事業承継税制は、非上場会社の自社株や個人事業用の資産を引き継ぐ際にかかる贈与税・相続税を、大きく抑えられる可能性のある制度です。
なかでも法人版の特例措置は、一般措置より仕組みが大きく拡充されています。対象株式数の上限が撤廃され、猶予割合は100%となり、複数の株主から最大3人の後継者へ承継することも可能になりました。
ただし、この特例措置を利用するには期限があります。令和9年9月30日までに特例承継計画を提出し、令和9年12月31日までに贈与・相続による株式取得を済ませておく必要があります。
出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置) 出典:国税庁|事業承継税制特集
もっとも、制度が「使える」ことと、制度を「使うべき」であることは、必ずしも一致しません。
事業承継税制は、税額そのものを消してしまう制度ではありません。一定の要件を満たす限り納税を猶予し、所定の免除事由が生じたときに、はじめて猶予されていた税額の納付が免除される仕組みです。
適用後には、長期にわたる管理がついて回ります。株式の保有や代表者要件の維持、報告・届出、資産管理会社化の防止、譲渡・組織再編・廃業時の確認など、確認すべきことは少なくありません。
言い換えれば、事業承継税制は「税額が高いから使う制度」ではありません。承継後も会社を続け、要件を管理し続け、将来の経営判断と矛盾しない形で運用できる場合にこそ、活きてくる制度です。
この記事では、あえて事業承継税制を使わないという選択があり得る場面を整理していきます。個別の税額計算や申請書の書き方、M&Aの進め方、契約書や遺言書の文案といった実務の細部には立ち入りません。制度の適用を急ぐ前に、まず立ち止まって確認しておきたい判断軸に絞ってお話しします。
「使わない」は消極的判断ではなく、経営上の選択である
事業承継税制を使わないという判断は、制度を知らないことでも、対策を怠ることでもありません。
むしろ、次のような事情を抱える会社では、使わない方がかえって説明のつくケースがあります。
- 自社株評価額が低く、猶予を受ける税額よりも管理負担の方が重い
- 後継者がまだ確定していない
- 後継者の経営継続の意思が固まっていない
- 数年以内にM&Aや廃業の可能性がある
- 株式分散や少数株主問題が未整理である
- 他の相続人との合意形成ができていない
- 会社の財務安全性や経営者保証の問題が大きい
- 継続届出や年次報告を長期にわたって管理する体制がない
- 相続時精算課税、遺言、売買、自己株式取得などで十分に対応できる可能性がある
制度を使うのであれば、適用した時点だけでなく、適用後の運用まで一貫して説明できなければなりません。
一方で、使わない場合にも、「なぜ使わなかったのか」を後から説明できる状態にしておく必要があります。とりわけ、自社株の価値が高い会社、後継者以外に相続人がいる会社、金融機関への説明が求められる会社では、非適用という判断もきちんと記録に残しておくことが大切です。
1. 自社株評価額が低く、猶予効果が限定的な場合
事業承継税制を使わない選択がまず検討されるのは、自社株の評価額が低い場合です。
たとえば、次のような会社が挙げられます。
| 状況 | 事業承継税制を使わない判断があり得る理由 |
|---|---|
| 債務超過または純資産が小さい | 自社株評価額が低く、猶予対象となる税額が大きくない可能性がある |
| 利益水準が低い | 類似業種比準価額が低く、承継時の税負担が限定的な可能性がある |
| 相続財産全体が基礎控除内に収まる | 相続税そのものが発生しない、または軽微な可能性がある |
| 後継者がすでに十分な株式を保有している | 追加承継の税務メリットより、議決権整理の方が重要な可能性がある |
| 対象外財産に係る納税資金が確保されている | 納税猶予を使わず、通常納付で処理した方が管理しやすい場合がある |
