事業承継税制を検討するとき、最初に関心が向かうのは、たいてい「贈与税・相続税がどれだけ猶予されるのか」という点です。
ただ、実務の現場で本当に重みを持つのは、その先にある問いです。すなわち、猶予を受けた状態を、その後も維持し続けられるのかということです。
この制度は、税額がその場で消えてなくなる仕組みではありません。一定の要件を満たし続けることを前提に贈与税・相続税の納税が猶予され、後継者の死亡など一定の事由が生じたときにはじめて免除される、という構造になっています。法人版についていえば、円滑化法の認定を受けた非上場会社の株式等を贈与や相続などで取得した場合に、一定の要件のもとで納税が猶予され、後継者の死亡等によって納付が免除される制度です。
出典:国税庁|法人版事業承継税制、国税庁|No.4439 非上場株式等についての贈与税の納税猶予及び免除の特例等、国税庁|No.4148 非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除の特例等
つまり、適用を受けた後に要件から外れてしまうと、それまで猶予されていた税額について、全部または一部の納付を求められることがあります。そしてこのとき問題になるのは、税務申告の話だけにとどまりません。後継者の代表者就任、株式の保有、議決権、会社の資産構成、組織再編、解散・廃業、年次報告・継続届出にいたるまで、会社経営のさまざまな場面が関わってきます。
本稿では、法人版事業承継税制を中心に据えつつ、個人版にも触れながら、納税猶予の取消事由を全体像として整理してみたいと思います。個別の取消事由ごとの細かな税額計算や、組織再編・廃業・売却時の具体的な再計算にまでは踏み込みません。ここで確認したいのは、制度を適用した後に、どのような行為や状態の変化がリスクになり得るのか、その判断の「地図」です。
なお、法人版の特例措置については、本稿作成時点で中小企業庁が、特例承継計画の提出期限を令和9年9月30日まで、贈与・相続による株式取得の期限を令和9年12月31日までと案内しています。個人版については、個人事業承継計画を令和10年9月30日までに提出し、令和10年12月31日までに事業承継を実施する必要があるとされています。制度の期限や様式は改正によって変わりますので、実際に検討される際には、必ず最新の公式情報をご確認ください。
出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)、中小企業庁|事業承継の支援策
取消事由を見る前に押さえておきたいこと
取消リスクを理解するうえで、まず「何が取り消されるのか」を分けて考えておくことが大切です。
実務では「納税猶予が取り消される」とひとくくりに語られがちですが、厳密には、少なくとも次の三つの段階があります。
一つ目は、都道府県知事による円滑化法上の認定が取り消される場面です。代表退任、議決権要件の喪失、株式譲渡、解散、資産保有型会社・資産運用型会社への該当、年次報告書の未提出、合併・株式交換などが、認定取消事由として位置づけられています。
二つ目は、税務上、猶予されていた税額の納税猶予期限が確定する場面です。これは、それまで猶予されていた税額を納付しなければならなくなる状態を指します。確定事由には、全部納付につながるもの、一部納付につながるもの、そして免除につながるものがあります。贈与税の納税猶予についても、事業継続期間内・経過後のそれぞれの事由に応じて、全額納付、一部納付、免除に区分されています。
三つ目は、免除事由です。後継者の死亡、先代経営者の死亡に伴う切替え、次の後継者への一定の贈与、一定の倒産・事業継続困難などにより、猶予税額の全部または一部が免除される場面があります。
ですから、「制度が終わる=必ず不利になる」とは限りません。とはいえ、どの事由が、どの時期に、どの税目で、どの範囲の猶予税額に影響するのか、ここは慎重に確認しておく必要があります。
この区別をしないまま「取消事由」とだけ捉えてしまうと、制度のリスクを正しく把握できません。要は、制度を適用した後の会社運営や株式の移動が、納税猶予を続けられるかどうかという条件と、密接に結びついているということです。
取消事由は、大きく7つの領域で捉える
法人版事業承継税制の取消事由は、細かく見ていくと数多くあります。しかし、経営者や後継者が実務の判断に使ううえでは、次の七つの領域に分けて把握すると、全体像が見通しやすくなります。
