売却・M&Aへ移行する場合の税務上の境界|事業承継税制適用後に何が起きるか

事業承継税制を使って後継者に自社株を移した後、その会社を第三者へ売却することはできるのか。実務の現場では、これがよく寄せられる問いのひとつです。

ただ、「売却できる」「売却すると取り消される」と、ひと言で答えられる問題ではありません。実際には、売却の相手は誰か、何を売るのか、いつ売るのか、事業継続が困難になった理由は何か、後継者が保有している納税猶予対象株式はどの範囲か、売却対価はいくらか、担保はどうなっているか、届出手続は整っているか。こうした要素の組み合わせによって、結論は変わってきます。

とはいえ、出発点ははっきりしています。事業承継税制は、後継者が非上場会社株式等を贈与や相続などにより取得し、一定の要件のもとで贈与税・相続税の納税を猶予する制度です。特例措置では対象株式数の上限が撤廃され、猶予割合も100%となるなど効果は大きいのですが、制度の本質はあくまで「納税猶予」であって、「非課税」ではありません。

国税庁も、法人版事業承継税制を、円滑化法の認定を受けた非上場会社株式等を取得した場合に、一定の要件のもとで納税を猶予し、後継者の死亡等によって免除する制度と位置づけています。

出典:国税庁|No.4148 非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除の特例等(法人版事業承継税制)

特例措置については、中小企業庁が、特例承継計画の提出期限を令和9年9月30日まで、贈与・相続による株式取得の対象期間を令和9年12月31日までと案内しています。あわせて、将来、事業を売却・廃業する際に株価が下落していた場合には、その株価をもとに納税額を再計算し、承継時の株価で計算された納税額との差額を減免する仕組みも示されています。

出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

本稿では、事業承継税制の適用後に会社売却・M&Aへ移行する場合、税務上どこに境界が引かれるのかを整理していきます。

なお、M&Aの相手探し、企業価値評価、デューデリジェンス、基本合意書、最終契約、表明保証、PMIといった実行プロセスは、ここでは扱いません。本稿で取り上げるのは、あくまで「事業承継税制を使った後に売却へ進むと、納税猶予・税務・資金繰り・説明責任に何が起きるか」という一点です。

目次

事業承継税制とM&Aは、入口の思想が違う

事業承継税制は、原則として、後継者が会社を引き継ぎ、一定期間その経営を続けることを前提に設計されています。

一方のM&Aは、社外の第三者へ株式や事業を移転し、経営資源を別の主体に引き継ぐ方法です。中小企業庁も、事業承継の類型を親族内承継・従業員承継・M&A(社外への引継ぎ)に区分したうえで、M&Aを、社外の第三者へ株式譲渡や事業譲渡によって承継するものと説明しています。

出典:中小企業庁|事業承継を知る

つまり、事業承継税制は「後継者が会社を持ち続ける」方向の制度であり、M&Aは「第三者へ支配権や事業を移す」方向の手法です。両者は、場面によっては正面からぶつかります。

もちろん、事業承継税制を使ったからといって、その後ずっとM&Aを検討できなくなるわけではありません。経営環境の悪化、業界再編、後継者の健康問題、人材不足、主要取引先の喪失、金融機関対応、親族間の不一致といった事情から、後継者承継を続けるよりも第三者へ引き継いだ方が、会社・従業員・取引先を守れる場合もあります。

ただし、その場合、事業承継税制の側から見れば、「後継者が納税猶予対象株式を保有し続ける」という前提が崩れる可能性が出てきます。M&Aは経営上の選択肢であると同時に、納税猶予の期限確定・取消・再計算・免除という問題を発生させる「出口」でもあるのです。

M&Aは後継者不在時の承継手法として位置づけられる一方、法人版事業承継税制が主にカバーする領域とは異なります。だからこそ、適用後に売却へ移行する場合には、納税猶予制度の出口処理として整理しておく必要があります。

