医療機関M&Aのご相談は、「買い手を探してほしい」「価格を知りたい」「よい案件があれば紹介してほしい」といった言葉から始まることが少なくありません。
しかし実務の上では、その前に整理しておきたいことがあります。
なぜ譲渡したいのか。 いつまでに承継したいのか。 何を譲渡の対象にするのか。 患者さん、スタッフ、地域医療をどのように引き継いでほしいのか。 決算書や月次資料は、第三者に説明できる状態になっているのか。 借入、リース、未収金、税務リスク、施設基準、労務問題、法人議事録は整理されているのか。
医療機関M&Aでは、こうした情報が曖昧なまま相談を始めてしまうと、価格の議論も、スキームの検討も、買い手候補との面談も、デューデリジェンスも、どこか不安定なものになりがちです。
M&A相談前の整理は、単なる資料集めではありません。自院を「第三者に説明できる医療機関」に整えていく作業です。
本稿では、医療機関M&Aを相談する前に、売り手・買い手がそれぞれ整理しておきたい資料と論点を、財務・税務・会計・法務・労務・医療制度・法人運営の視点から解説します。なお、本稿は2026年5月30日時点の公的情報等を踏まえています。実際の判断は、個人診療所か医療法人か、持分の有無、診療科、施設基準、雇用契約、賃貸借契約、税務調査歴、行政手続の状況などによって異なります。
M&A相談前の整理は、価格交渉のためだけではない
M&A相談前に資料を整える目的は、単に高く売るため、安く買うためだけではありません。
医療機関M&Aには、患者さん、スタッフ、行政手続、保険診療、法人運営、税務、資金繰りが絡みます。相談前の整理が不十分なままだと、次のような問題が起きやすくなります。
| 整理不足の内容 | 実務上起こりやすい問題 |
|---|---|
| 譲渡理由が曖昧 | 買い手が承継後リスクを読めず、交渉が進まない |
| 希望条件が整理されていない | 価格、時期、雇用、院長関与、患者対応で後から対立する |
| 決算書だけで月次資料がない | 直近の収益力や資金繰りを説明できない |
| 借入・リースが未整理 | 譲渡対価、返済、承継対象の判断ができない |
| 契約書が不足 | 不動産、医療機器、システム、業務委託の承継可否が分からない |
| 議事録が不足 | 医療法人の意思決定や社員・理事構成の確認に支障が出る |
| 労務資料が不足 | 雇用条件、退職金、有休、未払残業リスクが把握できない |
| 施設基準資料が不足 | 診療報酬の収益前提や返還リスクを確認できない |
| 税務リスクが未整理 | 価格調整、表明保証、補償、クロージング後紛争につながる |
医療機関M&Aでも、一般の事業会社のM&Aと同じように、財務・税務・法務の確認は欠かせません。一方で、保険診療、施設基準、医療法人制度、診療録、患者説明、保健所・厚生局対応など、医療機関ならではの確認項目もあります。
クリニックの第三者承継の実務でも、デューデリジェンスは法務、財務・税務、労務、医療法務に分かれます。そのうえで、医療行政手続や診療報酬の自主返還リスク、紛争関係なども、重要な調査の対象になります。
まず整理すべきは「なぜM&Aを検討するのか」
最初に整理しておきたいのは、資料ではなく、譲渡理由そのものです。
譲渡理由が曖昧なままでは、希望条件も定まりません。買い手候補の側から見ても、「本当に譲渡する意思があるのか」「承継後にどのような協力が得られるのか」「患者さんやスタッフにどう説明するのか」が見えにくくなってしまいます。
売り手側は、少なくとも次の問いに答えられるようにしておきたいところです。
| 論点 | 相談前に整理すべき問い |
|---|---|
| 譲渡理由 | 年齢、健康、後継者不在、経営不振、分院整理、方針転換のどれか |
| 承継目的 | 廃業回避、患者さんの継続、スタッフ雇用維持、譲渡対価、法人整理のどれを重視するか |
| 希望時期 | すぐに譲渡したいのか、1年以内か、数年かけて準備するのか |
| 希望価格 | 希望額の根拠は、純資産か、営業権か、借入返済額か、生活資金か |
| 譲渡後関与 | 前院長が一定期間、診療・引継ぎに関与する意思はあるか |
| スタッフ | 継続雇用を希望するか、退職金や有休をどう扱うか |
| 患者さん | 患者説明、カルテ承継、診療方針の継続について希望があるか |
| 名称・ブランド | 医院名を残したいか、変更を許容するか |
| 不動産 | 物件を売却するのか、賃貸するのか、賃貸借を承継するのか |
| 家族・親族 | 親族、社員、出資者、非医師相続人の同意や利害調整は必要か |
