事業承継税制について専門家に相談する前に、すべての資料を完璧にそろえる必要はありません。
むしろ初回相談の段階では、「何が分かっていて、何が分かっていないのか」を切り分けておくことのほうが大切です。
とはいえ、何も整理しないまま相談に臨むと、話はすぐに制度の一般論へ引き戻されてしまいます。「法人版と個人版があります」「特例承継計画が必要です」「株価評価が必要です」といった説明を受けても、自社にとって何を判断すべきかまでは、なかなか見えてきません。
事業承継税制は、会社や個人事業の後継者が取得した一定の資産について、贈与税・相続税の納税を猶予する制度です。会社の株式等を対象とする法人版と、個人事業者の事業用資産を対象とする個人版があります。
ですから、相談前に整理しておきたいのは、単なる「提出書類の一覧」ではありません。
制度を使えるかどうかを確認するための情報はもちろんですが、それ以上に、制度を使うべきか、いつ移すべきか、誰に移すべきか、どの範囲まで移すべきか、適用後も維持できるか——こうした判断を支える情報こそが必要になります。
この記事では、事業承継税制の初期相談を控えた段階で整理しておきたい会社・株主・財産・後継者の情報を、実務の判断にそのまま使える形で整理していきます。
相談前の整理は「資料集め」ではなく「判断材料の見える化」
事業承継税制の相談では、次のような質問がよく寄せられます。
「うちの会社は事業承継税制を使えますか」 「後継者に株式を贈与したほうがよいですか」 「特例承継計画だけ先に出しておくべきですか」 「相続まで待ったほうがよいですか」 「株価が高いのですが、税金を猶予できますか」
いずれも大切な質問です。ただ、答えを出すには前提となる情報が欠かせません。
たとえば、同じ「自社株を後継者に移したい」という相談であっても、株主が先代お一人だけなのか、それとも兄弟や叔父叔母、元役員、従業員持株会、所在不明株主が関わっているのかによって、検討の難易度は大きく変わってきます。
同じ「後継者がいる」という状況でも、すでに代表取締役として経営を担っているのか、まだ社外にいるのか、親族外の役員なのか、あるいは複数の後継者がいるのかによって、制度の要件、議決権の管理、金融機関への対応、親族間の合意形成は、それぞれ違ってきます。
同じ「会社の土地を使っている」という状況についても、その土地が会社所有なのか、先代個人の所有なのか、使用貸借なのか、賃貸借なのか、担保に入っているのか——こうした事情によって、自社株評価、個人版税制、小規模宅地等の特例、将来の相続税、金融機関への説明が変わります。
つまり、相談前の整理が目指すのは、資料を形式的にそろえることではありません。
自社の承継判断に必要な事実関係を、税務・財務・会社法・相続実務・資金繰りといった複数の視点から見えるようにしておくこと。これが本来の目的です。
まず整理したいのは「相談のゴール」
資料を集める前に、最初に手をつけたいのが相談のゴールの整理です。
事業承継税制の相談では、次のうちどれを相談したいのかによって、必要な情報の優先順位が変わってきます。
- 制度を使えるかどうかを確認したい
- 制度を使うべきかどうかを比較したい
- 生前贈与と相続承継を比較したい
- 特例承継計画の提出を検討したい
- 自社株評価を試算したい
- 株式分散や少数株主の問題を整理したい
- 後継者以外の相続人への説明材料を作りたい
- 納税資金や会社財務への影響を確認したい
- 将来のM&A、組織再編、廃業の可能性まで含めて判断したい
初回相談では、結論を急ぐよりも、「いま何を決めるべきなのか」をはっきりさせておくことが重要です。
とりわけ、法人版の特例措置は期限のある制度です。特例承継計画を令和9年9月30日までに提出し、令和9年12月31日までに贈与・相続によって会社の株式を取得する必要があります。
