M&A・第三者承継へ切り替える判断の境界|事業承継税制を使う前後で考えるべき論点

事業承継税制の活用を検討している会社で、話を進めていくうちに、次のような迷いが顔を出すことがあります。

  • 子どもに継がせるつもりだったが、本人の意思がなかなか固まらない。
  • 役員や従業員に継がせたいが、株式を買い取るための資金がない。
  • 事業承継税制を使えば税負担は抑えられる。それでも、後継者が長く経営を続けていけるかどうかには、まだ不安が残る。
  • 業界再編が進んでおり、数年後にはM&Aを検討せざるを得ないかもしれない。
  • 廃業するくらいなら、第三者に引き継いでもらう選択肢もあるのではないか。

こうした場面で、事業承継税制を「使えるかどうか」だけで判断してしまうのは、危うい進め方だと感じています。

法人版事業承継税制は、円滑化法の認定を受けた非上場会社の株式等を、後継者が贈与や相続などによって取得した場合に、一定の要件のもとで贈与税・相続税の納税を猶予する制度です。さらに、後継者の死亡などによって、猶予されていた税額の納付が免除されます。特例措置では、対象となる株式数の上限が撤廃され、猶予割合も100%とされています。

出典:国税庁|法人版事業承継税制

一方のM&A・第三者承継は、親族や社内に適任者がいない場合に、社外の第三者へ株式譲渡や事業譲渡というかたちで事業を引き継いでもらう選択肢です。中小企業庁も、事業承継を「親族内承継」「従業員承継」「M&A(社外への引継ぎ)」の3つに整理しており、このうちM&Aは、社外の第三者へ株式譲渡や事業譲渡によって承継するものと位置づけています。

出典:中小企業庁|事業承継を知る

つまり、事業承継税制とM&Aは、同じ「承継」という言葉で語られていても、制度の目的も、税務上の入口も、経営判断としての意味合いも、まったく異なるものなのです。

本記事では、事業承継税制を前提に検討を進めてきた会社が、M&A・第三者承継へ切り替えるべきかどうか、その判断の境界を整理していきます。なお、M&Aの相手探しやデューデリジェンス、契約交渉、最終契約、PMI(統合プロセス)の詳細までは、本記事では扱いません。ここでは、事業承継税制との関係、納税猶予を適用した後の売却リスク、後継者不在、廃業回避、そして専門家へ相談する前に整理しておきたい論点に絞ってお話しします。

目次

まず押さえておきたい結論

M&A・第三者承継への切替えを考えるべきかどうかは、「後継者がいるか、いないか」という一点だけでは決まりません。

私が重要だと考えているのは、次の5つです。

  1. 後継者候補が、本当に経営を引き受ける意思と能力を持っているか。
  2. 後継者が、株式・借入・保証、そして納税猶予後の管理負担までを引き受けられるか。
  3. 親族・従業員・少数株主・金融機関の合意形成が、現実的に見込めるか。
  4. 会社単独で、中長期的に競争力を維持できるか。
  5. 事業承継税制を使うことで、将来の売却・廃業・再編という選択肢を、狭めすぎてしまわないか。

事業承継税制は、親族内承継や従業員承継を支える、たいへん強力な制度です。

ただ、会社を第三者に売却する可能性が高い会社、後継者がまだ定まっていない会社、業界再編に巻き込まれる可能性が高い会社では、納税猶予を受けたことが、かえって将来の経営判断を難しくしてしまう場合があります。

法人版の特例措置では、令和9年9月30日までに特例承継計画を都道府県庁へ提出し、令和9年12月31日までに贈与・相続によって株式を取得する必要があります。

出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

期限が決まっている以上、早めに計画を提出しておきたいというお気持ちは、よく分かります。

しかし、後継者承継とM&Aのどちらに進むのかが固まっていない段階で、制度の利用だけを先行させるのは、おすすめできません。

事業承継税制は「後継者承継」の制度であり、M&Aそのものの制度ではない

中小企業庁の支援策においても、法人版事業承継税制は親族内承継・従業員承継のための税制として整理されています。M&Aについては、M&A支援機関登録制度、M&A時の専門家活用費用、事業再編投資損失準備金、不動産取得税の特例といった、別の支援策が用意されています。

