偶発負債・偶発資産は、財政状態計算書に姿を現さないことが多い領域です。しかし、認識されないからといって重要でないわけではありません。むしろ、財務諸表利用者、監査人、金融機関、M&Aの買手、経営管理部門にとっては、見過ごせないリスク情報になります。
たとえば、訴訟や損害賠償請求、製品保証、契約違反、環境紛争、税務調査、金融保証、補償契約、M&Aの表明保証違反、行政処分リスク。これらはいずれも、まだ金額が確定していなかったり、そもそも企業が支払義務を負うのかどうかがはっきりしていなかったりします。
ここで「未確定なのだから、何も開示しなくてよい」と整理してしまうと、IFRS実務ではかえって危うい結論になりかねません。
IAS第37号は、引当金、偶発負債、偶発資産のそれぞれについて、認識基準と測定基礎を適切に適用したうえで、その性質、時期、金額を財務諸表利用者が理解できるよう注記で説明することを求めています。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
本記事では、16-1から16-4までで扱ってきた引当金、不利な契約、リストラクチャリング、資産除去債務・環境負債を前提に、引当計上しない不確実な事象をどう開示し、監査対応資料としてどう整えるかを見ていきます。
偶発負債・偶発資産は「認識しないから重要でない」ではない
IAS第37号では、引当金を「時期又は金額が不確実な負債」と位置づけます。そして、現在の義務があること、経済的資源の流出可能性があること、金額を信頼性をもって見積れること。この三つの認識要件を満たす場合に、負債として認識します。
一方の偶発負債は、そもそも現在の義務といえるのか、流出可能性が高いのか、金額を十分に信頼性をもって測定できるのか、という点に不確実性が残ります。そのため、通常は財政状態計算書には認識されません。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
実務で悩ましいのは、「本体に認識しないこと」と「注記でも説明しないこと」を、つい同じものとして扱ってしまう点です。この二つは、はっきり分けて考える必要があります。
引当金は、財政状態計算書に認識する負債です。偶発負債は、認識はしないものの、流出可能性がほとんどない場合を除いて、注記で説明する対象になります。偶発資産は、原則として認識せず、経済的便益の流入可能性が高い場合に注記します。ただし、便益の流入が実質的に確実になったのであれば、それはもはや偶発資産ではなく、資産として認識すべきかを検討する領域へ移っていきます。
| 区分 | 財務諸表本体での処理 | 注記の考え方 | 典型例 |
|---|---|---|---|
| 引当金 | 認識する | IAS第37号に基づき増減内訳、性質、時期、不確実性等を開示 | 敗訴可能性が高く、金額見積り可能な訴訟 |
| 偶発負債 | 認識しない | 流出可能性がほとんどない場合を除き開示 | 現在の義務又は流出可能性に不確実性がある訴訟・保証 |
| 偶発資産 | 原則として認識しない | 便益流入の可能性が高い場合に、誤解を与えないよう開示 | 保険回収、損害賠償請求権、補償請求 |
| 資産又は負債として別基準で処理される項目 | 該当基準で認識・測定 | IAS第37号ではなく該当基準の開示を確認 | 法人所得税、金融保証、企業結合時の偶発負債 |
偶発負債については、流出可能性がほとんどない場合を除き、その内容の簡潔な説明、財務上の影響の見積り、金額や時期に関する不確実性、そして補填の可能性を開示していく、という整理になります。
引当金、偶発負債、偶発資産を分ける判断フレーム
偶発事象を検討するときは、まず「負債側の不確実性」なのか「資産側の不確実性」なのかを切り分けるところから始めます。そのうえで、次の順序で整理していくと、会計処理、開示、監査対応が一本の線でつながりやすくなります。
| ステップ | 確認する事項 | 判断の方向性 |
|---|---|---|
| 1 | 過去事象があるか | 訴訟原因、契約違反、事故、税務処理、保証契約、汚染発生など |
| 2 | 現在の義務又は可能性のある義務があるか | 法的義務、推定的義務、又は将来事象で確認される可能性のある義務か |
| 3 | 経済的資源の流出可能性はどの程度か | 高い、可能性がある、ほとんどない、のいずれか |
| 4 | 金額を信頼性をもって見積れるか | レンジ、最頻値、期待値、専門家見解、判例、契約条項 |