最初に分けるべきは「株式譲渡」と「事業譲渡」

M&Aという言葉は広く使われますが、事業承継税制との関係では、まず「何を売るのか」を切り分けることが出発点になります。代表的なものは、次の2つです。

ひとつは、後継者や他の株主が、買い手に会社株式を譲渡する「株式譲渡」です。会社そのものは同じ法人として存続し、株主だけが入れ替わります。非上場会社のM&Aでは、売り手株主が保有株式を買い手に譲渡し、買い手が会社の支配権を取得する形が典型です。

もうひとつは、会社が買い手に事業・資産・契約などを譲渡する「事業譲渡」です。こちらは株主が変わらず、会社が事業の一部または全部を売却します。売却代金は、後継者個人ではなく会社に入ります。

この違いは、きわめて重要です。

株式譲渡では、後継者が納税猶予対象株式を譲渡することになるため、納税猶予の期限確定・取消が直接の問題になります。

事業譲渡では、後継者が株式を売るわけではありません。そのため、一見すると納税猶予対象株式の譲渡には見えません。しかし、会社が事業を失い、現預金・不動産・有価証券だけを抱えた状態になれば、事業継続要件、資産管理会社化、総収入金額、解散・清算、配当・残余財産分配といった論点が、後からじわじわと表面化してきます。

会社法上も、事業譲渡等については第467条以下に承認手続等の規定が置かれており、通常の株式譲渡とは異なる会社側の意思決定が求められます。

出典:e-Gov法令検索|会社法

株式譲渡型M&Aでは、納税猶予対象株式の譲渡が核心になる

後継者が事業承継税制の適用を受けて取得した株式を、買い手に譲渡する場合、制度上は「納税猶予対象株式の譲渡」として扱われます。

このとき、納税猶予の全部または一部について期限が確定し、猶予税額と利子税の納付が必要になる可能性があります。事業継続期間中か、5年経過後かによって影響の大きさは変わりますが、「売却しても納税猶予はそのまま続く」と考えることはできません。

実務上の整理としては、申告期限後5年間の事業継続期間内に納税猶予対象株式を譲渡した場合、重い取消リスクが生じます。5年を経過した後であっても、譲渡した部分に対応する猶予税額の納付は問題になります。主な取消事由としては、納税猶予対象株式の譲渡、同族過半数・筆頭株主要件の喪失、合併・会社分割・株式交換・株式移転等、解散、報告・届出漏れなどが挙げられます。

後継者が100%に近い株式を保有している会社を、第三者へ全株式譲渡する場合には、後継者が持つ納税猶予対象株式のほぼ全部を譲渡することになります。このとき、M&Aの売却対価は後継者個人に入りますが、その対価から、少なくとも次の資金負担を確認しておかなければなりません。

まず、納税猶予が確定することによる贈与税または相続税。次に、利子税。そして、株式譲渡による所得税・住民税・復興特別所得税です。

非上場株式は通常「一般株式等」として扱われ、譲渡価額から取得費・譲渡費用等を控除して譲渡所得等を計算し、申告分離課税の対象となります。国税庁も、株式等の譲渡所得等は上場株式等と一般株式等に区分され、他の所得と分けて申告分離課税により計算すると説明しています。税率は所得税15%・住民税5%で、これに復興特別所得税が加算されます。

出典:国税庁|No.1463 株式等を譲渡したときの課税(申告分離課税)

注意したいのは、売却対価が高ければ安心、という話ではない点です。承継時に猶予された税額、取得費、株式評価、売却対価、譲渡費用、利子税、担保解除費用、金融機関借入・保証の処理。これらを一覧に並べたうえで、後継者個人の手取りを試算しておく必要があります。

