責任や詐害行為的な問題が生じ得ます。会社法は、譲渡会社が承継されない債務の債権者を害することを知って事業譲渡をした場合、一定の要件のもとで、残存債権者が譲受会社に対して承継財産の価額を限度に履行を請求できる旨を定めています。
そのため、事業譲渡価格を判断するときは、次のように分けて考えておく必要があります。
- 法律上・契約上、買主が引き受ける負債
- 契約上は引き受けないが、事業継続上、実質的に負担する可能性がある項目
- 売主に残るが、取引後に紛争・信用不安・顧客離反を通じて買主に影響し得る項目
- 価格に反映すべき負担
- 契約条件で手当てすべき負担
- 取引スキーム自体を見直すべき負担
事業譲渡では「負債を承継しない」ことが目的化しがちです。けれども評価の観点からは、将来キャッシュ・フローを守るために、どの負担を誰が負うのかを整理することが本筋になります。
運転資本を含めるかどうかで、価格は大きく変わる
事業譲渡価格で最もずれやすい論点の一つが、運転資本です。
運転資本とは、事業を継続するために必要な売掛金、棚卸資産、買掛金、未払費用、前受金などの差額を指します。対象事業が同じ利益を出していても、運転資本をどこまで譲渡対象に含めるかによって、買主が実際に必要とする資金は変わってきます。
たとえば、在庫を含めて譲渡する場合と、含めない場合とでは、買主の初期投資額が変わります。売掛金を含めて譲渡する場合と、売掛金を売主が回収する場合とでも、クロージング後の資金繰りは変わります。買掛金を引き受ける場合には、その分だけ譲渡価格を下げるのが、通常の経済感覚に合います。
事業価値評価では、将来の利益やキャッシュ・フローを使って価値を算定します。そして、その前提には通常、一定水準の運転資本が含まれています。もし譲渡契約上、買主がその運転資本を十分に承継できないのであれば、買主は別途資金を投入することになり、実質的な買収コストは上がっていきます。
そのため事業譲渡では、少なくとも次の点を整理しておきます。
- 売掛金を譲渡対象に含めるか
- 譲渡する売掛金の回収可能性をどう評価するか
- 棚卸資産を含めるか
- 陳腐化・滞留・評価減をどう反映するか
- 買掛金・未払費用を引き受けるか
- 前受金・保証金・預り金をどう扱うか
- クロージング時点の運転資本が基準額からずれた場合、価格調整するか
- 季節変動がある場合、正常運転資本をどう算定するか
運転資本の切り分けが曖昧なままだと、売主は「事業価値に含まれている」と考え、買主は「別途調整すべき」と考える。こうしたすれ違いが起こりやすくなります。
価格交渉で重要なのは、運転資本を価格に含めるかどうかを抽象的に議論することではありません。どの勘定科目を、どの基準日で、どの評価方法により、どの価格に含めるのか。これを具体的に決めることに尽きます。
契約承継の可否は、事業価値そのものを左右する
事業譲渡では、契約上の地位が当然に承継されるわけではありません。取引先、仕入先、賃貸人、金融機関、フランチャイズ本部、ライセンサーなど、相手方の同意が必要になることがあります。
この論点は、価格判断に直結します。
対象事業の価値は、過去の売上や利益だけで決まるものではありません。その売上が、譲渡後も買主に帰属するかどうかが重要になります。
主要顧客との契約が売主法人に紐づいており、買主へ承継できなければ、過去の売上実績をそのまま評価に使うことはできません。店舗の賃貸借契約が承継できなければ、店舗事業の価値は大きく変わります。仕入先契約や代理店契約が解除される可能性があれば、粗利率や供給体制も変わってきます。
したがって、事業譲渡価格を判断するときは、契約を次のように分類して確認します。
- 事業継続に不可欠な契約
- 価格には影響するが代替可能な契約
- 買主が新規契約で代替できる契約
- 承継に相手方同意が必要な契約
- 承継不可、または再交渉が必要な契約
- 解除条項・チェンジオブコントロール条項に類似する制約がある契約
契約承継が不確実である場合、価格には次のような反映が考えられます。
- 対象契約の承継をクロージング条件にする
- 承継できない契約による売上減少を事業計画に反映する
- 承継できるまでの移行期間支援を条件化する
- 契約承継後に対価の一部を支払う条件にする
- 特定契約の離脱時に価格調整・補償を行う
契約は、法務上の論点であると同時に、バリュエーション上の前提でもあります。契約が移らなければ、事業価値もまた移りません。
