企業価値評価と聞くと、決算書や月次試算表、事業計画、あるいはDCF、EBITDA倍率、時価純資産といった「数字」や「評価手法」に意識が向きがちです。
ですが、M&A・事業承継・資本政策・組織再編の実務に立ち会っていると、評価モデルに数字を入れる前に、必ず整理しておかなければならない社内論点があると感じます。
株主は誰なのか。本当に売却できる株式はどれなのか。役員への貸付金や役員からの借入金はどう扱うのか。金融機関からの借入や経営者保証は、譲渡後も残るのか。関連当事者との取引条件は、第三者間の取引として見ても妥当なのか。会社の資産に見えるもののなかに、実際には事業に使っていない資産が紛れていないか。そして、決算書には表れていない債務や偶発的なリスクが潜んでいないか。
これらは、単なる事前準備ではありません。企業価値、株式価値、譲渡価格、価格調整、税務上の時価、会社法上の説明、買主との交渉条件にまで、直接影響してくる論点です。
社内論点を整えないまま価格交渉へ進むと、後になってさまざまな問題が顔を出します。「評価額は出たが、結局のところ何を売る価格なのかが分からない」「株主全員の同意がどうしても取れない」「役員貸付金の扱い一つで価格が変わってしまう」「経営者保証がいつまでも外れない」「非事業資産を価格に含めるかどうかで揉める」といった具合です。
この記事では、M&Aバリュエーションに入る前に確認しておきたい社内論点を、企業価値評価と取引価格判断に必要な範囲に絞って整理します。組織再編手続や資本政策の詳細設計には深く立ち入らず、評価前に何を棚卸しし、それをどう価格判断へつなげていくのか、という点に絞ってお話しします。
評価前の社内論点は「価格を下げる要因」ではなく、価格を説明するための前提
「社内論点」という言葉には、どこか「問題点」や「マイナス要因」という響きがあります。
しかし、評価前に社内論点を整理する目的は、粗探しではありません。会社の価値を構成しているものと、取引価格から調整すべきものとを分けること。これが本来の目的です。
たとえば、会社が保有する遊休不動産は、事業には使われていなくても、売却可能な非事業資産として株主価値に加算されることがあります。一方で、役員個人名義の土地を会社が無償で工場用地として使っている場合はどうでしょうか。その土地は会社の貸借対照表には載っていなくても、事業の継続には欠かせない資産です。買主から見れば、その土地を取得するのか、賃借するのか、利用の継続が保証されるのかによって、評価の前提そのものが変わってきます。
企業価値は、一般に事業価値と非事業資産価値を合算して捉えます。事業価値は将来のキャッシュ・フローを生み出す事業そのものの価値であり、非事業資産は、事業活動のために投下・運用されていない資産や、再投資を待つ資金として整理されます。
ですから、評価前に行うべきことは、「都合の悪い論点を隠すこと」でも、「価格を高く見せるために体裁を整えること」でもありません。整理すべきは、次の切り分けです。
- どの資産が事業価値を生んでいるのか
- どの資産・負債を株主価値に加減算すべきか
- どのリスクを価格に反映すべきか
- どの論点を契約条件で処理すべきか
- どの論点は税務・会社法上の確認が必要か
この切り分けを行うことこそが、評価前の社内論点整理にほかなりません。
1. 株主構成|「誰が何株持っているか」が曖昧な評価は危うい
まず確認すべきは、株主構成です。
非上場会社のM&Aや承継では、株主名簿上の株主と、経営者が認識している実質的な株主とが一致していないことが少なくありません。過去の相続や贈与、名義株、従業員持株会、親族間での株式の移動、古い株券、所在不明株主、自己株式、種類株式、新株予約権。こうした事情が絡むと、「売主が売れると思っていた株式」と「実際に譲渡できる株式」との間にずれが生じます。
中小企業庁の中小M&Aガイドラインでも、中小M&Aに先立つ「見える化」「磨き上げ」の一環として、株式や事業用資産等の整理・集約が必要であると整理されています。株式譲渡で全株式を譲渡する場合には、原則として譲り渡し側の経営者が全株式を保有しておく必要があること、そして株主名簿の整備や名義株、株券管理などの確認が欠かせないことが示されています。
株主構成が評価に与える影響