| 5 | 引当金、偶発負債、開示不要のいずれか | 認識要件を満たすなら引当金、満たさないが流出可能性がほとんどないとはいえないなら偶発負債 |
| 6 | 補填・保険・求償権があるか | 認識要件を満たす補填資産か、偶発資産かを別途判断 |
| 7 | 開示上、不利な情報になるか | 重大な不利益を与える極めて稀な場合の非開示例外を検討 |
| 8 | 監査証拠をどう整えるか | 契約、訴訟資料、弁護士見解、取締役会議事録、後発事象を保存 |
IAS第37号は、現在の義務があるかどうかがはっきりしない場合には、入手できるすべての証拠を考慮したうえで、報告期間末日時点で現在の義務が存在する可能性のほうが高いといえるかどうかを判断する、としています。訴訟のように、事実の発生や義務の存在そのものが争われる場面では、専門家の意見や、期末日後に得られた追加証拠も含めて判断していく必要があります。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
偶発負債として開示するか、開示不要とするか
偶発負債であれば、すべて開示されるわけではありません。IAS第37号は、決済に伴う流出可能性がほとんどない場合を除いて、偶発負債の種類ごとに性質の簡潔な説明を開示することを求めます。そのうえで、実務上可能であれば、財務上の影響の見積額、流出金額や時期に関する不確実性、補填の可能性についても開示するよう求めています。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
実務では、次のような発生可能性の階層に沿って整理していきます。
| 流出可能性 | 会計処理 | 開示判断 |
|---|---|---|
| 高い | 金額を信頼性をもって見積れる場合は引当金を認識 | 引当金注記を行う |
| 高いが金額を十分信頼性をもって見積れない | 偶発負債 | 偶発負債として開示 |
| 高いとはいえないが、ほとんどないともいえない | 偶発負債 | 偶発負債として開示 |
| ほとんどない | 認識しない | 原則として偶発負債開示も不要 |
| 判断不能 | 追加証拠を収集 | 証拠不足のまま「開示不要」としない |
ここで気をつけたいのは、「負ける可能性が50%未満だから開示不要」と単純に割り切らないことです。IAS第37号上の偶発負債の開示は、流出可能性が高い場合だけを対象にしているのではありません。流出可能性がほとんどないとまではいえない場合も、開示の対象に入ってきます。
ですから、訴訟、保証、補償、税務・行政リスクについては、まず引当金の認識要件を満たさないことを確認したうえで、開示が必要かどうかをあらためて判断する、という二段構えで考えることになります。
偶発資産は、楽観的な収益期待として開示してはならない
偶発資産は、企業にとって有利な方向の不確実な事象です。損害賠償請求、保険金請求、補償請求、税金還付の可能性、訴訟での反訴、M&A契約上の求償権などが、これに当てはまり得ます。
IAS第37号は、経済的便益の流入可能性が高い場合に、報告期間末日における偶発資産の内容を簡潔に説明し、実務上可能であれば財務上の影響の見積額を開示する、としています。ただし、その際には、収益が発生する可能性について読み手に誤解を与えるような表示は避けなければなりません。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
偶発資産の実務判断は、次のように整理できます。
| 便益流入の可能性 | 会計処理 | 開示判断 |
|---|---|---|
| 実質的に確実 | 資産認識を検討 | 偶発資産ではなく、通常の資産・収益認識の論点 |
| 高い | 偶発資産として認識しない | 誤解を与えないよう注記 |
| 高いとはいえない | 認識しない | 通常は開示しない |
| 単なる期待・交渉段階 | 認識しない | 開示しない又は経営説明資料に限定 |
偶発資産の開示でとりわけ避けたいのは、「回収見込額」「受領予定額」といった、あたかも収益が確定しているかのような表現です。保険回収、訴訟の反訴、M&A補償、補助金的な受領可能性などでは、法的な請求権の有無、相手方の支払能力、契約上の条件、保険の免責、請求期限、相手方の争い方まで、ひとつずつ確認していく必要があります。
訴訟・クレームは「勝てるか」だけでなく「何を開示するか」が問題になる