従業員の承継は、価格以前に、事業継続の前提である
事業譲渡では、従業員が当然に買主へ移るわけではありません。一般に、譲渡会社から譲受会社へ転籍するには、対象となる従業員の同意や、新たな雇用契約が必要になります。
事業譲渡は、従業員や取引先との関係も含めた有機的一体として機能する資産を譲渡するものと整理されます。その一方で、事業に従事する従業員については、買収側が改めて雇用契約を締結する必要があるとされています。
従業員承継は、価格判断で軽視されがちです。しかし実際には、対象事業の価値を左右します。
特に、次のような事業では、人材の承継が事業価値の中心になります。
- 専門技術者がいる事業
- 営業担当者と顧客の関係が強い事業
- 職人・現場責任者にノウハウが集中している事業
- 店長・管理者の力量で収益が左右される事業
- 許認可や資格者の在籍が必要な事業
- 経営者個人や特定従業員に依存している事業
このような場合、従業員が移らない前提で過去利益を評価に使うことはできません。主要人材が移らなければ、売上、粗利率、品質、納期、顧客維持率、採用コスト、教育コストが変わってしまいます。
価格判断では、次の点を確認します。
- 誰が事業継続に不可欠な人材か
- その人材は買主に転籍する意思があるか
- 転籍条件は現行条件と比較してどう変わるか
- 退職金・未払残業代・有給休暇・賞与などの負担は誰が持つか
- キーマンが退職した場合の売上影響をどう見るか
- 一定期間の引継ぎや業務委託が必要か
- 経営者がどの程度関与を続けるか
人材承継が不確実な場合、価格を一括で決めてしまうのではなく、一定の承継条件をクロージング条件や価格調整条件に組み込むことも、検討の対象になります。
許認可を引き継げない場合、評価前提は大きく変わる
事業譲渡では、許認可が当然に移転するとは限りません。許認可が売主法人に紐づく場合、買主側で新たに取得し直す必要があります。
許認可が必要な事業でこの点を見落とすと、事業譲渡価格は大きく歪みます。
売主は、過去の売上・利益を前提に価格を提示してきます。ところが、買主が許認可を取得するまで事業を開始できない、あるいは一部業務しか行えないのであれば、その期間の逸失利益、取得コスト、人員体制、設備要件、行政手続上の不確実性まで、評価に反映しなければなりません。
特に、建設業、宅建業、産業廃棄物、医療・介護、運送、飲食、古物、金融関連、教育・保育、薬機関連など、許認可・登録・届出が事業の前提となる業種では、価格判断の早い段階で確認しておく必要があります。
事業譲渡では、法人格に紐づく許認可を引き継げないことがあります。譲受側がその許認可を持っていない場合には、新たに取得する必要があると整理されます。
価格判断では、少なくとも次の点を確認します。
- 許認可が事業継続に必須か
- 買主が既に同種の許認可を有しているか
- 新規取得・変更届・承継手続の可否はどうか
- 許認可取得までの空白期間があるか
- 許認可要件を満たす人員・設備・財産基盤があるか
- 許認可が取得できない場合、取引を実行する意味があるか
- 許認可取得をクロージング条件にすべきか
許認可が移らない事業譲渡では、過去利益をそのまま評価するのではなく、「買主が実際に事業を開始できる状態」を基準に価格を考えていく必要があります。
消費税は、事業譲渡価格の実質負担に影響する
事業譲渡では、消費税の論点を避けて通れません。
株式譲渡では、株式の譲渡が消費税の課税対象外、または非課税取引として整理される場面が中心になります。これに対して事業譲渡では、譲渡対象に有形固定資産、棚卸資産、営業権、無形資産などが含まれるため、課税資産と非課税資産の区分が問題になります。
国税庁は、営業に係る営業権、土地、建物および債権・債務を含めて営業譲渡を行う場合には、課税資産と非課税資産の対価の額を合理的に区分し、課税対象となる資産について課税するという考え方を示しています。たとえば土地は非課税、営業権や有形固定資産は課税対象として区分する、という整理です。
また、消費税法上の「資産の譲渡等」とは、事業として対価を得て行われる資産の譲渡、貸付け、役務提供をいうとされ、売買などにより資産を他人に移転させる行為が、資産の譲渡に含まれます。
したがって、事業譲渡価格を検討するときは、単に「総額いくら」と見るのではなく、消費税の課税対象となる部分、非課税となる部分、対象外となる部分を整理しておく必要があります。