ご相談の場で「条件はよく分からないが、よい相手がいれば考えたい」という状態でも、入口としては成立します。ただし、そのまま進めると、基本合意やデューデリジェンスの段階で判断が止まってしまいます。
医業承継の相談では、要望条件や特記事項を確認し、ノンネームシート、必要資料の一覧を早い段階で整えていきます。相談の時点で希望条件を明確にしておき、秘密保持契約や財務データの受け渡しへと進んでいくことが大切です。
買い手側も「何を買いたいのか」を整理する
買い手側にも、相談前に整理しておきたいことがあります。
「よいクリニックがあれば買いたい」というだけでは、案件の良し悪しを判断できません。診療科、診療圏、医師の確保、承継後の管理体制、資金調達、PMIの方針が不明なままでは、表面上の売上や価格に引きずられやすくなってしまいます。
買い手側は、次の項目を整理しておきたいところです。
| 論点 | 買い手側が整理すべき問い |
|---|---|
| 買収目的 | 分院展開、診療圏拡大、在宅医療強化、病院連携、後継者確保のどれか |
| 対象診療科 | 自院の強みと合う診療科か、医師採用が可能か |
| 地域 | 東京23区、郊外、駅前、住宅地、既存院との距離をどう考えるか |
| スキーム | 個人診療所の事業譲渡か、医療法人承継か、事業のみ承継か |
| 資金調達 | 自己資金、借入、リース、追加運転資金をどう確保するか |
| 管理体制 | 月次決算、レセプト、労務、医療法人運営を誰が管理するか |
| 医師体制 | 前院長の関与期間、新院長、非常勤医師、管理者要件をどう満たすか |
| PMI | 患者説明、スタッフ説明、広報、院内ルールの統合をどう進めるか |
| 許容リスク | 税務、労務、施設基準、設備老朽化、患者離れをどこまで許容するか |
買い手側がこの整理をしていないと、初期検討の段階では前向きでも、デューデリジェンスを終えた後に「思っていた案件と違う」となりやすくなります。
医療機関M&Aでは、譲渡価格の妥当性だけでなく、承継後に診療と経営を本当に続けていけるかどうかを見ていく必要があります。
相談前資料は「初回相談」「秘密保持後」「DD段階」に分ける
M&A相談前の資料整理というと、すべての資料を最初からそろえて提出しなければならない、という印象を持たれるかもしれません。
実際には、資料は段階に分けて扱うべきものです。
| 段階 | 主な目的 | 提示する資料の考え方 |
|---|---|---|
| 初回相談前 | 方向性の整理 | 匿名化・概要中心。譲渡理由、診療科、売上規模、希望時期など |
| 秘密保持契約後 | 案件化・候補者検討 | 決算書、概況資料、ノンネーム・ネーム資料、主要条件 |
| 基本合意前後 | 価格・条件の精査 | 月次資料、借入、契約、労務、施設基準、税務リスク |
| DD段階 | リスク把握 | 詳細資料、原始資料、議事録、契約書、行政届出、証憑 |
| 契約・クロージング前 | 実行準備 | 精算資料、承継対象一覧、届出、雇用、患者説明、PMI計画 |
初回相談の段階から、詳細な患者情報、従業員の個人情報、契約書一式を無制限に出す必要はありません。むしろ、情報管理の面からは危険です。
中小企業庁の「中小M&Aガイドライン(第3版)」では、仲介者・FAの説明、手数料、利益相反、最終契約におけるリスク事項、経営者保証などについて、確認すべき事項が整理されています。医療機関M&Aでも、支援者に任せきりにせず、相談の初期から、情報管理、手数料、支援の範囲、利益相反、契約上のリスクを確認しておく必要があります。
また、M&A支援機関登録制度では、中小企業が活用する事業承継・M&A補助金の専門家活用枠において、登録されたM&A支援機関の支援費用が補助の対象とされています。補助金の活用を検討する場合には、支援機関の登録状況も確認しておきたいところです。
出典:中小企業庁|M&A支援機関登録制度の申請受付(令和8年度公募)について
財務資料:決算書だけでは足りない
M&Aの相談で最初に求められるのは、多くの場合、決算書です。
しかし医療機関M&Aでは、決算書だけでは十分とはいえません。過去の決算だけでは、直近の患者数、診療単価、人件費、未収金、借入返済、資金繰り、設備更新の余力が見えてこないからです。
相談前に整理しておきたい財務資料は、次のとおりです。
| 資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 過去3〜5期分の決算書 | 収益力、利益推移、資産・負債、純資産の確認 |
| 法人税・所得税申告書 | 税務処理、別表・内訳書、減価償却、役員給与等の確認 |
| 月次試算表 | 直近の業績、季節変動、足元の悪化・改善の確認 |