出典:中小企業庁|事業承継の支援策

この違いは、実務のうえで非常に大きな意味を持ちます。

事業承継税制は、基本的に、後継者が会社の株式を贈与・相続などで取得し、その後も代表者として事業を続けていくことを前提とした制度です。一方のM&A・第三者承継は、外部の企業や個人に株式・事業を譲渡し、経営資源を引き継いでもらう手法です。

したがって、次のような会社では、最初の段階からM&Aも同じテーブルに乗せて比較しておくべきだと考えます。

  • 後継者候補はいるが、その意思がまだ固まっていない。
  • 親族内に候補者はいるものの、業界経験や経営能力に不安が残る。
  • 従業員承継を考えているが、株式の買取資金や個人保証の引継ぎが重い。
  • 先代の影響力が強く、後継者が実質的な経営判断をしにくい。
  • 少数株主や名義株が残っており、後継者の支配権が安定しない。
  • 業界再編、取引先の集約、設備投資負担、人材不足などにより、単独での経営継続が難しい。
  • 将来、売却・廃業・事業分割の可能性がある。

親族内承継、従業員承継、第三者承継は、単なる「承継先の違い」ではありません。それぞれで、税務上の課題、法務上の課題、資金調達の構造、経営者保証の扱い、そして先代経営者の創業者利益の実現方法が、まるごと変わってきます。

たとえば親族内承継では、特例承継計画、贈与税制度、納税猶予の継続管理、遺留分といった論点が中心になります。これが親族外の役員・従業員承継になると、株式の買取資金、自己株式の取得、みなし配当、持株会社への譲渡時価などが問題になります。さらに第三者承継では、M&A前の税務処理、株式の有効性、簿外債務、労務債務、経営者保証などが焦点となるのです。

M&A・第三者承継へ切り替えるべきサイン

後継者が「いる」だけでは、承継は完了しない

後継者候補がいることと、実際に承継できることは、別の話です。

事業承継では、人・資産・知的資産という3つを引き継いでいく必要があります。中小企業庁も、事業承継の構成要素として、人(経営)、資産、知的資産を挙げ、株式や事業用資産、資金、経営理念、従業員の技術・技能、ノウハウ、取引先との人脈、許認可などを整理しています。

出典:中小企業庁|事業承継を知る

たとえば、長男が会社にいるからといって、それだけで承継が成立するわけではありません。

経営判断を担えるのか。従業員がついてくるのか。金融機関が保証や借入の継続を認めるのか。他の相続人が納得するのか。取引先が後継者を信頼してくれるのか。こうした点を、一つひとつ確認していく必要があります。

後継者候補が形式的に存在していても、本人の意思が弱い、経営能力に不安がある、株式や個人保証を引き受ける覚悟が定まっていない――そうした場合には、M&A・第三者承継を並行して検討しておくべきです。

従業員承継で、株式取得資金と保証が重すぎる

従業員承継は、経営方針や現場の理解を引き継ぎやすいという点で、有力な選択肢です。長く勤めてきた役員や従業員であれば、取引先や従業員からの信頼も得やすいでしょう。

ただ、従業員承継では、株式の取得資金が大きな壁になります。株価の高い会社では、後継者個人が株式を買い取ること自体が難しく、自己株式の取得、持株会社方式、役員持株会・従業員持株会、金融支援、種類株式などを検討する必要が出てきます。

また、金融機関からの借入に個人保証が付いている会社では、その保証を後継者が引き受けられるかどうかが重要になります。保証の問題が解決しないまま従業員承継を進めてしまうと、後継者候補が最終段階で辞退する、ということも起こり得ます。

こうした場合、M&A・第三者承継へ切り替えることで、買い手企業の信用力・資金力・管理体制を活用できる可能性があります。もっとも、経営者保証の解除や移行が自動的に実現するわけではありません。金融機関との事前協議と、契約上の位置づけが欠かせない点には、注意が必要です。

