正常収益力とは何か|一時的な利益ではなく、継続的に稼ぐ力を見る

M&Aで会社の価格を考えるとき、まず目に入りやすいのは、直近期の売上や営業利益、経常利益、当期純利益といった数字でしょう。

ただ、価格判断で本当に問われるのは、「直近の決算でいくら利益が出たか」だけではありません。

より大切なのは、その利益が今後も続いていく性質のものなのか、それとも現在のオーナーや一時的な事情に支えられたものなのか、そして買主に引き継がれた後も同じように生み出せるものなのか、という点です。

会社が平常時に、継続して生み出せる収益力。M&Aの実務では、これを一般に「正常収益力」と呼んでいます。

正常収益力は、会計上の利益を言い換えただけのものではありません。過去の実績、財務の実態、事業の構造、そして将来の見通しを踏まえながら、「この会社は本来どれだけ稼ぐ力を持っているのか」を整理していく。企業価値評価のために、そうした視点で利益を捉え直す考え方です。

企業価値評価では、評価の目的、評価対象、評価基準日、価値を形づくる要因、そして用いる基礎資料を踏まえたうえで、評価手法を選んでいく必要があります。とりわけインカム・アプローチでは、将来キャッシュ・フローの見通しが評価の中心になりますから、過去の利益をどう読み替えるかが大きな意味を持ちます。

出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン

目次

正常収益力は「利益をきれいに見せるための調整」ではない

正常収益力という言葉は、売主側で「一時的な費用を除けば、もっと利益が出ている」と説明するために使われることがあります。反対に買主側では、「実際にはこの利益は続かない」と評価を引き下げる文脈で持ち出されることもあります。

しかし本来の正常収益力分析は、売主に都合のよい利益をつくる作業でも、買主に都合のよい利益をつくる作業でもありません。

その目的は、取引価格の前提として使える利益を、できるだけ実態に近づけることにあります。

そのためには、次のような問いを避けて通れません。

  • この利益は、毎期継続して発生するものか
  • この費用は、買収後も必要になるものか
  • この売上は、特定の顧客・契約・人物に依存していないか
  • この利益率は、通常の取引条件を反映したものか
  • 会計処理によって、利益が前倒しや後ろ倒しになっていないか
  • オーナー個人の努力や信用、関係性が、どの程度収益を支えているか

正常収益力を見るとは、損益計算書の数字を修正することではありません。利益が、来期以降も同じように生み出せるものなのか——その再現性を確かめる作業です。

なぜ直近期利益だけで価格を判断してはいけないのか

M&Aの現場では、直近期の利益に一定の倍率を掛けて、おおまかな価格の目線を立てることがあります。特に中小M&Aでは、営業利益やEBITDAをもとにした説明が用いられる場面も少なくありません。

ただ、直近期の利益だけを基準にしてしまうと、価格判断を誤る恐れがあります。

たとえば、直近期だけ業績が良かった場合。その利益が、一時的な大型受注や補助金、在庫評価、価格転嫁の遅れ、費用計上の先送りなどによって生じている、ということもあり得ます。

逆に、直近期だけ業績が悪かった場合でも、一時的な修繕費や退職金、訴訟関連費用、あるいは災害・感染症・供給制約といった影響で、本来の収益力より低く見えているだけ、ということもあります。

大切なのは、「良かった」「悪かった」という結論ではなく、その理由のほうです。

直近期の利益が高くても、それが続く根拠がなければ、将来キャッシュ・フローやマルチプル評価の基礎にするには慎重であるべきでしょう。一方、直近期の利益が低くても、それが一過性のものだと資料と事実で説明できるなら、評価のうえで補正を検討する余地があります。

評価に使う利益は、決算書上の利益そのものではなく、価格判断に耐えられる利益でなければなりません。

正常収益力を見るときの基本的な順番

正常収益力を整理するときは、いきなり調整額を置くのではなく、踏むべき順番があります。

まず、過去の損益推移を確認します。売上、粗利、営業利益、経常利益、当期純利益が、それぞれどう動いてきたかを見ていきます。ここでは単年度の利益水準だけでなく、増減の理由や利益率の変化、費用構造の変化に目を向けることが欠かせません。