個人版にも、計画の提出期限と承継の実行期限が設けられています。個人事業承継計画を令和10年9月30日までに提出し、令和10年12月31日までに事業承継を実施する必要があります。
期限があるからこそ、相談前に「これは何を判断するための相談なのか」を整理しておきたいところです。
1. 会社の基本情報
法人版では、まず会社が制度の対象になるかどうかを確認します。
そのため、会社の基本情報として、次の資料・情報を整理しておきます。
| 整理する情報 | 確認する目的 |
|---|---|
| 商号、本店所在地、設立年月日 | 会社の基本属性、沿革、登記情報の確認 |
| 登記事項証明書 | 代表者、役員、資本金、株式譲渡制限、公告方法などの確認 |
| 定款 | 株式譲渡制限、種類株式、相続人等への売渡請求、機関設計の確認 |
| 株主総会議事録・取締役会議事録 | 過去の株式発行、役員選任、定款変更、自己株式取得などの確認 |
| 事業内容・許認可 | 対象会社性、事業継続可能性、承継後の許認可維持の確認 |
| 組織図・役員一覧 | 後継者体制、実質的な経営関与者、親族・役員関係の確認 |
| 主要取引先・金融機関 | 事業継続、信用維持、金融機関説明の確認 |
ここで見落としたくないのは、会社の「現在の姿」だけでなく、「過去の意思決定の履歴」にも目を向けることです。
事業承継税制では、株式を誰から誰へ移すのかが重要になります。その前提として、過去に誰が株式を引き受けたのか、贈与・売買・相続があったのか、自己株式取得や増資が行われたのか、種類株式を発行しているのか——こうした経緯を確認しておく必要があります。
また、許認可事業の場合には、後継者への承継後も許認可を維持できるかどうかが問題になります。建設業、運送業、産業廃棄物処理業、旅館業、飲食業、介護事業、医療・薬局関連事業などでは、代表者の変更、役員の変更、経営業務管理責任者や管理者、資格者の要件、届出期限などが、承継実行の制約になることがあります。
税制上は承継できても、許認可の要件を満たせなければ、事業の継続そのものに支障が出かねません。
2. 決算書・申告書・財務情報
次に整理したいのが、会社の財務情報です。
事業承継税制の検討では、自社株評価、猶予税額、納税資金、資産管理会社の判定、金融機関対応、そして後継者の経営計画に至るまで、財務情報が出発点になります。
少なくとも次の資料を確認できる状態にしておくと、初期の診断が進みやすくなります。
| 整理する資料 | 実務上の確認事項 |
|---|---|
| 直近3期分から5期分の決算書 | 売上、利益、純資産、資産構成、借入金、役員借入金の確認 |
| 法人税申告書一式 | 税務上の利益、別表、同族会社判定、特殊関係者、繰越欠損金の確認 |
| 勘定科目内訳明細書 | 役員貸付金、役員借入金、関係会社取引、有価証券、不動産の確認 |
| 消費税申告書 | 事業規模、課税売上、インボイス対応、資金繰りの確認 |
| 固定資産台帳 | 土地、建物、機械装置、車両、償却資産、取得時期の確認 |
| 借入金明細 | 金融機関、残高、返済予定、担保、保証人の確認 |
| 月次試算表・資金繰り表 | 直近の業績、資金繰り、承継後の財務の安全性の確認 |
自社株評価では、決算書の数字をそのまま眺めるだけでは足りません。
含み益のある土地や有価証券、役員貸付金、保険積立金、遊休資産、関係会社株式、過大な現預金、不動産賃貸収入、営業外収益などが、株価評価や資産管理会社の判定に影響することがあります。
会社の財務内容は、後継者の金融機関対応にも直結します。
事業承継税制を使えば、一定の贈与税・相続税について納税猶予を受けられる可能性があります。しかし、会社の借入金、経営者保証、役員退職金、自己株式取得、後継者への貸付け、相続人への代償金などは、それとは別の問題として残ります。
決算書は、税額計算のためだけの資料ではありません。後継者が会社を引き継げるだけの財務状態にあるかどうかを見極めるための資料でもあります。