偶発負債・偶発資産の世界で最も典型的なのが、訴訟・クレームです。訴訟では、請求額が明示されていても、企業が実際に支払う金額はまだ確定していません。逆に、請求額が未確定であっても、企業の過去の行為、契約違反、説明義務違反、製品欠陥、労務紛争、環境汚染などから、現在の義務、あるいは可能性のある義務が存在している場合があります。
訴訟・クレームでは、次の資料を整理しておきます。
| 確認事項 | 具体的な資料 |
|---|---|
| 事案の性質 | 訴状、内容証明、通知書、クレーム報告、事故報告 |
| 請求内容 | 請求額、損害項目、遅延損害金、訴訟費用 |
| 企業の主張 | 答弁書、準備書面、社内調査報告 |
| 法的評価 | 顧問弁護士意見、外部弁護士レポート、判例分析 |
| 発生可能性 | 敗訴可能性、和解可能性、請求棄却可能性 |
| 金額見積り | 最善の見積り、レンジ、和解見込額、保険控除前後 |
| 補填 | 保険契約、免責金額、求償権、共同被告の負担 |
| 開示影響 | 重要性、注記文案、非開示例外の有無 |
| 後発事象 | 期末日後の判決、和解、請求拡大、追加訴訟 |
会計上の見積りは、経営者の仮定と将来事象の予測に支えられているため、監査でも重要な論点になりやすい領域です。しかも、見積りの時点で当然に考慮すべきだった事項を、きちんと織り込んでいたかどうかが、後から問われることになります。
ここで問われるのは、見積りと実績が食い違ったという事実そのものではありません。その食い違いが、見積り時点での情報不足や楽観的な仮定、あるいは内部統制の不備から生じたものなのか。そこが本質的に重要になります。
保証・補償は、IAS第37号だけで判断しない
保証や補償は、一見するとIAS第37号の偶発負債のように見えることがあります。ところがIFRSでは、金融保証契約、保険契約、収益認識上の保証、企業結合上の補償資産など、他の基準が適用される場面が少なくありません。
IAS第37号は、他のIFRS基準が特定の種類の引当金、偶発負債、偶発資産を扱っている場合には、その基準を適用するとしています。たとえば、法人所得税はIAS第12号、リースはIFRS第16号、保険契約はIFRS第17号、企業結合における取得企業の条件付対価はIFRS第3号、顧客との契約から生じる収益はIFRS第15号。それぞれとの関係を確認していくことになります。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
| 取引・契約 | 主に確認する基準 | 実務上の注意点 |
|---|---|---|
| 借入保証・金融保証 | IFRS第9号、IFRS第7号、IAS第32号 | 金融保証契約に該当する場合、IAS第37号だけでは処理しない |
| 製品保証 | IFRS第15号、IAS第37号 | 保証がサービス型か、品質保証型かを区分する |
| M&Aの表明保証・補償 | IFRS第3号、IAS第37号 | 取得日時点の負債か、補償資産か、取得後事象かを区分する |
| 保険契約 | IFRS第17号 | 保険契約の定義に該当するかを確認する |
| 税務不確実性 | IAS第12号、IFRIC第23、IAS第37号 | 法人所得税か、利息・加算税等かで適用基準が変わる |
| リースの保証・残価保証 | IFRS第16号、IFRS第9号 | リース測定又は金融保証との関係を確認する |
2025年3月のIFRICアジェンダ決定では、他社の債務に対して発行した保証について、それが金融保証契約や保険契約に該当しない場合には、IAS第37号を含む他のIFRS基準を検討する、という整理が示されています。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
税務不確実性は、IAS第37号に短絡しない
税務調査、移転価格、源泉税、恒久的施設、欠損金の利用、研究開発税制、関税、消費税・VAT、加算税・延滞税。こうした論点も、偶発負債のように見えてくることがあります。しかし、法人所得税に関する不確実性については、まずIAS第12号とIFRIC第23の適用を確認するのが出発点です。
IFRIC第23は、税法の適用や、税務当局が企業の税務処理を受け入れるかどうかに不確実性がある場合に、IAS第12号の認識・測定の要求をどう適用するかを定めるものです。
出典:IFRS Foundation|IFRIC 23 Uncertainty over Income Tax Treatments