| 医業収益の内訳 | 保険診療、自由診療、健診、予防接種、在宅、物販の区分 |
| 患者数・診療単価 | 売上の増減要因、患者基盤、単価構造の確認 |
| 未収金一覧 | 社保・国保、窓口未収、自由診療未収、労災・自賠責の確認 |
| 借入金一覧 | 金融機関、残高、返済条件、担保、保証、資金使途の確認 |
| リース一覧 | 医療機器、レセコン、電子カルテ、車両等の承継可否確認 |
| 固定資産台帳 | 医療機器、内装、備品、取得日、簿価、償却状況の確認 |
| 資金繰り表 | 譲渡前後の支払能力、納税、借入返済、運転資金の確認 |
| 補助金・助成金資料 | 返還条件、目的外使用、承継時の取扱い確認 |
医療機関の承継相談では、経営状況を把握するために、過去3期分の財務データなどを集めて確認し、損益計算、財政状態、資金繰りを明らかにしていくことが重視されます。
買い手側から見れば、決算書の上で利益が出ていても、次のような点を確認しなければ判断はできません。
| 決算書だけでは見えにくい項目 | M&Aでの意味 |
|---|---|
| 院長依存の売上 | 前院長が退任すると収益力が落ちる可能性がある |
| 家族給与・役員報酬 | 実態利益の調整が必要になる |
| 減価償却不足・過大設備 | 実際の設備更新負担が見えにくい |
| 未収金の滞留 | 回収不能や売上計上の問題につながる |
| 自由診療の前受・未完了 | 返金・役務提供義務が残る場合がある |
| 消費税・源泉・社保の未納 | 承継後のリスクになる |
| 借入・保証の整理不足 | 譲渡対価やクロージング条件に影響する |
医療機関M&Aでは、数字を「見せたい形」に整えるのではなく、後から説明できる形に整えておくことが大切です。
税務資料:税務リスクは価格と契約に直結する
税務資料は、単に申告が終わっているかどうかを確認するためのものではありません。
M&Aでは、過去の税務処理が、譲渡価格、表明保証、補償条項、そしてクロージング後の税務調査リスクにまで影響します。医療法人を法人格ごと承継する場合には、過去の税務リスクを買い手が引き継ぐ可能性があるため、特に慎重な確認が必要です。
| 税務資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 法人税・所得税申告書一式 | 所得計算、別表、内訳書、税務調整の確認 |
| 消費税申告書 | 課税・非課税売上、簡易課税、届出、自由診療の確認 |
| 源泉所得税納付資料 | 給与、非常勤医師、退職金、報酬の源泉処理確認 |
| 償却資産申告書 | 医療機器、内装、備品の地方税申告確認 |
| 税務調査歴 | 指摘事項、修正申告、更正、継続リスクの確認 |
| 役員給与・退職金資料 | 医療法人の決議、損金性、過大性の確認 |
| MS法人・関係者取引資料 | 取引実態、契約、価格、特別利益供与リスクの確認 |
| 社会保険診療報酬特例資料 | 措置法26条の適用、自由診療区分、総収入判定の確認 |
クリニックの第三者承継では、財務・税務デューデリジェンスを通じて、財政状態、収益力、資金繰り、税務否認のリスクを調べます。その結果は、リスクの測定や譲渡価格にも影響します。
相談前の段階で、税務リスクをすべて確定させておく必要はありません。しかし少なくとも、「何が未整理なのか」は把握しておきたいところです。
税務リスクを隠したまま進めてしまうと、デューデリジェンスで発見された時点で、価格の減額、補償の要求、契約の中止につながりやすくなります。
法人資料:医療法人では議事録と社員構成が重要になる
医療法人M&Aでは、法人資料の整理が欠かせません。
株式会社であれば、株主名簿や登記で株主・役員の関係を確認しやすいものです。一方で医療法人では、社員、理事、監事、理事長、出資持分、基金、定款、議事録、届出の整合性が問題になります。
相談前に整理しておきたい法人資料は、次のとおりです。
| 資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 定款 | 目的、診療所所在地、役員、社員、附帯業務、持分の有無の確認 |
| 登記事項証明書 | 法人名称、所在地、理事長、資産総額等の確認 |
| 社員名簿 | 社員構成、議決権、退社・入社履歴の確認 |
| 理事・監事名簿 | 役員構成、任期、就任承諾、欠格事由の確認 |
| 社員総会議事録 | 重要決議、役員選任、報酬、持分、定款変更の確認 |
| 理事会議事録 | 業務執行、重要契約、借入、報酬、承継承認の確認 |
| 事業報告書等 | 決算届、監事監査報告、関係事業者取引の確認 |