- 後継者本人に関する事由
- 株式・議決権に関する事由
- 会社の状態に関する事由
- 資産構成・事業実態に関する事由
- 報告・届出に関する事由
- 解散・廃業・売却に関する事由
- 組織再編・資本政策に関する事由
この分類は、単に暗記するためのものではありません。事業承継税制を使った後、どの経営判断を下す前に専門家への確認が必要なのか、その勘どころを見極めるための整理です。
後継者本人に関する取消事由
もっとも基本となるリスクは、後継者が制度上求められる地位を維持できなくなることです。
法人版の特例措置では、後継者が代表者として経営を担うこと、対象となる株式を継続して保有することなどが求められます。報告期間中は代表者として経営にあたるなどの要件を満たし、その後は対象株式等を継続して保有することが必要とされています。
そのため、事業継続期間中に後継者が代表者を退任すると、原則として認定取消・納税猶予の期限確定につながります。代表権を形式的に外すような場合も問題になります。後継者が認定承継会社の代表者を退任したケースは、代表権を制限された場合を含めて、認定取消事由として整理されています。
ただし、後継者に重い障害や要介護状態など、一定のやむを得ない事情がある場合には、代表退任や代表権の制限が直ちに取消事由とはされない取扱いがあります。具体的には、精神障害者保健福祉手帳1級、身体障害者手帳1級または2級、要介護5、これらに類すると認められる場合などが例示されています。
ここで気をつけたいのは、経営上の都合から「代表者を一時的に外す」「別の役員を代表にする」「後継者は会長職に退く」といった判断が、税務上の取消リスクにつながり得るという点です。会社法のうえでは可能な役員設計であっても、事業承継税制のうえでは別の問題が生じるのです。
したがって、後継者の役職変更、代表権の変更、複数代表制への移行、持株会社化後の代表者整理などを行う前には、税制上の要件を一度確認しておく必要があります。
株式・議決権に関する取消事由
事業承継税制は、自社株式を後継者へ移す制度であると同時に、後継者が会社の支配権を維持し続けることを前提にした制度でもあります。それだけに、株式や議決権の動きは取消事由の中心になります。
主に問題となるのは、次のような場面です。
- 後継者と同族関係者の議決権が、総議決権の過半数を下回る
- 後継者が同族内の筆頭株主でなくなる
- 納税猶予の対象となる株式を譲渡する
- 対象株式に議決権の制限を加える
- 後継者以外の者が黄金株を保有する
これらは、議決権同族過半数要件を満たさなくなった場合、同族内筆頭要件を満たさなくなった場合、納税猶予対象株式を譲渡した場合、認定に係る贈与により取得した株式の議決権に制限を加えた場合、黄金株を後継者以外の者が保有した場合などとして、取消事由に整理されています。
とりわけ注意していただきたいのが、株式譲渡です。後継者が納税猶予の対象株式等を譲渡した場合には、原則として認定が取り消されます。ここでいう譲渡には、売買だけでなく贈与も含まれます。また、会社分割に伴って吸収分割承継会社等の株式等を配当財産とする剰余金の配当があった場合も、経済実質としては株式等の譲渡と同じものとして扱われ得るものと整理されています。
これは、制度を適用した後の株式の移動が、きわめて強く制約されることを意味します。後継者が、納税資金の確保、親族間の調整、少数株主対策、持株会社化、従業員持株会への対応などを理由に株式を動かそうとした際に、思わぬ取消リスクが生じることがあるのです。
黄金株についても同様です。会社法上の拒否権付株式を後継者以外の者が保有することになれば、後継者の意思決定に対して拒否権を発動できる者が存在することになります。そうなると後継者の経営権が不完全になるため、認定が取り消されると整理されています。
つまり事業承継税制では、「株式を後継者に渡したかどうか」だけでなく、「後継者が実質的に経営を支配できる状態を維持しているかどうか」までが問われているのです。
会社の状態に関する取消事由
次に、会社そのものの状態が変わることによって生じる取消事由です。
代表的なものとしては、上場会社に該当した場合、風俗営業会社に該当した場合、特定特別子会社が風俗営業会社に該当した場合、総収入金額がゼロになった場合などが挙げられます。これらはいずれも、認定取消事由として整理されています。