一方、利息やペナルティについては扱いが分かれます。企業がその金額を法人所得税と考えるならIAS第12号を適用し、法人所得税ではないと考えるならIAS第37号を適用します。IAS第37号の本文に取り込まれたIFRICアジェンダ決定でも、この判断が重要な会計判断にあたる場合にはその判断の内容を開示し、重要性がある場合にはIAS第12号又はIAS第37号に基づく情報を開示する、と整理されています。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
税務不確実性は、次のように整理しておくと実務対応がしやすくなります。
| 税務論点 | 主な会計上の検討 |
|---|---|
| 法人所得税の税務処理の不確実性 | IAS第12号・IFRIC第23 |
| 法人所得税に関連する利息・ペナルティ | IAS第12号かIAS第37号かを判断 |
| 消費税・VAT・関税・固定資産税等 | IAS第37号又は他基準を検討 |
| 税務当局への預け金 | 偶発資産ではなく資産に該当するかを検討 |
| 税務調査中の追加納税可能性 | 認識、測定、開示、後発事象を検討 |
| 移転価格調整 | 税務上の不確実性、相互協議、二重課税、税効果を検討 |
不確実な税務処理については、IAS第1号やIAS第12号の既存の開示要求を踏まえながら、判断、仮定、見積りの不確実性を整理していくことが大切になります。
M&A・PPAでは、偶発負債の扱いが通常のIAS第37号と異なる
企業結合の場面では、被取得企業が抱える訴訟、環境リスク、保証債務、税務不確実性、規制対応、表明保証違反リスクといったものが、取得日時点の識別可能な負債になるかどうかが問題になります。
IFRS第3号では、取得企業は、企業結合で引き受けた偶発負債について、過去の事象から生じた現在の義務であり、かつ公正価値を信頼性をもって測定できる場合には、取得日時点で認識します。ここで注意したいのは、これがIAS第37号の通常の引当金認識要件とは異なる点です。経済的便益の流出可能性が高くなくても、認識される場合があります。
出典:IFRS Foundation|IFRS 3 Business Combinations
PPA実務では、買収対象会社の貸借対照表に載っていなかった資産・負債までもが評価の対象になり得ます。訴訟、環境負債、補償、税務ポジションをどこまで洗い出せるかが、そのまま取得原価配分に効いてきます。
| M&Aでの論点 | 確認事項 |
|---|---|
| 取得日時点の現在の義務か | 取得前事象に起因する訴訟・保証・環境負債か |
| 可能性のある義務にすぎないか | 現在の義務がない場合、IFRS第3号でも認識しない |
| 公正価値を測定できるか | 訴訟確率、支払レンジ、弁護士見解、保険回収 |
| 補償資産があるか | 売主補償、保険、エスクロー、価格調整条項 |
| 取得後事象か | 買収後の経営判断、再編計画、追加訴訟か |
| 開示 | 企業結合注記、IAS第37号注記、重要な判断・見積り |
非開示の例外は「不都合だから省略できる」という制度ではない
偶発負債や偶発資産では、開示することそのものが、訴訟戦略や交渉、相手方との関係に影響を及ぼすことがあります。この点についてIAS第37号は、極めて稀な場合に限り、開示が相手方との紛争における企業の立場を著しく害すると見込まれるときには、情報の一部又は全部を開示しないことを認めています。ただし、その場合でも、紛争の一般的な性質、情報を開示していないという事実、そして開示していない理由は、開示しなければなりません。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
この例外は、かなり限定的なものとして考えるべきです。
| 誤った理解 | 実務上の正しい整理 |
|---|---|
| 相手方に知られたくないので非開示にできる | 「著しく不利にする」といえる具体的根拠が必要 |
| 訴訟中なら金額をすべて省略できる | 省略できる情報の範囲を個別に判断する |
| 非開示なら何も書かなくてよい | 一般的な性質、非開示の事実、理由は開示する |
| 弁護士が反対すれば自動的に省略できる | 会計上の開示要求と訴訟戦略の両面から判断する |
| 監査人に説明すれば開示不要になる | 財務諸表利用者への説明責任は別途残る |
非開示の例外を用いるときは、どの情報を開示しないのか、なぜ開示すると著しく不利になるのか、その代わりにどの程度の一般的な説明を行うのか。これらを、経営者、法務、外部弁護士、監査人の間で文書として残しておく必要があります。
後発事象との関係