将来売却の可能性が高いのに、納税猶予を先に受けようとしている

事業承継税制は、あくまで納税猶予の制度であって、非課税の制度ではありません。

一定の事後要件を満たせなくなった場合には、猶予されていた贈与税・相続税に利子税を加えて納付しなければならない場面が出てきます。とくに、対象株式の譲渡、後継者が代表者でなくなること、同族過半要件や同族内筆頭株主要件の喪失、一定の合併・株式交換等、分割型分割、組織変更などは、猶予の打切りや一部打切りにつながる論点です。

事業承継税制を適用した後に株式を売却する場合、特例承継期間中であれば猶予税額の全額、特例承継期間の経過後であれば、売却した株式に対応する猶予税額の納付が必要になる場面があります。

つまり、数年以内にM&Aの可能性が高い会社では、事業承継税制を使うことで、売却の局面で税務上の精算問題が生じてしまうわけです。

特例措置には、事業の継続が困難な一定の事由が生じ、所定の免除事由に該当した場合に、猶予中の贈与税額・相続税額の差額免除を申請できる制度があります。

出典:国税庁|事業の継続が困難な事由が生じた場合の非上場株式等についての納税猶予の贈与税・相続税の差額免除申請手続(特例措置)

ただし、これは「売却すれば税負担がなくなる」という制度ではありません。一定期間の経過後における事業継続困難事由、譲渡等・合併消滅・株式交換完全子会社化・解散などの免除事由、申請手続、再計算、残額の扱いといった点が、それぞれ問題になります。

将来の売却が現実的に見えている場合には、先に納税猶予を受けてしまうのではなく、通常の株式譲渡、相続時精算課税、段階的な売買、自己株式の取得、役員・従業員承継、M&Aといった選択肢を、横並びで比較しておく必要があります。

会社単独では、設備投資・人材確保・営業基盤の維持が難しい

M&A・第三者承継は、後継者不在の会社だけに用意された選択肢ではありません。

業界再編が進んでいる。設備投資の負担が重い。採用難が続いている。主要取引先への依存度が高い。デジタル投資や海外展開が必要になっている。こうした会社では、たとえ親族内に後継者がいても、単独で経営を続けるより、資本力・営業力・人材基盤を持つ第三者に引き継いでもらったほうが、会社と従業員を守れる場合があります。

中小企業庁も、親族や従業員に後継者がいない場合であっても、M&Aによって既存の事業基盤や技術を、他の事業者や個人へ引き継ぐことが可能だと説明しています。

出典:中小企業庁|事業承継を知る

事業承継税制は、後継者承継を支援するための制度です。

しかし、会社の将来にとって何より大切なのは、税額を抑えることそのものではありません。事業が続いていくこと、そして従業員・取引先・金融機関にきちんと説明できる承継方法を選ぶこと――そこにこそ、判断の軸があるはずです。

「廃業」と「M&A」は、早めに比較する

多くの経営者は、M&Aを最後の手段だと考えがちです。

しかし、廃業を検討し始めてからM&Aを探そうとすると、すでに事業価値が下がってしまっており、買い手候補が限られてしまうことがあります。

中小企業庁は、後継者不在の状況が深刻であること、そして廃業の増加が雇用や技術に与える影響を懸念しています。あわせて、廃業理由のおよそ3割が後継者難であることも示されています。

出典:中小企業庁|事業承継を知る

廃業とM&Aを比較するときは、次のように整理すると、判断がしやすくなります。

  • 廃業した場合、残余財産をいくら回収できるか。
  • 従業員の雇用は、どうなるのか。
  • 取引先への供給責任を、どう果たすのか。
  • 金融機関からの借入や個人保証を、どう処理するのか。
  • 不動産、設備、在庫、許認可、契約を、どう整理するのか。
  • 事業譲渡や株式譲渡であれば、どの経営資源を第三者に引き継げるのか。
  • M&Aによって、会社名・雇用・取引関係・地域での役割を残せるのか。

事業再生や廃業の支援に携わっていると、倒産や廃業が従業員、取引先、そして地域経済に及ぼす影響の大きさを、しばしば痛感します。事業の継続や再生は、単に債権の回収額を高めるだけでなく、地域経済や雇用を守るという意味も持っているのです。