相続税は、相続財産の合計額が基礎控除額を超える場合に課税対象となります。実際の計算では、相続財産全体に債務や葬式費用、非課税財産、相続時精算課税適用財産、生前贈与加算などを反映して課税遺産総額を求めます。したがって、自社株だけを見て制度を使うかどうかを判断することはできません。
ここで気をつけたいのは、「株価が低いから何もしなくてよい」という話ではない、という点です。
株価が低い会社であっても、次のような対策が必要になることがあります。
- 後継者への議決権集中
- 株主名簿・名義株の整理
- 遺言による自社株の承継先の指定
- 後継者以外の相続人への配慮
- 経営者保証・担保の引継ぎ
- 会社所有資産と個人所有資産の整理
- 将来、株価が上昇する場合の再検討
事業承継税制を使わないとしても、承継対策そのものまで不要と決めてしまうのは危険です。税制を使わないだけのことであって、支配権対策、相続対策、資金対策は、別途検討しておく必要があります。
2. 後継者が確定していない場合
後継者が定まっていない段階で、事業承継税制の適用を前提に話を進めるのは、慎重であるべきだと考えています。
事業承継税制は、後継者が単に株式を取得すれば済む制度ではありません。後継者が経営者として会社を引き継ぎ、適用後も要件を維持し続けることを前提とした仕組みです。
次のような状態であれば、制度の適用よりも、まず後継者の選定を優先すべきでしょう。
| 後継者に関する状況 | 先に確認すべきこと |
|---|---|
| 子が複数いて、誰が継ぐか決まっていない | 経営能力、本人の意思、兄弟間の納得、株式配分 |
| 親族外の役員を候補にしている | 株式取得資金、金融機関対応、経営者保証、役員間の合意 |
| 後継者候補が会社の外にいる | 入社時期、経営への関与、従業員・取引先からの信頼 |
| 複数の後継者を想定している | 議決権割合、役割分担、将来対立した場合の対応 |
| 後継者本人が迷っている | 保証・借入・生活設計・経営責任への理解 |
事業承継は、株式を移しただけで完了するものではありません。
代表者の地位を引き継いでも、後継者が議決権を十分に握っていなければ、安定した経営判断はできません。逆に、株式を集中させたとしても、従業員や取引先、金融機関の信頼を得られなければ、事業そのものの承継は不安定なまま残ります。
中小企業庁も、事業承継を親族内承継、従業員承継、M&Aといった形に分け、それぞれ性格の異なるものとして整理しています。後継者が固まっていないのであれば、まずは親族内承継なのか、従業員承継なのか、それともM&Aを含む第三者承継なのか、その方向性から検討する必要があります。
後継者が見えていない段階では、特例承継計画の提出期限ばかりに引っ張られず、複数のシナリオを並べて比較しておくことが大切です。
3. 将来の売却・M&Aの可能性が高い場合
近い将来にM&Aや第三者承継を検討する可能性が高い会社では、事業承継税制を使わないという選択があり得ます。
法人版の特例措置では、将来的に売却や廃業に至った場合の再計算制度が設けられています。ただし、これは「売却・廃業しても何の問題も生じない」という意味ではありません。売却、事業譲渡、組織再編、代表退任、株式譲渡といった動きは、納税猶予の継続や一部納付に関わってくる、重要な出口の論点です。
次のような会社では、最初からM&Aや通常の株式承継と比較しておくべきでしょう。
| 状況 | 検討の方向性 |
|---|---|
| 後継者が経営を長期継続する意思を持っていない | 事業承継税制よりM&A・第三者承継を優先して検討 |
| 業界再編が進んでいる | 税制適用後の売却制約・再計算リスクを確認 |
| 数年以内に会社売却を考えている | 納税猶予より、譲渡所得・株式譲渡対価・相続対策を比較 |
| 不採算事業の切離しを予定している | 会社分割・事業譲渡と納税猶予の関係を確認 |