| 役員変更届 | 都道府県への届出状況確認 |
| 定款変更認可・届出資料 | 診療所、附帯業務、所在地変更等の確認 |
| 出資・基金資料 | 持分あり法人、基金拠出型法人の権利関係確認 |
医療法人では、過去の社員総会や理事会の議事録を通じて、社員・理事・出資者の地位が適切かどうかを確認することが重要です。とりわけ社員については、行政への届出事項ではない場合があるため、過去の議事録などで整理していく必要があります。
厚生労働省は、医療法人および地域医療連携推進法人について、毎会計年度の終了後3か月以内に、事業報告書等を都道府県知事へ届け出る必要があるとしています。また、医療法人については毎会計年度の終了後3か月以内、外部監査の対象となる法人については4か月以内に、経営情報等を報告する必要があるとされています。
出典:厚生労働省|医療法人に関する情報の調査及び分析等について
法人資料が未整備の医療法人は、M&Aの前に法人運営の棚卸しが必要になります。議事録や届出が不足している場合は、単に「後で作ればよい」と考えるのではなく、事実関係、決議の有無、届出状況、登記状況を確認したうえで整備していくべきです。
契約資料:不動産・リース・委託契約は承継可否を左右する
医療機関M&Aでは、診療所の場所、医療機器、電子カルテ、レセコン、検査会社、清掃、廃棄物処理など、多くの契約が診療の継続を支えています。
相談前に整理しておきたい契約資料は、次のとおりです。
| 契約資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 不動産賃貸借契約書 | 賃貸借承継、名義変更、再契約、保証金、原状回復の確認 |
| 不動産登記事項証明書 | 所有者、担保、権利関係の確認 |
| 医療機器リース契約 | 残債、名義変更、承継可否、中途解約金の確認 |
| 電子カルテ・レセコン契約 | ID、データ、保守、承継可否、システム移行の確認 |
| 検査会社契約 | 検査体制、集配、費用、承継可否の確認 |
| 医薬品・材料仕入契約 | 仕入条件、未払金、在庫、取引継続の確認 |
| 清掃・警備・廃棄物契約 | 医療廃棄物、感染性廃棄物、施設管理の継続確認 |
| 保守契約 | 医療機器、空調、消防設備、エレベーター等の確認 |
| 保険契約 | 医師賠償責任保険、火災保険、労災上乗せ保険等の確認 |
| 業務委託契約 | 事務、医事、給与、会計、Web、広告、コンサル契約の確認 |
クリニックの承継では、内装、医療機器、備品、薬品在庫、医院の名称、患者情報、スタッフ、リース、テナント契約などが、承継の対象になり得ます。一方で、前の開設者の時代に生じた未払金、税金、社会保険の預り金、リース残債などは、スキームによっては承継の対象外として整理されることもあります。
契約資料は、単に「あるかないか」を見るだけでは足りません。名義変更ができるか、相手方の承諾が必要か、違約金があるか、契約期間が残っているか、承継後も同じ条件で使えるかまで確認していく必要があります。
労務資料:スタッフ承継は、医療機関M&Aの中心論点である
医療機関の価値は、スタッフによって支えられています。
受付、医療事務、看護師、技師、歯科衛生士、事務長などが離職すると、患者対応、レセプト、検査、院内のオペレーションが一気に不安定になります。
相談前に整理しておきたい労務資料は、次のとおりです。
| 労務資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 従業員名簿 | 氏名、年齢、職種、資格、勤務形態、勤続年数の確認 |
| 雇用契約書・労働条件通知書 | 給与、勤務時間、休日、職務内容の確認 |
| 就業規則 | 労働時間、服務規律、休職、退職、懲戒、退職金の確認 |
| 賃金規程・賞与規程 | 給与体系、賞与、手当、固定残業代の確認 |
| 退職金規程 | 退職金債務、承継時の精算、将来負担の確認 |
| 給与台帳 | 給与水準、社会保険、源泉、残業代の確認 |
| 勤怠資料 | 労働時間、残業、休日勤務、未払賃金リスクの確認 |
| 有給休暇管理簿 | 有休残日数、承継時の取扱い確認 |
| 社会保険・労働保険資料 | 加入状況、保険料、手続漏れの確認 |
| 労務トラブル資料 | ハラスメント、休職、退職勧奨、解雇、紛争の確認 |
医療機関の承継で求められる資料を見ても、組織図、理事長・院長・部門長の経歴書、医師資格に関する書類、従業者名簿、院内規程、給与台帳などが、人事関係の資料として挙がってきます。