株主構成は、評価や価格判断に次のような形で影響します。
第一に、評価対象が変わります。100%の株式を売却するのか、過半数なのか、それとも少数持分なのか。これによって支配権の有無が変わります。支配権を取得できる株式と、配当を待つだけの少数株式とでは、買主にとっての経済的な意味がまったく異なります。
第二に、取引の実行可能性が変わります。買主が100%の取得を希望しているのに少数株主が残る場合、買主は経営の自由度、情報管理、将来の株主対応、配当政策、そして追加取得にかかるコストまでを織り込んで判断することになります。
第三に、税務・会社法上の説明が変わります。親族間や同族関係者間の取引、自己株式の取得、少数株主からの買取りでは、M&A価格とは別に、税務上の時価や会社法上の価格説明が問題になることがあります。非上場株式の評価では、同族株主か少数株主か、議決権割合、種類株式といった要素が、評価方式や判断そのものに影響してきます。
評価前に確認すべき株主論点
評価前には、少なくとも次の点を確認しておきたいところです。
| 確認項目 | 評価・価格判断への影響 |
|---|---|
| 株主名簿は最新か | 評価対象となる株式数、譲渡可能株式数が変わる |
| 名義株・所在不明株主はないか | 100%譲渡や株主整理の障害になる |
| 相続未了株式はないか | 譲渡の意思決定、税務、株主間調整が複雑化する |
| 自己株式はあるか | 議決権割合、1株当たり価値、資本構成に影響する |
| 種類株式・新株予約権はあるか | 普通株式だけでは価値配分を説明できない |
| 株主間契約・譲渡制限はあるか | 取引の実行条件や買主の取得可能性に影響する |
株主構成は、評価額の前提そのものです。
この整理ができていない状態で「会社の値段」を議論しても、後になって「誰の株式を、何%、どの権利内容で評価したのか」という、最も根本的な部分の説明ができなくなってしまいます。
2. 役員貸付金・役員借入金|社長との貸し借りは価格調整の火種になりやすい
中小企業やオーナー企業では、会社と役員・株主との間に貸し借りが残っていることがよくあります。
会社から役員への貸付金、役員から会社への借入金、役員立替金、仮払金、未収入金、未払役員報酬、役員退職慰労金の予定額。こうした項目は、会社の内部では「昔からあるもの」として何気なく処理されていることがあります。ですが、M&Aバリュエーションの場面では、いずれも非常に重要な意味を持ちます。
会社から役員への貸付金
会社から役員への貸付金は、貸借対照表の上では資産です。
しかし買主の視点に立つと、すぐに回収できる資産なのか、実質的には回収不能なのか、あるいはオーナー個人との清算が必要な項目なのかを、見極める必要があります。
回収の可能性が低ければ、その資産価値をそのまま認めることはできません。仮に回収が可能であっても、クロージング前に返済するのか、譲渡価格から控除するのか、それとも買主が引き継ぐのかによって、価格の見方は変わってきます。
また、役員貸付金が多額に残っている会社では、会社の資金と個人の資金の分離が不十分だと見られ、ガバナンス面の評価にも影を落とします。
役員から会社への借入金
役員借入金は、会社から見れば負債です。
評価の上では、有利子負債または負債類似項目として、株式価値から控除すべきかどうかを検討します。
ただし、実務はそれほど単純ではありません。売主が「これは返さなくてよい」と考えていたとしても、債権放棄をするのか、資本に振り替えるのか、譲渡前に返済するのか、譲渡後も残すのか。その選択によって、税務・会計・価格への影響が変わってきます。
役員貸付金・役員借入金は、事業承継や非上場株式評価の場面でも重要な論点であり、実務上、事業承継に先立って解消しておきたいというニーズが少なくありません。とりわけ役員借入金は、役員の側から見れば貸付金債権ですから、相続や評価の場面で問題になることがあります。
「評価前に消せばよい」とは限らない
役員貸付金や役員借入金は、評価前に整理しておいたほうがよい場合があります。
ですが、安易な処理は禁物です。