偶発負債・偶発資産は、報告期間末日を過ぎてから状況が大きく動くことがあります。期末日後に訴訟が提起される、判決が出る、和解が成立する、行政処分が通知される、税務調査の結果が判明する、保証の履行請求が行われる、保険金の支払可否が決まる。こうした事象です。
IAS第37号は、現在の義務を判断するにあたって、期末日後の事象から得られる追加の証拠も考慮するとしています。つまり、期末日後に判明した情報であっても、それが期末日時点の状況を裏づける証拠であるならば、引当金や偶発負債の判断に反映され得るということです。
出典:IFRS Foundation|IAS 37 Provisions, Contingent Liabilities and Contingent Assets
| 後発事象 | 会計上の整理 |
|---|---|
| 期末日前の事故に関する期末日後の判決 | 修正後発事象となる可能性がある |
| 期末日前の税務処理について期末日後に当局見解が示された | 期末日時点の不確実性の評価に反映する可能性 |
| 期末日後に新たな事故が発生した | 非修正後発事象として開示要否を検討 |
| 期末日後に保証履行請求を受けた | 期末日時点の保証義務・信用リスクを再評価 |
| 期末日後に保険金支払が承認された | 偶発資産又は資産認識の判断に影響 |
| 期末日後に訴訟相手と和解した | 期末日時点の最善の見積り、開示文案を再検討 |
後発事象を検討するときは、「その事象がいつ起きたか」だけを見るのでは足りません。その事象が、期末日時点に存在していた状況を裏づける証拠なのか、それとも期末日後に新たに生じた状況なのか。ここを丁寧に切り分けていくことが求められます。
監査対応では、結論よりも判断プロセスが問われる
偶発負債・偶発資産の監査対応で大切なのは、「引当金は不要です」「開示不要です」という結論を提示することではありません。監査人が確かめたいのは、企業が事象を漏れなく把握し、発生可能性や金額の見積り、開示の要否を合理的に判断したうえで、その判断を裏づける証拠をきちんと備えているか、という点です。
IAASBは、ISA 540(改訂)について、会計上の見積り及び関連する開示に関する監査手続を強化し、監査品質を高めることを目的とした基準であり、2019年12月15日以後に開始する期間の財務諸表監査に適用されると説明しています。
出典:IAASB|ISA 540 (Revised), Auditing Accounting Estimates and Related Disclosures
また、訴訟・賠償請求は、監査証拠上の特定項目として扱われる領域です。ISA 501は、こうした特定項目に関する監査証拠を扱う基準にあたります。
出典:IAASB|Basis for Conclusions: ISA 501 (Redrafted), Audit Evidence—Specific Considerations for Selected Items
監査対応では、次のような証拠を準備しておきます。
| 領域 | 準備すべき証拠 |
|---|---|
| 訴訟・クレーム | 訴状、通知書、弁護士照会回答、社内調査、和解交渉状況 |
| 保証 | 保証契約、保証先の財政状態、履行請求の有無、金融保証該当性 |
| 補償 | 保険契約、表明保証条項、補償請求書、相手方の支払能力 |
| 税務不確実性 | 税務意見書、申告書、税務調査通知、当局照会、IFRIC第23分析 |
| 環境・行政 | 行政通知、法令調査、環境調査、改善命令、技術見積り |
| M&A | DD報告書、SPA、表明保証、補償条項、PPA評価資料 |
| 後発事象 | 期末日後の判決、和解、通知、請求、取締役会資料 |
| 開示 | 注記ドラフト、開示省略理由、重要性判断、監査人協議メモ |
監査対応でとりわけつまずきやすいのが、経営者の判断と弁護士見解の関係です。弁護士が「敗訴可能性は低い」と述べていたとしても、それだけで開示不要になるわけではありません。会計の側では、流出可能性、金額の見積り、補填可能性、開示による不利益、そして重要性を、財務報告の観点からあらためて整理し直す必要があります。
内部統制としての偶発事象管理
偶発負債・偶発資産は、決算の直前になって経理部門だけで拾い上げるのが難しい領域です。法務、税務、営業、品質保証、人事、環境安全、海外子会社、M&A部門、内部監査。それぞれの部署が、別々のリスク情報を抱えています。
だからこそ、IFRS決算では、偶発事象を決算プロセスそのものに組み込んでおく必要があります。