次に、一過性・非経常の損益を洗い出します。特別利益・特別損失だけでなく、営業損益や販管費の中に紛れ込んでいる一時的な項目も確認していきます。

そのうえで、オーナー企業ならではの調整を検討します。役員報酬、親族給与、関連当事者取引、役員貸付金・役員借入金、会社負担でありながら私的な性格が疑われる支出、オーナー所有資産の利用条件などです。

さらに、買収後に必要となる費用を見ます。現オーナーが無償または低額で担っていた役割を、買収後に誰かが引き継ぐのであれば、その人件費や管理コストは評価上、考慮しておくべきものです。売主側が「役員報酬を減らせば利益が増える」と考えていても、買主側からすれば「その分の経営機能を、いったい誰が担うのか」が問われることになります。

最後に、将来見通しとの整合性を確認します。過去の正常収益力が、そのまま将来も続くとは限りません。顧客基盤、商品力、人材、設備、競争環境、価格改定、原価上昇、後継体制——こうした要素を踏まえ、将来キャッシュ・フローの基礎として使える水準なのかを見極めます。

中小M&Aにおいても、バリュエーションは単独で完結する工程ではなく、事前準備、見える化、磨き上げ、DD、交渉、最終契約と連なるなかで進んでいきます。中小企業庁の中小M&Aガイドラインでも、手続の流れのなかにバリュエーション、DD、最終契約が位置づけられ、公認会計士・税理士による支援内容として、財務書類の作成支援やバリュエーション、財務DD、税務DDなどが整理されています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン(第3版)

一過性損益は、単に除外すればよいわけではない

正常収益力の調整のなかで、最も分かりやすいのが一過性損益の整理です。

一時的な設備修繕費、移転費用、訴訟対応費用、災害損失、保険金収入、固定資産の売却損益、補助金収入、役員退職金。これらは、毎期続く損益とは性質が異なります。そのため、評価に使う利益からは除外したり、別途調整したりすることがあります。

ただし、「一過性だから、すべて除外する」と考えるのは危険です。

たとえば修繕費が一時的に多額であっても、設備の老朽化が恒常的な問題であるなら、将来も維持更新の投資や修繕費が必要になるかもしれません。退職金が一時の支出だったとしても、人材の入れ替わりや後継者不在が構造的な課題なのであれば、単純に除外するだけでは不十分でしょう。

補助金収入や特別な受注で利益が上振れしている場合も同じです。その収益が再現できないものなら、継続利益として扱うべきではありません。

正常収益力の分析では、「一時的かどうか」だけでなく、「その背景に、継続的なリスクや必要なコストが潜んでいないか」まで確かめておく必要があります。

非経常損益は、損益計算書の表示区分だけでは判断できない

非経常損益というと、特別利益・特別損失を思い浮かべるかもしれません。しかし、M&Aの価格判断では、表示区分だけで判断するのは不十分です。

営業外損益や特別損益に表示されていなくても、営業利益のなかに一時的な要因が含まれていることがあります。

たとえば、通常より大きな値引き、在庫処分、過年度分の費用精算、特定顧客向けのスポット取引、外注費の一時的な圧縮、広告宣伝費の先送り。こうしたものは、営業利益に直接影響します。

逆に、特別損失に表示されている項目でも、事業を続けていくうえで周期的に発生する性質を持つなら、評価上はある程度織り込むべき場合もあります。

ですから正常収益力を見るときは、損益計算書の科目名ではなく、その発生原因、再発する可能性、金額の重要性、将来への影響に目を向ける必要があります。

役員報酬の調整は、売主・買主で見方が分かれやすい

オーナー企業のM&Aでは、役員報酬の調整が正常収益力に大きく影響することがあります。

役員報酬が、同業・同規模の経営機能に比べて高い場合には、過大な部分を調整し、利益を引き上げて見る余地があります。反対に、現オーナーが低い報酬で多くの経営機能を担っているなら、買収後に同じ機能を維持するための人件費や外部委託費を、追加で見込んでおく必要があります。