この整理を誤ると、売主・買主の実質負担が変わってきます。売主は、受け取った金額のうち消費税相当額を納税する必要が生じる可能性があります。買主は、課税仕入れとして仕入税額控除の対象となる部分を確認する必要があります。ただし、課税事業者か免税事業者か、インボイス制度上の適格請求書発行事業者か、課税売上割合、個別対応方式・一括比例配分方式など、条件によって実際の負担は異なります。
そのため、価格交渉では次の点を明確にしておく必要があります。
- 譲渡価格は消費税抜きか、税込みか
- 資産ごとの対価配分は合理的か
- 土地、建物、営業権、在庫、設備、保証金などの区分は適切か
- 消費税の負担者は誰か
- 買主は仕入税額控除を取れるか
- インボイス対応に問題はないか
- 契約書上、消費税相当額の記載が明確か
事業譲渡では、税抜価格だけで合意しても、消費税処理を誤れば実質的な経済条件が変わってしまいます。価格判断の段階で、税務上の対価配分まで整えておくことが重要です。
法人税・所得税の面では、時価譲渡の視点が必要になる
事業譲渡は、会社分割とは異なり、一般に適格組織再編税制によって簿価で移転する取引ではありません。事業譲渡では、法人税法上、時価で譲渡したものとして取り扱われ、譲渡損益が生じます。そのため、会計上の処理と税務上の処理がずれる場合があります。
この点は、売主側の価格判断に大きく影響します。
売主が受け取る譲渡対価が高くても、税引後の手取りが想定より少なければ、売主にとって納得できる取引条件とはいえません。特に、含み益のある不動産、設備、在庫、営業権、無形資産が含まれる場合には、譲渡益課税、消費税、地方税、繰越欠損金の利用可能性、グループ内取引の時価、関連者間取引の合理性などを確認しておく必要があります。
買主側でも、取得した資産・負債の取得価額配分、減価償却、営業権・のれんの処理、消費税の仕入税額控除、登録免許税・不動産取得税などが、価格判断に影響します。
ここで大切なのは、税務を「価格が決まった後の処理」と見ないことです。税務は、売主の手取り、買主の実質取得コスト、取得後の損益・キャッシュ・フローに影響します。だからこそ、価格判断の前提に含めておく必要があります。
会計の面では、取得原価の配分とのれんが問題になる
事業譲渡では、買主側で取得した事業をどのように会計処理するかも重要です。
取得に該当する事業譲渡では、取得企業は取得原価を算定し、受け入れた資産・負債に配分したうえで、その差額をのれん、または負ののれんとして認識することが、実務上の論点になります。事業譲渡が共同支配企業の形成や共通支配下の取引に該当しない場合には、取得としての会計処理を行う整理が示されています。
ASBJの事業分離等に関する会計基準も、会社分割や事業譲渡などの場合における分離元企業の会計処理や、移転損益を認識するかどうかなどを定めることを目的としています。
出典:企業会計基準委員会|企業会計基準第7号 事業分離等に関する会計基準
会計上の論点は、買主にとって、次のような形で価格判断に影響します。
- 取得した資産をどの金額で計上するか
- 営業権や無形資産をどのように識別するか
- のれんがどの程度発生するか
- のれん償却・減損リスクが将来損益にどう影響するか
- 譲渡対価のうち、資産価値と超過収益力の内訳をどう説明するか
- 金融機関や株主に対して、買収価格の合理性をどう説明するか
事業譲渡では、価格を支払った後に、買主の貸借対照表に何が乗るのか、損益計算書にどのような償却負担が出てくるのか。そこまで確認しておく必要があります。
株式譲渡と事業譲渡では、同じ会社でも価格が変わる
同じ会社を対象としていても、株式譲渡と事業譲渡とでは、価格が変わることがあります。
株式譲渡では、会社全体を引き受けるため、事業価値に加えて、非事業資産、余剰現金、有利子負債、簿外債務、税務リスクなどを株主価値に反映します。
一方の事業譲渡では、譲渡対象の事業・資産・負債を選べるため、不要な負債や過去リスクを切り離しやすくなります。その反面、契約承継、従業員転籍、許認可再取得、資産移転コスト、消費税、不動産取得税、登録免許税などが生じる可能性があります。
中小M&Aガイドラインでも、M&Aの事前準備として、株式や事業用資産などの整理・集約、いわゆる「見える化」「磨き上げ」が重要であるとされています。
このため、価格判断では、株式譲渡と事業譲渡を次の観点で比較します。