役員貸付金を役員報酬や役員退職金で相殺する場合には、税務上の取扱いを確認しなければなりません。役員借入金を債権放棄すれば、会社側に債務免除益が生じる可能性があります。DES(デット・エクイティ・スワップ)や増資によって資本化する場合も、会社法・税務・株主構成への影響を見ておく必要があります。
評価前に求められるのは、機械的に消すことではなく、次のような整理です。
| 論点 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 会社から役員への貸付金 | 残高、発生経緯、利息、返済予定、回収可能性 |
| 役員から会社への借入金 | 残高、返済義務、利息、譲渡前返済の可否 |
| 相殺・清算予定 | 税務影響、役員報酬・退職金との関係 |
| 価格への反映 | 株式価値から控除するか、クロージング前に整理するか |
| 契約への反映 | 返済期限、債権放棄、表明保証、補償の要否 |
役員との貸し借りは、価格交渉で後から揉めやすい項目の代表格です。誰の債権・債務として、いくら残っており、取引の際にどう処理するのか。これを評価前に明確にしておくことが大切です。
3. 借入・保証・担保|企業価値から株主価値へ移るときの控除項目を整理する
M&Aバリュエーションでは、事業価値や企業価値を算定しただけでは、株式譲渡価格にはなりません。企業価値から株主価値へ移る際に、有利子負債、負債類似項目、余剰現金、非事業資産などを調整するからです。
そのため、借入・保証・担保の整理は、評価前の重要な論点になります。
借入金は「残高」だけでなく「条件」を見る
借入金については、残高を把握するだけでは不十分です。次のような点まで確認しておきたいところです。
- 金融機関別の借入残高
- 短期借入金・長期借入金の区分
- 返済予定
- 金利
- 担保
- 保証人
- 財務制限条項
- 期限の利益喪失事由
- 代表者交代時や株式譲渡時の同意条項
- リスケジュールや条件変更の有無
- 取引金融機関との関係性
ここを押さえておかなければ、買主にとっての実質的な資金負担が見えてきません。
財務デューデリジェンスの目的は、対象会社の過去の損益やキャッシュ・フローの実績を把握し、現在の財務状況を評価してリスクを特定すること、そして将来の事業計画の基礎情報を入手することにあります。
評価前の借入整理も、考え方は同じです。借入金を単なる「差し引く金額」として見るのではなく、買収後の資金繰り、返済能力、金融機関対応、価格調整の前提として捉える必要があります。
経営者保証は、売主にとっても買主にとっても重要な条件
中小M&Aでは、経営者保証の扱いがきわめて重要になります。
売主からすれば、会社を譲渡したのに経営者保証が残れば、実質的にリスクから離脱できないことになります。買主からすれば、金融機関が旧経営者の保証を外す代わりに、買主側の保証や追加の担保を求めてくる可能性があります。そして、金融機関の同意が得られなければ、クロージング条件や取引スケジュールにも影響が及びます。
中小企業庁の中小M&Aガイドラインでは、最終契約に定めた事項の不履行等のトラブル、とりわけ譲り渡し側の経営者保証の扱いについて問題が指摘されており、最終契約でトラブルに発展し得るリスクとその対応策が示されています。
また同ガイドラインでは、譲り渡し側の経営者保証について、譲り渡し側経営者の意向を丁寧に確認したうえで、士業等専門家や事業承継・引継ぎ支援センターへの相談、さらにはM&A成立前の金融機関への相談も選択肢である旨を説明すべきとされています。
評価前に整理すべき借入・保証論点
| 論点 | 評価・価格判断への影響 |
|---|---|
| 有利子負債残高 | 株主価値への控除項目になる |
| 返済予定 | 買収後のキャッシュ・フローに影響する |
| 経営者保証 | 売主の離脱条件、買主の金融機関対応に影響する |
| 担保 | 事業用資産・非事業資産の処分可能性に影響する |
| 財務制限条項 | 株式譲渡・代表者変更時の同意要否に影響する |
| リスケ・条件変更 | 正常な資金繰りかどうかの判断に影響する |
借入・保証・担保は、価格だけでなく、取引条件そのものを動かす論点です。評価前に整理しておかないと、評価額が出た後で「この価格では保証が外れない」「この借入条件では買主の資金負担が重すぎる」といった問題が、後から表面化することになります。