ここで大切なのは、役員報酬を「高いか低いか」だけで判断しないことです。

見るべきなのは、報酬と職務の対応関係です。

  • 営業を担っているのか
  • 技術・製造を見ているのか
  • 資金繰りや金融機関対応、採用、主要顧客との関係維持を担っているのか
  • 買収後に、その機能は残るのか、移転できるのか、それとも代替コストが必要になるのか

売主側からは「役員報酬を除けば利益が出る」と説明されることがあります。けれども買主側からすれば、オーナーが抜けた後に、誰がその役割を担うのかが問題になります。

正常収益力の調整では、役員報酬の金額だけでなく、オーナーへの依存度を同時に評価しなければなりません。

関連当事者取引は、利益を歪めることがある

中小企業やオーナー企業では、会社と役員、親族、関係会社、オーナー所有不動産、グループ会社とのあいだに取引が存在することがあります。

代表的なものとしては、役員や関係会社への賃料、外注費、業務委託費、貸付金利息、仕入・販売取引、保証料、資産利用料などが挙げられます。

これらがすべて問題だ、というわけではありません。問題になるのは、取引条件が通常の第三者間取引と異なる場合です。

賃料が相場より低ければ、実際の収益力は高く見えているかもしれません。外注費が関係会社に有利な条件で設定されていれば、利益は低く見えているかもしれません。逆に、オーナー所有の資産を無償に近い形で使っている場合には、買収後に適正な賃料負担が生じる可能性があります。

M&Aの価格判断で必要なのは、「現在の損益が、そのまま買収後の損益として再現されるか」という視点です。

関連当事者取引は、決算書上は通常の費用・収益として処理されていても、取引条件を見直してみると正常収益力が変わってくることがあります。

会計処理の違いも、正常収益力に影響する

正常収益力を見るうえでは、会計処理の確認も欠かせません。

売上計上のタイミング、工事進行・検収・納品の基準、返品・値引き・リベート、在庫評価、貸倒引当、減価償却、修繕費と資本的支出の区分、未払費用、賞与引当、退職給付、リース、外注費の計上時期。こうした処理は、いずれも利益の水準に影響します。

会計処理が適切かどうかは、税務申告上で問題がないかという視点だけでは足りません。企業価値評価に使う利益として、期間帰属が適切か、将来の収益力を歪めていないかを確かめる必要があります。

収益認識については、顧客との契約から生じる収益に関する会計処理および開示を定めた企業会計基準第29号「収益認識に関する会計基準」が公表されています。評価の実務では、対象会社が適用している会計基準、収益計上の方針、契約条件、そして実際の運用を踏まえて、売上・利益の期間帰属を確認していくことが大切です。

出典:企業会計基準委員会|企業会計基準第29号 収益認識に関する会計基準

なお、会計処理の確認は、本記事の主題である正常収益力分析と密接に関わるものですが、粉飾決算の調査や財務DDそのものとは異なります。疑義が大きい場合には、別途、財務DDや会計不正調査の観点から深く掘り下げるべきでしょう。

継続利益を見るときは、売上よりも「利益の質」を見る

正常収益力は、売上規模だけでは判断できません。

売上が伸びていても、粗利率が低下していれば、競争環境の悪化や価格転嫁の不足が起きているのかもしれません。営業利益が増えていても、それが広告宣伝費や採用費、修繕費、開発費、管理部門コストを抑え込んだ結果であるなら、将来の維持可能性には疑問が残ります。

利益率が高い場合でも、その源泉を確認しておく必要があります。

高い利益率が、独自技術やブランド、顧客基盤、許認可、効率的な業務体制によって支えられているのなら、正常収益力として評価しやすくなります。一方で、それがオーナー個人の営業力や、特定顧客との属人的な関係、下請先への過度な依存、従業員の過重労働、設備更新の先送りによって支えられているのなら、その利益をそのまま将来へ引き伸ばすことはできません。