ここで押さえておきたいのは、会社が成長すること自体が、ただちに取消事由になるわけではないという点です。認定後に事業の拡大や成長などに伴って資本金や従業員数が増え、その結果として中小企業者に該当しなくなった場合であっても、それは認定取消事由には当たらないとされています。
一方で、総収入金額がゼロになるような状態は、事業の実態がないものとして取消リスクにつながります。単なる黒字・赤字の問題ではなく、会社として事業を続けているか、収入を得る事業活動があるか、ここが問われるわけです。
これは、承継後の会社が休眠状態に近づいていく場合、事業を別会社へ移す場合、主要事業を売却する場合、グループ再編によって旧会社に収入が残らなくなる場合などに、とくに問題となります。
税制上の猶予を受けた会社は、承継後も「実際に事業を営んでいる会社」であり続ける必要がある、ということです。
資産保有型会社・資産運用型会社への該当
取消事由のなかでも、実務上見落とされやすいのが、資産保有型会社・資産運用型会社への該当です。
資産保有型会社・資産運用型会社とは、ごく簡単にいえば、事業会社というよりも、不動産・有価証券・現預金といった特定資産を多く保有したり運用したりしている会社をいいます。事業承継税制は、あくまで事業の継続を支援する制度であって、資産管理会社の株式承継を広く支援する制度ではありません。そのため、会社が資産管理会社的な状態になってくると、取消リスクが生じます。
一の日において資産保有型会社に該当した場合、また、認定申請基準日以後のいずれかの事業年度において資産運用型会社に該当した場合には、認定が取り消されるとされています。ただし判定にあたっては、実質的に事業実態のある会社が除かれること、実質的に事業実態のある特別子会社の株式等が特定資産から除かれること、一定の偶発的事由がある場合には一定期間、資産保有型会社・資産運用型会社に該当しないものとみなされることも示されています。
この論点は、承継後の財務判断に強く影響します。
たとえば、事業で得た利益を不動産投資へ大きく振り向ける、余剰資金で有価証券運用を拡大する、事業を子会社へ移して親会社を持株会社化する、事業用資産を売却して現預金が大きく膨らむ、といった場面では、資産保有型会社・資産運用型会社への該当を確認しておく必要があります。
つまり、「会社に資金を残す」「不動産を買う」「グループ会社の株式を持つ」といった、それ自体はごく自然な判断が、納税猶予の継続に影響する可能性があるということです。
事業承継税制を使った後は、財務戦略や資産運用の方針も、税制の要件と切り離して判断することはできなくなります。
報告・届出を怠った場合の取消リスク
事業承継税制は、適用時の申請だけで完結する制度ではありません。
法人版の特例措置では、認定を受けた後、都道府県庁へ年次報告書を、税務署へ継続届出書を提出する必要があります。税務申告後5年以内はこれを毎年繰り返し、6年目以後は税務署にのみ、継続届出書を3年に一度提出することになります。
年次報告書や継続届出書を提出しなかった場合、あるいは虚偽の報告などをした場合には、取消・納税につながる可能性があります。実際、年次報告書や継続届出書を未提出のまま放置した、または虚偽報告などをしていた場合は、猶予されていた税額の全額と利子税を納付する区分として整理されています。
これは、単なる事務ミスでは済まされない論点です。
事業承継税制は、長い年月にわたって管理していく制度です。申告のときに適用できたとしても、その後の届出管理が崩れてしまえば、制度そのものを維持できなくなります。
とくに注意していただきたいのは、次のような場面です。
- 担当者が退職し、提出期限の管理が途切れてしまう
- 顧問税理士や社内の経理担当者が変わる
- 認定時の資料や提出控えが保管されていない
- 代表者変更や株式移動があったのに、税制への影響確認がなされていない
- 都道府県への年次報告と税務署への継続届出を混同している
年次報告と継続届出は、提出先も役割も異なります。都道府県認定の管理と、税務署に対する納税猶予継続の管理、その両方を押さえておく必要があります。
雇用要件を満たせなかった場合
法人版事業承継税制では、雇用確保要件も重要な位置を占めます。