「全部譲渡」か「一部譲渡」かで影響が変わる

株式譲渡型M&Aでは、買い手が支配権を取得するために、後継者だけでなく、他の親族株主・少数株主・役員株主・従業員持株会などからも株式を取得することがあります。

ここで事業承継税制上の問題になるのは、あくまで後継者が保有する納税猶予対象株式です。他の株主が保有する株式を譲渡した場合、その株主自身に譲渡所得課税は生じ得ますが、後継者の納税猶予対象株式を直接譲渡したことにはなりません。

ただし、買い手が経営権を取得していく過程で後継者の議決権割合が低下すれば、同族過半数要件や同族内筆頭株主要件の喪失が問題になる可能性があります。また、後継者が株式の一部だけを譲渡する場合でも、5年経過後であれば、譲渡部分に対応する猶予税額の期限確定が問題となります。

国税庁の質疑応答事例でも、経営承継期間の経過後に受贈者が特例受贈非上場株式等の一部を譲渡した場合、譲渡直前の猶予中贈与税額に、譲渡した株式数等の割合を乗じて、期限が確定する贈与税額を計算するという考え方が示されています。

出典:国税庁|《非上場株式等についての贈与税の納税猶予の特例関係》問32 確定税額の計算

つまり、M&Aで一部株式だけを売る場合であっても、「全部売っていないから問題ない」とは言い切れません。譲渡株数、譲渡後の議決権割合、後継者の筆頭株主要件、同族関係者の保有状況、買い手との関係を、ひとつずつ確認しておく必要があります。

特例措置では、事業継続困難時の再計算・差額免除が問題になる

法人版事業承継税制の特例措置には、将来の売却・廃業時の税負担をやわらげる仕組みが用意されています。

国税庁は、特例措置と一般措置の違いとして、事業の継続が困難な事由が生じた場合、特例措置では譲渡対価の額等に基づいて再計算した猶予税額を納付し、従前の猶予税額との差額を免除する仕組みがある一方、一般措置にはこの免除がない、と説明しています。

出典:国税庁|No.4148 非上場株式等についての相続税の納税猶予及び免除の特例等(法人版事業承継税制)

この仕組みは、事業承継時の株価は高かったものの、その後の経営環境の悪化によって会社価値が下がってしまった場合に、後継者が承継時の高い株価を前提とした猶予税額をそのまま背負わずに済むよう、負担を緩和するものです。

ただし、ここで誤解してはいけない点があります。

これは「M&Aで売却すれば税金が免除される」という制度ではありません。一定の事業継続困難事由があり、特例経営承継期間の末日の翌日以後に、一定の免除事由に該当し、所定の申請手続を行った場合に、猶予税額の一部について免除を受ける余地がある、という制度です。

国税庁の手続案内でも、事業の継続が困難な事由が生じた場合に、特例経営承継期間の末日の翌日以後、一定の免除事由に該当したときに、猶予中の贈与税額または相続税額の免除を受けるための手続として説明されています。あわせて、申請は一定の事由が生じた日から2か月以内に提出する必要があります。

出典:国税庁|B1-76 事業の継続が困難な事由が生じた場合の非上場株式等についての納税猶予の贈与税・相続税の差額免除申請手続(特例措置)

実務上は、事業継続困難性をどう示すか、譲渡相手が同族関係者以外かどうか、対象株式を全部譲渡するのか、譲渡対価が適正か、時価との関係に問題がないか、申請期限内に資料を整えられるか。こうした点が重要になります。

特別な減免措置では、事業継続が困難な場合に、赤字基準、売上高減少基準、有利子負債基準、同一業種の上場株価基準、特段の理由基準などを通じて事業継続困難性を検討し、譲渡対価や時価との関係を踏まえて猶予税額を再計算する、という整理になっています。

したがって、M&Aを検討し始めてから「この売却は差額免除の対象になるのか」と慌てて確認するのでは、間に合わないことがあります。売却方針を決める前に、事業継続困難事由、株式価値、売却対価、猶予税額、申請期限を、同じ資料の上で整理しておくことをおすすめします。