M&Aの評価で見るべきなのは、過去に利益が出たという事実だけではなく、その利益を生んだ仕組みのほうです。

正常収益力はDCFにもマルチプルにも影響する

正常収益力は、特定の評価手法だけに関わるものではありません。

DCFでは、将来フリー・キャッシュ・フローの出発点になります。正常収益力を高く見積もれば将来キャッシュ・フローも高くなり、評価額は上がります。逆に低く見れば、評価額は下がります。

フリー・キャッシュ・フロー法では、将来の営業フリー・キャッシュ・フローを基礎に事業価値を計算します。営業フリー・キャッシュ・フローは、税引後営業利益に減価償却費を加え、そこから投資支出や運転資本の増加額を控除して求める、という考え方が示されています。つまり、営業利益の正常化だけでなく、設備投資や運転資本まで含めて見なければ、価値判断としては不十分だということです。

出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号 企業価値評価ガイドライン

マルチプル評価でも、考え方は同じです。

EV/EBITDA倍率を使う場合、倍率そのものよりも、分母となるEBITDAが正常化されているかが重要になります。一時的に上振れしたEBITDAに倍率を掛ければ、価格は過大になりやすくなります。反対に、一時的な費用を含んだままのEBITDAをそのまま使えば、今度は価格が過小になりかねません。

正常収益力は、いわば「評価手法に入る前の前提」です。しかし実際には、評価額の全体を大きく左右します。

売主側の正常収益力と買主側の正常収益力は一致しないことがある

正常収益力は、売主と買主とで見方が異なることがあります。

売主は、会社が積み重ねてきた過去の努力や、一時的な不運を踏まえて、「本来はもっと利益が出るはずだ」と考えがちです。一方の買主は、買収後に自社が引き受けるリスクや追加コストを踏まえて、「その利益は、本当に引き継げるのか」と見ます。

この違いは、どちらかが間違っているというよりも、立場の違いから生まれるものです。

売主にとっての正常収益力は、現在の会社が本来持っている稼ぐ力を説明するものです。買主にとっての正常収益力は、自社が買収した後に実現できる利益水準を見極めるものです。

たとえば、現オーナーの営業力によって維持されている売上は、売主側から見れば会社の確かな実績です。けれども買主側から見れば、それはオーナーが退任した後にも残るのかどうかを、確認しておかなければならない売上ということになります。

このように、正常収益力は一つの絶対値ではありません。評価の目的、取引条件、売主・買主それぞれの前提によって、判断のレンジが生じます。

だからこそ、評価額を一つの数字として断定するのではなく、どの前提に立った正常収益力なのかを明確にしておく必要があります。

企業価値評価における「価値」は、価格そのものではなく、前提条件にもとづく判断材料です。価格は、売り手と買い手の交渉を通じて決まっていくもの。したがって正常収益力もまた、取引価格を説明するための前提として位置づけておくべきものなのです。

正常収益力を高く見積もりすぎると、何が起きるか

正常収益力を高く見積もりすぎると、買主は過大な価格を支払うことになりかねません。

買収後に想定どおりの利益が出なければ、のれんや投資回収、借入返済、社内説明、株主説明に影響が及びます。金融機関からの借入を伴う場合には、返済原資の見通しにも関わってきます。買収後の収益が想定を下回れば、当初見込んでいた投資効果が実現しないだけでなく、事業運営上の制約まで生じてしまいます。

売主側にとっても、正常収益力を過度に強く主張することが、必ずしも有利とは限りません。後のDDや交渉で「根拠が乏しい」と判断されれば、買主の信頼を損ね、価格交渉や契約条件で不利になる可能性があります。

評価は、見せたい金額をつくるための作業ではありません。後から説明できる前提を、一つずつ積み上げていく作業です。

正常収益力を低く見積もりすぎると、何が起きるか

一方で、正常収益力を低く見積もりすぎると、今度は売主が本来の価値を十分に説明できなくなります。

直近期だけ利益が低い場合でも、その原因が一時的なものであり、しかも資料で説明できるのであれば、価格判断に反映すべきです。売主がこの整理をしないまま交渉に入ると、買主側の保守的な見方だけが、そのまま価格に反映されてしまうことがあります。