| 後継者は一時的な承継者にすぎない | 税制適用が将来の出口を複雑にしないか確認 |
M&Aを検討する場合でも、この記事では相手探しや企業価値評価、デューデリジェンス、基本合意、最終契約、PMIといった細部までは扱いません。ここで取り上げたいのは、事業承継税制を適用したあとにM&Aへ移る場合、納税猶予や株主構成に影響が及ぶことがある、という制度上の境界線です。
「将来売るかもしれないが、とりあえず税制を使っておく」という判断は、後から説明が難しくなることがあります。
制度を使うのであれば、後継者がどのくらいの期間、どのような方針で会社を続けていくのかを、あらかじめ確認しておくべきです。
4. 将来の廃業・解散・清算の可能性が否定できない場合
いずれ会社を畳む可能性が高い場合にも、事業承継税制を使わないという選択があり得ます。
これは、業績の芳しくない会社に限った話ではありません。
次のような会社でも、廃業の可能性は現実的な論点になり得ます。
- 後継者がいない
- 後継者はいるが、事業を続ける強い意欲がない
- 主要取引先への依存度が高い
- 許認可や資格者の維持が難しい
- 従業員の高齢化が進んでいる
- 設備更新の投資を行う予定がない
- 借入を返済したうえで廃業する方針がある
- 不動産や金融資産の管理会社に近い状態になっている
会社を解散・清算する場合には、会社法上の清算手続をはじめ、債務の弁済、残余財産の分配、清算事業年度の税務申告など、いくつもの手続が必要になります。事業承継税制を適用しているのであれば、解散・清算が納税猶予にどう影響するのかを、別途確認しておかなければなりません。
事業承継税制は、あくまで事業の継続を前提に設計された制度です。
廃業の可能性があるにもかかわらず、税額の大きさだけを見て適用を進めてしまうと、後継者が将来、撤退の判断をしにくくなることがあります。
このような場合には、税制を使うかどうかよりも先に、次の論点を整理しておくべきです。
| 検討項目 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 事業継続可能性 | 収益力、取引先、従業員、許認可、設備更新 |
| 廃業時期 | すぐに廃業か、数年継続後か、後継者の判断に委ねるか |
| 会社財産 | 不動産、現預金、在庫、設備、借入、保証 |
| 株主関係 | 廃業判断に必要な議決権、少数株主対応 |
| 相続税・所得税・法人税 | 自社株、残余財産、みなし配当、譲渡所得 |
| 金融機関対応 | 返済計画、担保解除、経営者保証 |
税制を使わないことが、かえって後継者に自由な撤退判断を残す場合もあるのです。
5. 継続届出・年次報告を管理できない場合
事業承継税制を使う場合、適用したあとの管理がきわめて重要になります。
継続届出書については、申告期限後の5年間は毎年、その後は3年ごとに提出する必要があります。もし期限までに継続届出書を提出しなかった場合には、提出期限の翌日から2か月を経過した日に、納税猶予に係る期限が確定してしまいます。
出典:国税庁|B1-78 非上場株式等についての贈与税・相続税の納税猶予の継続届出手続(一般措置)
法人版の特例措置でも、認定後は都道府県庁への年次報告書と、税務署への継続届出書の提出が求められます。具体的には、税務申告後5年以内は毎年、6年目以後は税務署へ3年に一度、継続届出書を提出していく流れです。
この管理を軽く見てはいけません。
次のような会社では、制度を適用する前に、まず管理体制を確認しておくべきです。
| 管理上の懸念 | 起こり得る問題 |
|---|---|
| 経理・総務の担当者が少ない | 届出期限や添付資料の管理漏れ |
| 顧問税理士が制度管理に関与していない | 申告後の継続管理が宙に浮く |
| 後継者が制度内容を理解していない | 株式譲渡、代表退任、組織再編を安易に行う |
| 会社の意思決定の記録が弱い | 後から判断の経緯を説明できない |