3. 株主名簿・株式の保有関係
法人版の相談で最も重要な資料の一つが、株主名簿です。
会社法上も、株式会社には株主名簿に関する規定が置かれています。株主名簿は、株主の氏名・住所、保有株式数、株式の取得日など、株主関係を管理するための基礎資料です。
相談前には、次の情報を整理しておきます。
| 整理する情報 | 確認する目的 |
|---|---|
| 株主名簿 | 現在の株主、株数、住所、取得日、種類株式の有無の確認 |
| 株主別議決権割合 | 後継者の支配権、同族内筆頭株主、同族過半の確認 |
| 株式取得の履歴 | 贈与、売買、相続、増資、自己株式取得の確認 |
| 株券発行会社か否か | 株券の所在、譲渡手続、名義株リスクの確認 |
| 名義株の有無 | 実質株主と名簿株主の不一致リスクの確認 |
| 所在不明株主の有無 | 通知、議決権行使、株式集約、将来M&Aへの影響の確認 |
| 自己株式の有無 | 議決権割合、自社株評価、資本政策への影響の確認 |
| 種類株式・属人的定めの有無 | 議決権、拒否権、後継者支配、評価への影響の確認 |
| 従業員持株会・役員持株会 | 安定株主性、配当還元評価、退職時の買取ルールの確認 |
ここで避けたいのが、「うちは家族会社だから、株主はだいたい分かっている」という思い込みです。
過去の相続、設立時の名義借り、親族間の売買、増資、退職役員への譲渡、株券の未回収などがある会社では、株主名簿と実質的な権利関係が一致していないことがあります。
株主名簿が曖昧なまま事業承継税制を検討すると、次のような問題が起こりがちです。
- 後継者が本当に必要な議決権を取得できるかどうか分からない
- 誰から株式を移すべきか判断できない
- 同族関係者や筆頭株主の判定に影響する
- 過去の低額譲渡・贈与・名義株が税務上問題化する
- 相続発生後に株式が準共有となり、議決権行使が不安定になる
- 少数株主対策や自己株式取得の必要性を見落とす
- 将来のM&Aや組織再編で、株主の確定が障害になる
自社株の承継は、税務の問題であると同時に、支配権の問題でもあります。
相談前には、少なくとも「誰が何株持っているか」「その株式に議決権があるか」「その保有関係に争いがないか」を整理しておきたいところです。
4. 自社株評価に関する情報
事業承継税制を使うべきかどうかを判断するには、自社株評価が欠かせません。
ただし、初回相談の段階で精密な評価明細書まで作り込んでおく必要はありません。まずは、評価に影響する要素を把握できる資料を整理しておきます。
| 整理する情報 | 評価・判断への影響 |
|---|---|
| 発行済株式数・自己株式数 | 1株当たり評価、議決権割合、対象株式数の確認 |
| 株主構成・同族関係 | 原則的評価方式か配当還元方式かの判断 |
| 直近決算の利益・純資産 | 類似業種比準方式、純資産価額方式への影響 |
| 配当実績 | 評価要素、少数株主評価、株主政策への影響 |
| 土地・有価証券の保有状況 | 純資産価額、特定評価会社判定、資産管理会社判定への影響 |
| 役員退職金の予定 | 株価、会社財務、納税資金への影響 |
| 関係会社株式・貸付金 | 評価、資産構成、回収可能性への影響 |
| 過去の株式売買価額 | 時価判断、低額譲渡、みなし贈与リスクへの影響 |
| 事業計画・将来利益 | 贈与時期、相続時期、株価変動リスクへの影響 |
自社株評価は、「いくらになるか」だけの問題ではありません。
誰が取得するか、どのタイミングで取得するか、どの株式を取得するか、他の株主がどの程度残るか——こうした要素によって、税務上の評価、議決権、相続人間の公平感、納税資金が変わってきます。
とりわけ、含み益の大きい土地や有価証券を多く保有する会社、純資産の厚い会社、利益水準が大きく変動する会社、不動産賃貸収入の多い会社では、制度を適用する前に評価の構造を確認しておく必要があります。