売却対価は、後継者の手取りではない

事業承継税制を適用した後の株式譲渡型M&Aでは、「売却価格」と「後継者の手取り」は一致しません。

たとえば、後継者が株式を1億円で売却できたとしても、そこから次のような負担を差し引いていく必要があります。

  • 納税猶予の期限確定により納付すべき贈与税または相続税
  • 利子税
  • 株式譲渡所得に係る所得税・住民税・復興特別所得税
  • M&Aアドバイザー報酬、弁護士・税理士・司法書士等の専門家費用
  • 担保解除や代替担保に関する費用
  • 金融機関借入・経営者保証の処理に伴う負担
  • 親族株主・少数株主への対価支払や合意形成コスト
  • 役員退職金を組み合わせる場合の、会社側・個人側それぞれの税務影響

さらに、買い手との交渉では、価格調整、表明保証、補償条項、クロージング条件、退職金、役員借入金、関連当事者取引、個人保証の解除といった論点が出てきます。本稿では契約条項の詳細には立ち入りませんが、税務の観点からは、売却対価を受け取った時点で納税資金が十分に残るかどうかを、先に見ておく必要があります。

とりわけ注意したいのが担保です。事業承継税制では、納税猶予税額に見合う担保提供が前提となります。対象株式そのものが担保になっている場合、M&Aのクロージングで株式を買い手へ移転するには、担保解除や代替担保の検討が必要になることがあります。税務署・金融機関・買い手・売り手の処理順序を誤ると、売却の実行そのものが遅れてしまう可能性があります。

事業譲渡型M&Aでは、会社に対価が入り、後継者には直接入らない

事業譲渡型M&Aでは、後継者が株式を売るのではなく、会社が事業を売ります。

このとき、買い手から支払われる対価は会社に入ります。後継者個人が、売却代金を直接受け取るわけではありません。したがって、後継者個人の納税猶予税額が確定したとしても、その納税資金を会社の売却代金から直接支払えるわけではないのです。

会社に入った売却代金は、あくまで会社の資金です。会社側で法人税、地方税、消費税、債務弁済、従業員対応、契約解除、退職金、清算費用などを処理したうえで、配当、役員報酬、役員退職金、自己株式取得、清算時の残余財産分配といった形を経て、はじめて株主・役員個人へと資金が移っていきます。

そして、この資金移動には、それぞれ税務上の意味があります。

  • 配当であれば、配当所得
  • 役員退職金であれば、退職所得
  • 自己株式取得であれば、みなし配当と譲渡所得の区分
  • 清算時の残余財産分配であれば、みなし配当・株式譲渡損益
  • 関連当事者貸付であれば、利息、役員給与、寄附金、貸倒れ等の問題

事業譲渡はM&Aの一手法ではありますが、後継者個人の「株式譲渡」ではありません。株式譲渡型M&Aと同じ資金繰りの感覚で考えてしまうと、判断を誤ります。

事業譲渡後に、資産管理会社化・総収入ゼロ・解散リスクが生じる

事業譲渡型M&Aでとくに注意すべきなのは、売却後に会社が何をするか、という点です。

会社が主力事業を譲渡し、現預金・有価証券・不動産だけを保有する状態になると、事業承継税制上の対象会社要件や継続要件に影響する可能性があります。事業をすべて譲渡した後、会社に事業収入がなくなれば、総収入金額がゼロになるリスクが生じます。また、現預金・投資資産・遊休不動産の割合が高まれば、資産保有型会社・資産運用型会社の判定も問題になってきます。

さらに、事業譲渡後に会社を解散・清算する場合には、別途、解散・清算と納税猶予の問題が重なります。前稿で取り上げたとおり、解散・清算は、納税猶予の確定・再計算・免除・納付資金に直結する出口論点です。