もっとも、特例措置では、この雇用要件は弾力化されています。特例措置については雇用確保要件が緩和されており、要件を満たせなかった場合には、円滑化法施行規則に基づいて、満たせなかった理由などを記載した報告書を都道府県知事に提出し、その確認を受ける必要があるとされています。
出典:国税庁|No.4439 非上場株式等についての贈与税の納税猶予及び免除の特例等、国税庁|No.4148 非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除の特例等
中小企業庁の案内でも、特例認定では、雇用が5年平均で8割を下回った場合には、その理由を記載し、認定支援機関による所見を添える必要があるとされています。経営の悪化などによる場合には、認定支援機関による指導および助言を受けた旨の記載も求められます。
したがって、特例措置については、「雇用が8割を下回ったら直ちに猶予が取り消される」と単純に理解するのは正確ではありません。
とはいえ、「報告さえすればよい」という軽い話でもありません。雇用が減った理由、経営の状況、改善の方針、認定支援機関の関与が問われます。承継後に人員整理、事業の縮小、外注化、拠点の閉鎖などを行う場合には、あらかじめ制度上の報告・確認が必要かどうかを確認しておくべきです。
解散・廃業・売却に関する取消事由
事業承継税制は、事業の継続を前提とした制度です。そのため、会社が解散した場合には、原則として取消リスクが生じます。
会社が解散した場合には認定が取り消されるとされており、会社法による休眠会社のみなし解散も、その例として挙げられています。
ただし特例措置では、将来的に売却・廃業する際の税負担を軽減する措置も設けられています。将来、事業を売却・廃業する時点で株価が下落していた場合には、その株価をもとに納税額を再計算し、事業承継時の株価をもとに計算された納税額との差額を減免することで、経営環境の変化による将来不安を和らげる、という考え方です。
この点は、経営判断としてきわめて重要です。
事業承継税制を適用する時点では後継者が会社を継ぐ意思を持っていたとしても、将来、事業環境が変わることはあります。売却、廃業、再生、清算、事業譲渡、グループ内再編などが必要になる可能性もあるでしょう。
そうした局面で、納税猶予を受けていることが経営判断の制約になる場合があります。もちろん、一定の再計算・免除の仕組みがあるとはいえ、すべてのケースで税負担がなくなるわけではありません。売却対価、会社の時価、残余財産、納税猶予対象株式の範囲、利子税、届出手続などを、ひとつずつ確認していく必要があります。
事業承継税制を使うかどうかは、「後継者が継ぐかどうか」だけでなく、「将来、売却や廃業へ切り替える可能性をどの程度見込むか」まで含めて判断すべき、ということです。
組織再編・資本政策に関する取消事由
事業承継税制を適用した後に組織再編を行う場合も、注意が必要です。
合併、会社分割、株式交換、株式移転、組織変更などは、会社法上も法人税法上も有効な経営手法です。しかし、事業承継税制を適用した後では、それが納税猶予の継続に影響する可能性があります。
組織変更があった場合、合併により消滅した場合、株式交換・株式移転により完全子会社となった場合などは、一定の場合を除き、取消・報告事由として整理されています。
また、特例承継計画の確認を受けた後に、その会社が合併により消滅した場合、または株式交換等により完全子会社となった場合には、計画確認後の合併等報告書を用いる場面が案内されています。
出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)の前提となる認定に関する申請手続関係書類
組織再編は、税務上の適格・非適格、会計処理、株主課税、会社法上の手続だけで判断してよいものではありません。事業承継税制の納税猶予対象株式がどうなるか、後継者の議決権がどうなるか、認定会社が存続するか、対価に株式以外の財産が含まれるか、再編後に資産保有型会社・資産運用型会社に該当しないか——こうした点をあわせて確認する必要があります。
承継後に持株会社化、グループ再編、子会社化、兄弟会社化、事業分離を検討するのであれば、事業承継税制を適用する前の段階から、将来の再編の可能性を織り込んでおくことが大切です。
資本金・準備金の減少にも目を配る
見落とされやすい取消事由として、資本金や準備金の減少があります。