「株価が高いから事業承継税制を使う」という判断は、入口としては自然なものです。しかし実務では、株価が高い理由を確認しておかなければ、制度の効果や取消時のリスク、相続人や金融機関への説明が、どうしても不十分になってしまいます。
5. 経営者個人の財産・債務・会社との取引
中小企業の事業承継では、会社の財産と経営者個人の財産が密接に絡み合っているケースが少なくありません。
たとえば、次のような関係です。
- 会社の工場敷地が先代経営者個人の所有である
- 会社が先代経営者から土地を借りている
- 会社が経営者に借入金を負っている
- 経営者が会社に貸付金を有している
- 経営者個人の不動産が会社借入の担保になっている
- 経営者が会社借入の連帯保証人になっている
- 経営者個人の車両・設備・商標・不動産を会社が使っている
- 会社と経営者個人との間に賃貸借契約書がない
相談前には、経営者個人について次の情報を整理しておきます。
| 整理する情報 | 確認する目的 |
|---|---|
| 経営者の年齢・健康状態 | 承継時期、生前贈与、認知症リスク、遺言の必要性 |
| 経営者の保有株式 | 自社株評価、承継対象株式、相続財産の中心項目 |
| 個人所有の不動産 | 会社利用、担保提供、小規模宅地等、個人版税制との関係 |
| 預貯金・有価証券・保険 | 納税資金、代償資金、他の相続人への配慮 |
| 個人借入・保証債務 | 後継者への引継ぎ、金融機関交渉、相続財産への影響 |
| 会社への貸付金・借入金 | 会社財務、相続財産、債務控除、資金繰り |
| 会社との契約書 | 賃貸借、使用貸借、地代、無償返還届出、税務評価 |
| 過去の贈与・売買 | 特別受益、みなし贈与、株式評価、相続税への影響 |
事業承継税制を検討するうえで、経営者個人の財産を抜きにすることはできません。
なぜなら、自社株は相続財産の一部にすぎないからです。自社株に係る税額が猶予されても、他の財産に係る相続税、後継者以外の相続人への代償金、会社借入の保証、個人所有不動産の承継は、そのまま残ります。
会社が経営者個人の土地や建物を使っている場合には、その契約関係や地代の有無が、自社株評価、土地評価、相続税、小規模宅地等の特例、さらには将来の売却・廃業時の判断にまで影響します。
会社の承継を考えるのであれば、会社の資料だけでなく、経営者個人の財産・債務・会社との取引もあわせて整理しておきたいところです。
6. 個人版を検討する場合の事業用資産
個人事業主の場合は、法人版とは整理すべき資料が異なります。
個人版は、自社株ではなく、個人の事業用資産を対象とする制度です。青色申告に係る事業を行っていた事業者の後継者が、個人の事業用資産を贈与または相続等によって取得した場合に、一定の要件のもとで、その事業用資産に係る贈与税・相続税の納税が猶予されます。
個人版を検討する場合は、次の資料を整理します。
| 整理する資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 青色申告決算書 | 事業内容、所得、貸借対照表、対象資産の確認 |
| 所得税申告書 | 事業所得、不動産所得、他の所得との区分確認 |
| 貸借対照表 | 特定事業用資産として計上されているかの確認 |
| 事業用土地・建物の資料 | 所有者、利用状況、評価、担保、賃貸借の確認 |
| 機械装置・車両・備品の明細 | 事業用性、取得価額、現物の確認 |
| 許認可・屋号・契約関係 | 後継者が事業を継続できるかの確認 |
| 後継者の事業関与状況 | 実質的な承継可能性、事業継続体制の確認 |
| 小規模宅地等の特例との関係 | 制度選択、併用制限、宅地評価への影響確認 |
個人版では、法人版と違って、対象資産の「事業用性」が重要になります。
土地、建物、機械、車両、器具備品であっても、実際に事業で使われているか、青色申告の貸借対照表にどのように計上されているか、不動産貸付業等に該当しないか——こうした点を確認しておく必要があります。