つまり、事業譲渡型M&Aでは、「株式を売っていないから事業承継税制には影響しない」と考えるのではなく、次の順番で確認していく必要があります。

  • 会社がどの事業を譲渡するのか
  • 譲渡後も実態のある事業が残るのか
  • 譲渡後の売上・総収入はどうなるのか
  • 資産構成が資産管理会社化しないか
  • 後継者は代表者として残るのか
  • 対象株式を継続して保有するのか
  • 会社を清算する予定があるのか
  • 事業継続困難時の差額免除や再計算の対象になり得るのか
  • 会社側の法人税・消費税と、後継者個人の納税猶予確定税額をどうつなぐのか

この確認を怠ったまま事業譲渡を進めると、会社には資金が入ったのに後継者個人には納税資金がない、会社は事業を失ったのに納税猶予の届出・管理だけは残り続ける、という状態に陥ることがあります。

M&Aの買い手は、納税猶予を「売り手個人の問題」とだけは見ない

納税猶予税額は、基本的には後継者個人の税務問題です。しかし、M&Aの買い手から見ると、まったくの無関係とは限りません。

たとえば、売却対象株式に担保が設定されている場合、買い手は、担保が外れた状態で株式を取得できるかを確認します。納税猶予の取消・期限確定が、クロージング条件に影響することもあります。

また、売り手である後継者が納税資金を確保するために、会社から役員退職金を支給する、自己株式取得を行う、配当を行う、関連当事者の債権債務を整理する、といった対応をとれば、会社財務・純資産・キャッシュフロー・買収価格に影響が及びます。

さらに、事業承継税制を適用した後の会社では、年次報告・継続届出・認定関係資料・株主名簿・議決権管理・雇用資料・資産管理会社判定資料などの管理が欠かせません。これらが整っていなければ、M&Aの過程で買い手から疑義を持たれることもあります。M&Aや組織再編の税務では、重大な事故の多くが単純な確認漏れ・レビュー不足から生じます。だからこそ、事前の資料整理と専門家によるレビューが重要になるのです。

売却を検討する段階では、M&A資料とは別に、「事業承継税制ステータスメモ」を用意しておくことをおすすめします。具体的には、適用税目、認定日、申告期限、5年経過の有無、猶予税額、担保、対象株式数、過去の年次報告・継続届出、取消事由への該当性、売却時の税額試算、差額免除の可否を、一枚に整理しておくイメージです。

M&Aガイドライン上の注意点も、税務判断と切り離せない

中小企業のM&Aについては、近年、支援機関の説明義務、手数料、利益相反、ネームクリア、テール条項、経営者保証、最終契約後のトラブルといった論点への注意が強まっています。

経済産業省は、2024年8月30日に「中小M&Aガイドライン」を改訂し、第3版として、中小M&A市場の健全な環境整備と支援機関による支援の質の向上を図ると公表しました。改訂では、手数料・提供業務の説明、広告・営業、利益相反、ネームクリア、最終契約後のリスク、経営者保証、不適切な譲り受け側の排除といった点が整理されています。

出典:経済産業省|「中小M&Aガイドライン」を改訂しました

事業承継税制を適用した後のM&Aでは、これらの論点に加えて、納税猶予の期限確定・担保解除・税額再計算・納税資金・会社財務への影響が重なってきます。

とりわけ重要なのが経営者保証です。株式譲渡によって会社の支配権が買い手へ移っても、売り手後継者の個人保証が自動的に外れるとは限りません。納税猶予の確定税額と保証債務が同時に残ってしまうと、後継者個人の手取りは大きく圧迫されます。M&Aの条件交渉と税務試算を別々に進めるのではなく、同じタイミングで確認しておくべき理由が、ここにあります。