- 会社全体を引き受けるのか、特定事業だけを引き受けるのか
- 簿外債務・偶発債務をどこまで切り離せるか
- 必要な契約・人材・許認可を移せるか
- 資産移転に伴う税金・手数料・登記費用がどの程度か
- 売主に残る事業・資産・負債との関係はどうなるか
- 買主が取得後すぐに事業を運営できるか
- 売主の税引後手取りはどう変わるか
- 買主の会計・税務上の取得コストはどう変わるか
「事業譲渡だからリスクが少ない」「株式譲渡だから簡単」といった一般論で片づけるわけにはいきません。価格・リスク・手続・税務・会計・事業継続性を比較したうえで判断していく必要があります。
事業譲渡価格を判断するための、実務上の確認順序
事業譲渡価格を判断するときは、次の順番で整理していくと、論点が漏れにくくなります。
1. 譲渡する事業の単位を決める
まず、譲渡対象が会社全体の一事業なのか、店舗単位なのか、製品ラインなのか、顧客群なのか、地域事業なのかを明確にします。
事業単位が曖昧なままでは、売上・利益・資産・負債を正しく切り出すことができません。
2. 譲渡対象資産を確定する
譲渡する資産を、勘定科目ごと、契約ごと、物件ごとに整理します。
特に、在庫、売掛金、設備、不動産、知的財産、顧客リスト、屋号、営業権、敷金・保証金については、価格に含まれているかを明確にします。
3. 承継する負債・負担を確定する
買掛金、未払費用、前受金、保証金、リース、従業員関連債務、製品保証、クレーム対応などを確認します。
形式的には承継しない負債でも、事業継続上、買主が実質的に負担する可能性がある項目は、価格判断に反映します。
4. 正常収益力を把握する
対象事業だけの売上、粗利、営業利益、EBITDA、運転資本、設備投資を切り出します。
共通費、本社費、役員報酬、関連当事者取引、一過性損益を調整したうえで、買主が取得後に維持できる利益水準を確認します。
5. 事業計画を作る
譲渡後の売上、粗利、固定費、採用、人件費、設備投資、運転資本、許認可取得、契約承継、移行期間コストを織り込みます。
売主の過去実績ではなく、買主が実際に引き継いだ後の事業計画として評価することが重要です。
6. 契約・従業員・許認可の承継可能性を確認する
事業価値を支える主要契約、人材、許認可が移るかを確認します。
承継できない場合は、価格調整、クロージング条件、移行支援、追加対価、取引中止までを含めて検討します。
7. 評価手法を選ぶ
収益性が安定している事業では、DCFやマルチプルが有用です。資産価値が中心の事業では、時価純資産的な見方も必要になります。赤字事業・再生事業・切り出し事業では、将来の改善可能性と追加投資の見積りが重要になってきます。
評価手法は一つに固定せず、事業の実態と譲渡対象に合わせて選びます。
8. 税務・消費税・会計影響を確認する
売主側では、譲渡益課税、消費税、税引後手取りを確認します。買主側では、取得価額配分、消費税、償却、のれん、登録免許税・不動産取得税などを確認します。
税務・会計影響は、価格が決まった後に処理するものではなく、価格判断の前提です。
9. 価格調整・支払条件を設計する
クロージング時点の在庫、売掛金、買掛金、運転資本、契約承継状況、従業員承継状況に応じて、価格調整を行うかを検討します。
一括払い、分割払い、条件付対価、移行期間後の支払いなども、価格の一部として考えます。
10. 説明可能性を確認する
最後に、その価格を第三者に説明できるかを確認します。
売主は、なぜその事業をその価格で譲渡するのかを、株主、金融機関、後継者、従業員に説明できる必要があります。買主は、なぜその事業をその価格で取得するのかを、社内、金融機関、株主、取締役会に説明できる必要があります。
事業譲渡価格の判断で、専門家に相談すべき場面
事業譲渡は、譲渡対象を選べる分、価格判断の自由度が高い取引です。しかし、その自由度は、同時に誤解や認識相違を生みやすい要因にもなります。
次のような場合には、早い段階で専門家に相談することが望ましいといえます。
- 譲渡対象資産・負債の範囲が曖昧である
- 一部事業だけを切り出すが、部門別損益が整っていない
- 共通費や本社費の配賦が価格に影響する
- 在庫・売掛金・買掛金を含めるかで、売主と買主の認識が違う
- 主要取引先契約の承継に不安がある
- 従業員の転籍やキーマン承継が価格に影響する
- 許認可が再取得できるか不明である