個人版の相談では、「個人事業のまま承継するのか」「法人成りしてから承継するのか」「事業用資産を誰が持ち続けるのか」といったところまで含めて整理しておくことが大切です。
7. 後継者候補の情報
事業承継税制の相談では、後継者に関する情報が欠かせません。
後継者は、単に財産を受け取る人ではありません。承継後に事業を続け、制度の要件を維持し、金融機関・従業員・取引先に説明し、株主や親族との関係を管理していく人です。
相談前には、次の情報を整理しておきます。
| 整理する情報 | 確認する目的 |
|---|---|
| 氏名・年齢・続柄 | 親族内承継、親族外承継、複数後継者の確認 |
| 現在の役職 | 代表者就任状況、役員経験、経営関与の確認 |
| 会社での業務内容 | 実質的な経営能力、社内評価、承継可能性の確認 |
| 保有株式数 | 承継前後の議決権、筆頭株主性、支配権の確認 |
| 個人資産・借入余力 | 納税資金、株式買取資金、代償金、保証引継ぎの確認 |
| 経営者保証への対応 | 金融機関交渉、個人リスク、承継意思への影響確認 |
| 他の後継者候補 | 複数後継者、兄弟間・役員間の役割分担の確認 |
| 承継後の経営方針 | 特例承継計画、事業計画、金融機関説明の確認 |
後継者が親族である場合でも、本人の意思確認は欠かせません。
親が承継させたいと思っていても、子のほうは経営者保証を引き受ける意思がない、会社の将来性に不安を抱えている、他の兄弟との関係に懸念がある——こうしたことは、決して珍しくありません。
親族外承継の場合は、さらに株式の取得資金が問題になります。役員や従業員が後継者になるときは、贈与や相続ではなく、売買やMBOに近い形になることもあります。その場合には、事業承継税制だけでなく、株式買取資金、金融支援、自己株式取得、投資育成会社、種類株式といった選択肢も検討の対象に入ってきます。
後継者の情報は、制度要件を満たすためだけに整理するものではありません。「この人が本当に会社を引き継いでいけるのか」を見極めるために整理するものです。
8. 相続人・親族関係の情報
親族内承継では、相続人関係の整理が欠かせません。
後継者に株式を集中させることは、会社の安定にとって有効です。しかし、後継者以外の相続人から見れば、自社株という大きな財産が一人に集中することを意味します。
そのため、相談前には次の情報を整理しておきます。
| 整理する情報 | 確認する目的 |
|---|---|
| 推定相続人の一覧 | 相続人、法定相続分、遺留分リスクの確認 |
| 家族関係図 | 配偶者、子、前婚の子、養子、代襲相続人の確認 |
| 過去の贈与 | 特別受益、相続税加算、親族間の公平感の確認 |
| 生命保険 | 納税資金、代償資金、受取人、みなし相続財産の確認 |
| 退職金の予定 | 死亡退職金、役員退職金、会社財務への影響確認 |
| 遺言書の有無 | 株式承継、事業用不動産、遺産分割の安定性確認 |
| 遺留分対策 | 株式集中と他の相続人への配慮の確認 |
| 家族信託・任意後見 | 意思能力低下、議決権管理、資産凍結リスクの確認 |
相続人関係を整理しないまま事業承継税制を使うと、後になって説明が難しくなります。
とりわけ、自社株の評価額が高い会社では、後継者に株式を集中させる一方で、他の相続人に何を渡すのか、納税資金をどう手当てするのか、遺留分侵害額請求にどう備えるのかを、あわせて検討しておく必要があります。
事業承継税制を使えば、後継者の納税負担は猶予される可能性があります。しかし、他の相続人の相続税まで自動的に軽くなるわけではありません。
「後継者は税金が猶予される一方で、他の相続人は納税が必要になる」という構図が生じることもあります。制度の説明にとどまらず、家族全体の財産配分と納税資金を整理しておくことが大切です。
9. 借入金・担保・経営者保証