特に事業承継や中小M&Aでは、決算書上の利益が、オーナー企業ならではの事情によって歪んでいることがあります。役員報酬、親族給与、会社保有資産、関連当事者取引、節税目的の費用処理。こうしたものが混ざり合っていると、決算書上の利益だけでは、稼ぐ力を説明しづらくなります。

ただし、調整を主張するなら、相応の根拠が必要です。

「本当はもっと利益が出る」という説明だけでは足りません。どの費用が一時的なのか、どの収益が継続するのか、買収後にどのコストが残るのか。これらを、資料と事実にもとづいて整理していく必要があります。

正常収益力の分析で確認すべき主な論点

正常収益力を整理する際には、少なくとも次の観点を確認しておきたいところです。

売上の継続性

売上が、特定の顧客・商品・契約・担当者に偏っていないかを確認します。売上が伸びていても、それが継続契約によるものなのか、単発取引なのか、価格改定の影響なのか、数量増加なのかによって、意味は変わってきます。

粗利率の安定性

粗利率は、価格競争、原材料費、人件費、外注費、在庫評価、商品構成といった要因に左右されます。売上が増えていても粗利率が下がっているなら、利益の質は低下しているのかもしれません。

固定費の適正水準

人件費、地代家賃、広告費、システム費、管理費などが、将来も必要になるのかを確認します。買収前に費用を一時的に抑えている場合、買収後に必要なコストが元に戻ることもあります。

一過性・非経常損益

単年度の特殊要因を洗い出します。ただし、単純に除外するのではなく、その背景に構造的な問題が潜んでいないかを確かめます。

役員報酬・オーナー依存

役員報酬の過不足だけでなく、オーナーの職務、退任後の代替可能性、後継体制までを確認します。

関連当事者取引

親族、役員、関係会社、オーナー所有資産との取引条件が、通常の取引条件と比べて適正かを確認します。

会計処理・期間帰属

売上、費用、在庫、引当、減価償却、資本的支出などの処理が、利益を歪めていないかを確認します。

キャッシュ・フローへの接続

利益が出ていても、売掛金の回収、在庫、設備投資、運転資本の増加によって、手元にキャッシュが残らないことがあります。正常収益力は、最終的には将来キャッシュ・フローの検討へとつながっていきます。

正常収益力は「調整後利益」だけで完結しない

正常収益力の分析を進めると、調整後営業利益や調整後EBITDAといった数値が出来上がることがあります。

しかし、その数値だけを見て判断するのは危険です。

大切なのは、調整後の金額ではなく、調整の理由のほうです。

  • どの項目を調整したのか
  • なぜ調整するのか
  • その調整は、売主・買主どちらの前提に立つものなのか
  • 買収後にも、同じ前提が成立するのか
  • 資料で裏づけられるのか
  • 税務・会計・契約上の論点と矛盾しないか

調整後利益は、あくまで判断材料であって、取引価格そのものではありません。

M&Aでは、DDによって見つかった事項が、価格や契約条件に反映されていきます。財務DDは、対象会社の過去の損益・キャッシュ・フローの実績、現在の財務状況、将来の事業計画の基礎情報を把握する、重要な機会とされています。正常収益力分析は、その前段、あるいは一部として、価格判断に使う利益水準を整理する役割を担います。

専門家に相談する前に整理しておきたい資料

正常収益力の検討を専門家に相談する際には、次のような資料があると、論点の整理が進みやすくなります。

  • 直近数期分の決算書・勘定科目内訳書
  • 月次試算表
  • 税務申告書
  • 売上先別・商品別・部門別の売上粗利資料
  • 役員報酬・親族給与の内訳
  • 主要な外注先・仕入先・販売先の情報
  • 関連当事者取引の内容
  • 借入金・役員貸付金・役員借入金の明細
  • 設備投資・修繕費の履歴
  • 一過性損益の説明資料
  • 事業計画・予算・資金繰り表
  • 主要契約書
  • 組織図・人員表
  • オーナーが担っている業務の整理