資本金を減少した場合、準備金を減少した場合には、欠損填補目的などを除き、認定が取り消されると整理されています。資本金の減少については、減少した資本金額の全額を準備金とする場合や、一定の欠損填補目的の減資であれば取消しとならない旨も示されています。
資本政策として、減資や準備金の取り崩しを行うこと自体は、決して珍しいことではありません。外形標準課税、地方税の均等割、配当原資、欠損填補、資本構成の整理などを理由に検討されることもあります。
しかし、事業承継税制を適用した後は、こうした資本政策が納税猶予に影響しかねません。会社法・法人税・地方税の観点からは合理的であっても、事業承継税制のうえでは別のリスクが潜んでいる、ということです。
5年間と、5年経過後とでは、リスクの性質が変わる
取消事由を理解するうえでは、事業継続期間内と、その経過後とを分けて考えることが重要です。
法人版事業承継税制では、申告期限後の一定期間、代表者の継続、株式の保有、議決権、雇用などについて、とくに厳しい管理が求められます。認定の有効期限は、後継者ごとに、最初に適用を受ける贈与税または相続税の申告期限の翌日から5年を経過する日までとされ、この期間中は認定ごとに年次報告が必要とされています。
5年を経過した後は、一部の要件が緩和される一方で、対象株式の譲渡、解散、資産保有型会社・資産運用型会社への該当、報告・届出の漏れといったリスクは残り続けます。
ですから、事業承継税制の管理は「5年間だけ我慢すればよい」という性質のものではありません。5年を過ぎた後も、株式を動かす、会社を売却する、解散する、再編する、資産構成を大きく変えるといった場面では、納税猶予への影響を確認する必要があります。
とくに、後継者が承継後に経営改革を進めていく会社では、事業の選択と集中、不採算部門からの撤退、不動産の売却、グループ再編、資本政策の変更といったことが起こり得ます。これらは経営上必要な判断であったとしても、納税猶予の継続に影響を及ぼす可能性があるのです。
個人版事業承継税制では「資産を事業に使い続けているか」が中心になる
個人版事業承継税制では、法人版のような自社株式・議決権・代表者要件ではなく、個人の事業用資産と事業の継続が中心に置かれます。
個人版は、青色申告に係る一定の事業を行っていた事業者の後継者が、円滑化法の認定を受けて、個人の事業用資産を贈与や相続などにより取得した場合に、その事業用資産に係る贈与税・相続税の納税が猶予される制度です。特例事業用資産を後継者の事業の用に供さなくなった場合など、一定の場合には、事業用資産納税猶予税額の全部または一部について猶予が打ち切られ、その税額と利子税を納付しなければならないとされています。
出典:国税庁|No.4442 個人の事業用資産についての贈与税の納税猶予及び免除、国税庁|No.4153 個人の事業用資産についての相続税の納税猶予及び免除
また、個人版の対象となる特定事業用資産は、宅地等、建物、一定の減価償却資産に限られます。相続税の個人版では、宅地等は400平方メートルまで、建物は床面積800平方メートルまで、そして一定の減価償却資産が対象とされ、小規模宅地等の特例との関係にも制限が設けられています。
出典:国税庁|No.4153 個人の事業用資産についての相続税の納税猶予及び免除
したがって個人版では、承継した土地・建物・設備を事業の用に供し続けているか、廃業・転用・売却・貸付によって事業利用から外れていないか、という点が重要になります。
法人版が「株式を保有し、会社を支配し、会社が事業を継続しているか」を中心とするのに対して、個人版では「承継した資産が後継者の事業に使われ続けているか」が中心になる、と整理しておくとよいでしょう。
取消事由は、税務だけでなく、資金繰りの問題でもある
取消事由が生じたとき、問題となるのは税務上の納付義務だけではありません。
猶予されていた税額の全部または一部を納付しなければならなくなると、後継者個人の資金繰りに大きく響きます。さらに、納税資金を会社から借りる、会社が自己株式を取得する、役員報酬や退職金で資金を確保する、金融機関から借入を行うといった対応をとれば、会社の財務にも影響が及びます。
ここで意識しておきたいのは、事業承継税制の取消リスクは、制度を適用した時点では資金の流出として見えにくい、という点です。
納税が猶予されている間は、税額が表面に出てきません。ところが、取消事由が発生した瞬間に、猶予税額、利子税、資金調達、担保、会社財務、金融機関への説明が、いっせいに問題として立ち上がってきます。