「M&Aする可能性がある会社」は、適用前の判断が重要

事業承継税制を使うかどうかを判断する段階で、将来のM&Aの可能性を軽く見てはいけません。

次のような会社では、制度を適用する前に、とくに慎重な検討が必要です。

  • 後継者の意思・能力・健康状態に不確実性がある会社
  • 業界再編が進んでおり、将来の売却可能性が現実的な会社
  • 主要取引先への依存度が高く、事業継続リスクが大きい会社
  • 設備更新・人材採用・DX投資などに大きな資金が必要な会社
  • 後継者が株式を保有しても、実質的な経営改革を実行できる体制がない会社
  • 金融機関借入や経営者保証が重い会社
  • 少数株主が多く、将来の全株式譲渡に支障がある会社
  • 親族内承継とM&Aのどちらが会社にとってよいか、まだ判断できていない会社
  • 自社株評価額は高いが、会社のキャッシュフローが弱い会社

こうした会社で、税額軽減だけを理由に事業承継税制を使ってしまうと、後継者は将来のM&A時に大きな制約を受けることになります。売却すれば猶予税額が確定する。売却しなければ会社価値が下がる。事業譲渡しても資産管理会社化のリスクが残る。届出に漏れがあれば猶予が確定する。こうした状態になってからでは、選べる手立てはどんどん狭まっていきます。

事業承継税制は、会社を守るための制度です。しかし、会社を守る最善策が将来のM&Aになり得るのであれば、その可能性こそ、制度適用時の判断材料に入れておくべきものなのです。

売却前に確認すべき税務上の判断ポイント

事業承継税制を適用した後に売却・M&Aを検討する場合、少なくとも次の事項は整理しておきたいところです。

1. 適用している制度の種類

法人版か個人版か。特例措置か一般措置か。贈与税猶予か相続税猶予か。贈与税猶予から相続税猶予へ切り替わっているか。まずは制度の入口を確認します。

2. 5年経過の有無

申告期限後5年間の事業継続期間内か、すでに経過した後か。これによって、株式譲渡・代表退任・議決権喪失・組織再編・解散の影響は大きく変わります。

中小企業庁も、認定の有効期限は、後継者ごとに最初に適用を受ける申告期限の翌日から5年を経過する日までであり、この期間中は認定ごとに年次報告が必要だと説明しています。

出典:中小企業庁|法人版事業承継税制(特例措置)

3. 売却対象

後継者が株式を売るのか。会社が事業を売るのか。会社分割・株式交換・合併を使うのか。自己株式取得を組み合わせるのか。税務上の影響は、スキームごとに異なります。

4. 売却相手

同族関係者か、同族関係者以外か。発行会社自身か。グループ会社か。M&Aの買い手か。事業継続困難時の差額免除を検討する場合、譲渡相手の属性は重要な意味を持ちます。

5. 売却範囲

納税猶予対象株式を全部譲渡するのか、一部譲渡するのか。他の株主も同時に売るのか。売却後に、後継者の議決権割合・筆頭株主要件がどうなるのかを確認します。

6. 事業継続困難事由

売上減少、赤字、有利子負債、業界悪化、主要取引先の喪失、人材不足などを、資料で説明できるかを確認します。単に「売りたい」だけでは、事業継続困難時の再計算・差額免除の説明としては不十分です。

7. 譲渡対価と時価

譲渡対価が適正か、時価との関係に問題がないかを確認します。低額譲渡によって猶予税額を小さく見せるような処理は、贈与税・法人税・所得税・寄附金課税・みなし贈与などの問題を生じさせかねません。非上場株式の取引では、取引当事者、支配関係、評価目的によって時価の考え方が問題になりやすく、とくに個人法人間取引や低額譲渡では、追加課税リスクを慎重に見ておく必要があります。

8. 猶予税額・利子税・譲渡所得税

売却対価から何を支払う必要があるかを確認します。猶予税額、利子税、株式譲渡所得税、専門家費用、借入返済、保証解除費用を並べたうえで、後継者個人の手取りを試算します。

9. 担保

対象株式が担保に入っているか。代替担保が必要か。担保解除とクロージングの順序をどうするか。税務署・買い手・金融機関との調整が必要になります。

10. 届出・申請期限

継続届出、年次報告、差額免除申請、担保関係書類、都道府県への報告が必要です。国税庁は、継続届出書を期限までに提出しなかった場合、その提出期限の翌日から2か月を経過する日に、納税猶予に係る期限が確定すると説明しています。