資料がすべて完璧にそろっている必要はありません。大切なのは、利益の増減理由を説明できる状態に、少しずつ近づけていくことです。

正常収益力を見ることは、価格交渉の準備でもある

正常収益力の整理は、単なる評価計算の準備ではありません。

売主にとっては、自社の稼ぐ力を説明するための準備です。買主にとっては、提示された価格を受け入れてよいのか、どこまで価格を上げられるのか、どのリスクを価格に反映すべきなのかを判断するための準備になります。

また、株主、後継者、金融機関、社内の関係者に説明するうえでも、正常収益力の整理は欠かせません。

「利益が出ているから高い」 「赤字だから安い」 「相場の倍率では、このくらい」

——こうした説明だけでは、重要な取引判断としては不十分です。

  • なぜ、その利益水準を将来も見込めるのか
  • どの利益は一時的なものなのか
  • どの費用は、買収後も必要なのか
  • どのリスクは、価格ではなく契約条件で対応すべきなのか
  • どの前提に立てば、その価格レンジを説明できるのか

ここまで整理して初めて、企業価値評価は経営判断に使えるものになります。

正常収益力を見ずにM&A価格を判断しない

正常収益力は、M&Aバリュエーションの入口にある論点です。

DCF、マルチプル、時価純資産といった評価手法に進む前に、そもそも評価に使う利益が実態を表しているのかを、確認しておかなければなりません。

直近期の利益は、たしかに重要な出発点です。けれども、それは答えではありません。

会社の稼ぐ力は、一時的な損益、オーナー依存、関連当事者取引、会計処理、顧客構造、固定費、設備投資、運転資本といったさまざまな要素を通じて、いくらでも歪んで見えてしまうものです。

その歪みを整理しないまま価格交渉に入れば、売主は本来説明できるはずの価値を伝えきれず、買主は過大な価格を支払うリスクを負うことになります。

正常収益力を確認することは、会社を高く見せるためでも、安く買うためでもありません。会社の実態を数字と事実で捉え、後から説明できる取引判断を行うための、土台づくりです。

企業価値評価・取引価格判断の前提整理でお悩みの方へ

M&A、事業承継、株式譲渡、資本政策、組織再編といった場面では、決算書上の利益だけでは判断できない論点が、数多くあります。

  • 一時的な利益や費用を、どう扱うべきか
  • 役員報酬や関連当事者取引を、どう見直すべきか
  • 正常収益力を、DCFやマルチプルにどう接続すべきか
  • 提示された価格が、説明可能なレンジに入っているのか

こうした論点は、取引が進んでから整理しようとすると、交渉、DD、契約条件、税務・会計処理へと、影響が広がっていきます。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、企業価値評価や取引価格の判断において、単に評価額を算定するだけでなく、価格の前提となる財務実態、正常収益力、将来見通し、説明可能性までを整理する支援を行っています。

自社の利益水準をどのように評価へ使うべきか、提示された価格をどう受け止めるべきか、あるいは専門家に相談する前にどの資料を整理しておくべきか。こうした点でお悩みの場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。

この記事の振り返り

論点重要な考え方
正常収益力とは会社が平常時に継続して生み出せる収益力を、評価判断に使える形で整理したもの
直近期利益の限界一時的な上振れ・下振れがあるため、そのまま価格判断に使うと誤る可能性がある
一過性損益単に除外するのではなく、背景に継続的なリスクや必要コストがないか確認する
役員報酬金額だけでなく、オーナーが担っている機能と買収後の代替コストを見る
関連当事者取引通常の第三者間取引と異なる条件が、利益を過大・過小に見せることがある
会計処理売上計上、費用計上、在庫、引当、減価償却などが利益の期間帰属に影響する
DCFとの関係正常収益力は将来キャッシュ・フローの出発点になる
マルチプルとの関係EBITDAや営業利益の正常化が、倍率評価の妥当性を左右する
売主・買主の違い売主の説明する収益力と、買主が引き継げる収益力は一致しないことがある
実務上の結論正常収益力は価格そのものではなく、取引価格を判断・交渉・説明するための前提である
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