M&Aは、必ず成功する選択肢ではありません。

それでも、廃業の可能性がある会社ほど、早い段階で「廃業」「親族内承継」「従業員承継」「M&A」を並べて比較しておくべきだと考えます。

M&Aへ切り替える前に、事業承継税制の状態を確認する

M&A・第三者承継へ切り替える場合、まず確認しておきたいのは、いま自社がどの段階にいるのか、という点です。

まだ特例承継計画を提出していない段階

この段階は、比較の自由度がもっとも高い時期です。

親族内承継、従業員承継、M&Aを同時に比較しながら、株価の試算、納税資金、後継者の意思、金融機関への対応、会社の将来収益力などを確認していくことができます。特例承継計画を提出するかどうかは、それらを見極めたうえで判断すれば十分です。

特例承継計画を作成する過程では、後継者、承継の予定時期、承継時までの経営見通し、承継後5年間の事業計画を記載し、認定経営革新等支援機関の指導・助言を受ける必要があります。

出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

計画を作ること自体は、会社の将来を整理するよい機会になります。

ただし、後継者がまだ定まらず、M&Aの可能性が高い場合には、計画の提出を急ぐよりも、承継の方針そのものを先に整理しておく必要があります。

特例承継計画を提出したが、まだ贈与・相続による承継を実行していない段階

この段階では、計画の内容と実態とのあいだに、ズレが生じていないかを確認します。

計画を提出した後でM&Aへ切り替える可能性が高まった場合、すぐに株式の贈与へ進むべきではありません。

贈与を実行して納税猶予の適用を受けると、その後の株式譲渡・代表退任・組織再編・継続届出が、すべて税務上の管理対象になってしまいます。

特例承継計画の確認を受けた後に、計画内容の変更や一定の組織再編があった場合には、変更申請書または報告書を都道府県へ提出し、あらためて確認を受けることができるとされています。

出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

M&Aへ切り替えるのであれば、贈与の前にいったん立ち止まることが、何より重要です。

すでに納税猶予を受けている段階

この段階でM&Aへ切り替える場合、税務上の難度は大きく上がります。

対象株式の譲渡、後継者の代表退任、同族過半要件や筆頭株主要件の喪失、資本金・準備金の減少、一定の合併・分割・株式交換・株式移転、解散、報告・届出の漏れなどは、いずれも猶予税額の確定や一部納付につながる可能性があります。

国税庁は、法人版事業承継税制の継続届出について、期限までに提出しなかった場合には、その提出期限の翌日から2か月を経過する日に、納税猶予に係る期限が確定すると説明しています。また、贈与税・相続税の申告期限後5年間は毎年、5年経過後は3年ごとに、継続届出が必要とされています。

出典:国税庁|非上場株式等についての贈与税・相続税の納税猶予の継続届出手続(特例措置)

この段階でM&Aを検討するなら、売却価格だけでなく、猶予税額、利子税、差額免除の可能性、継続届出、担保、都道府県への報告、税務署での手続まで、同時に試算しておかなければなりません。

M&Aへ切り替える判断で、見落としやすい税務論点

株式譲渡と事業譲渡では、課税関係が異なる

ひと口にM&Aといっても、株式譲渡と事業譲渡とでは、税務上の意味合いが違います。

株式譲渡では、通常、株主が株式を売却し、株主側に譲渡所得等の課税関係が生じます。一方の事業譲渡では、会社が事業用資産や契約関係を譲渡するため、会社側に法人税、消費税、譲渡資産ごとの課税関係が生じ、株主が直接、売却代金を受け取るわけではありません。

事業承継税制をすでに適用している会社では、対象株式を売却するのか、会社が一部の事業を譲渡するのか、あるいは合併・会社分割・株式交換などを使うのかによって、猶予税額への影響が変わってきます。

M&Aのスキーム選択は、売却価格だけで判断するものではありません。相続税・贈与税の猶予、所得税、法人税、消費税、みなし配当、退職金、自己株式の取得、関連者間取引の時価まで含めて、総合的に整理していく必要があります。