| プロセス | 統制の例 |
|---|---|
| 網羅性確認 | 法務部門、税務部門、子会社、事業部から訴訟・クレーム・保証情報を収集 |
| 重要性評価 | 金額、性質、発生可能性、外部説明上の重要性を評価 |
| 会計判断 | 引当金、偶発負債、偶発資産、開示不要の区分を判定 |
| 専門家利用 | 弁護士、税理士、環境専門家、評価専門家の見解を取得 |
| 後発事象レビュー | 期末日後から財務諸表承認日までの変化を追跡 |
| 開示レビュー | 注記文案、非開示例外、相互整合性を確認 |
| 監査対応 | 判断メモ、証拠一覧、未解決事項を監査人へ説明 |
| 継続管理 | 四半期・年度ごとに更新し、期ズレや開示漏れを防止 |
M&Aや財務デューデリジェンスの場面でも、偶発債務や簿外債務は、Net Debt調整、実態純資産調整、SPA上の表明保証・補償条項、価格交渉に影響してくる重要な項目です。未払費用、退職給付、リース債務、訴訟関連、偶発債務、簿外債務といったものを、Debt-like項目として洗い出しておく視点が、実務でも重視されています。
開示文案を作る前に整理すべき論点
偶発負債・偶発資産の開示は、文章表現から書き始めると、かえってうまくいきません。まずは、開示の前提となる判断のほうを整理しておく必要があります。
| 整理項目 | 確認すべき内容 |
|---|---|
| 事象の概要 | 何が起きたのか、誰との間の問題か |
| 過去事象 | 期末日時点で過去事象が存在するか |
| 義務の有無 | 法的義務、推定的義務、可能性のある義務のいずれか |
| 流出可能性 | 高い、可能性あり、ほとんどない、のいずれか |
| 見積可能性 | 金額又はレンジを合理的に見積れるか |
| 補填可能性 | 保険、求償、補償、共同負担の可能性 |
| 重要性 | 定量的・定性的に財務諸表利用者の判断に影響するか |
| 開示粒度 | クラス別、個別案件別、集約表示のどれが適切か |
| 非開示例外 | 開示が紛争上著しく不利になる極めて稀な場合か |
| 後発事象 | 期末日後の進展を反映すべきか |
| 他基準 | IAS第12号、IFRIC第23、IFRS第9号、IFRS第3号等の適用がないか |
そのうえで開示文案を書くときは、次の順序で組み立てると、読み手に伝わりやすくなります。
| 開示要素 | 記載の方向性 |
|---|---|
| 性質 | 訴訟、保証、税務、環境、補償などの種類を示す |
| 背景 | 事象が生じた取引・契約・法令・事実関係を簡潔に示す |
| 現在の状況 | 係属中、調査中、交渉中、異議申立中など |
| 財務影響 | 実務上可能な範囲で見積額又はレンジを示す |
| 不確実性 | 金額又は時期に影響する要因を示す |
| 補填 | 保険、求償、補償の可能性を示す |
| 非開示理由 | 省略する場合は一般的性質と理由を示す |
| 誤解防止 | 偶発資産では収益確定と誤解されない表現にする |
実務で迷いやすい論点
偶発負債・偶発資産の判断のなかで、とりわけ迷いやすい論点を整理すると、次のようになります。
| 論点 | 判断のポイント |
|---|---|
| 請求額が過大な訴訟 | 請求額ではなく、合理的な支払見込額又はレンジを検討する |
| 弁護士が敗訴可能性を低いと評価 | 流出可能性がほとんどないか、偶発負債開示が必要かを別途判断する |
| 金額見積りが難しい | 実務上可能な範囲で見積りを試み、不可能ならその旨を開示する |
| 保険で回収できそう | 補填資産、偶発資産、開示上の補填可能性を区分する |
| 税務調査中 | IAS第12号・IFRIC第23か、IAS第37号かを切り分ける |
| グループ会社保証 | 金融保証契約、連結上の消去、単体財務諸表、関連当事者開示を確認する |
| 期末日後に和解 | 期末日時点の状況を示す修正後発事象かを検討する |
| 訴訟上不利になる | IAS第37号の極めて稀な非開示例外に該当するかを文書化する |
| 偶発資産を開示したい | 収益確定と誤解されない表現にする |
| M&Aで見つかった偶発債務 | IFRS第3号の取得日時点認識とIAS第37号の通常処理を区分する |
IAS第37号の改訂動向にも注意する