4. 関連当事者取引|正常収益力を歪める取引条件を確認する
関連当事者取引とは、役員、株主、親族、関係会社、オーナー個人の会社など、会社と特別な関係にある相手との取引を指します。
M&Aバリュエーションでは、関連当事者取引が存在すること自体が問題なのではありません。問題になるのは、その取引条件が第三者間の取引として妥当かどうか、そして買主が引き継いだ後も同じ条件が続くのかどうかです。
典型的な関連当事者取引
評価前に確認しておきたい関連当事者取引には、次のようなものがあります。
- 役員報酬
- 役員退職慰労金
- 役員貸付金、役員借入金
- 親族への給与
- オーナー所有不動産の賃借
- 会社所有の車両や不動産の私的利用
- 関係会社への売上・仕入
- オーナー個人会社への外注費
- 親族会社への業務委託費
- グループ会社間の経営指導料、管理料、ロイヤルティ
- 無償または低廉な資産利用
- 保証料のない債務保証
- 市場条件と異なる金利・賃料・手数料
これらは、正常収益力の評価に影響します。
たとえば、オーナーが市場水準より低い役員報酬しか取っていなければ、決算書上の利益は実態より高く見えている可能性があります。反対に、親族への給与やオーナー個人の費用が会社の費用に含まれている場合には、買主への承継後には不要となる費用として調整できる可能性があります。
財務デューデリジェンスやM&A契約の実務では、独立当事者間の取引条件によらない取引について、標準的なEBITDA等の調整対象とすることがあります。
関連当事者取引は「利益調整」と「リスク整理」の両面で見る
関連当事者取引は、評価の上では2つの観点から整理します。
1つ目は、正常収益力への影響です。関連当事者取引がなかった場合、あるいは第三者間取引の条件で行われていた場合に、営業利益・EBITDA・フリー・キャッシュ・フローがどう変わるかを確認します。
2つ目は、取引継続のリスクです。オーナー個人の不動産を会社が使っている場合、株式譲渡後も同じ条件で利用し続けられるとは限りません。関係会社からの仕入や外注に依存している場合には、買主がその関係を維持できるかどうかを確認しておく必要があります。
関連当事者取引で確認すべき判断軸
| 判断軸 | 確認すべきこと |
|---|---|
| 取引相手 | 役員、株主、親族、関係会社、個人会社か |
| 取引条件 | 価格、賃料、金利、手数料が市場水準か |
| 継続性 | M&A後も同じ条件で継続できるか |
| 正常収益力 | 利益・EBITDAを過大または過小にしていないか |
| 税務 | 低額・高額取引、寄附金、受贈益、役員給与等の論点がないか |
| 契約 | 書面契約があるか、解除条件・更新条件は明確か |
関連当事者取引は、売主にとっては「昔からそうしている」だけの取引であっても、買主や金融機関、株主にとっては評価の前提を変える重要な情報になります。
5. 非事業資産・遊休資産|事業価値に含めるものと、別に評価するものを分ける
評価前に必ず整理しておきたいのが、非事業資産です。
非事業資産とは、会社が保有してはいるものの、事業のキャッシュ・フローの創出に直接は貢献していない資産をいいます。代表的なものに、遊休不動産、余剰現預金、投資有価証券、保険積立金、ゴルフ会員権、事業に使っていない車両、賃貸収益を目的とした資産などがあります。
ただし、会社の営業活動に直接使っていない資産が、すべて非事業資産になるわけではありません。実務では、フリー・キャッシュ・フローの獲得に貢献していないこと、処分について事業上の制約がないことなどを踏まえて、個別に判断します。
余剰現預金は「全額加算」ではない
中小企業では、貸借対照表に多額の現預金があることがあります。売主としては、「この現金も会社の価値に足すべきだ」と考えがちです。
しかし、現預金のすべてが余剰資金とは限りません。
運転資金として必要な現金。賞与・納税・借入返済に備える資金。季節変動に対応する資金。設備更新に必要な資金。仕入先への支払サイトに対応する資金。これらはいずれも事業の継続に必要な資金であり、ただちに株主へ還元できる余剰資金とは異なります。評価の上では、正常運転資本や必要現預金を検討したうえで、余剰現金を判断します。