| 金融機関・株主への説明資料がない | 承継後の信用管理に支障が出る |
納税猶予の効果が大きいほど、取消時や期限確定時に背負う資金負担も重くなります。
管理体制を整えないまま制度を使うくらいであれば、通常納税、相続時精算課税、売買、遺言、生命保険、自己株式取得などを組み合わせた方が、実務として安定することもあります。
6. 株主構成・少数株主問題が未整理の場合
事業承継税制を使って後継者が株式を取得したとしても、それで株主構成が安定するとは限りません。
制度を適用する前に、次のような問題が残っていないかを確認しておく必要があります。
- 株主名簿が正確でない
- 名義株がある
- 所在不明株主がいる
- 先代以外にも、親族・役員・従業員の株主がいる
- 少数株主が帳簿閲覧や株式買取を求める可能性がある
- 株券発行会社で、株券の所在が分からない
- 種類株式や属人的定めの効果が整理されていない
- 自己株式取得の財源や手続に不安がある
事業承継税制は、あくまで税務上の納税猶予制度であって、少数株主問題を解決するための制度ではありません。
後継者が制度上の要件を満たしていても、議決権が不安定であれば、承継後の経営判断は揺らぎます。株式の分散が残ったままでは、将来の役員選任、定款変更、組織再編、自己株式取得、M&Aといった場面で障害が出てくる可能性があります。
このような場合には、まず株主構成を整えることが先決です。
| 代替・補完策 | 検討の方向性 |
|---|---|
| 株式売買 | 後継者・会社・持株会社等による取得を検討 |
| 自己株式取得 | 財源規制、みなし配当、相続人からの取得を確認 |
| 遺言 | 後継者に株式を集中させる意思を明確化 |
| 譲渡制限・売渡請求 | 定款整備と会社法手続を確認 |
| 種類株式・属人的定め | 議決権設計と税務評価への影響を確認 |
| 株主間契約 | 議決権行使、譲渡制限、買取ルールを補完 |
株式分散の問題が大きい会社では、「事業承継税制を使うか」よりも先に、「後継者が本当に経営権を握れるのか」を見極める必要があります。
7. 他の相続人との合意形成ができていない場合
親族内承継では、後継者に株式を集中させることが多くなります。
会社を守るうえでは合理的な選択ですが、他の相続人の目から見ると、財産の偏りとして受け止められることがあります。
とりわけ、自社株評価額が高い会社では、次のような問題が生じやすくなります。
- 後継者に自社株が集中し、他の相続人が取得する財産が少ない
- 自社株は換金しにくいのに、評価額だけは高い
- 後継者には納税猶予がある一方、他の相続人には納税が生じる
- 代償金を支払うための資金がない
- 過去の役員報酬、贈与、会社への貢献をめぐって不満がある
- 遺留分侵害額請求が起こる可能性がある
この状態のまま事業承継税制を使うと、税務上は猶予を受けられても、親族間の対立が承継後の経営に影を落とすことがあります。
制度を適用する前に、次のような相続法務・資金対策を検討しておくべきです。
| 検討項目 | 役割 |
|---|---|
| 遺言 | 自社株・事業用資産の承継先を明確にする |
| 生命保険 | 後継者以外の相続人への代償・納税資金を準備する |
| 役員退職金・死亡退職金 | 相続財産・納税資金・会社財務への影響を整理する |
| 遺留分対策 | 後継者への株式集中と、他の相続人の権利を調整する |
| 代償分割 | 後継者が株式を取得し、他の相続人に代償金を支払う |
| 経営承継円滑化法の民法特例 | 除外合意・固定合意の可能性を確認する |
遺言は、相続争いの防止や自社株の承継先の指定、遺言執行者の指定、予備的な承継先の設定などに役立ちます。ただし、遺言を作れば遺留分の問題が完全に消えるわけではない点には注意が必要です。
事業承継税制を使うかどうかを決める前に、家族全体で見た財産配分、納税資金、そして説明可能性を確認しておく必要があります。