事業譲渡の場合、労働契約の承継には、労働者一人ひとりの個別の同意が必要となる場面があります。厚生労働省は、「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」が改正され、2026年5月25日から適用されることを公表しています。医療機関の事業譲渡でも、スタッフへの説明、雇用を続ける意思の確認、労働条件、退職金、有給休暇、社会保険の整理は、早い段階で確認しておきたい論点です。
出典:厚生労働省|「事業譲渡又は合併を行うに当たって会社等が留意すべき事項に関する指針」の一部改正について
スタッフに、いつ、誰が、どの順番で説明するか。これは、M&Aの相談前から意識しておきたいところです。情報漏えいを恐れるあまり説明が遅れすぎると、承継後に不信感が残ります。一方で、早すぎる説明は混乱や離職につながりかねません。タイミングと説明の内容は、スキームや進行段階に応じて設計していく必要があります。
医療制度・行政資料:保険診療を継続できるかを確認する
医療機関M&Aでは、行政手続と保険診療の継続性が重要です。
買い手側が最も気にするのは、「承継した初日から診療できるのか」「保険診療を請求できるのか」「施設基準は維持できるのか」という点です。
相談前に整理しておきたい行政・医療制度資料は、次のとおりです。
| 資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 診療所開設届・開設許可資料 | 開設者、管理者、所在地、構造設備の確認 |
| 保険医療機関指定通知書 | 保険診療の指定状況確認 |
| 保険医登録資料 | 管理者・勤務医の保険医登録確認 |
| 施設基準届出資料 | 算定している基本診療料・加算の確認 |
| 施設基準の根拠資料 | 人員、研修、記録、掲示、勤務実績の確認 |
| 平面図・敷地図 | 開設届、構造設備、厚生局・保健所対応の確認 |
| X線・放射線関係資料 | X線装置、漏えい線量測定、放射線防護図等の確認 |
| 医療機器台帳 | 設備、更新時期、保守、リースの確認 |
| 個別指導・適時調査資料 | 指摘事項、返還、再発防止状況の確認 |
| 行政届出履歴 | 管理者変更、診療科変更、法人変更、施設基準変更の確認 |
関東信越厚生局の東京事務所では、保険医療機関・保険薬局の指定、保険医・保険薬剤師の登録、施設基準の届出などに関する手続きが案内されています。東京で医療機関M&Aを検討する場合も、保健所、都道府県、地方厚生局の手続きを、それぞれ分けて確認していく必要があります。
また、保険医療機関の指定申請、指定申請事項の変更、管理者の変更などについては、関東信越厚生局が申請・届出の手続きを公表しています。
出典:関東信越厚生局|保険医療機関・保険薬局の指定等に関する申請・届出
医療機関の承継では、施設基準の届出書類、患者数、部門別・診療科別・医師別の医業利益、仕入の内訳、診療内容を示す資料なども、確認の対象になります。
相談前に「施設基準は問題ありません」と言えるかどうかではなく、その根拠資料を提示できるかどうかが重要です。
カルテ・患者情報:承継可能性と説明責任を分けて考える
医療機関M&Aでは、カルテや患者情報の取扱いも重要です。
個人情報保護委員会は、医療機関の廃止などにより別の医療機関が業務を承継する場合について、次のような整理を示しています。診療録等の個人データの提供は、「合併その他の事由による事業の承継に伴って個人データが提供される場合」に該当します。この場合、承継先の医療機関は第三者には当たらないため、患者の同意がなくても提供できる、という整理です。
出典:個人情報保護委員会|医療機関の廃止等の理由により、別の医療機関が業務を承継することになりましたが、診療録等の個人データを提供する際に、患者の同意が必要なのでしょうか。
ただし、同意が不要と整理される場面があることと、患者さんへの説明を軽視してよいことは、まったくの別問題です。
相談前には、次の点を整理しておきたいところです。
| 論点 | 確認内容 |
|---|---|
| カルテの形態 | 紙カルテ、電子カルテ、画像、検査結果、同意書 |
| 保管場所 | 院内、クラウド、外部サーバー、バックアップ |
| システム契約 | 電子カルテ・レセコンの名義変更、データ移行、閲覧権限 |
| 患者説明 | 承継後も診療情報を引き継ぎ、継続診療に用いることの説明 |
| アクセス権限 | 退職者ID、管理者権限、委託業者権限の棚卸し |
| 開示請求 | 患者からカルテ開示請求があった場合の窓口 |
| 情報漏えいリスク | データ持出し、USB、紙資料、旧端末の管理 |