遊休不動産・投資有価証券は、処分可能性と税負担を見る
遊休不動産や投資有価証券は、非事業資産として加算できる場合があります。
ただし、次の点を確認しておく必要があります。
- 本当に事業に使っていないか
- 売却に制約はないか
- 担保が設定されていないか
- 含み益・含み損はあるか
- 売却時の税負担はどうなるか
- 賃貸収益を事業計画に含めていないか
- DCF上のキャッシュ・フローと二重計上になっていないか
- 株式譲渡後に買主がその資産を引き継ぐ前提か
非事業資産は、価値を引き上げる項目にもなります。しかし評価上の扱いを誤ると、事業価値との二重計上、税負担の見落とし、処分できない資産の過大評価につながりかねません。
会社資産と個人資産が混在している場合
中小M&Aでは、会社の財産と経営者個人の財産が明確に分離されていないことがあります。
中小企業庁のガイドラインでは、譲り渡し側会社の財産と経営者個人の財産が明確に分離されていない場合には、M&Aにあたって整理が必要であるとされています。たとえば、経営者個人名義の土地が対象会社の事業に使われている場合や、会社の貸借対照表に記載されているものの実際には経営者個人が使用している自家用車などについては、最終契約の前に整理しておくことが望ましいと示されています。
これは、評価の上でも重要な点です。
経営者個人名義の土地を会社が工場として使っているなら、会社の貸借対照表には載っていなくても、事業価値の維持に欠かせない資産です。逆に、会社名義の車両や不動産を経営者個人が私的に使っているなら、買主が引き継ぐべき事業資産とは言いにくい場合があります。
評価前には、会社資産・個人資産・事業用資産・非事業資産を分けて整理しておく必要があります。
6. 簿外債務・偶発債務|決算書に載っていない負担を価格判断に反映する
決算書に載っていない負担もまた、価値の判断に影響します。
評価前に確認しておきたい代表例は、次のとおりです。
- 未払残業代
- 未払賞与
- 退職給付債務
- 役員退職慰労金
- 未払社会保険料
- 未払税金
- 税務調査による追徴リスク
- 保証債務
- 訴訟・クレーム
- 環境・土壌汚染リスク
- リース債務
- 設備未払金
- 取引先への損害賠償リスク
- 契約違反による違約金リスク
- 棚卸資産の評価損
- 回収困難な売掛金
これらは、単に「悪いもの」として価格から差し引けば済むわけではありません。
金額を定量化できるものについては、株式価値から控除する、正常収益力を調整する、時価純資産で負債として認識するといった対応が考えられます。定量化が難しいものについては、表明保証、補償、エスクロー、クロージング条件、譲渡対象からの除外など、契約条件で対応することがあります。
法務デューデリジェンスでは、発見された法的問題点・法的リスクが対象会社や事業の価値に悪影響を及ぼす場合、M&A取引の対価を算定するにあたって、当該事象を考慮することがあると整理されます。
評価前に大切なのは、簿外債務や偶発債務を「あるかないか」だけで終わらせないことです。
| 区分 | 価格判断上の扱い |
|---|---|
| 金額が合理的に見積もれるもの | 株式価値から控除、時価純資産修正、正常収益力調整 |
| 発生可能性はあるが金額が不明なもの | 評価レンジの幅、契約条項、補償、エスクローで対応 |
| 発生可能性は低いが重大なもの | 留意事項、表明保証、開示資料で整理 |
| 取引実行を妨げる可能性があるもの | スキーム変更、クロージング条件、取引中止判断の対象 |
簿外債務は、発見された事実そのものよりも、それが発見されるタイミングのほうが重要です。
評価前に把握できていれば、価格・契約・スキームに反映できます。ところが、デューデリジェンスや最終契約の直前になって出てくると、信頼関係、交渉力、スケジュールに大きく影響してしまいます。
7. 税務上の時価・低額譲渡リスク|M&A価格とは別に確認すべき価格がある
評価前の社内論点は、取引価格だけでなく、税務上の時価にも関わってきます。
とりわけ、親族間、同族関係者間、役員・会社間、法人・個人間、自己株式の取得、事業承継、組織再編といった場面では、当事者が合意した価格であっても、税務上その価格が問題になることがあります。