事業承継税制の相談で見落とされやすいのが、借入金、担保、そして経営者保証です。
中小企業では、会社の借入に対して経営者が個人保証をしていることが少なくありません。事業承継後、先代の保証をどう外すのか、後継者が保証を引き受けるのか、それとも会社の財務内容を改善して保証解除を目指すのか——これは税制の適用とは別に、重要な論点になります。
経営承継円滑化法による支援には、税制支援の前提となる認定のほか、金融支援、遺留分に関する民法の特例、所在不明株主に関する会社法の特例などがあります。
相談前には、次の資料を整理しておきます。
| 整理する資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 借入金一覧 | 金融機関、残高、返済期限、金利、返済条件の確認 |
| 金銭消費貸借契約書 | 財務制限条項、期限の利益喪失、承継時条項の確認 |
| 保証契約書 | 先代・後継者・親族の保証関係の確認 |
| 担保設定資料 | 個人不動産、会社不動産、預金担保、根抵当権の確認 |
| 金融機関との返済予定表 | 承継後の資金繰り、退職金支給、自己株式取得への影響確認 |
| 経営者保証解除に関する交渉履歴 | 承継時の金融機関説明方針の確認 |
| 役員借入金・貸付金明細 | 相続財産、会社財務、債権放棄・DESなどの検討 |
事業承継税制によって税額が猶予されても、会社の財務が脆弱であれば、後継者の経営は安定しません。
また、後継者が保証や担保を引き受けることに強い不安を抱えている場合には、税務上は承継できても、経営の承継そのものが前に進まないことがあります。
相談前には、「税額」だけでなく、「後継者が引き受ける経済的なリスク」まで見えるようにしておきたいところです。
10. 契約・許認可・事業継続に関する情報
事業承継税制を使うかどうかの判断には、会社が事業を継続できるかどうかも関わってきます。
税制上の要件を満たしていても、主要取引先との契約が後継者の交代で解除されてしまう、許認可を維持できない、キーマンが退職する、重要な賃貸借契約を更新できない——こうした状態であれば、制度を使う前に、事業継続のリスクを整理しておく必要があります。
相談前には、次の資料を確認します。
| 整理する資料 | 確認する目的 |
|---|---|
| 主要取引契約書 | 取引継続、解除条項、チェンジ・オブ・コントロール条項の確認 |
| 賃貸借契約書 | 本社、店舗、工場、倉庫、駐車場、借地権の確認 |
| リース契約 | 設備利用、解約条件、承継後の資金負担の確認 |
| 許認可一覧 | 代表者変更、役員変更、資格者要件、届出期限の確認 |
| 雇用契約・退職金規程 | 従業員承継、役員退職金、雇用維持の確認 |
| 知的財産・商標・ドメイン | 事業価値、名義、使用権、承継対象の確認 |
| 重要な業務委託契約 | 外注依存、キーマン依存、承継後の継続性確認 |
事業承継税制の適用を判断する際には、税務上の対象資産だけを見るのではなく、会社が実際に稼ぎ続けられるかどうかを確認しておくことが欠かせません。
特例承継計画でも、後継者や承継時期だけでなく、承継時までの経営見通しと承継後の事業計画が重要になります。特例承継計画には、後継者の氏名、事業承継の予定時期、承継時までの経営見通し、承継後5年間の事業計画などを記載し、認定経営革新等支援機関による指導・助言を受ける必要があります。
制度を使う前に会社の事業基盤を確認しておくことは、承継後の取消リスクや経営の不安を下げることにつながります。
11. 将来のM&A・組織再編・廃業の可能性
相談前にぜひ整理しておきたいのが、将来の選択肢です。
事業承継税制は、後継者による事業継続を前提に検討する制度です。ですから、近い将来にM&A、会社分割、合併、事業譲渡、廃業、解散・清算を検討する可能性があるのであれば、制度の適用が将来の経営判断を縛らないかどうかを確認しておく必要があります。