そのため、事業承継税制を適用する段階で、次のような問いを立てておく必要があります。
- 取消事由が生じた場合、誰が納税資金を負担するのか
- 後継者個人に、納税の余力はあるのか
- 会社から資金を出す場合、会社法・税務・金融機関対応のうえで問題はないか
- 担保提供の内容を把握しているか
- 将来の売却・廃業・組織再編の際に、猶予税額がどのように顕在化するのか
- 後継者以外の相続人や株主に、取消時の影響を説明できるか
事業承継税制は「納税を先送りできる制度」ではありますが、同時に、先送りした税額が将来どのような条件で戻ってくるのかを管理する制度でもあるのです。
取消リスクを防ぐために、適用後に管理すべき資料
取消事由を防ぐには、制度の知識だけでなく、資料と手続の管理が欠かせません。
少なくとも、次の資料は、適用後も継続して確認できる状態にしておくべきです。
- 認定申請書、認定書、添付書類
- 特例承継計画または個人事業承継計画
- 贈与税申告書、相続税申告書、納税猶予関連書類
- 担保提供に関する資料
- 株主名簿、議決権割合の資料
- 定款、種類株式、黄金株に関する資料
- 役員変更履歴、代表権に関する登記
- 年次報告書、継続届出書、提出控え
- 資産保有型会社・資産運用型会社の判定資料
- 特定資産明細、貸借対照表、損益計算書
- 組織再編、減資、準備金減少、自己株式取得に関する議事録
- 後継者や関係者へ説明した内容の記録
とりわけ、株主名簿、議決権割合、役員構成、決算書、報告書・届出書の提出履歴は、あとから確認できなければリスク管理が成り立ちません。
事業承継税制は、申請時点の専門家だけで完結する制度ではありません。顧問税理士、会計士、司法書士、弁護士、金融機関、社内の経理担当者が入れ替わったとしても、制度の管理情報がきちんと引き継がれていく必要があります。
取消リスクが高まる、典型的な判断場面
事業承継税制を適用した後、次のような判断をする場面では、事前の確認が必要です。
- 後継者が代表取締役を退任する
- 共同代表制や持株会社体制へ移行する
- 株式を親族、役員、従業員持株会、持株会社へ移す
- 議決権制限株式、黄金株、種類株式を導入・変更する
- 自己株式取得を行う
- 会社分割、合併、株式交換、株式移転を行う
- 会社を売却する、事業譲渡する、M&Aを検討する
- 不採算事業を廃止する
- 主要資産を売却する
- 不動産投資や有価証券運用を増やす
- 減資や準備金の減少を行う
- 会社を解散・清算する
- 年次報告・継続届出の提出体制が変わる
これらは、会社経営においては自然に起こり得る判断ばかりです。しかし、事業承継税制を適用した後は、いずれも税制の要件と結びついているため、実行する前に確認しておかなければなりません。
「経営判断として正しい」ことと、「納税猶予を維持できる」ことは、常に一致するとは限らないのです。
取消事由を恐れすぎる必要はないが、見ないまま使うべきでもない
事業承継税制には、大きな効果があります。特例措置では対象となる株式数の上限が撤廃され、猶予割合が100%に拡大されています。後継者が自社株を承継するうえで、納税資金の負担を大きく軽減できる制度であることは、間違いありません。
出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)、国税庁|No.4439 非上場株式等についての贈与税の納税猶予及び免除の特例等
しかし、効果の大きい制度ほど、適用した後の制約もまた大きくなります。
取消事由を正しく理解する目的は、制度を怖がって使わないことではありません。むしろ、制度を使うのであれば、それがどの範囲の経営判断に影響するのかを、先に理解しておくことが大切だということです。
事業承継税制を使うべき会社とは、単に税額が大きい会社ではありません。後継者が会社を継続する意思と能力を持ち、株主構成や財務状態を管理でき、承継後の報告・届出を続けられる体制を整えられる会社です。
逆に、後継者が未確定である、将来売却や廃業の可能性が高い、株式の分散が大きい、資産管理会社化する可能性がある、経理や書類の管理が属人的である——こうした場合には、制度を適用する前に、慎重な検討が必要です。