国税庁のタックスアンサーでは、個人から著しく低い価額の対価で財産を譲り受けた場合、時価と支払った対価との差額に相当する金額は、贈与によって取得したものとみなされること、そして著しく低い価額にあたるかどうかは、個々の具体的な事案に基づいて判定されることが示されています。
出典:国税庁|No.4423 個人から著しく低い価額で財産を譲り受けたとき
この論点は、株式だけでなく、不動産、役員貸付金、関連当事者取引、自己株式の取得、会社資産の個人への移転などにも関わってきます。
評価前に確認しておきたいのは、次の視点です。
- 取引相手は第三者か、それとも親族・同族関係者か
- 売買価格は第三者間取引として説明できるか
- 時価算定の資料は残せるか
- M&A価格と税務上の時価を混同していないか
- 会社法上の財源規制や公正価格の説明が必要か
- 譲渡所得、みなし配当、受贈益、寄附金、役員給与等の論点はないか
ここでの要点は、税務リスクを理由に取引を萎縮させることではありません。価格の根拠、取引の背景、当事者の関係、評価資料、意思決定の過程を整理し、後から説明できる状態にしておくこと。これに尽きます。
8. 評価前に「整える」とは、見た目をきれいにすることではない
社内論点を整えるというと、評価前に問題を片付けてしまうことだと受け取られるかもしれません。
しかし、すべての論点を評価前に解消できるとは限りませんし、解消すればよいというものでもありません。
大切なのは、次の5段階で整理することです。
第1段階:存在を把握する
まずは、株主、役員との貸し借り、借入、保証、関連当事者取引、非事業資産、簿外債務を洗い出します。
この段階では、金額が確定していなくても構いません。「何がありそうか」をつかむことが重要です。
第2段階:評価への影響を分類する
次に、その論点がどこに影響するのかを分けていきます。
- 事業価値に影響するのか
- 株主価値に影響するのか
- 正常収益力に影響するのか
- 価格調整に影響するのか
- 税務上の時価に影響するのか
- 会社法上の説明に影響するのか
- 契約条件に影響するのか
ここを混同してしまうと、評価額と取引価格の議論が混乱します。
第3段階:金額化できるものを定量化する
回収不能債権、借入金、未払債務、非事業資産、役員との貸し借りなど、金額化できるものは定量化します。
ただし、見積りには幅が出ることもあります。その場合は、評価レンジや感応度として扱います。
第4段階:取引前に整理するか、価格・契約で対応するかを決める
すべてを取引前に整理する必要はありません。
たとえば役員貸付金は、クロージング前の返済とすることもあれば、譲渡価格から控除することもあります。非事業資産は、売却して現金化することもあれば、会社に残して価格に加算することもあります。簿外債務は、価格の減額で処理する場合もあれば、補償条項で対応する場合もあります。
第5段階:評価基準日と資料に反映する
最後に、整理した後の前提を、評価基準日と利用する資料に反映させます。
評価基準日の時点で存在していた借入なのか。クロージング前に返済する予定なのか。役員との貸し借りは評価前に解消済みなのか。非事業資産は会社に残す前提なのか。保証の解除はクロージング条件なのか。
評価資料と取引条件がずれていると、せっかくの評価額も、意思決定の資料として使いにくくなってしまいます。
9. 社内論点を整理しないまま評価すると、どのようなズレが起きるか
社内論点が整理されていないまま評価を進めると、次のようなズレが起こりやすくなります。
| 未整理の論点 | 起こりやすいズレ |
|---|---|
| 株主構成が不明 | 売却できる株式割合と評価対象が一致しない |
| 役員貸付金が残っている | 買主が資産価値を認めず、価格控除を求める |
| 役員借入金が残っている | 売主は返済を期待し、買主は負債控除を主張する |
| 経営者保証が残る | 売主がリスクから離脱できず、クロージング条件化する |
| 関連当事者取引が未整理 | 正常収益力・EBITDAの見方が売主と買主で異なる |
| 非事業資産が未分類 | 事業価値との二重計上や加算漏れが起こる |
| 簿外債務が未把握 | デューデリジェンス後に価格減額・補償・取引中止の議論になる |