買い手候補に患者情報を開示する場合も、初期検討の段階で、個人を識別できる情報を安易に提供すべきではありません。ノンネーム段階、秘密保持後、DD段階と、開示する範囲を分けていくことが必要です。
リスク情報は、隠すより早く整理したほうがよい
M&Aの相談前には、良い情報だけでなく、リスク情報も整理しておく必要があります。
売り手側としては、税務調査、労務トラブル、施設基準、医療事故、未払金、親族問題、MS法人取引などは、話しにくいかもしれません。しかし、これらはいずれも、デューデリジェンスで確認されやすい項目です。
| リスク情報 | 相談前に整理すべきこと |
|---|---|
| 税務調査 | 過去の調査、指摘事項、修正申告、継続リスク |
| 労務問題 | 未払残業、退職勧奨、ハラスメント、休職、紛争 |
| 施設基準 | 届出内容、要件充足、記録不足、返還可能性 |
| 医療事故・苦情 | 訴訟、示談、保険対応、再発防止策 |
| 未払金・滞納 | 仕入、税金、社会保険、リース、家賃 |
| 関係者取引 | MS法人、不動産賃貸、親族給与、業務委託 |
| 法人運営 | 議事録不足、社員不明、役員任期、登記未了 |
| 親族・相続 | 出資者、非医師相続人、遺留分、親族間合意 |
| 反社会的勢力 | 契約先、役員、関係者確認 |
| 風評・口コミ | 行政指導、患者クレーム、SNS・口コミ傾向 |
リスク情報は、M&Aを壊すために整理するのではありません。リスクを事前に把握し、価格、契約、補償、PMI、承継後の対応に反映していくために整理します。
隠したまま進めれば、いずれ信頼を失います。早めに整理しておけば、対応策を考える余地が残ります。
ノンネームシート・概要資料で整理すべき項目
買い手探索の初期段階では、医療機関名を伏せたノンネームシートや概要資料を使うことがあります。
ノンネームシートは、単なる広告資料ではありません。買い手候補が「詳細な検討に進むべきかどうか」を判断するための、入口となる資料です。
相談前に、次の項目を整理しておくと、専門家との打ち合わせもスムーズに進みます。
| 項目 | 記載・整理のポイント |
|---|---|
| 所在地 | 都道府県、市区町村、駅距離など。特定されすぎない範囲で整理 |
| 診療科 | 主たる診療科、標榜科、自由診療・在宅の有無 |
| 開設形態 | 個人、医療法人、持分あり、持分なし、基金拠出型 |
| 施設形態 | 無床、有床、病床数、テナント、自己所有 |
| 売上規模 | 過去数年の概算売上、直近期の状況 |
| 利益水準 | 院長報酬控除前後、実態利益の考え方 |
| 患者数 | 外来数、初診、再診、在宅患者、健診等 |
| スタッフ | 職種別人数、常勤・非常勤、継続雇用希望 |
| 医師体制 | 院長、非常勤医師、承継後関与の可否 |
| 譲渡対象 | 内装、医療機器、営業権、持分、法人、事業 |
| 希望条件 | 価格、時期、雇用、名称、前院長関与 |
| 注意事項 | 借入、リース、行政手続、施設基準、税務・労務リスク |
相談前に完璧な資料を作る必要はありません。ただ、概要資料の段階で矛盾が多いと、買い手候補からの信頼を得にくくなってしまいます。
希望譲渡価格は「根拠」とセットで整理する
相談前に希望譲渡価格を持っておくこと自体は、問題ありません。
ただし、「このくらいで売りたい」という希望額と、M&Aの場で説明できる価格とは、別のものです。
譲渡価格を考えるときには、次の要素を分けて整理します。
| 価格要素 | 確認内容 |
|---|---|
| 時価純資産 | 現預金、未収金、固定資産、借入、未払金、リース残債 |
| 医療機器・内装 | 簿価、時価、使用可能年数、更新必要性 |
| 営業権 | 患者基盤、診療圏、スタッフ、紹介元、収益力 |
| 院長依存度 | 前院長退任後も収益が残るか |
| 借入返済 | 譲渡対価で返済したい借入があるか |
| 税金 | 譲渡所得、法人税、消費税等の影響 |
| リスク調整 | 労務、税務、施設基準、設備更新、患者離れの可能性 |
| 買い手の投資回収 | 買収資金、運転資金、返済、PMI費用を回収できるか |
希望価格は、売り手側の生活設計や借入返済額から出てくることがあります。一方で買い手側は、承継後の収益力、投資の回収、追加のリスクを見ています。
この差を埋めていくためにも、相談前から価格の根拠を整理しておく必要があります。
希望時期は、行政手続・スタッフ説明・資金繰りとセットで見る
「できるだけ早く譲渡したい」というご希望は、よくお聞きします。
しかし医療機関M&Aでは、希望時期だけでスケジュールが決まるわけではありません。行政手続、基本合意、デューデリジェンス、契約、スタッフ説明、患者説明、保険医療機関の指定、施設基準、金融機関対応、税務処理を、あわせて考慮する必要があります。