出典:国税庁|B1-66 非上場株式等についての贈与税・相続税の納税猶予の継続届出手続(特例措置)

M&Aへ切り替えるべきかを考える判断軸

事業承継税制を使っているからといって、必ず後継者承継を続けるべきだとは限りません。

会社を守るという観点に立てば、後継者が無理に経営を続けるよりも、第三者へ引き継ぐ方が合理的な場合もあります。中小企業庁も、M&Aの場合の支援として、事業承継・引継ぎ支援センター、後継者人材バンク、民間M&A支援機関登録制度などを案内しており、事業承継・引継ぎ支援センターは全国47都道府県に設置された事業承継・M&Aの公的支援機関とされています。

出典:中小企業庁|事業承継を実施する

ただし、事業承継税制を適用した後のM&Aでは、「会社としてM&Aが合理的か」と「後継者個人に税務負担を背負わせても実行可能か」を、分けて判断する必要があります。

会社として合理的であっても、後継者個人が納税資金を確保できなければ実行できません。逆に、後継者個人の税負担が大きくても、会社・従業員・取引先を守るためにM&Aが必要な場合もあります。税務上不利だから売らない、有利だから売る、という単純な判断ではなく、次の観点を同時に見ていきます。

  • 会社の事業継続可能性
  • 後継者の経営継続意思と能力
  • 従業員・取引先への影響
  • 売却価格と納税負担
  • 猶予税額の再計算・差額免除の可能性
  • 金融機関借入・経営者保証の処理
  • 株主構成と少数株主の同意
  • 親族間で説明できるかどうか
  • 売却しない場合の会社価値低下リスク
  • 売却した場合の、後継者個人の手取りと生活設計

適用前から「売却時シナリオ」を作っておく

本来、売却・M&Aの税務上の境界は、制度を適用した後にはじめて考えるものではありません。事業承継税制を使うかどうかを決める時点で、将来の売却時シナリオを描いておくべきものです。

最低限、次の3つのシナリオを比較しておきたいところです。

第1に、後継者が長期にわたって保有し、事業を継続するシナリオ。

第2に、5年経過後に、業績悪化を理由として第三者へ売却するシナリオ。

第3に、制度を使わず、通常の贈与・相続・売買・M&Aを組み合わせるシナリオ。

それぞれについて、承継時税額、猶予税額、取消時税額、売却対価、譲渡所得税、会社財務、金融機関対応、親族への説明、少数株主への対応を並べて比較します。

事業承継税制は、入口の段階では非常に大きな税負担軽減効果を持ちます。しかし、出口でM&Aを検討する可能性が高い会社では、その軽減効果と引き換えに、後継者の将来の選択肢を狭めてしまうことがあります。

「適用できるか」ではなく、「将来売却する可能性があるとしても、適用すべきか」。この問いから目をそらさないことが、結果として後継者と会社を守る判断につながります。

まとめ

事業承継税制の適用後に売却・M&Aへ移行する場合、何より重要なのは、M&Aをひとつの言葉でまとめてしまわないことです。

株式譲渡なのか。事業譲渡なのか。組織再編なのか。自己株式取得なのか。後継者が納税猶予対象株式を譲渡するのか。会社が事業を売るのか。この区分によって、納税猶予の期限確定、猶予税額の再計算、会社側の税務、後継者個人の資金繰りは、大きく変わってきます。

特例措置には、事業継続困難時の再計算・差額免除の仕組みがあります。しかし、それは「M&Aなら税負担がなくなる」という制度ではありません。一定期間の経過後に、事業継続困難事由、譲渡対価、時価、譲渡相手、申請期限などの要件を満たした場合に、猶予税額の一部について免除を受ける余地がある、という制度です。