| 税務上の時価が未確認 | 合意価格であっても課税リスクが残る |
評価額は、計算結果だけでは意味を持ちません。どの前提に立った評価なのかを説明できて初めて、交渉や意思決定に使えるものになります。
日本公認会計士協会の企業価値評価ガイドラインの改正では、評価業務において提供された情報を無批判に使うのではなく、慎重さや批判性を発揮して検討・分析する必要があることが、改めて明確化されています。
出典:日本公認会計士協会|経営研究調査会研究報告第32号『企業価値評価ガイドライン』の改正について
評価に用いる基礎資料についても、前提となる事実・条件の整合性や、事業計画等に反映された財務数値との整合性を検討することが重要とされています。
10. 評価前の社内論点整理チェックリスト
評価の相談に入る前に、次の項目を整理しておくと、初回相談や評価作業がスムーズに進みます。
株主・資本関係
- 最新の株主名簿はあるか
- 発行済株式数、自己株式数は明確か
- 名義株、所在不明株主、相続未了株式はないか
- 種類株式、新株予約権、ストックオプションはないか
- 株主間契約、譲渡制限、過去の株式譲渡履歴は確認できるか
- 100%譲渡、過半数譲渡、少数持分譲渡のどれを想定しているか
役員・関連当事者
- 役員貸付金、役員借入金の残高は明確か
- 利息、返済予定、発生経緯は説明できるか
- 役員報酬は市場水準と比べて過大または過少でないか
- 親族給与、関係会社取引、個人会社との取引はあるか
- 会社資産の私的利用、個人資産の事業利用はないか
借入・保証・担保
- 金融機関別の借入一覧はあるか
- 返済予定、金利、担保、保証人は整理されているか
- 経営者保証は誰が負っているか
- 株式譲渡や代表者変更で金融機関の同意が必要か
- リスケ、条件変更、財務制限条項はないか
資産・負債
- 余剰現預金と事業用資金を分けているか
- 遊休不動産、投資有価証券、保険積立金などの非事業資産はあるか
- 担保設定や売却制約はないか
- 未払税金、未払残業代、退職給付、訴訟、保証債務などは確認したか
- 棚卸資産、売掛金、固定資産に、実態価値とのズレはないか
取引・税務・説明
- M&A価格、税務上の時価、希望価格を混同していないか
- 親族間・同族関係者間の取引に該当しないか
- 自己株式の取得や組織再編を伴う可能性はないか
- 取締役、株主、金融機関、後継者に説明できる資料はあるか
- 評価前提として未確認の事項を一覧化しているか
11. 社内論点を整えると、価格交渉の姿勢が変わる
社内論点を整理すると、価格交渉の見え方が変わってきます。
整理する前は、どうしても「いくらで売れるか」「いくらなら買えるか」という議論になりがちです。整理した後は、「どの前提ならこの価格レンジになるか」「どの論点を価格に反映し、どの論点を契約で守るか」という議論へと変わっていきます。
たとえば、次のような判断ができるようになります。
- 役員貸付金はクロージング前に返済するため、株式価値からは控除しない
- 役員借入金は返済義務を残すため、株式価値から控除する
- 遊休不動産は会社に残すため、非事業資産として加算する
- 個人名義の事業用不動産は、賃貸借契約を締結して事業継続の前提を明確にする
- 未払残業代リスクは金額の見積りが難しいため、価格減額ではなく補償条項で対応する
- 経営者保証の解除をクロージング条件に入れる
- 少数株主が残るため、100%取得を前提とした価格とは別のレンジで評価する
ここまで整理できれば、評価額は単なる計算結果ではなく、取引判断・価格交渉・説明責任のための資料になります。
12. 相談前にすべてを解決できなくてもよい。ただし、未整理の論点は見える化する
評価前に社内論点をすべて解決しておくのは、難しい場合があります。
株主が分散している。役員貸付金が残っている。経営者保証を解除できる見込みが、まだ分からない。非事業資産を残すか売るか決まっていない。関連当事者取引の市場水準が分からない。簿外債務の金額がまだ見積もれない。
こうした状態でも、評価の相談は可能です。
重要なのは、未整理の論点を隠さず、見える化しておくことです。