| 時期に関する論点 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 引退時期 | 院長がいつまで診療可能か |
| 買い手探索期間 | 候補者探索、面談、基本合意にどれくらいかかるか |
| DD期間 | 資料提出、質問対応、現地確認の期間 |
| 行政手続 | 保健所、厚生局、都道府県、登記の手続 |
| スタッフ説明 | 告知時期、雇用条件提示、個別同意 |
| 患者説明 | 院内掲示、Web、紹介元、在宅患者への説明 |
| 金融機関対応 | 借入返済、担保、保証、追加融資 |
| 税務上の時期 | 事業年度、消費税、譲渡所得、退職金、役員報酬 |
| PMI | 前院長関与期間、引継ぎ期間、月次管理開始時期 |
希望時期を整理するときは、「いつ契約したいか」だけではなく、「いつ安全に診療を引き継げるか」を基準に考えることが大切です。
売り手側の相談前チェックリスト
売り手側は、次のチェックリストをもとに、ご自身の医療機関の状態を棚卸ししてみてください。
| 分類 | 相談前チェック |
|---|---|
| 譲渡理由 | なぜM&Aを検討するのか説明できる |
| 希望条件 | 価格、時期、スタッフ、患者、名称、院長関与の希望を整理している |
| 財務 | 過去3期以上の決算書・申告書を準備できる |
| 月次 | 直近月次試算表、売上内訳、患者数を確認できる |
| 資金 | 借入金、リース、未払金、資金繰りを一覧化している |
| 税務 | 税務調査歴、消費税、源泉、償却資産、役員給与等を整理している |
| 法人 | 定款、登記、社員・理事・監事、議事録、決算届を確認している |
| 契約 | 不動産、医療機器、システム、委託契約を一覧化している |
| 労務 | 従業員名簿、雇用契約、就業規則、給与台帳を準備できる |
| 行政 | 開設届、保険医療機関指定、施設基準、変更届を確認している |
| 患者情報 | カルテ、電子カルテ、個人情報管理、承継説明を整理している |
| リスク | 税務、労務、施設基準、紛争、親族問題を隠さず整理している |
| 相談体制 | 顧問税理士、弁護士、社労士、行政書士との役割分担を確認している |
すべてが整っていなければ相談できない、というわけではありません。むしろ、未整備なものを早く把握するためにこそ、相談する価値があります。
大切なのは、「何が整っていて、何が未整備か」を、ご自身の医療機関で把握しておくことです。
買い手側の相談前チェックリスト
買い手側も、案件の紹介を受ける前に、次の点を整理しておく必要があります。
| 分類 | 相談前チェック |
|---|---|
| 買収目的 | なぜ買収するのか、成長戦略との関係を説明できる |
| 対象条件 | 地域、診療科、規模、価格帯、医師体制を整理している |
| 資金計画 | 自己資金、借入、運転資金、追加投資を見込んでいる |
| 管理体制 | 月次決算、労務、レセプト、施設基準を管理できる |
| 医師確保 | 管理者、常勤医、非常勤医師、前院長関与を想定している |
| DD方針 | 財務、税務、法務、労務、医療法務の確認体制がある |
| PMI方針 | スタッフ説明、患者説明、院内ルール統合を想定している |
| リスク許容 | 税務、労務、設備、患者離れ、収益低下をどこまで許容するか整理している |
| 金融機関対応 | 買収資金の相談先、返済可能性、事業計画を準備している |
| 相談体制 | 公認会計士、税理士、弁護士、社労士、行政書士との連携を想定している |
買い手側がこの整理をしておくと、案件を見たときに、「買えるか」「買うべきか」「買った後に運営していけるか」を、それぞれ分けて判断できるようになります。
相談前に避けたい典型的な失敗
医療機関M&Aの相談前には、次のような失敗が起きやすくなります。
| 失敗 | なぜ問題か |
|---|---|
| 価格だけを先に知ろうとする | 譲渡対象、利益、リスク、承継後収益が不明では価格判断できない |
| 決算書だけで説明しようとする | 直近月次、患者数、未収金、資金繰りが見えない |
| 借入・リースを後回しにする | クロージング条件や譲渡対価に影響する |
| スタッフ情報を整理していない | 継続雇用、退職金、有休、未払残業リスクが判断できない |
| 議事録がないまま医療法人M&Aを進める | 社員・理事・意思決定の正当性確認に支障が出る |
| 施設基準を「問題ない」と口頭で済ませる | 根拠資料がなければ買い手は判断できない |