8. 会社財務・納税資金・経営者保証の問題が大きい場合
事業承継税制は、納税資金の問題を和らげる制度です。
しかし、会社財務そのものを改善してくれる制度ではありません。
次のような会社では、税制の適用よりも、まず財務の安全性を確認することを優先すべきです。
| 状況 | 注意点 |
|---|---|
| 借入金が大きい | 後継者の保証引継ぎ、返済計画、金融機関への説明が必要 |
| 先代の個人保証が残っている | 後継者が保証を引き受けるか、解除交渉をするかを確認 |
| 役員退職金を予定している | 会社資金の流出、純資産の減少、金融機関評価への影響 |
| 自己株式取得を検討している | 財源規制、みなし配当、会社資金への影響 |
| 会社から後継者への貸付を考えている | 役員貸付金、認定利息、資金流出、金融機関への説明 |
| 担保不動産が経営者個人の所有 | 相続・保証・金融機関対応を一体で確認 |
中小企業庁も、経営者保証が円滑な事業承継を妨げる要因になっているとの指摘を取り上げています。承継にあたっては、税制だけでなく、保証の解除や金融機関への対応まで視野に入れて検討する必要があります。
たとえ納税猶予を受けられても、後継者が過大な借入や保証、代償金を背負うのであれば、承継後の経営は不安定になります。
この場合には、税制を使うかどうかよりも、次の順序で考えていくべきです。
- 会社が今後も、返済・投資・人件費を維持できるか
- 後継者が経営者保証を引き受ける意思と能力を持つか
- 先代の退職金や相続対策が、会社財務を損なわないか
- 自社株の承継後、金融機関へ説明できる事業計画があるか
- 取消時・一部納付時に、資金を手当てできるか
税額の大きさだけを見て制度を使うと、会社財務の危険信号を見落としてしまうことがあります。
9. 相続時精算課税で足りる場合
自社株や事業用資産の承継では、相続時精算課税との比較も欠かせません。
相続時精算課税は、原則として60歳以上の父母や祖父母などから、18歳以上の子や孫などへの贈与について選択できる制度です。贈与を受けた年の翌年2月1日から3月15日までに相続時精算課税選択届出書を提出する必要があり、いったん選択すると、その贈与者からの贈与については暦年課税へ戻すことができません。
なお、令和6年1月1日以後の贈与については、相続時精算課税にも年110万円の基礎控除が設けられました。相続時には、相続時精算課税適用財産の贈与時の価額から基礎控除額を差し引いた残額を相続財産に加算して、相続税を計算します。
出典:国税庁|No.4301 相続時精算課税の選択と相続税の申告義務
相続時精算課税は、事業承継税制ほどの納税猶予効果はありません。それでも、次のような場面では比較の対象になります。
| 相続時精算課税が候補になり得る場面 | 理由 |
|---|---|
| 現在の株価が低い | 贈与時の価額で将来の相続税に持ち戻されるため、株価上昇前の移転に意味がある |
| 後継者に早期に議決権を移したい | 納税猶予の長期管理を負わずに株式を移せる |
| 猶予税額が大きくない | 通常の贈与税・相続税負担で対応できる可能性がある |
| 将来M&Aの可能性がある | 納税猶予の取消・出口管理を避けやすい |
| 管理負担を抑えたい | 継続届出や年次報告を負わずに済む |
ただし、相続時精算課税にも注意すべき点があります。選択後は暦年課税へ戻れないこと、贈与者ごとに管理が必要なこと、相続時に贈与財産が相続税の計算に加算されること、そして贈与時の価額の妥当性を説明できるようにしておく必要があることです。
「事業承継税制を使わない代わりに相続時精算課税を使う」という判断も、税額・株価・後継者・相続人の関係を踏まえて、きちんと記録に残しておくべきです。
10. 暦年贈与・通常贈与で段階的に移せる場合
株価が低い会社や、承継までに時間的な余裕がある会社では、暦年贈与や通常の贈与で株式を少しずつ移していく方法も検討の対象になります。