株価の低い会社と高い会社では、最適な出口が変わる

株価の低い会社では、通常の贈与・売買・従業員承継・M&Aを、比較的フラットに比較しやすいことがあります。

一方、株価の高い会社では、事業承継税制のメリットが大きく見えるため、つい納税猶予を優先したくなります。

しかし、株価の高い会社ほど、第三者への売却時の創業者利益、退職金、自己株式の取得、持株会社方式、M&A前の株価評価、譲渡所得、会社財務への影響などを、慎重に比較しておく必要があります。

また、M&Aにおいて買い手が見る企業価値と、相続税評価額とは一致しません。相続税評価額は、あくまで税務申告を目的とした評価です。これに対してM&A価格は、将来収益、シナジー、リスク、簿外債務、運転資金、設備投資、取引先の集中度、経営者への依存度などを反映して決まります。

非上場株式の評価では、税務上の時価、会社法上の公正価格、取引目的の企業価値評価が、それぞれ食い違う場面があります。M&Aや少数株主の整理においては、相続税評価額だけで価格を説明できるとは限らないのです。

M&A前の「磨き上げ」は、税務にも影響する

M&Aへ切り替える場合、会社を高く見せるためだけの小手先の対策ではなく、買い手が安心して引き継げる状態に整えていくことが大切です。

たとえば、役員貸付金、役員借入金、私的経費、関連会社との取引、過大な退職金の予定、不明瞭な外注費、未払残業、名義株、所在不明株主、未整理の不動産、個人所有資産の会社での利用――こうした論点です。

これらは、M&Aの価格交渉だけでなく、税務調査、株式評価、親族間の説明、金融機関への説明にも影響してきます。

事業承継は、見える化、磨き上げ、事業承継計画の策定、M&Aの工程、実行、そしてポスト承継という段階を追って進めていくのが基本です。M&Aへ切り替える場合でも、いきなり買い手を探し始めるのではなく、まず会社の数字、権利関係、株主構成、税務リスクを整えること――その順序を、私は大切にしています。

M&A・第三者承継で、特に注意すべき実務リスク

経営者保証の解除・移行

M&Aでは、「株式を売却すれば先代経営者の保証も自動的に外れる」と誤解されることがあります。

実際には、金融機関との協議が欠かせません。

中小M&Aガイドライン第3版では、M&Aを通じた経営者保証の解除、あるいは譲受け側への移行を確実に実施するために、士業等専門家、事業承継・引継ぎ支援センター、金融機関等へM&A成立前に相談すること、そして最終契約における位置づけを検討することが、明確に示されています。

出典:経済産業省|「中小M&Aガイドライン」を改訂しました

経営者保証が残ってしまうと、売却した後も旧経営者がリスクを負い続けることになります。

M&Aへ切り替える場合には、売却価格だけでなく、保証解除の条件、金融機関の承諾、契約上の義務、そして解除が未了となったときの対応まで、確認しておくべきです。

不適切な買い手・最終契約後のトラブル

中小M&Aガイドライン第3版では、不適切な譲受け側の存在、経営者保証に関するトラブル、M&A専門業者の過剰な営業・広告、利益相反、手数料の説明、最終契約後のトラブルといった問題に対応するため、支援機関向けの規律が拡充されています。

出典:中小企業庁|中小M&Aガイドライン

これは、M&Aが一般的なものになった一方で、支援機関の質、買い手の信用、契約後の履行といった点が、実務上の大きな問題になっていることを示しています。

事業承継税制からM&Aへ切り替える場合には、「買い手が見つかるか」だけでなく、「その買い手に引き継がせてよいのか」という視点を、必ず持っておかなければなりません。

少数株主・名義株・株券の整理

株式譲渡型のM&Aでは、株式の有効性がとても重要になります。

株主名簿が古い、名義株がある、株券発行会社であるのに株券の所在が分からない、相続が済んでいない株式がある、少数株主が協力してくれない――こうした状態では、買い手は大きなリスクを感じてしまいます。

実務の感覚としても、事業承継やM&Aでは株式の扱いが何より重要で、株主名簿、名義株、株券、譲渡承認、少数株主への対応を、事前に確認しておく必要があります。

事業承継税制を使う場合も、M&Aへ切り替える場合も、株主構成の整理は避けて通れません。後継者に株式を移すにせよ、第三者へ売却するにせよ、まずは「誰が有効に株主なのか」を確定させることが出発点になります。