相談前には、次の点を整理しておきます。
- 後継者が長期的に経営を続ける意思があるか
- 事業の一部売却や不採算部門の切り離しを考えているか
- 持株会社化やグループ再編を検討しているか
- 会社分割や株式交換を行う可能性があるか
- 将来、M&Aで第三者に売却する可能性があるか
- 廃業・解散・清算の可能性を完全には否定できないか
- 主要資産を売却する予定があるか
- 資産管理会社化のリスクがないか
制度の適用後に株式を譲渡したり、代表を退任したり、会社を解散したり、資産構成が大きく変わったりすると、納税猶予の取消や一部納付が問題になることがあります。
そのため、相談前の段階で、「いまの承継案」だけでなく「将来の出口」についても話せるようにしておくことが大切です。
事業承継税制は、将来の選択肢を広げてくれることもあります。一方で、使い方を誤ると、将来の売却・再編・廃業の場面で追加の検討が必要になる制度でもあります。
相談前に最低限そろえておきたい資料
初回相談で、すべての資料を完璧にそろえる必要はありません。
ただし、次の資料があると、相談の質は大きく上がります。
| 優先度 | 資料・情報 | なぜ必要か |
|---|---|---|
| 高 | 直近3期分の決算書・法人税申告書 | 自社株評価、財務状態、資産構成、税務リスクを確認するため |
| 高 | 株主名簿・株主構成表 | 後継者の議決権、対象株式、株式分散を確認するため |
| 高 | 定款・登記事項証明書 | 株式譲渡制限、種類株式、役員、会社法上の前提を確認するため |
| 高 | 後継者候補の情報 | 制度要件だけでなく経営継続の可能性を確認するため |
| 高 | 借入金・保証・担保一覧 | 納税資金、金融機関対応、後継者負担を確認するため |
| 中 | 経営者個人の財産・債務一覧 | 相続税、代償金、会社利用資産、担保提供を確認するため |
| 中 | 主要不動産・固定資産資料 | 自社株評価、事業用資産評価、個人版税制を確認するため |
| 中 | 推定相続人の一覧 | 遺留分、遺言、遺産分割、親族間合意を確認するため |
| 中 | 主要契約・許認可一覧 | 事業継続、契約解除、承継後の実行可能性を確認するため |
| 中 | 将来の経営方針メモ | 特例承継計画、後継者体制、M&A・廃業可能性を確認するため |
資料が不足していても、相談は可能です。
ただし、「資料がない」という事実そのものが、重要な論点になることがあります。株主名簿がない、契約書がない、過去の株式移転の資料がない、個人保証の契約書が手元にない——こうした状況は、それ自体が承継前に整理しておくべきリスクだといえます。
相談前に作っておきたい1枚メモ
専門家に相談する前に、詳細な資料を作り込む必要はありません。
むしろ、次の項目を1枚にまとめておくだけでも、相談の焦点はぐっと明確になります。
| 項目 | メモしておく内容 |
|---|---|
| 相談の目的 | 制度適用の可否、特例承継計画、株価試算、相続対策、資金繰りなど |
| 承継したいもの | 自社株、事業用不動産、個人事業用資産、経営権、議決権 |
| 承継先 | 長男、長女、役員、従業員、複数後継者、未定など |
| 承継時期 | 生前贈与、相続時、数年後、期限内に計画提出だけ検討など |
| 現在の不安 | 株価、納税資金、兄弟間の調整、株式分散、保証、将来の売却など |
| 将来の方針 | 後継者が継続、M&Aも検討、廃業の可能性あり、再編の予定ありなど |
| すでに実施した対策 | 贈与、遺言、生命保険、種類株式、持株会、自己株式取得など |
| 専門家に確認したいこと | 何を判断したいかを具体的に書き出す |
この1枚メモは、単なる相談の準備にとどまりません。
後になって「なぜこの制度を検討したのか」「なぜこのタイミングで株式を移したのか」「なぜ制度を使わなかったのか」を説明する際の、出発点になります。