ただし、暦年贈与は以前にもまして、相続税への持ち戻しを意識しておく必要があります。令和6年1月1日以後の暦年課税による贈与については、相続開始前7年以内の贈与財産が相続税の加算対象となります。
暦年贈与が候補になるのは、次のような場合です。
| 場面 | 検討のポイント |
|---|---|
| 株価が低い | 少しずつ移しても、税負担が大きくならない可能性 |
| 先代が比較的若い | 長期的な贈与計画を組みやすい |
| 後継者の経営関与を段階的に高めたい | 株式保有と役割を少しずつ増やせる |
| 兄弟間の調整が必要 | 急な株式集中より説明しやすい場合がある |
| 少数株主対策と並行したい | 株式集約の進捗に応じて贈与できる |
もっとも、暦年贈与だけで経営権を安定させようとすると、相応の時間がかかります。贈与契約、株主名簿の書換、贈与税の申告、議決権割合の確認、相続開始前の贈与加算、特別受益、遺留分への影響と、整理しておくべき事項は少なくありません。
「少しずつ渡せば安全」という単純な話ではないのです。
後継者にいつまでに何%の議決権を持たせるのか、他の相続人にどう説明するのか、株価が上昇した場合に計画を見直すのか。こうした点をあらかじめ決めておく必要があります。
11. 売買で承継した方が説明しやすい場合
自社株の承継では、贈与や相続だけでなく、売買も選択肢になります。
売買は、後継者が対価を支払って株式を取得する方法です。親族間でも、親族外の役員・従業員承継でも用いられることがあります。
売買が候補になるのは、次のような場面です。
| 場面 | 売買が検討される理由 |
|---|---|
| 後継者が役員・従業員である | 贈与よりも、対価を支払う方が説明しやすい |
| 他の相続人との公平感を重視する | 後継者だけが無償で取得したという不満を抑えやすい |
| 先代の老後資金が必要 | 株式譲渡の対価を先代の生活資金にできる |
| 将来M&Aの可能性がある | 通常の株式取得として整理しやすい場合がある |
| 株価が低い | 後継者が取得資金を用意しやすい |
ただし、売買にも税務上の注意点があります。
時価より著しく低い価額で売買した場合には、買主側に贈与税の課税が問題となることがあります。個人から法人への低額譲渡、法人から個人への譲渡、会社による自己株式取得などでは、所得税、法人税、みなし配当、受贈益、寄附金、株価上昇による株主課税といった、複数の税目を検討しなければなりません。
売買は「税制を使わないから簡単」というものではありません。
特に非上場株式の場合、相続税評価額、所得税法上の時価、法人税法上の時価、会社法上の公正価格が、必ずしも一致しません。取引の目的、当事者の関係、支配権の有無、少数株主性、会社財務への影響を、一つひとつ確認する必要があります。
売買を選ぶ場合にも、価格算定の根拠、資金の出所、譲渡所得税、株主名簿の書換、議事録、契約書、関係者への説明資料を残しておくべきです。
12. 遺言・生命保険・退職金で相続時に対応できる場合
事業承継税制を使わず、相続が起きたときの承継設計を整えておく方法もあります。
たとえば、次のような組み合わせです。
| 手法 | 役割 |
|---|---|
| 遺言 | 自社株・事業用不動産を後継者に承継させる意思を明確にする |
| 生命保険 | 後継者以外の相続人への代償資金・納税資金を準備する |
| 死亡退職金 | 遺族の生活保障、納税資金、会社財務への影響を調整する |
| 代償分割 | 後継者が株式を取得し、他の相続人に代償金を支払う |
| 小規模宅地等の特例 | 事業用宅地・同族会社事業用宅地について相続税評価を軽減する可能性 |
| 遺留分対策 | 株式集中による相続紛争を予防する |
この方法が向いているのは、次のような場合です。
- 後継者は決まっているが、生前に株式を移す必要性が低い