事業承継税制を使う前にも、使った後にも、M&Aを将来の選択肢として考えるのであれば、次の問いを必ず整理しておくべきです。

  • 後継者は、本当に長期保有できるのか
  • 会社は、5年後、10年後も継続できるのか
  • M&Aが合理的になった場合、納税猶予はどうなるのか
  • 売却対価から、税金・利子税・保証債務を支払えるのか
  • 事業譲渡後に、会社が資産管理会社化しないか
  • 買い手に説明できる税制管理資料が残っているか
  • 親族・株主・金融機関に、後から説明できる意思決定の記録があるか

事業承継税制は、会社を守るための制度です。しかし、制度を使ったことで、会社を守るためのM&A判断が遅れてしまっては本末転倒です。

税務メリットと将来の出口リスクを同じテーブルに並べ、後継者・会社・株主・金融機関・従業員に説明できる形で判断する。これこそが、事業承継税制とM&Aをつなぐ、実務上の要点だと考えています。

重要事項の振り返り

論点判断のポイント確認すべき事項
事業承継税制とM&Aの関係事業承継税制は後継者の継続保有を前提とし、M&Aは第三者への移転を伴う制度適用後に売却可能性があるか
株式譲渡型M&A後継者が納税猶予対象株式を売るため、期限確定・取消が直接問題になる譲渡株式数、5年経過の有無、猶予税額
事業譲渡型M&A会社が事業を売るため、売却代金は会社に入り、後継者個人には直接入らない法人税、消費税、配当・退職金・清算時課税
5年以内の売却事業継続期間中の要件逸脱として重い取消リスクがある申告期限、認定有効期間、代表者要件、株式保有
5年経過後の売却譲渡部分に対応する猶予税額の期限確定が問題になる一部譲渡か全部譲渡か、譲渡後の議決権
事業継続困難時の再計算特例措置では、一定要件のもと譲渡対価等を基に再計算し差額免除を受ける余地がある事業継続困難事由、譲渡相手、譲渡対価、申請期限
一般措置との違い一般措置には特例措置と同じ将来減免の仕組みがない適用制度が一般措置か特例措置か
売却対価売却価格は後継者の手取りではない猶予税額、利子税、譲渡所得税、専門家費用
担保対象株式が担保になっている場合、M&A実行前に解除・代替担保を確認する担保明細、税務署対応、クロージング条件
事業譲渡後の会社事業を失うと資産管理会社化・総収入ゼロ・解散リスクが生じる売上、資産構成、残存事業、清算方針
買い手への説明納税猶予は売り手個人の問題でも、担保・資料不備・会社財務に影響する認定資料、継続届出、年次報告、猶予税額メモ
M&A支援機関ガイドライン改訂により、手数料、利益相反、保証、買い手調査等の説明が重要になっている中小M&Aガイドライン、支援機関の説明内容
適用前判断将来M&Aの可能性が高い会社では、制度適用自体を慎重に検討する長期保有可能性、売却シナリオ、制度非適用案
相談前整理税制・株式・財務・M&A条件を別々に見ない株価試算、猶予税額、売却対価、納税資金、保証

事業承継税制を適用している会社で売却・M&Aを検討する場合、必要なのは「売れるかどうか」の検討だけではありません。納税猶予の期限確定、差額免除の可否、株式譲渡所得、事業譲渡後の会社財務、担保解除、経営者保証、関係者への説明。これらを一体として整理しておく必要があります。

犬飼公認会計士・税理士事務所では、事業承継税制の適用判断はもちろん、適用後にM&Aへ移行する場合の猶予税額試算、株式譲渡・事業譲渡の税務比較、納税資金、会社財務、関係者向け説明資料の整理まで含めて、検討を支援しています。

「事業承継税制を使った後に会社売却を考えている」「後継者承継を続けるか、M&Aへ切り替えるか迷っている」「売却時に猶予税額がどの程度発生するか確認したい」。そうした場合は、当事務所HPのお問い合わせページよりご相談ください。

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