| 税務リスクを隠す | DDで発見されると信頼・価格・契約に悪影響が出る |
| 情報管理を軽視する | 患者情報、スタッフ情報、取引情報の漏えいにつながる |
| 仲介・FA任せにする | 手数料、利益相反、支援範囲、契約リスクを自院で判断できない |
| 承継後を考えない | PMIでスタッフ離職、患者離れ、管理不全が起きる |
M&A相談前の整理は、専門家にきれいな資料を見せるための作業ではありません。自院の状態を事実に基づいて説明し、将来の承継の可能性を高めていくための作業です。
まとめ:相談前整理は、医療機関を「説明できる状態」にすること
医療機関M&Aを相談する前に整理しておきたいことは、多岐にわたります。
譲渡理由。 希望条件。 決算書。 月次資料。 借入。 契約。 議事録。 従業員。 施設基準。 税務リスク。 希望時期。 そして、患者さんとスタッフをどう引き継ぐか。
これらは、M&Aのためだけに必要なものではありません。日常の医療機関経営においても、本来は経営者が把握しておくべき情報です。
M&Aは、医療機関の管理水準を映し出します。
月次決算が遅ければ、収益力を説明できません。 契約書がなければ、承継の対象を説明できません。 議事録がなければ、法人運営を説明できません。 労務資料がなければ、スタッフの承継を説明できません。 施設基準資料がなければ、診療報酬の前提を説明できません。 税務リスクを整理していなければ、譲渡価格や契約条件を説明できません。
医療機関M&Aの相談前整理とは、自院を売る準備であると同時に、自院を長く続けていくための、経営管理の棚卸しでもあります。
守りの仕組みを整えておくことは、成長や承継の選択肢を広げることにつながります。
M&Aを検討する段階で初めて慌てるのではなく、日頃から第三者に説明できる数字と資料を整えておくこと。それが、医療機関の価値を守る基盤になります。
重要事項の振り返り
| 重要論点 | 相談前に整理すべきポイント |
|---|---|
| 譲渡理由 | 年齢、後継者不在、経営方針、健康、分院整理などを明確にする |
| 希望条件 | 価格、時期、スタッフ、患者さん、名称、前院長関与を整理する |
| 決算書 | 過去3〜5期分の決算書・申告書を準備する |
| 月次資料 | 直近業績、売上内訳、患者数、未収金を確認する |
| 借入・資金 | 借入金、リース、未払金、資金繰りを一覧化する |
| 契約 | 不動産、医療機器、電子カルテ、検査、委託契約を確認する |
| 法人資料 | 定款、登記、社員・理事・監事、議事録、決算届を整える |
| 労務資料 | 従業員名簿、雇用契約、就業規則、給与台帳、勤怠を確認する |
| 施設基準 | 届出書、根拠資料、人員、記録、返還リスクを確認する |
| 税務リスク | 税務調査歴、消費税、源泉、役員給与、関係者取引を整理する |
| 患者情報 | カルテ、電子カルテ、個人情報、患者説明方針を確認する |
| 買い手側準備 | 買収目的、資金計画、医師体制、PMI方針を整理する |
| 情報管理 | 初回相談、秘密保持後、DD段階で開示範囲を分ける |
| 専門家連携 | 公認会計士、税理士、弁護士、社労士、行政書士の役割を分ける |
| 最終目的 | M&Aを進める前に、自院を第三者に説明できる状態にする |
医療機関M&Aの相談前整理に不安がある方へ
医療機関M&Aを検討し始めた段階では、まだ方針が固まっていなくても構いません。
ただし、相談を有意義なものにするためには、譲渡理由、希望条件、決算書、月次資料、借入、契約、議事録、従業員、施設基準、税務リスク、希望時期を、できる範囲で整理しておくことが大切です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、医療機関M&Aについて、単なる価格算定や税務申告にとどまらず、財務・税務・会計・資金繰り・月次管理・医療法人運営・承継前の資料整備という観点から、経営者が判断に使える資料整理を支援しています。
「M&Aを検討したいが、何から整理すべきか分からない」 「決算書や月次資料が、買い手や専門家に説明できる状態か不安がある」 「医療法人の議事録、借入、リース、スタッフ、施設基準、税務リスクを整理したい」 「売却だけでなく、廃業・親族承継・第三者承継の選択肢を比較したい」
このような段階でも、早めに論点を整理しておくことで、将来の選択肢は広がっていきます。
医療機関M&Aの相談前整理について確認したい方は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。