- 先代が議決権を持ち続けることに、経営上の意味がある
- 自社株評価額が過大ではない
- 相続税の納税資金が準備できる
- 他の相続人への配慮を優先したい
- 承継の時期を先代の相続まで待っても、経営上の支障が少ない
ただし、相続まで待つ場合には、先代の認知症リスク、突然の相続、遺産分割の未了、株式の準共有、議決権行使の不安定化といった点に注意が必要です。
遺言を作成するときも、遺留分、予備的遺言、遺言執行者、株式・不動産の特定、会社利用不動産の契約関係を、あわせて確認しておく必要があります。
「事業承継税制を使わず、相続で対応する」という判断は、遺言・納税資金・株主構成が整っていてこそ、安定するものです。
13. 個人版事業承継税制を使わない方がよい可能性がある場合
個人事業主の場合にも、個人版事業承継税制を使わないという選択があり得ます。
個人版事業承継税制は、青色申告に係る一定の事業用資産を対象とした制度です。利用するには、個人事業承継計画を令和10年9月30日までに提出し、令和10年12月31日までに事業承継を実施する必要があります。
使わないという判断があり得るのは、次のような場合です。
| 状況 | 検討すべき理由 |
|---|---|
| 対象資産が少ない | 納税猶予の効果より、管理負担の方が重い可能性 |
| 事業継続が不確実 | 廃業・転業・資産売却時の影響を確認する必要 |
| 不動産貸付中心 | 対象事業・対象資産にあたるかを慎重に確認 |
| 小規模宅地等の特例で十分に対応できる | 選択関係・併用制限・宅地評価を比較する必要 |
| 法人成りを検討している | 個人版ではなく、法人化後の承継設計が適する可能性 |
| 後継者が未確定 | 事業継続要件を維持できるかが不明 |
個人版では、対象資産の事業用性、青色申告、貸借対照表への計上、事業の継続、資産の保有が重要になります。
法人版と同じ感覚で判断せず、個人事業のまま承継するのか、法人成りするのか、それとも小規模宅地等の特例を重視するのか。こうした選択肢を並べて比較する必要があります。
事業承継税制を使うかどうかの判断表
制度の適用を検討するときは、「使えるか」ではなく、次のように整理すると判断しやすくなります。
| 判断軸 | 使う方向に傾きやすい場面 | 使わない方向に傾きやすい場面 |
|---|---|---|
| 自社株評価 | 株価が高く、税額負担が承継の障害になる | 株価が低く、通常納税や他制度で対応できる |
| 後継者 | 後継者が確定し、長期の経営意思がある | 後継者が未確定、複数候補、本人の意思が弱い |
| 経営継続 | 事業継続の方針が明確 | 売却・廃業・再編の可能性が高い |
| 株主構成 | 議決権集中が可能で、株主関係が安定 | 名義株・所在不明株主・少数株主問題が未整理 |
| 相続関係 | 他の相続人への説明・代償資金が整っている | 遺留分・遺産分割・親族対立の懸念が強い |
| 財務 | 会社財務が安定し、取消時の資金も見通せる | 借入・保証・退職金・資金繰りの問題が大きい |
| 管理体制 | 継続届出・年次報告を管理できる | 期限管理・資料保存・専門家の関与が不十分 |
| 将来選択肢 | 後継者が長期保有・長期経営を予定 | M&A、会社分割、廃業、資産売却を予定 |
| 説明可能性 | 制度適用の理由を家族・金融機関に説明できる | 税額だけが理由で、将来の制約を説明できない |
この表で「使わない方向」に当てはまる項目が多いようであれば、事業承継税制を急いで適用するよりも、株価試算、相続人の関係、後継者体制、資金繰り、将来方針を、先に整理しておくべきです。
「使わない」と決める前に必要な試算
事業承継税制を使わないと判断する場合でも、最低限の試算は欠かせません。
「面倒だから使わない」と感覚で決めてしまうのではなく、次の数字を確認しておきます。
| 試算項目 | 確認する意味 |
|---|---|