整理しないまま相談すると起こりやすいこと
事業承継税制の相談では、事前の整理が不足していると、次のような問題が起こりがちです。
- 制度の一般論だけで終わってしまう
- 自社株評価の前提が不足する
- 株主構成の問題を見落とす
- 後継者要件だけを見て、経営継続の可能性を検討しない
- 相続人間の不公平感を後回しにする
- 納税資金や保証の問題を見落とす
- 計画の提出期限だけを意識して、承継後の管理を軽視する
- 将来のM&A・廃業の可能性を考えずに制度の適用を進める
- 相談の後に追加資料が次々と必要になり、判断が遅れる
事業承継税制は、制度の要件を満たせばそれで終わり、というものではありません。
適用前の整理にはじまり、認定申請、税務申告、担保提供、継続届出、年次報告、取消事由の管理、そして免除・出口対応まで続いていきます。
初回相談の質は、その後の判断の質に、そのまま直結します。
まとめ:相談前の整理は、会社を守るための最初の実務
事業承継税制の相談前に整理しておきたい情報は、多岐にわたります。
会社情報、株主名簿、決算書、定款、後継者、相続人、事業用資産、借入・保証、許認可、将来の経営方針——こうして並べると、一見するとバラバラの情報のように見えます。
しかし、これらはすべて、一つの問いに集約されていきます。
「この会社を、誰に、どのような形で、どの程度のリスクを負って、次の世代へ引き継ぐのか」。
事業承継税制は、その問いに答えるための選択肢の一つにすぎません。
税負担の軽減効果は大きいものの、承継後の管理負担、取消リスク、株主構成、相続人間の調整、納税資金、金融機関対応、将来の売却・再編・廃業の可能性まで含めて判断していく必要があります。
相談前の整理は、専門家に説明するためだけの作業ではありません。経営者と後継者が、自社の状況を正確に把握し、後からきちんと説明できる承継判断を行うための、最初の実務です。
犬飼公認会計士・税理士事務所では、事業承継税制の適用可否だけでなく、自社株評価、株主構成、納税資金、相続人関係、会社財務、後継者体制、将来のM&A・組織再編の可能性まで含めて、相談前の情報整理の段階から支援しています。
「何を持って相談すればよいのか分からない」「制度を使うべきか判断する前に、まずは自社の状況を整理したい」という段階でも構いません。犬飼公認会計士・税理士事務所HPのお問い合わせページより、お気軽にご相談ください。
振り返り
| 整理すべき情報 | 具体例 | 判断に使うポイント |
|---|---|---|
| 会社情報 | 登記事項証明書、定款、議事録、許認可、組織図 | 制度対象会社か、承継後も事業継続できるか |
| 財務情報 | 決算書、申告書、内訳明細、固定資産台帳、借入金明細 | 自社株評価、猶予税額、納税資金、財務の安全性 |
| 株主情報 | 株主名簿、議決権割合、名義株、自己株式、種類株式 | 後継者の支配権、株式分散、税務・会社法リスク |
| 自社株評価情報 | 発行済株式数、利益、純資産、配当、土地、有価証券 | 税額メリット、承継時期、対象株式の範囲 |
| 経営者個人情報 | 個人財産、会社利用不動産、会社貸付金、保証、担保 | 相続税、代償金、会社財務、金融機関対応 |
| 個人版税制情報 | 青色申告決算書、事業用資産、土地・建物、機械、許認可 | 個人版の対象資産・事業継続要件 |
| 後継者情報 | 年齢、役職、株式保有、経営関与、資金力、保証対応 | 制度要件だけでなく、経営継続の可能性 |
| 相続人関係 | 家族関係図、遺言、過去の贈与、生命保険、退職金 | 遺留分、遺産分割、親族間の合意形成 |
| 借入・保証 | 借入契約、保証契約、担保資料、返済予定表 | 後継者の負担、金融機関説明、承継後の資金繰り |
| 将来方針 | M&A、組織再編、廃業、資産売却、次世代承継 | 事業承継税制が将来の選択肢を狭めないか |