2026年7月15日時点では、偶発負債・偶発資産は現行のIAS第37号に基づいて判断します。ただし、IASBは2024年11月12日に公開草案 “Provisions—Targeted Improvements” を公表しており、IAS第37号について三つの改善提案を示しています。IFRS財団のプロジェクトページによれば、コメント期限は2025年3月12日でした。2026年6月22日のIASB会議では、プロジェクト完了に向けた計画が議論されたものの、意思決定は行われていません。次のマイルストーンは最終改訂とされています。
出典:IFRS Foundation|Provisions—Targeted Improvements
この改訂プロジェクトは、主に引当金の認識・測定を中心に据えたものです。とはいえ、偶発負債との境界、開示判断、長期義務、賦課金、資産除去債務といった実務判断にまで波及する可能性があります。IAS第37号を適用する企業は、改訂が確定した後の影響評価を、継続的に行っていく必要があります。
相談を検討すべき場面
偶発負債・偶発資産は、財務諸表本体に認識されないことが多いからこそ、経営者の判断、開示、監査証拠、内部統制、M&A、税務、法務が、複雑に交わってくる領域です。とりわけ次のような場面では、早い段階で論点を整理しておくことが有効です。
| 状況 | 専門的検討が必要となる理由 |
|---|---|
| 重要な訴訟・クレームがある | 引当金、偶発負債、開示不要の判断が必要 |
| 保証・補償契約がある | IFRS第9号、IFRS第3号、IAS第37号の切り分けが必要 |
| 税務調査・移転価格リスクがある | IAS第12号・IFRIC第23・IAS第37号の適用関係が問題になる |
| 保険・求償・補償回収が見込まれる | 補填資産、偶発資産、開示表現の整理が必要 |
| M&Aで偶発債務が見つかった | PPA、価格調整、SPA、補償条項への影響がある |
| 開示すると訴訟上不利になる懸念がある | 非開示例外の該当性と代替開示を慎重に検討する必要 |
| 監査人から弁護士照会・見積根拠を求められている | 判断メモと証拠体系の整備が必要 |
| グループ会社・海外子会社でリスク把握が不十分 | 連結上の網羅性、子会社報告パッケージ、内部統制が問題になる |
犬飼公認会計士・税理士事務所では、IFRSにおける偶発負債・偶発資産について、IAS第37号の認識・開示判断にとどまらず、訴訟・保証・補償・税務不確実性・環境リスク・M&A・監査対応資料まで、一貫して整理する支援を行っています。
引当金を計上すべきか、偶発負債として開示すべきか、それとも開示不要といえるか。偶発資産の開示表現をどう整えるか、監査人にどのような証拠を示すべきか。こうした点にお悩みがある場合は、関連契約、訴訟資料、弁護士見解、税務資料、保証契約、注記ドラフトを整理したうえで、お問い合わせページよりご相談ください。
この記事の振り返り
| 論点 | 重要ポイント |
|---|---|
| 偶発負債の位置づけ | 認識しない負債性リスクであり、流出可能性がほとんどない場合を除き開示を検討する |
| 偶発資産の位置づけ | 原則として認識せず、便益流入の可能性が高い場合に誤解を与えないよう開示する |
| 引当金との区分 | 現在の義務、流出可能性、信頼性ある見積りを満たす場合は引当金を認識する |
| 発生可能性 | 「高い」「可能性あり」「ほとんどない」を区分し、開示要否を判断する |
| 金額見積り | 実務上可能な場合、財務上の影響をIAS第37号の測定原則に基づき見積る |
| 非開示の例外 | 極めて稀な場合に限られ、一般的性質、非開示の事実、理由の開示は必要 |
| 訴訟・クレーム | 請求額、敗訴可能性、和解可能性、補填、後発事象を証拠化する |
| 保証・補償 | IAS第37号だけでなく、IFRS第9号、IFRS第3号、IFRS第15号、IFRS第17号等を確認する |
| 税務不確実性 | 法人所得税はIAS第12号・IFRIC第23を優先し、利息・ペナルティは性質判断が必要 |
| M&A | 企業結合で取得した偶発負債は、IFRS第3号により通常のIAS第37号と異なる扱いとなる場合がある |
| 後発事象 | 期末日時点の状況を裏付ける証拠か、期末日後に新たに発生した事象かを区分する |
| 監査対応 | 弁護士見解だけでなく、契約、議事録、社内調査、見積資料、後発事象を一体で整理する |
| 内部統制 | 法務、税務、事業部、子会社から偶発事象を網羅的に収集する仕組みが必要 |
| 開示文案 | 性質、背景、状況、財務影響、不確実性、補填、非開示理由を構造化する |
| 最新動向 | IAS第37号のターゲット改善プロジェクトが進行中であり、最終改訂後の影響確認が必要 |