| 現状の自社株評価額 | 贈与・相続時の税負担、制度効果の出発点 |
| 将来の株価シナリオ | 株価が上昇・下落した場合の承継時期の判断 |
| 相続税全体 | 自社株以外の財産、債務、基礎控除、生命保険等を含めた負担 |
| 事業承継税制適用時の猶予税額 | どれだけ資金負担が軽減されるか |
| 事業承継税制非適用時の納税資金 | 通常納税で対応できるか |
| 相続時精算課税を使う場合の影響 | 贈与時の価額、相続時加算、基礎控除、撤回不可 |
| 売買の場合の税負担 | 譲渡所得、みなし贈与、取得資金 |
| 取消時の資金負担 | 将来、要件を満たせなくなった場合の納付可能性 |
| 後継者個人の資金 | 納税、株式買取、代償金、保証への対応 |
| 会社の資金繰り | 退職金、自己株式取得、貸付、金融機関対応 |
使わないという判断にも、根拠が必要です。
とりわけ、後継者や他の相続人から後日「なぜ使わなかったのか」と問われたとき、試算と判断メモが残っているかどうかで、説明力は大きく変わってきます。
まとめ:制度を使わない判断にも、専門的な設計が必要である
事業承継税制は、たしかに強力な制度です。
しかし、すべての会社にとって最適とは限りません。
株価が低い会社、後継者が未確定の会社、将来M&Aや廃業の可能性がある会社、少数株主問題が未整理の会社、相続人間の合意形成ができていない会社、財務の安全性に不安がある会社。こうした会社では、事業承継税制を使わないという選択が、むしろ合理的な場合があります。
大切なのは、制度を使うか使わないかを、税額だけで決めないことです。
事業承継税制を使うのであれば、後継者が経営を続け、株式を保有し、報告・届出を管理し、将来の出口まで説明できる状態を整えておく必要があります。
使わないのであれば、相続時精算課税、暦年贈与、売買、遺言、生命保険、退職金、自己株式取得、種類株式、M&Aなどを比較し、なぜその選択をしたのかを記録に残しておく必要があります。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、事業承継税制を「使う前提」で進めるのではなく、自社株評価、納税資金、株主構成、後継者体制、相続人関係、会社財務、そして将来のM&A・廃業の可能性まで含めて、適用と非適用の両面から検討します。
事業承継税制を使うべきか迷っている場合や、使わない場合の代替策を比較したい場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。税額だけでなく、会社を守るためにどの承継方法であれば説明がつくのかを、一緒に整理してまいります。
振り返り
| 事業承継税制を使わない選択があり得る場面 | 確認すべき判断論点 |
|---|---|
| 自社株評価額が低い | 猶予税額より管理負担が重くないか |
| 後継者が未確定 | 誰が経営し、誰が議決権を持つべきか |
| 将来M&Aを検討している | 納税猶予が売却時の判断を複雑にしないか |
| 廃業・解散の可能性がある | 事業継続を前提とする制度と整合するか |
| 継続届出・年次報告を管理できない | 期限管理、提出漏れ、取消リスクを負えるか |
| 株式分散・少数株主問題がある | 税制より先に議決権・株主管理を整理すべきか |
| 相続人間の合意形成が不十分 | 遺言、遺留分、代償資金、生命保険を先に検討すべきか |
| 財務・保証問題が大きい | 納税猶予より、会社財務と経営者保証を優先すべきか |
| 相続時精算課税で足りる | 株価、贈与時の価額、相続時加算、撤回不可を比較したか |
| 売買で承継できる | 時価、譲渡所得、みなし贈与、取得資金を確認したか |
| 遺言・生命保険で対応できる | 相続発生時の承継先、納税資金、他の相続人への配慮を整理したか |
| 個人版事業承継税制を迷う | 対象資産、事業継続、小規模宅地等、法人成りとの比較を行ったか |