判断の分岐点を、どう整理するか

M&A・第三者承継へ切り替えるかどうかは、次の順序で整理していくと、判断がしやすくなります。

第1段階:後継者承継が成立するか

まずは、親族内承継・従業員承継が現実的かどうかを確認します。

  • 後継者候補の意思は、明確か。
  • 代表者として、経営できるか。
  • 株式を取得できるか。
  • 他の相続人や株主の合意を、得られるか。
  • 金融機関は、支援してくれるか。
  • 個人保証を、どうするか。
  • 事業承継税制を適用した後の継続管理を、引き受けられるか。

ここで不確実性が大きいと感じる場合には、M&Aを早めに並行して検討しておくべきです。

第2段階:税制を使うことが、将来の選択肢を狭めないか

次に、事業承継税制を使った場合に、将来どのような制約が生じるかを確認します。

  • 5年間の事業継続期間中に、売却や再編の可能性はないか。
  • 後継者が、代表者を続けられるか。
  • 株式を、継続して保有できるか。
  • 同族過半・筆頭株主の要件を、維持できるか。
  • M&Aや廃業の局面で、猶予税額を納付する資金はあるか。
  • 事業継続が困難になったときの差額免除を、前提にしすぎていないか。

税額だけを見れば事業承継税制が有利であっても、数年後に売却する可能性があるのなら、制度の適用そのものを慎重に判断する必要があります。

第3段階:M&Aで何を守るのかを決める

M&Aは、単に高く売るための手段ではありません。

事業承継という文脈のなかでは、「何を守るのか」を、自分たちで決めておく必要があります。

  • 会社名を残すのか。
  • 従業員の雇用を優先するのか。
  • 取引先への供給責任を重視するのか。
  • 経営理念や地域での役割を、引き継ぎたいのか。
  • 創業者利益を確保したいのか。
  • 旧経営者の保証解除を、最優先するのか。
  • 一部の事業だけを譲渡し、残りを清算するのか。

ここが曖昧なままM&Aへ進んでしまうと、買い手候補との条件交渉の局面で、判断がぶれてしまいます。

相談の前に整理しておきたい資料

M&A・第三者承継へ切り替えるかどうかを検討する段階では、次の資料を整理しておくと、判断がぐっと具体的になります。

分類整理しておきたい資料・情報
会社資料直近3期分以上の決算書、法人税申告書、勘定科目内訳書、月次試算表
株主関係株主名簿、株券の発行状況、名義株の有無、相続未了株式、少数株主の状況
税制関係特例承継計画の提出状況、認定申請の有無、納税猶予額、担保、継続届出の履歴
後継者関係親族内候補、従業員候補、本人の意思、経営経験、資金力、保証の引受可能性
財務・金融借入金、担保、経営者保証、財務制限条項、金融機関との協議状況
事業価値主要取引先、粗利構造、設備投資計画、人材、許認可、知的財産、営業基盤
M&A準備譲渡対象、譲渡希望条件、残したい雇用・取引条件、経営者保証の解除方針
相続・親族相続人関係図、遺言、遺留分、代償資金、生命保険、親族間の説明方針

なかでも特に重要なのが、「事業承継税制を使った場合」と「使わずにM&Aへ進んだ場合」の比較です。

このとき比較すべきは、相続税・贈与税だけではありません。後継者個人の負担、会社財務、金融機関への対応、売却の可能性、猶予が取り消されたときの資金、親族間の合意、従業員の継続、そして将来の廃業の可能性まで含めて、見比べていく必要があります。

本記事で扱わない範囲

本記事は、事業承継税制とM&A・第三者承継の「境界」を整理することを目的としたものです。

そのため、次の内容については扱っていません。

  • M&A仲介会社の選定方法
  • 買い手候補の探索方法
  • 企業価値評価の詳細な手法
  • デューデリジェンスの具体的な手続
  • 基本合意書・最終契約書の条項設計
  • 表明保証・補償条項の交渉
  • クロージングの実務
  • PMIの実行計画
  • 個別案件の税額計算