評価では、確認済みの事実と、未確認の前提とを分けて扱います。未確認の事項がある場合には、その事項が評価額に与える影響をレンジや留意事項として示し、追加で確認すべき優先順位を付けていきます。
たとえば、役員貸付金の回収可能性が不明であれば、全額回収・部分回収・回収困難という3つのシナリオを置いて、株式価値への影響を確認します。非事業資産の処分方針が未定であれば、会社に残す場合と売却する場合とで価格前提を分けます。経営者保証の解除が未確定であれば、取引条件として金融機関との協議の必要性を明記します。
「分からないことを、分からないままにしない」。これが、評価前の社内論点整理で最も大切な姿勢です。
評価前の社内論点整理は、企業価値評価の出発点
企業価値評価は、計算式に数字を入れるだけの作業ではありません。会社の実態を、評価目的、評価対象、評価基準日、資料、財務実態、そして税務・法務・会計上の前提に分解し、後から説明できる判断材料へと整えていく作業です。
なかでも、株主構成、役員との貸し借り、借入・保証、関連当事者取引、非事業資産、簿外債務は、評価前に確認すべき優先度の高い社内論点です。
これらを整理しないまま評価に入ると、評価額が出た後になって、対象株式、控除項目、加算項目、税務リスク、契約条件をめぐる再調整が必要になります。反対に、評価前に論点を見える化しておけば、価格レンジ、譲れない条件、確認すべき前提、専門家に相談すべき事項が、おのずと明確になっていきます。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、M&A・事業承継・資本政策・組織再編に関する企業価値評価や取引価格判断について、評価前の資料整理にとどまらず、株主構成、役員貸付金・役員借入金、借入・保証、関連当事者取引、非事業資産、簿外債務といった社内論点の棚卸しから、ご相談をお受けしています。
評価額を出す前に、どの論点を整えるべきか。どの論点を価格に反映すべきか。どの論点を契約条件や税務・会社法上の確認に回すべきか。自社の状況を、数字と事実に基づいて整理したいとお考えの場合は、犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページからご相談ください。
振り返り|評価前に整えるべき社内論点
| 社内論点 | 評価前に確認すべき事項 | 価格判断への影響 |
|---|---|---|
| 株主構成 | 株主名簿、名義株、所在不明株主、自己株式、種類株式、新株予約権 | 評価対象、支配権、少数持分、取引実行可能性が変わる |
| 役員貸付金 | 残高、利息、返済予定、回収可能性、発生経緯 | 資産性、株式価値、クロージング前整理、価格控除に影響する |
| 役員借入金 | 残高、返済義務、利息、債権放棄・資本化の有無 | 負債控除、税務、株主価値、譲渡条件に影響する |
| 借入金 | 金融機関別残高、返済予定、金利、財務制限条項 | 企業価値から株主価値への調整、資金繰り、買収可能価格に影響する |
| 経営者保証 | 保証人、保証先、解除方針、金融機関協議 | 売主のリスク離脱、クロージング条件、取引後トラブルに影響する |
| 関連当事者取引 | 役員報酬、親族給与、関係会社取引、不動産賃貸、外注費 | 正常収益力、調整EBITDA、税務リスク、取引継続性に影響する |
| 非事業資産 | 余剰現預金、遊休不動産、有価証券、保険積立金、事業外資産 | 株主価値への加算、二重計上、税負担、処分可能性に影響する |
| 会社資産・個人資産の混在 | 個人名義の事業用資産、会社資産の私的利用 | 事業継続、譲渡対象、価格調整、契約条件に影響する |
| 簿外債務 | 未払残業代、退職給付、未払税金、リース、保証債務 | 株式価値控除、補償、表明保証、エスクローに影響する |
| 偶発債務 | 訴訟、クレーム、環境、税務調査、契約違反 | 価格レンジ、契約保護、スキーム変更、取引中止判断に影響する |
| 税務上の時価 | 親族間・同族間取引、低額譲渡、高額譲渡、自己株式取得 | 合意価格とは別に、課税関係や説明可能性の確認が必要になる |
| 評価前提の整理 | 評価目的、評価対象、評価基準日、未確認事項 | 評価額を一つの答えではなく、説明可能な判断レンジとして使えるようになる |