- 事業用不動産や設備の時価評価が必要である
- 営業権・のれんをどの程度認識すべきか分からない
- 消費税の課税・非課税区分が複雑である
- 株式譲渡と事業譲渡のどちらが合理的か比較したい
- 税引後手取りと買主の実質取得コストを同時に見たい
- 価格調整条項を入れるべきか判断できない
- 金融機関や関係者に説明できる評価資料が必要である
専門家に相談すべき内容は、「この事業はいくらですか」という単純な価格査定ではありません。
本来確認すべきなのは、どの事業を、どの資産・負債とともに、どの前提で評価しているのか。契約・従業員・許認可が移らない場合に、価値がどれだけ変わるのか。税務・消費税・会計影響を踏まえた実質価格はいくらか。そして、後から説明できる判断材料が揃っているか。こうした点です。
まとめ|事業譲渡の価格判断は、譲渡対象を定義することから始まる
事業譲渡の価格判断では、最初に「価値」を計算するのではなく、「何を譲渡するのか」を定義することが重要です。
譲渡対象が曖昧なまま、営業利益やEBITDAに倍率を掛けても、その価格が何を意味するのかは分かりません。DCFで事業価値を算定しても、実際に移る資産・負債・契約・従業員・許認可が違えば、買主が取得する価値は変わってしまいます。
事業譲渡では、株式譲渡よりもリスクを切り分けやすい一方で、事業を構成する要素を個別に移転していく難しさがあります。そのため、価格判断では、次の視点が欠かせません。
- 事業として一体性があるか
- 譲渡対象資産・負債が明確か
- 正常収益力を切り出せているか
- 運転資本の扱いが整理されているか
- 契約・従業員・許認可が承継できるか
- 税務・消費税・会計影響を織り込んでいるか
- 価格調整や支払条件が前提と整合しているか
- 売主・買主双方が後から説明できる価格になっているか
事業譲渡価格は、単なる資産の合計額でも、希望価格でもありません。譲渡対象を定義し、その事業が将来生み出す価値と、実際に移転する資産・負債・リスクを結びつけた結果として判断すべきものです。
事業譲渡の価格判断に不安がある場合は、早めに論点を整理してください
事業譲渡では、価格交渉が進んでから、譲渡対象資産、負債、契約、従業員、許認可、消費税の論点が表面化することがあります。そうなると、価格の前提が大きく変わってしまいます。
特に、一部事業の切り出し、事業用資産の整理、運転資本の扱い、契約承継、許認可、税務上の手取り、買主側の取得価額配分が絡む場合には、早い段階で評価前提を整えておくことが重要です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A・事業承継・資本政策・組織再編に関する企業価値評価、事業価値評価、取引価格の判断、税務・会計上の論点整理について、数字と事実に基づく検討を行っています。
事業譲渡価格の妥当性、譲渡対象となる資産・負債の切り分け、消費税・税務影響、株式譲渡との比較、買主提示額・売主希望額の整理が必要な場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。
本記事の振り返り
| 論点 | 重要な考え方 |
|---|---|
| 事業譲渡の評価対象 | 会社全体ではなく、契約で定めた事業・資産・負債を評価する |
| 事業の一体性 | 個別資産の売買ではなく、収益を生む有機的一体としての事業を見る |
| 株式譲渡との違い | リスクを切り分けやすい一方、契約・従業員・許認可の個別承継が必要になる |
| 譲渡対象資産 | 在庫、売掛金、設備、不動産、営業権、顧客リスト等を価格に含めるか明確にする |
| 承継負債 | 引き受ける負債だけでなく、事業継続上の実質負担も確認する |
| 運転資本 | 売掛金・在庫・買掛金・前受金の扱いが価格と資金繰りに影響する |
| 契約承継 | 主要契約が移らなければ、過去実績をそのまま評価に使えない |
| 従業員承継 | キーマンや資格者が移るかどうかで、事業価値が変わる |
| 許認可 | 再取得が必要な場合、取得コスト・空白期間・不確実性を価格に反映する |
| 消費税 | 課税資産・非課税資産の対価配分を合理的に行う必要がある |
| 税務・会計 | 譲渡益課税、取得価額配分、のれん、償却・減損リスクを確認する |
| 最終的な判断軸 | 高い・安いではなく、譲渡対象と前提を説明できる価格かを確認する |