事業承継税制は、節税策というよりも、承継後の経営体制を長期にわたって固定する制度だと捉えておくのがよいでしょう。
取消リスクを整理するための、実務上の確認軸
事業承継税制の適用後管理では、次の五つの確認軸を持っておくと、リスクの見落としを減らせます。
1. 人の確認
後継者が代表者であり続けているか。後継者にやむを得ない事情が生じた場合、どのような手続が必要か。次の後継者への承継の可能性はあるか。
2. 株式・議決権の確認
納税猶予の対象株式を動かしていないか。議決権同族過半数要件や同族内筆頭要件を維持できているか。黄金株や種類株式に変更はないか。
3. 会社状態の確認
会社が事業を継続しているか。総収入金額がゼロになっていないか。上場会社、風俗営業会社、資産保有型会社、資産運用型会社に該当していないか。
4. 手続の確認
都道府県への年次報告、税務署への継続届出を、期限内に提出できているか。提出控え、添付書類、判断資料を保管しているか。
5. 将来行為の確認
組織再編、売却、廃業、解散、減資、準備金減少、自己株式取得、事業譲渡、不動産売却などを行う前に、納税猶予への影響を確認しているか。
この五つを毎年確認していくことで、事業承継税制は「申請しただけの制度」から「管理できる制度」へと変わっていきます。
まとめ
納税猶予の取消事由は、単なる税務上のペナルティ一覧ではありません。
それは、事業承継税制を使った会社が、承継後にどのような経営体制・株式保有・事業継続・資料管理を求められるのかを示すもの、と言い換えることができます。
代表者を変える。株式を動かす。事業を再編する。資産を売却する。会社を畳む。届出をうっかり失念する。これらはいずれも、会社経営においては起こり得ることばかりです。けれども、事業承継税制を使っている場合には、そのひとつひとつが、猶予税額の納付リスクと結びついてきます。
だからこそ、制度を適用する前に、「適用できるか」だけでなく、「適用した後も維持できるか」「将来の経営判断を狭めてしまわないか」「取消時の資金負担を説明できるか」までを確認しておく必要があるのです。
重要事項の振り返り
| 確認項目 | 取消・納付リスクのポイント | 実務上の確認事項 |
|---|---|---|
| 後継者の代表者要件 | 代表退任・代表権制限により取消リスク | 役員変更の前に税制要件を確認する |
| 議決権要件 | 同族過半数・同族内筆頭要件を失うとリスク | 株式移動、種類株式、自己株式取得の前に議決権を確認する |
| 納税猶予対象株式の譲渡 | 売買・贈与により全部または一部の納付リスク | 対象株式と非対象株式を区分して管理する |
| 黄金株・種類株式 | 後継者以外の拒否権が経営権を不完全にする | 種類株式の発行・変更の前に制度への影響を確認する |
| 資産保有型・資産運用型会社 | 不動産・有価証券・現預金等の増加で取消リスク | 特定資産割合・運用収入割合を毎期確認する |
| 年次報告・継続届出 | 提出漏れ・虚偽報告で猶予継続に影響 | 提出先、提出期限、提出控えを管理する |
| 雇用要件 | 特例措置では弾力化されるが報告が必要 | 雇用減少の理由と認定支援機関の所見を整理する |
| 解散・廃業・売却 | 猶予税額の納付・再計算・免除判断が必要 | 実行前に猶予税額、利子税、資金繰りを試算する |
| 組織再編 | 合併・分割・株式交換等で取消または報告が必要 | 再編スキーム決定の前に税制の継続可否を確認する |
| 個人版事業承継税制 | 事業用資産を事業に使わなくなるとリスク | 承継資産の利用状況、売却、転用、廃業を管理する |
事業承継税制をすでに適用している場合も、これから適用を検討している場合も、取消事由を「万一の話」として遠ざけるのではなく、承継後の経営管理項目のひとつとして整理しておくことが大切です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、事業承継税制の適用可否だけでなく、自社株評価、株主構成、承継後の継続管理、取消リスク、将来の組織再編・廃業の可能性まで含めて、数字と事実に基づく判断の整理をお手伝いしています。納税猶予を使うべきかどうか、使った後に維持していけるか、取消時の資金負担まで見据えて確認しておきたいという場合は、当事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。