これらは、いずれもM&Aの実行段階における論点です。

本記事の段階で大切なのは、その手前にある問い――「そもそも後継者承継を進めるのか、それともM&Aへ切り替えるのか」「事業承継税制を使うことが、将来の売却判断を妨げないか」――を、先に整理しておくことです。

まとめ

M&A・第三者承継は、事業承継税制に失敗したときの最後の手段ではありません。

後継者がいない場合はもちろんのこと、後継者はいるが経営の継続に不安がある場合、従業員承継の資金負担が重い場合、業界再編が進んでいる場合、将来の売却・廃業の可能性がある場合にも、事業承継税制とM&Aは、同じテーブルの上で比較すべきものです。

事業承継税制は、税負担を大きく軽減し得る制度です。

ただ、それが納税猶予の制度である以上、適用した後には、代表者要件、株式の保有、継続届出、取消事由、売却時の猶予税額の精算といった論点が、必ずついて回ります。

一方のM&Aは、後継者不在や廃業の回避に対して、有効な選択肢になり得ます。

とはいえ、買い手の信用、経営者保証、契約の不履行、少数株主、簿外債務、税務リスク、従業員・取引先への説明といった課題を、あわせて抱えることになります。

ですから、判断の出発点は「税額が下がるかどうか」ではありません。

  • 会社を、誰が引き継ぐのか。
  • 後継者は、本当に経営できるのか。
  • 株式と保証を、引き受けられるのか。
  • 将来、M&Aをする可能性があるのか。
  • 制度を適用した後、後からきちんと説明できる管理ができるのか。
  • 廃業ではなく、経営資源を次に残せる方法はないのか。

これらを整理したうえで、事業承継税制、通常の贈与・相続・売買、従業員承継、M&A、廃業支援を、横並びで比較していく必要があります。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、事業承継税制を「使えるかどうか」だけでなく、後継者体制、株主構成、自社株評価、納税資金、経営者保証、そして将来の売却・廃業の可能性まで含めて、丁寧に整理いたします。

後継者承継とM&Aのどちらに進むべきか、まだ迷っている段階でも構いません。現在の株主名簿、決算書、後継者候補、借入・保証、特例承継計画の状況を確認していくことで、判断の優先順位が、少しずつ見えてきます。事業承継税制を使う前にM&Aも比較しておきたい方、すでに納税猶予を受けた後の売却可能性を確認しておきたい方は、お問い合わせページからお気軽にご相談ください。

重要事項の振り返り

論点確認すべきこと判断上の注意点
事業承継税制とM&Aの違い後継者承継か、第三者への株式・事業の譲渡か制度目的と税務上の入口が異なる
後継者不在親族・従業員に現実的な候補者がいるか候補者がいるだけでは承継成立とはいえない
従業員承継株式取得資金、個人保証、経営能力資金・保証の負担が重い場合はM&Aも比較する
将来売却の可能性数年以内にM&A・再編・廃業の可能性があるか納税猶予後の売却は猶予税額の精算問題を伴う
特例承継計画の提出前税制・通常承継・M&Aを比較できるかこの段階が最も選択肢を残しやすい
計画提出後・承継前贈与・相続を実行すべきかM&Aの可能性が高いなら実行前に立ち止まる
納税猶予の適用後株式譲渡、代表退任、議決権喪失、届出漏れ全部確定・一部確定・差額免除の検討が必要
廃業回避経営資源を第三者へ引き継げるか廃業の直前ではM&Aの価値が下がりやすい
経営者保証売却後に旧経営者の保証が残らないか金融機関との協議と契約上の位置づけが重要
買い手リスク不適切な買い手、契約不履行、支援機関の質中小M&Aガイドライン第3版の観点を確認する
株主管理名義株、少数株主、株券、相続未了株式株式譲渡型M&Aでは株式の有効性が重要
税務の比較譲渡所得、法人税、みなし配当、退職金、猶予税額相続税・贈与税だけで判断しない
相談前の資料決算書、株主名簿、税制の適用状況、借入・保証早めに資料を整えるほど選択肢が広がる
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